川柳 0
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宮崎 駿監督のアニメ「風立ちぬ」を一昨年子供たちと一緒に見ました。今日テレビ放送がるといことで子供たちから教えられて見ています。 (一昨年書いたものです)我がふるさとが舞台(堀辰雄の風立ちぬ)になっています。 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 (ポール・ヴァレリーの詩から) 主題歌 ひこうき雲 この作品はゼロ戦の設計者・堀越二郎と堀辰雄の「風立ちぬ」を重ねたものです。ふるさとの町の病院は高原の空気の澄んだ場所で、 当時は不治の病と言われた結核の療養のために多くの文人が来ていました。 横溝正史、竹久夢二、堀辰雄、尾崎喜八、正木不如丘などです。 堀辰雄の「風立ちぬ」ではここで療養していたのは節子です。(彼の作品に「菜穂子」もあります) 私の母もこの病院で事務をしていて堀辰雄に東京に出て来ないかと言われたとのこと。 (どんな意味で言われたのかは本人のみしかわかりませんがネ)今はそんな面影をみじんも感じさせないところがさびしいですね。(笑) 母のアルバムから高原サナトリウム本館玄関前で、当時のお医者さん、看護婦さんと一緒の写真を見つけました。前にいる方々は?久しぶりに若い頃に読んだ堀辰雄の風立ちぬを青空文庫で読んでみました。ふるさとの子供の頃の思いでが眼に浮かびました。 時代が僕に追いついた 2013/7 宮崎駿「風立ちぬ」は 「火垂るの墓」への回答
2015年02月20日
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直木賞作家(1997年「山妣」)の坂東眞砂子さんが55歳で亡くなりました。 作品 「死国」「狗神(いぬがみ)」「山妣(やまはは)」「曼荼羅道」など私はまだ本を読んだことがありませんでした。アマゾンの Kindle版 でさっそく購入して読みました。ワンクリックでアイパッドに入れることができます。「狗神」 感想は後で追加します。 アマゾン
2014年01月27日
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やっと祖母の祖父母の俳句を纏めました。私はただ書き写しただけですが、古文書を現代文に直していただいた「古文書の会」のAさんに感謝です。之だけ解読するのはさぞかし大変だったと思います。明治発句 俳諧博物撰 冬之部 文豊齋寥左 編集 月之本素水 校合 多数の方の句から私の祖母の祖父母「寥左・梅女夫妻」のみの句のみ掲載します。 明治時代に発行された俳書一覧の「明治俳書目録」によると寥左(文政4年8月生まれ) 寥左の編集による出版物が他に3冊ほど見つかりました。 明治 4年 『俳諧三千題 早引略解 明治詩歌発句集』 明治 5年 『俳諧三千題早引略解 春の部』 明治23年 『俳諧博物撰 明治発句』秋之部 後で見たら、国会図書館の蔵書検索で所蔵されているのがわかりました。 この本の価格25銭は今の3千~5千円くらいですから、かなり高価です。 古本屋さんでも扱っていました。2500円です。 日本の古本屋旧暦12月の季語と句イヌル年 (往ぬる・去ぬる年の意で年の暮れ) 隋は昔ながらにいぬる年 寥左鹿賣 鹿は賀茂春日神の使故に世人鹿の訓を忌み音猶薬喰う ろく賣に慎み見ゆる鳥居かな 寥左晩歳、春隣、春ヲ待、春近キ、春ヲ急グ 梅の木に峙(そばだ)つ春のとなりかな 寥左 門並や吐春をまつ飾屑 梅女 春待や心の駒の口とりて 寥左葉竹賣 年の市の賣 ことのはのうきふししげしは竹うり 梅女貘枕 節分ノ夜 (夢を食う)漠の絵を描て枕にすれば悪夢を見ず又邪気を避くと あちきなき世の習也はくまくら 寥左 早梅 早咲ノ椿 何れも早く咲くをいう 早梅や風雅をつなく一坐しき 寥左 早先の椿や散をあやむしろ 梅女年忘 忘るるは常なり年の老過て 寥左 年忘れ杖も忘れて戻りけり 梅女年ノ坂、年ノ矢、年ノ浪、年瀬、年ノ春 庭の松も一枝つつにとしの坂 梅女 登り有は下る習をとしの坂 寥左 月日さへ逐るる年の矢先かな 寥左 貸借の手形てをすやとしの関 寥左 常に聞川音なから年人夜 梅女 鼡にも飯振舞んとしひと夜 寥左 年充や門番扶持の梵仕舞 寥左 山鳥や年の尾に添影もなし 梅女 隠居所や年のうちにも福寿草 寥左 間違うて鶯なきぬ年の春 梅女 年の春ちひろの親にうごきけり 寥左 祓をも一部覚えてとし木こり 寥左年の市 正月の儀式に用る物を賣市をいう 見物に角力は出たる年の市 寥左年用意、年守り、30日夜寝ずに春を迎える日年仕舞、年篭 伊勢大神宮へ30日夜篭り元朝神拝をなす又外寺社へ篭るも云 年守やくるとあくとを右左 梅女 たまのをや結ふの神の年篭 寥左除夜、除夕、除日、除歳 鐘の音は消て積るや除夜の雪 寥左 除夜の梅人静りて香りけり 梅女岡見 30日の夜 高き岡に登て蓑を逆に著て逆に我家を見れば明年有べき吉凶見ゆると也 岡見する夜は心を明りかな 梅女 うは玉の夜に頼みなる岡見哉 寥左私大 南都辺にては12月小の月なれば翌日の朔日を晦日と唱ふ 私の大わたくしに祝けり 寥左算日・書出・懸取 掛乞 書出や世の公平のいそかしき 寥左 かけ乞や忍の一字も片こころ 寥左 門松營、門松立ル、飾松賣、飾藁賣、栢賣、勝栗賣 門松の直も高砂の仕入かな 寥左 松たつや掛乞の気の弱るほと 寥左寒声 寒声遣 謡や短歌など諷ふ者は寒風に向て修行す 酒呑めの名の数にして寒四朗 寥左 寒聲や差支なき天つ空 梅女寒ノ雨 新墓のいとめにたつや寒の雨 寥左寒餅 寒造酒 寒ノ水 寒中に製したるはかひず美味也 寒餅の鍛やしるき焼ふくれ 寥左川浸餅 朔日 水神に供え乙子の餅と同じ 一日や口匂ももちの川ひたり 寥左寒曝(カンサラシ)寒月井水を貯ふを寒水と云、五穀生姜等の物を漬後除き乾にす 月影もしみ込てあり寒さらし 梅女 名物や駿河はふしの寒さらし 寥左寒梅 十月の梅は帰咲とする故、早梅、早咲梅等まで十二月に可ならん (楳=梅) 寒梅と牛角になるや日の力 梅女 寒楳や位置の動かぬむろ邦 ? 寥左寒垢離 白棉巾で頭をつつみ戸戸水を浴び銭を乞う 寒こりや骨と肉との一さかく 寥左宵飾 家事齢事みなとり交て宵飾 寥左寶船 紙に寶船を画て節分の夜人の寝る床の下に敷也 手慰みもまことと成ぬたから舩 梅女 寝ぬうちもうつつお人や寶舩 寥左大寒 大寒やかいたれ時のものしつつ 寥左終年ノ魂祭 除夜其先祖祠、長幼集り飲祝う まめやかな心や年のたま祭り 梅女 なき人に年や重んたままつり 寥左追儺(ツイナ オニヤラヒ)(大晦日悪鬼を払い疫病を除く宮中行事が民間では節分の行事になる) 外出せぬ心となりぬおにやらひ 寥左臘日、臘八 上一人より下万民に至るまで先祖を祭り諸神を祭る相互に酒宴祝うなり 臘日、臘八 臘八や佛の道ハ一とほり 梅女大晦日 大晦日消さうな灯はなかりけり 梅女大神楽、御佛名 仏前に香花し庇に地獄の画の屏風立佛名を唱ふ 鶯も取こしてなけ御佛名 寥左薬喰 鹿肉温て毒なし冬時食可、他月よからず、故に寒中恃にこれを用いる 文明の世や大道の薬喰 寥左厄拂、厄落シ 節分 男は25、42女は16、33之を厄年と云。 乞人に銭を与ふを俗語で祝す、社人来たりて払う処もあり 己か身ハ誰か拂ふそ厄はらい 梅女八つ目鱓取 こしの海も晴よ八目の鰻とり 寥左福ノ内 夜にならぬ家も夜にして福は内 梅女 よい過て言はつみけり福は内 寥左古暦 暦ノ末、巻ハツル暦 暦ノ果 右に巻暦等あり 年の果暦の果と並ひけり 寥左分歳 除夜その先事祭長幼集飲み祝う 分歳や打解て酌一家酒 梅女冬ヲ惜 事すみし餘りに冬ををしみけり 梅女冬ノ梅 梅は春のものなれとも年の内より咲を云 魁の其坂かけの冬の梅 寥左札納 良銭年中受所諸札を神社に納む 神も今宵さこ寝やすらん札納 寥左 二年とは神も利かぬか礼納 寥左暦賣 清算もすると見えてこよみうり 寥左事納 八日 (一年の農事の営みが始まるのは二月八日「事始め」、 その年の農事の終わりを「事納め」一二月八日) 世は末になりても寺は事納 梅女 小普請も大概として事納 寥左凝鮒(こごりふな) 鯉鮒の類羹とし一宿すれば凝るなり 硯摺側に震えへてここり鮒 梅女冰豆腐、冰蒟蒻、冰餅 水に漬置て蒸せば元の餅となる こんにゃくや冰りしらけて軽い味 寥左雑魚寝 節分の夜 大原明神の社の里の男女通夜の夫婦の語らひをなす 誰と名は思あへすもさこねかな 梅女 いさ今宵いてそよ人とさこねせん 寥左行年 楪賣 楪葉は賣はつみなき名なりけり 梅女 来る春も行年も唯一夜かな 寥左師走 師は僧也、この月僧を迎えて佛名を唱ふ。 懐にあるやしはすの忘れ物 寥左 市中は暮てしはすの誠かな 梅女柊賣 (ひいらぎ売り) 持所も心もせまし柊うり 寥左柊挿 柊は冬も青翠にし負も守る操あり世俗門戸にさし目っこ鼻っことて鬼を追也 柊さすや星も影すむ二王門 梅女餅 餅米 餅莚 いつか夜の明てすけり餅の音 梅女 霜ならて思ふ故にや餅の音 寥左餅花、餅米、餅莚 皃女小丸餅を枯枝に貼り玩ぶ 餅花の門や雀の物かたり 梅女節分 立春の前日、豆打、柊さす、鰯サス、鰡の頭サス、鬼は外福は内、年越 節分や神の前なるあやむしろ 寥左 降雨も年こす音や板庇 梅女節季候 22日より乞人赤頭巾で面覆い2人或は4人人家に入り踊催し米銭を乞う節季を告ぐ詞なり。 江戸にては編笠を冠り宝尽し杯の詞を作り破れたる笠を両手に持ち踊こむ 節季候の切字も己がいとまかな 寥左煤拂 煤拂した跡に謡ふや庭の松 梅女 煤拂や太き煙はいはすとも 寥左
