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まだまだ厳しい残暑が続く関東と西日本。日中、太陽さんが顔を出すと一気に気温が上昇する。エアコンを入れると室外の音で更に外気温が上がる。早い秋の訪れを希求する。そんな中、紅い百日紅(サルスベリ)は元気姿だ。散歩際には目を楽しませてくれる。 三か月以上も咲き続ける百日紅。真夏の日差しが照り続け中でも花を咲かせる。しかし、ひとつひとつの花の命は、3日から4日ほどで短い。枝を伸ばしながら、沢山の蕾をつけて次々と時間差で咲く。バトン渡しのようでもある。それが長い間咲いているに見える。秘密の遺伝子があるようだ・・。 暦では、「白露(はくろ)」が始まる。9月7日から9月22日まで。夜の気温が下がり、朝露が葉や草木につく頃。2026年の処暑の候は、大変な日々となった。干ばつと豪雨だ。日本列島は、この半月間に千葉豪雨、北陸豪雨、福井豪雨と立て続け浸水被害等に遇う。その他の地でも「猛烈な雨」より激しい時間100ミリを超える降り方が・・。写真1 散歩道で・・。写真2 色鮮やかな百日紅。写真3 青空と百日紅。写真4 散歩を楽しませる夏花。写真5 農家の大きな紅いサルスベリ。写真6 いろいろな処で見かける百日紅
2026年09月07日
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中世から20世紀にかけての西洋美術品を収蔵する国立西洋美術館(略して西美館)。新館1階常設展示室2つに、現代美術における数多くの作風が展示。展示室11には、19世紀絵画、20世紀絵画(第二次世界大戦前)の多くの画家の作品が壁に並ぶ。 経年劣化は避けられない油絵。「予防保存」を修復処置した例として、ハンス・マカールの「ウィンザーの陽気な女房たち(1871年)」が紹介するパネルがあった。傷んだ画面は、絵具層の再接着や絵画表面の湿式洗浄、欠損部への充填整形など繊細な技能が必要。また赤外線反射写真により、下絵など観察できるという。 展示室11は、戦後の現代風抽象画が多く配置されている。その中にパブロ・ピカソの「男と女(1969)」が展示している。ピカソ晩年(88歳)の作品で、ダンスを踊るかのようにもつれ合う「男女」が描かれている。絵具を荒々しく塗りつけた粗野なタッチ。当時「ピカソ老いたり」との評価もあったが、今は美術価値として高いようだ。写真1 農場の風景。写真2 港と湖の風景。写真3 人物画。写真4 予防保存の修復処置された「陽気な女房たち」。写真5 ピカソの絵画。写真6 「収穫期の脱穀」他。
2026年09月06日
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東京芸術大学音楽学部キャンパスの正門、守衛室の裏手木立の中にレトロな建物2棟が建っている。手前の「赤レンガ1号館」は、明治13年(1880年)に竣功し、震災と戦火を乗り越えてきた。教育博物館の書籍閲覧書庫として建てられた、都内で最も古い煉瓦建築物。一時取り壊し憂き目にあったが、保存されている。 赤レンガ2号館は、旧東京図書館書庫として使用された建物(竣功が明治19年)。1号館は、今後も使用できるように、2005年耐震改修がなされた。1号館では、1階を同窓会事務所に、2階を学生用の談話室・集会室に活用。2010年耐震改修した2号館は、1階に教員室、2階3階をアトリエとして利用している。 長く使用されてきた旧東京音楽奏楽堂(そうがくどう)は、老朽化にともない昭和59年に解体し、上野公園内に移築された。外装にレンガを使用した新奏楽堂は、オーケストラ・ピットを備えて1998年に竣功。大ホールは、1100座席数と正面に大きなパイプオルガンを配置した施設となっている。写真1 東京芸術大学の正門。写真2 音楽学部キャンパス内の赤レンガ1号館。写真3 レンガ1号館の内観。写真4 木立の中に佇む赤レンガ館。写真5 赤レンガ2号館。写真6 奏楽堂の外観と大ホール正面ステージ。
2026年09月04日
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国立西洋美術館新館2階の展示室4と展示室5に、17世紀絵画が展示されている。17世紀は、バロック画の時代と言われ、画が多く残っている。イタリア、フランス、ドイツの画家の名前が連なる。写真撮影きOKではあるが、光沢のある油絵なので、光の反射で微妙に画質が変化してしまう・・。 バロック絵画は、劇的な描写技法、豊かな深い色彩、強い明暗法などが特徴とされる。大げさで芝居がかったような場面描写も好まれたという。明暗を用いた動的な作風も多い。17世紀のオランダは、大きな美術市場を形成したという風景画、静止画、肖像、歴史画、風俗画とさまざまジャンルの作品が残っている。 展示室でひときわ光を放つ青色(マリンブルー)の作品がある。イタリアのバロック画家・カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」だ。祈る手元そして憂いを含んだ表情。青いベールを身にまとった、深い悲しみを表情に、引き込まれるように立ちつくす人。写真を何枚も撮影する外国の人がいた・・。写真1 新館展示室4の17世紀絵画。写真2 カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」。写真3 ジョルダーノ「マギの礼拝」。写真4 バロック絵画。写真5 聖なる女性の肖像画。写真6 子どもの表情を描写した絵画。
2026年09月03日
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近所を散歩すると、見かける花の種類は少ない。よく見かけるのはサルスベリ。赤色やピンク色の百日紅は、夏の猛暑を連想してしまう。一方、白いサルスベリを見かけると、少し涼しく感じる。赤・ピンク・紫・白の4系統あるサルスベリのうち、白色を選定しました。[撮り溜めた写真から] 近くの公園では、今年もリョウブ(令法)が咲いた。沢山の小花が空に向かって伸びている。白いサルスベリに、良く似ている。リョウブの幹は、樹皮が薄く剥がれ落ちて、まだらで滑らかな木肌が特徴。小花が風と雨で散ると、小雪が薄く積もった景色となる。夏まつりが「粉雪」を消し去った。写真1 夏花の白いサルスベリ。写真2 涼気に見えるサルスベリ。写真3 リョウブの花穂と可愛い白雲。写真4 公園の片隅に立つリョウブ。写真5 散った花粒を消した自治会夏まつり。写真6 キカラスウリとクリ。
2026年09月02日
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上野の国際子ども図書館は、「レンガ棟」と平成27年に竣功した「アーチ棟」の2つの建物がある。レンガ棟は、明治39年(1906年)に帝国図書館として建てられ、昭和4年に増築された。平成14年に児童書の専門図書館として全面会館した。子どもと親子に配慮した複数の部屋がある。図書数は、和洋あわせて約50万点、その他に紙芝居を含む静止画像が2万点以上を収蔵している。 レンガ棟の建物は、ルネッサンス様式の洋館で、東京都の歴史的建造物。前景は、細長いアーチ形の窓が特徴。外壁に明灰色の白丁場石(安山岩の一種)とベージュ色の化粧煉瓦を使用。内観の見所は、1階から3階まで吹き抜けにある大階段。細かなデザインの手摺は創建時のもの。3階ホールは、音楽会や各種催しを行うスペースとなっている。 図書館の前庭に、小泉八雲の記念碑が立っている。上部に天使群像と下部に八雲の顔レリーフがあった。英国生まれのジャーナリストは、明治24年に来日して、明治29年島根県に住む小泉節子と結婚して帰化する。八雲は、「雪女」など童話名作集を欧米で出版しており、子ども図書館に縁がありそうだ。写真1 国際子ども図書館。写真2 レンガ棟の外観。写真3 レンガ棟の内観・大階段。写真4 三階のホール内観。写真5 中庭とアーチ棟、テラス。写真6 小泉八雲碑その他。写真7 レンガ棟内部の模式図。
2026年08月31日
