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2018年07月27日

7月27日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1794年7月27日は、フランスで テルミドール9日のクーデタが勃発した日です。
フランス革命の時代、王政停止と第一共和政樹立を達成した議会、 国民公会(1792.9.21-1795.10)では、政権を担当した ジロンド派(右派。穏和共和派)が財政難や外政不振、国民不支持といった失政におそわれ衰退、 マクシミリアン・ロベスピエール(1758.5.6-1794.7.28)率いる 山岳派(左派。モンターニュ派。急進共和派)に粛清されていきました。
 これにより、フランス革命期を引っ張ってきた ジャコバン派(もとジャコバン・クラブ)の中から、 フイヤン派(立憲君主派)についで ジロンド派が脱け、残った最左翼、 山岳派がジャコバン派として革命政権を担うようになっていきました。独裁権を握った山岳派はその後も革命を次々と繰り広げます。共有地を分割して農民に分配し、亡命貴族の資産を没収して競売をかけ、農民解放を促進させます。また革命勃発期の1789年8月4日に出た"封建的特権廃止宣言"で懸案事項となっていた封建的貢租の有償での廃止は、無条件で無償廃止となり、領主権から完全に解放されました。
 1793年頃から、山岳派はロベスピエールを中心に圧政を強化していき、 テロリズムを用いて反対派を粛清する、いわゆる 恐怖政治( la Terreur)を実施していきました。仲間の マラー(1743-93)が暗殺された後に 公安委員会(政府の統治機関)に入ったロベスピエールは、公安委員会を事実上の独裁執行機関として、反対派の逮捕・裁判を促しました。10月にはもと王妃 マリ・アントワネット(1755-93)が処刑され、その後もジロンド派・反革命者の処刑は続きました。また経済統制を強化する最高価格令の対象が拡大し、これに反対する商工業者は反革命罪となって処罰されました。
 この頃より、反キリスト教の立場からグレゴリ暦に代わって 革命暦(共和暦)を制定しました(1805年まで)。1793年末には対外戦争を有利に導き、外国軍は撃退され、国内も安定したかに見えました。
 しかしロベスピエールらが支配する公安委員会の恐怖政治は依然として続きました。富裕市民は最高価格令による経済統制からの解放を求め、封建的貢租の無償廃止によって解放され土地を得た農民はこれ以上の革命に嫌気を増していきました。また労働者も賃金抑制の撤廃を求めて、ジャコバン独裁に不満を持つようになっていきました。
 こうした状況下であっても、ロベスピエールは、片腕である山岳派 サン・ジュスト(1767-94)とともに、恐怖政治続行を主張しました。しかし独裁政権に対する不支持者が増えつつある中で、山岳派の中でも対立が起こりました。
 " 理性の崇拝"という、キリスト教に代わる祭祀をおこした エベール(1757-94)は山岳派の中でも極左派で、エベール派による国民公会打倒計画がおこされ、これがロベスピエール派との対立を深め、エベールは告発、逮捕されて、1794年3月にギロチンで処刑されました。
 また ダントン(1759-94)率いる穏健なダントン派は、山岳右派とされ、ロベスピエールと協力して過激派エベールを粛清しましたが、元々新興富裕市民に支持されてきたダントン派は経済統制を改め、恐怖政治の緩和を主張するようになりました。このため、恐怖政治続行を主張するロベスピエール派と対立しました。その後ダントンの汚職発覚をサン・ジュストに告発され、1794年4月にギロチンで処刑されました。結果、内部の反ロベスピエール派は粛清され、山岳派独裁はロベスピエール独裁に変化していき、さらに恐怖政治は強化されていきました。6月には裁判において、弁護・証人・予審を省くなどの迅速化がはかられ、処刑者は激増しました。さらにはエベールの"理性の崇拝"よりも徹底した、ロベスピエールの"最高存在の崇拝"の祭典も催しました。
 このロベスピエールの行き過ぎた行為に、公安委員会では反ロベスピエールの勢いも激化し、国民も不満が絶頂に達しました。国民公会においても反ロベスピエール派議員が形成されました。
 そして、陽の当たった1794年7月27日、革命暦だと テルミドール(熱月) 9日、ついに国民公会はロベスピエールを告発、サン・ジュストらを含むロベスピエール派の逮捕令が可決されました。ロベスピエールは支持者に蜂起を呼びかけようとしたが事前に発覚、再逮捕され、裁判を経ず処刑が決定しました。ロベスピエールはピストル自殺を図ったものの失敗、弟やサン・ジュストらと共にギロチンにかけられ処刑されました。処刑者は100人以上にのぼりましたが、恐怖政治を握ったジャコバン独裁政権では、その数倍もの処刑者を出していました。ロベスピエールの処刑により、恐怖政治は終焉を迎えることになりました。
引用文献:『 世界史の目

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posted by ottovonmax at 00:00| 歴史
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