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おとといの晩、リキちゃんが亡くなりました。 とってもとっても、寂しいです。(T_T) しかし生きとし生けるものは皆、いずれ長い長いお別れをせねばなりません。リキちゃんに、いよいよその時が来たんですね。たくさんの思い出をもらいましたので、今、それを思い出しながら偲んで過ごしております。 リキちゃんがモリ家に来た当時、うちには猫のうーちゃん(♀)が先に住んでいました。リキは彼女を見て育ちましたので、何かと猫を思わせる所作を身につけました。こたつに潜り込むのも、椅子の上でまるくなるのも、ストーブ前でうっとりするのも、その猫を真似して始めたのがきっかけです。 そんなワケで、猫に対する免疫は十分着いていたこともあり、やんちゃ猫のタモキチ(♂)が家に来た時も、よく面倒を見てくれました。 ホントは小さい子が苦手なのに、散歩の途中で子供が撫でに来た時などは、堪えて大人しく撫でられてくれました。 ほとんど吠えることもありませんでした。 安心なワンコとして、ご近所にも評判でした。 いろいろ思い出がありますが、最近ですと、オットがモリ家にケツコンのご挨拶をしに来た時などは傑作でした。ケツコンの報告ということでみんな緊張していたのですが、オットがかしこまって話を切り出した時に、何故かリキちゃんが両親の間にお座りをしました。オットが「何とぞ、お許しをいただきたく・・・」と結んだ時に、これまた何故かリキちゃんが「ウム」てな感じでうなづきました。オットは「あの時は、まるでリキちゃんにお許しをもらったみたいやった」と話しております。 つい先月までは、帰宅した父、母、弟などを玄関まで出迎えていたのに、今月半ばくらいからは、散歩も抱っこして連れていくようなほど弱ってしまったそうです。亡くなる当日は、もう食べることもできなくなり、様子がおかしくなってからすぐに息を引き取ったそうです。 実はその晩、不思議なことがありました。 夜の12時くらいに、固定電話が1コール鳴りました。 なんとなく「リキちゃんの知らせかな」と思ったのですが、時間も遅かったので実家に確認することなく眠りました。 翌朝、母から電話でリキちゃんの連絡があった時に「あぁ、それで夜中に電話してくれたんかな?」と尋ねたところ、そのような電話はどこにも掛けていないとのこと。「もしかしたらリキちゃんからのお別れの挨拶だったのかなぁ」と思う事にしております。 以上、今までリキちゃんを愛してくださった皆様にも感謝しつつ、ご報告いたします。本当にありがとうございましたm(_ _)m
2010.09.27
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昨年、血と汗と涙と鼻水のコンカツを経て、無事にケツコンの報告をしたのだが、今年はナント4月から東京に引っ越してきている。ついにモリユ、ハタチのトミンになる。まじかよー、大丈夫かよー、首都じゃんかよー。(イントネーションに注意して読んでちょうだい。)「もう別れたのか?」とか「そしてトーキョーに出稼ぎか?」とか、「ハタチは余計やろ」とか、いろいろツッコミたい方もいらっしゃるだろうが、事情としては、オットが転職したからというコトである。引っ越してそろそろ3ヶ月が経つが、ようやく近所の買い物にも、また電車に乗る事にも慣れてきて、すっかりトミン・ライフを満喫している。オモテサンドウやらロッポンギやらジユウガオカなんかにもランチや買い物に出かけたりしている。まじかよー、大丈夫かよー、すっかり都会のヒトじゃんかよー。(くれぐれもイントネーションに注意して読んでちょうだい。)とはいえ、一緒に出かけるのはほとんど千葉に住む義姉である。同じ関西出身の人間が二人寄れば、会話は完全なる関西トーンとなるため、いつまでたっても標準語には近付けることはない。ほんまかいなー、そうかいなー。もとい、引っ越し後の暮らしにも慣れてきたので、いろいろと活動しはじめた。 今月に入り、派遣会社へ面接と登録に行った。結果的にはご辞退してしまったが・・・(残念。)というのも、求人広告では「受付」との記載内容だったが、詳しく仕事内容を伺うと、広い敷地内でお客様を目的の場所まで案内しなくてはならないとのこと。しかも出勤日に夜のレセプションがあたった場合は、コンパニオン的な仕事もするとのこと。 「コンパニオン」て、久々に耳にしたぜ。 てか、ワタシにはコンパニオンは勤まらんな。(飲ませるくらいなら、飲んじまえ。) あと先週くらいから、ヨガを習い始めようとしており、先日は体験レッスンに行ってきた。 ほぼ座ってポーズを作るだけなのに、なんだかタイヘン。本来なら穏やかで平和な動作のハズなのに、ワタシの表情は (-""-;) とか (`Д´) とか (`ε´) とか (#`皿´) てな感じだったと思う。 おかげさまで心の臓への悪い影響もなさそうだし、本格的に習うために、次回のレッスン日に入門しようと決意した。 でも、1~2ヶ月はシルバークラスに入れてもらおうと思ってたりする。( ̄▽ ̄)<よろしく、大先輩。←人生の。
2010.06.23
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以前に勤めていた会社の先輩の姪っ子ちゃん(って遠い)に、似顔絵を依頼した。ケツコン報告ハガキに載せるためである。最初は「JUST MOVED 引っ越しました」という内容のものに、小さく「結婚しました」と書き足していたのだが、フと冷静に出来上がりを観察したところ、コレをオットが見たら間違いなく機嫌が悪くなるだろうと思われた。かといって、さすがにこの年のハタチになると(ってどの年のハタチやねん)、実写版ハガキは勘弁してほしいところ。かといってただ一文「結婚しました」という文字だけだと、なんだか苦渋の告白のようで華やかさもなく、あまり宜しくない。うーん、うーんと案を練っていたところ、フと先輩の妹さん一家から頂いた年賀状に、家族の似顔絵が描かれていて、それがまたソックリだったことを思い出した。すぐに連絡して、お嬢(高校3年生の受験生やけど)にお願いしてみたのだった。快く引き受けてくださった。ありがとう、お嬢!アンタ絶対、大学合格間違いなしや!(祝・合格)さっそくなので、こちらにも載せてみようと思う。可愛く描いてくれてアリガトウ!(美化120%)ちなみに、オットはそっくりです。自分でもそう思うようで、たいへん喜んでおりました。また、一緒に妹のお嬢(小学校6年生。同じく受験生やけど。)も描いてくれたので載せてみようと思う。こちらもよく特徴を捉えてくださっている。オット、やはりソックリである。(要するに顔が長く目が細い。)さらに小6のお嬢は、このようなイラストも描いてくれた。・・・どういう意味だろう。(謎)
2009.05.15
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皆様、ご無沙汰をしております。実はワタシはついに結婚というものをしてしまいました。おめでとう、自分!!そして先月、ちょうど一ヶ月前のヨイコの日を迎え、またハタチになりました。(意味不明)マジおめでとう、自分!!そういうワケですっかり環境も変わり、ぼちぼちながら働く主婦という状況になりました。このケツコンは、ずばり、コンカツの賜物です。オットはなかなか素晴らしい人です。朝5時半に起床して、オバマ大統領の演説を丸暗記しようとしている青年です。ちなみに、曜日はあまり関係なく、土曜日だろうが日曜日だろうが、5時半に目覚ましをならす男です。さらにちなみに、古くからワタシをご存知の皆様にとっては、初めましての人だと思われますので、もし今後、ワタシのオットと会う機会があったとしても、あえて話題として過去の話は持ち出さないようにお願いします。( ̄∇ ̄)頼んだで。苗字変わっても住まいが奈良に移っても、相変わらずビールを愛し、週末に走る馬を愛し、現在首位独走中の巨人からは決して心移りなどしておりません。今後ともよろしくお願いします。
2009.05.15
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トナカイはサンタさんと一緒にクリスマスにプレゼントを運ぶ。運び屋ケンちゃんも、荷物を背負っている。頼まれれば、何でも運ぶ。アブナイ運び屋さ。今日のブツははっきり言ってスゴイぜ。特別に見せてやろう。サンタのジイサンには内緒だがな。豚美「ヤバイよ、ケンちゃん…。」熊蔵「コレがなかったら、ただの髭ジイサンになっちまうしよ…。」
2008.01.07
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クリスマスといえば、トナカイ。無理して作ってみた。適当な型だけど、ちゃんと組み立てれば大丈夫。それっぽくなった。シカの角ではない。シカし赤鼻がなければ、トナカイかシカかの区別はできない。だって、トナカイなんて実際に見たことないからさ。奈良のシカなら間近で見たけどさ。後ろ姿は、シカだな。
2008.01.07
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以前に遊びに行った徳島の「ドイツ村」で、ブタが金貨を背たろうているお土産物を購入した。ブタちゃんは、ドイツではテントウムシと並んで幸運、幸福のシンボルとなっている。こんなの。その姿を模してできたのが、豚美ちゃん。1億円の道のりも、1円から。豚美はお金が大好きなの。おっきい金貨を背たろうて、ご機嫌なの。ちなみに、ワタシもお金が大好きなの。
2008.01.06
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なにゆえ、突拍子もなくお裁縫なのかというと、友人S(以前に子育て風景を書かせていただいた友)の影響によるところが多い。彼女は何でも作る。去年の夏などは、コドモちゃんたちに浴衣を縫っていた。(スゲー)また、手作りに関するサイトや、そこに集う人々の丁寧な暮らしぶりを見て、ワタシも何か自分の手で作る・直すという姿勢を学ばねばと思わされたこともある。ナニヨリ、昨年は治験を受けることで、会社勤めの時間が一気に減ってしまったというコトがある。しょっちゅうお休みさせてもらえるような、そんな都合の良い職場はなかなか見つからず、タイヘン苦労した。また、お薬の結果がキチンと出るまでは大人しく暮らさなくてはならず、お家にいる時間もグンと増えて、すっかり引きこもりハタチになってしまっている。(ハタチ欠かさず)現在はハケン会社さんのお世話になり、入院や通院のスケジュールに併せて職場をコロコロ変えて働いている。いろんな仕事をさせていただき、いろんな人にも会い、けっこう楽しかったりする。( ̄▽ ̄)さて、12月の入院中に、最近結婚した友達に何かプレゼントしようと思いつき、クリスマスオーナメントを作ってみることにした。すっかりハマってしまった。そのいくつかをこれから紹介していこうと思う。(相変わらずエラソウ)クマです。熊「しっかり縫っておくれよぅ。もげたらメルヘン台無しだしよぅ。」パーツ完成。組み立て&顔作り。プレゼント、それはラブ。(クマ、時々、キザ)「熊蔵」の完成。つづく。
2008.01.06
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皆様、明けましておめでとうござる。初春のお慶びを申し上げるにかこつけ、久々に日記などを書いて近況報告をするです。☆時事通信社が選ぶ2007年10大ニュース☆ 【1位】安倍首相突然の辞任、福田内閣発足 【2位】参院選で自民、歴史的敗北 【3位】年金記録未統合5000万件が判明 【4位】防衛汚職で守屋前次官と妻逮捕 【5位】各地で食品偽装発覚 【6位】中越沖地震で死者11人、柏崎刈羽原発でトラブル多発 【7位】「大連立」頓挫、小沢民主代表が辞意 【8位】海自、インド洋から撤収 【9位】国民投票法が成立 【10位】日本列島74年ぶり猛暑、熊谷・多治見で40.9度 ・・・とのこと。いろいろあったものだ。毎年いろんなコトが起こるけど、今年はホント、いろんな人がテレビで謝っておられたように思う。吉兆の謝罪会見に至っては、うっかりゲージュツ作品のようだった。母の「知らん言うとき」という指示と、それに対していちいち反応して言葉を詰まらせ、最後にはホンマに言う通りにしてしまう息子・・・コントとしか思えない。ともかく、「ゴメンね」という言葉はとても大切だけど、そないに謝らなければならんコトがたくさんあったというのは残念なことだと思う。 そんな2007年を個人的に振り返ってみた。上記、時事通信社さんの記事に倣って書いてみただけで、順位はあんまり関係ない。☆ワタシが選ぶ2007年10大ニュース☆ 【1位】ジャイアンツ突然の復活、ついに優勝! 【2位】なのにCSで巨人、歴史的敗北。 【3位】年末第九、去年も1万人と歌う。 【4位】美味しいもの、お食事しまくり。旨かった。 【5位】3月にインフルエンザを発症。タミフルに救われる。 【6位】出会い系活動で数十人、お断りメール多数送る厚かましいモリちゃん。 【7位】そんな活動も治験により頓挫、しかし地味に頑張っているモリちゃん。 【8位】インテリアコーディネーター試験、1科目だけ合格。 【9位】お裁縫にハマる。 【10位】日本列島74年ぶり猛暑、避暑にはならなかったけど高野山旅行はめちゃ楽しかった。 ・・・昨年より新しい薬を試すため、入退院を繰り返している。が、めちゃ元気なので心配もノックも無用!(昭和のギャグ)今度は3月初旬に入院して、それを持って治験は終了となる。新しい薬は非常に効いており、以前より楽に階段ものぼれるようになった。喜ばしいことである。その治験のために、昨年8月に長期の仕事を辞めて、現在は短期バイトでつないでいる。非常に貧しいけども、時間に余裕をもって丁寧に暮らす事を知った。素晴らしいことである。また、同時進行で出会い系活動も頑張っているが、ちょっと飽きてきた。忍耐のいることである。なぜかインテリアコーディネーターの資格試験に挑戦しており、引き続き今年も勉強したいと思う。お脳を活性化である。友達の影響もあり、また入院などで時間に余裕があるというコトもあり、お裁縫を始めた。すごいハマってしまっており、現在も制作に勤しんでいる。例えば、こんな感じ。名付けて、ちゅうとりある。今年もよろしくです( ̄▽ ̄)ノ
