?西武ライオンズの主砲・アグーこと山川穂高選手の背番号が、来季から[33]から[3]に変わることになりました。
しかし個人的には、馴染んでいる[33]のままで良いと思うのです。
なぜなら、ライオンズの背番号[3]は、清原以後、つけた選手がチームを去り、誤った方向へ突き進む印象を感じて仕様がありません。
清原和博選手は昭和61年から平成8年までの長きに渡り主力選手として活躍しました。しかし巨人移籍後性格やキャラクターが変わり、負傷も続いて御用済みとなりオリックスで現役を引退。以後タレント活動をしてきましたが薬物使用で逮捕されています。逮捕後執行猶予つき判決が下され、今月16日に期間が終了しました。
これを機に、後半生が明るい光となることを、僕は信じます。
その後玉野宏昌,フェルナンデス,マクレーン各選手が背番号[3]をつけましたが伸び悩み、玉野選手については、のちに[33]に改めています。
これに続いたのが中島裕之選手です。平成13年に背番号[56]で入団、平成15年9月より一軍に定着し好成績を残し、翌16年より背番号[3]をつけ、トップスターの仲間入りを果たしました。ところがどこでどう道を真違えたのか、身の丈に合わない「大リーグ挑戦」をほのめかします。結局はロッテにいたTSUYOSHI選手同様「2年間のアメリカ旅行」をやらかし、オリックスで落ちぶれ今季巨人に拾われましたが活躍は少なく、大幅減俸が決まっています。正直、今後の先行きに不安を感じます。
中島のつぎにつけたのは浅村栄斗選手です。平成23年に背番号[32]で入団、翌年より頭角を現します。実直なイメージのあった浅村選手でしたが、平成29年に背番号[3]に変えてから、「真違った一流意識」のようなものが芽生え、フテブテしさを感じるようになりました。昨年FA行使で楽天へ。そのさいは、オリックスとの交渉拒否などフテブテしさを感じる行動もありました。いまのところは安閑ですが、後味の悪いかたちで移籍したことから今後の活躍に不安を感じます。
それらを考えると山川選手も同じパターンにはまってしまいそうだから、僕は背番号[3]をつけることには賛成しません。
しかし決まったことですから、清原・中島・浅村各選手を反面教師にして、ずっとライオンズにいてもらわなくてはならないと考えます。
[令和元年12月5日初掲載]
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