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2024.01.19
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カテゴリ: 観照

蟇股に透かし彫り がされ、極彩色に彩色された 龍像 から始めます。
洛南に 飛びました。

ここは伏見桃山に所在する 「御香宮神社」 です。
本殿の修復が完成した2013年に特別公開があり、そのとき本殿の瑞籬の内に入り、仮設通路を巡りながら、本殿外観を間近に拝見することができました。


                         屋根を支える束に龍が描かれ、
もう一つの束


本殿の柱 は角の面取りがなされていて、




本殿正面の両角の柱に、昇龍と降龍が描かれています。
    


内側の柱も同様に昇龍と降龍が対に なっています。

多くの龍がこの本殿にいます。

中世には伏見荘の産土神として崇敬され、文禄年間(1592-1596)には、豊臣秀吉が社殿を大亀谷に移し、伏見城の鬼門除けの守護神にしました(古御香宮社が現存します)。德川家康が現在地に移し、新たに社殿を造営しました。「とくに伏見で生まれた紀伊・水戸・尾張三公の藩祖はいずれも当社をもって産土神とあがめ、多くの社殿や石鳥居・石灯籠などを寄進した」そうです。皮肉なことに、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦においては、この御香宮神社が薩摩藩の屯所となり、大手筋を隔て、南にあった伏見奉行所の幕府軍との戦いが行われたのです。 (資料1)

 2013.5.5
南の中書島に 飛ぶと、 「長建寺」 (真言宗醍醐派、東柳町)があります。境内から撮った山門です。

           長建寺で見つけた龍。

ここから 三栖に向かいますと、
 2014.4.17
「光徳寺」 (真宗大谷派、三栖町)があります。




本堂・向拝の蟇股に龍が います。

三栖から深草に 飛びましょう。 めざすは「伏見稲荷大社」 です。
 2020.1.11
この拝殿の右(南)方向に、
 2016.10.5
「能舞台」 があります。



柱と頭貫との角のところに三角の木材を加え、装飾性を加えかつ補強を兼ねているのでしょう。
龍が 彫られています。


伏見稲荷大社の周辺に 「釈迦堂」 と称するお堂があります。

釈迦如来坐像の手前、両側に 幢幡 が吊りさげてあります。 その上部に龍像が 取り付けてあります。
ここにも龍が。

伏見稲荷から稲荷山を越えて、 南東方向の醍醐に飛びます。
醍醐のほぼ中央、奈良街道に面して 「醍醐寺」 があります。真言宗醍醐派の総本山。醍醐の山上と山下の双方に堂塔が立ち並んでいます。
山上は上醍醐、山下は下醍醐 と称され、 醍醐寺は総称 です。
良く知られているのは、「三宝院」 。豊臣秀吉が醍醐で花見をしたことが有名です。表書院の前にある庭は、秀吉が花見に際してみずから地泉回遊式庭園を設計施工したと言われているとか。庭に聚楽第から移された藤戸石が有名です。

山の上、上醍醐には 「開山堂」 があります。

ここの蟇股にも龍が います。

醍醐から山科本願寺址付近へ 飛びましょう。
山科にはかつて浄土真宗の 蓮如上人 が本願寺の再建をこの地で果たし、 山科本願寺 を拠点とされました。蓮如上人は、最後はこの山科本願寺にて1499年3月25日に85歳で示寂されました。
ここに 「蓮如上人墓」 があります。
天文元年(1532)に細川晴元とことを構えたことにより、山科本願寺は同年に焼失。長く廃墟となったそうです。「天正年間、 顕如上人は 豊臣秀吉から旧地を譲りうけ、蓮如上人の墓を管理するため、享保17年(1732)に」 (資料1) 山科別院を建立 されたと言います。
現在は、東西両本願寺の山科別院があります。


「本願寺山科別院」 (西本願寺、東野狐薮町)が国道1号線に近く、南にあります。

本堂・向拝の蟇股に龍が います。金網が張ってありますので見づらいですが。

山階小学校の北側に、「蓮如上人墓」 (西野大手先町)があります。
西野大手先町は東野狐藪町の北西側の隣りです。そして、西野大手先町の北隣りが竹鼻サイカシ町。
こちらの町内に

「東本願寺別院」(長福寺) があります。



こちらも、 本堂・向拝に龍が います。同様に金網が張られています。

東野から南西方向に向かいます

西野山に 「岩屋寺」 (曹洞宗、桜ノ馬場町)があります。この石段を登った上です。
通称が「大石寺」 。このお寺には、浅野内匠頭長矩の位牌と四十七士の像が安置されています。
また境内下段の地が、 大石良雄宅址 と伝えられているのです。旧宅址をしめす顕彰碑が建てられています。

この石段の左側に、境内社として 「大石稲荷大明神」と称する稲荷社 が祀られています。

この稲荷社の 頭貫の上に、龍が います。

ここから、 北上して 、天智天皇山科陵の北側を流れる 琵琶湖第一疏水を越えた先の本圀寺に飛びます。
「本圀寺」 (日蓮宗、御陵大岩町)の 境内には、
 2018.10.26
「清正宮」 というお堂があります。 「加藤清正公眞生墓廟」とも 称されます。
「加藤清正の女(瑤林院)が父母の菩提追福のために建立したもの」「清正は生前熱心な法華信者であり、当寺とも関係が深かったから、清正に関する遺物・伝説が多い」 (資料1) そうです。

   お堂の周囲の桁の上を装飾する 干支の動物の一つとして龍が 彫刻されています。

本圀寺は、元は堀川六条にあり、洛中法華21ヶ本山の一つとして約420余年に及んだのですが、昭和44年(1969)に現在地に移転しています。 (資料1)

京都・洛南を終えて、次回は京都府下に飛びます。

つづく

参照資料
1)『昭和京都名所圖會 6 洛南』  竹村俊則著  駸々堂


補遺
御香宮神社 ​  ホームページ
辨財天長建寺 ​       :「京都観光Navi」
光徳寺 ​  ホームページ
醍醐寺 ​  ホームページ
浄土真宗本願寺派 本願寺山科別院 ​   ホームページ
真宗大谷派山科別院長福寺 ​  :「京都観光Navi」 
第24番 岩屋寺 ​   :「近畿三十六不動尊霊場会」
本圀寺 ​       :「日蓮宗 いのちに合掌」

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こちらもご覧いただけるとうれしいです。

「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧





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Last updated  2024.01.21 11:40:30
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