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もうお盆ですね。あっという間とは言えないけれど、8月も中旬です。台風のせいで36℃を越える日があり、エアコンがきいた涼しいところにいるものの気圧の変化も重なって体調を崩しています。一昨日病院にいったので、少しは良くなったかなと思ったものの、風邪をひいてしまいました。不安になり先生に電話したところ、暑さで身体に負担がかかり、また不安定な体調ゆえ、ひどい暑さが過ぎてから身体にダメージがくることもあるとのこと。体調が落ちても、それは仕方のないことだから不安にならなくても大丈夫だよと言ってもらえて、少し気が楽になりました。ちゃんと患者である私たちに向き合い寄り添ってくれるので、心強いです。今まで、東京にいて何が不安だったかって、こういう先生を見つけられなかったことだったんだよなぁと、思いました。新潟でも、東京でも、信頼できる先生に出会えて、どちらにいても安心できる…ありがたいことです。連日、オリンピックの試合が放映されてますね。あまりスポーツ観戦に興味はなかった私ですが、たまたま観た卓球の愛ちゃんの試合にはまってしまい、少しずつ観るようになりました。夢を叶えるために努力してきた日々。病や怪我を乗り越えて、闘う姿。もう無理だと思ったこと、やめよう、もうやめようと思いながら続けてきたこと、あと少しで夢の舞台に立てたのに、オリンピックに来れなかった選手、あと少しで手が届かなかったメダル、この日のために頑張ってきたのに、思うように結果をだせなかった選手、それぞれにいろんなドラマがあり、これまでのバックグラウンドがあり…。泣けて泣けてしょうがないです。福原愛ちゃんが前回のオリンピックのあと、何度も怪我に悩まされて、誰にも言えず一人苦悩していたこと、必要とされなくなるのが怖かった…という言葉が印象的で。あー、あんなにすごいアスリートでもそう思うのか…って、すごく勇気づけられたんです。水泳の金藤選手も、もうやめようと何度も思いながらもここまで続けてきたうえでの金メダル、病を乗り越えて銅メダルをとった星選手…。夢を追い続けている私にとって、ほんとーに勇気づけられました!あー、私も、もう無理だ、もうやめようと思いながらも、あと少し、あと少し頑張ってみようと思いながら毎日働いていたなぁと。勝手に自分と重ねて彼女達を観ているんですねぇ。私もまだまだ夢の途中。諦めないことを諦めた私でしたが、どんな結果になろうとそれでいいんだなと思えました。気が済むまで、自分の気持ちに従って追い続けてみようと思えました。
2016.08.12
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東京に来て1ヶ月が経ちました。何かあったとしても一旦新潟に帰るつもりでいたのだけれど、自分でもお灸をかなり頑張ったかいがあり、かなり早いペースで体調が上向いてきたということで、このまま2ヶ月は安静をしっかり保つようにと言われ、東京での生活を続けています。しっかり眠れるようになったので、朝決められた時間に起きることができるようになり、しっかりお腹が減るようになってきたので、少しずつの4食から3食に戻し、お粥以外のものも食べられるようになりました。ごはんが美味しく食べられて、しっかり眠れて、こんなしあわせなことはない!と思っていたのに、今度はそら君に会えないことがしんどくなってきて。まだ自分じゃ動けないのに、そら君と住める部屋をネットで探す日々…(湯たんぽで身体を温めながらがメインですが)また今じゃないどこかへ行きまくってました💧少し身体が楽になるとこうなってしまって…そして、一人でずっといると煮詰まってきて、やっぱり少しでもいいから新潟に帰りたくなる。どちらにいても、ずっと同じところから動けないとしんどいから体調が安定したら新潟と東京と半々で行き来する生活になりそうです。シルバー人材センターの方がお掃除に来てくださると、ほっとして涙がでてきてしまう…一人でいるのは気が楽な部分もあるし、動けなく体調が悪いなかで、どうやったら身体に負担をかけず生活できるのか知恵をしぼるのもちょっとした挑戦のようで、自分で考えてなにかを少しすることができるってことに少しテンション上がったりしてたんだけれど、やっぱり気を張ってなんとかやっているようで。家に人がいてくれることに心底ほっとしている自分にようやくきづけたりします。やっぱり具合悪い状態で一人でいるって心細いんですね…。東京に来る前は、一人で滞在する自信がなかったこともあり、なかなか決心できなかったりもしたんですが、自分がずっと住んでいた場所だから不安もなく大丈夫だなぁなんて思っていたんですけれど。そんなこんなで、さもさもげな理由をつけて帰ろうとしていたことにも気づき、考え直して腰を据えてとにかく今は治癒に専念しようとやっと思えたところです。2年前、治療するために新潟へ戻ったときに、さもさもげな理由(退職の挨拶に行く、荷物をもって帰らなければならないなど💦)をつけて東京に戻り、無理して動いて高熱を出してしまったことを思い出しました。ほんとのほんとは彼に会いたかっただけだったおバカな私…。今回は置いてきたそら君への罪悪感と、大丈夫かな、なんかあったらどうしよう、忘れられちゃうんじゃないかなぁという不安が大きくなってきて、会いたくて、一緒にいたくて…。よく考えたらあのときと全くおんなじやん!と気付いて、今までの逆をいけばいいような気がするって思ったのです。先生にも、今と同じ生活を送れなければ悪化する可能性は充分あると言われたし、急激に良くなっているのも一時的なものだろうという見解だということを先生のブログで知ってしまったし。だったらそう言ってくれればいいのに‼って思ったけれど、まぁ同じようなことは何度も言われてたわけで、なんとか理由をつけて思い通りにしようとしていたのは他でもない私自身でした。精神的に追い詰められてもしょうがないので、体調が落ち着いたら帰るつもりだけれど、今は身体を第一優先にしようとやっと気付けて。今無いものばかりを追いかけないで、あることに目を向けようと思えました。そら君は両親がちゃんとお世話してくれてる。シャンプー&カットにも連れて行ってくれたし、なんとかうまくやっていけるようになったみたい。私じゃなきゃだめなことなんて、ないんだよなぁ。と改めて思ったり。ここでしゃしゃりでようとするから、周りの人の可能性を潰してしまうし、新しい関係も築けないんだなって。自分じゃなくても、信頼してお願いすればやってもらえることはいっぱいあるんだなって思えました。今までは親の手を煩わせちゃいけないって、当たりのように思ってたから、妹に頼んだりして、それでも無理なことは諦めてた。親と一緒にいても、よほどじゃなきゃ助けを求めたりしないのに、それでもやってもらえないこととかあって、悲しくなったり諦めることも多かった。だから、どちらかといえば親からは頼られることが多くて、私が病気になってもその関係性は変わらず、直接的に頼ることはあまりなかったから。あー、今まで私はどれだけの人の可能性を潰してきたのだろうと思いました。そうやって自分の存在を肯定することしかできなかった。もうそんなことはきっぱりやめにします。私にも周りにもいいことなんてひとつもない💦それはお金を払ってやってもらえることも同じなわけで。私じゃなきゃだめなことなんて、ない。人にお願いすることで、私の身体に負担はかからないし、やってくださる方には報酬という形でお金が回っていく。もし私が大金持ちで、いくらでも払いますからと言ったって仕事を引き受けてくださる方がいなかったらそれは成立しないわけで…。ネットで買い物すれば、宅配便で家まで運んでくれる。ネットスーパーも、まるで買い物に行ったかのように細々としたものを買うことができて、家まで届けてくれる。シルバー人材センターの方も、母のような安心感を持たせてくれて、お部屋を掃除してくれる。いろんな形で助けてもらっているし、当たり前だと思っていたことが実はそうじゃないんだということを身をもって知ったように思います。この世界、みんなで支えあっているんですねぇ。そう、何もできない、家族のお荷物と自分のことを思っていた私も、人に頼ることで仕事を発生させたり、新たな可能性を開花させることができるんだなぁってことがわかったんです。ようやく世界の見え方が変わってきたみたいです。
2016.07.27
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専門医の治療を受けてから、深い眠りにつけるようになりました。治療といっても、主要な部分を湯たんぽであたため、ガチガチになっている身体のあちこちにお灸をし、やり方を教わり、最後に30秒から1分くらいの気診治療をして30分ほどで終了。ほぐれずにしんどいところがどこなのか、それをほぐすためにどこにお灸をすればいいのか的確にわかっていて、治療してくれて、教えてくれるから、結果がちゃんとでる。やってもやってもガチガチのままのところはあるけれど、ものすごく痛いところも先生に治療してもらうとすぐにほぐれて、身体の質がいいとほめてもらっております。でもね、2年前は死相がでるほど衰弱していたし、鎖骨も全部埋まっていて、背骨も肩甲骨も全部埋まって湾曲した板みたいな背中だったんです。この2年でたしかに何回も悪化させてしまったけれど、確実に身体の基礎を建て直してきた。だから、こんなに反応がいい身体になれたのです。最初は、俺のところに来たのが今なんだから、何度も悪化していると治るのに時間がかかるし、今までの2年は関係ない、最低でも今から2年はかかると先生は言っていたけれど、身体の反応の良さをみて、今までの2年があったからこその今の身体の状態であることをわかってくれた✨全く良くならなかったわけじゃないから、すぐには先生のところに来れなかった…と言ったら、親元にいれば身体も楽なのに、よく東京に治療に来る気になったなぁと言われました。だってね、時間がかかるのはしょうがない、じっくり治したほうがいい、とにかく焦るなって言われ続けて早2年。もう充分やろっ!っていくらなんでも思ったわい。ほんとに、なんの説得だったんだろう…って感じ。でもね、自分の課題に取り組んで、精神的にも身体的にも追い詰められて、ようやく自分の声に耳を傾けられるようになって、全てを終えたと感じたとき、あとは身体を良くするのみだってはっきりわかった。自分でも、精神が病んでるからこんなに具合が悪いのかな…とか、それを越えれば身体も良くなるんじゃないかって思うこともあったけれど、今思えば逆。身体がしんどいからこそ精神も病む。健全な思考が働かない。それでも、私にはそれが必要だったんだろうなとも思う。どんなにしんどくても気持ちはタフだった。そんな状態でも人のことばっかり心配してた。私が治らないはずがない、ほら良くなった!って、少し体調よくなってはそれを確認したくて動いてしまっていたし、仕事以外でやりたいことをやれなかった抑圧された思いが噴出したりもしてた。だからこその思うようにならないことのいらだち、怒り、不安、迷い、そして悪化の繰り返し。やりたいことをやると身体が悪化するという思い込み、そして無気力、混迷の日々…。全てがあって、今がある。それだけは間違いない。
2016.07.15
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東京へ戻ってはや10日あまり。自分を大切に扱うと決めたので、グリーン車に乗って来ました。深くリクライニングがきくし、毛布もあるし、静かだし、なにより身体がとても楽で、不安だった長時間移動もあっという間に感じました。家を出る前は体調良くなかったんですごく不安だったんです…。そして、下高井戸駅に降り立ったとき、まるで昨日まで普通にここを行き来していたような不思議な感覚になり…最後に来た日から1年たっているなんて思えなくて、本当に不思議でした。青山の病院まで行けるかも不安でしたが、休みながら行くことができて。先生は独特なパッションのある方で、この病気を治せるのは世界でここしかないと豪語していました。ずいぶん身体は良くなったと告げましたが、自分ではわからない身体の痛みを気づかされ…なぜこんなにしんどいのか、よくならないのか説明してもらい、すごく納得しました。全身の筋肉の異常な凝りのせいで、息をしても酸素を肺に送り込むことがうまくできず、全身に酸素を渡せず、血流もわるくなり、うっ血していて、胃腸にも血液がうまくいかないので働きが悪く食欲もでず、食べてもうまく消化できないから栄養も吸収できず身体のエネルギーが作れない、頭もうっ血していて血がまわらないから迷走神経の働きも悪くなり、眠れない、首や肩、頭のひどい痛みにもなり…と、なんでこんなにしんどいのかがよくわかりました。駅の階段を登っただけで心臓が悪いのかな⁉と思うほど苦しくなることも、納得でした。。。そして、何度も悪化を繰り返すと完治しにくくなり、完治するまでもすごく時間がかかると…身体が楽になって普通に生活できるようになっても、そこから半年は安静にしたままでいなければいけないということも言われ…まぁ、4割ちょっとは完治してるからと。初日は私の話をよく聞いてくれなくてちょっといらっときたけど、翌日の初治療のときは、こちらから言わなくても身体中の痛いところをわかってくれて、どんなに今まで辛かったか、どれだけ言っても家族や周りにわかってもらえなくて辛かったか、こんなにわかってくれる人がいるんだと、安心と、今までの抱えていた辛さとがごっちゃになってボロボロ涙が止まりませんでした…私が気づかなかった場所の痛みも教えてもらえて、お灸と湯たんぽで汗びっちゃりになり、気診治療を30秒ほどされて終了。終わってベッドから降りたら倒れそうになったほど…ありがたかったのは、治療を始めてから夜ぐっすり眠れるようになったこと。朝まで眠れるようになって2ヶ月超だけど、こんなにぐっすり眠ることができるようになったのは、本当に2年ぶりで。初診のときは、東京の住まいは引き払って月に1度か2度東京に治療に来たらどうかと言われましたが、治療しながらどうしていくか決めていこうに変わり、身体の反応がいいからしばらく東京にいながら通ってみることにしようということに変わりました。とりあえず、退居届けもだしたし、そら君も連れてこなきゃいけないし、引っ越さなければとおもっていたものの、やっぱり下高井戸は便がいいし、あーここを離れたくない!と強く思って。そしたら、その気持ちは何も伝えてないのに、母のほうから、9月くらいまではそら君の面倒はみるから今の住まいにそのままいたらどうかと言われて…当初は引っ越しなんて無理だろうし引き払ってくればと言っていたのですが。私にしたら、退居届けをなかったことになんてできないだろうな、という気持ちもあったし、そら君と暮らせるいいなぁと思っている物件もあって、選択肢の一つに入れさせてもらうと言って。安静に、できるだけ動くなと言われているのに、どうしてもやってみないとわからない私は、体調悪いこと、時間をかけかれないことを伝え、車で連れていってもらえるならと内見に行ったのでした。不動産も縁だから、もしかしたら…という気持ちがどこかにあったのです。行ってみて、まぁまぁではあったけど、無理してでも引っ越したい場所ではありませんでした。そして、とても疲れました。やっぱり無理だと思いました。やりたくない、動きたくないと思いました。ほんとーに、いつも、ここまでしないと私わからないんです。納得できないんです。そして、翌朝大家さんに事情を話に行き、次の募集もだしてないし、不動産屋さんとも色々あり、あまり相手にされなくなったので、次の人が入るよう動いてくれるのかもわからなかったから、こちらも全然問題ないということでした。ただひとつ、1ヶ月分家賃を払ってないという濡れ衣を着せられ心底腹が立ったので、ここを出ようという気持ちにもなれました。ようやく戻ってこれた…という気持ちに溺れて、離れたくなくないような思いになっていたので、人の足元をみてそんなことを言ってくるような人のところからはさっさと離れようと思いました。結局、とりあえずは現状維持となりました。そして、仕事仲間から8月にCM 、10月に本編の仕事の話をされました。すごく嬉しかったけど、8月はもちろん無理、10月も無理だろうけどもしかして…なんて、そんな奇跡は起こらないだろうと思いつつ先生に話をしました。先生からは、今の状態だと社会復帰には2年はかかるだろうと言われました。さすがにそんなにかかるとは思っていなかったのでショックで…。また泣いてしまいました。家に帰ってからもワンワン泣いてしまいました。とにかく、動かないこと、安静にしていること。少し体調が良くなると動く、それが病気をどんどん悪化させるのだと。大体の人はいくら言っても麻薬と同じくらいそれをやめられないと。半年、1年で治る人は、自分で動かず全部人に任せて動かなかった人。そうでない人はほとんど悪化させて治るまで時間がかかると。私が2年間良くならなかったのも、それが原因でした。体調が良いときは少しづつ散歩に行くとか、少しづつ動いていいと言われていました。漢方薬局の先生には、たしかに動かないように言われてましたし、身体を動かさなくても根を詰めるようなこともしちゃいけないと言われていました。でも、だいぶ身体もほぐれてきているし、少しづつ散歩とか動いていいと言われていたけれど、思うようには動けませんでした。何度も悪化して、動くとしんどくなるということを身をもって経験したので、買い物、美容院もいっさいいかなくなりました。なんでもっとはやく青山の病院に行かなかったんだろうと後悔の涙も流しましたが、ここまで追い込まれなければ、私の考え方の癖はかえられなかったと思います。でも、漢方内科医の先生には違和感をずっと感じていたのに、仕方ないと受け入れてしまっていたのは激しく後悔しました。人間ドックに行けと言われた時点で、本気で考えなおすべきでした。これだけ身体が悪くなるまでにかかった時間のぶんだけ、治るのにも時間がかかるという言葉を鵜呑みにしていました。寝ているしかないと言われました。漢方薬で精神を安定させるお手伝いしかできないと言われました。治せるところがあるならいつでも紹介状をかいてカルテも出すからどこへでも行けばいいと言われました。ネットで調べても、治療法も薬もないということしかでてこないので、どこに行っても仕方がない、無理して動いてまた悪化させたくないと思ってました。自分の中の違和感をもっと大切にして、今治療してくれている人全てを敵に回しても、怖くても、どうにかしたいともっと早く動くべきだったと思いました。でもそれは、今の先生のやり方に納得することができたからであり、いろいろやってみてもどうにもならないということを実感したからこそ納得できたのだということ。なにより、自分でやれることがあるというのが一番嬉しい。毎日自分でお灸をしているのだけれど、体調悪いのを自分で楽にすることができる。足をほぐすのも、私には得意なこと。とにかく今日より悪くしない、悪くなるとお灸すらできなくなるからと。治すために自分にできることがあるって、すごいこと。とにかく自分で動かないよう、ネットスーパーを利用して、シルバー人材センターの方に掃除を依頼して…。友達にも会うなといわれました。つい盛り上がって話をしていると体力が消耗するからと。どうやら私が感じていたことは、正解だったようで…。答え合わせをしているような気持ちになりました。何もかも母にやってもらえるようになったのも、今年の春からで…これが最初からできていれば、1年で治ったのかもしれない。でも、今までの私にはとてつもなく難しいことでした。だから、時間がかかった。新潟に帰ってくるまえ、東京であちこち病院に行ってもどうにもならなかったとき、青山の病院を知ることができてたら…とすごく悔やまれました。わかってもらえない苦しみもあんなになかっただろうし、精神的にあんなに追い詰められることもなかったんじゃないかって。いろんな思いが交錯します…あと2年かかること、受け入れました。どうせ40歳のヘアメイクデビューだったんだから、49歳の再デビューでもいいじゃないかって思えました。他の生き方があるんじゃないかとか、いろいろこの2年で考えました。諦めたほうがいいのかな…諦めなきゃいけないのかな…こんなことになってしまって、何か間違ってるのかな私…と、あれこれ思っていましたが、もうぶれません。でも、違う生き方をしたくなったら、素直にそちらに進んでいきます。子供を授かることも手放しました。私のお腹を痛めて授かることはできなくても、いつかご縁があれば授かることができると思っています。今はそら君という息子もいます💕今後、長期的なことはまだ見えませんが、病人だからとやりたいことを諦めず、動けないからこそ、どう心地よく日々を過ごしていくかを考えながら決めていきます。とりあえず、新潟の冬は寒すぎるので、東京か、暖かい心地いいところで過ごしたいです。お友だちの方々、とにかく入院していると思えと言われているので、面会時間くらいでよければ、お会いできることもあるかと思います。願わくばスタバの差し入れ希望✨どうしてもソイラテが飲みたくなるんです。でも今はもうしばらく自分と向き合いますね。2年たってようやくアイスとか冷たいものを少しづつ食べられるようになってきて。フラペチーノのおいしさにいたく感動しました😆今年に入って寝込んでからはまた食べられなくなっていましたが、一昨日くらいから少しづつ食欲が出てきました。今は玄米お粥も売っていて、レンジさえあれば、ほぼいつも通りの食事をとることができます。買い物に行かなくても届けてもらえる、お掃除もお願いすることができる、本当にありがたい世の中だなぁと思います。そして、こんな状態でも自分がどうしたいのか選択することができる私は本当に幸せだなぁと思いました。葛藤があっても、罪悪感があっても、選択できる状況を作り続け、自分に許してきた私自身にも感謝です。