2014年01月20日
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明治発句 俳諧博物撰 冬之部 文豊齋寥左 編集 月之本素水 校合選者の月之本素水は本名「小野素水」俳人で「教林盟社」社長。著作に「簒註色蕉翁一代集」、「ふゆこもり」など。 編集者は私の祖母の祖父です。 多数の方の句から私の祖母の祖父母「寥左・梅女夫妻」のみの句のみ掲載します。旧暦11月の季語と句袴著(ハカマギ) 民間は15日 3歳諸王子御髪、5歳袴著、9歳御紐直し 袴着や結ふの神にはく草履 梅女鉢扣(ハチタタキ)空也堂僧13日より18日間洛中外の火葬場を巡り瓢箪叩き(念仏踊り) 世を捨た身にしもあらす鉢扣 梅女 惜しむへし若い時から鉢扣 寥左冬至 鶴の脛長き歩みも冬至かな 寥左冬至梅 冬至以前に開くので早梅と言う。 花も香もおしつまりけり冬至梅 梅女 名に付て咲も役目の冬至梅 寥左 被初(カツギ)大阪4歳、京は7歳の女子が初て帔衣を被る 其奥に入支度也かつきそめ 梅女神楽 神楽の起りは天照大神の天の岩戸 霜冷に肩衣垂る神楽かな 寥左道祖神祭 16日 児童集まり往来の人に銭を 子の時の一度ハあって道祖祭 寥左大師講 21日から24日まで修す 念佛もちゑの基手か大師講 梅女 傳へ行教へのみちや大師講 寥左雪車(ソリ) そり唄に無事な心のこもりけり 寥左子燈心(ねとうしん) 燈心草をこの日に貯れば福あり 藺草イグサ 買いたすや百夜を照らす子燈心 寥左梅探 打ち寄りて花入れ探れ梅椿 芭蕉 早梅を尋る心なり 聞人は手柄のうつしうめさくら 寥左帯解(ハノブ)男の子は5歳で袴着、女の子は7歳で帯解、男女3歳で髪置(髪をを結ぶ) 七五三の由来 帯解や栄行末の目にみゆる 寥左御火焼(オホタキ) 所所神社にて火をたき湯を奉る。 御ほたきの外や取巻月の霜 寥左空也忌 13日 空也忌や面忘れせし人達 梅女 空也忌に悟れ命の水の味 寥左藪柑子 (10両) 香に暮す人こそあらめ藪柑子 寥左鰤 (ぶり) 魚の師と書るる鰤の出世哉 寥左吹革祭(ふいこ)鞴 草薙の風や鞴の小窓より 寥左小豆粥 冬至の日 疫神小豆を畏れたれば今日食して之を払う 灸する日は忘れても小豆かゆ 梅女雪竿 雪深き口人往来の便のため竿を立て標とす 雪竿のほしや伏屋の標しにも 梅女雪垣 雪深き口になだれ込ぬように隔たる垣なり 雪垣や夜を窺へば月はかり 寥左霜月 霜月のうたかひもなし月の影 寥左枝連雪(シヅリ雪) 夜陰に氣立昇たるが木々の枝に尽いて冰り真白に見える 時ならぬ極のめ糸やしつり雪 寥左
2014年01月19日
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宮崎 駿監督のアニメ「風立ちぬ」を子供たちと一緒に見ました。私は、この作品を今まで全然知りませんでしたが、この映画を見てはじめて我がふるさとが舞台(堀辰雄の風立ちぬ)になっているのをを知りました。 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 (ポール・ヴァレリーの詩から) 主題歌 荒井由実 ひこうき雲この作品はゼロ戦の設計者・堀越二郎と堀辰雄の「風立ちぬ」を重ねたものです。ふるさとの町の病院は高原の空気の澄んだ場所で、当時は不治の病と言われた結核の療養のために多くの文人が来ていました。横溝正史、竹久夢二、堀辰雄、尾崎喜八、正木不如丘などです。私の母もこの病院で事務をしていて堀辰雄に東京に出て来ないかと言われたとのこと。(どんな意味で言われたのかは本人のみしかわかりませんが(笑))母のアルバムから高原サナトリウム本館玄関前で、当時のお医者さん、看護婦さんと一緒の写真を見つけました。前にいる方々は?久しぶりに若い頃に読んだ堀辰雄の風立ちぬを青空文庫で読んでみました。ふるさとの子供の頃の思いでが眼に浮かびました。 時代が僕に追いついた 宮崎駿「風立ちぬ」は「火垂るの墓」への回答我が家のある近くから見た今年の6月の八ヶ岳。高原サナトリウムは写真の左側です。堀辰雄の「風立ちぬ」ではここで療養していたのは節子です。(彼の作品に「菜穂子」もあります)
2013年07月28日
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ここ数日、寒さ厳しき日々が続きます。故郷の諏訪湖では御神渡りが出来たとのこと。野山に行っても小鳥が姿を見せず家にとどまる日々です。書棚にあった 亀井勝一郎 「生死の思索ー歎異鈔のこころ」をなにげなく開いていたら次の言葉に出会いました。亀井さんは私の青春時代に傾倒した方です。邂逅(かいこう)による開眼 遭い難くして今遭うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり (親鸞聖人の教行信証)人間の一生には4回誕生日がある。第1回の誕生日 母親の胎内から生まれた日 肉体的な意味(動物)での年齢の始まり第2回の誕生日 自発的にものを考え始めた日(青春時代)人間として生まれ始めた日第3回の誕生日 邂逅(出会い)、眼を開かれる(開眼) 人間が生まれ変わった日第4回の誕生日 死んだ日 残った人々の思い出として生まれる日ここでの第3の誕生日の邂逅は宗教的な意味での開眼ですが、私にはそんなたいそれた思索はないので、日々のささやかな出逢い(人との会話、ネットの情報、自然)に感謝し、新しく知り得たことに満たされる日々です。 (鳥や花の写真を撮ることで今まで見えなかったことが見えてきたことが 私にとってのささやかな邂逅による開眼です。)今日も庭にはスズメ、ヒヨドリ,ツグミ、ムクドリが来ました。今日出会えた鳥たちにも感謝です。
2013年01月25日
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今日も曇っていて寒い1日になりそうです。この1週間で晴天だったのは1日だけでした。家にあった寺だよりで住職さんが「寺田寅彦」さんの「柿の種」を紹介していました。さっそく青空文庫で探したらありました。ボランティアで入力した方に感謝です。俳句や世相について書いてあるとても興味深い内容のものもありました。 寺田寅彦 柿の種 『コスモスという草は、一度植えると、それから後数年間は、毎年ひとりで生えて来る。 今年も三、四本出た。延び延びて、私の脊丈けほどに延びたが、 いっこうにまだ花が出そうにも見えない。 今朝行って見ると、枝の尖端に蟻が二、三疋ずつついていて、何かしら仕事をしている。 よく見ると、なんだか、つぼみらしいものが少し見えるようである。 コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。人間に対する数千尺に当たるわけである。 どうして蟻がこの高い高い茎の頂上に蕾の出来たことを嗅ぎつけるかが不思議である。』 (大正10年11月 渋柿)これが「感応道交」で、信じることにより仏と人の気持ちが通じ合うことだそうです。身近な人や愛する人との間では何も言わなくても気持ちが通じ合います。 (と思いこんでいる場合も(笑))私も、いま森や沼の自然の中で撮影しながら、色々な珍しい花や蝶や鳥たちの出会いに偶然とは思えない『感応道交』があるように思うことがあります。やはり日々、そのものに入れ込んで行動しているうちに直感的な、通じ合う感覚が作られていくのかも知れませんね。アリもですが私も、そろそろ今頃はと見回りをしていて、丁度うまく見つけたと言う(偶然も行動の結果)ところもあるかとは思いますがね。家の庭にはまだコスモスの花が咲いていました。キセキレイは、ここでは、いつも見かけます。
2009年11月19日
