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posted by fanblog
2020年05月07日
【「気づけ!余って溢れてる!」というシグナル!】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回の投稿で、
自分が素晴らしい存在だと信じすぎないこと。
自分に価値があると思い込みすぎないこと。
このことが重要であるとお伝えいたしましたが、
言い換えると、これは自分を「過剰」に信頼し過ぎてしまっていたと言えるのではないでしょうか。
そしてこの「過剰」が今世の中で大変なことへと変化をしてしまっています。
世の中では今、「過剰 × 過剰」が進みすぎてしまい、
色々なことが溢れ過ぎてしまっている状態なんだと思います。
「過剰 × 過剰な世界」
言葉・モノ・お金・便利・サービス・衣・食・住・悩み・問題 etc.
シェアが出来るコトまで個々に所有していってしまった為、
世の中は、有り余るほどに色々なモノが過剰になり、溢れすぎてしまったのです。
この過剰になりすぎてしまった人間の姿の裏側には一体何があったのでしょうか?
それは、「欲望」です。
人間には欲望があります。
言葉を持つ人間は、
本当は必要のない欲望に流されるまま、過剰を次々と生み出してしまったのです。
例えば、簡単なコトで言えば、着る服や食べるモノ、住む場所までも多くを求めてしまう。
本来は生きるために必要なモノを食べていればいいのに、より美味しいものを求め、
そのためによりお金を稼ぎ、過剰な価値を勝手に作り上げているのです。
「今日は〇〇のステーキが食べたい」「今度は〇〇のお寿司かな」なんて。
そう、全てのコトに対して欲望のまま過剰を求めて行ってしまった。
その結果、多過ぎて余ってしまう。
「ゴミ」などもそうですよね。
便利を過剰なまでに追求していった結果、プラスチックという物質が過剰に普及し、
そこら中に余ってしまって困っている。
その余り(便利の過剰)が、後に環境問題へと発展し人類の首を絞める結果へと過剰に変化する。もちろん文明の発達により、進化することもとても重要なことです。
なんかバランスが崩れてしまったようなイメージでしょうか。
「ない世界」を考えず、不便不便と「ない世界」を無視をしたコトで、
「ある世界」があたかも当然のように、当たり前にあったかのように存在していった。
今、その「ある」が「ない」へと急速に変化をし始めている。
「ある世界」ばかりに目を向けるのではなく「ない世界」も考えさえしていれば、
それが本当に必要なことか、または所有するべきことなのか、
過剰になり過ぎているのではないのかを考えることができるのに、
「ある世界」が当たり前となってしまった私たちは「ない世界」を忘れてしまったのです。
そう「ある」の方ばかりに偏ってしまい、バランスが崩れてしまったのです。
やはり「考え方」や「視点」は偏ってしまうといつかバランスを崩す。
人類はバランスを保つことができるのか。
だから今、問われているのだと思います。
「人間としての本質を」
今自分たちに必要なことはなんなのか。
今自分たちにできることはなにか?
自分以外の人やコトに対してなにができるのか?
一人一人がまずは、しっかりと考えることが重要です。
そして、自分ができることを淡々と行なっていけばいいのだと思います。
フランスの哲学者:ジャン・フランソワ・リオタールは言いました。
「大きな物語」の時代は終わった。
現代に生きる私たちは、
国際化や情報化によって生み出された無数にある、
価値観を認め合いながら、共存しなければならなくなった。
「大きな物語」の時代から、
「小さな物語」の時代へ。
人間は必然的に「過剰」を作り出してしまった。
それはなぜか?
それは欲望を満たすため。
欲望を満たすために過剰を作り出し、それを破壊することで快楽を求めた。
禁止されることを多く作り、それをひたすらに破壊した。
ただただそれだけのために、人間が持つ欲望を満たすだけのために。
「禁止への侵犯」
今時代が一気に変わろうとしています。
こういう時には、大きな決断をするのは避けて、
しっかりと思考する時間を持つことが重要だと考えています。
小さなことをコツコツと、
自分ができることは、なにか必ずあるはずです!
それがきっと、誰かの役に立つのですから。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
フランスの哲学者:ミシェル・フーコー
人間とは、最近の発明である。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!