2008.01.03
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最近のリキちゃんとタモっちゃんをご紹介します。■タモっちゃんのマイブーム「台布巾をシツコク追いかける」あ、ふきんだにゃ。それくれよにゃ。ふきんがほしいんだにゃー。■リキちゃんはいつでも眠い。相当、眠そうである。ストーブの番人です。■タモっちゃんは識者。新聞を読んでるにゃ。よーく読むにゃ。ニュースがいっぱいだにゃ。
2007.02.25
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ワタシは学生時代に、今、世間で話題のペコちゃんのお店で働いていた。 ちょうちん袖の花柄ブラウスに、フリフリのエプロン着用。 ・・・そこ、笑うな。 ・・・そんな自分が一番、可笑しく思ってたんや。 もとい、そんなオトメなユニフォームがよく似合うモリユ、当時も今もハタチだったという話である。そういうワケで、今の騒ぎをとても残念に思っている。ペコちゃんだって、すごい残念に思ってるハズ。ご近所のペコちゃんのお店は、業務停止で閉店中のもよう・・・。他のお店でも見かけなくなる日が来るやも知れぬと、今日はミ○キー(一応、伏せ字にしてみた)を買ってしまった。 あぁ、ペコちゃん・・・暑い日も寒い日も、店頭でいつもニコニコしていたというのに、ミ○キーはママの味なのに、今の彼女の目は笑ってはいない。(いつもの顔やん。)ちなみに、彼女はけっこう重い。コドモの夜遊びは許すまじと、閉店前には必ず彼女には店内に入っていただくのだが、ほんの玄関先から帰ってきてもらうだけなのに、これまた重労働だったことを覚えている。 季節事に送られてくるペコちゃんの服、お着替えもさせて頂いた。誰が呼んだか「夜の店長」だったワタシ(コワイ)は、包材発注とレジ閉めとペコちゃんのお母さん役をさせていただき、リーダー報酬として、みんなより10円だけ時給が高かった。 あぁ、10円だったとも。( ̄▽ ̄)それが何か? それでも、一生懸命お勤めさせていただき、今でもお付き合いのあるたくさんの良い仲間にも恵まれ、思い出いっぱいのバイト先だった。 ということで、最近の例のニュースを見ると、本当に悲しくなってしまう。一日も早い信用回復に努めて頂きたいと思っている。
2007.01.16
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友人がサックスを始めたコトがきっかけとなり、ここ1年ほどJAZZのライヴに出掛ける頻度が高くなっているモリユ。オトナになったよな、自分。ってか、こういうトコロに金を出せる余裕が出てきたってコトよな、自分。でもどうしてウマは当たらんのだろう。(関係ないし。)それにどうして巨人はこんなにヘナチョコ球団になっちまったんだろう。(もっと関係ないし。)・・・という人生のカオスを、極上の音楽に癒さている。オトナな自称ハタチには、オトナの音楽がよく似合うのさ。(ブランデーグラス片手に揺らしているドレッシーな感じを想像してちょうだい。)ともかく、昨年はJAZZを聴く機会が本当に多かった。前の職場ではビッグバンド演奏のイベント運営に端っこの方で関わることが多く、年に数回は必ず寒さに震えながら人集めに奔走し、その後はサクラとなって聴衆に参加するというジャズ体験をしていた。またそこで知り合った方のご紹介などで、ブルーノートに出掛けることもあったが、やはり年に数回。だいたい、チケットが高いと思う。(ケチな蛇足。)あと、JAZZを好む人の年齢層も高いと思う。(失敬な蛇足。)まぁ聴くって言うてもモリユにはそんな程度だったが、このサックスデビューをした友人との誘い合いで、昨年の秋以降にJAZZライブだけで3回も行ってしまった。また来月も予定しているので、この調子だと「JAZZに凝ってるのだな」と思われても仕方がない。しかし、本当はそうでもないことをココに告白しておこう。例えば、最近行ったライブで楽しかった思い出というと、「熱帯JAZZ楽団」(@神戸国際ホール、@ロイヤルホース)・・・主要メンバーのオジサンたちのパフォーマンスが面白かった。「大野雄二&Lupintic Five」(@ブルーノート大阪)・・・大野雄二師の「豆情報」が面白かった。「3サックス・ラボ」(@ロイヤルホース)・・・ピアノ奏者の笑顔が素敵だった。・・・ナニを聴いていたのだろう、自分。ともかく、どの演奏も素晴らしかったっちゅー話である。(と、強引にまとめるオトナなハタチ。時にはリーダーシップも必要サ。)それに音楽とは音を楽しむこと。JAZZは気分次第で自由に広がる音楽、楽しみ方にもルールなどないハズ。パフォーマンスやビジュアルに心奪われてナニがいけないのだ。(と、どっちにしても音楽から離れていくオトナなハタチ。時には逆切れしたいこともあるサ。)
2007.01.07
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だいぶ日が空いているので、前回の日記をココにリンクさせておこう。(マメにアップしてりゃこんな面倒なことをせずとも・・・)その7、ホストファミリー・コービィさんの話夕闇迫る夕刻、何とか辿り着いたコービーさんのお家では、ホストファミリーである30代の若い仲良しご夫婦と、ワタシより1週間ほど早くからホームステイと語学学校での勉強を始めていたブラジル人のねーさんが食卓を囲んで待ってくださっていた。そのブラジリアン・ギャルは、エリカという。エリカとは、ほんの2週間を一緒に過ごしただけだが、今でも彼女が地球の裏側で生活していることを考えるとワクワクしてしまうほど、ワタシには楽しくて印象的で、素敵な思い出をたくさん頂いた女性だった。ワタシよりも10歳以上のネーサンだったが、決して他人に気遣いさせるような人ではなく、気さくに誰でも迎え入れてくれるような人であり、また常に高いトコロでテンションを保っている愉快な人であった。モリユが「いつでも機嫌良く生きよう」と心がけているのは、実はこのネーサンを参考にしている。このネーサンとは、クラスは違っていたが同じ語学学校に通っていたこともあり、毎朝、一緒に通学していた。そして学校が終わって、ステイ先のコービィ宅で一息おやつタイムを入れて、それぞれで宿題を済ませ、夕方6時頃にはパパさんの美味しい晩ご飯&デザートで楽しく食卓を囲む。その後ワタシらは共にビール好きだったこともあり、毎晩、一緒に飲みに出掛けていた。朝も夜も同じタイミングで出掛けていたので、さすがのコービィ夫妻もきっと「なんだコイツらは」と思っていたに違いない。もちろん、いつも同じ集いに参加していたワケではなく、繁華街まで一緒に出掛けたら、後はそれぞれの友達のところに合流していた。とはいえ、一緒にパブやバーで飲むことも多かった。エリカは何と行ってもラテン系の人々と集うことが多く、イベントもラテン系のモノによく行っていた。何度か一緒にいったイベントで、ワタシはサルサやサンバを教えてもらった。盆踊りしかできなかったワタシが、ワールドワイドなダンサーになった瞬間である。(ツッコミ不要。)お酒が好きで、音楽が好きで、ダンスが好きで、いつも賑やかにその場を楽しんでいたエリカの周りには、いつでもたくさんの友達が集まっていた。また、エリカを介して知り合った人は国も年齢も千差万別で、彼女の幅の広さを物語っていた。ある日の飲み会で、お仕事で必要なためにクロアチアから勉強に来ていたオジサンが、自国の内戦状態を悲観し始めた。先ほどまで楽しそうにしていたのに、そのうち、すっかり黙りこんでしまった。当時のクロアチアの内乱状態は本当にひどく、誰もそれに対して声を発することができなかったけど、エリカはだけは臆することなく素直な自分の考えを述べた。「ここ(イギリス)がとても安全だから、それに比べたら自分の国とはいえ戦争をしているところには帰りたくないと思う。でも家族とは早く会いたいし、無事でいることを今すぐにでも知りたいと思う。」と。クロアチア人でも、またブラジル人の意見でもなく、人としての当然の気持ちであり、それをあらゆる国の人が集まった場でごく普通に話ていたことがとても印象的だった。育った国が違っても、接してきた文化が全く違っても、ワタシだけではなく、みんなが彼女と同じように感じていることだった。機嫌が悪いよりは良い方がいいし、怒ったり泣いたりするよりは笑っている方がいいし、辛いよりは楽しい方がいい。争っているよりは、仲良くしている方がいい。そして、一人でいるよりは、仲間と優しい声を掛け合って暮らすほうがいい。エリカは常にそういう人であり、多少は場違いな雰囲気になることもあったけど、ワタシには本当に居心地の良いネーサンだった。ありがとう、エリカ。最後に一緒に作った親子丼は、味はともかく( ̄▽ ̄)、作る方が楽しかったぜ。料理なんて全然しない、と言いながらも見事にタマネギを切っていた包丁さばきを、ワタシはいつまでも忘れないから・・・。あぁ、やっと彼女のことを書くことができた。いったいいつになったら最後まで辿り着くのだろう、イギリス話。まだ学校の話にも及ばない・・・
2007.01.06
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こちらは回答編。出題編は直前の日記をご参照いただきたい。 以下、2007年タロットさんのキーワード。読んでもピンと来ない方は、こちらのホームページもご参考にどうぞ。 http://www.cadbury.jp/adams/gumcandy/tarot/cards1.shtml 当たるも八卦、当たらぬも八卦。( ̄▽ ̄) (1)「赤」または「1」を選んだ方へのキーワード XVI「塔」カード 突然の変化、ショック体験、アクシデント、信じていたものが崩れる、ケガ、得意なことで失敗する、トラブル、ケンカ、エキセントリックなタイプ、奇をてらう人 ⇒ 破壊なくしては建設はない、過去の前例にこだわっていた人たちが考え方を変えてくれる (2)「青」をまたは「2」選んだ方へのキーワード X「運命の輪」カード チャンス、変化、好機、偶然、運命にもてあそばれる、転機、考え方が変わる、次のステージ、やり方を変える、臨機応変、気まぐれな人、発想が豊なタイプ、未来を見つめている人 (3)「黄」または「3」を選んだ方へのキーワード XXI「世界」カード 完成、長寿、ピーク、ハッピーエンド、達成、マンネリ、安定した愛、最高に幸せな気持ち、ゴールに到達する、目標に手が届く、幸せな人、満たされている人、円満な家庭の持ち主 (4)「緑」または「4」を選んだ方へのキーワード XIV「節制」カード ストイック、節度、自己コントロール、心が固まる、ゆっくりと進める、礼儀正しさ、控え目な愛情、調整する、環境に適応する、間接的な忠告をくれる人物、一緒にいるだけで心を癒してくれる人 (5)「ピンク」または「5」を選んだ方へのキーワード IX「隠者」カード 孤独、世俗の喧噪から離れる、余計な意見を入れない、協力者はいない、分別、集中力、片思い、努力、年上の人、時間をかけること、老人、物静かな人、学者、研究者 (6)「白」または「6」を選んだ方へのキーワード I「奇術師」カード 技術、賢さ、世間を要領よく渡って行く才能、情報、知識、器用さ、コツ、意志の力、学習、しくみ、常識、個性を生かす、同じ趣味を持つ友だち (7)「黒」または「7」を選んだ方へのキーワード XII「吊られた男」カード 身動きできない状態、スランプ、しんどい状況、束縛、モラトリアム、目標、試練、何かの犠牲になる、逆転の発想、目標を見失う、優しい人、こだわりがないタイプ、犠牲的精神の持ち主 (8)「紫」または「8」を選んだ方へのキーワード VII「戦車」カード 勝利、行動、考えるよりまず行動、やり過ぎ、攻撃性、ライバルに勝つ、試験に合格する、交渉事が成功する、強気で突き進む、スポーツマン、ギャンブラー、前向きなタイプ、リスクを恐れない人 (9)「その他の色」または「9」を選んだ方へのキーワード VIII「正義」カード 客観性、クールさ、冷静な判断、人の評判、審判が下される、マジメさ、公平さ、バランスの取れた状態、みんなと仲良くする、判断能力の持ち主、中立な人、裁判官 --- 切り取り --- 今年は3月に阪神競馬場オフ会を開催したいと存じます。予定では3月24日(土)の毎日杯はいかがかと思っています。ご興味のある方はぜひメールや書き込みでお知らせください。集まって競馬して、夕飯で反省会ってな感じの、簡単なのを考えております。お知らせまで。( ̄▽ ̄)よろしく♪
2007.01.03
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突然だが、身内に不幸があり、新年早々お通夜やお葬式でバタバタと明けてしまった2007年・・・皆様、いかがお過ごしでやんしょ?( ̄▽ ̄)ノ元気か?←今年もエラソウ。どうか本年も仲良くしてね♪で、さっそくだが2007年のタロットさん占いを・・・。ご興味のある方はぜひぜひご参加してちょうだい。 あ、占いが苦手な方のお目に触れちゃったらスマヌだよ。m(_ _)m先にお詫びを。 --- 切り取り --- 2007年を思って、以下より1色を直感で選んでください。番号の数字から感じるインスピレーションでもOKです。また、仕事、恋愛、健康など、テーマを思い浮かべてもOKです。 (1)赤 (2)青 (3)黄 (4)緑 (5)ピンク (6)白 (7)黒 (8)紫 (9)その他の色 ★「○色(○番)を選んだ方へのタロットさんのメッセージは?」ってな感じなので、色の心理学とは関係ありません。
