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2024.04.20
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カテゴリ: 観照

入口近くに展示のこの 「鳥形土器」 がまず目を惹きつけました。
土器に奇妙な装飾片が付いています。 発掘者は「奇妙なアヒル」と命名 したそうです。
ナルホドと感じます。



土器、貝、緑色岩 高さ24.5cm、幅35cm  テオティワカン文明 250~550年
城塞の西に位置する住居址内で発見された埋葬体の副葬品
多くの貝製品と共に出土しており、メキシコ湾との交易を行う貝商人が住んでいた可能性を示唆するそうです。

<Ⅱ-4 都市の広がりと多様性> と題した案内パネルと図録の解説によりますと、発掘調査により蓄積された考古学データからいくつかの事項が明らかになります。
要点は次のとおり。
*西暦200年頃までに三大ピラミッド、死者の大通りなど中心部が計画的に整備された。
*その後、周辺部に多くは石造の集合住宅が建設された。その数は2000ほど。
*窓がなく、多くの部屋の漆喰の壁に極彩色の壁画を飾るグループの住居群と、
 都市の境界地区の壁画のない質素な住居群に住む集団との社会階層差が存在した。
*土器、黒曜石、貝製品などを作る専門家集団の工房跡が発見されている。
*オアハカやマヤなどからの移民集団居住区が発見されている。
*国家に従事する戦士の存在。軍事力と国家統率力の強い多機能な国際都市だった。




「嵐の神の壁画」  土漆喰、鉱物顔料 高さ48cm、幅91cm 
 テオティワカン文明 350~550年
嵐の神が、トウモロコシを入れた籠を背負い、右手にトウモロコシを持ち、それを人々に与えている場面あるいは、トウモロコシの儀礼場面の描写と考えられているそうです。
「口からの吹き出しは、言葉、歌、または儀礼の呪文と思われる」とか。

テオティワカンの多くの建物-住居群、公共建造物、儀礼施設-が赤を中心とした多彩色の壁画で飾られ、都市空間を彩っていた そうです。


「嵐の神の屋根飾り」  土製、彩色 高さ69.5cm、幅55cm 
 テオティワカン文明 250~550年
大半の住民は、 中央の中庭とそれを囲む四方の部屋というアパートメント式住居施設 に住んでいました。 中庭に面した四方の部屋の上部に、屋根飾りが設置されていた そうです。
展示の屋根飾りは、 頭飾りを被り、両手をかざした嵐の神を象っています
アステカ文明で「トラロク神」と呼ばれた嵐の神は、雨と農耕を司ったそうです。



「香炉」  土器、彩色 高さ57.9cm、幅40.4cm テオティワカン文明 350~550年
香炉は、 香を焚くくびれた胴部を持つ本体と、装飾片で飾られた蓋からなる土製の香炉台セット です。
「本作は、鷲と蝶の図柄を中心に、矢と盾、鏡など戦士の装具がちりばめられ、死んだ戦士の鎮魂の儀式に使われたと思われる」 (図録の解説より部分転記)
装飾片は型造りで大量生産、香炉台は目的に応じて組み合わせを変えるという方法 がとられたようです。




「香炉」  土器、彩色 高さ67.4cm、幅44cm テオティワカン文明 350~550年
「香炉の多くは住居から出土し、祖先を祀る儀礼に用いられた。香炉を制作する工房跡が発見されており、国家が生産を管理していたとみられる」 (展示品傍の案内転記)
香炉台の工房跡は、城塞の北区で発見されているそうです。


蓋の中央部を切り出し 、明るく画像処理してみました。
「本作の中心となるメッセージを構成する 蓋の中央にはマスクを貼りつけ、 頭部には死んだ魂のメタファーである蝶や鷲、花、羽毛などで飾られた頭飾りを模し、向かって左側に弓矢の束と鏡、右側には盾と鏡、また胴部には『年の束(暦のサイクル)』と呼ばれる符号片が5つ並ぶ。死んだ戦士を弔う道具だったと考えられる」  (図録の解説より部分転記)




「マスク」  石灰岩、貝、黄鉄鉱 高さ17.5cm、幅15.8cm
 テオティワカン文明 350~550年
テオティワカンのマスクは世界中の博物館などで 550点ほど見つかっている そうです。
このマスクは 都市中心地区の工芸家区域で出土した数少ない事例の一つ 。一部未完成か。制作直後で未使用のまま遺棄された可能性があるマスクだとか。
「テオティワカンの特徴的な眼孔、鼻、口元の丁寧な加工がみられ、頬には象嵌予定であったと思われるくぼみがあり、使用痕のない耳と頭部の小穴はつなげて使用する意図を示唆している」 (図録の解説より部分転記)



「盾を持つ小像」  土製、彩色 高さ14.8cm、幅17.9cm 
 テオティワカン文明 450~550年
テオティワカンの土偶は戦士像が圧倒的に多い そうです。しかし、副葬品としては出土しないとか。 子どもの玩具 だったかもしれないと言います。
なお、本作は像の背面に支え棒がつけ加えてあるので、 飾り用の可能性も 考えられるそうです。



「人形骨壺」  土器、緑色岩、彩色 高さ34cm、幅21.2cm サポテカ文明 450~550年
移民住民の地区で出土 したもので、サポテカ族の制作品の特徴を示すことから、テオティワカンに持ち込まれたものが出土したと考えられているそうです。
「おそらくテオティワカン住民と交雑したサポテカ血縁集団のリーダー、もしくは神格化した先祖、神を表わしたと推測される」 (図録の解説より部分転記)



「三足土器」  土器、漆喰、鉱物顔料 高さ15cm、幅16.4cm
 テオティワカン文明 450~550年
典型的なテオティワカン様式の三足土器 。心臓を抉られた生贄と、その心臓を挿したナイフを手に持つ神官もしくは戦士が描かれる。生贄儀礼は古代国家の最大の関心事であった」 (展示品傍の案内転記)




「鏡の裏」  土製 直径26.5cm テオティワカン文明 450~550年
黄鉄鉱の鏡の裏に貼り付けられた土製の円盤に描かれた図像です。
羽を広げた鷲 と円盤の中央に と、 交差した投槍器 が併せて描かれています。
テオティワカンで初めて認識される歴史的人物を描いている可能性がある そうです。

「マヤ文字解読によると、マヤ低地の中心センター、ティカル地域で記録されたテオティワカン王は『投槍フクロウ』と命名され、378年の『侵入』といわれるティカル征服を企て、のちに自身の息子をティカル王につけたと解釈されている」 (図録の解説より部分転記) とのこと。

この後、第Ⅲ部の<マヤ文明>のセクションに移ります。

つづく

参照資料
*特別展会場に掲示のパネルや説明文
*図録「特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティカワン」2023

補遺
テオティワカン ​  :ウィキペディア
アトラトル ​   :ウィキペディア
アボリジニ文化体験 アトラトルを使った槍投げ − Spear Throwing at Rainforestation Nature Park
サポテカ文明 ​  :ウィキペディア
古代メキシコの都市形成史:世界の知的体系化と物質化 ​ 研究成果報告:「KAKEN」

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -1 いざない へ
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観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -8 アステカ(2)へ



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Last updated  2024.04.27 16:20:14
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