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小生はゴルフ大好きで、健康な時は毎年、石川島播磨重工の副社長の紹介で、気の合った仲間たち4名で長野県の蓼科高原に1泊で2つのゴルフ場でプレイした。そのとき蕎麦や馬刺しなど美味しく食べた。小布施町は栗が美味しいので土産を買いに途中必ず立ち寄っていた。
叔母の初盆時、従弟から頂いた「小布施の栗羊羹」が気に言って、学び、以来小生も父親の初盆のお返しから法事には小布施の栗羊羹を真似ている。
ツイッター http://twitter.com/yukemuririki
(国家意識ある同じ国家観のフォロワー募集中です)
その長野県の最も小さな町が今元気である。小布施町。人口1万1500人程度のこの町には年間120万人もの観光客が訪れる。芸術文化、寺社、のどかな田園風景、この町には訪問客をほっとさせる温かい魅力が詰まっている。
だからといって分不相応に背伸びをして観光客を増やそうという思惑は全く感じられず、あくまでも自然体な人間中心の町づくりを徹底している。
住空間や町空間にデザインを組み込み、住民・観光客が田舎の豊かさを満喫できるような配慮が随所に施されているのである。
しかしそんな小布施町も、人口が1万人を割る過疎化の進む町だった。
かつては町内番付の20位以内の18人がリンゴ農家というほどの信州一のリンゴのメッカだったが、リンゴの輸入自由化により価格が暴落し、また高度経済成長に伴い都市部へ人口が流出するなど、人口は減少の一途をたどっていた。
そんななか、過疎化を防ぐために設立された小布施町開発公社が長野市のベッドタウンとして宅地造成を進め、住環境を整備するとともに 北斎館
を建設すると、これがマスコミの話題になった。
晩年、葛飾北斎は農村や田園に惹かれ小布施町に4年間も住んでいたため、農村にも溶け込み、町内に作品がたくさん残っていた。
ちょうどその頃ロシアをはじめとする海外で北斎が注目を集め始めると、記念館を作るなら寄贈してもいいという町民の協力もあり、芸術文化に関心ある民間人が作品を収集し記念館設立へつながるわけである。
この北斎館を中心に据えた町づくりが功を奏し、小布施町は大きな変貌を遂げることとなる。
こうして北斎館が全国的に話題となり観光客が増え始めるわけだが、そこだけでは1つの点に過ぎない。
そこで、画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山の庭を活用した 記念館
を建設すると、北斎館と結ぶ「栗の小経」を1985年に完成させ、点と点を線にした。
名称の由来は、栗の名産地であることと(寒暖の差が激しく土が酸性なので、栗の栽培などに適している)、車社会で人が道から遠ざけられたのを回復したいという思いからである。
さらには周囲の歴史的建造物を生かしたり、道路沿いにあった民家を奥へ移転することで歩道を広くし、栗の木レンガを敷き詰めてくつろぎの空間を作り出す試みも始める。
これらが実現できたのは、建設業をはじめとした地場産業の有力者が地域住民を地道に説得して回るなどリーダーシップを発揮したことが大きい。
小布施町道路沿いには花が添えられる
そうするとかつてのような人々の交流が生まれ、立ち話やひと休みなどの風景が戻ってきた。さらにはそのような空間の至る所に花が植えられ、うるおいのある美しい町づくりに一役買っている。
心地よい屋外空間を重視した姿勢は町全体の共通認識となり、効率優先や再開発という思想ではなく、人生を楽しむという発想が町民の間に浸透することになる。住む人が心地よければ外から来た人はもっと快適に感じるというのもうなずける。
そのような町づくりは「小布施方式」「修景」(都市計画や公園建設で、自然景観を破壊しないよう整備することなど)と呼ばれる。
「内は自分のもの、外はみんなのもの」「古いものを大事にする」という意識が住民に芽生え、住宅の配置や外観への配慮、来訪者との交流やオープンガーデン、さらには通りを行く人の目を楽しませる花や灯りなど、住民が主体となった町づくりへと発展していった。
再開発ではなく、生活を豊かにするための改築、移築の発想である。
住民や行政、議会などが一体で町づくりに取り組む町哲学の象徴的なできごとは1990年に全国に先駆けて「うるおいのある美しいまちづくり条例」という自治条例を制定したことである。
当時はバブル期の最後とはいえ、第4次総合計画に基づきインフラ建設が活況を呈している頃に、人間中心のまちづくりを目指す自治体は非常に少なく、ましてや国と県が土地利用計画を掌握する時代に小さな自治体が自分たちで条例を作るなどは非常に困難だった。
国で制定する条例以外のものを自治体が作ろうとすると様々な圧力もかかるわけだが、それでも推進できたのは全国屈指の町民力(町民一人ひとりが当事者意識を持ち、町を良くするために労をいとわない精神と実行力)があったからとも言える。
ちなみに2000年4月に地方分権一括法ができると国と自治体が対等になり、自治基本条例を制定する自治体が出てくるが、2000年以前に町づくり条例を制定したのは、小布施をはじめ、神戸市、掛川市、三鷹市など全国で10もない。
これらに共通する点は都市哲学をしっかり持ち、議会や行政、住民の3者間で目指すべき都市像が共有されていることである。
特に小布施町には町民の意識が高まる背景があった。それは、条例制定の前後に受賞している以下のような数々の表彰である。
1987年「地域文化デザイン賞」
1988年「まちづくり功労者表彰」
1989年「公共の色彩賞」「郷土文化賞」
1993年「生活文化賞」
1994年「都市景観大賞・都市景観百選」「農林水産大臣賞」
1998年「人間道路会議賞」「ふるさとづくり振興奨励賞」
1999年「優秀観光地づくり賞(金賞)」
宮崎県綾町も実は環境分野で様々な賞を取っている。このような客観的な表彰というのは住民の意識を高めるきっかけとなるようである。(其の弐につづく)
(統治機構も変えて 『日本文化主義』
では大統領制にした方が国際社会に政治的アピールしやすい「戦後保守主義」の政治家たちは分かっていないようだ)本当の政治の仕事はプライオリティーは増子化対策のため中間層の拡大である。
日本は米中韓のサイバーテロや産業スパイに狙われている。NHKを筆頭に民放テレビ各局のメディアの役割と甘さには呆れる。本当に業界の責任も多大なのである。
フランシスコ・ザビエルは日本に西洋文化を紹介した宣教師だったが、彼の所属したイエズスス会は宗教集団と同時に軍事組織でもあり、西洋列強による英国の植民地拡大の尖兵だったというのが歴史の真相である。
サイバーテロやスパイ関連の法規で重罰にするスパイ防止の法律も必要がここにきて現実的になってきた。
仏教で「生死流転」と云う言葉があります。(しょうじるてん)と読みます。ここでいう生死というのは、人間の「生まれ・死ぬ」ということではありません。この世の一切のものが、一瞬として止まることなく、絶えず変化し動いている事を指しています。
生死(しょうじ)の中の雪降りしきる 山頭火(永遠の時間の中で、永遠に消滅を繰り返してゆく、そのなかの「ふりしきる雪」をとらえた句です)。働き盛りの人間も同じです。その先には老いがあり、死があります。だからこそ今を働くその姿が美しいのです。降りしきる雪のかんという「潔さ」でしょうか。国家も政治も変化し動いているのである。
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