ポルトガル人は、それまでアフリカなどで奴隷貿易を営んできましたが、 15世紀にアジアに進出すると東洋貿易を独占し中国人を奴隷として買い込み、各地に売り飛ばす奴隷貿易を始めました。
日本においては1543年にポルトガル人が初めて種子島に漂着し鉄砲をもたらしましたが、その数年後から早くも日本人を安く仕入れ、奴隷として海外へ売り飛ばす奴隷貿易が始まりました。
その結果十六世紀の後半には、ポルトガル本国やアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンにまでも日本人奴隷は売られるようになり、天正10年(1582年)に ローマに派遣された有名な天正遣欧少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の境遇に置かれている事実を目撃して、驚愕しましたが、その会話が記録に残されています。
「我々の旅行の先々で、売られて奴隷の境遇に落ちた日本人を身近で見たときには、こんな安い値で小家畜か駄獣(牛や馬)の様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。」
「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へ、あんなに安い値で掠って行かれ売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」
1607年に南米 ペルーの リマ でおこなわれた人口調査によれば、当時の人口25,454人のうち、 日本人の奴隷として男九名と女十一名がいたことが分かっています。
1587年6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布しましたが、 その理由は ポルトガル人が キリスト教の布教を熱心におこない神の恵み、慈悲を説きながら、その一方で南蛮貿易において多数の日本人を安く仕入れ、奴隷として船に連行し、海外に売り飛ばす事実を知ったからでした。
http://sound.jp/sodaigomi/dorei/japan/nihon.htm
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