2007.01.03
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つづき。それにしてもこうやって改めて読むと、「逮捕」ネタが多いな。世の中の2006年その6)マンション耐震偽装で姉歯元建築士ら逮捕 マンションなどの耐震強度偽装事件で4月から5月にかけ、元一級建築士姉歯秀次被告や開発会社社長らが逮捕された。多くの自治体で構造計算書のチェック漏れが判明。国土交通省は違反者の懲役刑など罰則強化を含む再発防止策をとった。モリユの2006年その6)タロットや易経で占い師志望 タロットなどで去年から今年にかけ、いろんな方から占いのご依頼を頂いた。ありがとう、犠牲者の皆様。エセ占い師ながら、一部の方にとっては、どうやら当たっている事も判明。もっと修行したいので、勇気ある占い希望の方を随時募集中。世の中の2006年その7)改正教育基本法が成立。防衛庁の「省」昇格法も 「国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などを盛り込んだ改正教育基本法が12月15日、国会で成立。「教育の憲法」初の改正。同法改正と並び安倍内閣が重要課題とした「防衛省」関連法も成立、自衛隊海外派遣が「本務」となった。モリユの2006年その7)音楽にご縁が深かった。「1万人の第九」の抽選に合格も。 「ブルーノート大阪」や「ロイヤルホース」など、友人にお声掛けいただきJAZZライブに縁のある1年だった。「熱帯JAZZ楽団」や「大野雄二さん」や「塩谷哲さん」などのライブを楽しんだ。「1万人の第九」は、できれば来年も参加したい。1月初旬には、足つぼのお店のオバチャンにご紹介頂いた合唱団の見学に行く予定。世の中の2006年その8)日銀がゼロ金利を解除、景気は「いざなぎ」超え 日銀は7月14日、5年4カ月続けた「ゼロ金利」解除を決定。政府は2002年2月からの景気拡大局面が58カ月連続となり、「いざなぎ景気」を超え戦後最長を更新と宣言した。労働者や中小企業、地方には恩恵の少ない「格差景気」の指摘も。モリユの2006年その8)だけどもうひとつの「ご縁」ゼロ。とはいえ「いざなぎ紹介」は続く。このまま続いてくれ数年前の占いによると今年パートナーに出会わなければ後がないとのことだが、本日含めてあと2日。いつになったら結婚宣言ができるのか本人も不明だが、この慌ただしい年末にご紹介話が続き、2月には1件お見合いが決定。スゴイやろ。みなさん、何かとありがとう。世の中の2006年その9)トリノ冬季五輪で荒川静香が唯一の金メダル 日本唯一のメダルで値千金。難度の高いプログラムをほぼ完ぺきにこなし強豪に逆転勝ち。上体を反らせて銀盤を滑る優雅なイナバウアーがテレビ応援の国民を魅了。 モリユの2006年その9)年の初めの就職では友達が増えた事が唯一の救い就職に失敗とはいえ、そこでの出会いはまた貴重なモノだった。七転び八起きで、ますます拡充のお友達、皆様これからもよろしくー。また、来年は厄も明けることだし宝くじや競馬で一発逆転の一攫千金を狙いたい。ウマと言えばディープインパクトの走りは国民を魅了。 世の中の2006年その10)飲酒運転の悲惨な事故が多発し厳罰化の動き 公務員の飲酒運転による人身事故も相次ぐ。一緒に飲食や同乗した職員の免職も含め厳罰処分が全国の自治体などに広がる。 モリユの2006年その10)すっかり飲酒解禁で楽しいイベントが多発し肥満化に注意 体調が良くなると食欲も増し、お酒も美味しく、お出かけもいっぱいできるようになり、イベントも相次ぐ。---- 切り取り ----大阪も数日前より突然に寒くなりだしたけど、どうか皆様、ご自愛しつつ楽しい年末年始をお過ごしください。今年もありがとうございました~♪そして来年も厄明けハタチのモリユをヨロシク。
2006.12.30
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世の中ニュースは共同通信社より拝借。 世の中の2006年その1)安倍政権が発足 「美しい国、日本」を掲げ憲法改正や教育改革に意欲。就任直後の中国、韓国訪問で関係修復を確認し、初外交で成果を上げた。しかし、郵政「造反組」議員復党への批判で支持率は急落。本間正明政府税制調査会長の更迭に追い込まれ、打撃になった。モリユの2006年その1)帰宅途中に発熱 そして翌朝病院送りに。就職直後に体調不良でちっとも成果を挙げられないまま退職。4月にはハケンシャイーンとして復職したものの、一時的にも無職に追い込まれたことはやはり、経済的打撃になった。世の中の2006年その2)ホリエモン、村上代表らヒルズ族の逮捕。 IT(情報技術)で急成長のライブドアグループの堀江貴文被告、「もの言う株主」で急拡大の村上ファンドの村上世彰被告が、それぞれ逮捕された。粉飾決算や株のインサイダー取引などで起訴され、「ヒルズ族」の凋落を印象づけた。村上ファンドに投資、利益を上げていたとして日銀総裁にも厳しい批判が集まった。モリユの2006年その2)WBCで日本代表が初代王者に 退職後で休養中のモリはこの日テレビにかじりついて観戦。チームを率いていた王監督だけでなく。日本代表の選手それぞれのファンになりそうだった。そういや妙チキリンな審判、デヴィッドソン氏にはかなりの批判が集まっていた。世の中の2006年その3)秋篠宮家に男子誕生 秋篠宮ご夫妻に長男が誕生、悠仁さまと命名された。政府は女性・女系天皇も認める皇室典範改正を準備していたが、「当面男系維持が可能」として見送った。モリユの2006年その3)飲み友達のお姉さん家に双子誕生 首も座ってきたことだし、ふたりっ子を両太ももに乗せて写真を撮りたいと思っている。エレベータのない団地にお住まいのため、今後のためにお引っ越しを検討なさっていたが、双子ちゃんが成長するにつれ姉さんの腕っ節も鍛えられたらしく、「当面、生活可能」として引越は見送ったらしい。世の中の2006年その4)自治体の官製談合で県知事逮捕相次ぐ 公共工事をめぐる官製談合事件が全国で多発、10月から12月にかけ、福島、和歌山、宮崎の各県知事が逮捕された。また岐阜県では前知事時代の巨額裏金も発覚。地方分権論議が本格化する中で、強大な権限を握る知事の統治能力を問う声が上がった。モリユの2006年その4)健康体になりつつある自分を実感9月から12月にかけ、検査結果がどんどん良くなった。またお酒も再び飲めるようになってきたことを自覚。元の強靭なアルコール分解力を誇る肝臓に戻ってくれと切に願う。世の中の2006年その5)いじめ自殺、未履修などで教育現場混乱 福岡県の中学2年男子生徒が10月11日、岐阜県の中学2年女子が同23日に自殺するなど、いじめが原因とみられる自殺が相次いだ。教諭の不適切な言動や教育委員会と学校の対応の甘さも露呈。全国の公私立高校では世界史など必修科目の未履修が発覚。安倍内閣の教育再生会議が対応に追われた。モリユの2006年その5)いじめにも遭わず、ハケンシャイーンとして勤務 へなちょこスタッフなので労働力として適切かどうかは不明だが、ついにこのまま無事に年越しと相成った。毎日定時上がりで上司殿には申し訳ないが、おかげさまで体調復活。そういや珍しく12月は問い合わせ対応に追われたなぁ。
2006.12.30
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先日、ビール工場の見学に行ってきた。こんな小さな麦粒から、あんなに美味しいビールができちゃうのだなぁ。この巨大なタンクの中は・・・甘いビールジュースが酵母とイチャイチャする官能の空間である。(ヤラシイ書き方すんなよ。)そうやって愛を育みつつ、グツグツと発酵中。( ̄▽ ̄)実際、ビールの旨味を「官能度」と表現したりするんだぜ。発酵過程を終えたビールさんから、酵母さんを取り除くライン。お疲れ様でした、酵母さん。また別のビールジュースとイチャイチャして新たな美味しいビールを作ってちょうだい。ビールを缶に詰めていくライン。本日は残念ながらメンテナンス中とやらで、稼働していなかった。「ずっとメンテナンス中ってワケじゃないやろな」と言いながらケラケラーと笑う見学仲間もおり、関西の人間の毒舌をそっと悲しみつつも次へ進む。美しくディスプレイされた缶。あちこちに商品名を露出している。買えと?(主催者の意図を知る時。)そして最後には、お楽しみの飲み比べである。世界の評価を受けたお高めビールと、おなじみビール。いやー、今日も勉強になった。頭を使うと、よりビールも美味しく感じるものだな。本当は受賞のビールを美味しいと感じなくてはいけないのではあるが、あぁ、残念ながらおなじみビールの方を旨いと感じてしまった自分をココに告白しておこう。貧乏性な自分が可哀想。よく学んだ後は飲むべし!飲むべしッ!(場所変わってるし。)取りあえず、飲んどけッ!(グラス変わってるし。)お断り:一人で飲んだんじゃないから。(´・ω・`)どちらも本日の見学隊7人の回し飲みで、お店にいらしていた他のお客さんにも手伝っていただいた。兄弟の杯である。ビール工場の最寄り駅から何駅か大阪方面に行ったところにあるお店で開催中のビール祭にて。いろんな方がブログなどで紹介しておられたので、ぜひ挑戦してみたかったマグナムサイズだったが、ようやく願いが叶って嬉しいことである。普段は別のビールを入れるそうだが、今回はお店の方のご厚意で、別のビールにてご用意していただいた。ありがとう、店長。詳細はワカランが、ともかくビールには違いなかった。やたら元気よね、最近。えぇ、おかげさまで。( ̄▽ ̄)健康を取り戻しつつある自分をヒシヒシと感じる日々である。皆もしっかり養生するように。(エラソウ)
2006.12.10
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今年も歌いに行って来た、1万人の第九。( ̄▽ ̄)抽選でなけりゃ恒例にしたいぜ。今回は特別に、練習風景から写真付きで説明しよう。誰にも頼まれちゃいないが。ワタシがレッスンに参加したクラスの皆様。レッスン指導の先生が毎年撮ってくださるとのことで、先生のHPより拝借致。(スミマセン、先生。)レッスン最終日には、こうやって2班に分かれて、前で歌う練習をした。第九を改めて聴く事がないので、たいへん貴重な体験となった。どれがモリユか印まで付けてみたり。(分かるかいな。)経験者ということで、今回は6回しかレッスンがなかった。モリユは元ドイツ人だったのに、全然、歌詞が覚えられなかった。トホホ。ってことで、今年は秘密兵器を・・・コードレスヘッドホン。お部屋ではコレを付けて、常に第九を聴きながら暮らしていた。そう、刷り込みというかスパルタというか、もうカラダで覚えるという本能の領域に足を踏み入れてしまった。理性による努力という道もあるだろう。(自問)いや、習うより慣れろという先人の箴言もあるよ。(自答)その方が楽よね。(解決)←安易な人間。とはいえ、この「コードレスヘッドホン生活で耳から覚えて勝手に口が動く作戦」も、それなりに苦しい日々ではあった。割と重量があったので、何だか頭が重い。無用に首が鍛えられたような気がしないでもない。しかし、その努力の成果もあってか、本日は無事に歌いきった。クチパクしなかったぜ、やったね父さん!今日はホームランだ!天気もこんなに良かったし。(天気はヘッドホンと関係ないし。)今年のテーマは「ナンチャラカンチャラ、語り継ぐナントカ」だった。(ほとんど覚えてへんし)端っこに機嫌良く写っているワタシ。今年も素敵な体験ができた。音楽って本当に良いモノだ。
2006.12.03
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母は今年の春から花屋の倉庫で仏花を作るアルバイトを始めた。南無。そういうワケで、時々ではあるが、会社からお花のお裾分けを頂いて帰ってくる。百合の花をゲット。あぁ、美しい・・・記念に写真を撮ることにしました。ネコのタモっちゃんがカメラに気付いた。やっぱり邪魔するんやな、アンタ。花を観賞するような繊細なネコではない。ホンマに見てるのか?「見てるニャ。」「ホンマに見てるっちゅーニャ。」
2006.11.20
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パン耳生活、続き。■フレンチトースト■もう冷蔵庫で固くなってしまったパン耳。クルトンもパン粉も試したが、ウムム・・・牛乳に卵とお砂糖&蜂蜜を混ぜ、バニラエッセンスで香り付けし、そこに前の晩から固めのパン耳を漬け込んでおいた。非常に香り高い美味しいフレンチトースとなった。これは美味かったなぁ・・・朝からシアワセ。■パン耳ガーリックトースト■もうすっかり乾燥しきってて、「どうやって食うベ、これ」と途方に暮れていたところ、タイミングよくさと姉さんから入れ知恵あり。サンキュー。オリーブオイルとバターをフライパンで熱し、カピカピのパン耳をパキポキと適度な大きさに折って放り込む。塩、胡椒、ガーリックパウダー、バジルをふりかけて味をなじませる。かなり旨かった・・・ビールのあてにぴったりの一品だった。あぁ、あのカピカピのパン耳がこんなに旨いスナック菓子になるとは、きっと服部先生もびっくりだろう。そうして、モリ家は「勿体ない精神」を貫き、見事にパン耳を完食。ところが、その感動もまだ冷めきらぬ内に、追加納品が。弟には「空気を読む」という意味に付いても説明をせねばなるまい。
