いざ癪となるともうなんだか分からなくなってしまう
この女将さんが向島に梅見に行こうというので女中を二人つれまして
本町のお宅を後にしました。
向島へやってくると春先の原っぱを心良いものでした。
心持が良い者は人間だけでなく蛇も穴から出ましてこの女将さんの前を
スルスルっとよぎった。
これに驚いた女将さんは癪が発作し
うぅぅ・・・・
って言うとその場にうずくまってしまった。
お竹さん!大変だよ!!
女将さんが急な癪だよ、どうしよう!!
どうしようって言ったってお花さん
そんなこと言っても困るじゃないか!
うちの女将さんは他の人と違って癪の合薬がないと治らないですよ
困ったねぇ
あ、あの、やかんかい?
そうだよ
他の方はねマムシ指を押すと治るとか、
男の人のふんどしを巻き付けると治るとかいうけど、
うちの女将さんはやかんをぺろぺろとなめると治まるっというから
困ったねぇ、、こんな草原じゃねぇ・・・家も無いしねぇ・・・
あの、お花さんやかん持って来たんだろ?やかん
やかんなんか持ってきませんよ
梅見に行くって言うから瓢箪(ひょうたん)にお酒を入れて来たんだけど
瓢箪じゃ駄目かしら?
瓢箪じゃ色合いも違うし、大きさも違うし
あぁ女将さん可哀想・・・
苦しがってるよ
女将さん大丈夫ですか?
まぁどうしよう
やかんさえあれば
困っていると向こうからやってきたのは一人のお武家で御座います。
歳頃は四十二、三くらいで共の者を一人連れまして
よほど仲のいい主従と見えまして冗談を言いながら梅見に行ってきた帰りで御座いましょう
ちょ、ちょっとお花さん!
向こうからくるお武家をご覧なさい
なに、お侍様?
あっ!!ちょっとあのお侍様の頭!
よほどのぼせ症と見えて綺麗につるっとうまい具合に禿(ハゲ)ているのは良いけど
どっかで見たようなと思ったらあれはうちに置いてきたやかんにそっくり
色合いといい形と良いなんてよく似ているんでしょう
そうでしょ!!
あれがやかんだったらねぇ
頼んでなめさせてもらえるのに
だけどねぇお侍様だからそういう訳には
そういう訳にはってそういう生易しい者じゃないですよ
無礼物って言われますよ
だってさぁやかんはこの辺りには無いでしょ
あぁ女将さん可哀想、、
それじゃね無理とだと思いますがお花さん
あのお武家様におねがいしてきますから
お願いするってお竹さんの止めなさいって
無礼者っていってスッパっと命が
だってそうかもしれないけど
女将さんを可哀想よ、ほっとけないでしょ
だからね頼むだけ頼んでみるから
お花さんは女将さんの背中を擦って
お願いで御座います!お願いで御座います!!
お武家様ちょっとお待ちくださいまし!
御頼みごとが御座います!
あぁ可内(べくない)、可内
待て待てそう慌てて帰っても何があるわけでないし
ここにいずこかの夫人が参ってな
地べたに手をついてお願い、頼みごとがあるとこう申しておる
わしは夫人にものを頼まれると横を向いておられないたちでな
ちょっと待て
・
なんだな?
お武家様お願いで御座います。
どうぞ助けてください
お力を貸してください
なにお助け下さい、お力を貸してください?
その方、顔の色が変わっておるな!
読めた!かたき討ちに歩いているのであろう
そこでかたき討ちに出会ってとても敵いそうにないから身どもに助太刀をしてくれと言うのか
よし!分かった!
一刀流免許皆伝、そなたの助太刀をして見事本懐を!!
そうでは御座いません・・・
違うで御座いますかたえき討ちでは御座いません。
実は私は商家の奉公をしております今日は女将さんのお供として向島の原にやってマりました。
足を踏み入れた途端に・・・・
うん!
わしも損事については実に苦々しく思っておったんだ
ちょっと人がいないといけない奴らが表れてお前の主をさらっていったのか!
けしからん奴だなその男は!身どもがひっとらえて八つ裂きにしてくれるぞ!
どこ行ったその男は!
男の話じゃないんです
なに女か?
とんでもない女だな!
どこに行ったその女?
いや男でも女でもないんで御座います
なに?
男でも女でもない?
何者だそいつは???
そういった話ではないんです。
実はうちの女将様は大変な癪もちで御座いまして
目の前に蛇がするすると横切ったとたんに癪にとざされたので御座います。
あちらで苦しんでおります。
その女将さんを何とか助けたいと思ってお力を借りたい、、
おぉ!!そうか!
それは大変だな!
実はうちの妻も大変な癪もちでな
案ずることは無い!ここに印籠が在り癪に効く薬が入っておる
これも何かの縁だ。
癪に効く薬を分け与えてやるからこれで治せ
せっかくで御座いますがその薬では治らないので御座います。
なに?
この薬がいかさまだというのか?!
いえ、そうでは御座いませんが当たり前の薬では治らずに
実はうちの女将さんはやかんをなめるとピタリと治るので御座います。
しかしこの原中では人家も無くやかんが無くって困っておりますと
そこへ、、、旦那様がお通りになりました。
やかんをなめるとピタリと治まる?
