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フランス映画なのですが、ユダヤ人の少年とトルコ人の孤独な老人との物語です。フランスの猥雑で魅力的な娼婦街、雑多な人種がひしめき合う街、サンンドニ通りを思わせるような街で、モモは、母親に捨てられ、暗くてうだつのあがらない父親と一緒に暮らしていた。お金に厳しい父親から、わずかな食費をもらい、モモはいつも食事の用意のために、近くの食料品店に買い物に行くのだった。そこはトルコ人のイブラヒムおじさんの店だった。イブラヒムおじさんは、時には物をくすねるモモをじっとみつめ、「頼むからうち以外で盗んじゃいけないよ」とささやくのだった。父からの愛情も薄いモモには暖かく愛情深くみつめてくれるイブラヒムおじさんとの会話ややり取りが楽しみになっていった。一方では娼婦を買おうとし、もう一方では、少女にあこがれるモモに、イブラヒムおじさんは靴を買って上げる。いつもモモの気持ちがよくわかるイブラヒムおじさんは、モモに生きる知恵を教えているのだった。モモはお金をためては、娼婦を買い、経験を重ねていく。少しずつ大人になっていくモモをイブラヒムおじさんは、優しいまなざしでみつめる。そんなとき、父親が失業して、家出し、自殺してしまう。父親にも捨てられたモモをつれて、イブラヒムは故郷のトルコへ向かう旅にでる。思春期の苛立ちや葛藤をやさしくみつめる人生の師のようなイブラヒムもまた、孤独な生を生きていた。まだ人生経験の浅いモモに、生きることのなんたるかを教えるイブラヒム。彼ににとってもモモという存在は、逆に、なくてはならない存在だったのです。人生を終わろうとしている人間と、これから人生を生きていく少年との心からの交流。深い人生の意味を教えてくれるような映画でした。パリの危険で魅惑的な娼婦街、そしてトルコの不思議な街、とても絵になる一場面一場面です。若いモモはとってもナーバスでいい感じです。またオマー・シャリフ演じるトルコ人のイブラヒムおじさんも愛すべき不思議なキャラクターで、非常にいいですね。パリに住んでいたころ、アラブ人の食料品店が近くにあり、不思議な食べ物を売っていました。実は人種の坩堝であるパリ。実際のパリに近い描写で、非常に懐かしく、楽しく見た映画です。トルコの街も非常に面白かったです。皆様もぜひ機会があったら見てくださいね!監督:フランソワ・デュペイロン出演:オマー・シャリフ ピエール・ブーランジェ イザベル・アジャーニ
2006.01.30
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コーラスと聞くと、その昔、ウィーン少年合唱団の美しいボーイソプラノを聞いて感動したことを思い出しましたが、このところ、映画『バッド・エデュケーション』でも、天使の歌声と呼ばれるボーイソプラノの少年が出てきて、彼らの美しい声、有る一時期しか聞くことの出来ない天使の声というものがどのようなことなのかということを再認識しました。この映画は、そんな少年時代の一時期、歌を歌うという事を通して、傷ついた少年達に、未来への希望をあたえた一人の音楽教師の物語です。世界的指揮者のピエール(ジャック・ペラン)のもとに母の訃報が届く。母の葬儀に出席したピエールの元に、子供の頃、寄宿舎で一緒に過ごしたぺピノが尋ねてきて、その当時、彼らの舎監であった音楽教師の日記を渡した。『池の底』と呼ばれたその寄宿舎は、問題児が集まる寄宿舎だった。子供たちに容赦なく体罰を与える校長、その校長に服従する教師たちの合言葉は『やられたらやり返せ』だった。そのような『池の底』に赴任してきた音楽教師マチュー(ジェラール・ジュニョ)は、赴任当日から、すさんだ寄宿舎生活と子供たちの姿をまざまざと見せつけられた。しかし、子供たちに書いてもらった将来の夢を読んだ時、どの子供たちも将来に子供らしい夢を持っていることを感じ、何かできることはないかと考え始めた。音楽教師であるマチューは自ら作った曲をみんなで歌う合唱団を作ろうと努力を始めた。