2006.11.19
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今年の9月より、弟がパン屋さんに勤め始めた。でかした、弟。( ̄▽ ̄)ある日、母が「パン耳、もらってきておくれ」と弟に頼んだところ、こんなに持って帰って来た。(大漁旗、揚げてくれ。)弟には「加減」という言葉を教えてやらねばならない、と思った。それよりも、ともかくこのパン耳たちを食べてしまわねばならない。モリ家はもったいない精神でココまで生きてこれたのだから、あぁ、これからも勿体ないのココロを貫くのである。全部食ってしまわねばならないのである。タイヘンな道のりであることは、最初から分かっていた。このテーブルいっぱいのパン耳を見れば察しがついた。文字通り、一目瞭然だった。■まずは、パン耳ピザ■ネットで「パン耳」と検索してみたところ、竹串で繋げてみるという案に当たった。蒲焼きのよう。ふむふむ、なるほど。具を載せてみた。見た目はフツーのピザトーストになった。しかし、非常に食べにくい・・・蒲焼き風の1枚パンになったところまではスゲーと思ったが、食べる時にはむしろ竹串で繋げる意義を失いかけている料理となってしまった。■パン耳お好み焼き■刻んだニラとパン耳に卵とサクラエビなどを混ぜてみた。パン耳を具材として利用。焼いてみた。おぉ、こりゃ立派なお好み焼きになっているぞ。パン耳の風味が柔らかいので、サクラエビ以外にもうちょっとパンチの効いた何かを入れると、もっと美味しくなったかも。とはいえ、普通に作るお好み焼きよりもフワっと柔らかく、その軽さのため、うっかりいくらでも食っちゃう感じ。危険なお好み焼きかも知れん。つづく。
2006.11.19
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金曜日は週で唯一の残業覚悟デーである。残業が決まっているというか、業者様の納品を待つという状態の金曜日なので、お相手のご都合に頼る金曜日なのサ。しかし、10月6日の金曜日から3日間、梅田スカイビルではインターナショナル・ビアサミットというイベントが開催されることをモリユは知っていた。(というか、チェックしていた。)ワタシは神様と業者様に祈り続けた。どうかこの日は、この日だけは早く帰りたい・・・(注意:祈っただけです。業者様に口頭でお願いするような、そんな愚かなハケンシャインではありません。大丈夫です。)すると、その日はいつもと違ってなにもかもスムーズに事が運び、なななな、なんと、定時の6時で仕事が終わってしまった。仕事が終わったというより、できる仕事がなくなった、という方が正しい。まだまだヘナチョコなスタッフだから。こんな金曜日もあるのね・・・ワタシがこの日、ビアサミットに行きたいと思っていたことを知っていたかのように、皆さん早めの納品だった。もしかしたら、彼らもビアサミットに行こうと思っていたのかも知れない。(自己都合なポジティヴ・シンキング。)ともかく、神様、そして協力会社様、ホントにありがとう!■10月6日(金)インターナショナル・ビアサミット@梅田スカイビルhttp://www.ibws-npo.org/ibs/index.html12時の様子。職場が会場に近いので、昼休みに見物に行ってみたり。若干フライング気味のハタチ。時々お邪魔させていただいているBeerCafeBarleyさんもご出展されていたので、準備中のお忙しいところ、ご挨拶に行ってみた。前日までの大雨もおさまり、天気も回復しそうで良かったとのことだった。ついにイベントに参加。このような100円のプラカップを購入し、ここに平均400円/200mlで、世界の樽生を注いでもらえる。ビンビールもたくさん置いていた。ビアカップは小さいので、アルコール控え気味のワタシにはちょうど良かった。ビル風ビュービューの中、か弱いワタシや友は吹き飛ばされそうになりながら、いろんな国のビールを堪能させていただいた。屋台でドイツ風ソーセージやら自家製コロッケやらイタリア風チキンの串焼きやらトルコ風サンドイッチやら購入し、腹一杯飲み食いした。楽しかった。イベント会場には立食と座席テーブルがあちこちに置かれているのだが、特に指定というワケではなく、自由に陣取ることができる。ワタシらも食べ物を購入するごとに、空いたところに入らせてもらっていた。2度ほど、相席ならぬ相テーブルさせていただいたオジイがいた。そのオジイは、同じテーブルの方々と談笑していたので、ワタシらはすっかり「彼らはおツレさんなのだろう」と思っていたが、どうやらオジイは一人で参加しておられた模様。最初と2度目の相席では、談笑の相手が全然違っていたから。オジイは嬉しそうに「孫のお菓子を勝手に持ってきたんです。持ち込みですわー、はっはっは」と笑いながら、揚げスナックの袋を開けて、ワタシらにすすめてくれた。もちろん遠慮なく頂いた。美味しかった。そうやって、初対面の人とも仲良くなれる、お酒のイベントとは本当に楽しいもんである。この日、暦上は十五夜だった。見よ、この満月・・・まさに「仲秋の名月」であった。イベント会場では曇り空に強風注意報だったが、家に着く頃にはちょうど雲も切れて、美しいお月様が見えた。帰り道にあるコンビニで購入した月見団子をハグハグ食いながら、お月見を堪能。(まだ食うか)コップにお茶やら冷や酒を入れて、それを映して飲んだ。(まだ飲むか)これで今年も開運バッチシ。みんなもこの写真を何とか水に映して、それを見ながら団子食ってください。満月パワーで、この1年もラッキー尽くし、間違いナシ。
2006.10.08
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ヤーパンというのは、ドイツ語で日本という意味である。英語と一緒で「Japan」と綴るが、ドイツ語では、「j」は英語の「y」の発音になる。英語のジャケット、ドイツ語のヤッケ・・・どちらもよく似た綴りで「上着」を意味するのだけども、日本に言葉として入ってきた時にはそれぞれに違う種類の上着を指す。なんだか面白い。もとい、ワタシのオクトーバーフェストは、ビールを飲むだけでなく勉強をも含む。向上心溢れるハタチ。■9月17日(日)伊丹長寿蔵ブルワリー(白雪ブルワリー)大阪と兵庫の間に伊丹と呼ばれる町がある。昔から酒造りで有名な土地なのだが、今は空港で有名な地名でもある。白雪ブルワリービレッジ長寿蔵http://choujugura.com/ここでは、「白雪ビール」という小麦ビールの地ビールを作っている。ビールの醸造設備をベルギーから取り寄せ、一般に公開している。また、全国的にも有名な「白雪」という日本酒を作っているところでもある。酒造りに実際に使用していた昔の道具も展示しており、白雪の歴史やその醸造の過程について学ぶことができる。で、勉強前に併設のレストランで昼間から地ビールランチを頂くコトにした。腹が減っては戦も勉強もできんからな。http://r.gnavi.co.jp/k932700/めちゃくちゃ美味しくてビックリした。正直に申し上げると、ビールや酒はともかく、お料理にはあまり期待していなかった。(怒られる)ぜひともオススメしたいレストランである。しかし、休みの日などは予約しないといっぱいの模様。ご注意あれ。この金ぴか設備はベルギーからやってきた。ようこそ、日本へ。醸造道具の展示品たち。なぜかポリバケツも並べられており、ともすると、展示品よりも多いのではないかという勢い。素材からして、昔使った道具ではないことは明らかである。我々、賢い見学隊は「きっと展示品ではない」という判断をすることにした。白雪の樽が積み上げられている。ワタシが当選した暁には、ぜひとも白雪の樽を木槌で割り開けたいと思う。(ナニに当選するつもりかは自分でも不明瞭。)白雪の一升瓶も並べられていた。ワタシが当選した暁には、ぜひとも(以下、同上のため略。)ベルギーのブルワリーマップのポスター。とても可愛らしい。これをくるくる巻いて、それを背たろうてベルギーを旅行してみたいと思う。いつか。近くのバス停から、路線バスで伊丹空港まで行く事ができる。東京に帰る方を見送るついでに、オサレな空港レストランへ。オサレついでに、サングリアというフルーティなワインベースのカクテルを注文することにした。飛び立つ飛行機を見ながらの空港レストラン、なかなかヨロシイと思う。
2006.10.08
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ドイツでは9月中旬から始まるオクトーバーフェスト、今や世界中で有名なイベントである。最近では日本でもあちこちで大々的に開催されるようになった。http://www.nihon-oktoberfest.com/index.html日本では4カ所だけかよ。しかも、関西での開催はないのかよ。仕方ないので、個人的にオクトーバーフェスト・フェアなこの1ヶ月を過ごしていた。エセ・イベントでも、ちゃんと本格的にドイツのビールも飲んだし、ビールの勉強もしたんだぜ。いつでも自己啓発に熱心なハタチ。みんな見習え。(久々の登場でもエラソウ。)特別に、写真付きでモリユ的オクトーバーフェストを紹介ていこうと思う。誰に頼まれたワケでもないけど。■9月16日(土)Beer Cafe Barley@西宮北口いろんな国のビールを飲ませてくれるお店。ずばり、禁煙のお店。ニコチン好きの酒飲みには辛いかも知れんが、吸わない酒飲みにはとても嬉しいハナシである。http://www.beercafe.jp/何度かヴァイスビア(南ドイツの小麦ビール)好きの仲間とお邪魔させていただいている。この日も大勢で集まって、貸し切り状態だった。体調に合わせて、可愛く500mlグラス。オクトーバーフェスト用に特別に醸造した小麦ビール、その名もずばり「オクトーバーフェスト」。その瓶詰めビールは、この時期は日本でもいろんな醸造所のものがたくさん輸入されるようになった。お料理も美味しいので、お近くに行かれる機会があったら、ぜひどうぞ。阪神競馬場に行く時に寄り道できそう。
2006.10.08
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なかなか更新しないけども、ワタシは一応イギリスでのお話を毎日書いている。でもホントなかなか進まない。( ̄▽ ̄)トシだろうか。(近頃プチ更年期ではないかと自分を疑うハタチ)去年くらいまでは、ホントびっくりするくらいスラスラスラスラスララ~と文章が次から次へと作れたんだけれども、今年に入ってからお脳の働きが弱っているように思う。そろそろ修理に出さなくてはならないかも知れない。自分で耳から油をさすこともできるんだけどさ。(妖怪)ちなみに、油はごま油と決まっている。(香ばしい)もとい、これではいかーん!と、今日は昔のアルバムを引っ張りだして来た。もちろんイギリスに行った時の写真である。写真、注意深く、慎重に引っぱり出した。触れてはならぬ過去の思い出まで、フタを開けてはナラヌ。プチ更年期だからな。(私信:忠告通りにやりました。)で、出してきた写真には、イギリスの風景、今はもう連絡を取り合うこともなくなった仲間、ホストファミリー、ホームステイ先の同居人、先生、今と同じくハタチを自称していた22歳のワタシなど、思い出スイッチとなるものがたくさんあった。現地で毎晩のように飲み歩いた日本のネーサンたち、妹分のように付いてきてたイタリアのお嬢、同じくイタリア人だったけど生徒というか学長くらいの貫禄あった有閑オジイ、イギリスで自国の内戦を知ったオッチャン、帰国直前にスイスで合流しチーズフォンデュをおごってくれたクラスメートの友だち・・・学校と繁華街の間の住宅街にあったクッキー屋のオバチャンの顔まで思い出した。通りすがりに1枚だけ買うので、いつもドアを開けるなり面倒くさそうな顔をする、正直なオバチャンだった。どういうご縁でこの人たちを出会ったのか、不思議で仕方がない。こんなにもたくさんの思い出をワタシに残しているのに、もうきっと、どこかで不意に出会うこともないのだろう。寂しいような、でも会えてホントにヨカッタという温かい感触もある。もう二度と会うことのない人に対して、こんなに良い気持ち、感謝の気持ちになれるというのは、幸せなことだと思う。例えば今回のワタシは「イギリスの写真」だったけども、触れただけでたくさんの記憶が溢れてくる、そういう小さい「思い出スイッチ」は、身のまわりにたくさんある。オトナになればなるほど、そして旅をすればするほど、一生懸命であればあるほど、スイッチは増えていく。ちゃんと隠し場所があったり、思わぬ場所に隠れていたり。そして願わくば、どれも「幸せ」になれるスイッチであってほしいと思う。人と出会った時は「将来、この人とは二度と会うことはないだろう」とは思わないし、別れる時も「また会おうね!」と言って別れたはずである。そら「もう二度と会いたくねぇ」と思う出会いもあるけどさ。フとした時に思い出すということは、そういうのもやっぱり「ご縁」なのかも知れない。今日は写真のおかげで、ものすごくマッタリしてしまった。そして結局、イギリスの話は進まない。( ´_ゝ`)
2006.09.10
