2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全4件 (4件中 1-4件目)
1

愛犬ランの死とフロントガ-デン 第1章 病魔を感じてやれなかった私8月28日 日曜日に、愛犬ランが10年の生涯を終えた。ここのところ、元気が無くなってきたなと感じていた。年だからしょうがないと少し諦めていた。そんな思いをしていた矢先に、いっきに病魔が襲い掛かり、あっという間のことであった。8月21日 日曜日お兄ちゃんがいつものコ-スを散歩。公園を通り、田んぼの水がいっぱいに流れている浅い水路の中を歩き、中学校を横切り、自宅まで最後の直線歩道を歩く、約4キロのコ-ス。帰ってから食事を与えたが、吐いてしまった様子。暑くて食欲が無いのかと思った。お盆が過ぎてから、仙台は連日30度。最高は35度にもなり夜も30度から下がらず蒸し暑い日が続いた。8月22日 月曜日こんな暑さのため、さすがのランも熱中症かなと思った。食欲も無く、水だけしか飲まない。無理に食事をさせようとしても、口はあけず頭をそむける。少し足が震えている。さらに、しっぽがぬれていて、オモラシか、生理でもしているかのようであった。ヌレタオルでふいてやったりしたが、いつの間にかまた、オモラシ状態にもどっている。8月23日 火曜日の夜暑いし不衛生なので、シャンプ-し体を洗ってやった。水を掛けてやると気持よさそうに横になって、体を洗うことを喜んでいた。足の震えもとれて少し安心した。やっぱり、暑さのためと思った。8月24日 水曜日少しは食欲が出るかと思ったが、相変わらず足の震えが止まらず、さらに目から涙が流れている。妻に話すと「暑いし、食べず嫌いもあるから、お腹がすいたら食べるよ」と軽い返事であった。それにしても食欲が無く、水の飲む量も少なくなってきている。こんな症状は始めてである。やはり病院に行こうと妻と決めた。8月25日 木曜日夜 末娘がお父さん大変だよと叫ぶ。長女もランのところに行く。ウジ虫がランの体に付いているとの騒ぎだ。汚い所に行き、虫でも付いたのかと思いながら、テレビを見ていたが処置に時間が掛かっているので、行って見ると、狭いところで懐中電灯をつけながら、ウジ虫退治をしている。よく見ると、お尻の近くの背中に穴が空いていた。愕然とした。ウジが付いていたのではなく、ウジが湧いていたのだ。娘たちは「お母さん 見ないほうがいい」と手伝いを断った。私は体重30キロのランを抱きかかえて行き、駐車場で三人のウジ退治がはじまった。もう夜の10時になっていた。ウジの発生源の穴が空いていた所の付近の毛をはさみで切り、穴から取り除くことになった。暗いのでよく見えないので次に玄関に連れて行き明るいところで、本格的な退治をした。背中一帯にウジが広がっていた。娘たちも可愛そうというより、何とか退治しなければと思いが強かった。体全体の毛を短く切り落とし、ほぼ退治した時は、朝の4時になっていた。退治後はだいぶ落ち着きを戻したようだった。急いで病院に行く必要が肌で感じた。しっぽがぬれていたのは、オモラシでもなく、生理でもなく、「膿」であった。8月26日金曜日 夕方、妻と娘で近くの動物病院に連れて行った。先生の話によると、夏に排泄などの近くにハエが溜まり、皮膚の弱いところからウジが沸くことがあるそうだ。こんなに丁寧に毛を切りウジを退治してから、病院に来るのは希で、病院でウジ退治をするのが普通とも話をしていたとのこと。涙を流すのは、眠れないからで、たぶん痛みを震えながら堪えていたとのこと。震えていたのや食欲が無いのは、ウジ虫のせいではなく、内臓が悪化しているからとのことで、暑さが本当の原因ではないとも話していたようだ。点滴をして、明日に精密検査をするとの回答であった。今考えると、痛いと言葉を発することが出来ない分、色々な症状のサインを出していた。そのシグナルを解らなかったというよりは、感じることが出来ていなかった自分が居たと思う。もっと繊細に汲み取っておけば最悪を乗り越えていたのかもしれない。飼い主失格である。この次は、「手術の決断と結末」を話す事にします。Designed by Kinako