そんな時、一番の問題児、ピエール(ジャン=バティスト・モニエ)の歌声が美しいボーイソプラノであることに気が付く。上手く行き始めた矢先に、更生施設から、非常に扱いの難しい少年が送られてくる・・・。様々な痛みと、傷ついた心をもつ少年達を描きつつ、徐々に、歌うことで自信や希望を見出していく子供たちの姿、その透き通った声を聞き、今までいた教師達の心もまた代わっていく。そんな感動的な誰でもが感動するストーリーの映画となっています。『ニューシネマ・パラダイス』のジャック・ペランが制作も担当し、あらたな感動的作品を作り上げました。息子のマクサンス・ペラン もとっても愛くるしく映画デビューしています。この映画はフランスで、『アメリ』の興行記録を抜いて、トップとなった映画です。万人に愛される映画ですね。天使の歌声も充分に楽しむことができ、とっても気持ちが暖かくなる映画です。ぜひご覧になってみてください。監督 クリフトフ・バラティエ出演 ジェラール・ジュニョ ジャン=バティスト・モニエ ジャック・ペラン マクサンス・ペラン
2006.01.25
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「西の『マトリックス』、東の『HERO』」と並び賞されるという英雄/Heroを見ました。スタッフが素晴らしく、中国のチャン・イーモウ監督 日本からは衣裳のワダ・エミそして撮影監督にはクリストファー・ドイル(ウォン・カ-ウァイ監督作品で著名な)特撮では『マトリックス』のCGチームが参加しているそうです。中国から世界へ発信したエンターテイメントといわれるだけあって、非常に面白く、また、深い内容の映画でした。紀元前200年、後に秦の始皇帝と呼ばれることになる秦王は、戦乱期にあって、7つの国を治めようとする実力派の王であったが、当然、敵対する立場から、彼を狙う刺客は中国全土に多くいた。その中でも、秦王を恐れさせる3名の刺客を打ったという「無名(ウーミン)」(ジェット・リー)という男が秦王のもとにやってきた。3名の剣を持つ無名に話を聞く為に秦王は、無名を30歩の距離に招き入れる。幼い頃に孤児となった無名は、十歩以内であれば必ず相手を倒すという必殺の技を持っていた。無名は静に語り始める。始めの刺客は長空(ドニ-・イェン)、一騎打ちは、長い精神的な戦いであったと告げる。その戦い振りを聞いた秦王は無名をあと10歩近づけることを許す。次の残剣(トニー・レオン)と飛雪(マギー・チャン)をどのように討ったのかを語るようにと秦王は、無名を促す。無名が話した内容に秦王は納得をしなかった。なぜなら恋人同士であった、残剣と飛雪の互いの嫉妬を利用したというが、秦王は、一度残剣に襲われたことがあり、その時、秦王が受けた残剣の印象とあまりに違う話だったからだ。「流石に秦王」と、無名は新たに真実を話し始める。二転三転とする真実は非常に面白く、そして、真の意味での人間の心を表し、流石にアジアならではの英雄を現してくれました。日本人の私には非常にフィットする内容でした。アジアならではの哲学を背景にした西洋的英雄観ではありえない新しい英雄の誕生というところでしょうか。西洋で評価されたのも頷けます。映像やCGもなかなか楽しませてもらいました。花様年華のトニー・レオン マギー・チャンが恋人同士の刺客で、男女の深い愛をよく演じてくれてよかったです。話のことに色の違う衣裳が非常に印象的。ワダ・エミさんの衣裳は美しいです。チャン・ツィイーはまだこの映画では、脇役で、幼さを残していましたが、今は立派に主役をこなす女優となりました。監督 チャン・イーモウ出演 トニー・レオン チアン・ウェン マギー・チャン ジェット・リー チャン・ツィイー
2006.01.23