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皆様はお忘れかも知れないが、イギリスの英語学校に行った時の話をワタシは書いていた。前回までの展開はこちらつまり、ホームステイ先の住所しか手元になく、夕闇も迫っており、腹も減っていた状態で道に迷っていた。しかし、諦めかけた頃にひょっこりステイ先の家を見つけて、安堵していたところだった。夕方に見知らぬ土地で道に迷う・・・これは、人生の路頭に迷うことより差し迫ったストレスであることを断言する。もし生きることに行き詰まっている方がおられたら、ぜひ実践していただきたい。( ̄▽ ̄)何を悩んでいたのか忘れるくらい怖い思いをすると思う。ショック療法と言える。(スパルタ)-----------夕闇迫る夕刻、何とか辿り着いたコービィさんのお家では、ホストファミリーである30代の若い仲良しご夫婦と、ワタシより1週間ほど早くからホームステイを始めていたブラジル人のねーさんが食卓を囲んで待ってくださっていた。ミセス・コービィは、メグ・ライアンをぽちゃっとさせた感じの、非常に可愛い女性だった。家でお仕事をされておられるようで、そのお仕事のこともいろいろと話をしてくれたのだが、残念なことに当時の語学力ではしっかりと理解することはできなかった。かといって、今の語学力でも分からないと思うけどさ。(エラソウに書くなよ。)ミスター・コービィはスラっとした男前で、パパさんというよりは「この家のお兄ちゃん」といった雰囲気の人だった。この人もまたナゾの多い人で、ずっと家にいた。家にいることが「ナゾ」と思われるなんて、彼も気の毒なことである。同居人であるブラジル人のオネーチャンと、「彼は一体ナニモノなのだろう」と、よくコソコソ話したものである。毎日何をしているかというと、料理も掃除も家の修理も、すべて彼が取り仕切っており、つまりはコービィ家の主婦ならぬ主夫だった。ホントはミュージシャンとのことだったが(さすがにこの単語くらいは聞き取れた)、彼が音楽を奏でているところは、ついぞ見た事がない。エア・プレイヤーだったのだろうか。お二人にはお子さんがおらず、当時より数年前から留学生の受け入れを始めたとのこと。コービィ・ママは、帰宅後のオヤツの時とか夕食後に、時間の許す限りワタシたちのおしゃべりの相手をしてくださった。彼女の幼い頃の体験だとか、ワタシの日本での生活のことだとか、仕事や恋愛の話だとか、あまり英語が分からんワタシを気遣いながらも、たくさんお話を聞かせてくれた。ブラジル人のネーサンも一緒に、3人でよくおしゃべりをしたことを覚えている。残念ながら、その修練の結果は現在のワタシの英語力に垣間見る事はできない。(だからエラソウに書くなって。)もしかしたら、半分以上テレパシーで理解していたのかも知れない。イッツ、ファジー。オーイェ。←ムダな英語は出てくるクセに。そういうワケで、朝は各自で勝手に台所で食って、夜はコービィ・パパが美味しい料理をデザートまでこしらえて待っていてくれた。イギリスでなんとも充実した食生活を送れたのは、全てパパさんのおかげである。これはイギリスのホームステイでは、なかなかラッキーなことと思われる。同じクラスのドイツ人の女の子は、ステイ先でご飯食べるのは苦痛だと漏らしていた。ポテトばかり食わされている、しかも塩味もしないとのこと。確かに、パパさんのように毎晩メニューを工夫して、デザートまで作って、しかも美味しいなんてのは、どういう国にしたってラッキーな滞在先だったと思われる。もひとつラッキーだったのは、ステイ先と学校が、目と鼻の先にだったということ。朝からバスに乗る必要もなく、交通費も節約できた。それと、もっとラッキーだったのは、同じお家に、同じ時期に、「エリカ」と過ごすことができたことである。この陽気な同居人であるブラジリアン(元)ギャル・エリカについては、ぜひとも書いておきたい思い出がたくさんある。つづく
2006.09.03
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昨日から、ついに始まった。何がって、第九のレッスンが。(また参加するのさ)今年は経験者のクラスでのレッスンに参加しているのだが、本番までに6回しかレッスンがない。昨年の初心者クラスは、その倍の回数を通わねばならず、しかも欠席は3回まで。それ以上休むと、本番で歌うことができない。最初に支払う参加費、5000円だって戻ってこない。( ̄▽ ̄)厳しく、辛いペナルティだった。しかし、今年は欠席2回までとはいえ、練習回数が少ないので、随分と楽になった。お隣に座ったオバサマは、グループでのご参加とのことだったが、モリユと同じく今年2回目の参加とのこと。去年、心底感動し、今年もぜひぜひ参加したいと思って申し込んだとのこと。それにしても初心者クラスのレッスンは大変だったと、しみじみと語っておられた。「ホントホント~」としばし初参加での体験談でお話が盛り上がった。去年は、体操と発声練習の後は、ドイツ語の読み方とか、音取りとか、歌う際の発音の注意とか、それはもうコトコマカにいちいち説明があり、日によっちゃ2時間で数小節しか進まないこともあったが、その辺りは経験者クラスは「さすが!」という感じ・・・発声のあとは、いきなり音合わせ、そして伴奏付きで合唱が始まった。Σ( ̄口 ̄;)!!しかも、去年の本番@大阪城ホールを思わせる迫力である。「1度経験した」ということで、こうまでもレベルが違ってくるのかと驚いた。「経験」という言葉には、それなりの責任があるっちゅーコトかも知れん・・・。衝撃を受けた初回のレッスンだったが、みんなについてゆけるように頑張ろうと決意したハタチ。今年は一切、クチパクしませんから。( ̄▽ ̄)←やっぱり誤摩化してた人。
2006.08.27
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2日目は大井競馬場だった。その前に、まずはオサレなケーキ屋さんに。(また食うのかよ)ケーキを食べるつもりで朝ご飯をゆっくりしてきたというのに、乗り換え駅の中にスープのお店を発見。さらには、夏野菜のカレーまであって、駅中になんともスパイシーな香りを漂わせていた。もちろん無視できず食う。目的のケーキも食う。あぁ、満腹。そして大井競馬場でギャンブル三昧の午後だった。うまたせ君は海水浴スタイルでお出迎え。真剣に考えた。戦果報告:マイナスだった。(号泣)とはいえ、楽しい夕涼みとなった。帰る直前には電光掲示板に110万円という景気の良い数字も拝見したし(ワタシには縁がなかったけどサ)、友人は1000円ほど当たったし(トータルでは聞かないでちょうだい)、次への期待を無理矢理膨らませつつ大井を後にした。
2006.08.15
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築地での目的は、もちろんお寿司。築地市場の真ん中で営業しているお店を狙って入ってみた。最高に美味しかった穴子。板さんは「冷蔵庫にまだ入ってないヤツをさぁ、捕れたてをすぐ調理しちゃってるんだから」と自慢げにオススメしてくださった。こうなったら、もう値段じゃねぇな、チキショー、ウメー!!思わずつられて江戸っ子になってしまう逸品だった。そして大トロ。とろけた。ウニ、甘エビも最高に旨かった・・・・ありがとう海、ありがとう江戸前寿司、ありがとう築地市場!ホテルに戻ったら、羽田で仕入れたオツマミで反省会をした。福島の笹かま・チーズ入りと味噌煮卵。すばらしい1日を過ごすことができた。東京は美味しい。そういや空港で食ったカレーパンも美味かったな。大阪だって美味しい。
2006.08.15
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東京旅行に行ってきた。東京は大阪ほども暑くなく、なかなか快適な旅となった。下町風情を楽しみ、大井競馬場を楽しみ、記録的な豪雨落雷停電なども体験したのだが、この度は「食」でまとめてみたいと思う。皆様、よだれ防止のご用意を。(`∀´)1日目は浅草、月島、築地の下町グルメを堪能。雷門の近くの天ぷら屋さんにていただいた天丼。エビが器からはみ出していた。雷門の下で友と写真を取っていると、我々のテンションとは反比例に天気が悪化。写真を取り終わったら突然、雷が鳴りだした。雷門の下で雷に遇うなんて、なんてラッキー。オヤジギャグなネタになってくれた東京の悪天候に、テンションは上がるばかりだった。仲見世通りを右へ左へ見物しながら歩いていると、雷はますますひどくなり、お寺に付く頃には激しく落雷しまくっていた。雨も柔肌に穴が開くんじゃねーかと思うほどの豪雨。仕方ないので、おみくじでも引いておこうということになった。そういう動機のためか、一緒に行ったネーサンが凶を引いた。「旅立ち、悪し」もちろん引き直した。(罰当たりどもが)次は末吉だった。「旅立ち、よろしからず」もちろんリベンジ。三度目の正直で大吉がでた。「旅立ち、よろし」それでよろし。(ごめん、神様)そうこうするうちに、雨も止んで雷も収まってきた。仲見世通りで油落としに「梅ジュース」を飲んだ。美味しかった。クエン酸効果でさらに元気を取り戻した我々は、もんじゃを食べに月島へ向かった。その日はちょうど大江戸花火大会だったらしいが、悪天候のため中止。混雑を避ける事ができたという意味で、我々にはたいへんありがたい中止だった。(知らなかっただけに)浴衣姿のガッカリ若者を横目に、もんじゃのお店に入る。焼き方を知らず、天板の前で固まる旅行者だったが、忙しそうな店員さんを捕まえて「初めてなんです」とモジモジしながらお願いしてみた。店員さんは、親切なことに食べる寸前までの焼きを世話してくださった。【大阪人のための、もんじゃ講座】まずはお椀のキャベツを鉄板の上に広げ、大きいコテ二つ使ってキャベツをこまかく砕く。コテはグーで握って、鉄板の上を早足竹馬のごとく動かすのである。(早足竹馬、存在しないワザですが、想像してください)砕いたキャベツで鉄板上にドーナツ型に土手を作る。ドーナツの真ん中に、お椀に残っているお汁(?)を注ぐ。お汁と周りのキャベツを少しずつ混ぜ合わせながら、やはり早足竹馬の動きでコテで具材を砕く。グチャグチャにまざったら、鉄板に広げる。そのグツグツの上に、トッピング(今回、我々はチーズとベビースターを注文)をまぶす。小さいコテで焦げた部分をこそぎながら食う。終わり。その後、しばらく月島の商店街(もんじゃ天国と言えるほど、お店が乱立している)を見物しながら、下町の風景を堪能。大通りに辿り着くと、タクシーを拾って築地まで移動した。つづく
2006.08.15
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まだ占い師修行は続けているモリユ、ついにタロットにまで手を出してしまっている。誰か占わせてください。(またかよ)タロットカードといえば、なんとなくオドロオドロしい絵柄で、あまり自分の家に置きたいと思うようなシロモノではないのだが、先日、「猫のダヤン」の池田あきこ氏と、占い師の鏡リュウジ氏のコラボレーションで、とても可愛らしい絵柄のタロットカードが発売された。さっそくご購入。「ダヤンのタロットカード」(アマゾンのページにリンクしています)身近な人に「占わせてくれ!」と頼み込み(またかよ、その2)、自分が出した結果を報告して評価していただいた。当たっているらしい。(ホンマかいな)ってことで、悩みもあるけど勇気もある占い希望の方は、遠慮せずモリユまでメッセージを。(エラソウ)----------ちなみに、易占いについての日記はこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/yuk415/diary/200510050000/
2006.07.24
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先日、以前勤めていた職場のお仲間が集う宴に参加させていただいた。場所提供していただいたのは、昨年の7月に地元の理事仕事とやらで、お仕事の忙しい最中にお祭りの運営を手伝わされたフリー学芸員のお姉さんである。モリユも夜店の仕切りに駆り出され、予想外に楽しい経験をさせていただいた。昨年のお祭り日記はこちらさて、今回は日が良かったためか、その先輩の友人知人他人などなど多くの人が集まることとなった。総勢16名。もちろん全員が腰掛けることができないので、テーブルの脚を外して、みんな床に座って飲み食いすることとなった。座布団も人数分あるはずもなく、先輩が数年前のお引っ越しの際に捨てずに取っておいたエアパッキンを下に敷くこととなった。座った勢いで「プチ」と鳴るのが、少しオトメの恥じらいを感じさせる。(赤面)しかし、酔った勢いで「プチプチ」と鳴らすヤツが出始めたりする。(お約束)たくさんの手みやげが集まり、テーブルもお部屋もいっぱいいっぱい。16名中15名が女子という集いだったが、もうこうなると侍の宴のようである。せめて女子らしく大奥と表現すべきところだが、この度の集いはいっさい料理ナシ、すべて手みやげのおつまみ、出来合い惣菜、スナック菓子だったので、オンナをアピールする必要はないと思われる。珍しいモノがいっぱい持ち寄られ、テーブルを見てるだけでも楽しかったが、あぁ、こんなシロモノまで・・・ブタの顔の干物。琉球土産とのことだったが、「剥がしてそのまま干しました」って感じ。場所提供してくださった先輩も、「頑張って食べてや~。こんなんウチに置いていかんとってや~」と多少ビビり気味だった。持ってきてくださったネーサンが、食べやすいように細切れにしてくださったら、大きなお茶碗に2杯テンコモリになってしまった。全部食べきったのか見届ける前に帰宅したので、あの食べ物の行方が気になっている。とはいえ、中途半端に鼻から顎の部分まで残しておくより、全部切ってしまって良かったと思う。冷蔵庫にブタの顔半分が残ってるのもどうかと思うしな。(`∀´)
2006.07.17
