川柳 0
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故郷に帰った時、大事そうにしまっている箱の中に1冊の句集がありました。私の祖母のおじいさん・おばあさん夫婦が詠んだ句です。この当時本を発行するのは大変だったと思います。祖母のおじいさんおばあさんが亡くなった後に子供たち(私の祖母の叔父)が発行したようです。この古文書はとても私は現代文に直すことができないので、友人にお願いして古文書に詳しい方に直してもらいました。2年がかりで大変だったと思います。感謝です!少しずつ紹介します。明治発句 俳諧博物撰 冬之部 文豊齋寥左 編集 月之本素水 校合 明治26年6月20日発行 25銭 著作者は私の祖母の祖父です。 故人になっていたので亡くなってからの発行です。発行者はその子です。 発行者は東壁堂・片野東四郎(名古屋市玉屋町3丁目2番地)です。 江戸時代から続く老舗で藩校なども関わり東京にも店を持つています。 100人ほどの方のお題に対して詠んだ俳句を集めたものですが、この中から 私の祖母の祖父母ー俳号 寥左・梅女夫婦のものを集めたものです。 私はあまり俳句に詳しくないので、どなたかコメントしていただければありがたいです。 馬は人 人は馬見る 時雨かな 寥左冬白湯にさへ味ある冬の心かな 寥左十月 神無月十月や野山にほこる日の光 梅女十月や取巻てゐる雪の山 寥左 炉開や隠居同士の別世界 寥左 初霜の磨く下地か鏡山 寥左心から先へ濡れけけり初しくれ 梅女初雪や落葉引合むら雀 梅女初ものや是等も雪の筆一に 寥左手にとれば雫と成ぬ初氷 梅女初冰むすひ初けりわすれ水 寥左初冬や豆腐も白う店開き 寥左露ほとの情も萩の枯るまて 梅女 はたはたや遊んて店ハ酒の減る 寥左年々に昔に帰る時雨かな 寥左拝墳は人の己に勝るかな 寥左世のさまを写すや鳰(にお=カイツブリ)の浮きしつみ 寥左口切や庭もかわらぬ松万年生 梅女 (口切 お茶の封を切る)茶の花や世に諂(へつ)らはぬ里の 梅女茶の花は奢らぬ里の鑑かな 寥左惜しまれて散にゑを持紅葉哉 梅女世の際を賑やかにして散紅葉 寥左荻枯て波音はかり伊勢の海 寥左松風も空しく吹て神無月 寥左柏掌ハ谺(こだま)うえて神無月 梅女 (谺 木霊、木精)夜ハ義士の咄に交えて鐘氷る 梅女鳥部野や音なき風に鐘氷る 寥左神立風(からさで)の吹や鳩にも鳥にも 寥左風に臥徳も叶はす枯尾花 寥左 暮るともなく日の落て枯尾花 梅女 (枯尾花 枯れたススキ)寒菊や兄の蕾も遠からす 寥左日をはらむ山懐や帰り花 梅女帰花今日無事の思いあり 寥左 (帰花 時期外れに咲く花)神齋し跡や大和のかやの花 寥左 (榧の花(カヤの花 煙とし蚊やとり)枯あしや枯たについて音のする 寥左芦枯て夜渡る月そ哀なる 梅女画に残す骨もほまれや枯すすき 寥左草枯てあしに見らるる在所かな 梅女菊枯て兄の蕾を待るかな 寥左朽ぬ名や扇の芝の枯るとも 寥左枯蓮やいよいよ泥に帰る亀 寥左荻枯て蘭に離るる野楮(こうぞ)かな 梅女針ほとのことのはもなしかれ茨 寥左山賊に見透されけり枯箻 梅女るすにしもさぬ神の力かな 寥左おしなへて月や守らん神の留守 梅女八重垣も聞かせたまへ神迎 寥左引過て月夜を運ふ大根哉 梅女引や大根臍も力のいれ所 寥左世を忍ふ雉子やそはの刈こほれ 梅女刈なから日に逐るるやそは畑 寥左玉しきの都も名草枯にけり 寥左麦蒔や女にハ似ぬ一人前 梅女麦蒔や畑にもなしむ隣あり 寥左薄冰や夜を日に継し潦(にわたずみ) 寥左(潦 雨が降って地上にたまったり流れたりする水)難行も苦行もあるにゐのこ餅 梅女寺にしも弟子なれかしのゐのこ哉 寥左(ゐのこ 玄猪 陰暦十月の亥の日。又その日に食べる餅)延かちなものの習を御取こし 寥左(御取越 浄土真宗の門徒が親鸞の忌日11月28日に行われる親鸞忌を繰り上げ、陰暦10月に各自の家で行う報恩講)いかめしき昼の灯や御命講 梅女菓も佛果に入かおめいかう 寥左(御命講 会式 日蓮の忌日10月13日を中心に営む法会)眠る山にいたはる雪のふとん哉 寥左筐庭や人隅持て八手さく 寥左紫の庭の尊き下元かな 寥左 (下元 陰暦10月15日)約(つづめ)りハ米と薪よ冬かまへ 寥左 (約める 節約する)夢の間ハ浮世ニも出つ冬籠 寥左 冬籠(こもり) 冬の間ひきこもる 冬されや猫のすり付膝かしら 寥左冬されや鳴残したるきりきりす 梅女ほっかりと昇る旭や冬牡丹 梅女とり囲むいろはの蔵や冬牡丹 寥左 一ツつ咲て久しや冬椿 梅女 一家内和合の位置や冬椿 寥左一力草にも見ゆる小春かな 梅女木枯 凩と書く。