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菩提寺の住職さんの書いた寺だよりに朔太郎について「病気の徳」として紹介されてていました。興味を引かれ青空文庫で原文を読んでみました。人は病気でなくても、気持ちが沈む時があります。「絶えず何かしら心に鞭うたれる衝動」から解放され寡欲になることも必要ではと思いました。「月に吠える」など刺激的な詩が好きだった詩人の朔太郎の文に少なからず驚きました。 病床生活からの一発見 萩原朔太郎1 健康は休息である。日常の焦燥や義務からの解放だ。 静かですんだ気持ちになれる。2 病気は一切を捨てさせる。健康である時の様々な欲望を捨てさせる。 水とパンと新鮮な空気と自由に散歩できればいい。3 病気は無為自然の境地にさせる。 無為にいて無為を楽しみ、退屈にいて退屈の満足を初めて知る事が出来る。4 生活の最も平凡無味のことが面白かつた。 鉄瓶の湯の煮える音、日常の世間話が私を心ちよい夢の恍惚にさそふ。 あらゆる刺戟性のもの(強い調子、力ある思想、感激性・詩的情熱)が不快であった。5 アララギ派歌人子規の歌、自然主義の文学論を初めて理解できた。 「平凡を平凡の筆致で書く」、「退屈を退屈の実感で書く」庭には、まだホトトギスの花が咲いていました。
2009年11月13日
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伊豆沼にガンがだいぶ集まってきました。今年初めて朝早く起きて伊豆沼に行ってきました。カメラマンは10人ほどで、今なら落ち着いて観察できます。観察する人が多くなると、近づきすぎる人もいてガンが沼の真ん中に移動してしまいます。飛び立ちの時刻は約6時です。
2008年10月21日
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先日のテレビで窪田空穂氏(歌人)と島秋人死刑囚との交流を放映していました。窪田さんが松本の人で長野放送製作です。 第15回FNSドキュメンタリー大賞『われに短歌ありき~ある死刑囚と窪田空穂~』限られた命を生きていく姿に感動しました。私たちの命も明日は知れません。1日、1日を大切に生きていきたいです。私の手元にあった『遺愛集』から選んだものです。遺愛集 島 秋人 東京美術選書 9 助からぬ 命と思へば 1日のちひさな喜び 大切にせむ葉の影に ひっそり咲ける朝顔の 紅の命は 夕までたもつ青空に 己がさびしと思ふこと ゆだねて独り仰ぎてゐたり更けてより 激しさ増して降る雨に うたるるものを眺め安らふほめられし ひとつのことのうれしかり いのち愛しむ 夜のおもひに虫あはれ いのちのかぎり鳴くさまを ひとは涼しきものとして聴く昨日まで 鳴きゐしセミの鳴かず暮れ みじかきいのち終へたるらしき許さるる 限りの生きを 愛(いと)ほしみ ちひさき事に幸を得て生くみちたりて 云うべき言のあらざれば 首あげて見る青き空なり私が被害者の立場に立ったら、耐えられないとは思いますが、でもその立場であったとしても死刑制度は廃止して欲しいです。同じ町の方で死刑判決を受け30数年間自由を拘束され、無罪判決を受けたSさんが年老いた母親と一緒に無実を訴え続けた姿が目に浮かびます。昨年亡くなりました。(私たちの職場の組織も支援しました)死刑制度について*世界中で死刑制度がある国が 69ヶ国、ない国128ヶ国。 死刑制度があるのは、先進国では日本とアメリカ(22州)だけです。*日本では検事が起訴した事案の99%は有罪が決まります。 外国の論者は「日本では裁判は行われていない!」裁判は単なる セレモニーだと批判しています。*裁判には誤がある以上、まちがえて死刑にした時は取り返しがつきません。 *殺人を犯した人はもちろん攻められるべきですが、国家が罰として 死刑にすることは、国家による殺人にならないだろうか。戦争はもちろんですが、いかなる場合であろうとも殺人行為を正当化してはならないと私は思います。それこそが命を大切にすることでないでしょうか。
2007年01月31日
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最近起こっている特異な事件を考えるとき、皆が納得するような理屈で物事を説明することは危険であると思います。外から客観的大局的に見るのと、当事者が狭い範囲で自分の目の前のことを考えることには大きな差があり、当事者すらも説明できないものがあるように思います。「目の前にある現象が自分の知っている様々なメカニズムの組み合わせに還元できると思うのは予断である」キュリー夫人の自然研究についての言葉ですが、もっと複雑な人間の行動ではなおさらです。私たちの勝手な予断をもたずに真実に迫ることは難しいことです。ただ特殊な個人の特殊な行動と考えてはならないように思います。社会のあり方、社会のありようがこのような事件を引き起こしている面があることを考えておくことが必要です。暮れに自費出版した義父の本の一説「ある日の師範附属学校教室の出来事」思い出 四 (恐ろしい一幕) 昭和16年12月8日未明、大東亜戦争の幕が切って落とされ、毎月、8の日には必ず全校生徒をあげて大崎八幡さまに戦勝祈願に出かけました。寒い朝でした。その日もやはり校庭に集まって主事先生の話をきいて、それから列を整えて大崎八幡に戦勝祈願に出かけました。ストーブには、火を入れていましたので、一人は火を守るために当番を一人残していくことになっていました。 大崎八幡さまは近いといってもたっぷり一時間はかかりました。帰ってきて、すぐ授業、やがてお昼ということになりました。お弁当を開いて「いただきます」一斉に待ちかねていたご飯をいただきにかかりました。すると間もなく、高等二年のYという子が私のところへお弁当を持って来ました。そして「先生、私の弁当に・・・。」といって、私の顔を見守っています。見ると、この子の弁当のご飯の中に、異様なものがまじっています。箸でかき分けて見ると、ポロリポロリと銀色に光る玉がたくさん転がりでてきます。それは水銀であることがすぐわかりました。私はびっくりしました。Yを連れて職員室に来ました。そして、そこに居合わせた先生と一緒に衛生室にいって、指を口の中に入れさせたり、背中をさすったりして、子どもを激励させながら、食べたものを全部吐かせました。誰が一体、この子のお弁当に水銀を入れたのだろうか、他の先生のお知恵をおかりしながら、一人一人とり調べました。恐ろしいことでした。いくら考えても、誰かが毒殺を図ったーとしか考えられませんでした。残念ながら、一応、子どもたちの一人一人を疑ってみて、一人一人とり調べてみるより他に途はありませんでした。あれほどまでにうまくいっておった学級も目茶苦茶でした。 ついに、嫌疑は一人の子どもに絞られました。夕刻になって、もう暮れかかってから、この子は自白しました。ストーブを守っていた子でした。犯行の動機は「このYさんさえいなければ、成績の順からして、自らが師範に入ることができる。」と考えてのことでした。このクラスからは、年々7,8名は師範に合格していました。 それを超えるということは、年々の実績から困難のように考えたこの子は、自らの、このクラスにおかれる成績順からして、「Yさんさえいなければ・・。」と考えたわけです。しのぎを削っての入試勉強の悲劇です。特に内申書を重んずるようになった当時の入試制度がもたらした一つの事件でした。 この事件の後始末は大変でした。知らせまいとしても直観の鋭い、青年初期の、この子どもたちの眼を覆うことはできませんでした。対策の一つとして、ご飯の中に混入しておったのは、「一見、毒物の如く、しらべてみたら毒物ではなかった。」ということにして、一応その場を濁しました。幸いにして賢明なクラスの子どもたちは平気を装い、このことから遠ざかり、ついに忘れてくれました。 (略)補足(追加)こんな処理をしたら、今だったら大問題ですね。処置について疑問が出されました。続きの文を追加しました。この子の父は、ある学校の主席訓導でした。娘をかばい、私に、ある種の圧を掛けて来たりしました。当時の附属の先生方は、受け持ちである私を責めませんでした。そして、心密かに、入試制度のもたらす一つの悲劇と考えておったのではないか。そして、対処療法的な立場で、毒をもったこの子が、これ以上損なわれることのないように配慮すべきであるとして、私に同情し協力してくださいました。今も昔も、時分の目の前のことを解決することだけに目がいって、それによって引き起こされるであろう周りのことが見えないようです。
2007年01月13日