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中世から20世紀にかけての西洋美術品を収蔵する国立西洋美術館(略して西美館)。展示作品は、主要構成として時代別・地域別に分けられている。前回のモネ特集に続いて、今回は18世紀絵画(ロココ様式)と19世紀絵画(印象派)の一部をアップする。 18世紀絵画の多くは、展示室(7)に展示されている。ユベール・ロベールの「空想のローマ風景(1786年)」が対で並べられている。実際には別々の場所にある、古代の有名なモノが複合構成している。18世紀のフランスは、女性たちが活躍し始めた。ガブリエル・カペは、当時新進の女性画家のひとり。青いドレスをまとった自画像は、若さが滲みでる。 展示室(8)には、モネの作品群に混じってマネやルノワールの作品がある。マネとモネ、英語表記で「Mamet」と「Momet」と間違いやすい。エドワード・マネの友人「ブラウンの肖像(1879年)」が展示。ルノワールの「帽子の女(1879年)」は、さまざまな色彩と白色が混じりあって、真珠のような輝きを放っていた。写真1 展示室7ではロココ画を鑑賞。写真2 ユベーロ・ロベールの「空想のローマ景観」 1786年。写真3 「夏の夕べ、イタリア風景」など。写真4 ヘクトール、テオドーレなどロココ画。写真5 女性の人物画。写真6 マネとルノワール。
2026年08月30日
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日比谷公園が寂しく広く感じた。日比谷公会堂は、日本で最初の本館的なコンサートホール(収容人数2085人)。国会通りに面する市政会館との複合建築で、平面的にT字形している。地上6階(塔屋4回)の古いビル。しかし歴史が詰まっているので、都の歴史的建造部となっている。2016年に休館となった。 日比谷公会堂は、昭和4年(1929年)に、鉄筋コンクリ―造りで竣功する。外観に茶褐色のタイルで覆われた、華麗なゴシック様式。数々の催しが歴史を刻んできた空間でもある。音楽公演や政治演説会そして伝説的なコンサートも行われた。そして浅沼稲次郎氏が暗殺(1960年)された場所でもある。 日比谷公園内には仮囲した場所があった。大噴水と小音楽堂の工事のようだ。1923年に造られた野外音楽堂は解体され更地に。今後防音壁など整備する「バリアフリー日比谷公園プロジェクト」が進む。新大ホールも2030年に完成予定だという。写真1 日比谷市政会館と公会堂。写真2 茶褐色のタイルに覆われた公会堂。写真3 アーカイブカフェは閉店。写真4 国会通りに面する市政会館。写真5 市政会館の玄関。写真6 「バリアフリー日比谷公園プロジェクト」が進行。
2026年08月29日
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上野の国立西洋美術館(略して西洋美館)の常設展を観る。本館と新館2階をゆっくり写真撮影しながら回る。当該美術館では、昔と異なり、ほとんどの作品が撮影可能。他美術館等から借りた作品は、NGマークが表示されている。常設展では、5つに時代分けをしている。14世紀から16世紀、17世紀、18世紀、19・20世紀(戦前)、20世紀(戦後)に・・。 新館の展示室8と展示室9において、「クロード・モネ没後100周年」の特集展示(7/22から9/22)している。フランスを代表するモネ(1840-1926)。西洋美館に収蔵する19作品すべてが展示。お馴染みの「スイレン」や「舟遊び」などアップする。 モネの日本国内所蔵品は、およそ130点と云われている。なかでも多く所蔵するのは、西洋美館とポーラ美術館でそれぞれ19点所蔵。箱根・ポーラ美術館でも「モネ没後100周年・開館25周年記念」を開催しているという。西洋美館での19点同時展示は、めったにないという・・。写真1 新館2階の展示室8と展示室9。写真2 クロード・モネ「睡蓮」 1916年。写真3 モネ「舟遊び」 1887年。写真4 モネ「黄色いアイリス」他。写真5 風景画 幻想の橋。写真6 「しゃくやくの花園」と「睡蓮、柳の反映」。
2026年08月27日
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「江戸博」常設展の東京ゾーンは、日本橋右下の文明開化東京(T1)から現代の東京(T10)まで、5階フロアの約半分を占めている。東京ゾーンの入口に、東京銀座のシンボル「服部時計店」を原寸がある。江戸時代から明治・昭和へ移りが判る。近代建築、関東大震災、戦災・復興、高度経済成長期への時代の流れを観る。 明治に入ると新政府の主導で、近代国家にふさわしい首都づくりが進められた。明治5年の大火災後に、防火の町「銀座煉瓦街」を、そして明治16年(1883年)、欧化政策のシンボル「鹿鳴館」ができる。擬洋風建築に始まり、外国人の手による洋館など、欧米文化を受容して来た。文明開化後、東京では多彩な文化や風俗が生まれた、第一次世界大戦を契機に経済が成長する。大量消費の生活様式が浸透して行く。東京浅草では、西洋の技が導入され、かつての見世物小屋から高層展望台(凌雲閣)や活動写真館(電気館)など娯楽施設が次々と建築された。写真1 江戸博東京ゾーンの入口「服部時計店」。写真2 床下の鹿鳴館。写真3 ニコライ堂の模型と内部。写真4 銀座煉瓦街のジオラマ。写真5 絵画にみる馬車と蒸気機関車。第一国立銀行の模型。写真6 娯楽の街・浅草の様子。
2026年08月26日
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上野の国立西洋美術館を観て涼む。訪れた日、「版画家レンブラント」の企画展が開催されていたが、小生らは、リニューアルした前庭と常設展を観て回る。常設展のチケット代は、一般500円であるが、月に一回ほど無料観覧日を設けている。そもそも65歳以上は無料で入館できる。 西洋美術館は、仏政府から寄贈返還された松方コレクション(370点)をベースに昭和34年(1959年)に発足。現在、絵画、彫刻、版画、写本、工芸が約6千点を所蔵している。美術館本館は、フランスの建築家ル・コルビュジュが設計。建物全般に渡って「モデュロール」が採用。2016年には世界文化遺産になった。 約1年半に渡って休館にして、2022年4月に復元した美術館前庭。西側(噴水広場側)の門からアプローチや開放的な柵を設置した。彫刻「考える人」と「カレーの市民」像を当初の状態に戻したという。またコンクリート床は、ル・コルビュジュが考案したモデュロールで割られた目地が復原されている。写真1 国立西洋美術館と前庭。写真2 企画展[レンブラント]と常設展。写真3 「考える人」像と「カレーの市民」像。写真4 美術館前庭のブロンズ像。写真5 ロダン作の「地獄の門」。写真6 コンクリート床は、「モデュロール」の目地割。
2026年08月25日
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江戸東京博物館の常設展へは、1階から6階へ。エレベーターを出ると、いきなり日本橋の橋詰に・・。タイムスリップした感覚になる。日本橋は、江戸時代の原寸大で再現。但し橋長さは、北半分の25m。大江戸の歴史と文化を知るために日本橋を渡る。そして白い暖簾をくぐると江戸ワールドが広がる。精巧なミニチュアの町並みがあった。 日本橋の左下に、歌舞伎の芝居小屋「中村座」がある。間口11間(約20m)で原寸大に復元されている。内部に入ることができ、廻り舞台の一端を見ることができる。「江戸の美」と称される歌舞伎は、江戸庶民のみならず大名や侍も夢中になったとされる。芝居小屋裏には、演目「助六」の舞台を再現。 江戸に幕府が開かれると、多くの人々が集まり商業が盛んになり大都市化してゆく。全国の大名は、参勤交代制度のため江戸に住まいを構えた。衣・食・住のうち、特に服装(女性着物を含む)は需要大。京都の呉服から仕入れて財をなしたのが三井越後屋。その呉服店を縮尺1/10で再現。現代の三越へと発展する。写真1 タイムスリップして日本橋を渡る。写真2 日本橋の大江戸展示会場。写真3 江戸の町並みのミニチュア模型。写真4 歌舞伎の芝居小屋と演目「助六」。写真5 江戸の活気、神田祭り。写真6 三井越後屋の呉服店。縮尺1/10。
2026年08月23日
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相撲の英語は「SUMO」。両国国技館1階に、相撲博物館(SUMO MUSEUM)がある。大相撲東京場所が開催されていない平日は、無料で入館できる。但し、国技館は、他のスポーツ大会や各種イベントが開催される場合があるので、事前のチェックが必要。大相撲九月東京場所は、9月13日から始まる。 相撲博物館での「江戸相撲の風景」は、8月20日まで展示。江戸の横綱にまつわる資料の他、力士の相撲の活気を描いた錦絵等を展示。今日につながる相撲文化の源流が見つかるかも・・。展示室は大きくない。常設展ではなく、年3回の展示替えが行われる。 江戸最大の火災「明暦の大災(1657年)では、隅田川に橋が架かっていないこともあり、約10万人の市民が亡くなった。無縁仏を供養するために、両国橋を架けその東詰に回向院を建てた。供養費を募るために境内で勧進相撲を春と秋に毎年開催したという。桟敷と櫓を建て、晴天10日間の興行をする。名所江戸百景「両国回向院元柳橋」に櫓太鼓が描かれている。写真1 両国国技館の正面。写真2 国技館後姿と展示テーマ「江戸相撲の風景」写真4 屏風「四角土俵」と錦絵。写真5 昔と今の風景を比較。写真6 櫓の昔と今。
