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2016年03月24日
その魚を釣ると災いをもたらすと言う、世にも恐ろしい魚『山親爺』
まるで怪談のようなお話だが、その魚を釣ると災いをもたらすと言う,世にも恐ろしい魚がいることがこの本で書かれています。
高野建三さんの「旅と渓—釣りをめぐる話』と言う本。
この本に書かれている「山親爺(やまおやじ)」とは、イワナだとか、ヤマメだとか、アブラハヤ・・などという特定の魚を指すわけではない。
上あごが無くて、受け口で、鼻の上に目玉があって、人間の顔に見えるような奇形の魚だそうだ。
顔が変形しているので、エサを食べるのがとても下手だそうだ。
つまり、このような奇形の魚はイワナにも、アマゴにも、ヤマメにも、オショロコマにも、ゴキ・・にもいると言うこと。
どうしてこのような奇形の魚が生まれるのかと言う原因は定かではない!!
・釣り人によって小さい時に釣られて、上あごが無くなった
・公害で奇形となった
・突然変異
・・・というオーソドックスな考え方もあるが、これとて定かではない。
それはともかく、この「山親爺(やまおやじ)」は、随分昔から釣るとたたりがある!だとか、持ち帰って食べると家が火事になった!!だとか、言われているし、
釣ったらすぐに逃がせ!!だとか、人に見せてはいけない!!などと言われているんです。
高野建三さんはこの「山親爺(やまおやじ)」を、不幸なことに2度も釣ったらしい。
恐怖におののき、リリースしたらしいが、その後はどうなったことやら??
少なくとも私は、川釣りでも海釣りでもこのような魚は釣ったことがない。
釣りたい!とも思いませんけど・・・。^^;
高野建三さんの「旅と渓—釣りをめぐる話』と言う本。
この本に書かれている「山親爺(やまおやじ)」とは、イワナだとか、ヤマメだとか、アブラハヤ・・などという特定の魚を指すわけではない。
上あごが無くて、受け口で、鼻の上に目玉があって、人間の顔に見えるような奇形の魚だそうだ。
顔が変形しているので、エサを食べるのがとても下手だそうだ。
つまり、このような奇形の魚はイワナにも、アマゴにも、ヤマメにも、オショロコマにも、ゴキ・・にもいると言うこと。
どうしてこのような奇形の魚が生まれるのかと言う原因は定かではない!!
・釣り人によって小さい時に釣られて、上あごが無くなった
・公害で奇形となった
・突然変異
・・・というオーソドックスな考え方もあるが、これとて定かではない。
それはともかく、この「山親爺(やまおやじ)」は、随分昔から釣るとたたりがある!だとか、持ち帰って食べると家が火事になった!!だとか、言われているし、
釣ったらすぐに逃がせ!!だとか、人に見せてはいけない!!などと言われているんです。
高野建三さんはこの「山親爺(やまおやじ)」を、不幸なことに2度も釣ったらしい。
恐怖におののき、リリースしたらしいが、その後はどうなったことやら??
少なくとも私は、川釣りでも海釣りでもこのような魚は釣ったことがない。
釣りたい!とも思いませんけど・・・。^^;
2016年03月09日
アイザック ・ウォルトンの「釣魚大全」で知る釣りの哲学
世界中の釣り人を魅了し、「釣りの聖書」「釣りのバイブル」と言われるのが、アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」。
アイザックウォルトンはイギリスのエッセイ作家であり、この釣魚大全は1653年に初版が発刊されました。
それ以来現在に至るまで、何度も版が重ねられ、多くの国で翻訳されました。
私の敬愛する故開高健氏も「私の釣魚大全」と言うタイトルの本を書いているが、ここではその話はなし!!
アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」の内容は、「黙想する男の楽しみ」と言う副題がついていて、町に向かう街道で知り合った釣り師と旅人が、釣り談義をしたり、人生を語りあったりしつつ、しばらく道連れになるというお話。
釣り師がコイやマスやウナギなど、様々な魚の習性や釣り方を旅人に教えると言う形式で話は進む。
この内容から、1600年代半ばのイギリスの釣りの仕方が手に取るように理解出来る。
ただ単に当時の釣りの知識を伝えるだけではなく、このアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は趣味としての釣りの歴史を知る上でも興味深いのです。
旅人が釣り師に「世間では釣りは趣味のうちに数えられていない」と言う言葉を口にしていることで、1600年代半ばには、趣味としての釣りが確立されておらず、極めてマイナーな趣味だったことがうかがえる。
たぶん、釣りと言うと「職業としての漁労」と言うイメージしかなかったのではないでしょうか?
アイザック・ウォルトンは「釣りは教養人として相応しいスポーツである!!」ということを力説しているし、作品の中では釣り師の口を通じて、釣りの奥深さを語っています。
なので、釣りを趣味と思っていなかった旅人は、だんだんと釣りに魅了されていく。
1600年代半ば、マイナー扱いされていた釣りをこの「釣魚大全」で世間に認知させたかったかもしれない。
周知のように、日本でも庄内藩では武士の嗜みとして釣りが推奨されたし、大名釣りと言われたタナゴ釣りなどは実に趣がある釣りのひとつです。
アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」が江戸時代になにかしらの経緯で日本に伝わってきたのかもしれません。
まだ読んでない方は、一度読むことをおススメします。
アイザックウォルトンはイギリスのエッセイ作家であり、この釣魚大全は1653年に初版が発刊されました。
それ以来現在に至るまで、何度も版が重ねられ、多くの国で翻訳されました。
私の敬愛する故開高健氏も「私の釣魚大全」と言うタイトルの本を書いているが、ここではその話はなし!!
アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」の内容は、「黙想する男の楽しみ」と言う副題がついていて、町に向かう街道で知り合った釣り師と旅人が、釣り談義をしたり、人生を語りあったりしつつ、しばらく道連れになるというお話。
釣り師がコイやマスやウナギなど、様々な魚の習性や釣り方を旅人に教えると言う形式で話は進む。
この内容から、1600年代半ばのイギリスの釣りの仕方が手に取るように理解出来る。
ただ単に当時の釣りの知識を伝えるだけではなく、このアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は趣味としての釣りの歴史を知る上でも興味深いのです。
旅人が釣り師に「世間では釣りは趣味のうちに数えられていない」と言う言葉を口にしていることで、1600年代半ばには、趣味としての釣りが確立されておらず、極めてマイナーな趣味だったことがうかがえる。
たぶん、釣りと言うと「職業としての漁労」と言うイメージしかなかったのではないでしょうか?
アイザック・ウォルトンは「釣りは教養人として相応しいスポーツである!!」ということを力説しているし、作品の中では釣り師の口を通じて、釣りの奥深さを語っています。
なので、釣りを趣味と思っていなかった旅人は、だんだんと釣りに魅了されていく。
1600年代半ば、マイナー扱いされていた釣りをこの「釣魚大全」で世間に認知させたかったかもしれない。
周知のように、日本でも庄内藩では武士の嗜みとして釣りが推奨されたし、大名釣りと言われたタナゴ釣りなどは実に趣がある釣りのひとつです。
アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」が江戸時代になにかしらの経緯で日本に伝わってきたのかもしれません。
まだ読んでない方は、一度読むことをおススメします。
2016年03月07日
アーネスト・へミングウェイの「老人と海」の初版本の怪
釣りが好きな人なら多くの方が既に読んでいるはずのアーネスト・へミングウェイの「老人と海」。
英語で書かれた本もあるし、格調高い単行本もあるが、最近はマンが本も出ています。
年老いた漁師とマカジキとの闘いを描いた本である。
大方のストーリーは巨大なマカジキを捕らえた年老いた漁師が、そのマカジキに引きずられて何日間も大海原をさすらうという内容。
ところが、この名作文学が最初に翻訳された時は、その途中で海豚(イルカ)を釣り上げて食べると言うシーンがあったそうな。
哺乳類のイルカを釣り上げる?と言うのも妙な話だと思われたに違いなく、後になって釣り師からの指摘でそれが間違いであることが分ったそうな。
そもそもアメリカ人がイルカを釣り上げて?食べることはない。
そんな習慣はないのです。
よほど食べ物がなく、この世にイルカしかいないのならまだしも、マカジキに引きずられて大洋をさまよっている時にイルカを釣ることも妙な話。
翻訳された本の文章の中では、
「鱗に残照を受けて金色に輝きながら」だとか、
「その紫色の斑点のある磨かれたように光った金色の胴体」
と、なっていてエラを切り取るシーンもあるのだ!!
イルカには鱗もエラもあるはずがない!!
病気でもかかっていない限り、斑点などあろうはずもない!!
タネアカシをすると、イルカは明らかに誤訳であり、イルカの正体はシイラだった。
英語ではシイラのことも「ドルフィン」と言うのだそうである。
恐らくはこの「老人と海」を最初に翻訳した方は魚釣りや魚に関する知識が甚だしく不足していたと思えます。
あなたの周囲にもいませんか?
「大物を釣った!!」と、言うと、
「ほ〜う、クジラでも釣りましたか??」などという困った人が!!
英語で書かれた本もあるし、格調高い単行本もあるが、最近はマンが本も出ています。
価格: 3,102円
(2016/3/1 20:10時点)
感想(0件)
年老いた漁師とマカジキとの闘いを描いた本である。
大方のストーリーは巨大なマカジキを捕らえた年老いた漁師が、そのマカジキに引きずられて何日間も大海原をさすらうという内容。
ところが、この名作文学が最初に翻訳された時は、その途中で海豚(イルカ)を釣り上げて食べると言うシーンがあったそうな。
哺乳類のイルカを釣り上げる?と言うのも妙な話だと思われたに違いなく、後になって釣り師からの指摘でそれが間違いであることが分ったそうな。
そもそもアメリカ人がイルカを釣り上げて?食べることはない。
そんな習慣はないのです。
よほど食べ物がなく、この世にイルカしかいないのならまだしも、マカジキに引きずられて大洋をさまよっている時にイルカを釣ることも妙な話。
翻訳された本の文章の中では、
「鱗に残照を受けて金色に輝きながら」だとか、
「その紫色の斑点のある磨かれたように光った金色の胴体」
と、なっていてエラを切り取るシーンもあるのだ!!
イルカには鱗もエラもあるはずがない!!
病気でもかかっていない限り、斑点などあろうはずもない!!
タネアカシをすると、イルカは明らかに誤訳であり、イルカの正体はシイラだった。
英語ではシイラのことも「ドルフィン」と言うのだそうである。
恐らくはこの「老人と海」を最初に翻訳した方は魚釣りや魚に関する知識が甚だしく不足していたと思えます。
あなたの周囲にもいませんか?
「大物を釣った!!」と、言うと、
「ほ〜う、クジラでも釣りましたか??」などという困った人が!!