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最近読んだ本です。私なりの視点で、自分のなるほどと思った部分だけを取り出しました。私の読後メモを残すためにまとめました。江口克彦著の『成功したい人の夢実現ノート』(PHP研究所)松下幸之助の心1)なんとしても実現しようという強い気持ちがあるかどうかです。2)だめと思ったとき、あきらめない人だけが成功します。3)1日、1日あたり前の事を積み重ねることです。4)行動し反省する、行動し反省する。この繰り返しが成功に導きます。5) 道は無限にあります。逆境の時にこそ成長するものです。6) 自分一人の知恵だけでなく、どれだけ多くの人の知恵をかりられるかです。7) 人が喜ぶように心がければ、自分にも同じだけ返ってきます。8) 賢い人は独断専行するから危険です。組織をつぶす人は賢い人です。9)超スピードの成功は、あっという間に全てを失うことがあります。10) 人間の心は微妙で変化します。心の持ち方で成功もすれば失敗もします。
2006年08月17日
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久米信行さんの本ブログ道はブログを『夢実現+縁結び+自伝』ツールとして活用する心得と作法について書いた本です。私のブログにこめる気持ちに、とても共感できます。ブログ道 久米信行 NTT出版 1575円 (05年12月)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━心に響き人生を切り拓くブログ。それは単なる日記ではない。ブログは夢実現のために「縁・運・勘」を増強する自己実現・活性化ツール。ブログは人生と同時進行で綴る「私の履歴書」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━私にとってブログとは何か考えてみました。私自身を映すカガミ私の日々の行動・思考を記した履歴書私の自叙伝私の人生そのもの私の生き方そのもの『ひとり灯(画面)のもとに文(ブログ)を広げて見ぬ世の人を友とするぞ、 こよなう慰むわざなる」(徒然草)ブログなくしては知りえぬ人との不可思議な出会いへの感謝!
2006年02月10日
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最近読んだ本『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ著 イーストプレス社1429円によると凶悪犯罪の低年齢化が叫ばれているが、統計をきちんと見ると実際は次のようだそうです。-----------------------------------------------------凶悪少年犯罪の急増とか低年齢化はマスコミが捏造した世論です。戦後最もキレ易かったのは昭和35年の17歳です。若い頃、凶悪だったこの世代は年をとっても凶悪のままです。(現在の50,60代は凶暴な暴力事件を起こしがち)昔もっと悪がきだった大人が、自分たちのことはさておいて若者の罪には重い罰をと気安く言えた義理ではないのでは!善良な市民も結構凶暴だったりするので注意が必要です。-------------------------------------------------------この本では、昔の日本人はみなフリーターだったとか、常識とは違った視点で考察しています。
2006年02月08日
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昨日の続きです。松谷明彦著『「人口減少経済」の新しい公式』(日本経済新聞社) ー「縮む世界」の発想とシステムー(2)財部さんの日本の借金時計です。今、日本はこう言う状態になっています。誰が考えたって、どこかでどうかしなければ、いつか突然 … …人口減少経済ではどうなるか。何を目指すべきか。私の恣意的なまとめです。興味のある方は本を読んでください。16 公共事業の拡大、民間設備投資の縮小は日本経済全体を縮小させる。 また公共事業による更新費や維持改良費は年々急速に増加し、今後、 新規の公共事業は不可能になる。 年金と公共事業だけは抜本的対策をしないと近い将来確実に崩壊する。17 住民にすべての情報と財源を開示し何を優先するか選択をしてもらう。 今後の社会資本整備計画は、住民や地方自治体側が作る必要がある。 税財源も地方に移譲する。税財源との整合性のない計画は無意味だ。18 どう考えても600兆円の現在の債務を返済することは現実的でない。 現在発行の国債・地方債は永久公債にして利子のみ払っていく。 ただ新規の発行を厳格に禁止し、永久公債の市場を育成する。 もっと支出削減をすべきで、増税は日本経済をさらに縮小させるだけ。19 人口減少経済においては財政による景気拡大効果は期待できない。 重要なのは日本経済全体の規模ではなく国民一人当たりの経済規模。 国力がどうなるかではなく日本という社会の豊かさを問題にすべき。20 GDP世界第2位時代は経済大国のわりには貧しい国民生活を作り出した。 人口減少経済は日本人の生活を豊かにする可能性がある。21 今後は、世界中の資金と人材を集める事のできる国が繁栄する。 世界に開かれた研究開発体制を作り、優秀な外国人の活用を図る。 総花的ではなく日本に残すべき産業分野を絞り込むべきだ。 人口減少経済では、「スリム化」と「絞込み」と「収益性重視」22 終身雇用制・年功賃金制は崩壊し専門性に基づく賃金を基本とした 雇用制度になり人材の流動化が進み所得格差は大きくひろがる。 今までは従業員の忠誠心に依存してきた。今後は労働者の意欲を どうやって高めるか。企業内の意思疎通に要するコストも増大する。23 都市の収支は大都市ほど著しく悪化する。老朽化やスラム化の危険。24 地域経済にとっては、大都市経済圏依存から脱却し自立するために、 地域としての固有の産業や企業を持つことこそが重要となる。25 ライフスタイルの多様化により、労働者の人口は分散する。 高齢者はサービスのよい都市部を選ぶ人が増える。 地方地域でも都市部への人口集中が進み過疎地はますます過疎化する。26 年金制度は縮小し老後の生活設計も変化を余儀なくされ、 老後もまた自己責任になる。また余暇時間は確実に増加する。27 ライフスタイルは多様化する。 スぺシャリティを身につけ、より良い所得を目指す上昇指向のタイプ。 もう一は必要な時だけ働き「働かない自由」を謳歌するタイプである。 モノから得られる幸福ではなく自由な時間がもたらす幸福を追求する。28 就業形態の多様化は競争を変質させる。 自分の得意分野で勝負ができ、多くの人にとってチャンスは拡大する。 敗者復活戦の機会も増える。ただし賃金格差は広がる。29 今後の日本経済は、国民全員に明日への夢を与えることは出来ない。 社会の求心力は低下し「国民みんな」という考え方も希薄になる。 余暇時間も増え「個人」を重視する考え方が強まる。 多様な価値観を持つ人々が個人を大切にし結びつく社会に変貌する。 国民に代わって「住民」という意識が重要になる。30 人口減少経済の共通項は「多様化」である。 経済行動、ライフスタイル、就業形態、余暇、企業、製品・サービス の多様化、 地方経済、都市、行政手法の多様化であり、 小さな政府こそ人口減少経済を豊かな社会にするために望ましい。 人口減少社会では、個人が豊かな生活を営める可能性が高くなる。著者は元官僚でこの意見については異論も多いです。私は経済については門外漢ですが、ただいえることは少子化対策はもちろんですが、経済縮小を見据えた発想の転換を考えることが必要なことは確かです。現在の少子化も数十年前から予想されながら何の対策も立てられないままに今日に至っています。100年後の人口半減を見据えて、一人ひとりが豊かな生活をおくれるような施策を考えてほしいものです。高度経済成長時は豊かさを実感できませんでした。経済縮小時代には、やり方しだいでは豊かな社会を実現できる可能性はあると信じたいです。
2005年12月24日