2026年08月22日
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江戸東京博物館では、1階で特別展、5-6階で常設展が開催、それぞれのチケットを購入(シニア割で半額)。先ず、リニューアル記念特別展の洋館「明治の夢と挑戦」を鑑賞する。写真撮影は、展示物によって、可と否があり混在していたので、不足分を後日ホームページ等から拝借。 江戸から明治への転換は、長く閉ざれてきた入口が開き、衣食住に洋式が広まる。洋風建築にも関心が集まる。特別展は、当時の人々が夢を抱いた「明治の洋館」を写真・絵図等紹介展示。大工棟梁による擬洋風建築、外国人技術者よる非本格的洋館、そして外国人建築家たちが手がけた本格的西洋建築を整理展示。 展示物は、4つ章に分けている。プロローグは、「前夜 幕末の江戸・横浜風景」。第1章:ナマコ壁と擬洋風建築。第2章:建築家がやってきた[外国人建築家と都市風景]。第3章:開花する洋館の明治[日本人建築家の挑戦]。第4章:羨望の住処[明治の洋風邸宅]。建築単体のみならず都市の風景を立体的に再現している。写真1 江戸博特別展会場入口。写真2 プロローグと第一銀行雪景色。写真3 擬洋風建築物の絵画。写真4 外国人建築家も活躍。写真5 新橋ステーションと中央停車場。写真6 憲法発布大祭図と旧東宮御所の家具類。
2026年08月21日
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昔の同僚と江戸東京博物館(略:江戸博)を訪れた。2022年から約4年間の大規模な改修工事を経て、今年3月31日に新装オープンした。1993年に博物館を開館して、30年が過ぎて建物・運用面で老朽化していた。特に東西に張り出す独特の大屋根の改修(断熱・防水対策)に時間が取られたようだ。 改善点として下記の点がある。(1)都営地下鉄両国駅からのアクセスについて、バリアフリーと雨天対応の歩廊を設置。(2)館内照明をLED照明に更新し、施設内に太陽光発電設備を設けた。(3)エントラストホールを拡大し、解放感のある空間を創り、壁面やカウンターに多摩産材木材を使用。壁の一部を伝統的な左官仕上げとした。 「江戸博」は、江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える場を願っている。夏休みには、多くの小・中学生が見学にやってくる。常設展については、中学生以下は観覧無料。一般は800円であるが、毎月第3水曜日は65歳以上無料となる。また食も大切に考え、付帯施設「レストランこよみ」があった。写真1 「江戸博」の大屋根を3階広場から見る。写真2 JR両国駅からのアクセス。写真3 地下鉄大江戸線からのアクセス。写真4 常設展示室へのアプローチ口。写真5 天井映像と1階ホールの壁。写真6 リニューアルした江戸東京博物館。
2026年08月19日
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日比谷通りを挟んで日比谷公園芝生広場の向いに、帝国ホテル東京がある。本館は、築55年が経過して老朽化してきたため建替えの計画がある。昔を偲んで、本館ロビーを訪れた。正面玄関から入ると、大きなフラワーアレンジメントと大階段が目に入る。その左側に光の壁があるランデブーラウンジがあり、開放ある空間だ。 現在の本館は、三代目で1970年に竣功。伝統と格式ある重厚感がある。隣のタワー館は、1983年に完成したタワーホテル。下層部はプラザ館となっている。本館一階から中二階へ上る大階段の頭上には、薔薇をイメージした「ゴールデンローズ」が輝く。この階段は、新郎新婦の記念撮影スポットになっている。 中二階には、初代ホテルの模型および二代目ホテルを10万個で製作したレゴ作品が展示している。二代目は、フランク・ロイド・ライトの設計によるもので、「ライト館」と呼ばれる。東武ワールドSに縮尺1/25ライト館を展示。また愛知県の明治村には、ライト館の玄関部分が保存。建材とし栃木県産・大谷石が使われている。中二階には、カラクリ時計「モニュメント・クロック」が時を刻んでいた。写真1 日比谷公園に面して建つ帝国ホテル東京・本館。写真2 本館ロビーの大階段とラウンジ。写真3 タワー館とホテルプラザ。写真4 10万個のレゴで製作した「ライト館」。写真5 初代ホテルの模型と二代目帝国ホテルミニチュア。写真6 中二階の装飾品など。大谷石のレリーフとからくり時計。
2026年08月18日
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JR小樽築港駅の西側、鉄道に沿って大型商業施設「ウイングベイ小樽」が長く伸びている。施設の前身は、築港駅の貨物ヤード跡地を整備し、「マイカル小樽」(平成9年開業)だった。しかし、間もなく経営苦しくなる。平成15年(2003年)に、施設名をウイングベイ小樽と改称してスタートしていた。[撮り溜めた写真から] 昭和初期、小樽築港駅付近は、日本の石炭産業を支えて場所。手宮の石炭積み出し地に変わって、近代的な石炭の集積・積出し担っていた。また輸入木材も盛況で若松貯木場があった。これらの施設を解体整備してできたのがマリーナと長さ600mに及ぶ商業施設だった。建物は、海岸に沿って翼を広げるように造られた。 平成29年(2017年)からウイングベイ小樽を運営してきた「小樽ベイシティ開発(OBC)」は、苦しい経営を強いられて来たが、今年6月道内外5社の出資と金融機関からの融資を受け、経営再建にめどが立ったという。約2000人が働く施設は、観光施設からウェルネスタウンへ進んでいるようだ。写真1 築港駅から南小樽駅方面を望む。写真2 築港駅と架空横断通路。写真3 築港臨海公園から対岸の手宮・高島方面を眺める。写真4 海岸プロムナードと遠くに見える銀燐荘。写真5 ウイングベイ小樽の中央部あるネイチャー・チャンバー。写真6 催事場と臨海公園。
2026年08月16日
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千葉県は、8月13日から14日にかけて記録的大雨に見舞われた。県内の市町村で大雨特別警報(レベル5、黒色)になる。幸い、流山市は被害が少なかった。千葉県の東部と北西部で明暗が分かれた・・。朝雨が上がったので、散歩しながら江戸川と田んぼの様子を観る。 今回の大雨は。千葉県内に線状降水帯が3度も発生した。都市排水能力を上回る雨量と中小河川の氾濫で浸水被害が多かった。千葉市は、時間雨量110ミリ、24時間雨量360ミリを記録したとう。となり町の柏市でも110ミリを記録。流山市は50ミリ程度だった。 今回の大雨で、国際空港成田が陸の孤島化した。空港から都心へ向かう電車が運行出来なくなった。飛行機が到着しても、旅客は空港内に滞留するしかなかった。約7千人が空港で一夜を過ごしたようだ。また8月13日は、北方領土問題でも「大雨浸水」事態か・・。プーチン大統領が北方領土を訪問してした。写真1 千葉県内の大雨特別警報の状況。写真2 大雨の翌朝、江戸川土手へ。写真3 左岸土手から江戸川の流れを見る。写真4 土手沿いの稲を観察する。写真5 報道による大規模冠水(大網白里市)。写真6 市川市の浸水と北方領土を訪問したプーチン氏。
2026年08月15日
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上野不忍池での蓮見といえば蓮池であるが、西隣の「鵜の池」も水面がハスに覆われる。「イソップ橋」から下った池畔に「不忍池テラス」があり、蓮見をしながら軽食とドリンクで休息できる。また弁天堂に沿って、池を横断するデッキ橋から蓮花を観ることができる。動物園弁天門口に通じている。[撮り溜めた写真から] 上野動物園西園においてキツネザルの吊り橋、およびアイアイの棲む森に「バオバブ」の擬木がある。不思議な形をしている。バオバブは、アフリカとマダガスカルを原産地としている。上下逆さまに見えるので「アップ・ダウンツリー」とも呼ばれる。乾季には太い幹に大量の水を貯めて休眠する特性がある。 鵜の池は、不忍池にある3つの池では最も小さい。蓮池の約半分の25,000m2の面積。しかし池の平均深さは、最も深い93cm。池中央にカワウの巣があり、百羽以上が棲んでいる。カワウ、ウミウは「迷惑な黒い鳥」と言われる。アユなど魚を捕食し、大量の糞を待ち散らす。漁業関係を悩ます害鳥だが、鳥獣保護管理法で捕獲・殺傷が制限されている。写真1 動物園西園の鵜の池。写真2 イソップ橋デッキ。写真3 鵜の池一面を覆う蓮葉。写真4 不忍池テラスで休憩。写真5 バオバブの擬木とスカイツリー。写真6 蓮見デッキ通路。