木枯の風と読む。秋冬吹く風にて木を枯す心なり凩の跡や月澄うらの山 梅女凩に脇に立親の白髪かな 寥左散木の葉焚ても風の音のする 寥左不破の関も洩ぬこのはの時雨哉 梅女世の罪ハ笑なくして夷講(えびす講) 寥左残菊の宴や老の命のわすれ草 寥左山茶花や老の命のわすれ草 梅女習ひつつささ(鶯子)鳴習ふ日和かな 寥左北窓を閉いてきまる旭かな 寥左飲欲の水をハ水のかるしとも 寥左蕣(あさがお)と同じ心を霜の花 寥左たまほこの道やあふなししも柱 梅女時雨るハ常なり柴のわひ住居 梅女馬ハ人人ハ馬見る時雨かな 寥左世をのかれかれても時雨かな 寥左 世の末と見るやしまきの石佛 梅女壁一重外はしまきの苦界哉 寥左 (シマキ 時雨に風の交じる) 霜枯や手慰ミして世をわたる 寥左罪のない子の膝に寝る十夜哉 梅女荷にならぬ念佛賣取十夜哉 寥左ひは咲や松の懐杉の袖 梅女口すさむ鳥もないのにひはの花 寥左
2014年01月18日
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今日は仙台での、友人の奥さんの告別式に参列しました。1週間前に突然倒れられ、意識が戻らずそのまま急逝されました。若くして亡くなられた奥さんの冥福を祈ります。明日咲くつぼみに 永六輔想い出の人々明日咲くつぼみよ今日散る花びらよ想いでの笑顔よ想いでの涙よ昨日、今日、明日過去、現在、未来時は帰らず世は移りゆくいつか別れの言葉「さようなら」想いでのあの時想いでのあの人明日咲くつぼみに今日の生命を
2010年01月30日
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歌は心 スーザン・ボイル今日の報道ステーションで紹介していましたので聞いてみました。感動が世界中に瞬時に伝わっていくネットの力の凄さを感じました。イギリスのスター発掘テレビ番組で、スコットランドの無名の独身女性が歌を披露し、ユーチューブで世界中で3000万回以上も視聴され、注目を浴びた。彼女は母親から生前に出てみなさいといわれていて番組に出たという。ボイルさんは「現代社会は人を見かけで判断しすぎ」と話しているそうです。 夢やぶれて (レ・ミゼラブルから) スーザン・ボイルさん 、 岩崎宏美過ぎ去りし日の夢 希望に満ちていたあの頃とわの愛を夢見て神もお許しになろうと若さゆえの怖さ知らず 夢ははかなく破れ何もない私はここに 歌は歌いつくし 酒も飲み干したでも虎は夜やってくる 雷のように低くうなりながら希望を八つ裂きにし 夢も恥と変わる私は夢見る あの人が・・・共に人生を歩んでくれると でも かなわぬ夢もある避けきれぬ嵐もある こんなはずじゃなかったこんな地獄で暮らすとは こんな哀れな姿で夢破れし わが人生
2009年04月20日
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私たちの世代が共通して口すさんだ歌は遠藤実さん作曲のものです。今このような世代に共通した歌はあるのでしょうか。遠藤 実さんのご冥福を心からお祈りいたします。遠藤さんを悼んで、歌の苦手な私でも歌える歌をYouTube からです。 くちなしの花 北国の春 星影のワルツ 高校3年生せんせい
2008年12月09日
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今日は雪と強い風で大荒れです。交通機関も乱れています。木村蕪城先生は中学校のときの私の担任の先生です。美術の黒田良夫先生に手紙を出したところ、丁寧な返事と共に同じ時期勤務した木村先生への追悼の言葉の新聞記事を送ってくれました。深い理解のもとでの追慕の言葉には、愛情がこもっていました。(私のように目立たない数10年前の生徒のことを良く憶えているものですね)木村先生は鳥取県の出身で、虚子にも学んだホトトギス同人です。療養のため長野県に入り山中生活のあと教職に就きました。句誌「夏爐」発行。著書に、句集一位、寒泉など。我が家の隣に下宿していたので、我が家にも時々来て俳句を作る母とも話をしていました。(妹も最近、指導を受けたとのことです。)2004年3月に亡くなった俳句誌「夏爐」の創刊者の木村先生を偲ぶ「木村蕪城先生追悼 夏爐六百五十号記念大会」が同町で8月に全国から会員が集まって行われたとのことです。木村蕪城先生の俳句です。寒泉に一杓を置き一戸ありオルガンの鳴らぬ鍵ある夜学かな夏桑に雨くる音の別れぎは 寺の鶏鳴いて漁港の夏浅し郭公の声のあけくれ吾子育つ天龍のひびける闇の凍豆腐母みとる未明の銀河かかるなりせんぶりの花も紫高嶺晴 村ぢゆうの障子が白し豚を飼ふ叱るほか言葉を知らず蜜柑むく 優しさを上手に表わせない人がいる。大切な人と一緒にいて、好きでたまらなくても、言葉や態度に出せず、かえってぶっきらぼうに振る舞ってしまう。親が子供に、夫が妻に、恋人が恋人に。優しい言葉をかけたくても、身近な存在すぎて照れ臭い。口調は叱っているようでも、心の中では心配しているのだ。上手に表わせないもどかしさから、つい蜜柑をむきはじめて。 (評 藤島由希)