2016.07.08
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潜在意識は変化を嫌います。それは、私達自身が変化を嫌うことと同じ意味です。たとえ、良い変化であったとしても細かい違いを見つけ出し「今までと違うっ」と文句をつけたくなるものなのです。3年前に私も車を買い換えたのですが明らかに気に入っているにも関わらず「前のより天井が低い」「荷物が前より乗らない」と文句を言っていたような気が・・・(笑2週間ほどで全く気にならなくなりました。良い変化であったとしても「今までと違う」それだけで人は、嫌~な気持ちになってしまうもの。今までとさほど変わらない変化だったら嫌な気持ちになりません。大きな変化ほど、感情の起伏も大きい。マリッジブルーは、その典型です。さて。もしあなたが、これから大きく豊かになる!と決めて動き出したなら、不安や恐怖や「本当に大丈夫なのか?」そう疑う気持ちが、やってきます。転職も、結婚も、投資も、お金の価値観を変えて行動することも、全部変化です。必ず「本当に大丈夫なのか?」という疑いの声が内側から湧いてきます。わいてこなかったら、押し殺しているだけかもしれません。蓋をして押し殺してしまうと、違う理由をつけて変化をとめてしまいます。わいてきたことに気付いたら押し殺さず、素直に認めてあげてください。 「ああ、これこれ でもこれは、変化を嫌ってるだけなんだ」そう気づくだけでいいです。ぶっちゃけ変化って、面倒くさいものです。新しく覚えること、なれないこと、たくさんありますからそこからまた、新しい未来にフォーカスしなおしましょう。あなたは、どんな未来にフォーカスしますか?👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑怖いんですとブログをアップして、なにげにYahoo!メールをのぞいてみたら、またタイムリーにざむ姫さんからのメールが届いていました。眠れなくて、起きてブログを書く前に、天使にお願いしてたんです。「日曜日に東京へ行ったほうがいいかどうか、わかりやすく明日の12時までに教えてください」って。もしやこれがその答えなのかな⁉確かに、変化をとめようとしていたのかもしれません…違う意味で怖っ!
2016.06.24
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東京へ行くことを決め、本当は今週の月曜日には…と思っていたのだけれど、体調諸々整わず、満月に夏至と大きな流れがあっての今週末決行に焦点を当ててきて。なんとか行けそうだなと思いながら、無理しても仕方ないからギリギリまで様子をみようとおもっていたんだけれど、なんだかいろいろ抵抗を始めてる…せっかく身体が楽になってきたのにわざわざ無理しなくても…いまいかなくても、どうせ退居するんだから1回で済ましちゃえば…移動がしんどいから行きたくない…なんでわざわざこんな思いしてまで行くの?確かにね、身体的には移動は厳しいし、お掃除だって業者に頼むつもりでいて、なるべく自分に負担かけないようにって、それはすごく考えてる。でもだんだん、そこまでして行く必要なくね?って逃げに入っている自分がいて。現実に向き合うのが怖いんです。あんなに戻りたかった場所なのに、行くのが辛い…あーーーー、もうっ!また逃げるのか、私?一旦引き払って荷物を実家に送るのか、それとも新しい住まいに引っ越すのか、どうしたいのか…もし引っ越したいという気持ちになっても、物件を見に行ける体力気力があるのかわからないし、気に入った住まいをみつけられたとしても、契約できるかどうかもわからないし、今は決められないと母に伝えていたのが水曜日。そのためにも、どっちに転んでもいいように退居の前に1回行きたかったんだよなぁ。それなのに…身体にも心にも無理は禁物。ほんとのほんとは私どうしたいんだろう。んー、迷ってる時点で、行きたいわけじゃないよね、と思い知る。もちろん、体調が良くないのは大前提にあるとしても。彼が残していったものを捨てるのが辛い…1年も放置していた部屋で寝たり、衣類や寝具もろもろ使いたくない…歩いたりできるかな…また悪化したらどうしよう。怖い。心配…結局、身体はままならず、心の傷がまだまだ癒えてないってことみたいですわ。
2016.06.24
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昨日は満月。大きな手放しを完了した日。仕切り直したいもうひとつのことがあり、こんどこそきちんと終わらせようと思っていたら、ちょうど満月の日で。星の影響をちゃんと感受することができるんだなぁと思いました。そして今日の夏至。珍しく2日連続で朝まで眠ることができたので、朝はそら君と散歩へ。すっかり夏至だということを忘れていて、夏至点の7時43分に意識を向けることはできなかったけれど、散歩しながらちょうどその時間は太陽のエネルギーを浴びていたみたいです。その後、朝食を食べにキッチンへ。計らずも家族みんなでごはんを食べる結果となりました。どれくらいぶりだろう?家族の時間に合わせられないことが罪悪感になり、プレッシャーにもなっていた。今日こそは、と思えば思うほど苦しくて、自分のことだけに集中してその日がくることを待っていたから、なんかスルーっとできていたことが嬉しかったなぁ。その後、そら君のお顔をカットしはじめて、不思議なことが起こりました。身体がしんどくなるから、あまり根をつめてやらないようにしているんだけど、そら君が大人しくしてくれたこともありどんどん集中してしまって。しんどいけど楽しいんですよね。カットしながら、このまま将来はトリマーさんになってたりするのかなぁ、なんて頭のなかでぼんやり思っていたら、「長い長い休みも、もう終わりだね。」という声が聴こえてきたんです‼へ?と思いました。天使からのメッセージなのか、ハイヤーセルフからのメッセージなのかわからないけれど、しっかり聴こえたんです。不思議なことが起きるものですね…。先週からの大きな流れがあって、大きくシフトチェンジしている感じがします。時がきたら全てが動き出すのだと、感じずにはいられません。
2016.06.21
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また大切なメッセージが届きました。ざむ姫さんからです。↓↓***********************ざむ姫です。さらに豊かになるということは 『変化する』 ということです。さらに豊かになるぞーと毎日願っているのに変わらない毎日を送っているなら本当は今の生活がそこそこ気に入っていて変化したくない、というのが私達の本音です(^◇^)私たちの潜在意識は『現状維持』しようとする機能を持っています。どんな状態であれ、今の状態が居心地良いと感じています。本当に豊かに変化するには、頭の中であれこれ考えるよりも先に、心の中に『さらに豊かな人生を送っている私』を作る必要があります。しかしながら日本の経営コンサルタント、大前研一さんによると、人が変わるには、3つの要素しかないそうです。 1.時間配分を変える。 2.住む場所を変える 3.付き合う人を変える一番効果が薄いのが 『決意を改にする』ことだそうです(^◇^)決意を改にすることは必要だと思いますがそのために、行動や環境を変えることは必須。逆にいえば、 豊かさのために時間を大きく使い 豊かさのために住む場所が変えて 豊かさのために付き合う人が変わるとそれはもう、別人です。全て豊かさにフォーカスして生きるなら絶対今より豊かになること間違いないでしょう。豊かになるとは、ただお金のために働く時間を増やすという意味だけではありません。もちろん、お金のために働く時間が必要な方も多いでしょう。けれど。あなたの中にある『豊かな意識』に触れる時間をとることも、とっても大切なのです。自然と親しむ。行きたかった旅行へいく。興味のあることを学ぶ時間をとる。子供のように遊ぶ。美しい星空をみる。おいしいお料理を食べにいく。作る。未来をつくるビジョン瞑想する豊かな人と友達になる。変化のためにセミナーに行く。自分や家族が豊かに過ごせる場所に引っ越す職場を変える。豊かになるためにお金をつかう。などなど。できることは沢山あります。『変わらなきゃ!』ではなくさらに豊かになることは、変化することなのだと受け入れて、豊かになっていくご自分を許してゆきましょう。 あなたは、何を変えてゆきますか?ではではー!(^◇^)************************なるほどなぁ、と思いました。今までの私も、変わらなきゃ!だったんだなと思います。握り締めていたものを手放せた今だから、このメッセージを理解できる気がします。仕切り直したいということは、今の状況から変わりたいということ。専門医の治療を受けることを決心したのも、どうにかしてこの状況を打破したい、健康な身体を取り戻したいという強い思いから。今までも、どうしたら治るだろうとネットで専門医を調べたりしていた。最初はどうにもならなかったら行こう、と思ってました。2年前は今よりも情報が少なかったし、偏っていた。真面目で完璧主義の人がかかる病気だなんて、根拠もないことが書かれてたりして、情けないとか恥ずかしいとか、そんなふうに感じていたのは、そういうことからきていたのかもしれません。命に関わるような病気じゃないのに、つらいとか苦しいとか言っちゃいけないような…。全て自分の思い込みなんですけどね…。で、身体がしんどいから、新患でがっつり待つなんてことは無理でした。そうすると大学病院とかは除外されていく。予約のとれるところで、治療をしてくれるところ…で調べたとき、これから行こうと思っているクリニックに辿り着きました。でもね、自由診療で保険がきかないんです。治療内容も、お灸だったり、針でチクチク刺したり、気診治療といって「気」の治療だったり、湯たんぽだったり。その先生が載っている本を持っていて、私の症状と似てる!と思っていきついたのが湯たんぽだったんです。すぐに楽天で買って試したら、痛くて痛くてどうにもならない身体の痛みが少し楽になったんです。そこからはずっと湯たんぽを続けていたわけですが、そんなこともあり、もうやってるし!と思った私。気の流れを良くするマッサージも漢方の先生にやってもらっているし、鍼灸院でもエネルギーの流れを見ながら針とお灸もやってるしって。なにより医師が気の治療だなんて怪しい‼と思ったし、自由診療で1回2万近くかかるなんてぼったくりだって思いました。だから、今は自分の選んだ治療を続けようと思った。どうにもならなかったら、行こうと。その後、なかなか良くならず、もう少し動けるようになってから、と思いながら、東京に行けないまま更に1年が経ってしまったのです。いま思うと、どんだけがめついんだ私!です。湯たんぽの先生だ!って運命を感じたのに、治療費が高額ってだけで腰が引けたんです。現状維持を選んだんです。自分もエネルギーヒーリングをしていたのに、医師が気の治療をすることを受け入れられなかったんです。そして、精神的になことが解決されれば、本当は身体も良くなるんじゃないかなぁ、とも思ってました。いまここに至る全ては、自分の選択の結果なんです。あのとき、とにかく治したいという気持ちで専門医のところに行ったとしても、思うように良くならなかったら絶望していたと思います。全てを諦めてしまっていたかもしれない。良くも悪くも、心と身体とで足を引っ張りあいながら時間をかけてここまできたように思えてならないのです、今は。先月に専門医のところへ行こうと思い始めたときも、まだ怖かったです。まだまだ治るまで長い時間がかかると言われたらどうしよう…受け入れられない。こんなに高いお金を払っても治らなかったらどうしよう…がめつい損得勘定。いま通っている病院の先生に見放されたらどうしよう…この選択でいいのか、うまくいかなかったらどうしたらいいかわからない、恐い。と。現状を明らめて、じゃあどうしたいかっていうことの答えが出ても、行動するのが怖かった。母にこの話をするまでも時間がかかりました。今は、良くなる可能性があるなら治療を受けてみたいと思ってます。昨日通っている病院の先生に話をしてカルテの写しを用意してもらうよう頼んで来ました。エネルギーヒーリングがパワフルだと感じる私には、気診治療も効果があるんじゃないかと感じてます。そう、自分が本気で選択したことなら、いい方向にしか思考は進んでいかないんです。意識的に選択するって、こういうことなんだなって感じています。結果はどうなるかわかりません。期待外れに終わるのかもしれない。でも、やってみたいから、専門医のところへ行ってみます。
2016.06.21
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仕切り直したいと強く思い決断するまでの3日間ほどで、大きな後押しがいくつかあったのだけれど、もう一つがざむ姫さんからのメルマガ。 最近はタブレットを使っているので、スマホはあまり見てなくて、メルマガが届いていたのも気付かなかったんです。 でも、あの流れのなかで、まるで私のために綴られたような言葉がつまってました。 ↓↓ ざむ姫です。 個人セッションには、事業をされている方がよくいらっしゃいます。 お金をメインテーマとしているので、マインドが売上に直結する セッションは、非常に重要です。 お話を伺うのですが、多くの方は今の延長線上で未来のビジョンを 決めています。 人によっては、恐怖のビジョンによって動かされてる方もいます。 今年はボチボチだから、5年後もボチボチかなあ。 3年後には、今のペースでは30%増かなあ。 ずーっと今のやり方だとマズイなあ、どうしよう。 いつか今の仕事がなくなったらどうしよう。 失敗しても怖い。 成功しても、この成功がどこまで続くかわからなくて怖い。 今のままでいいのだろうか・・などなど どこを向いても恐怖に感じてしまう、 そんなヘンテコリンなマインドに なってしまったり。 一言で片付けてしまうと、 恐怖は全て、幻想です。 幻想なんですが、その幻想に力を与えているのは、あなた自身。 私たちは誰でも、現実を創り出す力を天から与えられています。 現実を創りだす力を、恐怖に向けるか、愛や喜びに向けるか。 決めるのは、自分だけなんです。 もし、ご自分の中で ああ、今恐怖で動こうとしていると気付いたなら 思考を止めてみてください。 仏教では「 止 観 」というそうです。 心の声やイメージを止めて、心を鎮める。 できればお気に入りのカフェやホテルで 過ごす時間をとってください。 天井の高い、自然の見える静かな場所なら最高です。 人は天井が高い場所にいると、良いアイデアが 閃きやすくなります。 そして、自分の心に3回、こう尋ねてください。 「私は本当は、どうなりたいんだろう?」 「私は本当は、どうなりたいんだろう?」 「私は本当は、どうなりたいんだろう?」 現状がどうであろうと関係ない。 今、何を心に描くか。 それがあなたの未来を創ってくれますよ。 しかも楽しく明るく(^◇^) それではまたー! *********** ドーンと響きました。 わかっていたつもりだったけど、やっぱりあくまでもつもりでしかなかった。 そしてね、退居届けを書き終えたちょうとそのあと、母が部屋にきて、言ったんです。 東京の住まいにはそら君を連れて行けるの?連れていけないならもう出れば?と。 びっくりしました。 かかりつけの病院から電話がきて、その流れで話をしていたのだけれど、まさかその話を言われるとは思っていなかったから。 だから素直に伝えました。本当はそら君と住めるマンションに引っ越したい。ネットで探した気に入った物件とかあるし見に行きたいけど、体調のこともあるし、今の私は働けず無収入で、借りることができるかどうかもわからない。専門医での治療がどういう形になるかもわからないし、引っ越しができれば一番いいけれど、無理だったら実家に荷物を置かせてほしい、でもまだ私のやりたい仕事は諦めてないから、と話すことができました。 心がほぼ決まったら、3日間位の間に次々とこういう流れが起きていったんです。 背中を次々と押してくれるような出来事が。 1111、444のエンジェルナンバーのメッセージもいっぱい届きました。 必要な時に、あちらこちらからお知らせがやってくるんですねー。 ありがたいことです。
