今月は更新が全くできませんでした。
年度末が近いせいか、嬉しい事ではありますが仕事が少々忙しくなってきているので気力が持たず、家に帰るとやる気スイッチがオフになってしまっています。
この状況は3月も続きそうです・・・
さて、今回のプリンス社報は1964年8月の通算142号です。
今回はロケット関連の記事がメインです。
プリンスは元々自動車以外にもロケット事業もやっていました。
これらは日産との合併後も長らく続けていましたが、残念ながらゴーン社長になってから売却されてしまいましたね。
それでは早速中身をどうぞ
今月号の表紙は2台のS50スカイラインです
場所は石廊崎エキゾチックガーデンとのこと。
今でもあるみたいですね。
次は表紙裏と目次のページです
青山通りが開通したという話ですが、オリンピックを境に道路事情だけではなく都内はずいぶんと様変わりしたようですね。
目次のページには伊藤伝兵衛氏への弔詞がつづられていますが、石橋氏とお付き合いの深い方だったようです。
このページからはプリンスのロケットに関する記事です。
興味のある方はじっくり読んでみると面白いと思いますよ。
こちらはいつもの自動車ジャーナルのページ
64年7月の四輪車生産実績を見るとグランドグロリアは133台の生産数だったことが分かります。
同月のクラウンエイトは360台、セドリックスペシャルは230台なので、おおよそメーカーのシェアと同じような割合なのが面白いです。
次のページではプリンス自販本社ビル前に実物大のロケットを展示したという記事
中々にやることがぶっ飛んでますね(笑)
こちらは小金井の自動車運転試験場にグロリアスペシャルが納入されたという話
グロリアスペシャルはオーナードライバー向けに用意されたグレードともいわれていますが、こういった官庁や業務用に導入されることの方が多かったようです。
ここからはプリンスジャーナルのページ
最初は株主総会の話題と新型車の紹介です。
ここで新型のホーマーとスカイウェイ、そしてスペースフロー搭載のグロリアが発表されています。
他に価格改定で車両価格が値下げになったことも記載されています。
ホーマーについて詳しくは 以前の記事 をどうぞ
この時期は各社販売戦略として車両価格の値下げが続き、プリンスは懐事情的には苦しかったことと想像します。
トヨタ、日産に比べると量産効果の薄いプリンスは、本音としては他社に追随したくなかったでしょうね。
株主総会については軽くスルーしましたが、新任役員の中川専務は戦時中に中島飛行機で「誉」発動機の開発担当などをされた、その道では 超の付く有名人です。
次はプリンス海運に2隻目の自動車運搬船が進水したというニュースなど
オリンピックに向けたトレーニングの話なども載っていますね。
次のページには名神高速のサービスエリア内にサービスセンターがオープンというお話
当時は各メーカーが地域別にロードサービスを担当していたようで、この後も養老サービスセンターの開設も控えていると書かれています。
ほか、法大生へグロリア6ワゴンを提供したことや、芸能人が乗っているプリンス車の話など書かれていますね。
スリーファンキーズ・・・恥ずかしながら存じませんでした。
最後の裏表紙です。
世界の乗用車シリーズ、今回はホールデンです。
日本ではあまりなじみのないメーカーですが、オーストラリアでは当時トップシェアを誇っていた国内唯一のメーカーでした。
実質的にはアメリカのGM傘下のメーカーで、ホールデンオリジナル車種以外にもGMをはじめ他の海外メーカー製のクルマもオーストラリア仕様にして販売していたようです。
日本のメーカーともつながりがあり、かのマツダロードペーサーもベースはホールデンのプレミアというセダンにロータリーエンジンを搭載した車でした。
現在ではオリジナル車種の生産は終了してしまったようです。
今回は以上です。
ではまた
タグ: ラムダ3ロケット
【このカテゴリーの最新記事】
1960年代70年代80年代とそれぞれ好きな方がいらっしゃいます。
自分は個人的に一番好きなのは1960年代ですが、80年代なるとそれまでとは全く違うテイストにはなっていますね。
拒絶するほどではないですが、個人的な趣味としては範疇からは外れます。
しかし、趣味は人それぞれですから各々が好きなものを楽しめば良いのではないかと思っています。
ごめんなさい
多賀のサービスカーの画像は持ってないです。
名神高速のサービスカー塗装の6ワゴンの写真はどこかで見た記憶はあるのですが、それカラーではなかったです。
出て来たらまたどこかのタイミングで紹介できればと思います。
おはようございます
ロケット事業の売却は個人的にはとても勿体無い事をしたと思いますが、それくらい当時の日産は切羽詰まっていたと言うことだったのでしょうかね。
まだもし事業を継続していたならば、もしかするとポスト自動車たり得たのかもしれないなんて勝手に想像してしまいます。
黄金井の試験場、確かに未舗装に見えますね。
直接は関係ないですが、この少し前の時代だと二輪車などは持込みで試験していたらしいですよ。
ホールデンはあまり名前だけ聞くと馴染みがないですが、日本のメーカーでも取り扱いがあったみたいですね。
プリンス社報今号はロケットの記事満載ですね。プリンスから日産に引き継がれたロケット事業ですが自動車でのシェアではトヨタに負けても独自の部門や技術を持ってるという意味で日産ファンがいたと思います。
ゴーン社長になってあっさり売却してしまったのは残念です。
試験場の車当時は8ナンバーではなく普通に5ナンバーだったのですね。
未舗装なのは時代を感じます。
マツダロードペーサー懐かしいです。発売当時新聞広告を見て「まるで外車だ!」と思った記憶がありますが本当に外車でした(笑)。
いすゞもステーツマン・デ・ビルというホールデン製の車を発売していたようですが見たことはありません。