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2017年02月05日

イスラエル キブツ 午後の一時

確かシナイ半島チャリ旅の前日
キブツの生活は朝が早いが14:00頃には労働終了.。 その後は夕飯迄時間は自由、いや次の日の朝の仕事開始時間まで自由。 だからキブツのプールやジムで鍛えたり、みんな何処かの部屋で集まって喋ったりビールやアラク飲んだりと若いボランティア達には毎日がパーティーの様。

夕食の後もこれと言ってやること無い。若いから次の日に備えて早く寝る等という不届き者は居ない。マドンというサロンみたいな場所でビデオ見たり、夏ならキャンプファイヤー。火囲んで酒飲んで歌歌う。誰かがギター弾いて始まる。決まってストーンズやU2。その頃流行ってた歌。勿論87年の時点でストーンズは古いが格が違って誰もが知っている音楽だ。 



一般に胃に良いとかで食前に飲むが原液はとにかく強い、 トルコ人は食事の時グラスになみなみ入れてロックで飲む。

このアラクは安いし強く直ぐ酔うから皆面白がって飲んでいました。 若ければ二日酔いも大した事無いし、初めて飲んだときは歯磨き粉飲んでる感覚だったが又これが癖になる。 現在東京でもギリシャレストランやトルコ料理行くと好んで飲みます。 

写真は南アフリカの女性2人 ベルギーの女性男性の兄妹 オランダ人男性1人に自分 住んでたのは我々男3人。今は皆どうしているのか?

このキブツはゲシャと言う名前。今はfacebookのお陰でfacebook friends of kibbutz Gesherのページが有り数人は繋がっている。写真前列右側の女性Rachelleは今も其処のキブツに残り生活している。キブツのメンバーと結婚して自身もメンバーに。因みにキブツメンバーをヘブライ語でキブツニックと呼ぶ。
キブツの生活今この時点の30年前。皆年とった。今も全てを昨日の事の様に思い出すのだが。
旅に出よう。ココに格安航空券のサイト3個紹介します。見比べて下さい。
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2017年02月04日

ユダヤの祭りプリム  1987年春 イスラエル ティベリア湖付近キブツ ゲシャ

ユダヤの祭りプリム
キブツのダイニングホールの冷蔵庫前。
 プリムはキブツのメンバーの若者達や色々な国から集まったボランティア達みんな思い思いの衣装を着て楽しむ。 フランスからのボランティアのマリと、彼女がこの写真を先に戻ったフランスから送ってくれた Merci Marie! 少し年上だがタフな女性で後に我々とシナイ半島チャリの旅にも参加。 
当時のキブツに日本人等居ない、私としては英語 フランス語とかなり磨かれたと思う。 たとえばパリやロンドンで語学学校に行けば色々な国の所謂外国人の生徒しか居ない。 その外国人同士で大したレベルで無い下手なフランス語や英語で会話する事になる。 初めはそれでも良い。 若いときに日本離れ様々な国から来た色々な人種のいるクラスで一緒に勉強するのは刺激があるし楽しい。 
日本にずっと居て何もしないよりはよっぽど良い素晴らしい経験や思い出になるし後の人生で必ずプラスにもなるが、新しく言葉をマスターしたければそれでは惨め。 やはり現地の人々の交流が大切になる。 
皆もそうだと思うが日本に居る外国人の方々とあまり交流しないでしょう。 毎日の生活に追われてそれどころでは無いはずです。 彼等もそうなのです、日本程では無いかもしれませんが、普通の人は忙しい中わざわざ時間作って外国人の友達作ろうとはしません。 外国人に興味持ってる人は何処の国にも居るでしょうが、言葉マスターするには何処にでも居るその国の普通の人アベレージな人が最適。 外国人にこれと言って興味無い普通の街の人に自分の言ってる事を理解させ、自分もその人達の言ってる事理解する、その街の一部になるがさりげなさが大事です。
 外国人に興味有る人は外国人の発音に慣れてるしおそらくゆっくり話してくれる。
 大体ヨーロッパやアメリカ大陸の国々では全く違う人種の人達が普通にその国の同じ言葉話して一緒に働いて生活しているから、いちいち姿形が違う人間が外国人か自国の人間が気にしてません。 別に冷たいわけではないのです。 
学校は語学勉強が目的なら3ヶ月かな? 後は慣れ。 キブツとか色々な言葉に溢れている所はその後実践に。
とりあえず海外に出よう。ここに格安航空券を予約出来るサイト3つ紹介します。見比べてみて下さい。
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posted by finman at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | キブツ