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久しぶりに新人の小説を読みました。ナラタージュ=映画などで、主人公が回想の形で、過去を語る という意味だそうです。島本さんは現在、立教大学在学中、高校生の時に芥川賞の候補になって一躍有名になった新人作家ですね。また、最年少で、野間文芸賞を受賞しています。今、非常に筆の走っている若手実力派の女性作家といえるでしょう。昔「キッチン」の吉本ばななの本を始めて読んだ時の新鮮さや驚きに似たものを感じました。また全体からある種の透明感や爽やかさを感じます。非常に女性的な素直な感覚も感じることができます。多感な高校時代、傷ついた時にふっと死にたいと思ってしまったとき、ある人がいてくれたから死を思いとどまった、そんな過去の出来事を、高校を出て一年半たった泉が追体験をしていく。心から好きだった人、その人との優しくも残酷な関係。高校、大学の一番多感な時期の友達関係、学校、そして、恋を鮮やかに、繊細に、描き出します。私が出会った小説の中では、かなり若い分野に属する作家さんです。文章は透明感があり、読み始めるとなんとも不思議な時間の流れです。なんでもない淡々としたどこにでもあるような物語なのですが、何故か非常にインパクトの強い物語となっています。お読みになったどなたもきっと、新鮮な感動を覚えるでしょう。誰でもが通り過ぎる青春の日々に、知らずのうちに戻ってしまうようなそんな優しい物語でした。☆本の雑誌が選ぶ2005年上半期ベスト10の堂々1位です。
2006.01.21
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とっても美しいタイトルですね。この映画はウォン・カーウァイ監督の「2046」と対のような映画なのです。60年代の香港が舞台となっており、ちょっとレトロなノスタルジックな雰囲気をかもし出しながら、非常にセンスよく、あくまでも大人の感覚でお話が進みます。セリフの少ない、静かな映像とストーリー。この静けさに惹かれるのか、私はウォン・カーウァイ監督の映像に、どうやらほれ込んでしまったようです。商社の秘書をしているチャン夫婦(マギー・チャン)と新聞社に勤めるチャウ夫婦(トニー・レオン)がそれぞれ隣同士に越してきた。2組は共働きの子供のいない夫婦であった。普通の隣人としての付き合いをしている中で、どこかお互いに心惹かれるものがあった。2人のそれぞれの夫婦関係は良好ではなかった。相手との生活はすれ違うことが多く、どこか冷めた関係だった。何かがおかしいと感じながら、確信が持てないでいたとき、取り残されたチャンとチャウはお互いの孤独を埋めるために一緒に食事をした。しかし会話の中で、お互いの相手同士が実は不倫関係であったことがはっきりとわかってしまう。その事実を受け止める2人。2人の関係の始まりは互いの孤独だったが、付き合っていくうちにお互いの気持ちは変化し、はっきりとお互いを求めるようになる。しかし、チャウに惹かれながらも第一線を超えようとしないチャンの心の揺らぎがよくわかったチャウは、シンガポールへの旅立ちを決意する。彼女は一度はシンガポールまで行くがやはりチャウに会わずに帰ってしまう。最後まで抑制された成就しない恋。60年代の既婚者同士の恋という、まだまだ、女性が大胆に離婚したり、一人で生きるということに抵抗感があった時代、そんな時代背景をも表現したかった、とウォン・カーウァイ監督は語っています。ワンシーン・ワンシーン変わるちょっと衿の高いチャイナドレスがとても美しく魅力的、絵になるカットとなっています。そしてふんだんにつかわれる雨。だけどちょっと乾いているような大陸的な雨は日本の雨のシーンとは微妙に異なりますが、大人の恋の雰囲気をかもし出しています。この映画、2000年カンヌ国際映画祭 主演男優賞(トニー・レオン)を取り、2000年台湾金馬奨 主演女優賞(マギー・チャン)衣装デザイン賞(ウィリアム・チョン)、撮影賞(クリストファー・ドイル、リー・ピン ピン)を取っているのですね。よく出来た映画だと思います。ウォン・カーウァイ監督は、日本の映画もきっと好きなのではないでしょうか。日本的な感覚、抑制された美や静けさをよく理解し、かなり感化されているのではないかと思います。またこの「花様年華」を見ると、「2046」がよく理解できるのですね。私は順番が逆になりましたが、もしまだ見てない人がいたら、「花様年華」を見てから「2046」がいいと思います。私は結構、この二作が好きです。恋の物語としては愛の神 エロスの『仕立て屋の恋』と並んでなかなか心に残る名作だと思いますよ!ぜひご覧になってみてください。監督:ウォン・カーウァイ 出演:トニー・レオン マギー・チャン レベッカ・パン