2026年08月14日
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小樽潮陵高校から北へ下る約300mの坂道がある。その坂下、国道5号との合流点に龍徳寺がある。この坂道を「潮陵の坂」または「潮見坂」と呼ぶ。坂の町小樽には、坂学会登録の坂が31あるが、潮陵坂は含まれていない。因みに函館には、24の登録された坂がある。 今年も盆前に、先祖の供養のために龍徳寺を訪れた。あと何回、故郷のお寺を訪れることができるかな・・。龍徳寺は、小樽真栄(まさかえ)にある曹洞宗の寺院で山号を海雲山。本堂は市内で最も古い寺院本堂。クスノキの一本彫で作られた巨大木魚が有名。直径1.35m×高さ1.0 m×重さ330kgで、その大きさは日本一。 納骨堂へ渡る廊下の一画に、ミュージシャンの南こうせつ氏と住職のツーショット写真が飾られている。彼の実家(大分県勝光寺)が同じ宗派という縁で、ご詠歌「まごころに生きる」(2007年頃アルバムに収録)を作詞作曲をしている。法事際希望すれば、式場に曲が流れたという。写真1 潮陵高校に続く坂道。写真2 坂の下は、龍徳寺と国道5号線。写真3 龍徳寺の境内と本堂建物。写真4 納骨堂への廊下に飾られた南こうせつ氏の写真と「まごころに生きる」。写真5 本堂の内観と日本一の木魚。写真6 本堂東の金毘羅殿と北前船絵馬。
2026年08月12日
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不忍池の蓮を観た後、上野動物園に寄る。シニア割300円で入園できる。不忍池は、堤で3つに分れ、そのひとつが動物園の敷地内にある。パンダのいない上野動物園内は寂しさ感が漂う。4月から6月の入園者数は約2割減だという。パンダを観るために、入園開始前から大行列ができたのが嘘のようだ。 パンダの上野として長く親しまれたが、次の「推し」は、動かない鳥「ハシビロコウ」のようだ。東京都知事もPRに訪れている。ハシビロコウは、アフリカの淡水湿地帯に生息かる大型の鳥。大きな体と靴のような形をしたくちばしが特徴。翼を広げると2mを超える。水辺で魚などの獲物を長時間じっと動かずに過ごす。頑固で忍耐強い動物。 絶滅危惧種に指定されているハシビロコウ。世界の動物園などの飼育数は、40から50羽という。日本国内でハシビロコウに会える動物園は、6つで12羽(2026年4月現在)。そのうち4羽が上野動物園にいる。それぞれ名前が付いている。足リングの色と数で識別している。4月から園内にハシビロカートが動いている。無料ではあるが1日3時間(30組)しか乗れない・・。写真1 西園にいるハシビロコウ。写真2 人気上昇中のハシビロコウ。写真3 愛くるしいペンギン。写真4 カバとサイ。写真5 フラミンゴとキリン。写真6 上野動物園押しのハシビロコウ。
2026年08月11日
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大型パネルネオンサイン「ヒゲのおじさん」で、有名な「すすきの交差点」。南4西4と南4西3の境に位置する。札幌駅前通と南南条通(月寒通)そして市電が交差する場所で、人通りが多く、車などの交通量も多い。小生らは、狸小路のホテルに宿泊したので、この交差点は近くである。 北海道で最大の繁華街「すすきの」は、コロナ禍以前は、4000軒以上の飲食店と風俗店があつた。現在、3500軒に減少しているが、新たな店舗も生まれている。サラリーマンやオヤジたちの聖地的イメージがあったが、若者、海外観光客が気軽に楽しめる店舗が増えている。昼間も楽しめる街に変わってきている。 最近、ニッカウヰスキーの「ヒゲのおじさん」が優しくなったという。この4月13年ぶりに刷新され、五代目となった。四代目と比較するとモザイク的顔がより細やかになった。この大型パネル(縦13m×横7.5m)は、札幌五輪を前に、ブラックニッカをPRするために1969年大小500個のネオン姿だった。57年間、ススキノの玄関の象徴だ。写真1 すすきの顔「ヒゲのおじさん」。写真2 すすきの交差点夜景。写真3 すすきの交差点夜景その2。写真4 最新の五代目と以前の四代目を比較。写真5 歴代の「ヒゲのおじさん」たち。写真6 狸小路周辺の煌びやかな通り。
2026年08月09日
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上野東照宮の本堂拝観時刻前に、参道・境内を散歩する。先ず目につくのは、灯篭の多さだ。参道の両脇に石灯篭がずらっと並ぶ。その奥に黄金色に輝く唐門ある。上野東照宮は、三代将軍徳川家光の時に、日光までお参りできない江戸の人々のために、豪華な金色殿を建てた。そして、関東第震災と東京大空襲に焼失しなかった、ご加護があった神社だ。 唐門(唐破風造り四脚門)は、慶安4年(1651年)に設営された。現在、国の重要文化財。門柱に施された「昇り龍」、「降り龍」は、日光東照宮の「眠り猫」でも知られる左甚五郎作と云われる。向かって右側、頭を下に向けている龍が「登り龍」。これは偉大な人ほど頭を下げる。立派な人ほど謙虚だとの意味を込めている・・。 上野東照宮設立の際、全国の大名から約250基の灯篭が奉納されたという。唐門前に並ぶ銅灯篭6基は御三家灯篭。境内に密集して並ぶ銅灯篭48基は、有力者が奉納。銅灯篭は、竿が太く装飾や奉納者の名前が刻まれている。これほどの銅が集積しているので、銅等の金属窃盗に要注意だ。写真1 上野東照宮の境内。写真2 上野東照宮の参道に並ぶ石灯篭。写真3 御三家の銅灯篭と唐門。写真4 唐門表の龍の彫刻(昇り龍と降り龍)。写真5 境内の銅灯篭とその装飾等。写真7 明治初期の図絵(三代目歌川広重)。
2026年08月08日
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札幌滞在の宿泊ホテルは、狸小路5丁目。朝食前に、近くの大通公園を朝散歩する。大通公園の2丁目から5丁目に、コンパクトな創作花壇が幾つも造られていた。訪れる人々の目を楽しませてくれる。これらの花壇は、「大通花壇コンテスト」で審査されたもの。花壇を観て回る。[撮り溜めた写真から] 大通花壇コンテストは、今年で71回目。歴史ある花壇づくり活動だ。昭和29年(1954年)に、市内の園芸・造園会社で「花壇推進組合」を結成。その年から組合員が大通公園に花壇を造成し、競い合ったことがはじまりとされる。出来栄え、花の育成などマネジメントが継承されているようだ。今年のコンクールは、6月27日から7月5日までに34花壇が造られた。審査は識者9名で行われた。一方、オンラインの市民投票(二次元コード)によって実施された。市長賞に輝いたのは3社。都市緑化基金賞1社。審査委員長賞3社など。市民賞には佐藤満香り園となった。いずれも心を込めた花壇だった。写真1 尖塔「聖恩碑」と花壇。写真2 大通花壇コンテストの市長賞花壇。写真3 審査委員長賞と都市緑化金賞花壇。写真4 市川造園花壇とコクサク花壇。写真5 日本緑化工花壇と蔵田喜芳園花壇。写真6 山吉高島造園花壇と青アジサイ。
2026年08月07日
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上野不忍池北側のハス周辺を巡る。池南側に、蓮見デッキ「りんりん回廊」や上野之縁日が並ぶ。池北側には不忍池辯天堂があり参拝客が混み合う場所。清水観音堂から下り西の参道の先に、八臂辨財天を祀る八角堂がある。辯天堂南側の不忍池は、一面ハスに覆われていた。 辯天堂東側の弁天広場に、「あいあい和傘タワー」と「竹と和傘舞台」が設置されている。このステージは、和傘が浮き上がるように並び、そのまわりを竹のフレームが包み込んでいる。池畔の景色に、溶け込むよう配慮してある。昼間は爽やかさを演出する。ライトアップされた夜は幻想的な雰囲気のスポットなる。写真1 不忍池辨天堂とハス池。写真2 辨天堂境内と八角堂。写真3 手水舎と一面ハスに覆われた不忍池。写真4 八角堂と精養軒。写真5 和傘タワーと竹と和傘の舞台。写真6 蓮の花をズームイン。