2017年01月31日

イスラエル エラットそしてシナイ半島

ヤンとの別れ
エラットに到着、イスラエルの最後の街。紅海に面した小さなリゾートですがちゃんと空港もあります。飛行機の飛んでる下を自転車で走り街に入りました。

  ヨーロッパのリビエラ、コートダズ−ル、コスタブラバ、コスタブランカの様には垢抜けてませんが心ワクワクする明るい所。砂浜に沿ってホテルが有り、砂浜には淡水のシャワーも。砂漠地帯をずっとチャリンコ漕いで走って来た為か文明に戻った気分です。


 確か昼過ぎに着いてその日は休憩、4人で海辺のレストランで海鮮料理などを。海は最高に美しい、その後色々な海を見てますが紅海の美しさは違います。国境の向こう側もヨルダンが終わりサウジアラビアが始まります。

 夕方エジプト国境付近まで行き浜辺に寝床を確保。そして久振りの文明圏、私はムズムズして夜繰り出すしかありません。そうですみんなでバーにビールを飲みに行ったのです。

と言っても、みんな1週間位砂漠の自転車生活で酒は飲んでません。40度以上の気温の中毎日100キロ走行で身体は疲れてます。北のティべリアとかで5杯は軽く飲める大ジョッキーも2杯が限度、直ぐ眠くなりました。

でもバーには色々な国の旅人や冒険者、ジープで砂漠を走ってる人間など様々。

 我々は自転車にまたがり寝床へと。浜から少し奥に野宿したのでエジプト国境の有刺鉄線に沿って山側に自転車で上ります。真っ暗ですし、ほろ酔いで良く道も見えません。しかし夜の道を又全速で走っていた私は全力で自転車ごと有刺鉄線に突っ込みました。

勿論みんな心配して駆け寄って来ました。体半分エジプト側に入ってるのでエジプトの国境警備の人達も近づいて来ました。私は痛さでみんなに「お前等あっち行け、俺は大丈夫だ、ほっといてくれ。」と子供がスッ転んだ時みたいに叫んだのです。大きな笑いモンです。 

 翌日は国境越えてついにエジプトへ。イスラエルのネゲイブ砂漠もタフな砂漠ですが、気のせいかシナイ半島はもっとタフで完全鉱物世界。体に吹き付ける風は熱風、気温50度。砂漠の1本道両側は小高い丘、標識からヘブライ語は消えてアラブ語と英語。ジミーカーターの時代に彼が仲介でイスラエルが占領していた土地をエジプトに返したのでした。


シナイ半島に入る前にエラットで少しアラクやウオッカを買いました。それはシナイ半島では入手は困難な為、べドウイン達と物々交換が出来るからです。彼らは結構質の良いマリワナと交換してくれます。


もう時間は有りません、砂漠を走り抜けるだけです。べドウインの経営のヴィラにも泊まりました。そこにはべドウインと結婚してるのか、彼女なのか知りませんがドイツ人女がバーレストランを仕切っていて、かなり意地悪でした。

値段は1泊1エジプトポンド、かなり安めで久振り屋根の有る寝床。

ヴィラやレストランとか言っても日本の海の家をもっと小さくしてベニヤ板にワラの屋根の様な物で、床はやはり砂漠と同じく砂でその上に寝袋で寝ます。砂や砂利の上は結構寝心地はいい物です。

 シナイ半島に来てモーゼの十戒のシナイ山に登らぬのは勿体無い。時間が無いのでラファイエルがエジプト人の運転手と交渉して、バスの屋根にチャリを積み登山口まで。


自転車預けて荷物背負い歩きでシナイ山を頂上まで。そしてその日は山頂で野宿。勿論朝食のピタや牛乳を持って。山頂では気温はかなり下がり涼しく最高です。

下山は膝に負担の掛からぬ様にと。まだ長い道のりチャリ漕がなければなりません。預けておいたチャリに乗りシナイ半島最南端へ。


そこからヤンはルクソール、カイロ、アレキサンドリアなどに向かって1人旅、私達3人は又イスラエルの我が家キブツ・ゲシャーに引き返すのです。
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2016年11月29日

