ドゥオモに登った日の夕方、スーパーを探しながら街を徘徊していて、ふとIL PAPIROというお店を見つけた。フィレンツェを代表する工芸品であるマーブル模様の紙のお店で、様々な美しいマーブル模様の紙を使ったノートブックや小箱、ブックカバーなど土産に最適なステーショナリーを中心とした商品で観光客の人気を集めているその店で、私は一人の日本人女性と出会った。
まだこの頃は「インフェルノ」は世に出ていないので、そんなに混んではいなかった。
水槽のようなものに入った水の上に色とりどりの絵の具を垂らし、筆で混ぜていくと様々な模様が現れる。そこに紙を落とし、模様を移し取るという実演をしていたのがNさんだった。あれこれと長い時間をかけて商品を見ている私に他の観光客の相手を終えた彼女が話しかけてきた。
最初は日本人はだいたいどういうものをお土産に買っていくかなど他愛もないことを話していたのだが、私はフィレンツェでひとり暮らしをする日本人女性、というものに興味を持ち、Nさんは日本語での話し相手を求めていたのか、話は私の旅のプライベートにも及んだ。
歳の頃40代後半の彼女は細身でショートヘアにメガネをかけ、とてもすっきりとした清潔な印象を与える女性で物腰も柔らかく、ぞんざいなイタリア人の対応に腹立たしさを感じていたこともあり、極めて日本人的で丁寧な接客も好感度が高かった。
そんな私にNさんは、もし日曜日の予定が空いているなら、家に遊びに来ないかと誘ってくれた。私に手かざしを施したい、というのだ。手かざしで人を癒すという宗教めいたヒーリングの存在は、日本でもハマっている友人がいたので知っていた。もちろん勧誘などではなく、あなたは大分疲れているようだから少しでも心と体の疲れを取ってあげたいのだと彼女は言った。
普通に考えて、勧誘するつもりだと云って誘う人はいないので、怪しい話だと私は思った。どこぞの宗教支部へ連れていかれてお金だけ払わねばならないような事態に陥るのはごめんだ。ここはイタリア。日本人女性だからといって油断はできない。頭の中で危険サインが点滅していた私はとりあえず、いつフィレンツェを発つかわからないからと丁重にお断りした。
それでもイヤな顔ひとつせず相変わらず穏やかな微笑を湛えたNさんはその後も、旅の途中でお土産は買えないが自分用に何かマーブル模様のステーショナリーを買いたいという私に丁寧に商品の説明などをしてくれた。結局私が買ったのは、たった8ユーロの小さなポケットノート1冊だけだった。
しかし次の日、どういう心境の変化か私は再びイル・パピロを訪れ、日曜日にNさんのお宅へ伺うことに決めたのである。これは正直、頭の中で点滅する危険サインよりも、フィレンツェのシェア・ハウスで暮らす独身日本人女性への興味と人恋しさが勝っていたのだと思う。
彼女を信じてみようという気持ちと、危険な目に遭うなら遭えばいい、というヤケッぱちに近いその時の荒んだ心理状態が大きく作用したものと考えられる。
かくて20日、日曜日の午後、私はアルノ川にほど近いアパートの4階にあるNさん宅の扉を叩いていたのだった。現在数人のイタリア人と物件をシェアしているというNさん。キッチンやトイレ、バスルームなどは共用で各人に一部屋プライベートルームがあるとのこと。その日は他のハウスメイトは出かけているとのことで、私はダイニングキッチンでNさんが作ってくれたショートパスタのランチを頂いた後、20分ほどの手かざしを受けた。
特に効果を感じた訳ではないが、手かざしの間、私の片方の目から涙が一度頬を伝った。そのとき自分が何を思っていたのか、今は何も覚えていない。
ランチを食べながらNさんは、イタリアに来る前はイギリスでホームステイをしてバイトをしながら英会話学校に通っていたことなどを話してくれた。一度日本へ戻ったが、日本の社会に違和感を覚え再び渡欧し、知人の紹介でイル・パピロに雇われてからかれこれ10年余りフィレンツェで暮らしているという。イギリス生活での笑い話なども伺うことができ、楽しく有意義な時間だった。
Nさんは手かざしの宗教のミラノ支部でマスターの資格を持っているそうで、そうなるに至った運命的な経緯も話してくれたが、一切勧誘めいたことはされなかった。ハウスメイトらと共に過ごす時間などもほとんどないという彼女は純粋に、見るからに消耗しきっていた私に元気を出してもらいたいという気持ちで部屋に呼んでくれたのだと思う。
フィレンツェに8泊したが、そのイメージは今でも私の中で雨のそぼ降るセピア色のトーンで靄がかかったようにぼんやりとしている。
フィレンツェを起点に、ルッカ、サンジャミニャーノ、シエナ、ヴェネツィアと列車やバスでの日帰り旅もしたが、どこもあまり強烈な印象を残していず、どこか夢の中のような曖昧な記憶でしかないのは何故なのだろう。
思い出すのは、激しい雨の中濡れネズミのように震えながら小汚い恰好で愛らしい中世の小さな街ルッカを歩く自分、サンジミニャーノの薄暗いカフェで食べた甘すぎるレモンパイの味、シエナからの帰りにリジョナーレ(中距離列車)の中で聴いたTHE ALFEEの歌…。
今思うと本当にそれらの歴史的な古い街並みの中を歩いたのか自信がないくらいだ。街の姿よりも、鉄道からバスと煩雑な乗り換えに疲れ切って悄然と歩いている自分の姿ばかり浮かんでくる。
せめてもの救いは、久々に晴れたフィレンツェ滞在5日目の17日に行ったヴェネツィアで、絶対にもう一度来て4つ星以上のホテルに泊まってやる、と前向きに思ったことだ。海に浮かぶ憧れのその島は、ツーリスト価格のやたらとお金のかかる観光地だったけれど、長年の期待を裏切らない優雅で夢のある独特の世界だった。まだまだ世界に訪れたい場所はたくさんある。