2006.01.16
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宮沢りえの印象と、村上春樹の原作と知って、ちょっと気になっていた作品です。非常に抑制されたセンスのよい映像は村上春樹的世界をよく表現していました。音楽は坂本龍一。映像にピッタリのピアノの音です。監督は市川準さん。「竜馬の妻とその夫と愛人」の監督ですが、彼はこの作品ではとんねるずの木梨憲武を出演させていましたが、今回はイッセイ尾形が、主人公のトニー滝谷および父親を演じました。非常にうまいですね。宮沢りえも二役演じ、とっても似合っていました。ベストな配役だと想います。ジャズ・ミュージシャンだった父親に、トニーと名付けられた少年は、生後数日で、母を亡くし、孤独な少年時代をすごした。そんな環境は、彼にとっては生まれつきの環境であったから、彼は自分を孤独と自覚する事がなかった。機械を正確に表現できる彼の才能は、イラストレーターとして開花したが、その無機質な絵から伝わってくる感情やこころが何も無かった。しかしそんな彼のイラストは、それなりに、現代の物質主義の世界では評価され、仕事は順調に進んでいた。そんなトニーのもとに、一人の女性がイラストを取りに来た。それはトニーの孤独な暮らしが変わり始める兆しだった。とても自然に服を着こなす彼女に心惹かれ、3度目には彼女をお昼に誘い、5度目に会ったときにはトニーは結婚を申し込んでいた。彼女の存在によって、初めて自分の孤独だった人生がわかったトニーは、彼女にそのことを淡々と語った。結婚生活はとても幸福に順調に進んでいた。手に入れたものが大きいほど、失った時の孤独を考えるだけで彼は恐ろしかった。もう、トニーは一人で暮らすことが考えられなくなっていた。しかし一つだけ気になることは、彼女が洋服を買いすぎることだった。自分に欠けているものを埋めるために洋服を買い続ける彼女のコレクションは、次々に増し、ついに洋服部屋が溢れるくらいとなっていた。そんな彼女に、ある日、トニーは服を買いすぎることを伝えた。彼女は服を買うのを抑制しようとするが、新しく買った服を返しに行った帰りに彼女は事故にあってしまう。一人で暮らしつづけた時よりも幸せを知っただけもっと孤独になったトニーは、妻と同じサイズのアシスタントを募集し、妻の服を毎日着て仕事をしてもらうことを思いついた。何人か応募に来た中に最もサイズのあった一人の女性を選んだが、彼女に服を着てもらおうと試着している最中に、妻のクローゼットでその女性は突然悲しみに襲われ泣き出してしまう・・・。彼女が帰ったあと、しばらく、妻の服を眺めていたトニーは、服は妻の影に過ぎないことをわかり、その服を美しく輝かせていた、妻の存在を失ってしまったことを忘れようとするために彼女をアシスタントとして雇うことは辞めにして、妻の服を全て処分してしまうのだった・・・。抑制された、無機質な映像、演技、相対する洋服や、センスのいい家具や家や車、そう言った物質に囲まれた現代の暮しの空虚さが、よく現れています。映画としての印象も、題材も非常にマッチして、独特な現代の虚しさを表現して、非常に印象的な映画となりました。私などは、同時代に生きて、かつて、物質至上主義のその美しい服たちの世界で仕事をし、生きてきたので、非常に共感できるところがあります。孤独なんですよね。物の世界は人間の真実が見えない世界なんだと、この映画をみて改めて感じました。このように映像として、作品としてみせられると、自分の日常として暮らしてきた生活の虚しさが現れ出て、見事だなと思いました。映画の最後は原作にはないストーリ展開となっているようですが、ほんの少しの希望が感じられました。前回の 「竜馬の妻とその夫と愛人」とは全く印象の違う映画ですが、なかなか面白いです。この映画は第57回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞受賞しました。