仏語  短縮 フランス語単語の短縮

覚えた方が便利 会話では良く使います。
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何処の国の言葉でもあるでしょう。
確かに昔からありました。
上の絵には本来の単語と短縮形が書いてあります。
見てなるほどと思うのと全く想像つかないの有ります。
時代と地方によっても違いますが基本をしっかり学んでから使いましょう。
80年代はメールもネットもWhatsappも何もありません。
手紙は書いてもEmailやSNSみたいに頻繁には書きませんので,
そんなには書かなかったが口頭で言いました。
仲間同士で言う言葉でした。
オンライン学校に海外格安航空券予約サイトと世界最大の宿泊予約サイト
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便利なオンラインレッスン新しく覚えた単語は直ぐ使い自分の物にしましょう。
覚えたら直ぐ使う、忘れないコツです。
そして私も愛用するサイトで航空券とホテル予約して世界に。
このホテルの予約サイトは非常にありがたい。
ホテルに貼ってある値段よりかなり安い場合が多い。
このサイトはトラブルの多い宿は紹介しませんので安心安全

先ずは普通に学びましょう。
単語の短縮は友達との付き合いの中で自然と学んでいく物です。

自分の知り合いは10代後半でパリへ行った。高校終わって直ぐ。
Visa等勿論シカトで不法滞在不法労働を繰り返した。
当時Visa必要だったアメリカはウザいからヨーロッパへ。
その男には自分が犯罪を犯してる意識はコレぽっちも無かった。
当時そんな輩はヨーロッパ中一杯居たし物を盗んだり人殺ししてるのではないから。
そんな事繰り返して10年が過ぎた。
その間の不法労働中に何回も就労ビザを申請してもらえるチャンスは有った。
しかしすべて拒否した。Visa取ってもらい、そこのオーナーに飼われるのが嫌だった。
好きな時に何処でも行く。自由で居たかった。
働くときは真面目に一生懸命にやる。しかし奴隷になるのは絶対に嫌だった。
日本を飛び出したのも基本的に同じ様な理由。
10年過ごして違う事がしたくなった。ヨーロッパは飽きた。やる事無くなった。
だから東京に戻った。
東京に戻ってジャパンタイムズ買って仕事探した。
海外放浪生活で自信の有った外国語を使う仕事。
モデルの通訳とスケジュール管理の仕事を始めた。
2年経つ前にその会社は潰れてしまうが男は同じ仕事を自分で始めた。
英語やフランス語を使い水を得た魚。
会社はある時期まで成長し続けた。
しかし元々の放浪癖。15年が過ぎる前に又東京を飛び出してしまった。

せっかく違った世界を体験したく日本を飛び出した諸君。
5年10年海外で過ごして日本戻って企業に勤めて嬉しいか?
そんな事する為に海外に出たのかな?
海外に残りたいからその土地の日本企業に勤める、それで良いのか?
自分でやろう。
世界中で見てきたが海外の日本人駐在員はロクなの居ないぞ。










2016年10月15日

Rue Mazagran Paris 10区

rue mazagran.jpg

Paris10区。メトロBonne Nouvelle とStrasbourg St.Denisのあたり
?パリでも特に様々な人達が行きかう街。トルコ人が多いしトルコの店やレストランにパン屋も沢山。
それにクルド人、アラブ人、パキスタン人、インド人、ユダヤ人、アルメニア人そして中国人も。
勿論アフリカ人にフランス人も。ところでクルド人にしてもアラブ人達にしても国籍はフランスとか当たり前。
皆フランス人。それがパリの良い所。自分もその中に紛れ込める。
Sant Denis門の南側は有名な娼婦達が24時間立ち並ぶ通り。元々は生地の街。
フランスの地方から生地を買いに来たついでに遊んでいくのが娼婦街。
門を超えてSNCF東駅までの北側はガラッと変わる。
カフェや八百屋に肉屋、パン屋等立ち並び生活感に溢れている。昔に行ったイスタンブールを思い出させる町。
ここはトルコのパンは美味しいしケバブ(シュワラマ)などトルコ食品の宝庫。
通り自体そんなに清潔感が有る訳ではないが慣れれば気にならなくなる。
道は美味しそうな匂いでいっぱいだし。何処も安い。鍋屋等もある。
かつては良くこのあたりのトルコレストランで食事をして、気に入ってトルコに旅行に行った。
パリに来た当初はイラン人とアラブ人、トルコ人にアルメニア人の違いさえ解らなかった。
失礼な話だ。申し訳ないと反省。
モーリシャスのレストランにインドの床屋や食品店も自分の滞在したホテルの傍にあった。
夜には訳も無く人々(男達)が道に屯している。インド人達。
少し離れた所はアフリカ人の床屋と整髪料やジェル、エックステンション等売ってる店が沢山ある。
アフロヘアーには普通のジェルでは駄目なんだろう。髪切るのも違った技術が必要みたいだ。
中国料理屋も結構有る。嬉しい事だ。アジア全般の食材を扱った大き目な中国人経営のスーパーも。
中国語が通じるのも又嬉しいし、私、日本人が中国語で話しかけると喜んでくれた。
上の写真はMazagran通り。メトロBonne Nouvelleから出て大きなPTT(郵便局)の横の通り。
土曜の夜は酔っ払いで溢れる。朝方まで騒がしい。何かを喚き散らしているアホの居る。
この道を塒にしている乞食も数人。Parisでは普通の光景。
静かな高級住宅街は小さな物音とかでも周りが煩く言って来て息が詰まる。
次回Parisに住む事になったら迷わずココに住む。お勧めだ。コスモポリタン。
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2016年09月14日

