何が悲しくて、哀愁漂う店員を演じているのか。
夜中の3時に来るお客さまには、大変シュールなおきゃくさまが多いです。
当初は、煙たい存在であり、とっとと会計済まして、さよーならーと思っておりましたが、
最近は、来るものは拒まず、別に暴力を振るうわけでもありませんから、稀にありますが、大らかな目で、うけいれようと、多少の奇怪な行動、言動にも、優しい眼差しを差し上げようと心に決めたのでした。
このお方は、私が店外にゴミ捨て場に放り込み行くと、必ずうん子座りをして、ゴミ漁りをして、
酎ハイをかっ食らっている、60歳前後のおじさんなのでした。特段珍しい事でもないので、私は、今晩にゃーとか言って、適当にあしらって、3カ月前後した時、このおじさんが、いつも晴れの日(夜中)にだけ来店している、定期性があるのにキズイタのでした。
聞けば、月夜に月を眺めながら、(ここまではヨシ)。
月に届くミサイルを個人的に作れないか 考えているとのこと(この段階で、特定外来危険客に認定)
私は、周囲の夜勤に、警戒ランクをフェーズランクを2にするように吹聴してまわり。
下町ロケット2号、とあだ名を命名したのでした。
下町ロケット2号は、我々、店員が警戒段階に入ったのを、何故か悟り。
自分が。怪しい人間ではない事をアピールする、怪しい行動を夜中に始めたのでした。
以下は、何処までが本当かわかりませんが、記憶の限りに書いて見ます。
自分は、つくば大学開学以来の物理学の秀才と呼ばれていて、ほぼ飛び級博士課程の24歳の時に
米国のコロンビア大学に客員待遇で向かい入れられた。
その後、フェアチャイルド社とゆう、武器開発会社に入社し、やがてスピンアウトして近所に開発部門を
だけに特化した会社を設立した。その会社には、ワシントンに支店があり、金髪の秘書が3名いた。
自宅には、当時の国防省長官からの感謝状が飾ってある。
ライスなんとか長官と握手している写真もある。
私が、疑いの目をむけると、翌日、本物?をわざわざ持参してきた。
その後、以下に自分が優秀で、周囲がどーしょもなかったかを語り。
フェアチャイルド社(調べて実在していた)が倒産してしまったので、日本に帰った。
2年かけて、個人的に設計したミサイルを防衛省に売り込んだが、
全く相手にされず(それはそうだと思うわ)。
コーして、コンビニのオッサンに、頼み込んで、廃棄弁当のご相伴に預かりたいとお願いしている。
お礼に、自分で設計した、ぺけぺけの設計図データをあげるから、3Dプリンターで作れば大変な事になる。
とまあーこんな感じだったのです。
貴殿は、この話、全部出鱈目委員長だと思いますか?。
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