アルタクセルクセスの王宮址遺跡

アルタクセルクセスの王宮址遺跡

2005年04月25日
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カテゴリ: 身辺雑記
 今日は小雨の降るあいにくの天気となった。気温も低め(14℃)。
 今日は約束で朝からE君の引越しを手伝うことになっている。ところが昨日からどうも風邪気味で(思えば土曜日の変な筋肉痛が前兆だったのだろう)、時間の経過と共に鼻詰まりや咳、熱などの症状が出てきている。今こうして日記を書いているのだが、あまり具合は良くない。

 引越しには金曜の日記で書いた、カーシェアリング事務所で借りた大型のワゴン車を使った。借りる時間は今日の午前中である。朝8時、車の停めてある消防署の裏の空き地に集合。車はルノーのワゴン車である。さっそく乗り込んでE君の旧居に向かおうとした。
 ところがバックギヤに入らない。なぜか1速になっていて前進しようとする。訳がわからないので車に積んである説明書を読むがやはり分からない。そうこうするうち20分近く駐車場から出られない状態が続いた。E君が近くの事務所から出てきたイラン人のおっさんを捉まえてバックギヤの入れ方を聞くと、なんとギヤレバーの把手の下にある部分をスライドさせないとバックギヤに入らないらしい。分かれば何でも無い仕掛けであるが、説明書には書いてなかったぞ。こういうバックギヤの入れ方ははじめて見た。フランスやドイツ車では多いのだろうか。
 さてようやく発車することが出来た。僕はこういう大きい車はほとんど運転したことが無いし、日本ではオートマ車ばかり運転していたのでマニュアル車自体に慣れていない(ドイツではむしろオートマ車はほとんど走っていない)。また日本と左右が逆という不安もある。車よりも羊の多いトルコの田舎では毎年ジープを運転しているが、ドイツの街中を走ったこともあまり無かった。かなり事前に不安があったのだが、このルノーの車はクラッチの具合も良く、思いのほか運転しやすかった。ただ僕は発進が下手くそで、E君をしばしば不安にさせた。
 ドイツの道路は自動車のことを中心に考えて設計してあるのか、日本に比べてとても運転しやすい(左折レーンや専用信号など)。今回の日本への一時帰国の際、日本の道路はごちゃごちゃして車の運転が難しいと思った。
 E君の旧居(大学の寮)は5階、新居(旧市街にある古い建物)は4階にある。どちらの建物もエレベーターが無い。荷物自体は重くも無いし既に多くを運んでいたので運搬自体は辛くないのだが、階段の上り下りが風邪の身にはなかなか辛い。荷物を車に積めこんだ後、町外れにあるホームセンター(Obi)まで机を取りに行く。こういう大きい荷物を運べるのはこういうワゴン車の強みだろう。
 そして旧市街にあるE君の新居へ(その途中の道端でさっきバックギヤの入れ方を教えてくれたイラン人のおっさんに偶然出会い、事務所まで乗せて行ってあげた)。丘の上にある旧市街の中心部は石畳で、昼間は車の通行は禁止されているが、業務や住民の荷物の積み下ろしなどの車は入ってもよい。E君の下宿は昔ながらのFachwerkhaus(木組みの家)で、階が上になるほど道路側にせり出してくる特徴がある。正確な建築年代は分からなかったが遅くとも19世紀後半には建てられたものだろう。こういう古い家はロマンチックではあるが、床が傾いていたり水周りが悪かったりと案外不便な面もあり、家賃が安い。階段も狭く、荷物を運び込むのに一苦労だった。
 12時前に引越しが終了。せっかく運転に慣れてきてもう少し運転したい気持ちもあったが、まあ慣れない大きい車だし1km走るごとに33セントが加算されるので、車を返した。21km走ったので、基本料金15ユーロに7ユーロほど加算して22ユーロ、これは他のどのレンタカー業者よりも圧倒的に安い。その割に車も悪くなかったし、引越しの際にはお奨めである。
 昼食は報酬としてE君のおごりでタイ料理を食べた。鼻が詰まっているので辛さしか分からない。早々に家に戻って昼寝した。

 死者50名以上を出した尼崎の列車脱線事故はドイツでも大きく報じられている。ネットで第一報を見たのは朝起きた後だったが、そのときのニュースでは置石による事故の可能性も報じられていたが、原因究明を求めたい。犠牲者の方々には言葉も無い。

 昨日4月24日は、第1次世界大戦中にオスマン(トルコ)帝国による組織的 アルメニア人大虐殺 が始まって90周年(1915年)で、アルメニアの首都エレヴァンではトルコの責任を追及するデモ行進が行われた。アメリカやEUもトルコの責任を問う国会決議などの動きがある。どこかで見たような話だが、トルコとしては難しい対応を迫られそうだ。EUがこの「歴史認識問題」をトルコの加盟交渉に絡めてくることもありそうだ。昨日の特集ニュースでは、トルコ共和国建国の父ケマル・アタチュルク(大統領としての在任期間1923~38年)がアルメニア人虐殺事件問題の所在を認めアメリカ(アルメニア系移民が多い)の公使に対して関係者の処罰を約束していたこと、今のトルコではその事実がタブー視されていることも紹介されていた。
 今日4月25日は、同じく第1次世界大戦中に連合軍がトルコのガリポリ(ゲリボル、チャナッカレ県)に 上陸作戦 を開始して90周年になる。この作戦で多くの犠牲者を出したオーストラリアやニュージーランド(共にイギリス連邦軍として参戦。両国にとって建国以来初めての大戦争経験だった)や現地のトルコでは記念行事が行われたそうだ。ダーダネルス海峡を挟んで古代遺跡トロイアの対岸にあたるガリポリには行ったことがあるが、今もトルコ軍のトーチカがあちこちによく残っている。特にオーストラリアからの観光客が多く訪れるという。今年はトルコで映画も公開されるようだ。ケマル・アタチュルクはこの戦いで武名を挙げ、またドイツの協力で英仏軍を撃退した決戦だけに、トルコの歴史教育では重要な扱いをされている。
 一方60年前(1945年)の今日は、エルベ河畔のトルガウで、西から進撃してきたアメリカ軍と、東から進撃してきたソ連軍が出会ったいわゆる 「エルベの出会い」 の記念日でもある。同日ベルリンはソ連軍によって完全に包囲され、ヒトラーとナチス政権の運命は定まった。ドイツ・日本の敗戦直後から戦勝国米ソは対決姿勢に転じるのだが。

 昔話ばかりでなく現在のことも書いておくと、今日EUとブルガリア・ルーマニアとの間で加盟協定が調印された。これにより両国の2007年EU加盟が実現する。ただしEUの要求する両国の司法・行政改革が遅れた場合、加盟は最大で1年延期されることになるという。両国の警察や司法の汚職はEUに度々非難されているが、改革の遅れが懸念されている。





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最終更新日  2005年04月26日 02時51分41秒
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