内モンゴル 草原

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草原の豚



北京オリンピックの直ぐ後中国のモンゴル族の友達に招待され、当時は彼女だった今の女房と内モンゴルに向かった。  どうやって行ったかと言うと北京から4〜5時間かけてタクシーで行った。いやもっと長い時間乗ってたかもしれない。

草原は広く目的地付近に鉄道は無いが、知る人とぞ知る北京から同じ様な目的地に向かう黒いタクシー(?K?)と言う如何わしく便利な乗り物が有るんのだ。これもモンゴル族の友達が紹介してくれた。ただ1台の車を同じ目的地に向かう人々で北京からシェアーして向かうのだ。



普通のセダン車。名前のごとく何故か黒。一般的に狭くはないが北京を含む中国北方の人達漢民族、満州族)はデカい。モンゴル族もかなりデカい。だから車内はギュウギュウ。

 草原の町は独特でやはり心にジンジン来る。 砂漠や海辺の町にも似た様な感覚。

 北京語が話せなければ絶対ここには来れない。 知らない人同士車の旅。 あまりお互い喋らないにしても話通じなければかなり退屈に違いない。ギュウギュウだから寝るのも楽でない。

 みんなそれぞれ自分の目的地で降りていく。 途中で食事した時は誰だか同乗した漢民族の女性が親切に私と女房の分も払ってくれた。 私が外国人で嬉しかったのか?中国の北部はどちらかと言うと金銭的に大らかな感じ。中国をはじめアジア全体的によそ者の客人をもてなす習慣がある。日本は何故か白人的。飯食うにも自分だけで、こういう車内でも寝たふりとかで話さないだろう。



我々も目的地に着いてモンゴル族の女友達が、妹の彼氏を引き連れ迎えに来てくれた。

腹は満腹だが又直ぐレストランに連れて行かれた。

今度は回族の店。いわゆるハラル。動物を殺す前にちゃんとお祈りする。アルコール類の無し。全体的にイスラム教徒の店は清潔感がある。中国語では清真



回族は7世紀に商人、13世紀位に戦争の為ペルシャやアラブから来た人がそのまま中国に住み着いた子孫。

草原には羊羊羊羊。だがどう言うわけか豚が一匹つながれていた。 可愛い。



モンゴル人には豚肉食す習慣は無いから豚はリラックスしてるのか、直ぐ寄ってきた。 自分も肉食止め当時でも10年位経っていたから豚も私は危険でないとわかったのであろう。 豚は犬の様に頭の良い動物でありけして汚い馬鹿な動物ではない。 可愛い。

内モンゴルでは地名とかは北京語とモンゴル語で書かれている。 モンゴル語はアラブ語を縦に書いたような美しい字である 中国清朝の満州族もモンゴル文字を改良した似た様な文字を使っていた。 北京の紫禁城でも見る事が出来る。

 北京には今でもタフな文化が混ざり合いタフな人々が住んでいる。



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posted by finman at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 草原