おおぉ左様な事があるのかな
そこに身どもが通りかかったとそう申すのか
これ狼狽えるな。
身どもも共もやかんを携えてないぞ
いえ、それは分かっているのですが
実は・・・実は、その、うちに置いて参りましたそのやかんと、、、
お許しください!
ご勘弁ください!!
なんだ、なんだ
どうしたんだってんだ?
実はうちに置いて参りましたやかんと旦那様のおつむりが瓜二つなんで御座います。
お願いで御座います。
助けると思いひとなめ、なめさせて下さい!
・・・・なに!!!
やかんと!!!けしからん!!
そこになおれ!無礼打ちだ!!!
・・おい、可内何をそこでゲラゲラ笑って居る?
笑うのをやめろ、主人の頭がやかんとそっくりと言われ何が面白い?
そこに控えておれ、このたわけ者
無礼打ちだ!そこになおれ
左様で御座いますか
お聞き届けいただくか、あるいはお手打ちになるか二つに一つの覚悟をして参りました。
ひとなめ、なめさせて頂けないのであるならば
なに?それでは何か?
万が一にも手打ちにされることを覚悟できたのか?
・
可内何が可笑しい?
この者を見ろ、なんだお前は?
武家に奉公する身でありながら主人の頭をやかんに似ていると言われて笑って!
この者は手打ちを覚悟に自分の主人を思わんが為に命をさらけ出して助けようとする。
よし、相分かった。本来ならば何が何でも許せぬところであるがその方の主を思う心をもって少しだけなら・・・
どうぞこちらで御座います。
ちょっと!お花さん無理やりお願いしてね
ほんとの所、手打ちになるはずが、助け頂いた上に少しなめさせて下さると仰って
女将さん!
癪の合薬のやかんがおいでになりましたよ
あぁこれこれ!
なんだやかんがおいでになりましたって
どうすればいいんだ?
こうか?こうすればいいのか?
・・・可内、指をさして笑うな
良くあたりを見張っておけ、だれか来たら教えろよ
さぁさぁ早くせんか、人が来ないうちに
この女将さんもお侍の頭だって分かっていたらなめることは無かったんですが何しろ癪の苦しみからやかんだなってほのかに通じていきなり
ベロベロベロベロ!!!!
うわぁあぁぁあああ
なめるわ、なめるわ
これこれ抱え込んではいけない
動きが取れない、気色が悪い
早く致せ、まだか?まだか?
女将さん!女将さん!
治まりましたか?
はっ!竹と花、、、いたのか?
すみません
急な癪、やかんを持参するのを忘れておりまして相済みません
困り果てておりますとこちらのお武家様を通りまし無理を言っておつむりをなめさせて頂きました。
癪が治まったのでございます。
女将さんからも良くお礼を申し上げてください。
まぁ有難う御座います。
知らぬこととはいえご無礼は十重二十重(とえはたえ)に謝らせて頂きます。
いやいやいや
そのような事は無用だ、心配することは無い
余りにもそばにいるものが関心だったんでな
具合はもういいのか?
。。。。本当に治ったのか?そうか不思議な事もあるんだな
やかんをなめると治まるとは聞いたことが無かったなぁ
でもな、いいかくれぐれも申しておくがなこれから表に出るときは必ずやかんを持参するように。
そうでないと沿道の頭の薄い者は迷惑を致す。
よし、行け
重ねてお願いが御座います。
重ねてお願い?!
ここで頭のなめおきをするなら許さんぞ
いいえ、そうでは御座いません。
お屋敷を教えていただきたく存じます。
何?度々なめに来るつもりか?
いえ改めてお礼に伺いたく
ならん!黙れ!
頭をなめた礼に来られてたまるか!
妻子の者に面目が起たん
良いか?これは他に口外してはいかんぞ
分かったな?
行け、、いや待って待って!
これからどこかでばったりと会ったとしても、その時に礼を言ってはいかんぞ
会釈もいかん。何事もなかったかのように通り過ぎろよ
心して参れ
・
可内、何が可笑しい?
後に続け
しかし何と言う悪日だ
犬も歩けば棒に当たるとは言ったが侍が面を歩くと頭をなめられるとは
あの旦那様
なんだ
お戻りになりましたらお屋敷の表に看板をお出しくださいませ
「急な癪によく効く合薬のやかん頭あり」
これ!
その方までそのような事を申すな
しかし、、、本当に癪が治まったのか、
けど人を助けるのも悪くはないな
それにしてもあの女め、本当のやかんと思ってベロベロベロベロって
あぁ気色が悪い
なんだ頭がぬるぬるする個所と突っ張る所が・・・
あっおや?!
これは?!!
可内、ちょっと見てくれ
この月代(さかやき)の当たりヒリヒリと痛んでまいったが
何かなってないかよく見てくれ
あっ!!!!
旦那様大変で御座います。
ここに歯形が二枚並んでついております
なに!歯形が二枚!
どうだこの傷の具合は?!
どうぞご案じ召されるな
まだ漏るほどでは御座いません
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