2012年10月26日
今回ほど焦り狂った事はありませんでした
今回ほど焦り狂った事はありませんでした
長期間の更新が出来なかった原因は、小説の執筆で忙しかったからです。
最初は香川県ゆかりの「桃太郎」の小説を、私の考古学研究成果を交えて書き始めていました。
しかし、途中からどうしても他のテーマが頭の中を駆け巡り始めたのです。
それはNHK大河ドラマ「平清盛」に登場する「崇徳上皇」です。
以前に私のページでもご紹介しましたように、崇徳上皇はこの讃岐の国に流されて、不遇の一生を終えられ皇族なのにその陵墓を讃岐に築く事になってしまった方です。
讃岐の国、特に中讃地区の人たちは崇徳上皇に未だに敬愛の念を持ち続けています。江戸時代に「雨月物語」で書かれたように日本最大にして最強の怨霊でなかったと私たちは信じています。
NHK大河ドラマ「平清盛」で生霊として描かれた事に、私は少なからず心が傷付きました。
そこで崇徳上皇の讃岐の国での本当の姿を描きたいと思って小説の筆を執ったのです。(実際はパソコンのキーボード)
「ほっこまい」の私は、一つの事に集中すると他事が目に入らなくなってしまいます。
結果的に更新する事も無く、皆様にご無沙汰を致す事になりました。
さて、ほとんど小説が完成しかかった時、私を愕然とする記事が発表されたのです。
「西行と崇徳上皇・その後の静御前」の出版・・・・。
丸亀市出身の横井寛 工学博士が上記の書籍を出版したとニュースで聞きました。
博士も私と同じように、崇徳上皇は怨霊ではなく、温厚で地元の民たちにも慕われていたと結論付けているとの事です。
同じテーマでの書籍・・・無線工学「空中線と電波伝搬」が同じ専門・・・。同じような思考回路の人間が書籍を書いたら・・・。
私はこのまま小説を書き上げても良いのかと本気になって悩みました。
しかし、博士は短歌の方向性から書き上げた書物。私は古気象学から組み立てた小説。
悩みながらも一応小説を完成させました。
私の母の法事で帰省した長男(工学博士です)に、この話をしたところ研究専門分野が違うのに、
「その博士と云うか教授の事は知っています。和歌や書などに堪能な工学博士として有名な方。」
と、今回の出版が当然の様に話していました。
こんな事を書くと・・・・・。
実は・・・・今回いろいろな症状が出て、心不全を起こしかけていました。
怨霊好きな人たちは・・・。
「ほら見ろ!祟られたんだ!」
って言われてしまいそうですが、私は先ほど申し上げたように「ほっこまい」。
つまり、小説執筆の為に体に相当の負担を掛けて居たので、体調が悪化したのだと思っています。
このような事例が積み重なると、やはり崇徳上皇が怨霊だと云う方向性を与えられて、そして怨霊として確定していくのだと実感しました。
当時の都でも流行り病が続き、皇族や貴族も次々と亡くなりました。
また大飢饉や地震などの天災も続いています。
結果的に崇徳上皇を怨霊として仕立て上げたほうが施政者として民たちに説明がしやすかったのでは?と思ってしまいます。
これを機会に歴史的な人物の評価を今一度見直してみるのも良いと思います。
**
注)ほっこまい:讃岐の国の丸亀藩の方言で標準語にしたら「馬鹿者」、関西語にしたら「アホンダラ」・・・でも丸亀のこの言葉の意味は「一つの事に集中して他の事が判らなくなってしまう人」です。
長期間の更新が出来なかった原因は、小説の執筆で忙しかったからです。
最初は香川県ゆかりの「桃太郎」の小説を、私の考古学研究成果を交えて書き始めていました。
しかし、途中からどうしても他のテーマが頭の中を駆け巡り始めたのです。
それはNHK大河ドラマ「平清盛」に登場する「崇徳上皇」です。
以前に私のページでもご紹介しましたように、崇徳上皇はこの讃岐の国に流されて、不遇の一生を終えられ皇族なのにその陵墓を讃岐に築く事になってしまった方です。
讃岐の国、特に中讃地区の人たちは崇徳上皇に未だに敬愛の念を持ち続けています。江戸時代に「雨月物語」で書かれたように日本最大にして最強の怨霊でなかったと私たちは信じています。
NHK大河ドラマ「平清盛」で生霊として描かれた事に、私は少なからず心が傷付きました。
そこで崇徳上皇の讃岐の国での本当の姿を描きたいと思って小説の筆を執ったのです。(実際はパソコンのキーボード)
「ほっこまい」の私は、一つの事に集中すると他事が目に入らなくなってしまいます。
結果的に更新する事も無く、皆様にご無沙汰を致す事になりました。
さて、ほとんど小説が完成しかかった時、私を愕然とする記事が発表されたのです。
「西行と崇徳上皇・その後の静御前」の出版・・・・。
丸亀市出身の横井寛 工学博士が上記の書籍を出版したとニュースで聞きました。
博士も私と同じように、崇徳上皇は怨霊ではなく、温厚で地元の民たちにも慕われていたと結論付けているとの事です。
同じテーマでの書籍・・・無線工学「空中線と電波伝搬」が同じ専門・・・。同じような思考回路の人間が書籍を書いたら・・・。
私はこのまま小説を書き上げても良いのかと本気になって悩みました。
しかし、博士は短歌の方向性から書き上げた書物。私は古気象学から組み立てた小説。
悩みながらも一応小説を完成させました。
私の母の法事で帰省した長男(工学博士です)に、この話をしたところ研究専門分野が違うのに、
「その博士と云うか教授の事は知っています。和歌や書などに堪能な工学博士として有名な方。」
と、今回の出版が当然の様に話していました。
こんな事を書くと・・・・・。
実は・・・・今回いろいろな症状が出て、心不全を起こしかけていました。
怨霊好きな人たちは・・・。
「ほら見ろ!祟られたんだ!」
って言われてしまいそうですが、私は先ほど申し上げたように「ほっこまい」。
つまり、小説執筆の為に体に相当の負担を掛けて居たので、体調が悪化したのだと思っています。
このような事例が積み重なると、やはり崇徳上皇が怨霊だと云う方向性を与えられて、そして怨霊として確定していくのだと実感しました。
当時の都でも流行り病が続き、皇族や貴族も次々と亡くなりました。
また大飢饉や地震などの天災も続いています。
結果的に崇徳上皇を怨霊として仕立て上げたほうが施政者として民たちに説明がしやすかったのでは?と思ってしまいます。
これを機会に歴史的な人物の評価を今一度見直してみるのも良いと思います。
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注)ほっこまい:讃岐の国の丸亀藩の方言で標準語にしたら「馬鹿者」、関西語にしたら「アホンダラ」・・・でも丸亀のこの言葉の意味は「一つの事に集中して他の事が判らなくなってしまう人」です。
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