2016.06.20
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今日治療に行くとき、退居届けを投函してきました。もう怖くはなかった😃3ヶ月前くらいから、家賃払うのしんどいなって思い始めていて。それまでは不安のほうが大きかったから、維持していることで安心できたし、たとえ現実的に戻れない状況だったとしても、いつでも帰れる自分の場所があること、自分がどこにいるかを選択できることが心の安定にもつながっていた。あって当然の場所だって思ってたけど、ほんとのほんとはいろんな不安からの行動だった。(自覚はあったけれど、ね。)だからこその思考との戦いが繰り広げられては納得して、を繰り返していたわけなんだけれども。今は、とりあえず引き払って実家に荷物を送るのか、新たに部屋を借りるのかはわからない。今の本当の望みはどうなのか、いろんなことがぐるぐるしていて。治療で東京に行ったとき、何を思うのか、どうしたいと思うのか、その時の気持ちに従いたいと思ってます。私は弱い人間だし、流されやすいところもあるし、東京の住まいを無くしたらもう二度と戻ることはできないだろうという不安もあったなぁ。思うように治らない現実に押し潰されて、その現実を受け入れ続けてしまい、望む未来を諦めてしまう恐怖もあった。意志の強い人だったら、さっさと引き払って仕切り直しができたはず…誰に何を言われても、思考があれこれふっかけてきても、損をし続けても、私にはできなかった。終わりが見えないからこそ…。でもこれって、望みを繋いでいるようでいて、実はただ逃げているだけだったんだってようやく認められた。止める決断ができたことこそが、先に進む一歩だったなんて。あー、悔しい。情けない。やっと、気付けたよー。今は肩の荷が降りた感じ。昨日、はっきりこの事全部を受け入れられて、決断できて、泣いて泣いて。スッキリした。この流れはね、後からわかってビックリしたんだけれど、星の影響だったり、アクセスバーズの力も大きかったと思う。12日にアクセスバーズを受けてから、仕切り直したいっていう思いがむくむく大きくなっていって。そんなとき、子宮委員長はるちゃんのブログで、keikoさんの星読みを見て。海王星の逆行が始まっていて、見直しが必要であること、修正、復習、再チェック、仕切り直し、先伸ばしにしてきたことに時効がくる、これ以上の先送りはNGだと書いてあって。わー、正にだなと。流れって、こういうふうにおきていくものなんですね。どんなに自分に言い聞かせても、答えがわかっていても、その時が来なければ本当の意味で決断することはできないんだなぁって。どうやら今までの振り返りも終焉を迎えそうです。
2016.06.19
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あまり眠れないまま朝を迎えて、徐々にあかるくなる空を見ていた。清々しい早朝の空気。ああ、こんなにも気持ちのいい朝をまた迎えられたことに喜びと感動が生まれる。このところ、仕切り直したいという気持ちが大きくなっていて、ついに東京の住まいを退居する決心がつきました。そら君を迎えてから、なおのこと今の住まいを手離してそら君も連れていけるところへ引っ越したいと思っていて、住宅情報をネットでみてはワクワク楽しんでいたのだけれど、いざ退居しようとするとどうしても決心がつかなくて。今日こそ、と思って不動産屋さんに電話して、退居届けをもらわないとなにも始まりませんと言われホッとしたり、今度こそは!と届けを用意し、判子を押して封筒に入れたのに、やっぱり怖くて、どうしても出せなくてビリビリに破いて捨てたり……があっての、三度目の正直でした。新潟と東京を行ったりきたりしながら働きたい、という気持ちは変わらないし、もし仕事に復帰することができず行き来するだけで遊んで終わったとしても、それはそれでしょうがない、自分の望んだことなのだから、と思ってはいたけれど、何が私を留めていたか…それは、無収入で働けない私が今の住まいを手放したら、もう新しい住まいを借りることなんてできない!という不安と、いまこの住まいを手放したら、やっぱりやめときゃよかった!って後から後悔するんじゃないかという不安、もう一度あの場所に戻って生活してみたい!手放したくない!という執着。不安でいっぱいだったんです。まさに不安からの行動だったんです。ようやく固く握り締めた手を放すことができた…。答えはわかっていても、自分の心が納得するまでは動けなかったし、それでよかったんだと今は思える。無理に切り捨てていたら、きっといつまでも想いが残っただろうし、助言をくれた人だったり誰かのせいにしてしまったと思う。そして、不安で弱りきっている自分に鞭打つようなもの。立ち上がる勇気を持てるまでは、無理に決断しない、ということをひとつ覚えることができた。そう、私はぐじぐじしてなかなか結論を出せないタイプで、でも長く悩んだ分、こうと決めたら強い子だった。苦しさから逃れるために結論を出したり、苦しさに堪えきれず無理くり結論を出したりしたことほど、いつまでも未消化のまま心に残っていた。絆創膏で隠した傷口のように。見た目にはわからないけれど中はぐじゅぐじゅと傷が残ったまま…。自分が本当はどうしたいのか。今の望みは、1日も早く健康を取り戻したい。東京の専門医に診てもらうことを決めました。近くて富山、秋田、東京にしかいないので、現実的に通えることと、42%の人が完治し社会復帰しているという実績を見て。結局東京かいっ!ってツッコミいれたくなるけど。ああ、眠くなってきた。続きはまたのちほど…
2016.06.18
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本日AKB総選挙なり。アクセスバーズを受けに行くと10時前に予約を入れて、動けなくなる前に支度を完了し、スタバで一息入れてからにしようと早めに家を出る。そう、今日はアクセスバーズを12時から受けたかったし、スタバのテラスでゆっくりしたかった。今何を求めているかに集中すると、結局前日とか事前に予約したり計画をたてたりするのが難しくなってくる。体調が安定しないのが大きな理由だったのだけど、どうやら今に集中する練習だったように感じられてきて…。約束したら、守りたい。だって自分が望んでいることだから。単純にそう思っていたし、当日断ったりするのも、楽しみなのにしんどいのも、どっちも切なくて。だからセッションも当日予約でお願いしてみた。ダメかなと思うことも自分が勝手にそう思っているだけで、OKなことなんていっぱいあるね。スタバに行きたい、でも総選挙で渋滞してたり店内もお客さんでごった返してるんじゃない?と思考が囁いてくる。別のところにしたら?諦めたら?とも。そんな言葉に抵抗して向かってみると…ビックリするほど駐車場も店内もガラガラで。ほら、望んだことは叶うじゃない⁉と思考に訴える。セッションに向かうときも、今日は総選挙渋滞で次の予約もあるし早めにと来てくれて良いとメールをもらって、そうしますね、と伝え余裕をもって店を後にしたのだけれど、結局渋滞に巻き込まれて予約時間に到着。こっちからいったほうがいいよという囁きがあったけれど、その言葉をはねのけていったら渋滞に巻き込まれた。結論から言うと、ほんとのほんとは早めに行きたいと思ってなかったし、今日は60分のセッションで充分だと思ってた。90分になってもいいように、と動いていたつもりだったけど、本当の望みはそうじゃなかったんだと気づく。終わってから、どうしたい?と問いかけるとベーグル買いに行きたい!と。最近たまたま見つけたパン屋さんのベーグルにはまって、そこへ向かう。ほぼ売り切れていて、二個しか買えなかったけど、電話でお取り置きできると聞き、嬉しい。さぁ、このあとどうしたい?外で美味しいランチが食べたい!OK!そこから5分ほどで前にそら君ときたお店があったので向かう。到着すると、テラス席満杯。ありゃー…。とりあえず、と車を降りたら、みんないなくなってた😱あぁ、本当の望みって、ちゃんと叶うんだと身に染みた午後。今まで、思うようにいかないと思っていたことは、本当の望みじゃなくて、カモフラージュだったんだなと改めて気づく。なんだかんだと思考が言い訳したり、ああじゃない?こうじゃない?といろいろ言っていて、それが自分の望みなのだと思っていたんだなぁ。薄々気づいていたんだけれどね…さぁ、これからの私、どうしたい?
2016.06.18
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今朝ブログをアップしてから朝食を食べにキッチンへいくと、母が珍しく膝の痛みがなかった昨夜はよく眠れなかったんだけど、夢を見たと言い始め…私が、身体が治ったから東京に行ってくると言っていて、大丈夫なの?と聞いたら、もう良くなったからと言っていたと。そら君はどうするの?ってところで終わったみたいだけれど、ちょっと驚きました。昨日のセッションを受けて、改めて健康を取り戻すと心に決めたところだったから…。私の想いが伝わったのかな。なんだか心強く感じました。そして、ぢんさんのブログを読んでたら、なんか通じることが書いてあって。それもまたビックリしました。■尽きぬ欲望を「断」することでわかることがある|http://s.ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12038663399.htmlそっかぁ、逃げ続けているってことは過去に囚われているってことなんだ…って、理解できた。心を決めるだけで、現実に少しずつ反映され動きだすんだなぁと感じたのでした。
2016.06.16
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昨夜は21時にベッドに入って、そのまま眠りにおちたので、4時過ぎに目が覚めました。朝までしっかり眠れるのは心地よいものです。最近は背骨脇の痛みがひどくて、よく眠れなく…背中の左側の痛みがとれてきて、より背骨部分の痛みが際立ってきた感じでしょうか。私は筋痛性脳脊髄炎という病気でした。(すでに過去形にしてますが💦)この病気のことを人に言うのが嫌でした。自分でもまさか私が…という気持ちもあったし、言ってもどうせわかってもらえないっていう気持ちも大きかったかな。何より、私自身がこの病気を理解するまでに時間がかかったし、家族も私がどれだけしんどいかなかなか理解することができず、私自身心も身体も追い詰められぼろぼろになったという経緯もあります。わかってもらえないのも嫌だけど、病名を聞いてくる友人とかがいるから伝えると、ショックです、とか返す言葉もありません、とか言われる。きっとネットで調べたりしてくれたんでしょうけれど、そんな言葉を言われる私のほうもショックなんですけど⁉今はやっと受け入れられたから(多分…)こうして吐き出せるようになったけれど、いちいち人の言葉に傷ついて、人が怖くなって、何もわからないくせに勝手なこと言われたりするのもうんざりして、とにかく恐怖にまみれてました。だってね、親でさえいうんですよ。俺たちだってもう若くないんだから…って。私がしんどくて動けないときにわざわざ。そんなの百も承知でね、それでもどうにもできなくて私自身が一番困ってるのに、悪化して自分じゃ動けなくてしんどいときにそういうこと言うんですよ。それどういう意味?っていったら黙ってましたけど…。こんな状態のときに不安を煽るようなことわざわざ何で言うかな?また少しずつよくなるから大丈夫だよって、なんで言えないのかな。って心底思うんです。病に倒れた初めの頃はね、家族も受け入れてくれます。すぐに治る前提ですから。それは私も同じことで。ところが、そうじゃなくなってくると、周りもかわってきます。苦痛なのがわかる。治るという期待に応えられない自分は受け入れてもらえないのかと私も苦しくて。そして、なんでこんなにしんどいのにわかってもらえないんだろろう、どうしたらわかってくれるんだろう、という苦しみの中に墜ちていきました。今思うとね、自分の身体のことよりも周りのことばっかり考えていたんだなって。もちろん、そんなつもりないけど、そうやって生きてきたから自然とね。いつまでも自分の身体や心に向き合わず、外側ばっかりみてるから、これでもかこれでもかと身体は追い詰められたし、心も追い詰められる出来事が次々と起こっていったのだと思います。最近、アクセスバーズ、ボディプロセスの二種類を受けまして、昨日はセルラーメモリーというセッションを受けたんですね。身体の細胞に残る痛みやトラウマを無くすというもので。あまり期待はしてなかったんだけど、やっぱりエネルギーヒーリング的なものはパワフルだなと私は感じてます。自分の詳細はあまり話したくなかったんだけど、昨日のセッションではやっぱり病名など聞かれてですね、言うのは嫌だったけど観念して言いました。悪気はなくても、やっぱり勝手なこと言われます、はい。まぁ、私のことは私自身にしかわからないことだから仕方がないと思えるようになっていたことを発見できたことが大きな収穫でした。難病だから私は治らないって思ってる的なことを言われ、思ってねーよ!なんで悪化するのかということについて、また勝手なこと言われて、何もわかっちゃいねーくせに!と思ったけど、心の中で突っ込んで終わりました。それができるようになりました。以前の私だったら、わかってほしくてがんばっちゃうか、わかってくれないような人のところへは行かなかったから。今の私にはセッションが必要だったけど、その人自身の理解を必要とはしていない。まぁできれば自分の好みの人にセッションしてもらえれば一番いいけれど。それが叶わないなら仕方がない。身体の状態はね、インフルエンザの初日みたいな感じが延々続く。身体が痛くて、だるくて力が入らなくて起きていられないあの状態。だるさと痛みと微熱のあのどうしようもない感じと、その症状のなかしんどいのにしんどいからこそうまく眠れない、食べられない。頭と顔が痛すぎて、少しでも和らげるために男性用の強力トニック入りシャンプーをずっと使っていたほど。脳の炎症のせいか、テレビも見れない、本も読めない、とにかくなにもできない日々。なーんにもできない。寝ていても痛みとだるさでしんどくてどうしようもない。よく言われたゆっくり休んでくださいっていう言葉がどれほどキツかったか…だってね、闘病中ですなんて言いたかないし、わざわざそこまでの病状なんて伝えないじゃない?お察しくださいってことだけれど、身体を壊して…っていうと、そういう感じなのかな。元気になれば、そんな状態で大変だったんだよーって笑い話になるんだろうけれど。悪化っていっても、39度超えの高熱がでる悪化もあれば、気づかないうちに風邪をひいていて(いつも具合悪いからよくわからない)朝動けなくなっていたりという悪化もあり、体調いいなぁとお掃除したり近くへ買い物行ったりするだけでぐったりしてぞくぞくっと寒気がやってくる…自分でもどこまで動いていいのか、どこからが悪化のラインなのかわからず、ただ恐怖でした。友人と会うと楽しいから気持ちも上がるし精神的にはすっごく嬉しいのに、その分身体の消耗は激しいみたいで、ぐったりしてしまう。やりたいことをすると身体が悪化するっていう恐怖がこびりついてしまって、毎日が実験のような日々。ここまでは大丈夫かな、あぁここまでするとこうなるんだ…って。次第に疲れはてて何もかもいやになって無力感にさいなまれてました。でも、これこそがこの病気の特徴で…↓↓筋痛性脳脊髄炎:国際的合意に基づく診断基準複雑で広範な機能障害を伴う、後天性神経系疾患である。細胞のエネルギー代謝及びイオン輸送障害を伴う、神経、免疫、及び内分泌系の病的調節障害を顕著な特徴とする。 徴候や症状:(A)患者は、労作後の神経免疫系の極度の消耗 主として神経免疫系領域における顕著な症状を伴い、 要求に応じて十分なエネルギーを作り出す能力が病的にないことである。 1.(日常生活での活動や簡単な知的作業のような最小限の)労作によっ て起こる著しく急激な身体的及び/又は認知疲労が、身体を衰弱 させ、症状の再発を引き起こしうる。 2.労作後の症状の悪化:例えば、急性のインフルエンザ様症状、疼 痛、及び他の症状の悪化。 3.労作後の極度の消耗は、活動直後にも起こりうるし、数時間から数 日間遅延して起こることもありうる。 4.回復までの期間が長びき、通常 24 時間又はそれ以上要する。 ぶり返しは何日も、何週間も、又はそれ以上持続しうる。 5.低閾値の身体的及び精神的疲労(スタミナの欠如)によって、病前 活動レベルが相当に低下する。 (B)神経系機能障害の三つのカテゴリーのうち尐なくとも一つの症状がある事 ・免疫系/胃腸器系/泌尿生殖器系の機能障害の三つのカテゴリーのうち 尐なくとも一つの症状があること 1.神経認知機能障害 a.情報処理障害:思考の鈍化、集中力低下、例えば、錯乱、失見当 識、認知のオーバーロード(過負荷)、決断力低下、ゆっくりと しかしゃべれない、後天的又は労作性失読症 b.短期記憶の喪失:例えば、何を言いたかったのか、何を言ってい たのかを思い出せない、言語検索障害、情報回想力低下、作業記 憶の低下 2.疼痛 a.頭痛:例えば、慢性広汎性頭痛は、頸部の筋肉の緊張が関連して いると思われる、目や目の後ろ、又は後頭部の痛みをしばしば 伴う;偏頭痛;緊張性頭痛b.激しい痛みを、筋肉、筋腱接合 部、関節、腹部や胸部に感じうる。非炎症性の性質を持ち、し ばしば移動する。 例えば、全身性痛覚過敏、広範囲の疼痛(線維筋痛症の診断基準 を満たすかもしれない)、筋筋膜痛又は放散痛 3.睡眠障害 a.睡眠リズム障害:例えば、不眠症、昼寝も含む過眠、昼間ほとん ど寝ていて夜間ほとんど起きている、頻繁な中途覚醒、発病前 よりずっと早く目覚める、鮮明な夢/悪夢b.疲労回復のなされ ない睡眠: 例えば、睡眠時間に関係なく覚醒時に極度の疲労を感じる日中の 眠け 4.神経感覚、知覚及び運動障害 a.神経感覚、及び知覚:例えば、視覚の焦点を合わせられない。 … …と、まだまだ続きますが、こんな感じで、悲しいくらいに症状が当てはまってまして、認めざるを得ないという思いと、こういう病気なんだから思うようにいかないことは致し方無いという思いと、受け入れたくないという思いとで複雑でした。この病名を口にしたら、本当にそうなっちゃうような気がしてずっと言いたくなかったんだけれど、受け入れて手放したいと思い…ここに書き記しました。今も疲れてしまって30分ほど寝て、再びタブレットに向かっています。足下からゾワゾワしてきたので、パジャマを着足しました。ここまで打つのに、かれこれ二時間かかってます…恥ずかしいとか、情けないとか、きっとどこかにそういう気持ちがあったんだとおもう。せめて、病気とうまく折り合って日常生活をつつがなくおくれたら、という気持ちもありました。病気を責め、恐怖におののき受け入れることから逃げてきたんだと思います。だからずっと追っかけ続けられたようにも思います。自分の生き方、考え方、思考の癖に向き合って、家族にも理解してもらえてきて、ようやく肩の力を抜いて安心して寝ていられるようになったこの3ヶ月ほどの悪化の日々があり、今度こそ完治する、と心に誓い動き始めたこのところの治療の日々。恐かったこと、つらかったこと全てを手放します。今の痛みだけに向き合います。身体と相談しながら、やりたいことを我慢せずやり、やりたくないことを我慢してやらないことを更に肝に命じます。そうして、私は健康な身体を取り戻します。
