グレイテスト・ヒッツ 1962-2012 がイイ!!
止まらず、惑わず、流されず、
一徹にロックを演り続ける“世界最高のロックン・ロール・バンド"、
ザ・ローリング・ストーンズ。
その記念すべき50周年を飾る、
50曲入りオールタイム・ベストが登場!
●約7年ぶりとなる新曲2曲、「ドゥーム・アンド・グルーム」&「ワン・モア・ショット」収録!
●フジテレビ系全国ネット『PRICELESS~あるわけねぇだろ、んなもん! ~』主題歌「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」収録!
●SHM-CD 3枚組で特別価格\2,980! 初回のみ50周年記念ロゴの防水ステッカー封入!
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※特別価格 \2,980(税込)
※50曲入り3CD (SHM-CD)
※デジパック仕様
※12Pブックレット
※50周年記念ロゴ防水ステッカー封入(初回プレス特典)
メディア掲載レビューほか
ザ・ローリング・ストーンズの50周年(2012年時)を飾るオールタイム・ベスト・アルバム。フジテレビ系月9ドラマ『PRICELESS』主題歌「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」など、数々のヒット・シングルはもちろん、アルバムに収録された名曲、人気曲、重要なステージ・レパートリーも網羅。さらに、約7年ぶり(同)となる未発表曲も収録。 (C)RS
「悲しみのアンジー」のPV動画 So Beauuuuuuutiful!!!
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の動画 So Coooool!!!!
ディスク:1
1. カム・オン (Mono)
2. ノット・フェイド・アウェイ (Mono)
3. イッツ・オール・オーヴァー・ナウ
4. リトル・レッド・ルースター (Mono)
5. ラスト・タイム (Mono)
6. サティスファクション (Mono)
7. タイム・イズ・オン・マイ・サイド
8. 一人ぼっちの世界 (Mono)
9. ハート・オブ・ストーン
10. 19回目の神経衰弱 (Mono)
11. アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (Mono)
12. 黒くぬれ!
13. アンダー・マイ・サム
14. マザー・イン・ザ・シャドウ (Mono)
15. ルビー・チューズデイ
16. 夜をぶっとばせ
17. この世界に愛を
ディスク:2
1. ジャンピン・ジャック・フラッシュ
2. ホンキー・トンク・ウィメン
3. 悪魔を憐れむ歌
4. 無情の世界 (Edit)
5. ギミー・シェルター
6. ストリート・ファイティング・マン
7. ワイルド・ホース
8. シーズ・ア・レインボー
9. ブラウン・シュガー
10. ハッピー
11. ダイスをころがせ
12. 悲しみのアンジー
13. ロックス・オフ
14. ドゥー・ドゥー・ドゥー…(ハートブレイカー)
15. イッツ・オンリー・ロックン・ロール (Edit)
16. 愚か者の涙 (Edit)
ディスク:3
1. ミス・ユー (Edit)
2. リスペクタブル
3. ビースト・オブ・バーデン (Edit)
4. エモーショナル・レスキュー (Edit)
5. スタート・ミー・アップ
6. 友を待つ
7. アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト (Edit)
8. シー・ワズ・ホット
9. ストリーツ・オブ・ラヴ
10. ハーレム・シャッフル
11. ミックスト・エモーションズ (Edit)
12. ハイワイアー (Edit)
13. ラヴ・イズ・ストロング
14. エニバディ・シーン・マイ・ベイビー? (Edit)
15. ドント・ストップ (Edit)
16. ドゥーム・アンド・グルーム
17. ワン・モア・ショット
2002年発売のベスト2枚組 40曲入り (ローリングストーンズの歴史 後半)
不思議なことに『Out Of Our Heads』のブリティッシュ・ヴァージョンには
「(I Can't Get No) Satisfaction」」とそのB面曲「Play With Fire」が含まれていなかった。
一方、この2曲のオリジナル・ナンバーを収めたアメリカ版『Out Of Our Heads』は
アルバム・チャートの首位を獲得、その後、シングルとしてリリースされた
ジャガー/リチャーズ作品「Get Off My Cloud」、「19th Nervous Breakdown」、
