カサブランカは、モロッコ最大の都市であり、モロッコの商業・金融の中心地。アフリカ有数の世界都市です。
カサブランカとはポルトガル語、スペイン語で「白い家」の意
1515年に、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を"Casa Blanca"(ポルトガル語で「白い家」)と名付けたのです。
しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカも甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去ったのです。
カサブランカはアラウィー朝モロッコに統合され、1770年からムハンマド3世によって町の再建工事が行われ、町は要塞化されました。
18世紀からはスペインと、19世紀に入るとそれに目を付けたヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、主にウールの積出港として発展しました。
人口も急激に増大し、1830年に600人だった人口は、1868年に8,000人にまで成長した。
しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。
フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを砲撃、フランス軍はカサブランカを占領。そして1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの保護領となったのです。
フランス保護領モロッコの初代総督に就いたウベール・リヨーテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備を推進。
第二次世界大戦中はドイツ軍によってフランスが占領されたために、戦争当初は親独のヴィシー政権の支配下にありましたが、連合国軍の北アフリカ侵攻によって連合国軍に占領され、自由フランスに復帰。
1943年にはカサブランカ会談が開かれました。
第二次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、フランスはカサブランカから撤退。
その後カサブランカはモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れ、モロッコの経済の中心地の地位を占めているのです。
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