2016.06.15
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昨日は雨で、今日は晴れるから、何をしようかなぁって楽しみにしてたけど…いつも天気いい日は体調悪くて寝ている状態💧気持ちと体調がかみあわなくてがっかりすることが多いのだけれど、なんか今日気づいた。天気が悪くなると気圧の影響で体調崩しやすくて、それは重々承知しているけれど、その翌日に晴れると起きられないのは、身体を回復させようとしているからなんだなって。お天気よくて、空気がカラッしていると、体調悪くてこわばってた身体が弛んできて、寝ているのも楽になってきて…気持ちはやりたいことでウキウキしてたから、お昼になっても夕方になっても思うように動けないことに悲しくなるんだけれど、身体は身体で良くなろうとがんばってくれているんだよなぁ。そんなことにようやく気づいたのでした。こういうちょっとしたことで、自分責めをしてしまっている自分自身にも気づく…気持ちばかり優先して、身体の声を無視して動いて、身体に鞭打っていた頃にくらべれば天と地ほどの差があるけれど…日々気づきあり、ですね。
2016.06.10
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昨日は1日具合が悪くて寝ていたけれど、今日は沼垂テラス商店街の朝市にいきたくて、昨日は20時前にまたベッドに入り、しっかり眠って明日は4時に起きて早朝の空気を吸い、朝市に行けますようにと願掛け。嬉しくもしっかり眠れて、3時過ぎに目が覚め…まだ起きれなくてもう少し横になっていようと目を瞑っていたら4時半になってました。ベランダにでて朝の空気を吸い込み、部屋の中の重苦しい空気を入れ替えて。そら君と戯れて、5時半。ゆっくり支度してスタバで一息いれてから朝市に行くのもいいし、どうしよう…と思ったけれど、やっぱり横になりたくて眠ったら7時半になってました💦横になるときに、しっかり自分に問いかけていたから、残念だけれど朝市は諦められました。支度する?横になる?どうする?って、ちゃんと選択しました。だから、行けなかったことにがっかりするのではなく、横になりたいという選択を選んで叶えてあげることができたなって思えました。やっと自分の選択に意識を本気で向けることができたんです。なんか、すごーく腑に落ちた!❲やりたいけど、できない❳じゃないんだ。はー、清々しい✨しっかり寝て、早起きもできたし、言うことなし!そして、今日は体調も良かったので、行ってみたかったパン屋さんのカフェに来ました。そら君同伴で。食べきれないのはわかっていたけど、それでも食べてみたいという気持ちに素直に従いランチを頼みました。食べられないんじゃなくて、残せばいいだけ。おいしくいただきました💕ブログ上からメッセージ。Seiさん、今度一緒に行きましょうね🎵美味しいパン、おかわり自由だそうですよー!
2016.06.05
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行きたいところがいっぱい‼でも近場とはいえ30分少々車を走らせないとなわけで…あー、どこでもドアが欲しい。東京の住まいもそら君を連れて行けるところに引っ越したい。でも、引っ越しはめんどい。二年間無収入で審査が通るのか、心配。家探しする体力は?…ない。でもでもでもでも!葛藤の毎日。行きたいのに行けないのは体調悪いから。そんなシンプルな答えしかないのに葛藤してる。もう悪化させたくなくて、どうにかしなきゃってまた焦ってた。同じことの繰り返し…でもね、今回はちゃんと周りに相談しました。いろんな意見があったけれど、やれることはやってみながら、最終的にはどうしたいか決めたいと思ってます。まずは自分のできる範囲で自分を喜ばせること、楽しいことを少しでも自分に与えていきたい。それが一番です。
2016.06.04
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昨日、あるニュースをきっかけに過去のつらかった気持ちが蘇ってきて、わんわん泣いていたらお母さんが「どうしたの…」と部屋に入ってきた。いなくなったと思ったから、わんわん泣き始めたのに💦お母さんの実家の裏山で迷子になったときのこと、卵巣嚢腫の手術後、大変な状態になったときに頼んでもきてくれなかったこと、身体が辛くて、でも治療に行きたくて、連れていってほしいとお願いしたのに、待っているのがイヤだと断られたこと、ロケ中に高熱が出て死ぬ思いで仕事をやりきったのに事務所の人に責められたこと、思ってもいなかったことが起こってしまったとき、こんなことになるんだったらはじめからいつものような選択をしなかったのに…と、あまりのつらさに自分を責めてしまう。お母さんに途中で会えると思ったから山に行ったのに、会えなくて、怖くて怖くて、泣き叫びながら山の中を走って走って…それなのに、お母さんは覚えてないばかりか、私の夢じゃないの?なんていう。術後があんなに大変なことになるのなら、お母さんに手術をが終わるまでついていてもらえば良かった…いくら大変だったことを話しても本気にしてくれず、同じ病室の人がどんなに大変だったか説明してくれたほど…人のことを優先しないで素直にしてほしいことを言えばいいっていうから、病院連れていってほしいって言ってるのに、結局待っているのがイヤだから無理と言われ…メイク事務所でも、ほぼ同じ扱い…結局ね、私はどこに行っても助けてもらえない、大切にしてもらえないっていう思いが強くあって。どうしようもなく辛すぎて、お母さんに言ったの。責めてるわけじゃないし、怒らないで何も言わずに私の気持ちを聞いてくれと伝えて。案の定言い訳入ったけど、どんな事情であれ、もし私が求めたことを望んだ通りにできなかったとしても、そのときの状況と気持ちを汲んでほしかった、と伝えました。事が起きたあとでさえ、そうしてもらえなかったことがつらかったと。辛くて辛くてって。「気持ちを汲んであげられなくてごめんね」と言ってくれました。もうね、吐き出さないと癒されていかないってよくわかったから、ちゃんと言いました。❲どこにいっても、どんな大変な状況でも助けてもらえない、大切にしてもらえない❳という私の心の闇に光が差し込んだ瞬間でした。こんなこと、とてもじゃないけど自分の口から言うことなんてできなかった。言ったら本当にそうなんだって認められてしまうような気がしたし、恐ろしくて。でも、ちゃんと言葉にして口に出すことができた。この思いがあるから、不安にもなるし、役にたたなきゃ受け入れてもらえない、迷惑かけちゃいけない、嫌われる、捨てられる、見放されるっていう恐怖の全てに結び付いていたように思える。そして、愛されている、大切に扱われている人への羨望と、そうじゃない自分への絶望…この暗闇に光をあてられたことは大きな救いだった。こうして少しずつ癒えていくのだろう。身体が壊れると精神が壊れる。いや、なんとか保っていたバランスが崩れることが精神的な癒しのスタートラインなのかもしれない。逃げずに向き合っていくことができたなら。
2016.06.02
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また体調崩れ、落ちていた日々。「早ぐ良ぐなりだいーーー💧💧💧」泣きながら、心の底からでた言葉。もう絶対に悪化させたくない。6月に入り、すでに2年の月日が流れてしまっていることに、焦りと絶望が押し寄せる。2年経てばさすがに治っているだろうと思っていた。精神的な問題が無くなれば、身体もよくなるのかなと思っていた。やっぱり専門医のところで診てもらったほうがいいんじゃないか…そう思い始めて、いろいろ調べて。全国に15人ほどしかいない専門医。近くて東京、富山、秋田。いずれにしてもまだ長距離移動に耐えられる状態ではなく、とにかくその体力、体調を整えないと。現状を明らめたつもりでいたけど、こうやって日々、日がな1日葛藤しているのだということに気づかないでいる。ということに気づかせてもらえた。そら君と部屋でのんびり戯れたり、一緒に眠ったり、ボール遊びしに行きたいだけなのに、それすらできないことに絶望してしまう。早く仕事したくて焦ってるわけでもなんでもないのに、自分のしたいことが思うようにできないことに、相変わらず一喜一憂しているわたくし。少し動けるようになると、外側ばかりみてしまうんだなぁ。すぐに内側から離れていってしまう…あー、これが相変わらずの今の私。だから未だに誰とも会えなくて、こうしてひとりで自分と対話している。すぐに自分を見失ってしまうから(体調悪くて、というのが一番だけれど)。不器用で、情けない私。それすらも大事な私。時間がかかっても、自分と仲良くなりたい。うまくできなくて責めてばかりいた私から、なにがあっても一番の味方で理解者である私でありたい。揺るぎなく。
2016.06.01
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先週末からまた風邪を引き、昨夜は汗をかいては着替え、眠れずを繰り返し…そんななか、大きな気付きがやってきた。私ね、自分の本音をいうことからずっと逃げていたから、人を替え状況を替え同じことがずっと起き続けてきたんだなって。そしてね、壮大な思い違いをしていることに気付いたの。私が幸せになろうとすると不幸な事が起きたり、大事にしていたことが終わりを迎えてしまうって思ってた。転職するとき、結婚するとき、主婦になり本気で仕事を始めたとき…大きな節目にはいつも大きな別れが訪れて…って、新しいステージへ行くことが怖いと感じていたの。でもね、よくよく考えると、自分でサロンを開いた時も、東京へ行くときも、不幸なことや終わりを迎えてしまったことはなかったなぁ、って。ん…?何が違うんだろう?最後の会社は11年勤めて、まぁいろいろ大変なこといっぱいあったけれど、できるだけ本音から逃げないでやりきった自分がいたなぁって。じゃあ、それまでの節目は?って考えたときにわかったの。幸せになろうとするとき、って思っていたことは、本音から逃げて次のステージへ行ったときのことだったんだって。私なんにも悪くないのに失敗を私のせいにされたり、現状を変えたいのにどうしても言えなかったり、、いま思えば、それは違います!って言えばいいだけのことだったり、そんなに現状が嫌なら周りの人のことなど考えずそこから離れることをすれば良かっただけなんだけれど、本音を伝えるとことから逃げて、次の場所へ逃げただけだった。これで、嫌なことは無くなって、自分の望んだ環境が手にはいると思った時に、思っても見ないことが次々起こっていった。私の力が到底及ぶことのない大きな流れの中の、終わりであったり、大切な存在との別れだったり…。なんで?やっと私が望んだとおりになってうまくいくと思ったのに、どうしてこんなことになるの??理解できなかった。いつしか、幸せになろうとすると不幸な事が起きたり何かが終わりをつげると思い込んでいた。でね、これって、幸せになろうとすると…だけじゃなくて、病に倒れたあとに起きたことも同じじゃない?って気づいて。自分が思っても見なかったようなことが起きて、翻弄され続けて。本音に辿り着くまでも時間がかかったし、辿り着いても言うまで時間がかかり、全部出しきるまでも時間がかかり、出しきったあとに心を修復するまでもものすごく時間がかかったし、どんだけ大変だったんだよ…ってね。ここに至るまでは、過去の自分のこと、つらつら思い出してた。そういや本音を言うことっていつもできなかったよなぁって。今まで付き合ってきた人のこととか思い返してて。鼻毛が出てるって言えなかった…体臭がきついって言えなかった…髪型変だよって言えなかった…しょーもないこんなちっぽけなことが言えなくて、どんどん好きじゃなくなって、他に好きな人がいるからって別れるパターン。ま、10代、20代初めの恋だけれど。そんなことすら言えなかった。この頃の彼は、私をすっごく大事にしてくれる人達だったのに、どうして続けられなかったんだろうって考えたら、大事にしてくれるからこそ本音が言えなかったなぁって。傷つけるんじゃないか、って。そして、大事にしてくれるからこそ自由に生きられないと思った。やりたいこといっぱいいっぱいあるのに、好きなように生きることができないと。大事にしてくれるからこそ、結婚を望まれたし、一緒にいることを求められたし。自由にしたいなら寂しいのは仕方ない、大切にされないのは仕方ないっていうおもいこみ…。だから、そんな人を結婚相手に選んだし、そのパターンはなかなか崩すことができなかったみたいです。なんでなの?どうして大切にしてもらえないの?って思ってたけど、裏を返せば自分が望んでいたこと(無意識だったけれど)だった。思い込みのなせる技ってすごい。そして怖い((( ;゚Д゚)))気づけて良かった。そして、本音を言わずに逃げ続けることのほうがどれだけ恐ろしいか、気づけて良かった。もう、逃げることはしない。本音を大事にしていきます。それは自分のためでもあり、自分が幸せであることは周りの幸せに繋がるから。
2016.05.24
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あー、またやってしまった😣昨日、3ヶ月ぶりに鍼灸院の予約を入れて。一昨日の夜は眠れなくて体調良くなかったし、今日は無理だろうなぁと思いながらも電話したの。明日の12時でも12時半でも大丈夫ですよって言われたから、ちょうどいい時間だなぁって思って、そうしてもらったんだけれど…電話切ってから、やっぱり今日行きたかったなって思いはじめて。いいお天気だし、海が近いから見られたらいいなぁ、治療もしたいなぁって。やっぱり今日予約取れませんか?って聞こうかなぁって思ったのに、いやいや今予約したばっかでやっぱり…っていうのも気が引けるしって、心の声を無視してしまった。でも、なんかしたいって思ってベーグルを買いに行こうと車ででたけれど、やっぱり体調悪くて引き返してきて。今思うと、私お得意のやり方。自分の望みを一番に叶えようとせず、かわりにこれはどう?っていう代替案で納得させようとするパターン。昨日の時点では全く気付かなかったけれど。同じような状況で、食べたくない夕食をやけ気味にかっこんで19時半には寝てしまった。結果、今日は体調悪くて起きることができず、鍼灸院の予約もキャンセルに。前の私だったら、せっかく予約とれたのにって、無理しても行っただろうけど、今日は断ることができた。とはいっても、キャンセルの電話するまで夢の中で時間をずらしてもらおうか、とか、電話しなきゃ、とか、ギリギリまで悶々としてたけど💦夢の中までって…。それくらい断り下手というか、自分がどうしたい?っていう気持ちにたどり着くまで時間がかかるというか。いま、どうしたいかそれだけのことがうまくできない自分に絶望ですよ。行きたきゃ、相手の都合は置いといてとりあえず素直に聞いてみる。食べたくなきゃ、素直に今は食べたくないと言えばいいだけ。夢の中まで悩んでないで、体調悪くてキャンセルさせてくださいって素直に電話すればいいだけ。具合悪いなら素直に寝ていればいいだけ。ただそれだけのことなのに…どうなってるの、私?自分が心地よくあるにはどうしたらいい?って考えるんだけど、食欲がなく食べられないとおいしいスイーツでホッとすることもできないし楽しいこと、好きなことをすればいいのだろうけど、体調悪くて思うように動けないから寝ているしかないし、どうすりゃいいの?って思ってた。外側から与えられないなら、内側からしかないじゃん。ってことは、自分の考え方を変えていくしかないってこと?ということにようやくたどり着きまして。そのために全てが閉ざされたんじゃないかと思うほど、です。だって少し動けるようになるとこれだもの。すぐに、自分がどうしたい?ってことから目を離しちゃう。ま、いっかっていういつもの癖が出て、人に合わせようとしてしまう。人の望みに先に焦点を当ててしまう。どんな小さなことも、真剣にどうしたいかを考えることがまだまだできないなぁ。相手が存在すると、時間をかけて考えられない自分がいる。誰も煽ってないのに、早く結論ださなきゃって勝手に思う自分がいる。なんだろね、これ。のんびりしてたらダメだっていう強迫観念があるのかしら。とにかく、いまどうしたい?にしっかり向き合っていこう。時間がかかっても、後から気づいて人に迷惑かけてでも、それでもいいから。
2016.05.20
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帰って来てから、そら君と散歩へ。いつも小さなそら君に引っ張られながらやっとこ歩いているんだけれど、なんだかそのスピードに合わせたくなって。走ってみたんです。そしたらそら君がほんっとに嬉しそうに駆け出して。あー、そら君はずっとこうしたかったのに、私に合わせてくれてたんだなーって。私も走ったのなんて何年ぶりだろう…ほんの少しの距離だったけど、なんか嬉しかったな。治療中、「思うように動きたい」って強く思ったって先程のブログに書いたけれど、厳密にいうと、「思うように動きたい‼ うぉぉぉぉぉーーーー!!」って、腹から込み上げるような想いだったんですよね。治療が終わってから、先生と話してたんです。良くなるまでもう少し…って感じだけれど、なかなかその先にいけなくて、と。そしたら先生が、2月3月に動けなくて良かったです、と。木々が芽吹くように人間の身体も今の時期に芽吹いていきますからって。思うように動いて、また悪化したら…と思うと怖くて、と伝えると、少しずつ少しずつ、家の周り散歩するだけでいいから、ほんとに少しずつでいいんでやっていきましょう、と言ってくれて。今までの、気持ちばかりが先走るような感覚とは違って、動けない現実を受け入れて、どんなに心苦しくても罪悪感を感じても、ただひたすら身体に従って動かずに寝ていたからこその、「うぉぉぉぉぉぉーーーーーー!」に到達だったのだと思います。まだまだ迷惑かけて、面倒みてもらいます。やりきった先には、自分の足で立てている未来があると感じるから。助けてほしいときにいつも一人でなんとかしようと踏ん張って、助けを求めず甘えずにきた自分が成仏するまで、あと少しな気がするから。なんにもできなくても、迷惑かけても、役に立たなくても存在していていいんだっていう確信を持ちたいから。今までの我慢が半端ないから、何度も何度も確かめながら、少しずつ氷がとけていくように心の緊張がほどけていくのを感じるから。それと同時に自分への信頼感が増してきているのだと思うから。もう少し、もう少しだから!