2006.01.14
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久しぶりのコメディー・映画。なかなか楽しめました。身体が入れ替わるという、良くあるパターンなんだけど、この親子2人の入れ替わりの演技はたいしたもの。すっごく笑える映画です。精神科医のシングルマザー、テスとロック狂いの娘アンナは毎日喧嘩ばかりを繰り返す。優等生的テスと学校ではいつも問題児のアンナは、お互い、どうしても理解し合えないのだった。テスはもうじき再婚する予定で、結婚式前夜のリハーサルの日にアンナに介添え役を頼んでいた。しかしアンナはその日にロックコンテストの出場が決まってしまった。アンナはどうしてもコンテストに出たいという。そんな2人は、行きつけの中華レストランで大喧嘩を始める。喧嘩している2人を見た中華レストランのマダムの母親は、特効薬のおみくじ入りクッキーを2人に渡す。そのクッキーを食べたとたんに大地震が起こったが、2人以外はなんとも感じていないようだった。その晩帰ってベッドに入って眠った途端に2人の身体は入れ替わってしまった。朝、目覚めた2人は大騒ぎ、しかしどうにもならずに互いに入れ替わったままで、それぞれ学校と職場に赴く。なんといってもクーキーのおみくじには、互いに理解しあい、無償の愛を与えることで元通りになると書いてあり、その通りにしないと身体は入れ替わらないのだからさあ大変。このままでは一生変われないかと2人はがっくりする。しかも明日はテスの結婚式、15才で結婚したくないと嘆くアンナ。一方アンナに入れ替わったテスは、ロックコンテストに出場しなければならず、いよいよ本番がきてもギターが弾けるはずもなかった・・・とにかく、繰り返しのどたばたですがとっても楽しめます。2人のめりはりの利いた演技が、非常に自然でいいです。アンナ演ずるリンゼー・ローハンもとってもキュートだし、テス役のジェーミー・リー・カーティスも上手。流れるロックも決まっていて、非常にカッコいいんです。特にテスに入れ替わったアンナがギターを弾く様がなんとも言えずカッコいい!また、テスの父親のとぼけた演技とテスの婚約者のおろおろぶり、弟役の憎たらしさががなんとも言えず、上手く脇を固めてます。(笑)最後まで楽しく笑わせてくれる久しぶりのコメディー映画でした。ちょっと落ち込んだ日にはこんな映画が優しいかもしれません。2003年(アメリカ)監督:マーク・ウォーターズ出演:ジェーミー・リー・カーティス リンゼー・ローハン マーク・ハーモン
2006.01.11
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ウォン・カーワイ(王家衛)監督とスティーブン・ソダーバーグ監督、そしてミケランジェロ・アントニオーニ監督のオムニバス 「愛の神 エロス」のご紹介です。トップのウォン・カーワイの若い仕立て屋の恋がなかなか良かったので、次も期待しましたが、後の二作は、期待はずれ。何がエロスなんだかちっとも解らないというような作品でした。女性の裸体がヨーロッパ、アメリカの男性の思い描くエロスなんでしょうかね。ちょっとがっくりというか、あまりの感性の違いに呆然とした感じですね。それに比べてエロスの何たるかをよく知っているウォン・カーワイ監督、女性の裸体も何も見せずに物凄い「エロス」を表現してくれます。高級娼婦(コン・リー)は、若き仕立て屋の見習(チャン・チェ)が始めて仮縫いをしに来た時に、女というもの、そして本当の快感を、彼女の美しい手を使ったテクニックで手ほどきする。「この感触を忘れないで、そうしたら、あなたは美しい服を作れる仕立て屋になるでしょう」この衝撃的な出会いから、若き仕立て屋は、美しい高級娼婦(コン・リー)に恋をし、彼女の身体の特徴を全てを知り尽くし、彼女に似合う衣裳を届けることで、彼女への想いを表現し続けた。