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智恵子の生家訪問!

4月18日(日)三春の滝桜を観に行った時、ちょっと足を伸ばした
道中に「智恵子の生家」の看板を発見・・・急遽、寄ってみる事に!

・と・そこには、あまり知らない(私だけかも)智恵子の生涯の名残が
ありました。 ・・・・新しい発見に感動しましたので記事にします。

尚、館内は撮影禁止でしたので、館内で貰ったパンフレットの写真です。

場所は、国道4号線沿いで発見 福島ー二本松の間の安達と言う町にありました。

今回は智恵子の生家と智恵子記念館を見学できました。
下記が入場券です。 ¥400.- / 1名です。

智恵子は福島県安達の酒造業の家に生まれたんですね! 
 花霞(はながすみ)と書いてあります。


-------下記に智恵子の年暦を簡単に------------------------------------------------------------------------

○1886年(明治19年)5月20日、福島県安達郡油井村(現二本松)に酒造業。長沼今朝吉・せんの長女として生まれます。
・・本名?(長沼チエ)さんです。小学校の通信簿に書いてありました。

生家内部の居間(立派です)


○1901年(明治34年)16歳 油井小学校高等科を卒業・福島高等女学校に入学
・・小学校の通信簿が記念館に展示されてましたが、成績優秀だったそうです。
   1年・・9点 2年・・10点  3年・・10点 4年・・10点  10点満点だと思います。

○1903年(明治36年)18歳 日本女子大学校に入学。 油絵にひかれます。
・・記念館には、智恵子の描いた油絵が展示されてました。

○1907年(明治40年)22歳 大学校を卒業し、洋画家の道を選んで東京へ上京・・太平洋画研究所に学びます。

○1911年(明治44年)26歳 雑誌「青鞜」が創刊されその拍子を描きます。こんなのがキッカケで高村光太郎のアトリアを訪れることになります。
明治45年「青鞜」の人達との新年会で(前列中央が智恵子)


○1912年(明治45年)27歳 光太郎が智恵子に与える詩を書き始めます。
  太平洋画会展に油絵2点を出品

○1913年(大正2年) 28歳  光太郎の後を追って上高地に行き、一緒に絵を描く、ここで結婚の意思を固めたとのこと。

○1914年(大正3年) 29歳 光太郎詩集「道程」刊行。駒込林町のアトリエで光太郎と
の生活を始めます。

○1918年(大正7年) 33歳 父今朝吉が没する。 結婚以前から助膜などに故障があり
1年に3,4カ月は郷里で過ごしていました。

智恵子の部屋


○1921年(大正10年)36歳 光太郎が智恵子のために訳したバルハアラン詩集「明るい詩」を刊行する。
大正15年アトリエにて


○1929年(昭和4年) 44歳 傾きかけていた長沼家破産、一家は離散する。

○1931年(昭和6年) 46歳 統合失調症の最初の兆候が現れる。

○1935年(昭和10年)50歳 南品川のゼームス病院に入院する。

○1937年(昭和12年)52歳 この頃から病室での紙絵製作が始まる。 

○1938年(昭和13年)53歳  10月5日 肺結核で死去

智恵子は実家の破産などもあって精神を病み(統合失調症)、睡眠薬で服毒
自殺を図る。それは未遂に終わったものの狂気は進み、1938年10月5日、7年の錯乱の末、智恵子は肺結核で死去する。

死の3年後、光太郎は30年に及ぶ2人の愛を綴った詩集「智恵子抄」を刊行
した(58歳)。

-------------光太郎の詩(ほんの少し)----------------------------------------------------------------

レモン哀歌
                     高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう

           「智恵子抄」より



 あどけない話          高村 光太郎

智恵子は東京に空が無いといふ、
  ほんとの空が見たいといふ。
   私は驚いて空を見る。
     桜若葉の間に在るのは、
       切っても切れない
         むかしなじみのきれいな空だ。
            どんよりけむる地平のぼかしは
              うすもも色の朝のしめりだ。

 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
    阿多多羅山の山の上に
       毎日出てゐる青い空が
           智恵子のほんとの空だといふ。
              あどけない空の話である。









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