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2017.02.23
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カテゴリ: 探訪 [再録]
    [探訪時期:2013年10月]

2013年に滋賀県の企画によるブロガー情報発信者募集に応募して、さまざまな史跡探訪の機会を得ました。後ほど再録して行きたいと思っています。その企画の一つで、瀬田川流域とオランダ堰堤を探訪した時以来、少し頭の隅に残っていたのが、 京阪電車・石山寺駅傍の「蛍谷」の坂道 です。駅を下りて、石山寺に向かう際に、右手方向に道と標識が見えます。
その付近の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


東海道自然歩道 としては、この蛍谷の道から幻住庵(1.8km)、音羽山(7.5km)、逢坂山(10.0km)と繋がっていきます。

私はまだ幻住庵 (げんじゅうあん) を訪ねたことはないのですが、 松尾芭蕉 がここに滞在して、 俳文『幻住庵記』 を記しています。芭蕉は「石山の奥、岩間のうしろに山有、國分山と云。そのかみ國分寺の名を傳ふなるべし。麓に細き流れを渡りて、翠微に登る事三曲にして二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。・・・住捨し草の戸有。よもぎ・根笹軒をかこみ、屋ねもり壁落ちて狐狸ふしどを得たり。幻住庵と云。」という書き出しから始め、「先 (まず) たのむ椎の木もあり夏木立」という句で結んでいます。尚、幻住庵記の異文がもう一つ発見されていて、こちらの結びは、夏木立の次に「頓 (やが) て死ぬけしきも見えず?の声」の句を付し、「元禄三夷則下 芭蕉桃青」が末尾です。また、 『幻住庵ノ賦』 という俳文も記しています。 (資料1)
冒頭からちょっと横道に入ってしまいました。元に戻ります。

石山寺駅から京阪電車に乗って、京阪石山駅まで行き、JRに乗るかどうしようかと考えながら、石山寺から戻って来たとき、「活機園」の標識が眼にとまり、この道を辿ってみるか・・・・ということにしました。

後で地図を見て、歩いた道が京阪電車の石山・坂本線の西側をほぼ並行する感じで北進する道だったことがわかりました。

坂道を歩き始め、石山寺駅の西に回り込んで少し歩いたところで、この 牛尾山観音の石標 を見ました。地図に表記の 医王寺の近く だったと思います。牛尾山はハイキングコースでもありますが、その道標にもなっているのでしょうか。(追記:記事掲載後に調べていて、やはり道標と判明。補遺に関連項目を追加しました。)

道沿いに北進していくと、名神高速と東海道新幹線の高架下を抜けることになります。

すると、すぐに道路の傍に、この 「住友活機園」の案内表示 が出ています。

現在は、 「伊庭貞剛記念館」 として管理されているところで、今は 住友グループ社員の研修施設 になっているのです。
もとは、明治37年に建築された住友2代目総理事伊庭貞剛の邸宅 で、平成14年(2002)5月に国の重要文化財に指定されています。
伊庭貞剛は、「事業の進歩発展に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈 (ばっこ) である」という名言を残しています。

石段を登ったところに門があり、扁額が懸けられています。
なかなか趣のある門へのアプローチです。

住友グループの私有地ですので普段は拝見できないようです。門前に公開についての案内表示がありました。関係者以外には、見学できる特別公開日を設定されているのです。ホームページで公表されているとか。場所もわかったので、来年はできれば見学に行こうかと思っています。
「住友活機園」のホームページはこちらをご覧ください。


T字路になった角に墓地が見えました。地蔵菩薩立像や供養塔などが目にとまりました。 「地蔵寺」 というお寺です。ネット検索して見ると曹洞宗のお寺。


その先、 鳥居川町に入ったところに「御霊神社」 があります。

神社境内は前面がゆったりとした広場になっていて、奥に拝殿と本殿が見えます。



「御霊」という名称が気になり調べて見ると、ここの 御霊神社は祭神が弘文天皇、つまり大友皇子を祀っている神社 です。「御神体は御丈一尺あまりの大友皇子の木像」だそうです。 (資料2)
御霊信仰の一つとして、大友皇子の御霊を鎮めるために創建されたのです。「白鳳4年皇子の子の大友与多王が父の霊を祭祀するため創建したと伝えられています。膳所藩の崇敬を深く受け神領田を寄進されています。膳所城本丸黒門が移築されています。」 (資料3)
大津市内には、大江と北大路にも大友皇子を祀る御霊神社があります (資料4)

上掲写真の石段の左方向にある 鳥居には「大友宮」と記す扁額 が懸けられています。

瀨田の唐橋は壬申の乱の決着をつける場所になった戦場地でした。
『日本書紀』によれば、近江方の将智尊が瀨田の唐橋で精兵を率いて防戦するのですが、橋のほとりで斬られてしまいます。このとき、大海人皇子方の大分君稚臣 (おおきだのきみわかみ) が奮闘したことが記されています。一方、敗れた大友皇子は山前 (やまさき) に身をかくし、自ら首をくくって死んだと記されています。 (資料5)

大友皇子が命をたった「隠れ山」が御霊神社(鳥居川町14-13)の位置だと言われているようです。 (この「山前」の場所については諸説があるようです。)