彼女がやがて落ちぶれて、場末のホテルで病に臥しても、彼は彼女への想いを抱きつづけるのだった。抑制された、だからこそ高まる「エロス」は非常に感じさせてくれます。こういうエロスは日本人の愛の感性にも共通するものだと想います。アジア的というのでしょうかね。また、コン・リー演ずる高級娼婦は「2046」のチャン・ツィイーが演じた娼婦のイメージにも重なります。気の強い、悲しい女を描かせるとウォン・カーワイは抜群です。愛すべき悲しき娼婦達というところでしょうか。しかし残念なのは後の二作、気の早い私は、「ヨーロッパやアメリカにはもはやエロスは存在しない」と結論つけてしまいたくなります。ソダバーグ監督は「エリン・ブロコビッチ」の監督ですが、あの作品を見た時も、彼の女性の描き方にげんなりきました。出来のいい作品なのに、女性達が可哀相だなという気持ちが彼の作品を見ると生まれてくるんです。社会派としての感性は充分認めますが、何気ない女性の描写、女性を見る視線など、全く私には理解できないものなんですね。今回も、エロスというテーマからは程遠い、一体なに考えて作っているんだろうという作品なんですね。(笑)最後は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品ですが、私はこの監督の他の作品をみたことがないので、何ともいえないのですが、やはり解らないという印象でした。ヨーロッパの監督ではスペインのペドロ・アルモドバル監督の、あの男性同士のエロスなら、非常に解る気がします。彼の視点はある種マイノリティなので、女性にも優しいんですね。この映画をみて、誰か美しい、エロスや性の描写ができる監督っていないのかなーと想いました。私は、本当に感動的に美しい性描写のある映画を、あまり見たことがないのが残念ですね。エマニュエル夫人も原作のほうが面白かったし、小説の「チャタレー夫人の恋人」は、非常に美しい性描写と感じますが、裁判沙汰になりましたし、日本の映画監督さん、ぜひ頑張ってほしいところですね。どなたか、これは素晴らしい性描写だという映画をご存知でしたら紹介してください。このオムニバス映画の中でもっとエロティックだったのは、3作の間に入る絵画と音楽。これはとっても素敵でした。(笑)1エロスの純愛 若き仕立て屋の恋 ウォン・カーワイ監督2エロスの悪戯 ベンローズの悩み スティーブン・ソダーバーグ監督3エロスの誘惑 危険は道筋 ミケランジェロ・アントニオーニ監督
2006.01.09
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久しぶりにペドロ・アルモドバル監督の映画を観ました。自分自身の自叙伝風の映画といわれるこの「バッド・エデュケーション」今回は、かなりハードでシリアスです。「オールアバウト・マイ・マザー」や「トーク・トウー・ハー」のように女性の視点や女性への眼差しのようなものはなく、女性も男性が演じる女性として表現されるのみ。ゲイであることを公言するアルモドバルですが、彼のセンス・感覚は、まさに美的なゲイを愛する人々の感覚です。男が作り上げる頭の中の女性的なものこそが現代の美というものなのでしょうか。若手の映画監督 エンリケのもとに、昔、寄宿舎で一緒だったイグナシオが尋ねてきた。様子の変わったイグナシオは、自分達の思い出となる神学校の寄宿舎時代の物語を書いたと持ってきたのだった。そのストーリーを読みながら、エンリケは、若い日に恋したイグナシオとの日々を思い出す。天使の歌声のようなイグナシオは、神父に愛されていたのだが、彼が好きな気持ちを抱いていたのは、エンリケだった。イグナシオに夢中な神父は、ある出来事がきっかけとなり、イグナシオが好きだったエンリケを退学にしようとする。それを辞めさせようと、神父の言いなりとなったが、エンリケは退学となってしまったのだ。映画監督として、エンリケはこの物語を映画に撮りたいとイグナシオに連絡をするが、イグナシオに不信を持つ。真実を確かめに、エンリケはイグナシオの実家を訪ねるのだった。そこである秘密を知ったエンリケ。