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posted by fanblog

2014年10月21日

階段下で受け取った 特別なボーナスと 笑顔。

 「いつも ありがとうね」

  そう言って彼は 
  脇に挟んだセカンドバックを持ち直した



レコード会社でバイトをしてた数年の間
そのほとんどは

1980年代を一気に駆け抜けた、
あるロックバンドの宣伝担当のアシスタントとして 
稼働することが多かった

とはいえ
まだまだロックバンドはマイナーな位置にいて
「ロックがビジネスになる」とは
まだまだ思われてはいなかった時代

そのロックバンド担当の先輩も
宣伝部では アイドルやポップスなど
多くの所属アーティストのアシストもある中

自分が担当しているロックバンド専任で
使うことには 苦労していた

いつも その先輩には

 「社内では歩くな。常に走ってろ。」

と言われたもの

その心は 社内で歩いてるような姿を見せたら
ヒマそうに見えて いろいろ仕事をふられるから

社内を走ってることで
忙しそうにして 先輩の仕事があるなら
仕事受けにくくしろーということだった

やがてボクは 有線放送所の宣伝担当を任され
都内各地の有線放送所を回り プロモーションした

当時の有線放送所は、都内各所に放送所があり
女性スタッフ 1〜3名体制くらいで
そのエリアからのリクエストに応えて
レコードをかけていた

そしてボクらのようなレコード会社のスタッフが行き
スタッフへ

 「今週 このアーティストが「夜のヒットスタジオ」出るので
  ぜひ手厚くかけてくれると嬉しいです!」

などと言いながら 
来月のプッシュアーティストあたりの話しまで
プロモーションしていた

当時はノヴェルティーという
アーティストの宣伝のために宣伝部が製作し
メディアなどに配布する販促グッズは ほぼ必ず作られていた

夏になると
自動車のフロントガラスの遮光シートや
梅雨の季節には 折り畳み傘
を作ったり

もっとも大きなパターンは
そのアーティストのシングル曲のタイトルに
引っ掛けて 例えば「ブルー」というタイトルなら
「青いグッズ」を アーティスト名と曲名をプリントして
配布していた

そして推測される通り
ビックアーティストになればなるほど
ノヴェルティーの製造単価や クオリティーは上がった

中では リーヴァイスのGジャンに
アーティスト名と曲名などをプリントしたのもあった


もっとも有用な使いどころはラジオだった

ラジオ番組のディレクターと話し
番組での試聴者プレゼントとして 
1番組につき3個くらいづつ提供し
ラジオのリスナーから応募させることで印象付ける事と
そういった施策をする上で 
番組で手厚くオンエアーをしてもらった

羽振りのい時期に 大きな番組では
スノーボードプレゼントとか
ニューヨーク旅行など
そんな大技もあったものだ

ビックアーティストだと
大量に作るので 有線放送所回りにも
置いてこれるだけの数があった

ボクは放送所を回って そんなグッズを
デスクで使ってもらうことで
自社アーティストを 思い出してもらい
リクエストがない時には、レコードを
かけてもらった

そんな中 ムードがぐんぐん来ていたロックバンドは
初武道館が決まった

当時でいえば
レコード会社のスタッフとして 業界人が
業界感をむんむんだして 悦にいられた象徴は

TBS「ベストテン」
フジテレビ「夜のヒットスタジオ」

そしてライブと言えば 日本武道館だった
ライブは レコード会社セットではなく
プロダクションとイベンターによるものだが

レコード販促に繋がる最たるものでもある
実際に会場で売れるので
とても大切な現場

そしてそのロックバンドは
武道館が完売した

その後 ロックバンドなんてビジネスにはならないーという
社内での横風も とても応援体制のいいムードに
変わってきたのを感じた

そして翌年のシングル曲で
ロックバンド初のミリオンセラーを記録(100万枚)

リードシングル2曲を選考発売した後にだした
アルバムもミリオンを超えた

いきおい
全国ツアーは各地 軒並みソールドアウト(完売)

そのアルバムを受け手の全国ツアーでは
シンボルでもあった武道館を

ツアーファイナルと 追加公演と
2回の公演を大成功させた


当時 ボクの仕事の1つに
六本木や西麻布周辺での新しいディスコやカフェバーを
いち早く見つけ 先輩に報告するーというものがあった

これは レコード会社の宣伝がよくやる方法の1つで
マスコミメディアなど関係者を集めて
リリースされるレコードの発表記念パーティー
通称「コンベンション」を開く事が多かった時代