2008年01月24日
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一昨日1月21日は義母の一周忌でした。母の妹たちと子供たちが集い母の一周忌の法要を行いました。母は72歳のとき、娘に誘われて仙台での「万葉集を読む会」に参加して万葉歌人の扇畑忠雄先生の指導を受けました。「老いてなほ美しきものを吾は見む 若かりし日に見えざりしもの」扇畑忠彦そのときの短歌集が「砂丘」です。「砂丘」から母の読んだ冬の歌です。影を慕ひての曲を聞いてふと見たる 小栗鼠のまるき眼の深き藍ひとり来て野づらに立ちぬ我がめぐり 風立ちすぎて遠山の雪オナガらも群れ鳴きたちて寒さびの 白樺林の冬日明るし積もりたる雪とけそめて上枝より 雫光りつつこもごもに落つ冬ざれの庭の石楠花はつはつに 蕾をもてり今日も雪ふる家ごもり吹雪くゆふべは独り身の 友の行末しみじみ思ふなり娘の家は凍て坂道を上りつめ 孟宗竹の繁れるあたり心なし冬木の影もやはらぎて 見ゆるま昼は我もやさしき
2008年01月23日
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昨日3月10日は義母の四十九日でした。母の妹たちと子供たちが集い母の97年間の生涯を偲びました。義父の27回忌も合わせて行いました。母は72歳のとき、娘に誘われて仙台での「万葉集を読む会」に参加して万葉歌人の扇畑忠雄先生の指導を受けました。私は母の読んだ歌を紹介する冊子を作り皆さんに渡しました。その中から母の花を詠んだ歌です。冬ざれの庭の石楠花はつはつに 蕾をもてり今日も雪ふる大き日輪真紅にもえて沈みゆく 見をり叔父の訃きける心に娘の家は凍て坂道を上りつめ 孟宗竹の繁れるあたりはだら雪残れる土手の笹かげに 水仙の葉が伸び揃ひをりはこべらを摘めば春たつ土の香の 清々としてにほひたつなり緋に燃えておごり咲きつぐチューリップ 春のうららはやや果敢なしふりむきて我はふと見つ町裏の ほこりまみれに咲く沈丁花木漏れ日のあやなすところ白百合の すがしかりけり山路来れば孫だきて欅の下に黄昏を ただずみをればひぐらし鳴くも病む君を想ふわが目にしみじみと 白根葵の花のふじ色葛岡の霊園しづか鮮烈にカンナは燃えて 亡き人の顕つ私は万葉集は好きですが、短歌は作れません。これだけの歌を70過ぎてから作れることはすごいと思いました。万葉集に通じる感性を感じます。
2007年03月11日
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今日は雨降りでした。冬とは思えないような暖かな雨です。今日は義母の三七日、そして義父の27回忌にあたります。娘たちと一緒に墓参りをしました。義父が魅せられていた詩です。親しき者との別れに臨んで引用していました。 別離 (後藤静香)ただ一粒ただ双葉そのままでは伸びられぬ。別れてこそ枝ともなれば葉ともなり花ともなれば果(み)ともなる。別れるとはそれぞれに伸びること別れるとは本当に結ばれること。愛するものは別れて更に近くなる。後藤静香(せいこう)は、クリスチャンで、元教員。希望社を設立、『権威』(名言・格言集)は百万部を発行し全国の教師の教祖的存在になり、神のように慕われた。今まで自分の目の前を通り過ぎて行った多くの友や同僚の顔を思い浮かべました。別の場所で、それぞれ花を開かせていることでしょう。お互いに色々な影響を受けあって、今の自分があるのでしょう。
2007年02月10日
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昨日「山の子の歌」を紹介しましたが、私はもっとよく知れ渡った歌かと思いましたが、意外に知られていない歌だったんですね。メロディーを載せましたので聴いてみて下さい。私たちが子供の頃に歌った歌詞と違っている感じがするのと山の子の歌とは言っていなかったと思いますが、どなたか歌った事のある方にコメントいただけたらと思います。私の故郷の子供の頃いつも見ていた山並みに歌をかぶせて見ました。山の子の歌