社殿の蟇股には菊の紋が彫刻されています。


境内の端、道路端に 「鎮守の森」の案内板 が建てられています。神社の裏山が保護樹林に指定されているのです。

調べていて知ったのですが、 近江神宮では8月24日に「弘文天皇祭」という祭典 が行われているそうです。
「弘文天皇をお祀りする鳥居川御霊神社より御神札が捧持され、御ゆかりの園城寺執事の御奉仕により追悼表白が奏されます。」とのこと。 (資料6)

『日本書紀』には弘文天皇という名称は出てきません。次の説明がこの祭典説明の中に記されています。ご紹介しておきましょう。
「『日本書紀』には弘文天皇を御歴代の中に数えていませんでしたが、水戸徳川家編纂の『大日本史』は即位説を取り「天皇大友」として本紀に載せ、明治3年、諡を奉って弘文天皇と申し上げ、第39代天皇として正式に御歴代として登載申し上げることになりました。」 (資料6)

 御霊神社の北隣には、 稲荷社 があります。



鳥居川の交差点の南西角は「長徳寺」です 。元天台宗のお寺だったのが、嘉暦3年(1328)に真宗仏光寺派に改宗されたとか。 (資料7)

その角に、中興の祖の旧蹟碑が建立されています。目立つ位置に建っています。
了源上人 と読めるので、ネット検索してみると、仏光寺の第7代を継がれた上人でした。
これは初めて知ったことです。「本山佛光寺」のホームページに、 「了源上人について」 というページがありました。( ご関心のある方は、こちらからご覧ください
「了源上人は宗祖親鸞聖人の正統の法脈を継ぐものとしての自覚をもち、お念仏の教えを伝えるために、各地をご巡化されました。」という説明があるので、この長徳寺も布教で立ち寄られたお寺ということなのでしょう。


鳥居川の交差点の北西側には、黒い冠木門 があります。その傍に、 「明治天皇鳥居川御休止所」 という石標が建てられています。 場所はこちらの地図(Mapion)でご覧ください。
ここにはもと旅籠松屋(川村清佐衛門宅)があり、明治天皇が東海・北陸をご巡幸の際に小休止されたところだとか。またその前に、和宮一行も大津で宿泊の翌日、ここで小休止しているそうです。 (資料8)


鳥居川の交差点から瀨田の唐橋に行くまでの間に 、こんな石標が歩道の傍に建てられています。 「逆縁之縁切地蔵大菩薩」 という名称がすごいですね。 その横には「蓮如上人御影休息所」という文字も 刻されています。蓮如上人の足跡は近江の国のいたるところにあるようです。
「逆縁」の語義の一つに、「親が生き残って、逆に子の供養をすること」という意味があります。その縁切りをするということは、親から子という順番に順当に往生することを願うという祈願をかなえていただけるお地蔵様ということでしょうか。逆に言えば、子供が親よりも長生きし、成長していくことを聞き届けて欲しいとお願いする、それを聞き届けてくださるお地蔵様ということなのでしょうか。こういう名称の地蔵菩薩というのは、ここで初めて目にした次第です。

こんな風に勝手に思ったのですが、ネット検索してみると、少し違いました。
「閑話休題」というブログサイトに、 「『逆縁之縁切地蔵大菩薩』の碑」 という記事でこの碑を建立された方に聞き書きされた内容が記されていました。タイトルをクリックして、ご覧ください。(求めると情報が得られるものですね・・・・。)
(瀬田川流域を歩くための集合場所に向かうときに気づいたものです。石山駅に向かうには、ほんの少し寄り道ですが加えておきましょう。)

そして遂にJR石山駅に到着です。
石山駅の駅前広場に立つ松尾芭蕉像


旅する芭蕉が気に入り、しばしば滞在するとともに、近江の地で多くの句を詠んでいます。
駅前に建つ説明板「東海道を旅する芭蕉」に掲載の絵は、 「幻住庵遠望」の図 だそうです。

幻住庵探訪という課題が残りました。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1)『芭蕉文集』 日本古典文学大系 岩波書店 
2) 鳥居川御霊神社青霊会 単位活動報告書
3) 鳥居川御霊神社(鳥居川町6)  :「大津のかんきょう宝箱」 
4) 御霊神社  :ウィキペディア 
5)『全現代語訳 日本書紀 下』 宇治谷 孟  講談社学術文庫 
   巻28 天武天皇 上 p255-256
6) 弘文天皇祭 主な祭典より  :「近江神宮」ホームページ 
7) 寺院名簿 :「本山佛光寺」 
長徳寺  :「湖国寺探訪」 
8) 「明治天皇鳥居川御小休所」の碑  :「閑話休題」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
幻住庵  :ウィキペディア 
幻住庵  :「滋賀県観光情報」 
幻住庵記 全篇詳細解説 音声つき   :「左大臣どっとこむ」
伊庭貞剛  :ウィキペディア 
伊庭貞剛略年表  :「住友活機園」 
伊庭貞剛の名言  :「名言DB:リーダーたちの名言」 
了源上人遷化の地  :「伊賀の国」 
弘文天皇  :ウィキペディア 
弘文天皇  :「weblio辞書」 
大友皇子即位説  :ウィキペディア 
弘文天皇陵  :「滋賀県観光情報」 
弘文天皇陵 長等山前陵  :「宮内庁」 
『悲劇の貴人』
弘文天皇 明治政府により追号された大友皇子 壬申の乱の敗者 :「歴史くらぶ」 
牛尾山観音 →  牛尾山法厳寺  ホームページ 
牛尾山観音の道標(蛍谷) :「大津のかんきょう宝箱」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.02.23 21:28:06
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