2016.05.16
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漢方の先生のところへの帰り道。 黒埼PAにスタバがあることを思い出し、来てみました。 何度も行ってみようと思ったけれど、足を延ばしてみることができなくて。 今日こそは思うように動けるかなと、毎日身体と相談するけど、思うようにはいかない。 今朝もそんな体調だったので凹んでいたところ… 少し盛り返してはまた下がる体調 でも、治療を受けているときに、ムクムクと、 思うように動きたい!! という強い想いが湧いてきて。 そして向かったスタバなのでした。 高速を眺めながら、遠くへドライブする自分を想像しつつ…。 今日もソイラテを飲むのでした
2016.05.16
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最近、驚くくらい同じようなメッセージがやたら目に入ってきます。光があるからこそ影がある。光があるところに光を当ててもわからないけれど、暗闇があるからこそ光の存在に気づける…というようなメッセージが、言葉を変えながらもいろんなところから届けられる。コントラストが強ければ強いほど、光はより強化される…本当にそうですね。今の自分だからこそ受け取れるメッセージだと感じています。結局、迷走しているときって、どんな大切なメッセージも入ってはこないんですよね。本当の意味で。どうにもならない身体の状態のときに、その状態のままの前提で(無意識なのだろうけど…)先のことを考えたら、そりゃお先真っ暗です。。。立っていることもままならず、寝ていても具合が悪すぎて眠れなかった最初の頃は、自分の身体がどれだけ大変なことになっているか自覚がなかったので、ものすごくしんどくても動いたりしてたんですよ。病院のついでにダイソー寄ったり、身の回りの物を買いにいったり(1ヶ月で治って東京に戻れると思って帰って来ていたので)。で、その時に、仕事で使えそうなものを見つけては喜んで買っていたんだけれど、身体が思うように良くならないばかりか、どんどん悪化していったとき、そういう自分を否定し始めたんです。こんな状態で、仕事に復帰できるかどうかもわからないのに、なにやってるんだろ…って。事務所を辞めて東京と新潟で仕事するって決めてからは、気に入った服があると、新潟用と東京用と、って買ってたんです。でも、悪化を繰り返して、仕事どころか東京に戻ることさえできないかも…という不安に苛まれるようになると、それも、なにやってるんだろ私…になって。現状はどうであれ、無意識では当たり前に思っていたことを、思考が否定するんです。自分の望むことを、自分の思考が、自分自身が否定してたんです。さらに、周りからも言われます。もう年なのにこれからヘアメイクの現場復帰は難しいんじゃないの?東京と新潟でなんて、そんな風に仕事できるの?まさにこれこそが投影でした。自分の不安が投影されて、他人の口から吐き出される。自分の内側では当たり前のように思っていたことなのに、どんどん光がなくなって暗闇に落ち込んでいった…。恐いですね…本来の私にはわかっていた望みを信じられなくなっていたんです。今の私は、特に決まっていることもなにもないけれど、きっと大丈夫だろうっていう根拠のない自信があります。自信って、自分を信じること。それがよーくわかったから。万が一、望む仕事ができなかったとしても死ぬわけじゃなし。楽しいことして生きていきたい。相変わらず目の下真っ黒だし、ほどんどの時間寝ているけれど、信じることができるんです。やっと、いろんなからくりがみえてきた。そんな気がします。今の自分が気づけたことと今までの振り返りが続いていますが、もう少しかかりそうです。
2016.05.15
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昨日はお金お金とびっくりするくらい連発してブログを書きましたが…自分のなかのタブーに切り込めた感があり、なんかすっきりしました。それだけでなく昨日はずいぶん体調も良かったので、ずっとしたかった部屋の雑巾がけ(リハビリのようなもの)、そら君誤飲による動物病院(緊急事態!)、郵便局、セリアで買い物、と欲張って動きました。動いてはベッドで寝て、を繰り返して、無理はしないように気を付けつつ。全部やりたくてうずうずしていたことだから、天気がいいとあれもこれもしたくなるんですよねぇ。最後、どーしてもスタバのソイラテが飲みたくなり。今日は動き過ぎたしやめたほうがいいんだろうなと思いつつも、自分の心地いいを優先したい気持ちを抑えきれず、そら君と一緒に行っちゃいました。あんなに嫌だった車の運転も気にならず。やっぱり、やらなきゃで動くのはしんどいのだけれど、やりたいで動けばなんとかなるのね。かなーりひさしぶりのソイラテはとってもおいしかったです💕食事は相変わらず玄米おかゆとお味噌汁、漬物、甘酒、の毎日なので、他のものを食したいっていう気持ちがでてくるのはすごくいい傾向で。誰かの期待に応えるために無理したり、望んでないことをやったりせずに、自分のペースを守って少しずつ動いていこうとあらためて思えたのでした。しかーし!さすがに動きすぎたせいか身体が疲れすぎて夜眠れず…今日は寝ています。今までだったら、動きすぎたことをすごく後悔して自分を責めちゃってたけど、やりたいことしかやってないから、しょうがないなって思えた。明日は無理せず1日寝ていようって。これは大きな進歩。こうやって少しずつ心身のバランスがとれて治癒が進んでいくのだなぁって。少しずつ「今ここ」を感じられるようになってきたみたいです。
2016.05.14
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今日はいいお天気でした😃⤴そら君の狂犬病の注射と、フィラリアの検査に行かねばだけれど、もう💰が無い…体調良くなってきたら、定期を崩しに行かなきゃと、ずーっと思ってました。なーんにもしてなくても、生きているといろいろお金ってかかりますよね。病気になってからは、働けないのにお金が出ていくことが怖くて仕方なかった…でも、今になって思うと、働いていたってお金が減っていくことが怖かったんです。安定した会社を辞めて、個人事業主になったとき、いや、よくよく考えると、その方向へ気持ちが向かってから毎月確実に入ってくるお金がないことが怖くって、グロソブ始めたんです。その頃は、まぁこんなもんかなぁ、くらいの利回りで、両親が先に運用していたこともあり、よく調べもせず始めてしまって。結婚していない自分になにかあったとき、姉妹に迷惑かけるわけにはいかない…という気持ちも強かった。実際、そういうことも言われたし(涙)特別使うあてもなかったし物欲もなかったから、というつもりだったけど、結局は不安からのお金の使い方だった。その後、会社員とヘアメイクのダブルワークをすることになり、休みもなくなり、使い道もなく、気づけばお金もそこそこ貯まってて。いろんな不安と折り合いをつけながら、それでもやりたい道を選んで会社を辞めヒーリングサロンとヘアメイクの仕事を始めて。やっぱりお給料のように決まった収入が入ってこない不安があって、お金を使うことに罪悪感を感じていたなぁ。いつになったら値段を気にすることなく買い物できる日がくるのかなぁ、なんて言いつつ。そして東京へ修業に行くことになり…映像のヘアメイク、見習いからの挑戦で、お給料8万円なり。そりゃ大赤字ですよね💦贅沢しなくてもやっぱりなんだかんだ毎月20万はかかるんですよ…しかも、こいつはダメだと思われたら即終了!という条件で入ったわけだから、いつどこで終わりと言われてしまうのかわからない恐怖もあったし、そんなわけにはいかないという気持ちもあったし。悲しいかなやらされるのは掃除と洗濯、雑用に荷物持ち。。。お昼休憩はないし、なにをしてても監視されているような毎日。あー、私間違っちゃったかなぁ。って思ったものです。話はそれましたが…そこからは働けど働けど、どんなに寝ずに働いても、チーフになって作品を担当するようになっても薄給しかもらえず今にいたるわけで。結局は、不安から毎月の収入の確保のために始めたグロソブも、下がりまくって解約することもできず、不安の上塗りになってしまい…。アベノミクスのおかげで少しは盛り返すこともできたけれど、最終的には何十万もの損失で終わりました。それで済んだだけでも良かったのかもしれないけれど、不安がなくなるどころか、かえって不安が増えただけだった💧病気になってからは、やっぱりフリーランスになったときと同じく、不安な気持ちと折り合いをつけながら、のやりくりでした。もう少したてば仕事に復帰できるし、っていう気持ちもあったし。でも、悪化を繰り返し、先の見通しが立たなくなってきたとき、ようは想定外になってきたとき、ものすごい不安に襲われて。なんで両親は身体のことばかりかお金の心配もしてくれないの?大丈夫なの?とか大変だろうなって思うこともないの?って悲しくなったり。トラウマで、フラッシュバックがひどく精神的にかなり不安定になったときに、両親が援助してくれるっていってくれたんだけど、今度はそれすら怖くなって受け取れなかった。何もできない自分、迷惑かけてばかりで役に立つこともできない自分を受け入れることができなかったからなんだけれど、他にも理由があった。お金を受け取ったら、お金をくれた人の言いなりにならなければいけないっていう思い込み。お金を受け取ったら、周りに妬まれて嫌われて責められるっていう思い込み。それが怖くって、結局受けとることもできず。東京の住まいをどうするかずっと悩んでいたし、引っ越しを手伝うと言ってくれた友人や知り合いもいたけれど、やっぱりそれはできなくて。住まいを維持すること自体、不安からの選択だったかもしれないけれど、それでも東京の居場所を無くしたくないという気持ちを優先できたことは自分でも自分を褒めてあげたい。損得よりも、不安からの気持ちだとしても不安だからこそ動くことができない、決断することができない自分を受け止めてあげることができたから。そんなことを繰り返していくうちに、少しずつお金に対する気持ちが変わってきて。収入がなく、出ていくばかりなのに、それでもお金あるじゃん!って。すげーじゃん、私!って思えるようになった。この先、姉妹に迷惑かけるかもって思ってたけど、そんなの誰がいつどうなるかなんてわからない。先の不安よりも、今をどう生きるかってことにフォーカスしようって思い始めた。この2ヶ月くらいで、本当になんにもしないで人に頼りきることができるようになって、やっと罪悪感を感じなくなってきて、存在給ということを信じることができるようになって。病気にならなければ、一生気づくことはできなかっただろうと感じてる。そして、お金を通帳の数字じゃなくて現物でしっかり感じるってことを藤本さきこさんのブログで知って。今回、やってみたのでした。おっちょこちょいな自分の自覚があるので、落としたり無くしたり、盗まれたりしたら怖いな~って思って、いつもならすぐに普通預金に入金してた。でも今日は帯つき新券で現金をもって帰ってきて、しっかりお金を感じました‼経理の仕事をしていたときは億単位の金を動かしていたし、何百万という現金を毎日数えて銀行に入金にいっていたので、お金というものをたくさん扱ってきたつもりでいたけれど、所詮それは会社のものであって自分のものではないわけで。自分の持っているお金を意識したこと、確かになかったなぁ。あらためてそんなことを思い出しつつ、お金に向き合い…お札の端しっこに設定変更ブレンドのメモリーオイルを塗り塗りして、気持ち良く使うからまた気持ち良く私のところに戻ってきてねって言って。今までは、お金が減っていくことばかりにフォーカスしていたけれど、お金があるということにフォーカスできるようになってから、あれ、いろいろ使ってもお金あるー!ってなった。なんとも不思議。設定変更、完了したみたいです。
2016.05.13
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この1ヶ月、朝まで眠ることができるようになり、とにかく眠ることに集中してました。今日も寝れた、今日も寝れた。から、今日も寝たい、今日も寝れるようにしたい…へ。これが悪い癖で。良かった、良かった〰、から、できたことができなくなる不安にフォーカスされていってしまう。昨日までの成功体験を繰り返しても、うまく眠りに入れないことも増えてきて、昨夜は、いっそ観たいドラマを素直に観てから寝ようと思えて。21時すぎにはベッドに入り、22時には寝たいから、録画が常なんですけどね…大ちゃんがの芝居が面白くって、あっという間の一時間。寝ながら観てるほうがしんどくて、後半20分くらいはベッドの上で座って観てました。いつもは寄っ掛かるところがないと、座っているのもしんどいのだけれど、ドラマのワクワクに集中してたせいか気にならず😃あー、明日もこんな身体の調子だったら、あれがしたい、これもしたいと眠りにつくとき思えて、明日のことを楽しみに思って眠りにつくなんて、いったいどれくらいぶりだろう‼と、じんわり感動していました。元気なときは当たり前だったこと。それがこんなにも尊いことだったなんて。体調悪いときは、どうしたってそちらに気持ちが集中してしまうし、少し良くなってくれば治りたいってことに集中してしまうし、それは仕方のないことかもしれないけれど、安心して具合わるくなっていられる環境と精神状態だったならば、なにもできない病気の自分を受け入れて、できないこと、やりたいのにやれないことにフォーカスしないで、抵抗しないで、ありのまんまぐったりの状態でいられたのかもしれないなぁ。とことん苦しんで、自分の思考の癖に少しずつ気づけるようになってきたから思えることなんだろうけれども💦いまあらためて考えると、舞台を観に行き続けてたころは、ワクワクに集中してたから(精神状態はよくなかったけど…)大好きなニノに偶然会えたり、握手してもらえたり、かなりな引き寄せパワーがあったのだなと。あのとき漠然と、東京に住むところがあったらなぁ、作品創ることに関わりたいなぁ、って思ってたことは、ちゃんと叶ってる。夢が現実になった時、思うように進まない現実に希望を失ったのは紛れもない私自身で。都合いいように先輩に振り回され、事務所に使われ、言いたいことも言えず、自分を守ることもできず、どうしたらいいんだろう…って、思っていたあの日々。夢を実現する方法にばかりフォーカスして、自分の楽しみやワクワクから遠ざかっていた。自分の時間ないし、体調悪いし、現実的には無理だったんだけどね。残念‼今ならわかることいっぱいある…とりあえず、東京に戻ってみて、楽しいことして遊んで終わるだけでもいいって思ってる。仕事に復帰したくないと思うかもしれないし、復帰できたとしても、もうこんなキツイのは無理だ~💧って思うのかもしれない。でもね、やりたかった楽しいこと、なんにもできてなくて、成仏できないのよ。仕事は二の次で、とにかく楽しいことしたい!苦しい記憶から、楽しいことばかりの記憶に塗り替えたい。それが当面の目標。仕事が趣味みたいなものだから、仕事できないことが苦痛でストレスだって思ってたけど、何もできない私は存在価値がないと思ってた不安の裏返しだったみたいです。自分の本当の気持ちに到達するのって、まじ難しい…これからは苦しみと引き換えにではなく、軽やかに気づいていける私に設定変更です。