2026年08月05日
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札幌の「赤れんが庁舎」を、リニューアル後初めて訪れた。5年間に渡る大規模改修工事を経て、2025年7月にオープンしていた。仮囲いが外され、ネオ・バロック様式の壮麗な姿を久ぶり眺めることができた。赤れんが庁舎は、明治21年に建てられ、北海道を代表する歴史的建造物。昭和44年には国の重要文化財となる。 札幌市内での観光名所として親しまれてきた赤れんが庁舎であるが、内部・外部ともかなり劣化が進んでいた。耐震対策を施こしたので、長期間に工事が及んだ。その間、展示や活用方法も大きく見直した。内部に入ると、以前の様子とかなり異なっていた。 地下1階が「学びと継承」、1階が「地域情報と賑わい」、2階が「歴史と文化」と各フロアを意義付けしている。注目すべきは、1階の無料見学ゾーンであろうか。「白い恋人 Akarenga sweet labo」が増設されている。配管や歯車が散りばめられ、研究室のようになっている。子どもと大人が楽しめる空間だ。写真1 赤れんが庁舎の正面姿(西側)。写真2 赤れんが庁舎の南側。写真3 赤れんが庁舎の北側。写真4 前庭池に浮かぶスイレン。写真5 一階を内観 正面玄関とレストラン。写真6 「白い恋人」のラボ研究室。
2026年08月04日
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上野不忍池のハス葉が池を覆い、ピンク色の花が咲き出す頃、「うえの夏まつり」も始まる。上野恩賜公園の夏の風物詩となっている。7月10日から1ケ月に渡って祭りは続く。期間中、水上音楽堂でのコンサートやお笑いライブ、プロレスなど多彩なイベントが開催される。 例年蓮見デッキは、ヨシズの天井と風鈴が設置される。今年は、4000個のガラス風鈴が飾られる「りんりん回廊」となった。和傘の大パネルも立ち、古い日本の風情をハス池の上に作り出している。ハスとカサと何かしら共通点があるのだろう。 りんりん回廊の風鈴の短冊には、祭り参加協力店舗の名前が書かれている。それをスマホで撮影したものを参加店舗に提示すると特典が受けられるという。ワンドリンク・サービスや購入商品を割り引いてもらえる。日が傾き涼しくなれば、屋台縁日と提灯の雰囲気を楽しむとよい・・。写真1 上野不忍池の蓮池。写真2 風鈴4000個をぶら下げた「りんりん回廊」。写真3 和傘の花と風に揺れる風鈴。写真4 蓮見デッキから弁天堂を観る。写真5 鮮やかな蓮の花。写真6 縁日の店舗と祭り提灯
2026年08月02日
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札幌-旭川間の往復に道央道を通る。バス運転手の安全確保と乗客のトイレために、行きは岩見沢SA、 帰りは砂川SAで休憩する。北海道の自動車道におけるSA・PAには、ミニガーデンある。造園会社が手入れと管理している。大通り公園のミニ花壇を大きくしたようなものだ。[撮り溜めた写真から]岩見沢SAのガーデンには、近くにバラ園があるためか、バラが植えられていた。近くに「ばんえい競馬」のモニュメントがある。岩見沢を含む石狩平野の開拓で、重い荷物や農耕に従事した馬たち。走力よりも忍耐と強靭が求められた。岩見沢ばんえい競馬は、廃止されている。北の大地を切り開いた馬たちの記憶を残す像だ。 砂川SAのガーデンは、羊を囲むように白いアナベルが配置されていた。砂川近辺では、滝川市と並んで味付きジンギスカンが普及している。ハイウェイオアシスの売店は、ジンギスカンの宝庫。お持ち帰り用、8市町の袋詰めが並んでいる。滝川の松尾ジンギスカンは好物だが、千歳空港で買えるので見るだけとした。写真1 岩見沢サービスエリア(下り)写真2 岩見沢SAガーデンとばんえい競馬モニュメント。写真3 親子の馬と三笠市アンモナイト碑。写真4 砂川サービスエリア(上り)。写真5 白いアナベルと羊さん親子。写真6 ミニガーデンがあるSA・PAの道路地図。
2026年08月01日
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大手町1丁目の大手町タワーを訪れた。地下鉄大手町駅から直結している超高層ビル。みずほ銀行(富士銀行)と大手町フィナンシャルセンター跡地に、再開事業として完成した。管理運営は東京建物。地上38階×高さ200mの複合施設。高層部はホテルアマンが占め、地下部に商業施設「オーテモリ」がある。 タワービルの西側エリアは、「大手町の森」が整備されている。敷地面積の1/3に相当する約3,000m2の森で、ヒートアイランド現象の緩和を目的している。森の土壌等は、千葉県木更津から移植したという。都心に新たな生態系を宿す自然環境をつくる試み。働く人々に憩いと安らぎを提供する場所となるか・・。 大手町の森の一角に、慰霊碑像「追憶」がある。米国で起きた「9.11同時多発テロ」で犠牲になった富士銀行のスタッフを追悼するもの。その脇には、亡くなった12名の名前を刻んだガラスケースと世界貿易センタービルの鉄骨一部も安置されている。毎年9月11日には、献花に訪れる人がいる。静かな追憶の森でもある。写真1 大手町1丁目に建つ大手町タワー、高さ200mの超高層ビル。写真2 地下鉄大手町駅と直結する商業施設「オーテモリ」。写真3 吹き抜けエリアとウォールアート(ATM跡地)。写真4 ビルの横に造られた「大手町の森」。写真5 大手町の森にある慰霊碑「追憶」。写真6 「9.11テロ」犠牲者を追悼するメモリアル碑。
2026年07月31日
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「行動展示」として名の知れた旭川動物園を訪れる。当該動物園は、JR旭川駅から東へ約10kmの「旭山」の斜面にある。昔、層雲峡の奥で仕事をしたことがあり、旭川市内に住む知人と、園内レストランで食事する。互いの健康を心配し合う。各展示館へは東門から入園する。往路は坂道を下り、そして復路は上り坂となる。 旭川動物園は、道内で3番目に開園(昭和42年)。昭和58年をピークに、入園者数が減少しつづけて平成8年には閉園も検討された。しかしながら「行動展示」という新たな企画が当たり、年間300万人(平成20年頃)が訪れという。動物たちの本来持つ生態や行動を引き出した。現在は140万人程度だという。 訪れた日、最高気温が30度を超えて蒸し暑かった。水の中を動く動物を主体に展示館を回り、涼をとる。つまり旭山動物園のベストスリーを鑑賞。(1)水中トンネルの上を飛ぶように泳ぐペンギン。(2)円柱水槽を上下に行き交うアザラシ。(3)プールに飛び込み、水中を泳ぐホッキョクグマ。見学者が多いため、滞在時間は短めとなる。写真1 旭山動物園の東門側。写真2 東門テラスと動物園ロゴマーク。写真3 人気の動物パネルとキングペンギン。写真4 ペンギン館の水中トンネル。写真5 あざらし館の円柱水槽。写真6 ホッキョクグマ館のプール。写真7 旭山動物園の案内図。
2026年07月29日
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鍛冶橋通りを挟んで新東京ビルと向かい合う「三菱一号館美術館」。平成22年(2010年)に開館した三菱地所グループが運営する企業美術館で、赤レンガ風の西洋式建物。東京駅から徒歩5分でアクセスできる。国内外の美術愛好家が訪れる。 三菱一号館は、明治27年(1984年)に竣功。当時東京丸の内に建築された初めての西洋風事務所。英国人・ジョサイア・コンドル氏が設計を手がけた。クイーンアン様式の建物。戦後を経て老朽化したため、昭和48年に解体される。惜しむ声が多く、2009年に復元される。3階建ての美術館に生まれ変わる。1階にミュージアム「カフェ1894」がある。 美術館の中庭は、英国式庭園でバラなどを植えて、憩いの場所を提供している。美術(主に絵画)の企画展は、年3回程度行われている。訪れた日、「カフェに集う芸術家」が催されていた。当美術館のブランドスローガンは、「新しい私に出会う」。作品を観て新しい発見があるかもしれない・・。写真1 三菱一号館美術館。写真2 オフィス街の美術館。写真3 2009年に復元された三菱一号館。写真4 美術館の中庭は、ミニ西洋庭園。写真5 中庭側の外壁とロゴマーク。写真6 出入口、カフェ1894、企画展ポスター。
2026年07月28日