どこのレコード会社よりも
いち早く 目新しいホットな会場で開催する目的のためだった

ボクは 
このレコード会社でのバイトの前に
ディスコでバイトしてたこともあり
そういった情報ははいって来ていたのと
六本木や西麻布に詳しかったので
活躍していた

そして 
そのロックバンドの 12月のツアーファイナルで
格別な会場を見つけた

六本木の住宅街にある
今で言う
レセプションパーティー会場の走りのようなお洒落な洋館

フロアは3層にもなっていた

武道館から関係者が続々と到着し
ボクら下っ端は 道沿いでゲストをアテンドし
会場へ案内する

約200名ほど


そしてロックバンドが到着

 「お疲れ様です!」と声をかけると

 「いつもありがとう」とスマイル

ボクらの何にも変えられない仕事の達成感の一コマ

そしてアーティストを会場に入れてしまえば
あとは 先輩たちの仕事

クローズドでのパーティーとは言え
場合にとっては
テレビのアナウンサーや ラジオのDJを
進行役に発注することもあった

そしてボクが ひとしきり仕事が一段落して
エントランスに控えていると

宣伝部の宣伝部長がこちらへ歩いてきた

フジテレビの「夜のヒットスタジオ」の楽屋の外の廊下でも
渋谷公会堂の打上げ会場でも
いつも常に セカンドバックを
小脇にかかてるそのままで

そして ぼくに笑顔で

 「きみは ボーナスとかないんだろ? 

  少しだけど、、、気持ち、、、な?

  いつも ありがとうね」

そう言って 
ツイードジャケットの左胸の内ポケットから
用意されてた 封筒を手渡してくれた

ボクは突然のことで 驚きながら

 「すいません。ありがとうございます!」

というのが精一杯だった

そしてまた宣伝部長は 会場げ戻っていった
ボクに「特別賞与」を渡すため だけに

あまりのことに
彼が会場に入るほんの寸前にまた

 「ありがとうございました!」と言ったものの

ドアの閉まる音と重なって きっと彼には届かなかったはず


封筒の中には3万円
明細はなく、明らかに宣伝部長の自腹だった

ミリオンを2連発し 宣伝部長のボーナスが良かったとはいえ
アルバイトのボクに その意識を持てる配慮に
あらためて いまこうしてても感謝しかない

その方は とても偉い政治家のご子息で
いつも大きく構え ユーモアももった
とても素敵な紳士だった


いまは 富士山と海が見えるご自宅で
悠々自適な生活をされていて

FBでの 写真を添えた短文で 
いつも見せて頂いている


こんな大人になろうーと思った
でも 若手の意見と感性を大切に思い
意識はしてはいても
いまだ出来てない気がする

ボクが一生忘れられないエピソードに1つ

「いつもありがとう」と自腹での3万円


末永く 人生を楽しんで頂ければと
心から思う方の 話しでした


ヒ?クチャ 3.png




80年代半ばの曙町のテレビ局で観た光景と先輩 

ボクもおなじく アルバイトをいくつかした

守られていた学生時代と違い 大人の中で働くことは
誰にとっても最初の

 何 よ り も 社 会 そ の も の 

だと思う


ある時期ボクは あるレコード会社の
邦楽(日本のロック&ポップス)の宣伝部で
アルバイト始めていた

その当時 このレコード会社は
所属アーティストも スタッフも
今を思えば 本当に濃いキャラの方々がいぱいいた

このレコード会社でバイトしたことが
ボクがそれから約30年弱 ずーーーーと音楽業界で
働くことのベースになっているのは
間違いない

とにかく毎日は 楽しかった


ボクはそこで 
宣伝部に所属している
アイドル、ポップス そしてロックバンドの
毎月出る それぞれのレコードのリリースアイテムを

アイテムごとに宣伝してゆく宣伝部で
テレビ、ラジオ、雑誌、有線放送などへの
プロモーションを手がける
社員さんの手足となって動いていた

 「これ大至急 講△社の「○○○」編集部の誰々さんに届けて!」

と声がかかると
ジャケ写(レコードジャケットの5cm×5cmほどの写真)
1枚だけをもって 護国寺まで有楽町線で届けに行ったり

全国の有線放送所800カ所への
月一回 音源などを発送する鬼のような作業をしたり

 「今日の午後 だれかに仕事言われてる? じゃないなら行くぞ!」

と言われ 
当時 新宿の曙町にあったテレビ局までタクシーに同乗し 
その社員さんのあとを 段ボールいっぱいに入れた
アナログレコードを抱えてついてゆき
プロモーションに付いて回った 

