さて久しぶりの更新ですが、今回は高校の修学旅行の思い出を書いてみようと思います。
思い出と言ってもメインは乗り物についてです。
細かいところは既に記憶のかなたに行ってしまっているので、一番記憶に残っている上野から黒部ダムまでの部分をメインに書いてみます。
私の高校での修学旅行は2年生の秋、昭和62年の10月に長野〜富山〜福井〜石川県を横断するルートでした。
この頃の自分は、修学旅行と言えば九州!と思っていましたので、事前のルート選考のプランを見て怒り心頭でした。
そこには九州はおろか第二希望の広島すらなく、何とも微妙なところばかり・・・
あまりにも納得がいかなかったので、プラン選択の用紙に勝手に九州と書いて提出した覚えがあります。
(広島が無かったのは前年に行ったばかりだったからのようでしたが)
・・・まあ、そんなことをしても結果が変わるはずもなく、この年の行き先は上記のルートになったわけです。
そして月日は流れ、旅行の日を迎えます。
当日の集合場所はどこだったのか?
記憶に残っておらずどうやって移動したのか忘れていますが、まずは上野から特急あさまに乗車して長野まで移動しました。
何時の出発だったのかなんてことは全く覚えておらず、明るいうちに長野についたことしか記憶ありません。
いくつか当時の写真を晒します。
写真は当時一眼レフで撮影したものをプリントして保管していたものをスキャンした為、汚れや変色がありますがご勘弁のほどを。
これは横川駅での撮影
駅のホームから横川機関区が見えているのですが、望遠レンズを持っていなかったのでこれが限界でした。
あさまは乗って来た列車のはず・・・
こちらは車内から見えたEF63
ガラスが反射して見難いです。
機関車を連結するためしばらく停車している間にホームの端まで行って機関区の撮影をしたみたいですが、出発するとその機関区の横を通過して行く為、そのタイミングで改めて撮影していました。
車内から慌てて撮った写真。
ガラス越しの為、反射とピンボケで何とも中途半端な写真です。
この右横に茶色塗装のEF63が居ます。(最初の写真に小さく写ってます)
この頃茶色塗装だったEF63は恐らくEF63 1だけだったのでは?
横を通過しているんですが機番までは記憶にないんですよね。
そしてこちらは多分軽井沢駅での撮影だと思われる写真
自分が乗って来たあさまなのか?それとも別の上り列車なのかこれも全く記憶にないんですが、わざわざ別のホームまで行って撮影する時間があったのか?見事に覚えていません。
EF63の連結部分のアップも機番が見切れているので何号機か分かりませんが、テールランプの形状から1次形と言う事だけは分かります。
こういったところがセンスないんですよ。
この車中、同級生たちは横川で釜めしを買ったりして楽しんでいましたが、こちらは撮影に夢中でそれどころではありませんでした・・・
そして長野に到着。
そこからはバスに乗り換えどこに行ったのか?
松本城などに行った記憶が無いのでたぶん行ってないのでしょう。
そして当日の宿は、山の中にある牧場近くの温泉旅館(ロッジというか山荘と言うべきか)に宿泊しました。
何故かここではリンゴジャム作りなどを体験して、夜はキャンプファイヤーを囲んで談笑した覚えがあります。
一泊だったのか。それ共二泊だったのか?全然覚えていません。
そしてその後は富山県へ。
ここのメインイベントは黒部ダム見学でした。
そして個人的に一番記憶に残っているのはトロリーバスに乗車できたことです。
今は電気バスになってしまいましたが当時はまだ初代のトロリーバスが走っており、扇沢から黒部ダム間6.1キロを乗車しました。
この区間はほぼトンネル内の走行と言うことでトロリーバスが導入されたようです。
乗車したのは初代の100形だったようで、当時は他に200形もあったようですが1970年代半ばから80年代初頭の改修後には殆ど見分けが付かない外観になったみたいです。
ただ写真を見ると116と120という車番が確認できるので、自分が乗ったのは間違いなく100形と言うことになります。
1枚目のドア前に立っているのは担任だったH先生。
自分たちのクラスは一番後ろの120号に乗車してました。
多分トロリーバスの始発である扇沢までは観光バスで来たように記憶しています。
そして今回の旅行で最大のイベントだった黒部ダムの勇姿
とにかくデカかった覚えしかありません。
結構感動した覚えがあるので、いずれまた再訪したいと思っています。
そしてこの後黒部湖からはケーブルカーに乗り黒部平まで移動し、そこから今度はロープウェイで大観峰まで登り、最終的に大観峰から立山トンネルをバスで室堂まで移動しました。
(黒部ダムから黒部湖まではどうやって移動したのだろう?ダムの見学ルートを歩くと行けるのかなど、全く記憶にございません)
このケーブルカーはいまだに開業時の物を使用中らしいです。
なんじゃこの写真は・・・
何故かロープウェイ本体が写っていない謎の写真ですが、実はここのロープウェイはワンスパンロープウェイと言って途中に支柱が一本もない特殊な作りになっています。
今では日本唯一のトロリーバス営業区間である立山トンネルトロリーバスですが、自分が修学旅行で行った当時はまだ普通のディーゼルバスでの運行でした。
富士重製車体ですかね?
ここも残念ながら2024年いっぱいでトロリーバスの営業は終了して、黒部ルートと同じ電気バスへ転換されてしまうそうですね。
この辺りの位置関係が気になる方はこちらのサイトをご覧ください→ 立山黒部アルペンルート
この後徒歩で山道を長々と歩かされ、最終的に下界と隔離された山小屋のような所に宿泊することとなります。
そこは水も貴重な所で、トイレは穴だけ別々ですが下は一本の水路で繋がっており、汚い話上流の個室で誰かが用を足したら下流の個室で用を足していた場合、それが流れてくるのが否応が無しに見えてしまう作りでした。
自動販売機に入っているジュースやカップラーメンの価格も山値段で、ふもとの値段のほぼ倍でした。
何故か自販機の中のスプライトの缶が昔の物で、ちょっと期待して高いのを我慢して買ってみましたがやっぱり普通のやつが出てきてガッカリしたのを思い出しました。
・・・憶測ですが、当時何故こんな辺鄙なところに宿を取ったのか?
ウチの高校はあまりガラの良い学校ではなかったので、恐らく余計なトラブルを避ける意図があったのでは?と邪推しています。
長野の山奥の宿も然り、人里離れたところばかりに宿泊させられていたのであながち間違ってもいないような気がします。
そして最後は金沢市内の散策や福井県の東尋坊を見学(どっちが先だったか既に記憶にありません)したりした後、バスで名古屋まで移動して新幹線で新横浜まで帰り、そこでお開きとなりました。
恐らく名古屋駅で撮影した0系新幹線。
しかし、帰りに乗ったのは100系新幹線でした。
写真を撮影できなかったのでしょう。
残っている写真は全て0系しかありませんでした。
帰りの100系では2階部分の食堂車に行ったのですが満席で入れず、仕方なく1階部分にあった売店で確か鉄火巻きを買って座席に戻って食べたように記憶してます。
最初で最後の100系乗車でしたので、できれば2階席の食堂で何か食べることが出来ていたなら・・・と今でも残念に思います。
結果として、今にして思えばとても充実した旅行だったなと思えますが、当時は行くまで結構不貞腐れていました。
しかし、今は無き信越線の横軽間を乗車出来たり、トロリーバスに乗れたのはこの旅行のお陰ですので感謝しないといけませんけどね。
以上、修学旅行の乗り物限定の思い出でした。
ではまた
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