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Jobim@ Re:スポット探訪 京都・下京  七条大橋・松明殿稲荷神社(05/02) 神社にお地蔵さま、珍しい取り合わせです…
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Jobim@ Re:観照 京都国立博物館 -3 特別展「雪舟伝説」(04/30) 雪舟展ではありません、というのが面白い…

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2024.05.02
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カテゴリ: 探訪

京都国立博物館で 特別展「雪舟伝説」を鑑賞した後 、普段ならJR奈良線の東福寺駅に戻るのですが、大型書店に立ち寄るために、 JR京都駅に向かうことに しました。
七条通を西に歩むのは久しぶり です。そこで、「七条大橋」を西に渡った後、「松明殿稲荷神社」に立ち寄ってみました。この2箇所はかなり以前にブログ記事を載せています。
詳細はそちらに触れていますので、ここでは簡略なご紹介にとどめ、覚書を兼ねたいと思います。
冒頭の左の写真は、鴨川の下流方向 です。
南には塩小路橋、その先にJR琵琶湖線と東海道新幹線の鉄橋を遠望できます。
鴨川左岸沿いの川端通は塩小路橋の地点を南端とし、鴨川の左岸堤防上は塩小路橋の地点を北端に「師団街道」が始まります。


七条大橋東詰に駒札 が立てられています。


左の写真は鴨川の上流方向の景色 。南側の歩道から摂りました。
七条大橋から上流には、正面橋、五条大橋、松原橋、団栗橋、四条大橋が順次架かっています。

正面橋 を東に進めば、突き当たりは豊国神社。かつては突き当たりが「方広寺・大仏殿」であり、この橋は正面の通りに架かる橋ということになります。
豊臣秀吉が平安の都に都市大改造計画を実施したとき、 五条通を新たに設けて、 五条橋 を架けました。 かつての五条通を松原通に 変更しました。そのため、牛若丸と弁慶が五条橋の上で闘うという場面に登場する橋は、 松原橋 と呼ばれるようになりました。
現在、牛若丸と弁慶のモニュメントは現在の五条大橋の傍に設置されてはいますが・・・・。五条大橋の名前に引き寄せられた結果でしょう。

右の写真は、橋上の南側歩道で振り返り、東方向を眺めた景色 です。


七条大橋の西詰、鴨川の右岸に「松明殿稲荷神社」 があります。

七条通の南側歩道沿いに、石鳥居と石柵が設けてありますがここでは省略します。
どちらの鳥居にも、 「松明殿稲荷神社」と記す扁額 が掲げてあります。

江戸時代に出版されたいわば観光ガイドブックである『都名所図会』は 「炬火殿(タイマツデン)」 という見出し項目でこの神社を説明しています。 (資料1)


石鳥居をくぐると、すぐ右側に地蔵堂と手水舎 が見えます。
右端に石柵が少し写っています。

      お地蔵さまは 楽しそうなお顔に 描かれています。
      神社境内に地蔵堂が融和しています。

「手洗水」と刻された手洗、その右には石井戸 が見えます。
手洗の傍に水道の蛇口がありますが、かつては右側の円筒形の石井戸から水を汲み上げて手洗水にしたのでしょう。

手洗の斜め左前方に駒札が設置してあり、 宝暦2年(1752)夏、石井戸と手洗が木食正禅養阿上人により寄贈された 旨が記されています。石井戸の正面には太字で 「養阿水」 と陰刻されています。

養阿は江戸時代中期の木食僧で、高野山で木食行を志した後、下山し、七条の梅香庵を住まいとして念仏聖の活動に専念したそうです。京都周辺を勧進しつつ、阿弥陀如来像の造立、多くの土木工事、五条坂の地に安祥院を復興するなど、様々な活動を実践しました。寛保1(1741)年に法橋上人位を授与されたと言います。 (資料2)



手水舎の南側には、覆屋が設けられた 「天満宮」 が祀ってあります。
角柱の石灯籠の正面に「天満宮」と刻されています。

小社の屋根の形はあまり見かけないスタイルです。流造の変形でしょうか。


松明殿稲荷神社は、 伏見稲荷大社の境外末社で田中社とも 言われます。
天暦2年(948)に創始され、天暦10年(956)、勅により燎祭(リョウサイ)が行われ、その時に 「炬火殿}の号 を賜ったそうです。 (資料3)
燎祭とは、「柴をやいて天地山川を祭る」 (『普及版字通』) ことを意味します。
『都名所図会』には「 稲荷の祭礼の日、神輿臨幸の時、七条河原に於いて松明を照し神輿を迎ふるなり 」とあります。 (資料1)
炬火殿がいずれかの時点で松明殿と称されることになったのでしょう。

当初は黒門通塩小路下るにあった そうですが、その後幾度かの移転を経て、 宝永8年(1711)に現在地に移った とされています。


祭神は、倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)をはじめ、大己貴命(オオナムチノミコト)、伊弉諾命(イザナギノミコト)、伊弉冊命(イザナミノミコト)、猿田彦命(サルタヒコノミコト)が祀られいる そうです。
このほか現在、 天智天皇像(木像)、大友皇子像(木像)を安置 するとか。 (資料3)


東側面に回ってみました。
本殿は切妻造の瓦葺き。本殿を瑞垣が囲んで います。 拝殿の側面に連子窓 が設けてあります。



向拝の柱の 木鼻 が目に止まりました。全体が朱塗りの中で、木鼻の獅子像だけがブロンズのような色合いです。これがワンポイントの押さえになっているように感じました。

ここの地名は「稲荷町」です。
余談ですが、ふと思って確認してみると、伏見稲荷大社の所在地は「深草藪之内町」です。地名の付け方って興味深い。

ご覧いただきありがとうございます。


参照資料
1. 『都名所図会 上巻』 竹村俊則校注  角川文庫
2. ​ 養阿 ​ :「コトバンク」
3. ​ 松明殿稲荷神社 ​ :「京都観光Navi」

補遺
七条大橋 ​    :ウィキペディア
松明殿稲荷神社 ​ :「コトバンク」
燎祭 ​   :「コトバンク」
木食養阿 ​    :ウィキペディア
安祥院 ​     :「コトバンク」
安祥院(京都) ​ :ウィキペディア
木食正禅上人と阿弥陀如来露仏 - 境内霊譚奇談集Ⅸ ​ :「苦沙彌のINTERNET 僧坊」

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こちらもご覧いただけるとうれしいです。
観照 諸物細見 -10 京都  七条大橋 ​    2020.09.03 掲載
スポット探訪 京都・下京  松明殿稲荷神社 ​    2019.11.22 掲載





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Last updated  2024.05.02 11:29:49
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