What I think about at the end of my journey 【August 2011】
いよいよ、旅の 最後の日
半年に及ぶ世界1周の旅を終え、明日わたしは飛行機に乗って日本へと帰る。
バンクーバーには、 スタンレーパーク Stanley Parkという400ヘクタールの敷地を持つ巨大な公園がある。
世界の公園ランキングで常に上位にランクインする、多くの施設や見どころを備えた魅力的なその公園に、私はバンクーバー滞在中ほぼ毎日通った。
そして旅の最後の日も、まるで足に意思があるように、考えるまでもなくスタンレーパークへと向かっていた。
バラード海峡に架かる大橋。園内を縦断する道路がバンクーバー北西部へと延びている。
両側には歩道もあるので、歩いて渡ることもできる。橋の上からは、
バンクーバー港や、旧市街である バーナビー地区も見える。
両側には歩道もあるので、歩いて渡ることもできる。橋の上からは、
バンクーバー港や、旧市街である バーナビー地区も見える。
旅の終わり
曇り空と寒さに気分が沈みがちな朝、ティム・ホートンで1時間ほど書き物をしてからロブソン通りを歩き始めると、待望の青空が広がり始めた。
幸せをかみしめる。
青空の下、花屋さんやいい匂いの漂うクレープ屋さんの前を通りながら自分の足で自分の行きたい所へ行ける、そんな当たり前のことがとても幸せに思えて、全てに感謝せずにはいられない気持ちになった。
背の高い針葉樹林に覆われたパーク内には 原生林が手つかずの状態で残されていて、無数の トレイルが林の中を通っている。すれ違う人もほとんどいなくて歩きやすいと思いながら毎日歩いていたが、実はこのトレイルを歩く現地の人はいないという。何故か?
それはホームレスが野宿していて、襲われる被害が多発しているからだ。私はこれを帰国後に知り、何の被害にも合わなかったことに心から感謝した。
なのに私はその幸せな半年の間、どれだけ腹をたて、怒り、勝手に毒づいたことだろう。
私のコドモな態度にどれだけの人が不快な思いをしただろう。
こんなに恵まれているのだから、もっと気持ちを大きく持つべきだ。
列車や飛行機が遅れようと急ぐ旅ではないし、誰を待たせている訳でもない。
旅の予定が少し狂って、ほんの少し余計にお金がかかっただけ…。
そう、それだけなのだ、たいしたことじゃない。
そう思って笑顔でいる方が自分もラクだし、周りの人も良い気持ちになる。
幸せは小さいからこそ幸せなんだと、この旅で教えられた。
公園の海沿いには、 シーウォール The seawallというダウンタウン方面へ伸びる遊歩道が整備
されていて、スタンレーパークの外周だけでも 9キロある。ジョギングする人と多くすれ違う。
されていて、スタンレーパークの外周だけでも 9キロある。ジョギングする人と多くすれ違う。
どんな状況でも楽しむこと。
それが秘訣。
肝心なのは心の持ちようだ。
それには今まで積み重ねてきた否定的な考え方の習慣を、努力をして変える必要がある。
感謝の気持ちも大切。
一人でも私は生きていけるけれど、それは名も知らない人達による見えない力に支えられているから。そして勿論、常に私を見守ってくれる亡き両親の愛と、私を思ってくれる多くの友人たちがいるからこそだということを忘れてはならない。
園内には、ミニチュア鉄道が走り、2つの湖、ローズ・ガーデン、水族館、多くのレストラン、
トーテムポール広場、展望スポットなどがあり、1日いても飽きることはない。ツーリスト
だけでなく、夕方や休日の海沿いのレストランやカフェは、現地の家族連れで賑わう。
トーテムポール広場、展望スポットなどがあり、1日いても飽きることはない。ツーリスト
だけでなく、夕方や休日の海沿いのレストランやカフェは、現地の家族連れで賑わう。
人生を変える最初の一歩
自分の人生を動かすのは、ほんの小さな一歩。
皆いつも「バカンスに行きたい」「仕事をやめたい」「あれがしてみたい、これがしてみたい」と心のどこかで思っているけれど、そこへ踏み出すにあたっての面倒な手続きや他人の目など、自分が被る痛手や犠牲にするものの大きさを計りながら「まぁ、とりあえず今のままでもいっか」と諦めている。
突き詰めると「 小さな幸せに満足できる同じ毎日」が結局一番幸せなのかもしれない。
が、私のようにそれでは息が詰まってしまうタイプの人間には、人生を変えることは常に考えてしまう「手にしたい夢」だ。
それでも、その後悔を上回る幸せと自由を感じる瞬間があるからこそ生きている、と感じられる自分がいる。「これをしたい」「あれが欲しい」「あそこへ行きたい」そんな小さな望みを全て実現させていくことは、本気になればそんなに大変なことではない。
ただそのために犠牲にするものは、多少なりともある。
また、そうした小さな欲望を次々に叶えていくことを「贅沢」というのではないか、と思って罪悪感を抱いてしまう自分もいるのは確かだ。
白鳥の泳ぐ湖の向こうには、ダウンタウンの高層ビル群が見える。湖沿いの歩道には
ベンチが多く、静かな環境で読書したり物思いに耽ったりできるのが嬉しい。
ベンチが多く、静かな環境で読書したり物思いに耽ったりできるのが嬉しい。
その「 罪悪感」との戦い。この頃はまだ、それがどれだけ自分に 不要なものであるかに思い及ばなかった。
踏み出す一歩は、自分の「 好き」に忠実になること。
この旅から10年が経った今なら、それがわかる。