間ノ岳からの眺望[
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間ノ岳(あいのだけ)は赤石山脈(南アルプス)北部にある標高3,190 mの山[注釈 1][注釈 2][1][2][3]。飛騨山脈にある奥穂高岳と並んで、日本第3位の高峰である。深田久弥の日本百名山のひとつ。山頂は山梨県と静岡県にまたがる。当山の南北縦走路の約3kmは標高3000mを連続して超えるため「日本一の標高3000mの縦走路」と云われる。
概要[編集]
南アルプスの最高峰である北岳の南側約3.3 kmに位置し、さらに南の農鳥岳とあわせて白峰三山と呼ばれている。山名の由来は、白峰三山の真ん中の山であるためとされている[4]。だが、農鳥岳は残雪により白い鶏が現われることからそのように呼ばれているが、当山にも雪が消えた地肌が黒い小鳥に見えることから当山が農鳥山であるとの論争があったが、結局、現在の山名で落ち着いている。2014年4月1日に、国土地理院が最新の衛星測位システム(GNSS測量)に基づき標高を改定し、奥穂高岳と並んで日本で3番目の高峰となった。南アルプスでは北岳に次いで第2の標高を誇り、日本百名山[5]、及び山梨百名山[6]に選定されている。山頂の東側には細沢カール(圏谷)がある。
白峰三山を全体としてみると高山植物の豊富な山域で間ノ岳も同様だが、山頂近辺に限っては岩屑帯で、高山植物は少ない[7]。
なお、山頂付近には地すべりによってできたと考えられる線状凹地が発達しており、この地滑りが起こる前は現在より数十メートル程度標高が高かったのではないか、と考えられている。そのため、現在でこそ日本で3番目の高さの山だが、最終氷期には日本最高峰だったのではないか、とも推定されている。その当時、富士山はまだ現在の高さに達しておらず、また2位の北岳との現在の標高差がわずか4m弱しかない為である。
行政区域としては山梨県と静岡県の境に位置しており、山頂の南側は静岡県の最北端となっている。
歴史[編集]
1814年(文化11年) - 「甲斐国志」で山名が掲載された[5][4]。
1904年(明治37年) - ウォルター・ウェストンが日本を再訪問し、北岳・鳳凰山及び仙丈ヶ岳とあわせて登頂[8]。
1908年(明治41年)7月26日 - 小島烏水らが白峰三山を南側から縦走して登頂[9]。
1925年(大正14年)3月22日 - 京都三高山岳部の西堀栄三郎ら4人が積雪期初登頂[9]。
1928年(昭和3年)1月4日 - 慶應義塾大学山岳部の国文貫一ら4人が厳冬期初登頂[9]。
1964年(昭和39年)6月1日 - 南アルプス国立公園に指定された[10]。
2007年(平成19年)9月 - 柱石が破損、転倒していた三角点を復旧[11]。
登山[編集]
テントを担いで間ノ岳山頂部を歩く登山者、背景は富士山
登山ルート[編集]
麓から直接山頂に立つ登山道がないため間ノ岳のみを単独で登られることは少なく、白峰三山や南アルプスを縦走する際に登られることが多い[4][12]。
白峰三山縦走ルート - 広河原の北岳方面または、奈良田温泉の農鳥岳からの登山道を利用して白峰三山縦走するルート
三峰岳からのルート - 南アルプス縦走時に仙塩尾根の三峰岳から立ち寄る場合がある
積雪期のルート - 積雪期には北岳の池山吊尾根[13]、間ノ岳の稜線から東に伸びる尾無尾根又は弘法小屋尾根のルートがとられる場合がある。また細沢圏谷は滑降対象となる。
山小屋[編集]
間ノ岳山頂の線状凹地
周辺の白峰三山には、複数の山小屋があり、キャンプ指定地がある。営業期間外は、一部が冬期避難小屋として開放される場合がある[14]。北岳山荘では、南アルプスで唯一の夏山診療所が一部期間のみ開設されている(。ウィキペディアより引用)
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