2007年01月30日
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庭の枯葉の中に傷ついたキジバトがもがいていました。近づいたら、じっとして動きを止めました。しばらくしたら、どこかに飛んでいきました。キジバト(雉鳩)ヤマバト私の故郷は山の中です。誤解されますが、農村ではありません。子供の頃によく歌った歌です。しばらくぶりに思い出しました。私はヤマバト(山鳩)の歌、ヤマビコの歌だと思っていたら正しくは山の子の歌だったんですね。差別的な響きのあるヤマノコを嫌ったのかもしれません。今では山を知らない山の子ばかりで、気持ちだけは都会以上に都会的です。昔は都会でしか目にしなかったことがここでも起きていますし、地域の人の輪も崩れています。夢や希望というようなものではなく、不安や絶望や憂いを持ちながら山も見ながら、その日を生きていた子供の頃を思い出しながら口ずさんでいます。自然の中を自由に飛び回るヤマバトに思いを託した ヤマバトの歌 ヤマノコの歌歌声が あの小道にひびけばあの森かげ あの谷間山にこの歌山の子は 山の子は歌が好きだよ雨が降り てるてる坊主が泣いても私達は 泣かないで山を見つめる山の子は 山の子はみんな強いよ雲が去り 青い美空が見られりゃ歌いましょう 山鳩の兄と妹山の子は 山の子はみんななかよし星の子が星の子が 峠の杉に合図して早く帰れ母がらす 子どもが待っている山の子は山の子は 明日も幸せに(4番の歌詞は山の子を広める会の方から紹介されました 作詞者が一番気にいったものだそうです)
2007年01月28日
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今日の宮内庁で行われた歌会始の題は『月』でした。私は歌を作れないので万葉集の中にある月の歌です。昔、夜の明かりは月や星だけだったので、月を読んだ歌がたくさんありました。万葉集1 (日本古典文学大系4)岩波書店 から相聞歌を選び出しました。私の目に留まったものです、他にもいっぱいあります。( )は私のかってで、不確かな訳です。目には見て手には取らえぬ 月の内の 楓のごとき 妹をいかにせむ (目には見えるのにとらえどころのないあなたをどうしたら…)ぬばたまの その世の月夜 今日までに我は忘れず 間なくし思へば (あの夜の月はずーと思っていたので私はけして忘れていません)夕闇は路たづたづし 月待ちて行かせわが背子 その間にも見む (夕闇は歩きづらいです。月が出てから行きなさい。その間だけでも)み空行く月の光に ただ一目あひ見し人の 夢に見ゆる (月の光に一目見たあの人を夢に見た)北山にたなびく雲の青雲の 星離(さか)り行き月を離りて (雲が星を離れ、月を離れるように私のもとから去っていった)月夜の光に来ませ あしひきの山き隔りて 遠からなくに (月の夜、遠くないんですから来ませんか)月夜の光は清く照らせれど 惑ふ情に 思ひあへなくに (月の光は清らかですが私は行くかどうか迷っています)月を見ながら、愛の言葉を交換した万葉人の時代を思い浮かべてみました。
2007年01月15日
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3月6,7,8日の日記に書きましたが、わが故郷はアララギの里です。わが故郷は海抜1000mの高原地帯です。小海線が出来るまでは、国鉄最高海抜の駅でした。近くの公園には島木赤彦、伊藤左千夫、斎藤茂吉などの歌碑があります。駅舎にあるこの歌碑の拓本です。 (写真左側から)斎藤茂吉 高原尓足乎留而目守良無加飛騨乃左加比乃雲比曽武山 高原に足をとどめて 守らんか 飛騨のさかいの 雲ひそむ山島木赤彦 水海之冰者等家計而尚寒志三日月乃影波爾映呂布 水うみの氷はとけてなお寒し 三日月の影 波にうつろう伊藤左千夫 寂志左乃極尓堪弖天地丹寄寸留命乎都久都久止思布 寂しさのきわみに堪えて天地に よする命を つくづくと思う詩人尾崎喜八(戦後、傷ついた自分を癒すために、この地に移り住んだ)ああ、森よおまえのその新緑のふところ静かに敗残と懺悔の私を抱き取っておくれ。おんみ八ヶ岳とその広大な裾野よ、釜無の山々と谷々と高原のすべての村よ、私に恵んで復活にまで救っておくれ。私もこんな気持ちで駅のホームに降りたのを思い出しました。その他ゆかりの文人は、堀辰雄、竹久夢二、犬養毅など。
2005年07月05日
