【July 2011】
最終滞在地、バンクーバーに到達!
1月最後の日に日本を出発し、ネパール、香港とアジアを巡り、ヨルダンからイギリスへ、イタリア、フランスとヨーロッパを放浪し、4月からスペインで40日間の巡礼をし、ブルガリア、ルーマニアを旅して再びイギリスへ。
疲れた、というのが正直な感想だった。
7月10日にイギリスからアメリカへ飛び、ニューヨークに降り立ってから約20日間、プリンス・エドワード島で数日ゆっくりした以外はほとんど移動していた気がする。
7月30日、アラスカの アンカレッジからアメリカン航空でシカゴへ戻り、ユナイテッド航空にてバンクーバーへという、少々(いや、かなり)バカげた移動の末、 2010年冬季オリンピックで我らが大ちゃんこと高橋大輔選手が、フィギュアスケート日本男子初の銅メダルを獲得した バンクーバーへたどりつく。
ダイレクトに飛べれば4時間程度の距離を、東西に行ったり来たりしてほぼ一日かけて移動した。まさに、バカげているとしか言いようがない
こんな行程を立てた自分が腹立たしい。それは同時に世界一周航空券のデメリットでもある。
シカゴの乗継は2時間半。シカゴ空港に到着後ターミナルを移動してユナイテッド航空でのチェックインに50分、セキュリティ通過に40分、ようやく出発ゲートに辿り着いた時には、乗客の3分の2がすでに乗り込んでいた。
アメリカン航空が遅れていたら完全にアウトだった、危ない危ない…。
奇跡的な定刻通りの運航に感謝。
日本人が住み安い街 バンクーバー
世界の住みたい都市ナンバーワンに挙げられるバンクーバーは、確かにとても住み安そうな整備された街だった。
冬季オリンピックのために建設されたトラムは空港や周辺の町を結び、市内には地下鉄も走っていて、ほとんどの観光場所に簡単に行くことができる。
海と山の両方がすぐ近くにあることも私には心地良いと感じられた。
ニューヨークに負けず劣らず人種のるつぼという感じのバンクーバーだが、 アジア人率が異様に高かった気がする。特に「セール」の看板が出た店内に…。カフェや食堂など飲食店でも必ずというほどアジア系が働いていた。留学生が多いのだろう。
危険な場所にさえ踏み入らなければ、治安もとても良いと感じた。
半島の先の部分を広大な スタンレー・パークが占め、緑が圧倒的に多い街だ。
意外にもバンクーバーの秋から冬はどんよりした曇りや雨が続き、鬱になる日本人が多いという。そんな日本の梅雨みたいな時期のあるバンクーバーだからこそ、日本人には住みやすいのかもしれない。
海沿いのコンドミニアムには、ベランダに必ずテーブルセットが設えられていた。降り注ぐ夏の陽射しを、漏れなく体に取り込もうというバンクーバー在住者の光への渇望が伝わってくるようだった。
カナダを代表するチェーン店 ティム・ホートンを始めとしてスタバ、マックなどのファスト・フード、セブンイレブン(!)、そして日本食レストランと安いカフェや食堂も多く、バンクーバーでは食に困ることはなかった。
滞在したホステル周辺は中心街だったので、少し歩くと入りたい店がいくつも見つかってしまい、どこに入るか迷ったほどだ。
特にロブソン通りの端は ラーメン店の激戦区で、ラーメン人気はバンクーバーでも同じらしい。「元町食堂」の前にはいつも行列ができていた。焼肉の牛角まで進出していたのにも驚いた。さすがに牛角には一人で入る勇気はなかったけれど。(日本ですらそれは無理かな…)
日本料理店がこれほど多い街は初めてかもしれない。
バンクーバーで新しい人生を始める?
バンクーバーでの8泊のほとんどをスタンレー・パークの散歩に費やした。
散歩というには外周8キロのこの公園は広大過ぎるか…。
隣りの島へ渡る橋に続く大道路がパーク内を横切り、ジャングルのような広大な森、バラ園、レストラン、湖、ミニ遊園地、そしてミニ列車まで走っている。家族連れで一日遊べるテーマパークのような公園だった。
森の中のトレイルを迷いながら歩き、リスやウサギなどの野生動物と戯れた私だったが、この森林トレイルはしばしば変質者や強盗が出たりするので一人歩きは危険だということを後から知った…。ひえ〜
バンクーバーはホステルも居心地が良かった。
狭い食堂は毎朝激混み状態ではあったが、朝食が付いているというのは素晴らしい、と実感。
ホステル・インターナショナル系列の朝食はコーヒーもジュースもココアもあってグレードが高かった。
そんなこともあり、バンクーバーは新しい人生を始めやすい街でもある気がした。
残すところあと 8日。
私はどんな思いとともに、日本へ帰国するのだろう。
タグ: バンクーバー