2005.08.31
コメント(5)

宮城蔵王の遠刈田(とうがった)温泉にて 地震もひと段落したので、妻と遠刈田温泉にいった。家から車で40分。蔵王の共同浴場に行き、その後いつものそば屋さんに行くコ-スである。午後から行ったので温泉を上がったのが午後2時になってしまい、遅い食事を「賛久庵(さんくあん)」でとった。ざるそばと自家製豆腐とサラダを食べた。温泉で温まり、汗を拭きながら新そばを食べる、少し贅沢な気分である。 妻も仕事をしているが、休日が一緒となることが少ないので、休みとなるとよくここに来る。今日は天気もよく、蔵王高原は気分が良かった。そこでいつかこようと思っていた英国風ガ-デンの「HiRoKo`s DREAM」に行った。蔵王高原に切り開いた3000坪のガ-デンである。雨や猛暑のため、花は少なかったが、終わりかけたカサブランカが群生していて、甘いにおいが一面に広がっていた。入場料が1000円で飲み物付き、場所が温泉街から奥まったところにあるため、お客さんが少なかった分、主催のヒロコさんと話ができ、ガ-デニングの暑い思いを知ることができた。数人で管理をしているが、庭が広すぎて毎日のやることが多すぎるとのことで、花の奴隷となっているようだ。特に変った草花がある訳ではないが、その見せ方はさすがうなづけた。 家に帰ってから我が家と比べると、そんなに引けを取らないのではと、少し自己満足。今度は秋に行ってみようと思う。明日から、仕事が始まる。いい気分転換になった。やはり色々な庭を見学をすることが勉強になりそうだ。Designed by Kinako
2005.08.17
コメント(5)

宮城県沖地震の実感 お盆の最中、仙台を中心とした大きな地震が起きた。仙台市と山形市との間に位置する山間の町、「川崎町」の震度は、6度弱の大きなゆれを記録した。我が家の地区も5度強である。もういつでも、起きておかしくない宮城県沖地震がやって来たのか、まだ分析中とのこと。今回の地震は、大きな地震の割には、思ったほか被害が少なかったのが幸いだった。それだけ、備えをしていた成果なのかどうかはまだ解らないが、昭和53年の地震の教訓は確実に生かされたようだ。ただ、地震のエネルギ-から比較すると、前回の宮城県沖地震の半分のようだ。報道しているような大きな地震が起きたといっている割には、被害が少なかったので納得がいく。特に川崎町の状況は、震度の割に被害がほとんど無かったので、報道各社からすると、拍子抜けしているのでは。 しかしながら、新幹線を中心とした交通機関が麻痺したことは、都市の脆弱ぶりを相変わらず露呈したようだ。お盆の帰省の方には、気の毒と言う他なく、一日損をしたと思ってほしいくらいだ。ただ、人命を考えると、交通機関の点検に時間が掛かるのは、止むを得ないことだと思う。 間抜けなのは、8月オ-プンしたばかりの泉区にあるプ-ルの天井が落ちてしまい、数人が怪我をしてしまったことだ。仙台市が自慢している近代的なゴミ焼却施設の隣にある焼却熱を利用することもできるプ-ルだ。このゴミ焼却施設は、最近度重なり故障続きで、もともと周辺住民の建設反対があり、問題の施設である。そこで、またこんな事故である。一般家庭がなんでもなかったのに、近代的で、地震対策も万全なはずの施設がこんなことになってしまった。全く何かに取り付かれていると、いわざるを得ない。 ところで、私は、地震の最中、家内と一緒に日帰り温泉のため、山形県天童温泉に向かっていた。温泉地についた途端に地震となった。しかも、車の中のため、恥ずかしながら、判らなかった。