「Paint It Black」も、続けてヒットを記録した。
次いで1966年初頭にリリースされた『Aftermath』は、
収録曲すべてがジャガー/リチャーズ作品で構成されたきわめて重要なアルバムである。
ほぼ同時にリリースされた『Big Hits (High Tide & Green Grass)』は
主要なヒット曲を纏めたもので、収録曲の多くはイギリスでは
アルバムから漏れたままになっていた。
ブルーズのカヴァーからスタートしたローリング・ストーンズの音楽性は、
しかし次第に発展しつつあったことが『Aftermath』を聴くと良くわかる。
「あのアルバムはきわめて画期的なレコードだった」と、
数年後にミック・ジャガーも語っている。
「アルバムに収める曲すべてを自分たちで書くっていうのは、初めての試みだった——
ようやく古いR&Bナンバーのカヴァーから離れることになったんだ。」
カヴァー曲に取って代わったのは「Mother's Little Helper」
(この曲で、ブライアン・ジョーンズはシタールを弾いている)、
「Out Of Time」(クリス・ファーロウの歌唱で大ヒットを記録している)といった
ポップな編曲を伴った創意溢れるオリジナル・ナンバーである。
"サマー・オブ・ラヴの年、1967年になると、ローリング・ストーンズ周辺には、
かつて以上の争議が起こり始めた——「Have you Seen Your Mother Baby,
Standing In The Shadow?」のプロモーション用に配布されたメンバーの女装写真が、
偽善的なタブロイド紙の多くから非難を浴びたこともそのひとつである。
ダニー・ラ・ルーの女装を健全なエンターテインメントとして受け入れた英国人たちは、
しかしローリング・ストーンズが同じことをすると下劣で悪趣味と攻撃したのだった。 "
"次なるシングル「Let's Spend The Night Together」の歌詞も、
大方の予想通り道徳的な人々を憤慨させることになる。
こうしたかたちで物議を醸すことはまさにグループの狙いに適っていたが、
ミック・ジャガーを薬物使用者と断じたニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の記事は、
決して歓迎できるものではなかった。
テレビ番組""Sunday Night At The London Palladium""の一件では、
グループはさらに世間の顰蹙を買うことになった——番組のエンディングでは、
視聴者に向けて出演者がステージから手を振ることになっていたが、
彼らはそれを拒んだのである。 "
"「あれは連中の犯した最大の過ちだった——
それをたくさんのイギリス人が目撃したんだからね。」
アンドルー・ルーグ・オールダムが回想する。
「彼らはクスリで逮捕されることになる。
だから、あそこで印象を悪くするべきじゃなかった。
由緒正しい""Sunday Night At The London Palladium""で、
ローリング・ストーンズは人々の感情を大いに損ねてしまったんだ。」 "
こうした大変な混乱の最中にリリースされた『Between The Buttons』もまた
注目すべきアルバムである。
ビル・ワイマンは語る。「アルバムの制作を念頭において、
1枚分の楽曲のレコーディングに臨んだのはあれが初めてだった。」
ローリング・ストーンズのディスコグラフィーに、
この『Between The Buttons』ほどストレートなポップ・アルバムは見当たらない。
収録曲の歌詞からは、社会に向けた鋭い視線も窺い知れる——
こうした点については、ソングライティング・チーム、ジャガー&リチャーズは、
未だ正当な評価を受けていないように思える。
かつて、ボブ・ゲルドフはこんな風に指摘している。
「ストーンズが偉大なロック・バンドだってことは誰もが認めているし、
実際、その通りだった。
しかし彼らは素晴らしいポップ・グループでもあった。
60年代半ばの、たとえば「Mother's Little Helper」みたいな曲は過小評価も甚だしい。
レイ・デイヴィスは、ありふれた生活のスケッチともいうべきコンパクトな
ポップ・ナンバーを書いた。
で、ストーンズも、それらのキンクス・ナンバーと同質の優れた楽曲を残したんだ。」
"ローリング・ストーンズを巡る騒動は収まらなかった。
1967年は、若者たちの間にカウンター・カルチャーの波がいよいよ拡がった年である——
既存の国家と社会の秩序を疑問視する声が高まり、
自由への手段として、幻覚剤がもてはやされもした。
混乱を鎮めるために""みせしめ""を必要としていた旧体制にとって、
ローリング・ストーンズ以上に相応しい対象があっただろうか? "
まずは、サセックスのリチャーズ宅が、あの悪名高い手入れに遭い