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知人から詩が贈られて来ました。かりそめの人たちとの出会い四季折々の花たちとの出会い自分が出会うすべてのものに、自分の心にうかぶ想いにも、感謝しながら、過ごしていきたいと思いました。ありがとう (みゆき)花よ 鳥よ ありがとう大地よ 空よ ありがとう動物たちよ ありがとう出会うあなたに ありがとう喜びよ ありがとう悲しみよ ありがとう苦しみよ ありがとう病よ ありがとうすべての想いよ ありがとう地球よ ありがとうすべてに宿る愛よ ありがとう
2005年05月15日
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庭の草むらにカエルの姿をいっぱい見かけるようになりました。春の歌 草野心平ほっ まぶしいなほっ うれしいな水はつるつる風はそよそよケルルン クックああ いいにおいだケルルン クックほっ いぬのふぐりが咲いているほっ おおきな雲がうごいてくるクッ クッ クッケルルン クックケルルン クックこの詩は冬の間土の中にいた蛙が、春になって初めて地上に出てきたときの歌です。冬眠から目をさました蛙が眩しくて驚く様、うれしくってのどから声を出して喜んでいる様が良く表現されています。蛙が目覚めると、水は冬の角のある痛いような水ではなく、、つるつるした暖かな水になっていました。春のにおいがたちこめて草の下からイヌノフグリが咲いていているのが見え、ずーと上のほうには大きな雲が動いている。蛙は喜んで声を出して歌います。クッ クッ クッ ケルルン クックは虫類(トカゲ、ワニ、亀など)とほ乳類は手足の指は5本ですが、両生類(イモリ、サンショ魚、カエル)は前足は4本、後ろ足は5本です。
2005年05月11日
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広島市の中学3年生の作った詩を作曲したものだそうです。有明コロシアムで堀尾さんが歌って紹介しました。ヒロシマの苦難を受けた心の引継ぎを感じました。もしもこの頭上に 落とされたものがミサイルではなく 本やノートであったなら無知や偏見から 解き放たれてきみは戦うことを やめるだろうもしもこの地上に 響きあうものが爆音ではなく 歌の調べであったなら恐怖や憎しみに とらわれないで人は自由の歌を うたうだろうもしもこの足元に 植えられたものが地雷ではなく 小麦の種であったなら飢えや争いに 苦しまないで共に分かちあって くらすだろうもしもひとつだけ 願いがかなうならば戦争を捨てて 世界に愛と平和をこの願いかなうまで 人類(わたしたち)は歩み続けることを やめないだろう
2005年03月26日
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27歳で早世した啄木にとって短歌は「悲しき玩具」でした。心の思いのままに詠んだその歌は、文壇ではあまり受け入れられたとは言えませんでしたが、彼の死後多くの人々から愛されました。彼の歌には青春時代の愁いを帯びた懐かしさがこもっています。それが読む者の心を揺り動かすのでしょうか。眼閉づれど 心にうかぶ何もなし さびしくもまた眼をあけるかな頬につたふ 涙のごはず 一握の砂を示しし 人を忘れず青空に消え行く煙 さびしくも消え行く煙 我にし似るかさりげなく言いし言葉は さりげなく君も聞きつらむ それだけのこと近くしてかついと遠し 君が目は かの大空の 星に似たれば山の子の山を思ふがごとくにも 悲しきときは 君を思へり
2005年03月17日
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わが故郷の公園には島木赤彦、伊藤左千夫、斎藤茂吉などの歌碑があります。わが町は海抜1000mの高原地帯です。小海線が出来るまでは、国鉄最高海抜の駅でした。(海抜950m。昨年12月に開設100周年をむかえた)わが高原の町を詠んだ斎藤茂吉の歌です。 高原尓足乎留而目守良無加飛騨乃左加比乃雲比曽武山 (高原に 足をとどめて まもらむか 飛騨のさかひの 雲ひそむ山)この町の高原からから見た八ヶ岳です。私はこの町から見える八ヶ岳の姿が大好きです。
2005年03月08日