2016.05.12
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今日は漢方の先生のところへ。昨日、昼間寝ている時に、「自分で車を運転して遠くへ出かけたい」というメッセージとともに目覚めて。体調悪化してからずっと車の運転も無理で、治療に行けなくて、どうしてもの時は父に送り迎えしてもらっていて。まだ運転したくなかったけど、治療に行くと楽になる。でも父と一緒だと、都合も合わないし、いろいろ言われるのがいやで💦しぶしぶ運転してたんです。暖かかったこともあり、お昼前から身体が楽になってきたので、3ヶ月ぶりくらいに髪にアイロン巻いて。(メイクはまだしたくなくてすっぴんでしたが…)大きな前進だと思いつつ出掛けました。車でかける曲はずーーーーっとジャズばかりだったけど久しぶりに嵐を聴きたくなり…あまりに滲みる歌詞ばかりで泣かされました(涙)嵐って、こんなだったっけ❓❓必要なメッセージがいろんな形で最近びしびし届くけれど、嵐からもいただきました。。。 いつかどこかで思い出すはず ここにいる全ての意味を かっこつけても涙みせても これが本当の僕だから 明日の僕を迎えにいく あの頃に負けないように 忘れかけた大事なもの抱えて 答えなどわからなくても それでも続く道ならば 信じるままに歩こううーーーー、泣けた。この曲全部滲みる歌詞なんだけど、一部抜粋。昨夜と今朝、母に想ってること伝えて。泣くつもりなくても、涙でちゃうんですよ。からっと伝えられればいいのに、素直に自分の要望や気持ち伝えるのって、未だに勇気がいるし、ささいなことでも望みを伝えるのってまだまだ苦手で。そんなやり取りのなか、ほんとにゆっくりな足取りだけど、少しずつ身体が良くなってきていることを確認しあえて。父にサイテーなプレッシャーや不安をかけられたこともようやく吐き出せて。病気になったことやいろいろあったこと、少しずついろんな意味がわかりかけてきたけれど、いつか全ての意味が繋がる日がくるんだろうなぁ、という思いが確信にかわりつつあったから、なおさら嵐の曲が心に響いたのかな。嵐、ありがとう😆💕✨そんなこんなで、今年は7年ぶりに嵐のファンクラブに復活して、ライブに行くぞ‼と心に決めました。これからは自分のワクワクを第一優先に生きていけるのだもん‼なんて素敵なことなんだろう…ま、その環境を手に入れたのに、身体が思うようにならなくてどんどん心も病んでいったわけですが…今までの考えかた、やり方では先に進めないのに、いつまでも気づくことができなかったから、身体も治るどころか何度も悪化したのだと思います。もう昔のようにチケットはとれないみたいだけど、大好き😆💕、ワクワク😃💕な気持ちが蘇った、良き1日でした。
2016.05.09
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行きたくないから行かない。たったこれだけのことが、私には難しい… 病院の予約、とり直すの大変だしなぁ せっかく鍼灸院の予約入れてもらえたのになぁ 断りの電話するのも億劫だなぁ って、自分の望みを頭で打ち消しちゃうことが多くて。嫌だな、嫌だなって思いながらも、仕方ない、やるしかないって、自分に鞭打ち続けてきた名残なんだよなぁ。その時の気持ちにYESをしてあげられなかったことが、後悔としてものすごく体に残っていて。体感覚で覚えさせてるのかもしれない。あるいは罰ゲーム的な⁉ちゃんとしなきゃ見捨てられる、嫌われる、という恐怖が無意識の領域にこびりついていて、YESを出せないことにやっと気づけて。嫌だな、嫌だなは、ストレートな心のサインなのにね。素直に受け取れない意味が、我ながらわからなかったけど、こういうからくりがあったんだ…。今から来週の病院が嫌で嫌でたまらない。今度は自分にYESをだそう💕何の問題もないのだから。
2016.05.06
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夜中の覚醒。「もう一人では生きてゆけない」という強烈なメッセージとともに。夢をみていたけど、全然関係ない夢だったのに。強風のせいかな。私は、強風が苦手で。ピューピューとすごい音をたてて吹く風が怖いんです。もう、この怖さを一人では味わえないと思った。そして、いま両親に護られていることをひしひしと感じた。そら君が傍らに居てくれることの心強さをひしひしと感じた。ああ、私はいつだってパートナーを求めてた。お腹いっぱい、飽きるほど愛する人と一緒にいられたことがこの人生の中では一度もなくて。大きな安心感と信頼感に包まれて、ホッとしている時間があまりにも無さすぎて。それは、どんなに好きな仕事で時間に追われていても、埋めることのできないポッカリと空いた穴。ずっと見ないふりしてたのかな…本気で向き合おうとしてこなかったのは、私自身なんだな。パッションテストをしてみて、自分の一番の情熱が仕事ではなかったことに、自分がびっくりした。一番は、健康でエネルギーに満ちた体を持っていること二番は、喜びに溢れた毎日を送っていること三番は、愛する人と楽しく心地よい暮らしをしていること四番は、映像、舞台の垣根を越えて、やりたい作品のヘアメイクをしている五番は、自然に触れて、のんびりできる時間を充分に持っているだったの。生活の大事な土台があって、その上で夢を実現したかったんだね。夢を叶えるためには全てを捨てて取り組まなければ‼というガチガチのべきべき思考があった。子供は諦めると心に誓った。でも、少しずつ先が見えてきたときに、やっぱり諦められないとおもいはじめて。結婚も子供も夢も全部叶えたらいいじゃないかって。でも、結婚も夢もなかなか結果がでなくて。どうしたらいいんだろうって、いつも考えてたなぁ。今を楽しむなんてことからはかけ離れた毎日を送っていた。ただ、現場に行けば楽しいから、嫌なことがいっぱいあっても夢を追い続けることができたんだ。それはある意味、自分からの、本当の望みからの逃げだったのかもしれない。だから病気で仕事ができなくなって苦しくて苦しくて。仕事が、夢を追うことが生き甲斐で生活の全てになっているからだと思っていたけれど、それだけじゃなかった模様です…自分のことなんて、ほんっとーにわかってないよねぇ。ふーっ💦どこかで期待しながら、本気で手に入れようとしてこなかったのは、紛れもない私自身。まだ経験してないことがあるなんて、楽しいことなのかもしれない。これからは素直に、自分の望みに向き合っていく✨
2016.05.03
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先日の父の発言から、毎晩のように寝ているときにやってくるメッセージがあります。我慢、努力なんて嫌‼強烈に体が抵抗してるんです。夜中目が覚めることもあります。今朝も、このメッセージで目が覚めました。どんだけやねん…💧特に、人から強要されるのがとてつもなく耐えられないんです。自分発信も、もうお断りです。散々やってきました。もう充分すぎるほどです。そんなことにも気付かないくらい、だったのです。最初はね、夢中でした。作品を創ること、その中でヘアメイクという仕事で関わること。若いこがなんにも知らないのは許されても、あんたは年なんだからそれは許されない。わからないことがあってもわからない顔をするな。と言われて、大変だった。後で聞いても、結局教えてくれないし。一番最初の現場は、何も教えられないまま、突然一人で現場に放り出されたし。技術職は、どんな現場も「見て覚えろ」なのか…と納得してなんとか踏ん張ったけど、衣裳部からは「なにもわからないくせにわかったような顔して」と言われ、後から入ってきた新人は手取り足取り教えてもらっていて、扱いが全然違うし、ほんとに踏んだり蹴ったりでした。え、なんで私ばっかり❓❕こんなことだらけでした。愚痴を吐き出したくても、帰りはいつも遅いし、休みはほとんどないし。あっても、とにかく寝て、次の日からの撮影の予習をして、家のことやって、とにかく明日の朝も早いから寝なきゃ‼で終わる。そして、嫌だったことを改めて口にするのがなんかできなくて。こんな嫌な話、聞かされるほうも迷惑だよなぁ、友人にも嫌な気持ちにさせちゃうよなぁって。母にも心配かけちゃうし、何より、 「だから最初からそんなことやめれっていったのに」って言われるし、年数を重ね少しずつ愚痴を言えるようになったけど、やっぱり 「だったらそんなとこやめて帰ってくればいい」ってすぐ言われるし。現状は辛くても、未来を悲観してたわけじゃないから、そんな風に言われるのが辛かった。それは今でもそう。具合が悪くて苦しいとき、「具合悪いの?!」と聞かれると、素直に「うん」と言えない。だって、母が現状を受け止めきれない状態なのがわかるから。私だって受け止めきれないのに❗って、悲しくなる。大きく受け止めてよっ、私だって不安で怖いよ。って気持ちになる。こういうときは、「今は辛くても、必ずいい結果になるから大丈夫だよ」って言ってほしかったんだ。自分でなんとなくそう思っていても、やっぱり背中を押されたいときってある。不安にかられて見えなくなることもある。大きな愛に包まれたかったんだなぁ。安心感、大きな信頼。私に足りなかったことだ。周りからの否定を真に受けて、自分を信じる気持ちを失って、もっとやらなきゃ、もっともっと…って、自分を追い込んでしまっていたんだね。最初は夢中だったのに、いつしか我慢と努力に刷り変わってた。年だから動けない年だから体力がない年だからすぐ具合悪くなる年だからアシスタントに見えない年だから……どれほどの言葉を投げつけられただろう。いつしか、こんな年の私を受け入れてくれる事務所はここしかなかったから嫌なことがあっても、育ててくれたんだから恩を返さなきゃって、なってた。今ならわかる。あの言葉の数々は、ただの八つ当たり。どうせそんな年の見習いなんて、誰にも認められなくてすぐに辞めていくだろうっていう思惑から外れて、面白くなかっただけ。みんな自分を守るための強烈なパワーゲームに夢中で。巻き込まれないようにしていたつもりだったけど、私だって人間。もう無理だと気づくのが遅すぎた。どこまでも忠実な家臣だった。どんなに具合が悪くても、39℃超えの熱がでてフラフラでも、仕事の責任は果たさねば❗迷惑なんてかけちゃいけない❗仕事に穴を空けてはいけない❗私じゃなきゃダメだと言われたら、這ってでも仕事にいく❗最後までやり通さねば❗という昭和な人間だった。ゆとり世代を呪ってた(笑)だって、私なんて後輩のあんた達の分までこんなにがんばって、掃除したり雪かきしたり、面倒なことにはノータッチで私に回ってくるばかりだし…一緒の現場になれば面倒みろと言われ、上の人がいないからあんた達はやりたい放題でちゃんと仕事しなくて、泊まりでは同じ部屋で、朝起きなくて何度も起こしたり、それでも現場に来なかったり…完徹の予算少ない仕事になれば、衣裳部つけられないからって一人で行かされたり、いつもそんな役目ばっかりで…それなのに私はどんなにがんばってもやって当たり前で、大切にもされなくて、ねぎらいの言葉ももらえなくて、休みももらえなくて。そんな私は、あなたたちがほんとはうらやましかっただけ。誰にどう思われようと、なんて言われようと、気にせず我が道を行けることが。行き過ぎるほどに自分だけが大事なところが。ええ、ええ、一番のお手本でした。もっと言うと、元旦那さんも、元カレもいいお手本でした。同じ昭和でも、フリーダムな人間はいましたね。みんな、そうやって、私が見えないところに押し込めていた影の部分を全力で見せてくれていた。父でさえも。大嫌いな人たちは、私に教えてくれていたんです。もっと自分勝手でいいんだよって。自分の望むように選択すればいいんだよって。周りのことよりも自分のことが一番で、それはワガママではないんだよって。あーんなに辛い思いをしなければわからなかった…ヘアメイクの修行と病気、その他もろもろセットでの苦しみを経験しなければ理解できないほどだったんだなぁ。どんだけ?あー、大変だった!!!!