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暑い夏に、熱い映画を観て涼む。7月17日から公開している映画キングダム「魂の決戦」を。舞台は古代中国の戦国時代。趙の李牧(りぼく)率いる、楚・超・魏・韓・燕の合従軍50万の軍勢が秦に向けて進撃。迎え撃つ秦軍20万は、函谷関での決戦を決意する。今回の上映は、函谷関の戦いの前編にあたる。 歴史上の「函谷関の戦い」は、紀元前241年とされ、その多くは言い伝えと司馬遷「史記」による。秦の6代王「えん政」は、この亡国の戦いに勝利して、後の221年に中華統一を果たす。その際、新たな称号を王から「皇帝」に改め、始皇帝となる。 函谷関は、河南省にあった関所で、石積の強固な城壁で、その高さ66mとされる。漫画や映画では、それ以上の高さに見える。ダム堤体のように・・。但し、函谷関は二つあり、新関(武帝時代)の高さかも知れない。近年、聖地巡りとして函谷関が人気。1992年に観光用に東門の門楼が復元。規模が想像したものより小さいので、がっかりするという。写真1 映画キングダムの第5作目「魂の決戦」。写真2 函谷関位置と合従軍進撃図。斉国は不参加。写真3 出演俳優と役柄。写真4 ダム堤体のような函谷関の城壁(高さ66mとの説)。写真5 漫画の函谷関城壁と両軍の布陣図。写真6 復元された東門と絵画[ネットから]。
2026年07月27日
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青い池からパッチワークの路を通り抜けて旭川に向かう。パッチワークの路は、美瑛町の丘陵地帯にある農場の中を走る道路。広大な畑や農場が広がる。農産物や畑の収穫時期の違いで、緑色、深緑色、黄色、茶色が入り混じったパッチワークに見えることから付いた路名。 日帰りツアーなので、パッチワークの丘やCM・広告で有名な木などは、バスの中から眺めた。パッチワークの路において、近づいて観ることができる4つの「木」がある。(1)ケンとメリーの木、(2)セブンスターの木、 (3)親子の木、 (4)マイルドセブンの木。北海道ならではの雄大な風景に収まる木は、何とも言い難い魅力がある。 10年ぶりにパッチワークの路を走る。その際にはレンタカーで回ったので、有名な木の近くまで行けた。今回風景が一部変わっていた。オーバーツーリズムの問題からシラカバ並木が伐採されていた。地元住民の生活に支障が生じるため、2025年に伐採したという。大手観光会社は、観光バスで押し寄せないように、配慮しているようだ。写真1 車窓・ケンとメリーの木。写真2 美瑛の夏(車窓から)。写真3 牧草ロールと親子の木。写真4 セブンスターの木と麦畑。写真5 ケンとメリーの木とシラカバ並木。写真6 セブンスターの木と美瑛の丘。写真7 パッチワークの路を通過図。
2026年07月25日
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東京建築祭期間で廻れなかった建物を訪ねた。丸の内三丁目にある地上9階・地下4階の「新東京ビル」。丸の内仲通りと東京国際フォーラムの間に建つオヒィスビル。1FとB1は、ショッピング店舗と食堂が入居している。 1960年代に丸の内で誕生した新たなビル群の先鞭をつけたビルヂングだった。[撮り溜めた写真から] 2025年にリニューアル工事を終えているが、高度成長期の機能と装飾性を保持している。外観の横一列に連なるガラス窓を踏襲している。床・壁のモザイク的なアートタイルおよび幾何学的な円形照明設備が特徴的。ビルの地下に東京駅(京葉線)の出口がある。丸の内駅舎の地下道と繋がっている。 ビル1階の通路では、矢橋六郎作のモザイク画「彩雲流れ」を見ることができる。壁全体がアート風に仕上げられているので、エレベーターのドア口が見つけづらい。丸の内フォトギャラリーが2階にある。訪れた日、「マレーシア撮影の旅」のパネルが並んでいた。親日国と知られるマレーシアがどんな国なのかを写真で紹介している。写真1 新東京ビル(丸の内三丁目交差点)。写真2 新東京ビルの外観と玄関。写真3 1階通路部・大堂。写真4 モザイク画と円形照明設備。写真5 装飾性が高い階段。写真6 2階丸の内フォトギャラリーの「マレーシア撮影の旅」。
2026年07月24日
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ファーム富田から東へ約8km(バス移動30分程度)にある美瑛の「青い池」に寄る。今や美瑛町の三大観光スポットのひとつなっている。四季彩の丘と組み合わせたバスツアーが多い。人口9200人の町に、年間130万人以上の観光客が訪れる。青い池淵の遊歩道幅は狭く、人の渋滞が続く・・。 昭和63年(1988年)の十勝岳噴火に伴い、泥流被害を防ぐために本川と沢筋にコンクリートブロック堰堤を設置した。この堰堤が美瑛川を堰き止めた結果、偶然にも青い池が出現した。立ち枯れカラマツと相まって、幻想的な風景を創り出す。近年、冬にライトアップするイベントもあるという。 「青い池」がコバルトブルーに見えるのは、空が青く見えると同じ理由でという。十勝岳一帯の地下水には、アルミニウムを多く含み、途中の沢水や滝が美瑛川に流れ込んでいる。微細なアルミナ粒子が光に散乱して青く見える。ベストシーズンは、5月中旬から6月下旬で、風がなく太陽が高い時間帯が最も美しく見えるという。写真1 美瑛の「青い池」。写真2 カラマツとコバルトブルーの水面。写真3 泥流対策の堰堤が造り出した人造池。写真4 美瑛川と青い池を望む。写真5 観光客で賑わう売店と駐車場。写真6 青い池に関する案内看板。
2026年07月22日
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ファーム富田の南駐車でバスを降りると、初めに目にはいるのは「花人の畑」。この花畑では、春のビオラから始まり、四季咲き花が咲き続け、秋まで楽しむことができる。この色とりどりの花畑は。訪れる客「花人(はなびと)」を出迎える畑だという。緩やかな斜面とカーブを描く花畑の向こうに、ラベンダー畑が広がる。 ファーム富田の花畑で有名なのは、「彩りの畑」であるが、滞在時間の関係で立ち寄れなかった。訪れた日、花人の畑には、ケイトウ、キンギョソウ、マリーゴールドなど、赤・黄・白・橙・青の花畑帯が美しく植えられていた。ポプラ並木と「花人の舎」の建物が花畑と調和している。 お土産店の他にもむ2つの建物を見て回る。日本で最大規模とされるドライフラワーアレジメントを展示する「ドライフラワーの舎」。ファーム富田を代表する2つの花畑、「トラディショナルラベンター畑」と「彩りの畑」の特大写真パネルが設置されている「ギャラリーフルール」。この建物の入口では、マスコットの「ラベさん」が出向かえてくれる。雨降りの日、ここで傘なしで記念写真が撮れる。写真1 ファーム富田 花人の畑。写真2 花人の畑とポプラ並木。写真3 キンギョソウと展望デッキ。写真4 ドライフラワーの舎。写真5 ドライフラワーアレンジメント。写真6 ギャラリーフルール。
2026年07月21日
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皇居東御苑の二の丸地区は、本丸地区の東側に位置する。二の丸は、本丸との間に約10mの段差があり、本丸地区の崖下にあたる。自然の湧水もあるので、庭園を造るのに適していた。二の丸地区には、庭園の他に雑木林、菖蒲田、諏訪の茶屋などがある。[撮り溜めた写真から] 二の丸庭園のオリジナルは、寛永7年(1630年)第3代将軍家光の命で、小堀遠州の手により「池泉回廊式」として造られた。現在の庭園は、9代将軍家重時代の絵図をもとに、昭和40年に復元された。池の中には「ヒレナガニシキゴイ」が泳いでいる。平成天皇様の発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配して生まれたという。 庭園の北西側敷地に、「諏訪の茶屋」がある。明治時代に吹上御苑に建てられた御休息所として使われていた茶屋を移築したもの。明治期の数寄屋造りで、優美な外観を保持している。雑木林では、季節の草花が観察できる。ハンゲショウ、キンミズイト、ヤマハギ、ユリなどが咲いていた。写真1 皇居東御苑 二の丸庭園。写真2 二の丸池に咲くアサザ。写真3 小滝とヒレナガニシキゴイ。写真4 諏訪の茶屋と都道府県の木。写真5 雑木林のハンゲショウ、キンミズイト。写真6 ヤマハギと湧水井。
2026年07月20日
