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2020年09月02日
教育実習で母校へ
チャレンジ料理人からチャレンジ高校教師へ飲食業店長高校教師になりました【電子書籍】[ 真田まさお ]
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私の場合、卒業した高校が私立高校だったので、母校へ直接お願いに行った。快く引き受けてくれ、実習が決定した。
私は一年生のクラスについた。また、教科は日本史、世界史、現代
社会で三週間の教育実習を行った。
まだ私もぎりぎり、二〇代だったので、今思えば生徒との距離も近く、楽しい思い出となった。授業の方は、もちろん、なかなかうまくいかずに何時も四苦八苦していた。久しぶりに帰ってきた母校で、教員と言う仕事の素晴らしさを体験できた。
教育実習の最後は研究授業で締めくくる。
研究授業とは、予め授業の資料や指導案を提示し、また、教員が実際の授業を見学して、授業後に批評会を行う授業の事を指している。
きちんとした、指導案を作るのは初めてで、また、たくさんの教員に見てもらうのは、とても緊張する事であった。
授業の内容としては、モンゴル帝国の領土拡大をテーマにした授業であった。最初こそ緊張したが、途中からは自分自身が授業にのめり込んでしまい緊張も無くなった。
普段はうまくいっていない授業であったが、この時は生徒も協力してくれて何とか授業を乗り切ったと感じている。
生徒の協力は裏で支えてくれた教師集団の口添えがあった事は言うまでも無い事である。
授業後の批評会では、これからの教員なので、良い事を中心に言って褒めて伸ばそうと言う事で、たくさんのプラスの意見をもらった。私自身褒めて伸びるタイプなので、とても良い感じで教育実習を終えることができた。
最終日の夜に指導教官から夕食をご馳走になった。この時思ったことは、もし自分が教師になる事ができたら、何時かは指導教官となって、若い教師の卵を育ててみたい。
そして、最終日に自分が指導した若い教師の卵に、ご飯をご馳走しようと思った。私が指導教官からご馳走になったそのお返しは、自分の教え子に返そうと思ったのである。
この私の思いが達成されるのはこれから、約一〇年の歳月が必要になる。教育実習から一〇年後、初めて教育実習生の指導教官に任命されて最終日教育実習生を飲みに連れて行き、自分の支払いを行おうとした実習生にこのエピソードを語った。
私が育てた実習生が教師になり、指導教官になった時は是非同じ様にして欲しいと思った。
世の中の繋がりに不思議な気持ちになった。
教育実習の全行程が終わり、よりいっそう教師になりたという気持ちが強くなった。自分は教師になるしかないと再確認ができた。