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厚生労働省の本年度の人口統計の年間推計が発表されました。人口がはじめて減少し100年後には人口は半減しそうです。半減した社会で日本人はどんな社会を作っているのでしょうか。グローバール化された世界の中で雲散霧消しているのでしょうか。動物の世界では環境さえよければ、個体数は爆発的に増加します。日本の社会は子供を生み育て、人が生きていくことが難しい社会なのでしょうか。前読んだ本です。あくまで私のまとめ方なので、興味ある方は本を読んで下さい。松谷明彦著『「人口減少経済」の新しい公式』(日本経済新聞社) ー「縮む世界」の発想とシステムー1995円1 世界一急激なスピードで人口減少と高齢化が進んでいる。2 変化は加速度的で対症療法ではたちまち行き詰まる。3 自分自身で新たなライフスタイル(貯蓄、労働、余暇)を考える。4 日本経済は現在山の頂上、これからは、低下する一方である。5 今後は企業規模を縮小しスリム化し売上高や薄利多売より、 付加価値や利益率の増加を第一とすべきだ。6 賃金を抑えると需要も抑えられ、デフレスパイラルの悪循環に陥る。 企業経営は適切な生産量、効率的な生産、適切な賃金水準を心掛ける。7 人口減少下において売上高や経済成長を追求するのは愚かなこと、 国民所得の最大化を目標としたほうが日本経済全体のために良い。8 発想の転換とシステム全般にわたる大幅な変更が必要だ。9 日本経済は投資主導から消費主導の経済に向かって変化を始める。10 投資財産業ではピラミッド構造、消費財産業やサービス産業の経済 では独立した並列的関係で利害が対立する場面がが多くなる。11 多角化が成功する確率は低い。非効率な設備の存在は命取りになる。 一刻も早い本業の大幅な縮小、廃業、転業を目指すべきだ。12 大都市圏(関東、中京、関西)では今後急速に高齢者が増加し、 高齢化問題は地方より、大都市圏を直撃する。13 人口の高齢化は若い人の大都市圏への人口集中は弱まる。 それがさらに大都市の高齢化を促進し労働生産性を低下させる。14 労働力のあるところに企業が移動する。 産業分布は分散化し地方での就業機会は増加する。15 地方が今までより豊かになり、都市との格差は縮小する。 日本の至る所に豊かな生活が味わえる経済的基盤が生まれる。 (つづく)
2005年12月23日
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人は見た目が9割 竹内一郎(新潮新書)メラビンの法則というものがあるそうです。人は何をもとにして物事を判断するのか。1番が視覚で見た目 55%2番が聴覚で話し方 38%3番が言語の真実 7%人は他人を見た目(表情、仕草、身だしなみ)や話し方などのパーフォーマンスで判断し、相手の話す内容(事実)についてはわずかでしかないという事は常に念頭においておく必要があるように思いました。日本人の顧客への対応は卑屈なくらいに丁寧ですが、(そこにばかり力を注ぎすぎるように感じました)肝心なことがおろそかにされているように思います。怪しげなものほど、見た目で真実を覆い隠そうとします。
2005年12月09日
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安全性の考え方 武谷三男(岩波新書)尼崎JR事故について愛するものを突然失った人の悲しみは当事者しか実感できないものです。年月がたち人々の記憶から遠のいたとしても、愛する人たちにとっては1日たりとも忘れることは出来ないでしょう。1人の人間の命は何ものにも代えることの出来ないものです。そんな悲しい思いを繰り返さないためにはという思いで、30年前のこの本を読み返してみました。安全性の哲学0 日本では公共の福祉のために基本的人権を制限する方向でのみ 公共と言う言葉を使う。制限すべきは特権であって人権ではない。 基本的人権を守るためにこそ公共の福祉がある。 それこそ安全の哲学の根本である。1 安全問題では常に『公共・公衆の立場』と『利潤の立場』とが対立する。 専門技術者の意見は参考にして、公共の立場の人がすべきだ。2 事故調査を徹底的にすべきである。 当事者・事情専門家など立場により正しい見方が出来なくなる。 馴れ合いになり、おざなりな官僚的作文の報告でおしまいになる。3 操作ミスという言葉は最後に言うべき言葉である。 初めから操作ミスと決めてかかった頭で事故調査をしてはならない。4 性能の優秀さは安全の立場の良さでなく利潤の立場の良さである。 性能がよければそれだけ危険も増す。多くの人が必要になる。5 採算性の錦の御旗による合理化こそ問題。6 技術以前に問題がある。安全より利潤の論理が至上の論理に17 事故は様々な専門家の間隙を狙って現れたり微妙なことの絡み合いで 起こることを忘れてはならない。 実験は危険性のテストになっても安全性のテストにはならない。8 安全問題は疑わしきは罰しなくてはならない。 危険が証明されたときはアウトになっている。9 『文明・公共という高度の哲学』が必要だ。 そうでないと専門的・技術的データの使い方も逆の結果を招く。 日本は公共とはお上、国家と同義語になっている。10日本では身分制が強く技術者としての職能意識を忘れ企業の歯車に なってしまう。プライドを失った技術者には技術者の人権・権利、危険 を指摘する権利がなくなる。 アメリカでは職能組合だから従業員なのに声明を出せる。 ソ連はほとんど国立だが安全についての研究所は労働組合が持つ。 日本でも労働組合が公共・公衆の安全を守る立場で考えるべきである。30年前のこの言葉が新鮮に聞こえるのは何故でしょうか。利潤が優先され安全が、あまり考えられずに来たのでしょうか。専門家という人より、もっと現場の何10年間もそこで働いている人の意見が尊重されるべきだと思います。学校などで事件が起こったとき当事者の意見を聞くことはほんとにまれです。現場で働いている人たちが一番わかっているはずです。その意味で労働組合が安全についての組織を立ち上げ、企業がそれを尊重するようにしてほしいものです。
2005年04月30日
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The Blue Day Book ブラッドリー著 980円(竹書房)誰でも落ち込む日がある。どう生きるべきか思い悩むときがある。でもその先を曲がれば素敵な出会いが待っているかもしれない。ひるまずに思い切ってやってみよう。きっと元気になれるから!この本はアメリカでベストセラーになった本です。愉快な動物写真と心温まるメッセージを組み合わせています。落ち込んでいるとき読めばきっと元気になれるでしょう。英語でも書いてあるので英語の勉強にもなります。Everybody has blue days
2005年04月05日
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アベロンの野生児 イタール (牧書店) 人間は狼に育てられれば狼に、牛に育てられれば牛になることが出来る可能性を秘めた存在です。狼も牛も人間が育てても、ヒトになることは出来ません。自分というもの存在は自分の周りの全てのヒトの存在が作り出したものなのでしょうか。ヒトはヒトとして生まれたから人間になったのではなく、人間世界の中で育てられたから人間になったのだということを教えられた本です。狼になりきったヒトという動物を人間にするためにはどうしたらよいのでしょうか。この困難な課題にイタールは挑戦しました。熱いとか寒いとかの感覚すらも人間の世界の中で学習したものなんですね。この熱い・寒いの感覚を目覚めさせるためにイタールがしたことは?第1の目的今行っている生活よりもっと楽しく、過去へ捨ててきた生活に近い生活を与えて、社会生活に興味を持たせる。第2の目的非常に力強い刺激や激しい感動によって神経的感覚力を目覚めさせる。第3の目的新たな要求を与えて社会的な接触を増やし、観念の範囲を広げる。第4の目的必要の法則により模倣の訓練をつけ、言葉を使うように導く。第5の目的肉体的要求の対象に対して心的処置が出来るよう導き、そうした心的過程を教育の目的へとあてはめていく。
2005年03月29日
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【プロカウンセラーの聞く技術】東山紘久著(創元社) 1400円仏像を見ると口は小さく耳は大きい。神仏は我々の願いを聞いてくれる存在です。相手を理解するのは聴くことからしか生まれない。聞く技術を習得していれば、大切な人との人間関係が作れ、信頼感を得ることができます。話し上手より、聞き上手になりたいものです。このブログも情報を本当にコントロールしているのは発信者でなく受信者(話の聞き手)なのかもしれません。1.聞き上手は話さない。相づち以外はしゃべらない。反論しない。2.自分のことは話さない。聞かれたことだけに答える。3相手の気持ちを受け入れる。4答えられない質問には答えないで、相手の心を聞く。5自分の考えと違っていても、相手の話を肯定的にとらえる。6相手のものの考え方、感じ方に興味をもって聞く。7相づちを打つ。「相手の言ったことを繰り返す」。8人の悩みを聞くと助言をしがちだが、情報以外の助言はしない。9教えてもらう態度で聞く。その人の心はその人しかわからない。10ぐちは避雷針のごとく聞き、聞いた話は忘れる。11聞きすぎたり、話しすぎたりしない。適切な距離をとる。12共感とは芝居上手「芝居は皮と肉の間にある」(近松)13相手の話は相手のこと(相手の気持を理解しても相手と自分を混同しない)14相手の言う内容がどんなものでも、一理あることを認識する。15相手が感情的になったら、説明や反論をせず相手の感情を受け止める。17秘密の話には羽がある。秘密をもらさないこと。18聞くとはLISTENで、ASKではない。聞きだそうとしない。19話には小道具がいる(ペット、飾り物、人形、アンティーク)癒される。20迫力ある沈黙や間が入る会話が出来れば上級の聞き上手。