2016.05.03
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はるひなたさんという方の言葉…👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑どんなに相手のために尽くしても裏切られるときがありますどんなに人のために与えても陰口を言われることもありますどんなに大切に扱っても嫌われることもありますでも、それは受け取り方の問題です人はそれぞれ進む道が違います自分の内面が変わると波動が変わりその波動と同じ人が集まる場所に惹きつけられます人は離れていきます離れ方にその人の人間性が出るだけであり、悲しい気持ちになるのであれば、あなたがその人の人間性を見極める力がなかっただけなのですだから、誰かのために尽くしたり、与えたり、大切に扱うのではなくあなたがそうしたいならそうすればいいのですあとで裏切られた、嫌な気持ちになった、あんなにしてあげたのにそう思うのであれば、それはあなたの心が相手から何かを得ようとする損得で動いていたからなのですそこに打算はありませんでしたか?あなたはその人をコントロールしようとしてませんでしたか?自分のエゴや欲を満たすために良い人になろうとしていませんでしたか?与えることで相手の自由を奪おうとしていませんでしたか?人が離れていく時に悲しい気持ちだけではなく、面白くない、腹がたつ、悔しいそう思うときは、あなたの中のなにがそんな気持ちにさせているか自分にといかけてみましょう。👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑あー、私が苦しかったのはこういうことか…と納得した言葉。↓↓あなたはその人をコントロールしようとしてませんでしたか?自分のエゴや欲を満たすために良い人になろうとしていませんでしたか?与えることで相手の自由を奪おうとしていませんでしたか?↑特にこれ!父にされてもっとも嫌だったことでした。私が何を望み、なにを感じているかよりも父のエゴや欲を満たすための行動、言動。父の思うようにコントロールしようとされたこと。与えることで私の自由を奪おうとしたこと。そうなんだ、これなんだ…病気で一番弱っているときにこれをされたら、どんなに苦しいか…そしてこれは、メイク事務所でもされていたことだったから、どこにいっても逃げ場がないと感じて、逃げてきたはずの安心できるはずの実家で同じことをされて、私は絶望した。生きる力を失った。怒りと悲しみが起きる出来事を通して、なんとか父に立ち向かっても強烈な力で返された。母は私に力を貸してくれなかった。ただ怖い存在を収めるために、私に我慢を強要した。受け流せと言った。辛くて当然。苦しくて当然。言いなりになれなくて当然。長い時間をかけて少しずつこの鎖をといてきたんだなぁ、私。もちろん父は簡単には変わらない。考えてみれば、10代後半から、ことあるごとに抵抗してきた気がする。離婚したときも、まさかの父が私の寂しい気持ちを理解してくれて、それでも父の言うことには従わずに自分の意志を貫いた。最終的に病気という形で全てが閉ざされて(閉ざされてた気持ちになって)今まで自分の選択が間違っていたのだろうか、もっと周りの意見に耳を傾ければよかったんだろうか…って、不安になってたんだよなぁ。だから、事が起きたとき、今までと違うやり方を選択してみた。でもそれは、自分がどうしたいかではなかったから、当然納得いく結果にはならなくて。そんな単純なことにも気づけなかったなんて…暗闇にいるときは、普段見えていることが簡単に見えなくなったりする。その時その時の真実に従ったからこそ、今があるともいえる。まだまだ、どうして私を信頼して見守ってくれないんだろうと思ってしまうけれど私が私を信頼して認めてさえいれば、それでいいんだ。
2016.04.30
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とうとうGWに入りましたね~。私の予定では、もう東京に行って、そら君を連れていけるマンションに引っ越せるよう、物件探しでもしている頃でした。でもね、もうそんなん捨てました。この半月ほど、朝までしっかり眠れるようになって、ほんとに回復してきているのを肌で感じるようになってきて自分が思い描いていた予定なんてどうでも良くなってきたの。この2ヶ月の間に、何度もこの際東京の住まいを引き払おう、もし運良く体調良くなってたら、新しい住まいを運良く見つけられるかもしれない…って思って、何度も覚悟を決めました。1回目、不動産屋に電話。→お休みだった2回目、不動産屋に電話。→解約届けを郵送しなければ解約にはならないと言われるわかってたけど、とりあえず電話で伝えてから、と思っていたので、なんだかあれれって感じ。でも、そこで解約とならなかったことに、ものすごくホッとしている自分に気づいた。なんだかんだ頭で考えているだけで、本心はまだ動きたくないんだなって。そして、やっと安心して寝ていられるようになったこの状態で、しっかり療養したいと思っていることにも気づいた。この現実は自分が望んでいることなんだなって、ようやく気づけた。そんな自分にOKを出せたとき、父が言ってきた。自分の通っている鍼灸院に行ってみないかと。私が信頼して通っているところがあるし、漢方の先生にマッサージをしてもらっているからとずっと断ってきたけれど、連れて行ってくれるなら行ってみようかなと思いチャレンジ。予想外の電気鍼で驚いたけど、マッサージとセットで治療は終了。私が通っている鍼灸院は体全体をみて治療をするから、アプローチの仕方が全然ちがうのだなぁという印象。ただ、ずーっと痛い背中が辛くて、患部に棒を入れてグリグリしたいと思っていたくらいだから、電気鍼はある意味それを叶えてくれた感じで。予約ができないのと、結構遠いのもネックで、体の様子をみて通うかどうか考えいうと思ってた。次の日の朝。揉みかえし無く、ちょっとそら君と外を少し歩いてみようかなと思いたち、決行。ほんの少しだけど歩けたし、朝の空気は気持ちいい。庭で休んでいると父が来る。「揉みかえしなかったか?」「うん」と私。「今行っているところを止めて、俺が連れて行った鍼灸院にしばらく続けて通ってみろ」と言い出す。なんで?と思ったけど、素直に自分の状況を話す。「通うっていっても車を運転するのがしんどい」そしたら「そんなこと言ってないで我慢して行け。努力しなきゃダメだ」はぁ?この期に及んで、まだそんなこと言ってる。「我慢とか努力とかそういうことじゃない。それはちがうでしょ‼」と言ってやったけど、ほんとにウンザリ。そうやって、お父さんはいい結果をだせる状態なんだからお好きなように。私は我慢とか努力とかできる状態でもないし、できる状態になっても、もうそういうやり方は望まない。やりたくない!違うと思ったことを違うと言えて、自分の中のNOがはっきりとわかったことが成長のしるし。この親の考えのもと、なんの疑いも持たずに我慢と努力を続けてきた。それなりに結果も出してきた。でも、もうそのやり方じゃ先に進めないことを、病気が教えてくれた。父もそうやって頑張って結果を出してきた一人。私をみて、それだけじゃどうにもならないことがある、ということを知って欲しい。この先万が一病気になったとき、私と同じ苦しみを味あわないように。もっと楽に生きてよかったんだねって気づけるように。私も気づけて本当に良かった。自分の本当の望みは、上っ面じゃない奥深くにあるのだということにも気づけた。今はとにかく体をゆっくりしっかり立て直したい。朝までぐっすり眠れて、隣にはそら君がいてくれて。気持ちの行き違いも多いけど、両親のもとで今は安心して寝ていられて。今、私は幸せです😃💕
2016.04.29
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坂爪圭吾さんのFacebookより↓↓↓👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑どのような状態に置かれたとしても、泣く道を選ぶのか笑う道を選ぶのかの選択肢は、常に自分の中に残されている。過剰な同情や自分に対する憐憫の念は悲愴感を生み、生きる力や前を向くための希望までも剥奪してしまう。大事なことは、取り戻せない過去よりも「どう生きるか」という未来だ。👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑毎日のようにメッセージがいろんなところからやってくる。自分は今をどう生きているのか、問いかけてくれる。心に寄り添ってくれる。発信した人が、誰かのためにではなく、自分が表現したいことを発信しているからこそ必要な人の心に響くんじゃないかなぁ、と感じる。今日も、自分の心に従って、心地よい1日を💕
2016.04.22
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ぢんさんのブログを読んでいたら、とても心に響く言葉が綴られていました。↓↓↓👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑そんなに、先のことを心配しなくていいよ そんなに、計画立てて「うまくやろう」としなくていいよ そんなに、未来のことばかりじゃなくていま、やりたいことやろうじゃないか? そんなに、過去のことを悔やまなくていいよ そんなに、過去のことを隠さなくていいよ そんなに、過去のことを正当化しなくていいよ そんなに、過去のことばかりじゃなくていま、やりたいことをやろうじゃないか? 未来のことが心配だから過去のことまでも後悔するんだよね。 自分のことが大丈夫だと信じられないから未来のことを計算するんだよね。 自分が、できると信じ自分が、素晴らしいと信じられていたら計画や目標さえも必要はないんだ。 心の底で、出来ないと思っているから、実は自信がないから、 目標を立てて「がんばる」そうしないと「大変なことになる」そう「信じて」いるのかもしれない。 だから 「がんばる」「ちゃんとやる」という選択肢「以外」が 「ありえない」ものになる。 目標を立てない、ということはそういう意味において、 恐れを手放す、ということになるのです。 自分は何があっても大丈夫、という自信を見つけることになるのです。 それが、手に入ったとしたらそれが、もうすでにあるとしたら、何をする? そう、未来のための一歩、ではなく そんなことよりもそんなところにパワー・エネルギーを使うよりも いまを遊ぶこといまを楽しむこといまやりたいことをやることに 損得なして計算なしでやることだと思う。 ※これは、目標を立てることが悪いという話ではなく 目標を立てなく「てもいい」というひとつの示唆です。 そして、実はその選択肢の方が可能性は大きいかもしれない、 という話です。 少なくとも僕は、このやり方に変えて 何百倍も、楽で楽しくうまくいく、という体験をしたもので。 「目標」は「いたずら」でいいのです。 「すっげー、面白いいたずら」 「こうならないとやばい」「こうなったら認められる」じゃなく 「すっげー、おもしれー」 こんな風に、ね。 努力で現実を変えていくのではなく自分の中を楽しくして、外側の現実を「創る」自分の心を生きる第60歩~BUDOUKAN!!!!!!!~ --- 目標上手、計画上手で効率的な頭のいい人ほど、仕事のできる人ほど、 この「自分を無条件に信頼する」というところから離れてしまうよね。 だから「努力と才能と知恵」で成功するといつまでも恐れが消えることはない。 でも、成功しているから恐れが小さくて気づいていないだけだけど、小さくて、そんなに問題ではないからそれでいいのよね。👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑👑まさに‼この2年で体感したことがわかりやすく言語化されていて、ブンブン頷いてしまいました。みんないろんな道を通って、気付いていくんだなぁって、なんだか力をもらいました。体調だけで言ったら、今もよくならなくてしんどいけど、このまま体が良くなっても心はついていけるんだろうか、大丈夫なんだろうかって不安を持っていたのも事実で…結局は、体がまた悪化して、そのなかでの心の変化もいろいろあって。いい感じに体と心の不調のバランスがとれてきたような気がしています。不調の、ですけどね😝やっと安心して寝ていられるとでもいいますか、ゆったり具合が悪くなっていられるといいますか…それって、今までの私からしたら、すごくありがたいことで。やっと不安にさいなまれないでいられるようになったんでしょうね。そら君と寝ているだけの日々が幸せに思えるなんて。これすらも、今を楽しむことなんだなぁって思います。
2016.04.21
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先日の生理の復活を喜びながらも、体は対応できず寝たままでいました。そろそろ終わりに近づき、今日辺りからは少しずつ起きていられるかと思っていたのだけれど今朝また起きれなくなって…風邪を引いてしまったようです。どこにも行かず、ひたすら部屋で寝続けていても、母しか部屋に出入りしなくてもこうなってしまうのですね…💧咳は続いていたけれど、確かに先週末くらいから鼻水とくしゃみがひどくて。花粉症のせいかなと思っていましたが、まだまだ体の声を理解するのは難しいみたいです。カイロを4個貼って、しっかり汗をかいて、今度は微熱から一気に35℃台に下がってしまったので、平熱に戻るまでしっかり安静にしていようと思います。さすがにもう凹むことはなくなりましたし、健康な体に戻るためにおきていることだと思い知ったので、流れに身を任せています。だって、これだけ大事をとっていても風邪ひいちゃうくらいなので、今まで無理してきたことを後悔していたけど、何してたって同じことだったんだろうなと体感できたから。つくづく、やってみないとわからない私です。こうやって体の免疫を高めていくしかないんでしょうね。昨年生理が戻って、また止まるんじゃないかな、大丈夫かな、実際止まって、もうダメなんじゃないかと自分の体を信頼できてなかった…もう、そんなことはしない。何が起きても大丈夫と思える、その感覚が嬉しい。
2016.04.20
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少しでも必要な方に届きますように…
2016.04.19
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欲しいものを欲しいということとにかく苦手です💧子供の頃から言っても叶わないことが多かったんでしょうね、きっと。がっかりしたくなくて、傷つきたくなくて、人に求めることをしなくなった。自分でやることが当たり前で、できないことは諦めてた。そんな欠乏感が、今の状態になってわかるようになってきて、もっと自分のやりたかったこと、学びたかったことを素直に親に伝えてくればよかったなぁって、いまになって思う。ダンス思いっきり習いかった、コンサートにもっと行きたかった。専門学校に進学したかった。家のお金の心配して、自分でバイトしてまかなった。進学は諦めた。あの頃は四人姉妹でお金もかかるのだろうし、家にはお金の余裕なんてないんだなって思ってた。勉強に部活にバイト。高校生ながらほとほと疲れていた。人より体力がなかっただけなのかもしれないけど、しんどかった。親が何でもしてくれる周りの友達がうらやましかった。お金だけじゃない、雨や雪の日に駅に迎えに来てくれたり、大会のときに早朝や深夜送り迎えをしてくれたり、帰りが遅くなったら危ないからと学校に迎えに来てくれたり…そんな親の愛情全てに飢えていた。今思えば、お金のことはそんなふうに心配するほどじゃなかったなって。私達が成人してから2回目の家を建てて、結局は お金あったんじゃーんって、今更ながら気付いて。母が内職してたのも、お金に困ってた訳じゃなく、近所の奥さまたちが始めたから、自分もやってみたかったらしい。新しい家の土地を買っていたからお金も必要だったけど、そんなに困るほどじゃなかったって。毎晩うたた寝しながら遅くまで仕事している母を見ては切なくて切なくて、早く自分で稼げるようになりたいって思ったものだ…どんだけ私って優しい子で、勝手にお母さんをかわいそうと思ってたんだろう。家は貧乏なんだって思い込んでいたんだろう。 専門学校行きたいって言っても無理だっていわれたし、ダンス習いたいって言っても無理だったし、もっと細かいことを言えばきりがなくって、身に染み付いていた我慢癖。欲しいものを欲しいと言えない私。今日は勇気を出して、お昼ごはんをもってきてくれた母に「豆乳飲みたい」って言ってみた。キッチンに飲みに来れないの?豆乳ヨーグルトがあるのに?って、素直にYESとは言ってくれなくて、 内心ガックリきたけれど、後から持ってきてくれた。すぐに来なかったから、もう忘れたかなやっぱり持ってきてくれないのかなってちょっと思ったけど、信じてみた。いつもわたしのほんの些細なお願いごとだったり、やりたいことを快くYES と言ってくれない母だけれど、こうやって望みを叶えてくれたときこそ心からの「ありがとう」が出てくるんだなって思った。飲みたいと望んで、作って持ってきてもらった豆乳ハニジンジャーは、とってもおいしかったです😋💕もっともっと、自分の心に素直に生きていきたい。どんな小さいことも諦めず、求めていきたいし、応えていきたい。それが自分を生きることに繋がるんだなぁって、少しずつわかってきたみたいです。
2016.04.17
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今朝なにげにトイレに行ったら、なんと8ヶ月ぶりに生理がきました なんの前触れもなかったので、とにかく嬉しくて。きそうだな…って思うときもあったけど、そういうときこそ全然こない💧 体重も少しずつ増えてきたし、ちょっとずつちょっとずつ体が戻りつつあると感じられるようになり… この5日間ほどは22時に過ぎに寝て、朝まで寝ることができていて。こんなふうに眠れるのはどれくらいぶりだろう… どうにもならない体のぐったり 、起きていたくてもだるくて起きていられない状態から、この2ヶ月あらたに寝込んでいたときは、今までの体の痛みだったり、微熱が続いたり、下痢が続いたり食べられなくなったりと、全ての症状をもう一度繰り返していたのだけれど、 それを越えて、今は普通に(?)具合が悪い状態という感じなんです。 私の中での感覚でしかないのだろうけど、そんな感じなので、とにかく生理がきたことは体の回復の象徴のようで嬉しかった✨ とにかく無理をしないと決めてから、つくづく今までの自分の在り方のひどさに自分が一番驚いていました。 ずっと寝ていたのに、病院に行く日だからと当たり前のように体にムチ打って自分で運転 して出掛けていったり、友達に会いたいからと、具合悪くても具合悪くないふりをして、心配かけないようにして無理に動いていたり。 まー、ひどいもんです。 自分の体に一番ひどいことをしていたのは、誰でもない自分自身だったんだと心底気付きました。 ちゃんとその自分を認めて、最悪な自分にしっかり絶望したので、心から自分を大事にして生きると今度こそ設定変更しました。 誰よりも、何よりも! 医師だろうが、立場が上の人だろうが、その道のプロであろうが、自分の気持ちにしっくりこない人の言うことは鵜呑みにしないと決めました。 そういう人たちからの言葉でどれだけ不安になったり、納得できない思いになったことか… やっぱり、自分の体のことも自分の気持ちも、自分が一番よくわかってる。(←しっかり自分に向き合っているとき限定ですが) 不安に思うのは、自分が自分を信頼しきれていないから。自分の感覚に嘘はない。とようやく肚から思えた。 焦らないで少しずつ、毎日を楽しみながら復帰に向けて体を整えて生きたい。 一足飛びで一気にと当然のように考えていた過去の自分がバカらしく思えてね… んなことできるかーーーーー! って、今の私から過去の私に教えてあげたいです。 もっと言えば、もう45歳になってしまって、早く一人前にならなきゃ、早くこの状況をなんとかしなきゃって思ってしまっていた自分にも教えてあげたい。 今の状況がしんどいなら、恐れずに離れてみればいい。もう少し学びたいなら、もっと肩の力を抜いて焦らないでって。自分を信じてって。