映画は撮影に入り、イグナシオと関係を持ったエンリケはイグナシオを役者として使うが、イグナシオは身体を開いても、心はエンリケに開かなかった・・。現在進行形の秘密、撮り始めた映画と実際の過去の出来事の秘密、それぞれが微妙に重なり合い、展開は非常にミステリアスで、しかも面白いのです。映画としても非常によく編集されていて、しかも抜群のセンスのよさ。私はアルモドバルの映像感覚は鈴木清順さんの美学と近いものを感じるのですが、清順さんはきっとゲイではないので、もしかしたら、美の本質が違うのでしょうか。現実と作り物である映画や舞台として現す手法、その美的な映像にいくつかの共通点を感じるのですね。今回のアルモドバル作品、女性が出てこない分、豊かさがかけていて、私としてはちょっと不満ですが、ゲイの美学という所でいったら、かなり極めた作品かもしれません。この映画を観て感じたのは、「男時代の終焉」というところでしょうか。(笑) しかし役者さんはみごとでした。是非みなさまもご覧下さいませ。スペイン映画 2003年監督・脚本 ペドロ・アルモドバル
2006.01.06
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ギリシャ映画です。ニュー・シネマ・パラダイスのギリシャ版などと言われていますが、なかなか懐かしい、暖かい気持ちにさせてくれる味わい深い映画です。ギリシャかと思いきや、舞台となるのはトルコのイスタンブール。まだ行ったことのない国ですが、非常に美しい都と聞きます。映画「ミッドナイト・エキスプレス」の恐ろしい記憶があって、ちょっと怖い国という印象があるのですが、映像を見ると綺麗でノスタルジックな雰囲気の美しい都でした。民族と民族の歴史、その中で個人だけではどうにもならない時代の波に押されて、家族が分断され、別々の国で暮すことになるその悲しみ。なれ親しみ、愛する故郷を離れた人々の悲しみ。故郷への想い。生きることの基本を教えてくれた祖父との別れ、初恋の彼女との別れ。共存し同朋であった人々のやさしい暮しや営みは政治によって無残に引き裂かれていく。人々に最も身近な料理にはその国の文化が紛れもなく伝えられているもの。料理を作る時には必ず人々が集い、互いの近況を知り、そして、文化が継承される。暮しの一こま一こまが、その地で暮す人たちの長い歴史と風土が作り上げた人間の文化なのである。そんな深い哲学的なことを、あるときはコミカルに、ノスタルジックに語ってくれる。主人公ファニスは宇宙物理学者となってギリシャで暮している。小さいときは、イスタンブールでスパイス店を営む祖父に、様々な人生の真理を学んでいた。祖父はスパイスに働く法則は、星に働く法則と同じであると人間関係と宇宙のエッセンスを伝えるのだった。賢いファニスは祖父からの知恵をよく学び、料理の天才と言われ、大人たちを驚かせる。しかし、そんなファニス一家に有る時悲劇が訪れる。隣同士の国であるトルコとギリシャの緊張関係が高まり、ギリシャ人であるファニスの父は、強制送還されるという通達を受けた。祖父を残して、一家はギリシャへと向かう。トルコの支配から独立をしたギリシャでは、ギリシャ人であってもトルコの文化をもった彼らに対して、冷たい態度をとるのだった。その後、両国の緊張関係が緩和されても、祖父は、何度かギリシャにくるといっては、イスタンブールを離れたくないが為に、ファニスの元には現れなかった。ファニスはそんな祖父に対して、自分からイスタンブールを尋ねることをしなかった。こんどこそ祖父がくるという知らせを受けたが、祖父は飛行場で倒れた。意識を失った祖父に会うために、初めて懐かしのイスタンブールを尋ねたファニス、そこには、初恋の人サイメの姿が・・。コミカルなタッチだけど、物凄く深く、そして哲学的。人々の心や魂の源をみごとに表している愛すべき映画だと想います。遊女asomeおすすめの作品です。監督・脚本 タソス・プルメティス出演 ジョージ・コラフェイス タソス・バンディス マルコス・オッセ
2006.01.04
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