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寛仁さまの葬儀が営まれているが、
丁度、葬儀の話題で、 僧侶の立場から、
散骨の是非の記事があったので、 抜粋で、
ブームの散骨に反対の僧 埋葬は人間の定義に関る問題と指摘 2012.06.13 07:01 NEWSポストセブン
近著、『散骨は、すべきでない、-埋葬の歴史から-』(講談社ビジネスパートナーズ)では、僧侶の立場から、軽視・粗略にされつつある埋葬の意義を説く。また、近年の葬式仏教と呼ばれる寺や僧侶に対する批判にも答えた。(中略)
そもそも埋葬は、人間の定義そのものにかかわる問題だという。
「言葉を発したり、道具を使ったりというのは人間だけの特性ではありません。音声によるコミュニケーションはイルカも行いますし、チンパンジーは堅 い木の実を食べたいときに平たい石の上にのせて上から石を落として割ります。完全に道具を使っているんですよ。では何が人間を人間たらしめるのかといえば、例えば絵画や音楽など、自分の心の内を形に表すものです。それができるのは人間だけ。そしてその最たるものが埋葬なんです」
読めば読むほど、??大事なポイントが抜けているからだろう、
-->そもそも、人は死んだらどーなるのか?
この世で終わりなら、
偲んで、思い出用のお墓を作ってもいいかもしれない、あるいは、死者の霊の行き所がないと言うのなら、
住まいとしてのお墓もいいだろう、しかし、(浄土宗もそうだが、)
極楽、天国に行くというのなら、
遺物の骨を敬い、墓を作ってドーすんのよって話、本体(魂)が上に行った以上、
「極楽/天国行って、おめでとう!」でいいのでは、
世界の葬式スタイルを見ても、
ガンジスの川に流す、火葬、 鳥葬、 などあるが、
やはり、アトのもの(遺物)を残さないほうがスッキリする、そーいう意味でも、
*もっとも、 徳川時代の 檀家制度 を基とする今の仏教界で、
散骨はベストだと思うけど、
散骨を是認したら、お寺の存亡に関わってくるのは事実、
ちなみに、自分の父母の場合、
母は、 昨年、3/11の震災当日、
(市大病院で亡くなる7時間前、)
神戸空港のモノレールで、自分の前に現れ、一言、「皆さん、大変ね、」
父は、その10日後の3/22、夜亡くなったが、
家に搬送されてきて、2時間後、
遺体の上に、母と共に現れて言った、「ありがとう、」
要は、全然、死んでなんかいないわけよ、
以降、毎日のように現れ、会話する、
(主に母とだったけど、)父の死後、40日後(5/1)、二人は急に黙ってしまい、
神官姿と十二単姿に変わる、
その2日後(5/3)、自分の目の前で、
みるみる天に昇っていったのだが、さらに2日後(5/5)、二人は、ご丁寧にも、
NZの子供 (息子)のところへ寄って、天に凱旋、
そーいうわけで、 父母の葬儀の後、
収骨し、家に置いておいた骨壷には、
まるで、関心がなかった、
本人がいるのに、
なんで、遺物に関心が向くだろうか?この骨の扱いについては、、
ホントは、散骨で終わらせたかった、しかし、教会で共同墓地納骨の案内があり、
先祖の供養 ができて、 (親戚等への考慮もでき、)
東京多摩霊園で、 納骨(喉仏部)をすることに、
9/11、その先祖供養、及び父母の納骨式が終わり、
帰りの電車から見えたのは、
大勢の武士姿のご先祖が 雲に乗って、
一気に、 天に上って行く様 、
これには、唖然!
思うに、今まで、
ご先祖達が、天国へ行けるように祈り、
供養してくれた人が 、誰も いなかったってこと!?
で、もう、かれこれ一年以上経つが、
全く悲しくもないし、逆に、平安そのもの、(除く、腰痛、)
更新日時 2012年6月14日 23時48分23秒
追記)
その父母は時々、
励ましにやってきてくれる、
たいてい、自分が、トラブッている時で、
自分の名前を呼んで、代わる代わる言う、「十字架よ!」、「十字架だ!」
実は、この一年、これしか言わない、
というか、言ってくれない、個人的には意味がよくわからなくて、
閉口気味なのだが、とにかく、
父母が来てくれたことだけで、いつも立ち直っている、
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