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先日、京都市の北の端、大徳寺へ行ってきた。大徳寺は、小さな庵のたくさん集まったお寺で、そのうち、普段から一般公開されているのは4つだけである。モリユはその日、大仙院、龍源院、瑞峯院を訪れた。どこも枯山水の石庭が素晴らしく。、縁側(?)に腰掛けて涼風に吹かれながら石庭を眺めていると、自然と禅の世界に入っていくような気が何となくしないでもない多分。(曖昧) 脱、煩悩である。 カネとかイロとかウマとかタカラクジとかネンナイケッコンとかハラヘッタとか言ってる場合ではない。 色濃く深い緑に包まれた敷地内を散策するうちに、マイナスイオンで悟りも開けそう。※注意:マイナスイオンと悟りの因果関係について、科学的な根拠が証明されていることはない。中でも、やはり大仙院の尾関宗園和尚さまにお会いできるかどうか、これは大徳寺訪問の一つの楽しみである。宗園和尚様は立派な書家でもあり、お寺には和尚様の書の色紙がたくさん置かれている。他にも和尚様著の書籍もたくさん置かれている。それらは、それぞれ決まった額のお布施と交換で頂戴できる。俗世で言うところの、「販売」というヤツである。この度、ワタシはこの色紙を購入。ちょうど運良く宗園和尚さまに会うことができ、裏に名前を入れていただいた。いつものことながら、先日もやはりご機嫌でお元気でお茶目なお坊様でいらっしゃった。名前を書いてくださりながら、師はおっしゃいました。宗園和尚さま 「アンタ、まだ独身でっしゃろ」モリユ 「はぁ」 (心の声:なぜ語尾に疑問符が付いてないのだ)宗園和尚さま 「ワタシもシングルですねん」モリユ 「へぇ」(心の声:知らんがな)宗園和尚さま 「ワタシ、どないでっか?はっはっは!」モリユ 「ほぉ・・・・オホホホホ!」(心の声:そないに腹からは笑えねぇ)・・・悟りの先には明るい煩悩が待っているのだな。ワタシも精進しようと思う。( ̄▽ ̄)和尚様のありがたいブッディズムギャグに合掌。
2006.07.10
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健康を追い求めて、アロマテラピー、食事制限、岩盤浴、ホメオパシー、前世療法、アルコール摂取量低減、オーラソーマ、整体などなど、様々な実体験を重ねてきたモリユ、ますます健康ヲタク道を極めるべく情報収集にいそしんでいる。皆様も、コレどないや?と思うヒーリング情報があれば、ぜひワタクシまでご一報いただければと思う。そんなヲタクなワタシは、現在「足つぼマッサージ」にハマっている。足裏にたくさん存在しているといわれているツボを刺激して、新陳代謝を活発にし、健康で美しいカラダヅクリをしましょうという主旨である。キーワード:代謝自宅最寄りの駅の側に足裏マッサージをしていただけるお店を見つけ、毎週通っている。お金は掛かるが、命には変えられない。(大げさ)それに、このお世話になっているお店のおねーさんとおばさんが愉快な方々なので、お会いするのも楽しみだったりする。楽しくて健康で美しくなれるなら、こんな素敵なことはない。人生って素晴らしい。(大げさ、その2)しかし、今でこそ浮腫みも取れてかなりマシになったものの、通い始めた当初のモリユはかなり不健康だった。今でもその不調時のダメージがなかなか取れずに困っているほど。今年の冬は厳しいものだった・・・(遠い目)その頃のマッサージ、もう悶絶の痛さ。アロマオイル入りの足湯の後、アロマオイル入りのマッサージオイルで、アロマの香りが充満する癒しの空間で揉んでいただけるのだから、うたた寝しながら夢見心地な気分で受けるモノかと思っていた。うたた寝どころか、目の醒めるような刺激だった。突かれてはならない秘孔を突かれたような衝撃で、思わず「ウヒー!」と悲鳴をあげてしまった。ここで「ヒデブ!」という悲鳴をあげなかったところがオトナである。(自賛)もとい、やはり不健康な人の足裏は、とてつもなく不健康な状態だったというワケである。現在はマッサージ中にうたた寝ができるほどなので、きっとカラダも回復しているのだろう。取れにくかった疲れも、翌日には解消するほど代謝もアップ。足つぼマッサージ、オススメである。
2006.07.09
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皆様、ご無沙汰しております。けが人続出、主要選手の流出、原監督の進退問題、延長放送打ち切りなど、まだオールスター前だというのに自力優勝が叶わなくなった我らがGのために復活します。えぇ、たとえ球団自体の士気が低迷していようとも、Gキチは永遠に不滅です。それにしてもこの低迷ぶりは、ヒドイっす。でもよくよく考えると、この状況はワタシにとっては大きなチャンスかも知れません。ついに監督のオファーが来(略)
2006.07.07
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今日はワタシの誕生日なので、みんな心ゆくまで祝福してちょうだい。やっとハタチになりました。オトナになりました。久々に更新するのに、相変わらず。さて、ついにシーズン突入である。正統派Gキチのモリユは、たとえ巨人が開幕に弱くとも、毎年この時期はテンションが高いのだが、今年のスタートダッシュの勢いでさらに機嫌が良い。あんなに地味なメンバーだというのに、まったく負ける気がしない。実際、まだ2試合しか落としていない。これはスゴイ。でも山田って、誰なのアナタ。そういうワケでパソコンよりもテレビにかじり付きの不義理なワタシをお許しください。イギリスの話も、頑張って続けるつもりです。
2006.04.15
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昨日、王監督率いるチーム・ジャパンは、最初のWBC優勝チームとなった。野球で世界一・・・プロ野球ファンとして、こんなに嬉しくて誇らしい勝利はないと思う。出だしから何かと興醒めな大会であることは否めなかった。日本代表としての出場を辞退した選手がいたり、即席チームということで戦力について冷ややかな批判を受けたり、代表選手自体が何かと批判的であったり。大会が始まってからも、同じ審判による疑惑の判定があったり、同じ大会で韓国に2回も負けたり、日本としては何としても勝ってほしいチーム・メキシコがアメリカ戦の前日にディズニーランドで遊んでたり、いろんなことがあった。しかし、そういう経緯があっての世界一だから、余計に嬉しい!!「本当におめでとう!」、そして日本人として「ありがとう!」と言いたい。MVPは松坂だったが、いやはや、何だかんだ言われながらもチームをまとめていた王監督やイチローもMVPに値すると思う。それと、数々の名場面があったけど、韓国戦、大量得点のきっかけとなった松中のツーベースヒットとスライディングは非常に印象的だった。松中は、ベースを拳で叩き付けるという気迫を見せてくれた。ワタシはあの場面が、この大会で一番心に残っている。みんな勝ちたいんやなぁ・・・としみじみ感じ入るものがあった。その後の代打、福留の活躍も忘れられない。優勝のあとの選手のはしゃぎようは、高校球児というよりは、少年野球の子供たちであった。9回の裏、キューバ攻撃中にベンチを出過ぎて球審に激しく叱られていたのをみんな見ただろうか。興奮気味の子供にしか見えなかった。( ̄▽ ̄)落ち着けって。グラウンドでインタビューを受ける松坂の声が裏返っていたり、イチローが興奮して言葉を詰まらせていたり、各選手がブイサインで写真を撮りまくっていたり・・・オッサンに片足突っ込んだ年代の選手たちが、すっかり野球少年に戻っていた。あの無防備な喜びようには思わず笑ってしまったが、同時に懐かしく野球との関わりの深い子供時代を思い出した。ハタチ(自称)だけど昭和40年代生まれのモリユや同世代の人間にとって、良くも悪くも野球は生活に密着していた。野球ボールサイズのゴムボールは、他のボールと違って簡単に手に入ったし、場所と人が集まればドッジボールか手打ち野球で遊んだ。お父さんの野球観戦をめぐって、テレビ戦争を繰り広げた家族もあるだろう。モリユなどは、小学生の時に阪神ファンか巨人ファンかで、席替えや班替えに影響したこともある。空き地や川原や公園などの広場は、野球とサッカーとゲートボールで取り合いだった。イマドキはいろんなスポーツへと人気も分散して、さらには日本選手、日本チームは国際大会で活躍するような時代である。そんな中、人気の低下を認めざるを得ない「野球」も、オリンピック以外で初めて世界大会を開催し、そんな記念すべき第一回の大会で優勝できるなんて、ホント嬉しい事だと思う。野球ファン冥利に尽きるなぁ・・・シーズン前の大事な時期に、日本代表として参加を決意してくれた選手たちや所属チーム、そして王監督に、もう一度「おめでとう」と「ありがとう」と言いたい。
2006.03.22
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途方に暮れて佇んでいたバス停の近くには、大きなサナトリウムがあった。ブライトンは海の町で、昔から保養地として有名だった。そんな歴史もあり、あのような見晴らしの良い高台に、デカデカとサナトリウムがあったのだろう。とりあえず、ホストファミリーに電話してみた。モリユ「は、はろー。ディスイズ、ユカ。ナウ、アイム、アット ア バスストップ! ニア ザ サナトリウム!」日本語訳:こんにちは。ゆかです。今、バス停にいます。サナトリウムの近くです。(と言ったつもり。)ホストママ「オーユカ!なんちゃらかんたら・・・」日本語訳:あらユカさん。もうウチの近くよー。晩ご飯も用意してるわよ、待ってるわねー。(と言ったと思う。)得意のボディランゲージやテレパシーも、電話では無力である。迷っている自分を伝えることができなかった。仕方なく、引き続き迷うことにした。(号泣)そうやって迷ってるうちに高台のテッペンまで来てしまった。建物で行き止まりになっていたので、トホホとなりながら引き返そうと振り返ると、美しい海と夕焼け空・・・。まっすぐ海岸へ続く道沿いには、レンガやら石造り、明るい色の漆喰で整えられた洋風建物が続き、その町並みの間から静かで、穏やかな海岸線が見えた。そのもっと向こうのキラキラした水平線は、夕焼け空を照り返していた。あぁ、素敵。(うっとり)と、してる場合ではなかった。海風を感じながらフフフンと鼻歌混じりに元のバス停まで坂を下った頃には、夕闇も迫っており、すっかり真っ黒い海となっていた。これ以上暗くなったら、目印のない民家なんて、もう探せねぇ・・・焦りながらも、恐らくそこの住人と思われるお年寄りに何度か助けてもらって、メモのような住所を片手に、さらにフラフラと町を彷徨った。ちなみに彼らがなぜサナトリウムの住人だと判断したかというと、パジャマを着て歩いていたから。(ビックリ)なんせ、紳士の国に来たと思っているワケだから、最初見た時は「パジャマで歩くのは反則だろう・・・」と衝撃を隠せなかったが、二人、三人と出会う年寄りがみんな寝間着風のカッコをしているので、さすがに道を訪ねるのも怖くなくなっていた。もうこの道の行き止まりまで行ったら、今晩はあきらめよう・・・今夜はどっかホテルに泊まって、明日学校で場所をちゃんと確認しよう・・・そう諦めかけた時、偶然立ち止まった場所が、ホストファミリーの家だった。忘れもしない、玄関のドアの上に白く書かれた「No.8」。そうやってコービーさんのお宅に辿り着いた時には、辺りはもうすっかり街頭の明かりが目立つほどの暗さだった。
2006.03.17
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最終日まで残業となってしまいましたが、無事に退職しております。ふふふ。昨日と今日と、ゆっくり休養しながら暮らしておりますが、ホントよく眠れる・・・こんなにも身体が休みたがっていたのかと思うと、自分が可哀相。←しんどい時は過保護なくらいが良いのさ。(`∀´)とりあえず、短期のアルバイトなどで食いつなぐことを決意しました。あと1年はまだ厄が続くので、派手な転身は考えず、地味にやり過ごす作戦に出ます。まずは二度とこのような体調不良を起こさないように、しっかりと養生、治療をしたいと思います。こないだまで勤めていた職場で働くうちに、これからの生きるヒントを得ることができたと感じております。そういう意味では、短期間でしたが非常に刺激的な職場でした。生きる糧を得るという意味での「生き方」とか「暮らし方」とか、ワタシがそんなこと考えるのは珍しいことです。今までは「生きるための日銭を稼ぐバイタリティさえあれば良い」という乱暴な思想だったことは否めません。どうやって銭を稼ぐ人間になるか・・・そういう考え方をするようになったとは、長い目で見ると、過酷な職場もワタシにとっては体験して良かったかもしれません。今度の月曜日に派遣会社とアルバイトの面接に行ってきます。ともかく今年は充電の1年とします。しかし、携帯電話の電池は底を尽きています。コヤツにも早く充電してやらねばなりません。明日にでもショップに連れてってやるつもりです。連絡取れない状態が3日ほど続いておりますが、ワタシはちゃんと生きてます。
2006.03.17
