築地移転 20年目の真実 を4回のシリーズにしています。
著者水谷和子氏です。
このシリーズは、こういう思惑が働いていたのです。という
暴露が目的で紹介するのではありません。
事実はこうだった。ということを知った方々に、都政を通して
今の日本 人 を考えていただきたいからです。
(C)日刊ゲンダイ2017/6月22日
水谷和子氏
2009年から豊洲市場汚染地購入賠償請求裁判に原告参加。
最新著は
「築地移転の謎 なぜ汚染地なのか」(花伝社)。
日刊ゲンタイDIGITAL2017/6/22
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/207938/2
174個の段ボール箱から見つけた「新たなるウソの証拠」
小池都知事が「築地・豊洲両市場の両立」という方針をようやく打ち出しましたが、そもそも築地市場はなぜ、あの好立地からの移転を迫られたのか。1986年に東京都は現地での施設再整備を決定。91年から営業を続けながら改築工事を進めていたにもかかわらずです。
工事が止まったのは、96年のこと。すでに再整備に400億円がつぎ込まれていました。中断の理由は次の通りです。
当初2380億円で予定された費用を再試算すると、3400億円にも膨らみ、工期も14年の予定が20年以上に延びる。場内に「種地」がなくて営業を続けながらのローリング工事を進めるのに、業界の調整は困難——。ところが、その後20年間、築地の業者さんたちを縛り続けた「再整備は不可能」とするストーリーが、実は単なるデッチ上げである疑いが濃厚になってきたのです。
私は今年、市場問題を調査する都議会の百条委員会に提出された段ボール箱174個分もの資料のリストから、「これは……」と思える資料は情報開示請求して改めて確認。根気のいる作業でしたが、20年続いたウソを裏付ける証拠資料をようやく手に入れました。
その証拠を提示しながら、4回にわたって「築地移転20年目の真実」をひもといていきます。
最初の証拠は、99年5月11日付で都の市場当局が作成した「中央卸売市場の事業説明の概要」と題した会議資料です。10枚のA4判用紙には、ちょうど1カ月前に都知事に当選したばかりの石原慎太郎氏や、当時は特別秘書だった浜渦武生氏のほか、福永正通、青山?両副知事(当時)らの臨席が記録されてあります。
当日午後2時35分に都庁7階の小会議室で始まった事業説明。約25分に及ぶ説明のテーマは、築地市場の現在地再整備のみ。石原都知事らに配られた「局の概要」との資料には〈積立金の状況〉として約3005億円。その内訳について一般会計に既に400億円を貸し付け、さらに99年度に2000億円を貸し付ける旨が記してある。
この予算の説明こそ、「築地のウソ」の大きな一歩となったのです。(つづく)
「バブルの宴」の尻拭いに流用された2400億円もの積立金 2017年6月23日
1999年5月に東京都の市場当局が、当選まもない石原慎太郎知事ら都庁幹部に配布した会議資料。開示請求すると、そこには〈積立金の状況〉として約3005億円のうち、既に400億円を一般会計に貸し付け、99年度にはさらに2000億円を貸し付けることが書かれていました。
築地市場を含む都内11カ所の卸売市場の会計予算は都の一般会計から切り離し、独立採算が原則です。市場会計の積立金は当時の築地市場の現地再整備に向け蓄えてきたものでした。
最初に400億円を貸し付けたのは、96年のこと。91年に着工した再整備工事が中断した年と重なります。そのうえ、2000億円も一般会計に回せば積立金は605億円しか残らない。この時点で、当初予算2380億円だった再整備はもう賄いきれません。
なぜ巨額の積立金を無謀にも取り崩したのか。その答えには、当時の東京都の財政状況が大きく影響しています。
88年に当時の鈴木俊一都知事が鳴り物入りで立ち上げた「東京臨海副都心開発基本計画」——。土地の投機熱が頂点に達していた頃の壮大なプロジェクトは、バブル崩壊によって進出企業が次々と撤退。臨海部の開発資金は主に進出企業に出資を募る独立採算の特別会計(臨海会計)で賄っていましたが、撤退企業への権利金の返済ラッシュで行き詰まったのです。
そして臨海会計はいよいよ底を尽き、現預金の残高は2000万円弱という悲惨な状況となりました。臨海会計の破綻危機を救ったのが、築地再整備の積立金でした。一般会計に貸し付けた計2400億円は巡り巡って、バブル政策の尻拭いに流用されたのです。
破綻危機を脱して貸付金が無事完済されたのは2006年。結局、7年間も待たされましたが、99年当時の危機的状況下では本当に返済されるのか、市場当局も気を揉んでいたはず。目減りした市場会計の穴埋め策として浮上したのが、築地市場の跡地売却と豊洲移転のワンセットでした。
99年5月の石原知事らへの事業説明は「豊洲ありき」の議論が繰り広げられていました。(つづく)
ハナから「豊洲ありき」 石原都政幹部の生々しいやりとり 201年/6月24日
築地市場再整備の積立金2400億円は破綻した臨海副都心計画の尻拭いに消えました。残金は605億円。当初予算2380億円の再整備はもう続けられません。
都の卸売市場の会計予算は独立採算が原則。1999年5月13日には当時の宮城哲夫市場長が、当選間もない石原慎太郎都知事に逼迫した予算状況を説明しています。開示請求で公開された〈説明の概要〉という資料には、生々しいやりとりが記録されていました。
〈豊洲の開発は、地権者との最終合意が平成13(2001)年に予定されており、それから逆算すると平成11(1999)年10月頃には結論を出さないといけない〉
〈豊洲周辺は道路整備が進んでいるが、幹線道路の整備が平成27(2015)年には終了するので、その時点で移れば、現在地(築地)で20年30年かけて整備するより短時間で再整備をすることができる〉
表向きはまだ、再整備と移転の双方を検討していた時期なのに、説明はハナから「豊洲ありき」。現実の移転スケジュールも宮城氏の言い分通りに、ほぼ進みました。都庁の「一度決めたら変えられない」体質がよくうかがえます。
ただ、この会議の場で宮城氏に反論する都庁幹部もいました。副知事だった青山?氏です。開示資料によると、青山氏は当時、築地市場がどこにあるべきかの検討会のトップを務めていました。青山氏は石原知事に向かってこう言います。
〈移転で腹を決めても、中央区は反対しているし、関係の議員も反対している。また、移転跡地の売却を考えているが難しい面があるし、公園整備など一般会計の持ち出しが必要になることも考えられ、慎重な判断が必要である〉
青山氏は現在、ワイドショーのゲストに呼ばれる機会も多いのですが、まるで部外者のような顔で移転問題にコメントしているのは、なぜでしょう。浜渦武生元副知事らと同じくれっきとした移転問題の責任者です。
さて、この日の説明会で石原知事は〈遠洋漁船は築地に接岸できるのか〉〈大田市場の移転はどのくらいかかったのか〉と質問したにすぎません。しかし、この日の説明が3カ月後に石原知事を大きく動かした「証拠」も、私は情報公開で入手してあります。 (つづく)
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