ジャガーとリチャーズが逮捕、そして次は精神的に衰弱し始めていた
ブライアン・ジョーンズが、やはりロンドンの自身のフラットで逮捕されている。
結果的に、3人とも有罪判決を受け、少なくとも一晩は拘置所で過ごすことになった。
「体制側が俺たちを目のかたきにしていることはわかっていた。
で、ついに俺たちに銃を突きつけたんだ」と、
昨年、キース・リチャーズは語っている。
「あいつらはビートルズを持ち上げて勲章まで渡してしまっただろう。
だから俺たちを狙うしかなかったんだ。」
"1967年も押し迫った頃、『Their Satanic Majesties Request』が発表された。
訴訟からくる疲労感、そしてドラッグの影響が顕著なこの作品は、
ローリング・ストーンズの全カタログにあっておそらく最も貶され、
聴かれる回数が少なかったアルバムで、それゆえ長きにわたって再評価されることもなかった。
しかしその評価も、近年に至り修正されつつある。
アンカット誌の特集、""Classic Albums Revised""の記事は、その一例に挙げられよう。
""ビートルズに対する競争意識が生んだ見当違いの試み""として嘲笑の種にされてきた
このアルバムを、しかしアンカット誌の記事は""見過ごされてきたサイケデリックの傑作""と
断じており、さらに英国における""サマー・オブ・ラヴ""の記録として
『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』にも優る価値があるとさえ書いている。 "
これ以前のグループのアルバムでは、マネージャーのアンドルー・ルーグ・オールダムが
プロデューサーを兼務していたが、『Their Satanic Majesties Request』ではグループ自らが
その仕事を務めることになった。
「クスリや衣装のことなら万事問題なかった。
だけど音楽はすっかり変わってしまったからね。」オールダムが回想する。
「僕はシングルを選ぶのは得意だったが、突然、アルバムを重視する時代になってしまった。
もう僕の出る幕ではなくなったんだ。」
しかし、その『Their Satanic Majesties Request』のリリースから半年も経たない内に、
ローリング・ストーンズはサイケデリックに見切りを付け、
グループの最高傑作に数えられるシングル「Jumpin' Jack Flash」をリリースしている。
自らのルーツへの回帰を宣言したのシングルに次いで発表されることになっていた
『Beggars Banquet』は、しかしまたも物議を醸すことになった。
先ずはアートワークを巡るトラブルが発生している。
落書きだらけのトイレの写真を用いたジャケットにレコード会社が異議を唱え、
これにより、アルバムの発売は一旦見送られることになったのである。
そして、次なる問題は収録曲に纏わるものだった。
アメリカのラジオ局は「Street Fighting Man」の歌詞に、
騒乱を煽動しかねないとの危惧を抱き、結果、この曲を放送禁止処分とした。
またキリスト教原理主義者の中には、「Sympathy For The Devil」に不快感を示し、
アルバムを燃やした者たちもあった。
最早、1960年代も終焉を迎えようとする頃、辛いできごとが相次いだ。
最初の悲劇は1969年7月に起こった——ミック・テイラーに
メンバーの座を譲ったばかりだったブライアン・ジョーンズが
自宅のプールで溺死したのである。
次にミック・ジャガーと、ジャガーの数年来の恋人、
マリアンヌ・フェイスフルとの別離があった。
フェイスフルは間もなくドラッグの過剰摂取に因り、8日間の昏睡状態に陥っている。
12月には、悲惨なオルタモントのフリー・コンサートがあった。
会場の警備にはヘルス・エンジェルズが雇われていたが、
ビリヤードのキューを片手に聴衆を制していたそのヘルス・エンジェルズのひとりに、
黒人青年、メデス・ハンターが殺されたのである。
暗い出来事が続いたにもかかわらず、その年の暮には新作の発表という明るい報せがあった。
ローリング・ストーンズの1960年代を締め括る『Let It Bleed』は、
グループの最高のアルバムといえるもので、悲壮感を湛えた陰鬱な楽曲群
(たとえば「Gimme Shelter」や「Midnight Rambler」など)には、
この時代が集約されている。
"1960年代、ローリング・ストーンズは多くのものを失い、
さまざまな対価を払った。しかしこの時期は、
同時に彼らの""世界で最も偉大なロックンロール・バンド""たる地位を
揺るぎないものにした時代でもあったのである。"
2002年6月 ナイジェル・ウィリアムスン(後半)
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