どうにか更新を続けているプリンス社報シリーズですが、前回は一日遅れでの更新となってしまったので今月は何とか予定通り更新にこぎつけました。
さて今回は1964年11月の通算145号になります。
それでは早速表紙から・・・ 今回はクリッパーのロングボディーが表紙です。
表紙裏と1ページ目
別府阿蘇道路と社内体育大会の話題
次のページは目次と村山工場第二期工事の竣工式の記事です
村山工場の第二期工事がいよいよ完成に近づき、三鷹工場で生産されていたS50スカイラインの生産がほぼ村山工場に移ったという事が記事になっています。
この頃はまだスカイラインはデラックスのみなので、写真に写っているスカイラインは当然ですが全てデラックス(S50D)です。
この三鷹から村山へと生産拠点を移すという話は プリンス社報1964年の7月号 で記事となっています。
ここからは各自興味のあるページをお読みください・・・
この記事では台湾のプリンス車について書かれていますが、バスのボディが日本製ではなくて現地のメーカーで架装されたと書かれています。
しかもバス用シャシーではなく、クリッパーのシャシーにカタログで見たライトコーチのボディを作り載せてしまっているというのが凄いところ。
確かによく見ると本来のライトコーチに比べてずんぐりしているようです。
こちらのページでは一部改正された道路交通法について書かれていますが、読んでみると今では当たり前のことがこの頃はまだ法整備されていなかったのかと驚きを感じます。
次のページでは名神高速で活躍するサービスカーの話題
この記事によれば当時グロリア6ワゴン2台体制でロードサービスを行っていたんですね。
余談ですが、このグロリア6ワゴンはグリルの目が細かく見えるので割と初期のクルマのようです。
(凡そ400台前後までのクルマはグリルが細かいようです)
プリンスジャーナルのページ
山田五十鈴さんもグロリアにお乗りだったんですね〜
このページでは村山工場への通勤用として日野製のバス3台を導入したということが書かれています。
中扉仕様のようですが型式は何でしょう?
詳しくないのでわからないのですが、ボディは富士重工製ですね。
それにしてもなぜ日野なんでしょうか?
ふそうやいすゞじゃない理由がやっぱりあるのでしょうね。
最後はいつものように裏表紙です。
今回の世界の乗用車シリーズはトヨタのコロナです。
バリカンコロナなどと揶揄された3代目のRT40系は1964年の登場で、このモデルで遂に日産のブルーバードに販売台数で勝った記念すべき一台です。
ただ個人的には余り魅力を感じない一台でして、好きな方には申し訳ないのですがデザインが自分好みではないんですね。
同時期の410系ブルーバードもイマイチパッとしないのですが、こちらはスポーツグレードがあったのでまだコロナよりは興味がありました。(ルパンの銭ブルもありますし)
ただ、このRT40コロナの出来自体はかなりしっかりしていて、知人が一時期乗っていたトヨグライド仕様は2速にも関わらず、高速での100キロ巡行時でもS41グロリアより静かに感じる程でしたし余裕のある走りをしていました。
あと、給油口がリアナンバープレートの裏に隠れているのが面白かったですね。
トヨタの車って割とこういった遊びっぽいところがありますね。
観音クラウンのRS30系も給油口はテールライトの裏にあったりして、知らないとどこから給油するのか分からなくて困るようなところにわざわざ設定しているのはデザイナーの遊びなんでしょうか?
今回は以上です。
ではまた
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こんにちは
プリンス社報は改めて読み返すとまた色々と気になりますね。
プリンスと言うメーカーがもし残っていたら?と言うのは常に思うところですが、結局は独自路線では経営は難しくて何処かの傘下になってしまったのかな?なんて思ったりしちゃいます。
バスは日野ですかね。
確かに他のメーカーだと、ライバル企業になるのであり得る話です。
コンテッサは以前このブログでも取り上げましたが、デザインは良いですよね!
ただ、トヨタからすると生産コストがかかり過ぎると言うことで生産中止とさせられたようです。
それにしても毎日暑いです。
毎日大量に汗をかくのに体重が変わりません。
どうやら汗をかいた分炭酸の入った何かで補充してしまっているようです。
毎日暑いですね。職場の女の子に「今年は夏越せるかなあ」と言ったら「大丈夫です!去年もそう言ってましたから…」ですって。
最近プリンス社報を読み直しています。やはり今このメーカーが残っていたら…なんて思ってしまうのですね。一時期危ないと言われていた富士重工もレガシイの大ヒットで持ち直しました。今やスバルと社名も変わりバスボディや鉄道車両の生産から撤退するなど個人的には悲しい状況ですが会社が残っただけでも良かったと思っています。水平対向エンジンも健在ですし。
この通勤バスは富士重工R12型ボディで日野RB10型のリア—エンジン車だと思います。バリエーションで高出力やエアサス仕様もありますが場所や用途上必要ないと思われるので、当時日野はトヨタ傘下ではなく総合メーカーだった三菱やいすゞは避けた??日産の吸収前ですしね(勝手な想像です)。
ひとつ思うのは日野の乗用車コンテッサはトヨタ系列入りと同時に生産を中止されています。コストにシビアなトヨタが要らないと判断した結果なのでしょうが、当時のコロナやパブリカのダサいデザインと比べ物にならない美しいコンテッサの後継車があったら…なんて思ってしまいます。
ご無沙汰しております。
楽しんでいただけているようで嬉しい限りです。
所でその後あちらは進展ありましたか?
今回も楽しんで頂けたようで幸いです。
当時の社内報には部外者には中々知り得ないことがたくさん載っているので、今見るとかなり貴重な資料です。
また次回も楽しみにして下さい。
台湾で現地製車体を架装したプリンスライトコーチが存在したのも初めて存在を知りました。現存する可能性は皆無に近いと思いますが。t630プリンスクリッパー後期型ロングボディーはスタイリッシュでなかなか宜しいです。
王道年代のレトロ車宜しい感じがします。
以前問い合わせ頂いた時には、この号に載っていることを認識していなかったのですが、今回写真が載っているのを見つけてタグを付けておきました。
気付いていただけたようで良かったです。