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旭川に向かう途中、中富良野のファーム富田に寄る。年間100万人が訪れる人気観光地となっている。広大な敷地(約20ヘクタール)に、12の花畑があり、6月から10月まで楽しめる。曇り空ではあるが、「倖の畑」一面は、紫色に染まっていた。ラベンダーの絨毯のように・・。蒸し暑かったので、ファーム特産のソフトクリームを食べる。 富田家が富良野原野に鍬をいれたのは明治後半のこと。以後、昭和に入り、フランスからラベンダーの種を取り寄せ、各地で実験栽培がおこなわれた結果、富良野地区で栽培適地となる。初めて富田畑10アールでラベンダーが栽培されたのが昭和33年。順調に事業が発展するかに見えたが、そうは行かなかった。 ラベンダー栽培は、昭和45年にピークを迎えた。250戸×230ヘクタールの規模を誇った富良野地区。しかし安価な輸入香料により、ラベンダー栽培は急減に衰退して行く。昭和51年に転機がやってきた。一枚の写真[国鉄カレンダー]だった。北国の自然と美しいラベンダー畑が造り出す景色を求めて日、人々が遠くからやって来る。写真1 ラベンダー畑と十勝岳。写真2 ファーム富田の「倖の畑」。写真3 中富良野の紫ジュータン。写真4 ポプラ並木と「倖の舎」。写真5 美しいラベンダー。写真6 動物の置物と国鉄カレンダーに採用された写真。
2026年07月18日
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皇居東御苑に、急勾配の汐見坂がある。江戸幕府による江戸城築城の頃、この坂近くまで日比谷入り江が入り込んでいたので、海を眺めることができたという。今は高層ビルが壁のように建ち並ぶ。汐見坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂の上には汐見坂門があったという。 本丸大芝生と大奥跡の周囲には、季節の花木が植えられている。訪れ日、ヤブミョウブ、ハアザミ、タイサクボクなどが見られた。広場の西端、蓮池濠の石垣の上に富士見多門があり、内部を公開している。近くにミニバラ園と枯れアジサイが見られた。 本丸大芝生の東側に、本丸休憩所(売店)とトイレがある。その裏手に展望台が整備されていた。展望台の眼下には白鳥濠とその石垣がある。そして汐見坂と二の丸雑木林とパレスサイドビルの屋上部が見えた。写真1 東御苑の汐見坂。写真2 石積みの坂道と天守台。写真3 蓮池濠石垣上の富士見多門。写真4 本丸展望台と景色。写真5 ヤブミョウブとアジサイ。写真6 ハアザミとタイサンボク。
2026年07月17日
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8月の盆を前に移動のピーク時を避けて、盆の供養、ミニ樽同期会等の旅行をする。札幌市中心部に3泊した。2か月以上前に、自由行動有の格安旅行ツアーを購入。2人して暑い関東から少しだけ抜け出した。 北区琴似にいる親族の三回忌で線香をあげた。その後、夕食に回転寿司「なごやか亭新琴似店」で食事する。順番待ち5組を経て、テーブル席に座る。回転寿司というが、店員さんがその都度手渡してくれる。豊富なメニューと新鮮なネタが売りのようだ。小生らは大満足・・。 鮨処なごやか亭は、釧路市内に本社を置く「三ッ星レストランシステム」(創業1981年)が運営している。回転寿司18店舗の他に、焼き肉店、とんかつ店など、北海道を中心に展開している。2007年に新琴似店が開店。いまや、地域の人気店に定着しているようだ。写真1 羽田空港第1ビル(JAL)。写真2 羽田空港管制塔。写真3 展望デッキと羽田スカイアーチ。写真4 鮨処なごやか亭の玄関飾り。写真5 美味しく食べた。写真6 食後の皿をチェック・会計。
2026年07月15日
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東御苑の本丸芝生広場の北側に、かつての江戸城天守台がある。その南エリアには、江戸城本丸御殿が建ち並び、「表」-「中奥」-「大奥」と云う3つの空間に分かれていた。現在、芝生が敷き詰められ、その上で誰もが寛ぐことができる。 天守台および天守は、三代の将軍が代替わり度に築き直された。将軍権力の象徴を誇示すめたにも・・。寛永期の天守(家光)は、五層構造で高さ60mに達する黒塗りだったという。しかし明暦3年(1657年)の大火で焼失する。前田家によって、高さ12mの花崗岩の天守台(46m×42m)が造られるも、以後天守は築かれていない。 大奥御殿跡地東側に本丸休憩所に隣接して、江戸城天守復元模型が公開展示(2020年9月から)している。寛永期天守の1/30スケールの模型。建物の壁は、銅板と漆喰、最上の棟に金色の鯱が輝いている。寛永期、江戸の町にそびえ建つ豪壮な天守だったに違いない。写真1 寛永期の江戸城天守台。写真2 花崗岩積の天守台と出入口部。写真3 天守台の展望台。写真4 江戸城天守復元模型(1/30スケール)。写真5 天守台に載る天守(合成)。写真6 本丸御殿配置図と江戸城図屏風の一部。
2026年07月14日
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関東地方の梅雨明けも近い・・。南方海域の水温が高く、発生する台風の数と強さに増大するとの予想もある。そして太平洋高気圧が大きく張り出す予想だ。沖縄・奄美地方では、すでに梅雨が明けている。 梅雨が終わり、夏本番に近い。6月に綺麗に咲いていたアジサイの多くが枯れていた。朝散歩していると、みずみずしかった梅雨のアジサイを思い出す。あの、「みなつき」の日・・。枯れる前の花姿を少し重ね合わせてみた。 今年の梅雨時期は、晴れる中休みが少なかった。6月はあまり暑くなく、過ごし易くありがたかった。ちなみに、東京の6月は、1mm以上の降水日数が16日、月降水量が437mm。平年の約2.6倍の雨が降ったようだ。今後は、関東の酷暑日数が心配だ。写真1 色褪せた鉄道沿いの紫陽花。写真2 6月中旬の綺麗な花姿。写真3 ハイドランジア系のアジサイ。写真4 ホンアジサイの思い出。写真5 ガクアジサイの思い出。写真6 ハイドランジアの思い出。
2026年07月13日
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都内で午後から用事があったので、朝9時から皇居東御苑を散歩する。大手門口には、開門を待つ人の行列が出来ている。多くは外国観光客のようだ。皇居の東側地区は、東御苑として昭和43年から一般公開している。現在、午前9時から夕刻まで公開。出入口は平川門、北桔橋門含めて3カ所ある。 大手門は、旧江戸城の正門にあたり、各大名が新年、月次に登城したという。大手門高麗門をくぐると、桝形と呼ばれる、石垣等で囲まれた広場になっている。敵が侵入した際に、効果的に撃退させる仕掛けでもある。藤堂高虎が設計し、酒井忠世が分担したという。左右の石垣は伊達政宗が築く。 江戸城本丸と二の丸へ通じる本丸大手門を守るために「百人番所」があった。長さ50mを超える平屋で、江戸城最大の検問所。中之門の奥に「大番所」がある。本丸に近く、最後のチェックポイントになる。他の番所より身分の高い与力または同心が警備していたとう。中之門の坂の途中に、白い「リョウビ」が咲いていた。写真1 桔梗濠と大手門。写真2 手荷物検査後、高麗門をくぐる。写真3 大手渡櫓門。写真4 百人番所と整形した植木。写真5 中之門と大番所。写真6 夏の花「リョウブ」と江戸城図屏風。
2026年07月11日
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2週間ほどの期間の散歩で見かけた「花たち」の姿をまとめてみた。道路路肩、田んぼ路、鉄道沿小路には色々な草花が咲いている。梅雨時期なので、枯れる心配はない。良く育っている。早朝は、人通りと車の通行が少ないため、スマホ撮影ができる。[撮り溜めた写真から] 歩道がない車道路では、路側帯があるものの、通勤者などは車道を歩かざるを得ない。そんな道路の路肩に、ピンク色と白色のホタルブクロが今年も見られた。排気ガスやホコリに負けない根強い花だ。また雨に濡れた道路では、白いユリのような花が目を引く。 鉄道沿いの道や畑沿いの路では、柘榴、枇杷、茄の成長過程を観察できる。但し、カラスやムクドリが花を啄んだりしてしまうが・・。あまり使用されていない駐車場では、緑玉状の草が生えていた。種子が飛んで来て、舗装の隙間に入り込んだのだろう。緑の玉形は、ド根性「タマイブキ(玉伊吹)」かな・・。写真1 路側帯のホタルブクロ。写真2 路傍のハブランサス。写真3 季節は百合。彼方此方で見かける写真4 鮮やかな橙色のトリトマ。写真5 柘榴の花、枇杷の実、茄子。写真6 「タマイブキ」とサボテンの花。