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島木赤彦の歌碑のあるわが故郷の同じ公園に『野菊の墓』の著作で有名な伊藤左千夫の次の歌碑もあります。私の好きな歌の一つです。犬養毅の別荘「白林荘」もあるこの高原の自然はアララギ派や白樺派の文人に愛されました。こんなにも大きな自然のなかで、 人間とは‥自分とは‥自分の命とは‥‥ 寂志左乃極尓堪弖天地丹寄寸留命乎都久都久止思布 (寂しさの極に堪えて天地によする命をつくつくと思ふ)今は亡き父が、この公園の碑から拓本にしたものです。
2005年03月07日
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わが故郷の町はアララギ派の歌人が集ったところです。公園にはアララギ派の歌人の斎藤茂吉などの読んだ歌碑が多数立っています。この時期に思い出すのは島木赤彦の次の歌です。肌にさすような寒さを懐かしく思い出します。最近このような寒さを感じることがなくなったように思います。 水海之冰者等家計而尚寒志三日月乃影波爾映呂布 (水海の氷はとけてなお寒し三日月の影波にうつろふ)水海とは諏訪湖です。諏訪湖は御神渡りで有名です。湖の氷が厳しい寒さで押されて割れて盛り上がったもので、諏訪大社上社の男の神様が、下社の女の神様に会いに行った跡だと伝えられ信仰の対象になっていました。600年前からの記録が残されていて過去の気象を知る上でも貴重です。昔は御神渡りは必ず出来ていたのに、最近は温暖化で出来なくなっています。今年もだめだったようです。子供の頃はスケート大会をしました。また諏訪湖は全面結氷して対岸の岡谷市までスケートで滑って行けました。(氷が薄い所があり、死亡事故もありました)
2005年03月06日
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過去よながいながい孤独の影よその影を岩にひきずる冬の日の薄暗い浜辺に立って意味の深い人生を見る。 眺望する(萩原朔太郎)詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。詩を思うとき私は人情のいじらしさに自然と涙ぐむ。過去は私にとって苦しい思い出である。月に吠える犬は自分の影に怪しみ恐れて吠えるのだ。月は青白い幽霊のような不吉の謎である。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘付けにしてしまいたい。影が永久に私のあとを追って来ないように。 月に吠える序文から(萩原朔太郎) 朔太郎の過去の深い悔恨と、それを詩にぶっけている影が彼の詩のなかに籠っています。朔太郎の詩には、心の奥深いところでことばでうまく表現できないですが、おなじ波動を感じます。
2005年02月25日
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歩みをとめて考えることの大切さを知りました。 歩きながら考える必要性も知りました。 坂道----------より道----------迷い道 これからは歩きはじめに深呼吸をしましょうか。 チャコ
2005年02月18日
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マンドリンを一人で弾くときは もう一人の私を抱きかかえるようにみんなで弾くと 仲間のぬくもりとたくましさを感じます。やさしく透きとおった音色が 大好きです。 チャコ
2005年02月05日
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樹下の2人 (高村光太郎)あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。かうやって言葉少なに坐ってゐると、うっとりとねむるような頭の中に、ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。この大きな冬のはじめの野山の中に、あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。私も真似をして作ってみました。形があると格好がつくものですね。詩人に合わせて自分のものを入れ替えるソフトはきっと「一太郎」のように特許権侵害になるでしょうね。あれが釜無山あの光るのが釜無川こうやって丘の上に佇んでいると淋しく虚しい胸の中にただ遠い世の木枯らしばかりが吹き渡ります。この大きな冬の野山の中、あなたのそばで一人静かに眺めていると、過ぎ去った思い出が昨日の如くによぎります。 釜無山・釜無川
2005年02月02日