2016年09月12日

Paris Belleville ピアフの町

belleville.jpg
撮影 笠井孝洋

Édith Piafの生まれた所

80年代はアラブ人街だった。
パリに住みだした頃はクスクスを良く食べていた。
もっと前は旧共産圏の東欧人。
80年代後半から中国人。
今ではパリ第二の中華街。
パリ13区の次。
中華料理を今では食べに行く人は多い。
中華をはじめアジア食材扱う店も多い。
ここぞ花の都。
移民の多い街。
移民が居てこそ大都会。
移民が居てこそ華の都、花の都。
ピアフはベルヴィル街72の路上で生まれたという伝説があるらしい。
あくまでも伝説。
ここにピアフが住んでいたと言う家もある。
彼女が死んだのはリビエラ。
パリ20区。
元々は郊外の村だったらしい。
ユダヤ人も意外と多い。
メトロ駅出て坂を上がる。
左にピアフの住んでた家が有る。
駅の周りも坂の上も今では中華街。美味しい中華料理店多い。
良い感じのカフェも沢山ある。急な坂道、休んで一杯ひっかけたい。
カフェに様々な人種が居る。
様々な人種に出会える。
これでこそParis。
ビビッて行かない日本人多い。ダサい。
初めてベルビル行った時速攻でこの雰囲気に惹かれた。
直ぐベルビルを好きになった。
気取ったパリは嘘。ダサい。
田舎者が集まって盛り上がってるだけ。
気取ってなく自然体なパリ。
肝っ玉母さんみたいに太って声のデカい女達。
ピアフの曲が良く合う町。
特に明るめの曲が良く似合う。
深い。
行って確かめて下さい。


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2016年09月04日

パリ 王達

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学校の勉強だけでなく、これからの自分の可能性をぜひのばして下さい。

英語ならロンドン英語が好きとかニューヨークのが良い、又はやっぱり西海岸と色々な好みが有る事を頻繁に耳にします。

フランス語の場合な何故かブリュッセルのフランス語が好き、ジュネーブのが良いやケベックのやルクセンブルクのが好きとはあまり聞きません。

やはりパリなのでしょうね。

私はパリのマグレブ人達のフランス語が好きです。


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10代で行ったParis、又は20代、30代、40代そして50代とパリは違った顔を見せてくれます。

10代の時は面白くないパッとしないどうでも良い所。

20代は段々とパリを理解し出してレストランやバーに男と女と思う事だ有るが、まだピンと来ない。

退屈だが街が少しきれいだと感じる。自由な雰囲気も分かる。様々な人種の友達も出来てコスモポリタンな所。

30代はパリに追いついてきた。フランスやフランス人、フランス文化を全部否定してもパリは好きになれる街。

40代はパリはマブダチ。いい加減さも丁度良い。

50代ならパリがリスペクトしてくれる。基本的に30代で感じた事がベース。

皆様も行って感じてみて下さい。















2016年09月03日

ジプシー

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気を付けて下さい

とにかく汚い。
ヨーロッパの街で旅行者から物を盗む最低な連中。不潔。
ローマやパリ、マドリード、バルセロナその他全ての観光地、旅行者の多い所には必ず居る。醜い。
UKではあまり見かけない。
女が数人で新聞紙や段ボール等広げ旅行者を囲み小さい子供ジプシーが金や貴重品を盗む。
又はデカい男が数人壁になり一人の旅行者を孤立させ小さいのがカバンを開け貴重品を抜き取る。
奴等の職業は泥棒、原始的な泥棒。
フラメンコもスペインのアンダルシアに住み着いたジプシーの音楽や踊り。
フラメンコの連中はみすぼらしい格好で街で旅行者から物取りはしない。
ジプシーキングスやジプシージョーも関係ない。
ヨーロッパの主要な都市の列車の駅にも居る。みすぼらしい物乞い。
汚らしい乞食。
国籍は有るのか分からない。教育も受けない。
私もこの前パリのシャンゼリゼで二日酔いの油断からジプシーのガキにカバンを危うく開けられそうになった。
バルセロナのオリンピックやったモンジュイックの丘の裏にかつて異様な地域があった。私は好奇心にかられ歩いてみた。
全てが異様で汚い。昼なのに暗い。雰囲気がバルセロナではない。
後からスペインの友達に聞いたらそこはジプシー居住区。
昼間は工場なので働いてるまともな輩もいるらしい。後の連中は街に盗みに出てるためか人は見かけなかった。
その後スペインの仲間達にその地域には「2度と近づくな」と言われた。
そんなところに1人で入れば何をされるか分からないとの事。
汚い泥棒乞食で比較的暴力のイメージは無いジプシーだがやはり危ない。
奴等は車に住んでいる。動く車も有るが動かない車を改良して棲家に。
ヨーロッパの国々の政府が低賃金労働者用の住居与えても部屋の中で焚火したり出鱈目。
昔インドで迫害されたかで西に向かったのがジプシーらしい。
奴等は人間でない、人間扱いされないのは自分達のせいだ。ナチにも迫害された。 しかしそれに対して大した反論は無かった。当たり前だ。盗人。
生産活動は無い。奴らの名誉の為に付け加えるが東ヨーロッパの国ではちゃんと教育を受けて真面目に働いて立派な人物に成った輩の居るらしい。
ジプシーに対して感傷的、肯定的な意見を言う奴はヨーロッパで奴等を目にして欲しい。物や金、又はパスポートを盗まれて欲しい。汚く酷く醜い連中。はっきり言って奴等はカスである。皆さん旅行ではジプシーには気を付けて。
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2016年08月31日

