系譜を残すとともに、経過や時の事情を載せています。父方伯父の書
2022/12/28 の続きです。
明治維新で信州で開業・暮らすことを決めた「宗仙」は、
この時まだ独身でした。
飯田に入り、開業していたまち医者に挨拶を済ませると、
まち医者から「お嫁さん」をと・・・・・
なって、開業医の中から年のころの合った娘さんを紹介されて、
婚姻となっています。
飯田の手前の「生田」で開業したとあり、落ち着いた暮らしが始まりました。
5年ほどすると、長男が誕生したとあります。
翌年には、明治新政府の医師免許を取得して順調であった。が、
妻が若くして亡くなります。
そんなところに、東の南アルプスの麓にある、鹿塩村の古島氏等から、
再三にわたり、当時無医村であった鹿塩村へ入村の懇願がありました。
鹿塩村は当時林業の村でしたね。
私の小さい頃は、映画館があったのを覚えています。
で、結局入村します。が、当時の明治新政府は始まったばかりで、
政府の?覆計画を警戒していました。
国内移動禁止にするわけにもいかず、かといって、政府にとって人口を把握しなければならず、
日本で初めての戸籍法ができます。
壬申戸籍と呼ばれています。地域によっては今でも「閲覧禁止」になっています。
この戸籍法によって、入村には、村の中で空いた門札番号を買わねばならなかったとあります。
それでこの時、空いていた「北澤」の番号を買ったのでした。
「仕方なし買った・・」これが本音だろう。
つづく
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