2026年07月10日
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流山市内の住宅街路地に、珍しい壺垣がある。道路が狭く高低差もあるため、地元民しか通らない。石垣の代わりに、味醂(みりん)の醸造保存に使用した壺が積まれている。壺口が道路に向いて並んでいるので、「ひょっとこ」の顔、又は「たこ焼き」に見える。ユニークな石垣だ。[撮り溜めた写真から] 壺の大きさは、直径約30cm×高さ45 cmで、壺の容量は、一升ビン10本分の18リットルほどか・・。壺口は、直径4 cmほど。小さな壺口は、ゴミや菌の進入を防ぐのに役立つ。壺を横に寝かせ4段から6段に積み上げている。地震で崩れないように、モルタルで固めている。 米と生産と水運に恵まれた流山は、江戸中期から味醂づくりが行われていた。明治以降も地の利を活かして、味醂作りが盛んだった。下総東葛郡流山町の「万上(まんじょう)みりん」が知れらていた。「野田の醤油」、「流山の味醂」と云われた。壺垣がそんな町の生き証人だ・・。写真1 路地裏通りの壺垣。写真2 味醂壺を積み重ねた壺垣。写真3 ユニークな表情の外壁。写真4 雨上がりの路地裏。写真5 石塀(大谷石)の通り。写真6 土塀と草蔓の小路。
2026年07月08日
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梅雨時期の散歩は、鉄道沿いのアジサイ小径を通ることが多い。東武江戸川台駅の西側に、100mほどの小径がある。小径の左右に、色とりどりのアジサイの花が咲く。近くの住民が手入れをしてくれているので、花付きが良い。明日も、この小径を歩きたくなる。[撮り溜めた写真から] アジサイの手入れとして、剪定作業がある。花が終わり枯れた花は、下部の栄養を消費するため、7月末までに剪定する必要がある。遅くなると来年、花が付かなくなるという。枯れた花の下、2から3節辺りで切断される。その他に、雑草、虫対策をしなければならない。感謝の念をもって、花を鑑賞させてもらう。 駅が近いため、低速で電車がアジサイ小径の横を過ぎてゆく。電車からも注意していれば、小径のアジサイを見ることができる。幼子は、一般に電車を見るのが好きだ。母親に抱かれて、花と電車を見つめる姿を見かける。子育の合間や家事を忘れられるひと時かな・・。電車の発着音や振動など、気分転換になると思う。写真1 アジサイと電車。写真2 駅ホームを見る。写真3 アジサイの小径。写真4 電車が通過。写真5 満開の紫陽花。写真6 紫陽花をズームイン。
2026年07月07日
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夏至前後の日の出は、4時半頃。年寄は、日の出とともに目が覚めてしまう。暑くなる前の早朝に、江戸川土手を散歩する。日が昇ると、河川敷から「ケーン」、「ケンケン」という力強い鳴き声が聞こえてきた。静寂の空気を裂く鳴き声。春から真夏にかけての江戸川の風物詩でもある。[撮り溜めた写真から] 鳴き声の主は、キジ(雉子)。繁殖期における雄の振舞い。雄のキジは、華やかな毛を纏っている。雌は保護色の茶褐色をしている。背丈が伸びた草を歩きまわり、草の種子、芽や葉を食する。畑の野菜も食べるので厄介な鳥。繁殖期の雄は、目の周りの赤い肉腫が大きくなる。遠くからでも目立つ。 東京地方の夏至(6月21日)における昼時間は、約14.5時間(4時25分から19時01分)。逆に夜時間は9.5時間。睡眠時間が少なくなる傾向。他の場所と比較してみよう。北海道札幌の夜長さは、約8.5時間(3時55分から19時18分)。一方沖縄那覇の夜長さは、約10時間(5時37分から19時25分)。札幌と那覇とでは、1.5時間の差がある。写真1 日の出前の空。写真2 静かな日の出。写真3 北東の空と筑波山。写真4 河川敷の番いのキジ。写真5 東の空と層積雲。写真6 幽かな土手富士と山中湖の富士と比較。
2026年07月05日
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アジサイの見頃が過ぎる頃、近くの境内でハンゲショウ(半夏生)の緑葉が白く色づく。日当たりがそれほど良くない場所に置かれている小石仏の近くで、紫陽花と半夏生を同時に見られた。葉が半分だけ着飾ったように、緑の葉が真っ白になり、優美な印象を与える。半化粧または片白草とも呼ばれる。 半夏生は、二十四節気・夏至から数えて11日目(7月2日)で、この頃にハンゲショウが目につく。トカゲの尻尾のような花穂に、虫を寄せる効果があるとされる。七十二候では、夏至の期間を3つ分けている。即ち、(1)及東枯[夏草が枯れる]、(2)菖蒲華[あやめが咲く]、そして(3)半夏生[烏柄杓が生える]。季節の移ろいを漢字3文字で表現している。 植物としての半夏生は、年々減少していると言われている。生育に適した土地が減少しているためで、東京都・山形県・福井県で、絶滅危惧種1に指定されている。日当たりを好むが、乾燥を極端に嫌う、そして厳しい寒冷地で防寒対策が必要。関西では、半夏生時期に旬の蛸を食べる風習があるというが、高級品だ。写真1 近くのお寺の境内。写真2 境内にひっそりと咲くハンゲショウ。写真3 トカゲの尻尾のような花穂。写真4 手賀沼の半夏生[昔撮影したもの]。写真5 紫陽花に覆われている石仏。写真6 アジサイと小石仏。
2026年07月04日
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梅雨入り(6月7日)してから1ケ月近く過ぎた。今年の6月は、全国的に平年より雨量が多かった。東京では平年の2.5倍と報道されている。その分熱帯夜が少なく助かったが。朝散歩も雨天中止する日数が個人的には増えた。アジサイにとっては、恵の雨だったかもしれない。 アジサイの見頃が過ぎると、近隣では桔梗(キキョウ)が咲き始める。鮮やかな紫から青紫色の花が凛々しく見える。桔梗は、優雅な星形の花が特徴で、昔から和歌や家紋に使われた。桔梗紋は、土岐氏が使い出し、明智光秀の「水色桔梗紋」が有名。また安倍晴明の五芒星、北海道開拓使の赤い五陵星などの五角形もある。 444年前の1582年7月2日に (天正10年6月13日)、備中高松から大返しした羽柴秀吉と本能寺で信長を討った光秀が山崎の地(淀川右岸)で激突した。秀吉軍4万と光秀軍1.6万で、ほぼ一日で決着。光秀の「三日天下」と呼ばれる。実際は本能寺から12日目か。2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・長谷川博己氏を思い出す・・。写真1 梅雨後半期の紫陽花。写真2 紫-青系統の紫陽花。写真3 凛々しい紫の桔梗。写真4 星形の花形 紫色と白色。写真5 1582-07-02山崎の戦い。光秀1.6万-秀吉4万。写真6 大河ドラマ「麒麟がくる」光秀役の長谷川博己。
2026年07月02日
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前ヶ崎の住宅地にあるあじさい通りは、本土寺から徒歩20分程度。高さ5mから8mほどの急斜面に、あじさいが植栽されている。道路から見上げるように眺めると、紫陽花を一望できる。ホンアジサイ、ガクアジサイ、アナベル、カシワバアジサイなど咲いている。[撮り溜めた写真から] 住宅のすぐ前の斜面は、コンパクトなアジサイ園のようだ。但しあじさい通りは、一車線ほどの狭い道路。徐行して車内から鑑賞する運転手もいる。良いマナーとは言い難い。時折、自治会関係者と思われる誘導員がいるが・・。急斜面のアジサイの維持は、手間がかかる。近くの高校生による手入れの応援があるという。本土寺側の平賀地区からは、富士川に架かる羽中橋(はなかばし)を渡り、対岸の前ヶ崎地区に行く。この富士川(3.7km)は、松戸と流山との市境を流れている。富士川は、坂川に合流しているので一級河川になる。交通の便を考えて、同じ道を引き返した。写真1 市街地の前ヶ崎あじさい通り。写真2 あじさい通り(区間約300m)。写真3 あじさい通り。車道から眺めたくなる。写真4 斜面下部はアナベルが主体。写真5 アジサイの花を近くで。ソフトクリームに似ている。写真6 市境を流れる富士川と羽中橋。
2026年07月01日
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