パリ サンラザール レストラン



当時パリでバイトしていたSNCFサンラザール駅近くの日本食と焼き肉の店T。   

この店には色々な思いがある、。 

ココだけの話だが、誰でも雇ってもらえたのでインド帰り、アフリカ帰り南米帰りやイスラエルのキブツに居たとかとんでもない輩の吹きだまりで、異様な世界だった。 

アフリカとか何処かで長く遊んだりして、金が無くなったバックパッカーが3ヶ月とか半年働いて、適当に金貯め又何処かに流れて行くのだ。それとパリ滞在の絵描きや料理人とか、又何故かパリに居るんだか分からない様な奴等と個性の塊以外何者でもない奴等ばかり。 

だから旅行の様々な情報は溢れていたしみんなの話はとても興味深かった。 変な奴等ばかりなので毎日誰かしら殴り合っていた。 

それでもみんな仕事帰りは決まって傍のカフェや時にはコンコルドサンラザールホテルのバーで深酒。 翌朝は毎回二日酔いで出勤しても、若いから労働してる内に酒抜けて、又夜は深酒の繰り返し。

 私は20歳〜24歳迄3回働いて、最後はイタリアのナポリに向かった。 3回働いたというのは途中2回辞めてるからである。 店のマスターも私がもし4回目行っても、絶対雇ってくれなかっただろう。

 そんな素敵なレストランはもう閉まってる。 今はSNSとかのお陰で日本に戻ってる当時の仲間と又繋がって再会して飲んだり、又仲間の1人で当時リーダー格だった男性Sが神戸の朝霧でフランス料理マルコポーロを経営してるのでそこで集まる事もある。

マルコポーロの写真 橋で食べるフランス料理。酒好きなオーナーシェフだが繊細な味。

当時、80年代働いてたレストランTの今と

当時パリでバイトしていたSNCFサンラザール駅近くの日本食と焼き肉の店T。   

この店には色々な思いがある、。 

ココだけの話だが、誰でも雇ってもらえたのでインド帰り、アフリカ帰り南米帰りやイスラエルのキブツに居たとかとんでもない輩の吹きだまりで、異様な世界だった。 

アフリカとか何処かで長く遊んだりして、金が無くなったバックパッカーが3ヶ月とか半年働いて、適当に金貯め又何処かに流れて行くのだ。それとパリ滞在の絵描きや料理人とか、又何故かパリに居るんだか分からない様な奴等と個性の塊以外何者でもない奴等ばかり。 

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 私は20歳〜24歳迄3回働いて、最後はイタリアのナポリに向かった。 3回働いたというのは途中2回辞めてるからである。 店のマスターも私がもし4回目行っても、絶対雇ってくれなかっただろう。

 そんな素敵なレストランはもう閉まってる。 今はSNSとかのお陰で日本に戻ってる当時の仲間と又繋がって再会して飲んだり、又仲間の1人で当時リーダー格だった男性Sが神戸の朝霧でフランス料理マルコポーロを経営してるのでそこで集まる事もある。


当時、80年代働いてたレストランTの今とマルコポーロの写真 橋で食べるフランス料理。酒好きなオーナーシェフだが繊細な味。


今回パリで訪れたそのレストランの今。名前も経営者も変わった。

誰がやってるかは分からない。焼肉屋でもない。

今ではパリやバルセロナの日本食店は中国人経営。90%位。

管理人のおばさんに会った。昔のまんま。口煩い。

仕事の後、夜に良く飲んでた店もほとんど無い。

でも駅の周りは相変わらず。

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高校の直ぐ後日本脱出。ヨーロッパ中心に放浪10年。帰国後外国語(英語、フランス語)を仕事の会社設立。13年後再び北京へ気功修業。6年滞在。会社は今も原宿に存在。
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