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青 春 サミエル・ウルマン(訳 岡田義夫)青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)をしりぞける勇猛心、安易をふり捨てる冒険心,こういう様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑(こぎ)、不安、恐怖、失望、こういうものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。年は70であろうと16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみをこうる他はなくなる。
2005年01月28日
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作詞・作曲 新井英一「旅の途中」かぎりなく青い海に 心ときめかせて夢のまま旅に出た 朝もやの海へ明日はなにがあるのだろうか この空の果てしなさ陽は登り又沈んで 海が赤く燃え落ちる今はまだ旅の途中ようしゃなく時は流れ 止める事などできない雪が舞う冬の道 想い出は降りつづく人は何故に求めるのか 夢の行方も知れずさすらいの旅はつづく 別れをくりかえし今はまだ旅の途中月はうかぶ夜の海 波に甘くゆれながら風の音が通りすぎる ほかに何も見えない星は何故に輝くのか この闇の美しさ生れ落ちたこの命 輝きはあるのか今はまだ旅の途中夢はまだ旅の途中
2005年01月22日
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厳冬に向う風の中に葉を落として身をゆだねる木々たち細い幹も太った曲がった幹も独りでそれぞれがそこにいる。太陽のエネルギーを貯めこんでいるのはわかるよ!!春になったら芽を吹き出し若葉を育てるんだよね!!仙台行きの高速バスの中に微笑む私がいる。 チャコ
2005年01月16日
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背中を弓なりに反らして上を見上げた。 電線に止まっているカラスの後ろに 高く遠く広がる青い空 吸い込まれそうなライトブルー 一羽のカラスから一筋の白いフン 『ふっ』と笑みが浮かぶ自分がいとおしい チャコ
2005年01月15日
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今日の宮内庁で行われた歌会始の題は『歩み』でしたが天皇の詠んだ歌はいいですね。(来年は『笑み』だそうです) http://www.kunaicho.go.jp/12/d12-01.html 戦なき世を歩みきて思ひ出づかの難き日を生きし人々大正天皇はすぐれた詩人で生涯に1300の漢詩を残しています。私の共感する歌は『人の暮春の作に擬す』の七言絶句です。 (五木著「元気」より) 百花暦乱東風を趁(お)ふ 寂寞たる園林夕日(せきじつ)むなし 首を回(かえ)せば天涯人すでに遠し 暗愁寄せてあり暮雲の中(振り返ってみると、今別れた人は地平線の彼方にどんどん遠ざかっていく。呆然と見送っていると、黄昏どきの雲の彼方にえもいえない暗愁が押し寄せてきた。)
2005年01月14日
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20歳の叫び ふるさとの河を見て さけんで見ようわたしは20歳だと…… ほら…遠くまでひびくでしょう幼い日を思い出す かわいい草を思い出すさあ若者よ とびまわろう うるんだ緑の世界でなつかしい坂道で さけんでみようわたしは20歳だと… ほら遠くまでひびくでしょういとしい人を思い出す 悲しい別れを思い出す さあ 若者よ 考えよう 静かな水面の世界を我家に向ってさけんでみよう とうさん かあさんに感謝して… 私は20歳になったんだよと… H.M
2004年12月10日
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明日咲くつぼみに(永六輔) 思い出の人々明日咲くつぼみよ今日散る花びらよ思い出の笑顔よ思い出の涙よ昨日 今日 明日過去 現在 未来時は帰らず世は移りゆくいつか別れの言葉「さようなら」思い出のあの時思い出のあの人明日咲くつぼみに今日の命を♪
2004年12月09日
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