音楽番組のプロデューサーやディレクター 
アシスタントやデスクの人を見つけると
掛けより挨拶すると プロデューサー氏は先輩に

 「あれから どうしたのぉ?」などと

先日の飲み会での合コンの
その後の話しで2人は大爆笑

話しも一通りした後 ボクに先輩は一瞬目配せし
それが合図で ボクは抱えた段ボールから
今月リリースされるサンプルレコードと

来月リリースされる別のアーティストの
試聴用カセットテープを先輩に手渡し

たった一言 レコードのプロモーショントークをして
彼のとトーク

 「また ぜひぜひ!」

と終了させ また次の人をみつけ 

 「どうもどうも! 最近行ってます?」と

ゴルフスイングのマネをして またゴルフ話しから
最後にひとこと プロモーションをくり返す

そんな現場を観て回っていた

今からしたら その先輩のスゴかったのは
普通は テレビ局の数ある番組の中で
レコードのプロモーションに来てるわけだから
音楽番組のスタッフへのプロモーションでいいところを

バラエティー番組や トーク番組のスタッフや
出演者にまで プロモーションを徹底してたところ

彼の得意技でもあった

地下1階にあった第2クロークでは
衣裳の着替えやヘアメイクをする大部屋があった

そこには お茶の間で大人気の
お笑いの大御所などがうようよといて 

ぼくの隣りとかで、車の話しなんかしてたりした

先輩は そんな人気タレントを
第2クロークから出て来るのをつかまえては

事前に調べておいた 彼が好きな所属アーティストの
音源を渡したり 彼が甥っ子に頼まれた
コンサートチケットなどを 渡していた

 「ハァー アルバム出るんだ? 車の中で聴くといいのよっ
  聴かせもらいますわー ほな」

彼はそう 裸でカセットテープ持ちながら
スタジオで歩いてゆき
途中でおつきのスタッフにカセット見せて
話したりしていた

それからしばらくして
先輩から

 「第2制作の アシスタントの○○分かるよね? そう短髪の。
  彼に1400までにこのポスター渡してきて」

と言われ ひとり曙町へ行き その番組のアシスタントに
ポスターを手渡す

その番組は、まるでリビングのように模されたスタジオに
彼がゲストに招いてする大人気トーク番組だった

その翌週 その彼が好きなアーティストの
ニュー・アルバムのポスターが そのリビングに貼られていた

先輩のプロモーション結果の1つだった



彼はいつも突然 頼み事をしてくる

丸井の支払い期限が今日までで
1700までに中野にある丸井のそういうセンターに
お金を届けたことや

雑誌「POPEYE」(マガジンハウス)を広げて持って来て

 「この長椅子さ、いま問い合わせたら 
  まだ1個あるけど 電話では取置き出来ないって言うから
  ちょっと買ってきて。いい?」

と言われ 吉祥寺の雑貨屋まで行き
JRと地下鉄乗り継いで 吉祥寺まで行き購入し
会社に戻ったり

二子玉川に住んでた頃には
たまたま先輩も近くに住んでいて
先輩が彼女と同居するからってことで
また 同じリア引越しする時期には

ボクがデートから24;00くらいに帰宅すると
留守電がいっぱい入ってて
その途端 電話がなり 受話器を取ると

 「おっ やっと帰ってきた(笑)?
  どこいってたの? あっそう? いいね〜
  ところでいまちょい手伝える?」

となり夜中24;00から大きな椅子を
ボクの車で どうしてもその日のうちに
運んでしまいたかったらしく
一緒に運んだりした




いまその先輩は、そのレコード会社を退社され
あるビックアーティストのプロダクションを経営されてる

しかし ほんと忘れたころに電話があり

 「○○(先輩の所属プロダクションの大御所)が こんど
  □□さん(ボクの当時いたレコード会社の所属)の
  カバーやりたいって流れなんだけどさ。つないで。」

と きのうの続きのように連絡がある

そして結果 そのカバー企画の話しはうまくいった後
またいきなり携帯がなり

 「いま会社にいる? 前に車でいるから出てこれる?」

相変わらず こちらの状況はまったこ考慮なく
出られるタイミングだったので 会社の社屋から出ると

高級ドイツ車のウインドーが下がって

 「サンキューな? もろもろ。これ良かったら。じゃまた」

と包みものをボクに手渡して 
六本木方面へ走りさっていった


 包みものは「堂島ロール」


おそらく20数年のお付き合いの中で
彼からの頼み事をしてあげた際に

先輩から 初めて頂いたモノでした


まだ「堂島ロール」が
話題になってない頃だったと思う



そのロールケーキが
とんでもなく 美味しかったのは

「堂島ロール」そのものの
美味しさのおかげばかりではなかった


ヒ?クチャ 1.png

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