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2012年05月14日
母の日その2
まゆみさんの娘が幼稚園だった頃、
押入れに乗っては飛び降りるということが面白かったらしく
いつも押し入れに乗っては飛び降りていました。
築40年にもなるボロアパートの2階に住んでいましたから
「やめなさい、下のおばちゃんに迷惑がかかる」
と、何度言ってもやめませんでした。
ある日幼稚園にお迎えに行こうとすると
下のおばちゃんに「Mちゃんが毎日どんどんやるから
うるさくてかなわない!」
と言われました。
心に怒りがこみ上げてきて
幼稚園について娘の顔をみるなり
「あなたが毎日毎日やめなさいって何べん言ってもやめないから
今日下のおばちゃんが怒っていたんだよ!
あんなに毎日毎日言ってるのに
どうしてそんなに言うこと聞かないの!」
と、娘を怒鳴り散らしました。
娘は私がお迎えに行くと
「お母さんお母さんこれ!」
と、どんぐりで作ったペンダントと、腕輪と、指輪を
私につけてくれていました。
娘はお母さんの喜ぶ顔が見たくて
お迎えを心待ちにしていたのです。
娘は私を喜ばせたくて首にペンダントを
腕に腕輪を、指に指輪をつけてくれてから
うわあーーーっと泣きながら走って行きました。
あ!明日は母の日だ!
私の喜ぶ顔を思い浮かべながら一生懸命作ってくれたのに
私は何も知らずに
顔を見るなり怒鳴り散らしてしまった。
胸が痛くて、「ごめんね、ごめんね」と言いながら
追いかけて抱きしめましたが
娘はただただ泣きながら
私の腕を振り解こうとしていました。
それ以来、毎年母の日が来ると
思い出して胸が痛くなりました。
これが最悪だった母の日
去年の母の日には
娘は「母賛歌」という歌をプレゼントしてくれました。
娘と私のことをまったくそのまま歌にしたような歌でした。
あれは昭和59年私が生まれた故郷は3月の春を運ぼうと
していたときだった。
父はいませんが何故だか笑って暮らせていた・・・
そういう出だしの歌でした。
娘は「お母さん私はお母さんの子供に生まれて幸せや。
お母さん私を産んでくれてありがとうな」
毎日のように電話がかかってきて
そう話していました。
最高だった母の日でした。
それからひと月後娘は
肉体をつけていれば不自由だといって
肉体を脱ぎ捨てて私のところへ帰って来ました。
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