2005年03月14日
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チーズはどこへ消えた? スペンサージョンソン(扶桑社) 880円 変化は起きる 変化を予期せよ 変化を探知せよ変化にすばやく適応せよ 変ろう 変化を楽しもう!進んですばやく変わり 再びそれを楽しもう新しい道への歩みは、誰でも不安いっぱいだ。新しい道へ踏み出せば、必ず変化が起きる。その変化をきっかけに、自分を変え自分に起こる変化を楽しみたい。
2005年03月02日
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理論物理学者武谷さんの未来ある地球のために、今人類は何をなすべきかの提案です。罪つくりな科学 武谷三男 (青春出版社) 1400円これからの科学技術は、生産性を上げるためのものではなく、生き残りをかけた地球規模の挑戦を!!国境を越えた環境問題の徹底的調査研究人の体に何が起きているかを追跡する。産業廃棄物・放射性廃棄物処理の研究化学物質を多量にばらまく産業構造の見直し大量遠隔輸送を前提とした産業構造見直しエネルギー多消費産業(鉄、アルミ)の見直し消費の減少に繋がる産業構造の研究自治体ごとの環境安全計画の策定世界規模の人権思想にもとづくエネルギー・環境政策(世界中から軍備を全てなくせば、エネルギー問題は解決する)今手をこまねいていれば、それは確実に未来に、負の遺産として積み重なっていきます。新しい発想、新しい論理で地球の明るい未来を展望できれば、人々の心に閉塞感ではなく、未来への夢と希望が生まれるでしょう。
2005年02月28日
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村上 龍 13歳のハローワーク(幻冬舎)私は世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います。自分の好きな仕事で生活の糧を得ている人と、そうでない人のことです。自分は何が好きで適性は何か、それを考える武器が好奇心です。好奇心を失うと世界を知るエネルギーも一緒に失われます。皆が平等に持っている24時間という時間をどう使うか、人に奪われないで、どう自分のために使うかということに尽きる気がするんです。若さは資源で、何事もなし得る時間があり貴重です。自分の資源の若さと時間を切り売りしたら取り返しがつかない。若いときに自分の適性や自分の才能をじっくり磨けるような時間的なゆとりやそれを許容する雰囲気ががなくなっているような気がします。
2005年02月21日
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笑いと治癒力 ノーマン・カズンズ(岩波現代文庫)900円アメリカのジャーナリストが医者から膠原病と診断され、治る確率は500分の1と宣言され、手足を動かすのも寝返りさえ難しくなった。病室で10分間腹をかかえて笑うと、2時間は痛みを感ぜずに眠れた。この繰り返しで数ヵ月後には完全に職場復帰を果たした。笑いとユーモア、生への意欲が奇跡を起こすことを示し心と体の相互作用から全人的医療を提言する。ある病院院長はあでやかな衣装をまとって手品をしてみせ患者さんを笑わせるそうです。「人は笑う瞬間は痛みを感じない」「笑い」が、健康遺伝子を目覚めさせ、病気を防ぐのでしょうか。(笑う!遺伝子 笑って健康遺伝子スイッチON!村上和雄著) 初笑い恵比寿講も昔の人の生きるための知恵なのでしょう。
2005年02月09日
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笑いの治癒力2 アレンクライン(創元社) 2400円ときには笑うことだけがたった一つの武器ってことがある。愉快に踊っている人たちがひとり離れて泣いている人の手をとって踊りの輪に引き入れ、喜びに巻き込んでしまうことがある。同じことが人の心の中でも起きる。喜びがやってくれば嘆きと悲しみは去ろうとするがもっといいのは、勇気を出してその嘆きと悲しみを追いかけ、喜びの中に引き入れてしまうことだ。そうすれば、悲しみの強さが喜びの強さに変る。笑いと涙はどちらも挫折と疲労への反応だ。ならば私は笑いの方がいい。ふき取る手間がいらないから。亡くなった人との楽しかったひと時を思い出して笑ってみると、その人を失った痛みが和らぎ、その楽しい思い出の中で再会する。愛する人はきっと私達の心の中で楽しげに嬉しげに永遠に生きているだろう。人が生まれれば喜ぶし死ねば悲しむ。しかし人生の始も終わりも、同じほどの意味のあることだ。生まれた赤ちゃんが何に出会うかわからない。しかし死んでいく人は無事に人生の旅を終えたのだから。葬式には笑いがなければなりません。神の教えを正しく理解している人は死が全ての終わりでないことを知っていますから。
2005年02月08日
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笑いの治癒力 アレンクライン(創元社) 2300円 お父様、お母様へ長いことお手紙を書かなくてごめんなさい。寮が全焼して便箋が全部燃えてしまったものですから。安心してください。火事で持ち物が全部焼けてしまったので、私を救助してくれた男の子の所へ居候しています。そうそう二人とも早く孫の顔が見たいでしょう。喜んで下さい。今私のお腹には赤ちゃんがいて、もう直ぐ生まれます。 メアリより追伸火事など起きていません。妊娠もしていません。成績で赤点を取っただけです。どうか長い目で見てやってください。それをお願いしたかっただけです。「笑う」のは人間だけだそうです。医学的にも笑いは免疫力を高めるナチュラルキラー細胞を活性化させます。笑いは人類が共通に持つ『魔法の薬』で、笑いにまさる良薬なし!楽しいことを思い出して1日に1分間大笑いするのが最も良いとのこと。「人間は笑うことにつきます。あなたは今日何回、笑いましたか?」 (瀬戸内寂聴)
2005年02月07日
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落合恵子 『あなたの庭では遊ばない』社会にはその人を追い詰める色や臭いがある。全ての大人は子供にとってのもう一つの環境問題だなれる事は恐ろしい。見えなくなる。聞こえなくなる。おかしいことに気付いたとき力を出すのか、力の前に頭を下げるのか。人生には賞味期限はない。何かするのに遅すぎることはない。今の時代何か変ですね。今の時代が、私達ひとりひとりがこういう時代を作っていることを自覚したいものですね。
2005年01月24日
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妻と私 江藤 淳 文芸春秋 1000円妻は無言で語っていた。あらゆることにかかわらず、自分が幸せだったということを。私のすべてを赦すということを。私はそれに対して、やはり無言で繰り返していた。君の生命が絶えても、自分に意識がある限り、君は私の記憶のなかで生きつづけて行くのだ、ということを。Amazonマーケットプレイスは本の売買にとても便利です。アマゾン
2005年01月20日
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五木寛之著 元気 人は皆元気の海に生まれ元気の海へ還る『人は皆大河の一滴である。その一滴に宿る「いのち」とはなんだろう。病んだ時代に元気に生きることは至難のわざであるが、しかし、一滴の希望でも、それが大河の水源になる。本当の元気はそこから発するのではあるまいか』(大河の一滴となることを確信して、ひとつのコトバを発信しましょう。 一滴の希望でも世の中を変える力となるでしょう。)『暗愁』と言う言葉は鎌倉時代から文化人の間でずっと大切に使われてきて、明治を彩るいきいきした言葉として色々な人が使いました。『暗愁』を感じるものこそ立派な人間、人間の大事な資格だと言う思いがあった。それが富国強兵の「進め1億火の玉だ」という時代には、この言葉は抑圧され抹殺されていった。人は皆暗愁を抱えて生きているのだという時代と、そういうものを心に持っているのは病気だ、良くない、追放しろと言う時代。人が暗愁を感じるとき表に出すといじめにあい、のけ者にされ、隠さなければいけない時代。人々が必死で暗愁と言う思いを隠しながら、つくり笑顔で生きていく、そういう無理した社会が戦後の何十年かでなかったか。 自殺3万人、日本の戦後は長寿社会であると同時に世界に冠たる自殺大国になった。前向きで明るく元気良くを善とし、暗いとか憂いを感じるとか、悩むとか、それを悪としてそれを拒絶した一方的な社会の欠陥が、今、目の前の足元に黒くぽっかりと口をあけている。明るさ、強さ、そういうものだけでなく柳のようにしなり、屈して、曲がることによって雪を振り落とし、春を待つと言う生き方もある。(敗戦後の苦しい時代にこそ人々の目はギラギラ光り、荒々しい 活気とエネルギーに溢れていたのです。)