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ロンドンの1日観光を楽しんだ後、 ついにホームステイ先の町・ブライトンに向かう列車に乗り込んだ。天気も良く、どちらかというと暑いくらいだったのを覚えている。列車の窓から入ってくる乱暴な勢いの風ですら、心地よいくらいであった。普段から10月でもあんなに暖かく、穏やかな気候なのだろうか、イギリスって。北大西洋海流とか季節風の影響なのだろうか。(適当なことを書いてみたり)ともかくブライトン滞在中は、毎日、異様に暖かかった。その年は夏からヨーロッパに滞在していたので、これは非常にありがたいことだった。というのも、バッグに入っていたのは、どれも軽装・・・とてもじゃないが、ヨーロッパの過酷な寒さを乗り切れるようなシロモノではなかった。結局、ワタシはあの3ヶ月、同じ服を繰り返し着続けていたのね・・・そういや洗濯は、ユーゲントヘアベルゲJugendherberge(ドイツ語でユースホステルの意味。今年のワールドカップ応援に行く人は使ってください。)のコイン式洗濯機を使っていた。もとい、ブライトンの話。ブライトンの駅に降り立ち、インフォメーションでホストファミリーの住所が書かれたメモを見せてバスの番号を教えてもらった。バスの運ちゃんに面倒臭そうに降りるバスストップを教えられ、何とかカントカ、ステイ先の近くまでやってきた。そう、思い出したが、ホームステイはウィーン大学でドイツ語研修を受けていた時にようやく決まったのだった。その年の8月に日本を発ったのだが、それまでにステイ先が決まらなかった。せっかくウィーンで3週間も滞在するんだし(ウィーンでの話は「ウィーンひとり暮らしの話」を参照ください)、郵便で情報を取り寄せることにした。ホームステイ手配を頼んだ協会にシツコク国際電話を掛けて、エアメールで何とか滞在先の情報を寮に送ってもらったのだ。しかしとっても哀しいことに、封筒に入っていたのは、住所が書かれたメモ程度の紙っ切れが1枚。地図もない。その封書を手にしたウィーンの寮でもそうだったが、ブライトンのバス停でも途方に暮れるハタチ。日も暮れて、空はすっかり桃色のような、紫色のような、ともかく何だか黄昏れていた。つづく。
2006.02.17
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駅裏B&Bの美味しい朝食で腹を満たした後、再びヴィクトリア駅に戻ってバックパックをコインロッカーに預け、ロンドン観光に出かけることにした。天気も良いし、美味しい朝食だったし、元気いっぱいである。そのようにテンション上げて改めてロンドンの町を見てみると、ウムム、なかなか楽しげである。赤い二階建ての、いわゆるロンドンバスというヤツがロータリーにスタンバイしていたり、地下鉄の降り口には赤地に白抜きで「サブウェイ」と書かれた有名なデザイン・ロゴの看板があったり、テムズ川を見に行くとビッグベンが見えたり、コヴェント・ガーデンは可愛らしいお店がたくさんあったし、ピカデリーとかハロッズ百貨店とかナショナルギャラリーとか、日本でもお馴染みのロンドン風情をあちこちで体感するうちに、ワタシもうっかりロンドンっ子になった気分である。(落ち着け、観光客。)昨晩、切り裂きジャックに怯えていた自分が全く信じられない。勝手に怯えていただけだが。一番の思い出はマダム・タッソーのロウ人形館と、ベイカー街のシャーロック・ホームズ邸、その近くにあった広い広い公園(名前忘れた)でのヒトトキだった。マダム・タッソー館というのは、つまりは蝋人形の館で、いろんな有名人のマネキンがいっぱい並べられていた。人形の量やその精巧さには驚かされたが、それを見るために集まっていた観光客の多さにも驚いた。週末ということもあり、入口から建物をぐるりと囲うように行列が出来ていた。ガイジンも並ぶんやな、と思った。芸能人だとチャップリンだとかプレスリーだとかビートルズだとか・・・でもずーとるびはいなかった。残念である。マイケル・ジャクソンもいたが、まだ整形前の、スリラーとか歌ってる頃の彼なので、そんなマイケルを見たドイツ人家族はゲラゲラ笑いながら「あぁ、そっくり。黒い時のマイケルに。」としゃべっていた。彼らは終始、毒舌ファミリーだった。政治家コーナーには、そこはイギリスなのに何故か歴代アメリカ大統領が並んでいた。レーガンさん、ブッシュさん(06年現在のではなく、その親父さん)に挟まれて、当時はまだ新人だったクリントンさんが演説台にいた。近くには何故かゴルバチョフさんもいた。そして何故かロイヤルファミリーが仲良く並んでいた。ベイカー街のホームズ邸の住所には、ちゃんと彼の住まいが博物館として運営されていた。「主人は今、留守にしております」なんていう感じで、ホームズ氏が車を乗り付けて帰ってきそうな、そしてワトソン君と事件について論議しながら玄関から入ってきそうな雰囲気を醸していた。もちろん建物の内装も、小説や映画の雰囲気をそのままに、ロンドンの古き良き時代を思わせる設えだった。背の低い一人掛けのソファがあり、そこに座ってモリアーティ教授の事件を推理したかったが、ご主人以外は誰も座ることは許されていない。何かと残念である。ロンドンには、市内のあちこちに広大な公園がいくつもあるようで、非常に贅沢な都会だと思った。いくら待ってもホームズ氏は帰ってこなかったので、仕方ないので近くにあった公園で散歩でもしてみることにした。そうする内に、誰かがモリユに事件の解決を依頼してくれるかも知れない。(いつの間にか自分が探偵になった気分になっているが、ロンドンは実に平和な町である。)天気もよろしく、公園での散歩やジョギングを楽しむロンドンっ子とたくさんすれ違った。広い芝生スペースがあり、池があり、林があり・・・あぁ素敵。木立が日除けになっていた小道の脇にベンチを見つけて、そこに座ってランチ代わりにナッツを食っていると、どこからともなくリスが足下にやってきた。ビックリした、こういう小動物に絡まれるのは、人生でも初めてのことだった。モリユのナッツをじ・・・っと見つめている。・・・つぶらな瞳がとってもキュート。(はぁと)・・・というか、非常に食いにくい。そもそも、こういう小動物は人間に近寄ってはいけないんじゃないのか?自然の掟に逆らってまで、そんなにこのナッツが欲しいのだろうか。試しに、ひと粒差し出してみた。なんと、そのリスはヒトの指からナッツを取り上げて口の中に入れた。・・・小さな手がとってもプリチー。(はぁと)・・・というか、野生魂はどうしたのだ。そもそも、こういう自然に暮らす小動物が、こんな無防備にヒトからエサを貰ってはいけないんじゃないのか?もうコイツは飼いならされているのだろうか。そのうちに、小さな子供連れの家族がやってきて、リスがヒトからナッツを受け取って食ってる姿に魅了され始めた。子供に残りのナッツを袋ごと進呈してあげたら、とても喜んでもらえた。モリユがあげるより、金髪の子供がリスにナッツをあげる姿のがサマになっていた。いかにもロンドンの休日ではないか。そんなラブ・アンド・ピースなロンドンを満喫して、夕方にはいよいよホームステイ先の町・ブライトンに向かった。まだまだ続く。ようやくホストファミリーんとこに着きそうだ。
2006.01.06
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明けましておめでとうございます。昨年は皆様の楽しく面白いツッコミコメントのおかげで、なんとか大厄を明るく切り抜けました。ありがとうございました。そして後厄の今年も仲良くしてください。(なんだか不吉な挨拶)よろしくおねがいします。**********さてさて、今年もやはりアレを書いておこうと思う。毛布でも防腐でも豆腐でも豊富でもなく、抱負。ちなみに去年の抱負だった>カードマジック・・・まったく手を付けていない。>貯金から株にチェンジ・・・お金に関するセミナーには参加しまくったが、まだ資金投入までいっていない。あぁ、全然達成できていないとは、ホント不吉な大厄に相応しい1年だったと思う。←全部「厄」のせいにしておく。その反省を踏まえ、今年は以下の通りにしとく。【1】カードマジックはとりあえず置いといて、ジャグリングを極める。15回は落とさずできるようになったので、20回にステップアップ。(小せぇ)【2】投資も貯蓄も、両方やる。セミナーには引き続き積極参加で。口座に入れるだけでなく、勇猛果敢な資産運用を。(泣くなよ、ワタシ)【3】オプション目標として・結婚する。・月1で万馬券を当てる。・東京ドームで巨人の応援をする。・バイオリンを本格的に始める。・また第九に参加する。・病気を治す。・減塩でも美味しい料理を研究する。素晴らしい2006年となりますように。最後に、トシオンナ・母上の寝姿にそっくりな干支男・リキちゃんをご覧あれ。今年も仲良くしてちょうだい。m(_ _)m
2006.01.01
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モリユは非常に忙しく無職を堪能している。オカシイ。今年の年賀状は、ヒマに任せてゴム判でも作ってみようと思っていたのに、そんな手間をかけることもできずに、本日、投函してきた。絶対に元旦には届かんだろうな。(って書いてる場合ではない。)きっと以前の職場の人にも「こいつ、無職のくせに年賀状がこんな時に届くなんて、いったいどういう生活をしているのだッ」と、非難がましく思われるに違いない。どういう生活をしているのかというと、・両親の年賀状を作って、印刷。まる一日掛かる。・クリスマスイブもクリスマスも部屋の片付け。・クリスマスの夜は弟家族とパーティー。騒ぎながらもM-1をチェック。・前の前の職場の仲間と昼間からカラオケ。夜は鍋パーティー。・病院の診察。その後、ついにバイオリン教室の体験レッスンに行く。・前日の病院で親切な看護婦さんに食事制限を勧められ、図書館で料理と調味料の本を探す。目星を付けてから本屋さんで購入。・歯医者に行く。・前の前の前の職場仲間が、就職祝いということで昼間からカラオケに連れてってくれる。夜はそのままお食事会。・長年のメル友である後輩を連れて、美術館に行く。その後は前の職場仲間と忘年会。・自分用の年賀状を作る。・大掃除。(現在進行中のため、パソコン触ってるのがバレたら怒られる。)ってな感じ。そう、モリユは入院がイヤなので食事制限をすることにした。お医者によると、新しい薬を試すために入院をするようにとのことだったが、嫌がっているワタシの気持ちを察してくださったサポートの看護婦さんが、後からこっそりと「先生が勧める薬は、女性によろしくない副作用が報告されている」と教えてくださった。ってことで、今できることとして、食事制限でもかなり効果があると思うから試してみるように、とのことだった。塩分控えめにして、水分も控え、夜はしっかり休養する。そうすることで、心臓への負担が随分と軽くなり、医者が気にしている数値をグっと下げることができるかもしれないとのことだった。やってみることにした。できることは、何でもやってみようと思う。で、購入したのは、服部先生の料理の本と、調味料としてのハーブの本。そもそも、料理とは何かというところから始めている。(気の長い話)しかし、服部先生の本もハーブの本も、意外と面白い。もしかしたら、バイオリン、易占い、インラインスケートに次いで新たな興味の範囲が広がったかも知れない。(どれも「まだやってたのかアンタ」と言われそうだが、地味に続けているのさ。)2006年は非常に忙しい日々となるに違いない。では皆様、良いお年を!
2005.12.31
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歌ってきた、1万人の第九。いやはや、本当に素晴らしいイベントに参加できたと、心底感激した。あの日を迎えるまでに、8月下旬からほぼ毎週のようにみんなで集まり、そして練習を続けてきたのだ。感無量にもなるさ、人間だもの。(あいだみつを風に読め。)さて、歌はもちろんドイツ語で歌う。(さと姉よ、来年は参加してみてはどうだろう。)シラーという作歌の「歓喜に寄す」という詩を、ベートーベンは交響曲にコーラスで入れてしまった。オーケストラにコーラスを入れて交響曲を作るというのは、まったくもって斬新なアイデアだったとのこと。佐渡裕さんやレッスンを指導してくださった先生方が言うには、第九というのはドイツでは「何か特別な時に、神棚の奥から楽譜を拝みながら大事に出してきて、へへぇ・・・と恐縮しながら演奏させていただくという雰囲気がある」らしい。どこまで本当なのかはモリユは知らないけど、確かに約10年前にドイツ東西を分断していた壁が崩壊したその年(か、明くる年?)に、第九の「喜びを!(Freue!)」という部分を「平和を!(Friede!)」とかなんとかいう言葉に替えて歌ったというイベントが盛大に開催された。あながち、そういう恐れ多い曲であるというのは、大げさな言い方でもないのかもしれない。ともかくも、この「1万人の第九」について言えば、かなり大げさなイベントであった。前準備として、6月の応募、抽選、7月に当選者発表、8月下旬からレッスン開始、3回休んだら出場権喪失、遅刻2回で1回の欠席・・・そういう厳しい条件やらレッスンをこなして、ようやく12月4日の本番を迎えることができる。とはいえ、指揮者とオーケストラとソロ以外は、ホントに素人さんたちで構成された1万人。出演する身としては、確かに長いレッスン期間があるので、緊張感はあったものの、割と気楽に考えていた。ところがこの第九のチケット、なんと5000円もする。さらに、売り出し日に即日完売という状況だったらしい。Σ( ̄口 ̄;)!!!知らなかった・・・お客さんが入るイベントだったのね。←心底ビックリした。しかし本番を終えて思う。「もし来年、抽選に漏れて参加できなかったら、ぜひチケットを買って、あの真ん中の客席で1万人のFreude!を聴いてみたい」と。1万人が一緒になって歌うというのは本当に難しく、リズムや音程を合わせるのは大変なことだった。毎年指揮棒を降る佐渡裕氏が「飽きない」と言うのはよく分かる。1万人のコーラスが、指揮棒とオーケストラの音に合わせて、一斉に音が出たり、ピタ!っと音が止まったり瞬間、音楽の不思議というか、奇蹟を感じた。今年はいろんな体験をしたなぁと思うけど、2005年、ワタシの中では第九というのも、大きな体験だったと思う。あぁ、楽しかった!(≧▽≦)また出るぞ、ワタシ!
