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少し前までスコットランドのコミュニティ、フィンドホーンで暮らしていた、さすらいびとです。 I'm a wanderer who were living in Findhorn community in Scotland till recently.
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2021年07月28日

世界1週の旅:北米編?M【カナダ】自分の居場所を探して

A voyage round the world : North America Edition ?M
Looking for my place【July 2011】


私はいつも旅に出ると、無意識に「 自分の居場所」を探してしまう。
その場所に辿り着きさえすれば、きっとそこが私の居場所なのだとわかるはず、と。

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ときに「home」とも表現される、自分が本当の自分でいられ、何の不安も感じない、心から生きていていいんだと思えるような、そんな生まれる前から用意されている「自分の居場所」がきっとこの世界のどこかにあるはず、とずっと思ってきた。パリを出奔してタヒチに移り住んだ画家ゴーギャンのように。



バンクーバーに8泊、という北米旅で最大の日数を費やしたのには理由がある。
旅の最終目的地の候補として、バンクーバーの後にシアトルやサンフランシスコも考えていたのだが、アラスカを行程に組み入れたため日程的に余裕がなく、諦めたのだ。だから特に「どうしてもここ!」という気持ちはなかった。

旅の最終滞在地では帰国を前に様々な思いが浮かんで来るはず、と覚悟していた私にシアトルやサンフランシスコは都会過ぎる気がした。これからの人生と向き合うためには、海と山と森に囲まれた自然の多いバンクーバーが最適に思えてきた。

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当初はバンクーバーを起点にシアトルまで日帰りで足を伸ばすことも視野に入れていたのだが、移動に次ぐ移動で疲れ果て、アメリカに対する嫌悪感も募っていた私にそんな気力は残っていなかった。結果8泊中に遠出したのは対岸の島 ヴィクトリアへのフェリーを使った日帰りショート・トリップのみだった。その他は スタンレー・パークを中心にバンクーバーの街をひたすら彷徨い、あっという間に8日が過ぎた。

この間私は早く日本に帰りたいと思っていた。あと数日で戻れることを喜んでいた。
やっと帰れる、とどこかでほっとしていた。帰ってもつらい現実が待っているだけなのに…

P1060876.JPG


私はいつも「 ここではないどこかへ To somewhere not here」という思いに駆られて旅に出ている気がする。

もちろん「帰って来た」と感じるロンドン、住みたいと思ったエディンバラ、幸せを運ぶ風景のあるヘイスティングス、リラックスした時を過ごしたプリンス・エドワード島など、もっと長く滞在したいと思った場所はたくさんあった。

だが「ここが私の本来居るべき場所だ」と心から思えるような場所は、どこにもなかった。
そんな私に友人は言った。
自分の居場所は見つけるものじゃなくて、自分で作るものなんだよ」と。

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最初からパズルの最後のピースをはめるようにピッタリくる場所など見つけられるはずがないと。

それは、人が安らげるのは場所ではなく、本来誰かの隣りだからなのかもしれない。どこか特定の場所ではなく、伴侶の居る所が自分の居場所になるということだろうか。数々の苦難を乗り越えて今の夫と結婚した友人を見ながらそう思った。「彼に会うために生まれてきた」と断言した友人が羨ましく思えた。

どうして私はこんなにも完全に一人ぼっちなんだろう。
バンクーバーは都会なのに、みんな必ず誰かと一緒にいる。半年間の旅の最後に、私はどうしようもない孤独感に襲われていた。自分で選択したからだとわかっていても、やはり一人は寂しい。

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でも絶対に一人ぼっちの人は他にもいるはずだ。みんな幸せそうな人々を見ると余計寂しくなるから、きっと部屋に一人でこもっているのではないだろうか。パソコンと対話したりして。

「自分の居場所」という光を求めて外に出てしまうことは少なからず、一人ではない人々の間に独りきりで身を置く苦痛を伴う。なのにどうして私はいつも独りぼっちになりたがるのだろう。一人で旅に出てしまうのだろう。誰かのそばにいたいのに。誰かにそばにいてほしいのに…。
どうしてみんな、その誰かを簡単に見つけられるのだろう。

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伴侶という外的な要因によって「自分の居場所」が左右されていいものだろうか。
人は一人で生まれてくるのに、自分の居場所は相手がいなければ見つけられないのか。
自分ひとりだけでも満足できる居場所は成立しないのか。

この半年の旅で、それらの不毛とも思える問いの数々に答えを見つけることは私にはできなかった。この頃の私はまだ、自分の内面へ向かうことを知らず、外側にばかり答えを求めていた。
半年で11か国という多くの国を旅して、私は一体何を得ただろう。

結局「これからの人生」という課題と向き合ってみてわかったのは、自分の望むものと他人や社会が私に望むこととの間には大きな溝がある、という事実だけだった。

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