2005年01月06日
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元気 人は皆元気の海に生まれ元気の海へ還る 五木寛之(幻冬舎) 「元気」とは何なのか。そして、どうしたら「元気」になるか通夜や告別式の後の人々の奇妙な明るさである。会場を出てからの皆の表情には生気が溢れているのだ。帰途につく人々に意識しない活気が溢れている。私達はバーチャルな死が溢れる中で暮らしながら、リアルな死の実態から遠ざけられている。私達が失われた元気を取り戻すためには、失われた死の実感を取り戻すしかない。死を思えば元気になる。死を遠ざけることは生を遠ざけることだ。
2005年01月04日
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『日本の心』小泉八雲著 講談社学術文庫 1200円今年は八雲没後100年目です。『日本の心』の生神様に濱口五兵衛についての話が載っています。津波から村人を救ったことで生神様として崇め奉られる話です。昭和12年の国語教科書に『稲むらの火』として載っています。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog050.html 地震で津波が来たとき必ず思い出してほしい話です。教科書に載せて誰もの常識になってほしいですね。今回の津波では役立ったはずです。「これはただ事でない。」海辺の高台に住む五兵衛は、今の地震の長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りでそう思った。海を見ると波が沖ヘ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。「大変だ。津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら、村もろ共一のみにやられてしまう。家にかけ込んだ五兵衛は大きな松明を持って飛び出して来た。「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と、五兵衛は自分の田のすべての稲むらに火をつけた。「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の者は、急いで山手ヘかけ出した。高台から見下している五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。村中の人は、追々集まってきた。五兵衛は、後から後から上がって来る老幼男女を一人々々数えた。やがて津波が村を襲った。一同は、波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下していた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。上の話は伝説化していますが、1854年(安政元年)の大地震の時に実際にあった話だそうです。その後五平衛は津波よけの堤防を作らせています。五兵衛のモデルはヤマサ醤油の七代目当主である濱口儀兵衛。理科年表では1854年7月23日M8.4 流失家屋 8300人 死者1000人 7月24日M8.4流失家屋15000死者3000人(大津波は房総半島から九州まで)気象庁ホームページ http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jma/index.html 地震情報 http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/quake/ 津波予報 http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/wave_y/ 津波情報 http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/wave_j/
2004年12月28日
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戦争と平和(トルストイ)愛?愛とはなんだろう?愛は死を妨げる。愛は生命だ。一切のもの、俺が理解している一切のものは、ただ愛しているから理解できるのだ。万物があり万物が存在するのは、ただ俺が愛しているからこそなのだ。全てはこの愛一つで結ばれている。愛は神である。したがって死ぬことは、愛の一分子である自分が普遍にして永久な源へ帰ることなのだ。
2004年12月26日
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聖書の愛の言葉吾ら兄弟を愛するによりて死より生命に移りしを知る。愛せぬものは死のうちにあり。我子よわれら言葉と舌とをもて相愛することなく行いと真とを以てすべし愛は神より出ず、おおよそ愛ある者は、神より生まれ神を知るなり。愛なき者は神を知らず、神は愛なればなり。いまだ神をみし者あらず、我らもし相愛せば我らにいます。神は愛なり、愛におる者は神におり神もまた彼にい給う。
2004年12月25日
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思想の花びら(亀井勝一郎) もの思う人のために我々はなぜ愛情についてくりかえし語るか。それは発見とともにある情熱だからだ。自然も歴史も人間も謎に満ちている。各人は秘密身である。他人に対してだけでなく、自分にとって自分とは秘密身である。愛することでそれを発見し、愛されることでそれを自覚し、さらに前方に横たわる秘密を見つめているのが愛情の深まりというものだ。美しい秘密ほど隠れているからである。自然も歴史も人間もそうである。
2004年12月24日
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松谷明彦著『「人口減少経済」の新しい公式』(日本経済新聞社) ー「縮む世界」の発想とシステムー 1.急激な日本の人口減少と高齢化が始まっている。(半世紀で4000万人減少) 2000年 1億2550万人 2050年 8480万人2.日本の人口の減少高齢化は、世界一急激なスピードで進展する。 需要や経済を縮小させ、成長率が主要先進国の中で最低になる。3.今後の日本経済は企業規模を縮小し売上高ではなく付加価値率の 向上を経営目標とすべきである。 薄利多売の売上増より、付加価値や利益率の増加を第一とすべきだ。4.需要が縮小するので生産能力の計画的縮小スリム化が企業経営の基本。5.人口減少経済において売上高や経済成長を追求するのは愚かなこと、 国民所得の最大化を目標としたほうが日本経済全体のために良い。6.消費は2013年がピークでその後は縮小する。日本経済は、 戦後続いてきた投資主導ではなく「消費主導の経済」に向かって 変化を始める。7.多角化が成功する確率は低い。非効率な設備の存在は命取り。 一刻も早い本業の大幅な縮小、廃業ないし、転業を目指すべきだ。 設備投資へのリスクを抑えるために、リース事業は今後拡大する。8.大都市圏(特に関東、中京、関西)では急速に高齢者が増加する 地域の賃金格差を縮小し若い人の大都市圏への人口集中は弱まる。9.労働力のある所に企業が移動する。産業分布は分散化し地方での 就業機会は増加する。地方が今までより豊かになり都市との格差は 縮小する。日本の至る所に豊かな生活が味わえる基盤が生まれる。10.公共事業の拡大は民間投資をが縮小させ日本経済全体を縮小させる。 公共事業の更新費や維持改良費は急速に増加し新規の公共事業 は不可能になる。11.今後の社会資本整備は税財源も地方に移譲し地方自治体側が作る。 税財源との整合性を考える。もっと支出削減をすべきである。 増税は日本経済をさらに縮小させるだけだ。12. 現在の600兆円の債務を返済することは現実的でない。現在の 国債・地方債は永久公債に切り替え、利子のみ払っていく。 ただ新規の発行を厳格に禁止し永久公債の市場を育成する。