2005.12.24
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ますますパワーアップのタモっちゃんは、ちっとも人間の言うことを聞かない。とんでもないイタズラモンである。そんな彼のお気に入りは、父とリキちゃん。男の子のクセに、同性である父とリキちゃんに遊んでもらって、うっとりとした日々を過ごしている。 寒くなってきたら、大人しい時もある。ってか、リキちゃんはいつも大人しく耐えてます。こんな風にご自慢の尻尾をオモチャにされようとも。耐えきれずにストーブ前を放棄したワンコの後には、遊んでもらって大満足のイタズラネコがひっくり返っている。父の腹の上に乗せてもらって、ウットリとしている。気持ち悪い。(そうやってネコとラブラブな自分がまんざらでもない父。大丈夫か?)nyaにか問題でも?と、なんだか挑戦的なお顔。
2005.12.23
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平和主義者のモリユ、会社に対してこんなに怒ったのは初めてだった。この何年もの間、身体の悪いワタシをかばって大事にしてくれたネーサン達になんてことしやがるッ!!そうなると、過去の仲間の悔し涙も思い出されてしまうのは、コレ、人情。時間を掛けて、なるべく正確に、そしてあくまで自分の名前で全社に発信しても恥ずかしくないような資料を作った。そして、そんな不吉なモノをキッチリ作り上げてしまった自分が怖かった。( ̄▽ ̄)オニ?さて、出すタイミングはどうしたものか・・・まだシュウカツも終わってないし、自分の経歴に傷を付けるようなことまで出来るほど、人間が整ってはいない。(ってか、そこまでの正義感はない。)しかし、この期に及んで、さらなる無神経な事件が勃発。自分の社会人としてのモラルに従って、ココに明記するつもりはない。しかし、たった1人であるにしても、「役職者」がこのような人間であるというのは大きな問題だとモリユは深刻に思った。決意を固めた。今月初旬、社内のしかるべき部署に、モリユ、デスノートを送付。メール送信。・・・。とても怖かった・・・。ところが、その2日後に面接を受け、さらにその2日後に就職が決まった。ちょっと元気が出た。すごく不思議なご縁だと思ったので蛇足すると、採用の電話連絡が済んで、仲間やネーサンたちに嬉しいコッソリ報告を一通りすませて、デスクに戻った瞬間に「アナタの訴えは受理されました。当方で検討し、再度ご連絡差し上げます」という、しかるべき部署からのメールが着信した。Σ( ̄口 ̄;)!!ビックリした。そしていよいよ退職となった昨日、大阪は大雪の大嵐デーであった。( ̄▽ ̄)なんだよ。そんな最後の出勤日に、ワタシの訴えに関する担当者から直接連絡が入った。担当は、6年前にワタシを面接し、身体が悪いのを分かっていて採用してくださった元・上司だった。Σ( ̄口 ̄;)!!!元・上司にしてみれば、見込んで雇った下っ端に挙げ足を取られた、という感じだろうか。確かに彼には「ご立派な企業理念」を植え付けられた。ワタシは、このオジサンの話に感銘を受けた。良い会社に入った、と素直に感じたものだった・・・そして6年後、「もっと良い会社にすべきだ!」というワタシの訴えの原因を、今まさにこのオジサンが刈り取らねばならないとは・・・。元・上司は約束してくれた。必ず改革する、ということだった。もしかしたら、揉み消されるかもしれない。大きな組織力に負けて、無かったことになるのかも知れない。でもワタシにとっては、一つの大きな道筋に見えてならない。会社的にはどうであろうと、モリユにとっては、この成り行きはとても重大な意味を感じてしまう。因果応報、こんなところでも見てしまった。神様って、イケズね。( ̄▽ ̄)オッサン、今頃イヤな気分やろな。神様のメッセージに、謙虚に耳を傾けて「あんなオトナにはならないでおこう」と今再び決意を固めるモリユであった。おしまい。※追記※ネーサンたちも、結局は動くことになったそうです。同じく、金銭的要求は一切せず、モラルと誠意を求める資料を提出されたとのこと。最後まで仲間と一致団結して職場を去ることができて、すごく幸せだとワタシは思います。( ̄▽ ̄)ヨカッタ。
2005.12.23
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先般、少し触れた件だけど、「立場に相応しくない、上司たちの言動を訴えた」の話を少々・・・。まず経緯としては、この度のワタシの在籍していた部署に関する人事処遇については、フツーであれば、出るとこに出れば正式に慰謝料をいただける内容であった。しかし、ワタシはともかく、同じ部署の他のネーサンたちというのは、やはりお勤めした年数もあり、そのような大胆な行動に出るつもりは全然なかった。とはいえ、みんな腹は立てていた。そんなご立腹な人々の中、実はワタシは最初は逃げ腰であった。「早く良い職場を見つけて、さっさと辞めて、関わらないでおきましょう」というのが本音であった。ワタシらは、この会社が生活に密着するサービスを提供しつづけている会社であることをちゃんと理解し、「エンドユーザーと企業」という関係の最前線をずっと守ってきた。そしてお金に任せてガンガン作り上げる企業イメージの最前線に立たされながらも、身分も低くけりゃ、貰うモノとしても薄給であった。(その分、お休みとか自由だったけどさー:笑)みんなが一緒になってゼロから立ち上げた部署だったが、そんなガッツ溢れる人間でも、いらなくなったらポイかよ。何年もご立派な企業理念を守らせておいて、失敬な話である。でもいいのさ、時代のせいだからな。バブルのツケである。バランスを保つためにも、異常な何かが起こったら、それをゼロに戻すチカラの作用が働いて当然なのである。自然のことなのである。それもよく理解して、会社の要望を飲んだ。逃げ腰のワタシはともかく、年数の長いネーサンたちは泣きながら、飲んだ。それなのに、そこから発生した現場の問題(引き継ぎなど)に対しては、何もかも会社としては後手、後手となっていた。辞めると言うてるんだから、すんなり辞めさせてくれよ、とワタシは思った。そんなこんなでブツクサ言いながら過ごしていた晩秋、11月の半ば、スタッフのうちの数名が年内での退職を申し出た。会社は「そんな早くに言われるとは思ってなかったので、引き継ぎのことは何も考えてなかった」と言った。まるで辞めていくスタッフが悪者のようかの言い種だった。ネーサンたちは、会社に言われるがままに傷付き、ただただ落ち込んで、お互い疑心暗鬼にかかり(誰かはこっそり残されるのではないか?とか)、モリユには、とても10年以上連れ添った仲間としての、最後の姿には思えなかった。辞めていくスタッフに対して、余計な心的苦痛を与える必要は、一切ないのだッ。と、温厚なワタシがキレたのは、コレがキッカケである。この日を迎えるまでに十分の時間があったのだ。役職者は、立場に相応しく配慮ある対応を工夫できたハズだし、それも彼らの仕事ではないのだろうか。そこから引き続き起こった役職者による数々の無神経な発言は、もう列挙する気にはなれない。「ちゃんと辞めさせることができないのなら、人なんて雇うな」「こんな無神経で頭の悪いオッサンを、役職者として評価するな」(でもまぁ、そんな人間を評価する会社なんだから、世間に対して売ってるイメージも【ボクらは頭悪い無神経な会社ですゴメン】という内容に変更するなら許そうとは思う。)一部の人間のせいで、守ってきたものを破壊するつもりはモリユにもない。自浄していただくことを決意した。長くなったので、つ・づ・く!
2005.12.23
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察しの良い方はタイトルで分かってしまったかとは思うが、モリユはついに転職に成功した。とりあえず「成功」としておこう。新しい職場では、無知やら厚顔やら失敗やらで、まだまだたくさん恥をかくだろう。気の弱いハタチなので、先輩たちからイケズされるかもしれない。そうやって己の小ささを痛み入り、毎晩、枕を濡らすことになるかもしれないので、その時は優しく慰めるように。(お願いごとなのに、どこかしらエラソウ。)で、転職先は、結局は第一志望というか、最初に応募した出版社である。そこで希望通りに事務員さんとして1月から働くことになった。極寒の面接の日から、わずか2日後に採用してくださるとのお電話をくださった。・・・嬉しい。( ̄▽ ̄)そういうワケで、皆様、たくさんご心配をお掛けしたけど、やっとこさ決まったよぉ!ありがとう!!ホントにありがとうーーー!!!いろんな会社があり、いろんなことを言われ、ホストとも面接し(もう忘れてやれよ)、ほとんどの履歴書は返してもらってないし、その度に落ち込んだり腹を立てたりしたものだった。だけど、みんなの書込みやらメールやら、たくさん励ましていただいて、ワタシはその度に立ち上がることができた。重ねてお礼を申し述べたい。ありがとねーーー!!!で、まとめてみよう。この3ヶ月半、いろんな会社を訪問し、面接やら会社説明やら試験などを受けた。結果的には、ありがたいことに最初に受けたいと願った会社に採用して頂いた。・・・神様のジョークか?いや、神様はモリユに「いろんな会社を見てまわりなさい。世の中についてもっと分析して、そして勉強しなさい。もっと修業を積みなさい。まだまだハタチなんだから。」とおっしゃっていたのだろう。そう信じたい。決して無駄では無かったと思っている。(というか、思い込ませている。)とはいえ、気楽な話だけども、このシュウカツはとても有意義で素晴らしい体験だったと本当に思っている。どういう利点があったのかを箇条書きにしてみた。・履歴書を早く書けるようになった。・ミソヂでオンナでビョウキでも転職活動ができることを証明できた。・ニートなヤツらに「オマエも頑張れ」と言える立場になった。・面接官マスターになれた。・求人広告マスターにもなれた。・未来の投資家としての目を鍛えることができた。・現職場に対して、もっとエラソウにモノを言えるようになった。・・・どこまでもエラソウ。自分がコワイ。さて、最後になるが、箇条書きにも入れているのだが「現職場に対して、もっとエラソウにモノを言えるようになった。」について。ワタシは、お世話になり可愛がってくれた同じチームの先輩やら、いつもサポートしてくれた後輩たちのために、そして何より自分のために、今の職場のモラルも誠意もない人事処遇を、社内の正式な部署に、正式に訴えることにした。現在、活動中~。シュウカツとコレは、まったく別物と思っている。今までのモリユと言えば、お金を頂けるところであれば、厭わずどこでも働いてきたし、辞める時も厭わず辞めてきた。だけど、いつでもどこでも、仕事に対しては楽しみながらもモラルと誠意だけは尽くしてきたつもりである。それはワタシの働き方であったし、それぞれの企業さんのモラルがどういうレベルかなんて、はっきりいってどうでもヨカッタ。だけど、個人的にブツクサ言って終わりにするには、あまりにも不誠実な対応を目の当たりにした。それを企業として気付きもしない現状を放っておくことはできない、と心底考えるようになった。これもヲトナのシュウカツを体験して、社会人としての責任について、深く深く考えさせられたことによる。愛社精神が持てないだの、人生に夢がないだの、頑張っても評価されないだの、そういう愚痴をもっと大声で言うためにも、なぜそういう思いをしなくてはならないのか、現状を企業自身に大きな声で問うことにした。モリユも仲間も、誠意とモラルと愛着を持って、最前線でこの企業を守ってきたのだ。会社にも誠意とモラルを持ち直して頂くことにした。そいで、こういう事を大声で言うには、自分の立場があまりにも大きなチャンスに思えてしまったのさー。そうやって言わねばならない事だけはお伝えして辞めさせていただく決意を固めてしまった。普段、温厚な人間に余計な刺激を与えてはいけないのだ。(自戒の意も込めて・・・)※注意:お金大好きモリユだけど、企業さんに対しては何も求めてないよ。( ̄▽ ̄)マジデマジデ。ワタシとしては、これまで身につけた社会人のモラルと誠意を掛けてやり通すつもりだけど、今、とても怖いと感じているハタチ。窮鼠、ライオンを噛んでしまい、パクリとやれれるのをビビっている。( ´_ゝ`)トホホ・・・
2005.12.20
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寒さに凍えながら伺った2件目の会社は、前回の日記でも少し言い及んだのだが、一度はご縁がなく諦めた出版社さんだった。前回の9月の応募時、先方が提示した会社説明会と面接の日には、どうしても融通の利かない予定がすでに入っていた。またの機会に~・・・ということで、モリユはヲトナのシュウカツを続けることとなった。せっかく書類選考で引っ掛かったというのに、面接も受けずに諦めるというのは不本意なことだと思うので、当落はさておき受験できることは嬉しかった。しかも、前回の履歴書を取っといてくださったので、手ぶら。( ̄▽ ̄)ヨロシイ。最初に会社説明のDVDを拝見し、その後は調査書というのを記入した。例の正体不明なアンケートではなく、希望勤務地やら希望給料額やら希望職種やら、そういう実際的な内容だったので、ますますヨロシイ。しかし、面接は「グループ面接」だった。コレは、初・体・験。←ナカグロを入れるだけで妙に色っぽい。以前に2人同時に面接を受けたものの「今回は4人いっぺんに」という大人数面接は初めてだったので、どこに視線を持っていったら良いのか分からず、非常に挙動不審な求職者になってしまっていた。右にも左にも、その向こうにも人がいるのだ。しかも目の前には面接官までいる。誰を見たら良いのだろう。面接官の兄さんが言った。「ワタシが面接してるんで、こっちを見てください。」(実話)面接官の親切な指導のもと、視線については解決し、何とか受け答えできたが、やはり左右を見ながらの動きを止めることができず、ついに面接官に「モリさんは、周りの人たちとは知り合いなんですか?」という質問までされてしまった。モリユ、たかだかグループ面接ごときで、一生の不覚・・・一通りグループ面接とやらが終わり、少し質問などもさせていただき、お開きとなった。調査票と履歴書の照らし合わせが終わってからの退室となった。つ、疲れたぜ・・・本領発揮できんかった。しかし、部屋に最後まで残らされたモリユともうひとりの女の子ちゃんは、「お二人は一次面接は合格です。個人面接に入りますので、次の会場にご案内します」とのことだった。す、すげぇ・・・抜き打ちかよ。場所を変えて、東京からいらしていたという女性の面接官と20分くらいお話して、結果は1週間以内に電話いただけるとの回答だった。DTPオペレータの面接といい、こちらの面接といい、どちらも手応えは悪くなかった。いやはや、寒い日に出掛けた甲斐があったというものだ。
2005.12.19
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