一回目の地震が震度1とのラジオからの緊急ニュ-スがあり、その後だいぶたってからの大きな地震だったようで、走行中のため実感が無かった。ラジオ報道からすると宮城県沖地震とのことで、昭和53年の記憶がよぎり、子供たちに携帯電話をしたが繋がらなく、イラついた。妻の発案で、電話ボックスから連絡をとってみることにした。天童駅まで戻った。それが偶然にもうまく連絡を取れることができ、無事の確認が取れた。温泉に入っている場合ではないと、妻は少し動揺していたが、道路の情報がわかるまで、様子をみることを説得し、まず、温泉にゆっくり入ることにした。温泉に入りながら、テレビからの道路情報を知り、帰り道の確保を確認した途端、ゆっくり決め込んでしまい土産屋に行ったり、「冷やしラ-メン」を食べたりゆっくりしてしまった。 帰り道は、「震度6弱の川崎町」を経由してみることにした。川崎町は、瓦などが壊れたり、土砂崩れなども発生がまったく無く、道端で草取りをしている老人がいる始末である。仙台までは、高速道路を利用する選択もあったが、万が一の渋滞を避けるため、高速道路の笹谷トンネルを経由しながら、一般道路の名取川源流の山間沿いを通ることにした。 我が家の様子は、こけしが倒れていたくらいで、パソコン周りに置いておいたCDの散乱も無く、ホットした。また、両親にも連絡が取れ無事の確認が取れた。ただ、心配であったのは、遊びに行っていて、途切れ途切れにしか連絡の取れなかった娘のことである。帰りの足の確保がとれず、地下鉄を利用し、途中駅から徒歩で帰ってくると夕方連絡がようやくあり、妻は「危機管理」が全く無いと憤慨していた。娘は、以外に冷静で、こちらが心配して損をしたくらいであった。とにかく、何もかも無地でよかった。これで、25年周期の宮城県沖地震のエネルギ-が開放されたのであれば、もっと良いのだが。Designed by Kinako
2005.08.16
コメント(5)

フロントガ-デンを目指して、その1 今日も山形市に行った。仙台より4℃くらいは気温が高く、歩いているだけで、汗が流れてくる。夕方近く、急に激しいスコ-ル。全身びしょ濡れとなってしまった。車の中を暖房にし服を乾かすありさま。サウナの中にいるようであった。全くついていない。 毎日、日記を更新するのが難しく、せっかくの写真を撮っていたのが、季節はずれになってしまいそうだ。そこで、少し苦労して作り上げた「フロントガ-デン」について書き残しておく事にした。まず、止むを得ない庭の成り立ちから現在、庭の配置はこの絵の状態だ。絵の右側にあたる東側は、食料品の店舗で、駐車場となっている。店舗のできる前は、田んぼで夏の夜は涼しく、蛙の鳴き声がうるさいくらいであった。境界沿いには高さ90cmのメッシュフェンスがあるくらいで、人の目が遠いため、目隠しがいらなかった。ところが、田んぼから駐車場になってからは、一転してしまった。駐車するお客さんから、家が丸見え、洗濯物を乾す事も間々ならない。どうしても目隠しが必要になってしまった。その対策として、生垣を考えたが、生育に時間が掛かりすぎるため、取りやめにした。丁度ガ-デニングブ-ムの中で、ラテスが出回っていた。高さ1.8メ-トル、幅0.9メ-トルのものを4枚買い求め境界沿いに並べた。高い壁が出来て、隠してみましたと言わんばかりの状態になってしまい、どうも気に食わない。幸い冬に入り、窓を開けることや、洗濯物を乾すことも無いため、目隠し計画をする時間が取れた。図面を書く事は仕事柄何ともしなかった。しかしながら、春まではなんとか完成しなくてはならず、プレッシャ-があった。庭に出てはラテスを色々な場所に置いてみたり、測量をしたりして図面を書いては、修正する日々が続いた。この続きは次にDesigned by Kinako
2005.08.03
コメント(4)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