13.GDP世界第2位時代は経済大国のわりには貧しい国民生活を 作り出したが人口減少経済は日本人の生活を豊かにするだろう。14.終身雇用と年功賃金制は崩壊し労働者の所得格差は大きく広がる。 専門性に基づく賃金・雇用制度になり、人材の流動化が進む。15.ライフスタイルの多様化により労働者の人口は分散する。高齢者 はサービスのよい都市部を選ぶ。過疎地はますます過疎化する。16.銀行は貸付市場を縮小させ株式市場での資金調達のの方が収益率 が大きくて健全。貯蓄の有効活用は国民生活水準を向上させる。17.人口の減少高齢化の最大の問題は競争力の低下。今後は、 世界中の資金と人材を集める国が繁栄する。総花的ではなく、 残す産業分野を絞り込む。18.終身雇用制の崩壊により労働者も流動化し、企業内の意思疎通 に要するコミュニケーション・コストは増大する。 従業員の忠誠心によらず、労働者の意欲を如何に高めるかの問題。19.ライフスタイルは多様化する。一つのタイプはスぺシャリティ を身につけ、り良い所得を目指す上昇指向のタイプである。 もうひとつは必要な時だけ働く「働かない自由」を謳歌する タイプである。モノから得られる幸福ではなく自由な時間と幸福 を追求するタイプである。20.就業形態の多様化は競争を変質させる。受験競争は確実に緩和する。 人々は自分の得意分野で勝負することができ、多くの人にとって チャンスは拡大するし、敗者復活戦の機会も増える。ただし 賃金格差は広がる。21.人口減少経済の共通項は「多様化」である。経済行動、ライフ スタイルの多様化。地方経済、行政手法の多様化であり、 小さな政府こそ望ましい。人口減少社会では、個人が豊かな生活 を営める可能性が高くなる。
2004年12月23日
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部落、愛好会、サークル、後援会、組合など様々なグループ(集団)があります。単に友好の為の集団の活動ではなく、目的を持った集団での組織的な活動をしていくためには、どんな点をおさえておいたらよいか示唆に富む本です。私の理解したまとめ方です。[教師の世界観・教材観(明治図書選書15)高橋金三郎 ¥1100]1 人間の行動の基準となるべきものは、その人の世界観である。2 世界観は個人特有のものであり、1人1人皆違っている。 評価も困難であり安易な評価は有害でさえある。3 個人の世界観は複雑で、その人固有のものであるが、それを 構成しているものはきわめて単純で普遍的な知識である。4 人と人との対話を円滑にするものは、階級的立場、イデオロギー、 思想ではなく、同期の桜とも言うべき連帯感、体質(習性)です。5 しかし、集団運動のためには、体質を越えて人と人との対話を回復し 連帯を強めなければならない。6 人の行動を決定するのは体質と単純で普遍的な知識の集合体だ。 だから共通で単純な知識の確かめ合い(理解しやすく、すぐれた ものを共通にすること)がきわめて重要である。 それは正しいかどうかを客観的に実証することが出来る。 (人はそれ以前の微細な根拠のない知識で分かれてしまう。)7 そうすることで、体質を越えて連帯を強めることが出来る。組織の活動にとって最も大事なことは、自分たちが当たり前だと思う基本的なことについて一つ一つの確認(確かめ合い)が必要です。組織での様々な活動が一人、一人の心に響く情報の発信の仕方の工夫が必要です。
2004年12月17日
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20世紀をどう見るか 野田宣雄(文春新書) 690円0 20世紀は大衆民主主義と民族自決の原則が旧い[帝国] を消滅させた。今ボーダレス社会の新しい衣装を纏って あの旧い[帝国]の影がしのびより、中世的な帝国や文明 の復活を促している。 最近の日本は深い霧の中に閉ざされ進むべき方向を完全 に見失っている。今、世界的規模で起こっている国民 (民族)国家の崩壊という現象だ。 この深刻さは、日本の歴史全体を覆すほどの大転換である。1 ヒト、モノ、カネ、情報がたやすく国境を越えて多種多様なネットワークが 次々と形成され、国家のコントロールを逸脱した経済活動が展開されて いくグローバルでボーダレスの時代である。2 国際経済の完全な自由競争は国家と経済活動の一体性を喪失させ、 労組の地位、社会福祉をも脅かす3 規制緩和、国際化、金融ビックバンなどによる国家の役割の縮小は、 日本の国家としての輪郭を急速に暖味にし、溶解していく危険性を孕む。 日本は、アジア的規模で広がる混沌の中に埋没しようとしている。 4 ヨーロッパもアジアも帝国的秩序が要請され、広域的秩序を取り仕切る 覇権国家が求められている。5 日本には確定した領土で官僚制度を通じた緻密な経済のノウハウは あっても広漠な多民族領域の秩序を取り仕切るノウハウはない。 グローバル化時代の東アジアは、日本を盟主とする改訂版大東亜 共栄圏ではなく、北京中心の華夷秩序の公算が大きい。6 国家、民族、領土の三位一体に安住していた国家依存度の強い 日本人は、これが崩壊すると一体性を失い、それに代わる帰属集団 を見つけることが出来ず、アイデンティティの危機に陥り浮草のように 漂流する。 7 日本が独自の文明を持ち、文明の活力を取り戻すには、近隣諸国から 優秀な頭脳が憧れて来て、住み同化が起こるはずである。現実は逆で 生産的な日本人は高負担を嫌って日本を脱出し、後に残るのは白髪化 した人々と生産的でない若者にすぎなくなる。 8 日本人全体が[日本系中国人]として、華夷秩序の末端に位置付けられ (中国の広域秩序の裾野に組み込まれ)、かって中国に刺激を与えた 夷敵の一つだったということになりかねず、中国帝国の末端でむなしく 老衰していくのだろうか。 全てに受身で現世に程よく順応して幸せに生きようとする日本の若者を 見れば、気分は既に帝国時代の末端に位置する者のそれである。9 主権国家衰弱の中でのグローバル化時代の切実な問題は少数者の 権力簒奪の危険性をいかに防ぐかである。 国民国家に代わって自由、人権を擁護してくれる組織をどこに見出すか。10 私たちに今求められているものは何であろうか。 国民国家の枠を越えた帝国、文明といった広域的な発想。 自分たちの拠るべき帰属集団アイデンティティの拠り所をどこに見出すか。 地域、宗教、エエスニー、それとも? 私たちは国民国家の安泰を自明の前提とした思考からの脱却を求められ ている。今の時代を歴史の中でどのように考え、若者にどんな学力をつけてやればよいのでしょうか。私たちにとって、帰属集団となりうるのは何でしょうか。21世紀を見据えた展望ある時代の見方が必要だと思いました。
2004年12月08日
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話題の本 『世界がもし100人の村だったら』838円池田香代子/再話C.D.ラミス/対訳出版社/マガジンハウスアメリカの中学校の先生が生徒たちにメールを流した・・・「世界を100人の村に縮小したらどうなるか」というモデルを作り、平和へのメッセージを添えて。この感動的なメールが全世界に広がり、匿名の人々の手でe-mail上で改変、加筆され、日本にも届いた。http://www1.e-hon.ne.jp/content/100nin.html 100人のうち、57人がアジア人 21人がヨーロッパ人 14人が南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます。100人のうち、52人が女性で 48人が男性です。100人のうち、70人が有色人種で 30人が白人です。100人のうち、70人がキリスト教徒以外で 30人がキリスト教徒。100人のうち、89人が異性愛者で 11人が同性愛者。100人のうち、6人が全世界の富の59パーセントを所有し、 その6人ともがアメリカ国籍。100人のうち、80人は標準以下の居住環境に住み100人のうち、70人は文字が読めません。100人のうち、50人は栄養失調で苦しみ100人のうち、 1人が瀕死の状態にあり100人のうち、 1人は今、生まれようとしています。100人のうち、 1人が大学の教育を受け100人のうち、 1人がコンピューターを所有しています。<仮に、自分の冷蔵庫に食料があり、着る服があり、 頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら、 あなたは世界の75%の人たちより恵まれています>と文章は締めくくられています。
2004年12月07日
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