2016.04.15
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気持ちのいい朝です。昨夜は22時に寝られたこともあり、朝早く目が覚めました。5時半でもすでにお日様が高く昇っています。いま5:55の5並び。エンジェルナンバーのメッセージですね。444、222、333、111もよく見ます。朝日をみながら、今さら焦ってもしょうがない私のペースでゆっくりいこうという言葉が降りてきました。体と心だけでなく、私を取り巻く環境も少しずつ整えられているのだなと思えるから。いやー、こんなふうに心底思えるようになるまで時間がかかりました。体調が上向いてきた証でもありますね。 強制終了したことがある友人が、少し良くなってきたころが一番大変だといっていて、最初の頃は意味がわからなかったのですが、 いまになってその言葉の意味がよーくわかります。 一番しんどくて何もできないときは、ただひたすら体が辛いということにしか意識がいかないので、余計なことを考える隙もないんですよね。少し良くなってくると、先のことを憂いたり、今思うように体が動かせないことに不安を感じたり、いらぬことをたくさん考えてしまう余白がでてくる。 いまは、自分が何にフォーカスするのかという選択でしかないとわかるんですが、渦中にいるときはそんな風に思える心の余裕なんてなかったなぁ。自分に言い聞かせたところで、本心から思ってない限り、そんなふうには思えないし… とにかく私にはこれだけの時間といろんな出来事がなければ、ここにいきつくことができなかったということだけは事実のようです。 止まない雨はない 必ず春は来る 病院の人から言われても、正直ピンと来なかったしなんなら、いつだよ!って心の中で突っ込み入れてる私がいましたが、 今ならわかります。 そのときそのときで感じていたこと、いーっぱいあるのも事実。今の自分から考えると、なんでだろ…って思うこともいっぱいあるし、どんだけ不器用なんだよ、どんだけわかってなかったんだよ!といいたくなるし、実際自分をたくさん責めてきたけれど、そのときの私の真実であり、そのときの選択はそのときの私が考えられるベストだったんだ。その自分を否定してどうする…って今なら思える。いいとか悪いとか、そんなことじゃ推し量れないいろんな積み重ねの結果が、そのときそのときの自分だから。そして、その結果起きた現実にしっかり絶望して、今までの自分に死んでもらうことができたから今の思いになれたのかな。 揺れて揺れて、いま少しずつ中心に戻りはじめているのかもしれません。無邪気だった本来の自分に。
2016.04.13
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ダニに刺されたことをきっかけに、まだまだ自分の本当の望みに蓋をしていたことに気づき… そら君を飼ってから、なんでも拾い食いするのが怖くて、体調が落ち着いてきてからは毎日のように掃除をしてました。 掃除好きではないので、一週間に一度が私の中で定番だったから、いい習慣がついたなぁなんて喜んでた。 風邪をひいて体調悪化してから、掃除ができなくて、ずっと気になってたけど、少し良くなったらやろうと思いながら日々はどんどん過ぎていって。 食事を部屋に持ってきてくれるようになった母に掃除機かけてって、言いたくても言えなかった。 以前のことを思えば、食事を運んでくれるだけでも夢みたいな話で。 それ以上とても言えなかった。 少し動けるときに板の間だけ拭いたりしたけど、無理に動けばまた体はしんどくなって寝込んでしまう。 そんなこと知られたらまたやんややんや言われるし…。 食事も、食べたいものもないし、お腹もすかないのに、せっかく何が食べたい?って言ってくれるからって無理して食べられるものを少しだけお願いしてた。 甘酒と豆乳は身体が欲していたのだけれど、他に食べたいものとかなくて。 無理して食べると調子悪くなるし、お腹くだすし。 なんで、食べたくないって言えなかったんだろ。 そして、ダニに刺される事件が勃発して。 母は部屋をがっつり掃除してくれて、シーツや肌布団も洗濯してくれて。 嬉しかった。 でも、それからもダニに刺されてしまって、体中大変で。 それが原因で、部屋でごはん食べてるからわるいんだとか、具合わるくてお風呂にはいれなかったことを不潔だと言われたり、言いたい放題言われて本当にいやな気分になった。 なぜ今までのことを否定する? なぜ今までの行動すべてに原因があると結論づけようとする? やっと体のことを理解してくれて力になってくれてると思ってたから本当に嫌な気分になった。こうして二時間以上も寝られないほど。 お風呂から上がってすぐに寝たかったのに、こんなやりとりになってしまって。 あー、シーツとか替えて欲しかったんだよなぁ。 洗濯物だって、頼まなくても持っていって洗って欲しかったんだよなぁ。 まだまだ言えない本音がたくさんあったことに気づいた。 こんなことにならなきゃ、まだすぐに本音にきづけないし、ほんとは欲してたのに言えなかったということもスルーしちゃうとこだった。 洗濯も、掃除も、お弁当つめるのも、私達姉三人はお母さんに自分でやれって言われて甘えることができなかった。 年の離れた妹が、のちになんでもお母さんにやってもらっていることが羨ましくて仕方なかった。 いまだにそんな気持ちが残っている気がする。 私達にとって、身の回りのことをお母さんがしてくれるって、当然のことじゃなく、特別なことなんだ。 絶対的に、妹とはそこの感覚が違うんだよなぁ。 だから、部屋でなんてたべないでキッチンで食べればいいんだっていわれてショックだった。 具合わるくて動けないから、食べたくないけど持ってきてくれるから食べてたのに、こんな状態でもそんな風に言われるのかって… 母にしたら深い意味はないのかもしれない。 だけど、こちらは違うのよ! 鈍感!! 無神経!! せっかくしてきてもらったことが、すべて台無しになったような気持ちになった。 周りになんて思われようと、何を言われようと、私の体調は私にしかわからない。 私の味方は私しかいないし、私のことを一番理解してくれるのも私しかいないんだ。 今まで生きてきてごっそり抜け落ちていたようなこの感覚をきっちり自分にインプットするための出来事。 そうとしか思えないなぁ。 もう自分を裏切らない。 本音に従う。 遠慮しない。 相手の顔色みない。 深く刻み込もう。
2016.03.26
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先月、風邪をひいて寝込んでからはや三週間以上が経ち… 今日は確定申告の締め切り日。 損失の計上だけだけれど、体調良くなったらやろうやろうと思いながらあっという間にこの日に。 少しずつ体調も安定してきて、今月には東京に行けるんじゃないかと思いはじめてたから、急に動けなくなったときは何がおこったのかわからなくなった。 起きれない、起き上がっても起きていられない… 風邪には気をつけようとほとんど出掛けてもなかったし、自分でもびっくりしてしまう。 私が動けなくてそら君の面倒を見られなくなり、そら君ばかりを気にする母に、私のことは心配じゃないの?? また最初のころみたいに動けなくなるんじゃないかと不安でいっぱいなのにと泣いてしまった… だってこんなにしんどいのに。 もう無理はしないと決めて、自分の身体の苦しさは自分にしかわからないんだからと、寝込み続けて。食事も母が部屋に持ってきてくれるようになった。 あ~、初めからこうしてもらえていたら、動けない私を受け止めてもらえてたら、と心底思った。 そして、そうされなかったのは、他でもない私自身が、 動けない、何もできないこの現実を受け入れられなくて、頼ることすらできなかったのだということを思い知らされました。 どうにも良くならず治療に行くときも、はなから誰かに連れて行ってもらうなんて頭もなく、元々入れていた予約日に、自分で動くのはやっぱりしんどすぎて、母に頼んでも父に頼んでも断られ、結局また無理して自分で運転して事故りそうになり、なんで一番助けて欲しいときに誰も助けてくれないの!!とまた身体も心も苦しくなって。 自分でなんとかしようと思うからこんなに苦しいんだってわかって… 追い詰められるまえに、はじめから人に頼ってお願いすればいいだけだった。 お母さんが膝が痛いから自分でごはん食べに一階にこれる?と言われて、なんとか動こうと思ったけど無理だった… そら君のごはんを気にして来た父にごはん持ってきてと頼んだら、まだ動けないんか?!と言われてまた嫌な気持ちになって… こんな状態の私と膝が痛い母をおいて自分はゴルフ旅行に行くのに、母が大変だから頑張って自分で動けといわれ、うんざり… しっかり反論した私。しんどいのにがんばれってなに?!と。 それでも、 「早く治せ」といわれ、涙とまらず。 早く治りたいにきまってるじゃん!! なんでそんな言葉がでてくる? 「早く治るといいな」と言えない性格だとしても、そう思おうとしてもぐっさり突き刺さった と、父にはいえず母の前で号泣。 腹立たしいのと悲しさと悔しさでしゃくりあげて泣いたけど、素直にその気持ちを涙と一緒に吐き出したらなんだかすっきり。 今回寝込んだことで、今までできなかったこと、言えなかったこと、やってほしかったことの総まとめをしているような気がしてきた… 身体も、最初に高熱がでたあとの感じと同じで、この風邪をきっかけに、身体が治ろう治ろうとして一生懸命修復しているような気がして。 動けないのは身体が動くなって言っているんだなって思えて。 そう思ってきたけど、昨日はあまりの体調の悪さにまた母と一悶着。 せっかくごはん持ってきてくれても、食べられる状態じゃないから食べてないのに、 「せっかくあったかくしてきたのに」 といわれまた号泣。 責められているように感じてしまった。 どうして食べられる状態じゃないってわからないんだろう?具合わるいっていったのに… せっかくあったかいうちにたべくても、食べられないってわからない?? 今までも、あったかいうちに食べれって言われて無理して食べてた。 自分の状態より、申し訳ない気持ちを優先してた。 まだまだ我慢してたこといっぱいあった。 そんなことに気づき、今日はなんとか寝ながらできそうだったので確定申告することに。 しなきゃ、じゃなくて、やれるならやりたい が身体と相談した結果だったから。 今までの私なら、無理して自分で動いていた。 やりたいことがあるなら自分で動ける状態じゃないとダメなんだ、という自分の思い込み、色眼鏡のフィルターを外すために… 確定申告の締め切り日だから今日やりたいということ、パソコンとプリンターを持ってきてほしいということ、書類を今日の消印に間に合うように出して欲しいこと、ちゃんと言えた。 そして、お願いしたとおり動いてもらえて、下準備が終わっていたこともありあっさり終えることができた。 こうして、ひとつひとつ、自分の苦しみは結局自分が作っていることを実感していく。 どんな相手だろうと、自分が自分の気持ちを汲んであげることができたなら、自分の感情に素直になれたなら、自分を慈しみ護ることもできる。 世界は自分が作っていると実感した今日でした。
2016.03.15
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先月、我が家にトイプードルの赤ちゃんを迎えました。 名前は「そら」 男の子です。 500gちょっとしかない小さい小さい赤ちゃんでした。 愛犬えりを8年で、その子供のももを3ヶ月で亡くしてからは、あまりの悲しさにもう二度とワンコを迎えることはないだろうと思ってました。 20年近く経ってもです… でも、やっぱりそばに居て欲しいと思いはじめて。 これからの自分のやりたいこと(東京で映像のヘアメイクをしていく)を考えたら、やっぱり無理だと諦めていました。 でも、そんな先のことよりも、今をどうしたいかなんじゃないかと思えてきて。 でもでも、仕事ができるようになったらどれだけ寂しい時間を過ごさせることになるんだろうと思うと、いま動けない自分のそばで同じ時間を過ごし寄り添ってほしいと望むのは私のエゴなのかなとか… いろんなことを考えました。 そんな中、父がプードルの赤ちゃんを見に行こうと言ってくれて、行ったのです。 ほぼ飼うつもりで見に行ったのだけれど、聞いていた話と違うことが多すぎて混乱してしまって。 どうしても不安ばかりが浮かんでしまい、泣く泣く諦めました。 それでも、自分の望む赤ちゃんに会いたくて、ネットをみていたら、出会ってしまった! あちこち行けないので、妹が言っていたペットショップのHPを何気にのぞいたら、月齢も性別も、犬種も毛の色もぴったり望みに一致した子がいたんです! 翌日、漢方の先生のところへ行く日で、そこから近いペットショップで、ついでに会いに行けるというタイミングも重なり行ってみたら、ビビビときてしまい心が決まってしまって。 こうなると、できる理由しか浮かんでこないものなんですね~。 不思議なものです。 久しぶりにそんな感覚を味わいました。 そして我が家にそら君が来てから1ヶ月。 しつけに悩んだり、抱っこしてる腕から飛び出して床に落ちてしまったり、お腹に虫がいて体調崩したりと、ちゃんと育つか心配で、小さいころの写真をほとんど残せないまま、今は1250gまで成長しました。 自分も体調が悪いので、そら君のお世話もしんどく大変なときもあり そら君の病気に悩み不安になり、また母の「だからお母さんはこういうことになるから飼うのは嫌だっていったんだ」が始まって…。 なんでいつも私がいろいろ考えて決めたことを、そうやって言うの!私が一生懸命考えて決めたことなんだから大丈夫だよって言ってくれないの!って、そら君のことをきっかけに、今までのこびりついている恐怖を全部吐き出すことができました。 これ、どうしても剥ぎ取りたかったんだと思います。 そら君のおかげですね。 言葉はなくとも、たくさんの愛をくれて、私の心に寄り添ってくれるそら君。 今を生きるということを教えてもらったように思います。 先のことはどうにでもなる、と思わせてくれたのもそら君でした。 自分の体調を崩したときは、やっぱり無理してしまったのかなぁ、今の私には無理なことだったのなぁと落ち込んだりもしたけれど、それ以上に与えられる愛の大きさに救われています。 そら君、私の元に来てくれてありがとう たくさんの時を一緒に過ごしていこうね。
2016.02.11
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自分がどうしたいか、どう考えていたかを素直に伝える 納得できるまで、しっかり話を聞く すぐに答えをだせないとき、どうしたらいいかわからないときは、相手のペースに飲み込まれず、少し考える時間をくださいと率直に伝える
2016.01.15
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親の言うことを聞かないと、物事がうまくいかない という恐怖がある 自分の意志を通すことがさして多い人生ではなかったけれど 大きな決断の節目節目でグサッと突き刺さったままのことがある… 結婚するとき… 私は愛する人と一緒にいられる喜びと、辞めたかった会社を去れる喜びでいっぱいだった。 いま思えば、結婚という形で嫌な現実から逃げただけだったのかもしれないけれど… 相手の家の事情をいろいろ言われて、この結婚辞めたほうがいいんじゃない?と母に言われた。 今さらそんなことできるわけないって突っぱねたけど、結局離婚した。 だからあの時お母さんが言ったのに って言葉が突き刺さった。 父に苦労させられた母は、離婚することも納得できないようだった。 受け入れてもらえていないことは明らかだった… ヘアメイクの学校に行くときも 長く勤めた会社を辞めるときも 個人事業主になるときも 応援する言葉はかけてもらえなかった。 そして東京へ行くときも… だから愚痴を言えなかった。 弱音を吐けなかった。 だからお母さんが言ったでしょ って言われるから。 病気になってもそれが怖くて、つらい、しんどいって言えなかった。 もうあんな仕事辞めろって言われるのが怖かった… 母にしてみれば心配が先回りしているのかもしれない。 でも、自分の大きな決断でうまくいかなかったことが続いて、いまの心身ともに不安定な状態だと、なおさら恐怖になる。 またうまくいかないんじゃないか、不幸なことが起きるんじゃないか… 普段のちょっとしたこともそう。 具合悪くて動けないときに、どこかへ行こうと言ってくれるけど、それは無理なことで。 でも、少し動けそうなときに散歩を兼ねてすぐそこの薬局へ行ってくると言うと、無理するな、やめとけと言う。 なんでだろう? なんでやれるときに、気をつけて行っておいでと言ってもらえないんだろう。 なんで、やりたいと思ったことを応援してくれないんだろう。 結局、やり始めれば反対するわけじゃないけれど、快く応援してもらったことない! うまくいかなければ、それみたことかと、だからお母さんが言ったでしょと言う。 ねぇ、なんで? もういまは些細なことでも、これをやられると心が拒否反応を起こす。 胸に溜めておけない。吐き出す。 それが母を苦しめている。 でも、もう飲み込めない…
2016.01.08
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忘れないうちに、心に決めたことを書き残します。 ・ギリギリまで我慢しない (周りの様子をうかがっている間に苦しくなっちゃうから) ・苦しくなる前に、まだ余裕があるうちに、早めに助けを求める ・自分の常識と人の常識は違うということを肝に銘じる ・人に期待しない ・自分の望みは素直に口に出す ・いい人ぶらない ・無理しない ・空気読んで行動しない ・パッとひらめいたことは思考で否定しないで、そのまま行動に移す (これ一番大事かも) ・自分のことを一番に考える ・周りのことは二の次、三の次 ・本音で生きる ・人に甘える ・大丈夫じゃないときは大丈夫じゃないとちゃんと伝える ・嫌なことは嫌とはっきり言う ・周りの言葉を真に受けない ・自分の意見、思っていることははっきり言う ・やりたくないことはやらない ・力を抜く ・焦らない ・気まぐれでいい 自分をないがしろにすると、怒りでガマンならなくなる身体になってしまった… というか、むしろ今まで不感症になっていた反動で、ものすごく苦しくなるのかもしれない。 両方へ振り切れたから、そのうち真ん中に戻れるはず… この苦しみをしっかり身体と心で感じて、同じことを繰り返さないように、身体に刻み込んでいる気がします。 損してもいい、自分の気持ちを一番に尊重して生きていきたい。 簡単ではないけれど… 新しい生き方を身につけるチャンスをいただいたのだから、今度こそ生まれ変わりたい。 そして、田中みっちさんの言葉を忘れないように覚え書き 察しろよというのは女の甘え 自分の持っている色眼鏡のフィルターをどれだけぶち壊せるか 色眼鏡 ┃ 出来事→┃→思考→感情→行動 ┃ ここを意識的にできるだけで、自分の思い込みの色眼鏡、思考の癖、そこから発生する感情だったり本当の望みなどに気づいていけるはず… すごく納得しました。 どんどんぶち壊していきたい! そう思ってます。 良き一年になりますように。
2016.01.02
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誰のことをも助けようとなんてしなくていいんだ。 たとえうまくいかない状態でも、見ていてはがゆくても、その人自身の力に任せること。 余計な手を出してしまうと、そういう状態を生み出してしまったのはなぜなのか、どうしたら現状を変えられるのか、本人自身が考える芽を摘んでしまう。 また誰かのせいにして、さもさもらしい理由をくっつけて言い訳して、全ては自分の選択なのだということから逃げてしまう。 そんなことを思い知った出来事がありました。 私はこの一年半、人が怖かった。 人だけじゃない、全てが恐怖だった。 身体が良くならないこと 身体の辛さを理解してもらえないこと 無神経な言葉の数々 家族さえ私の状態を理解できず、何度も責められたこと 愛する人にも背を向けられた絶望と恐怖 諸々… 両親が私を受け入れられなかった理由、いろいろあった。 身体も心もボロボロになりながら向き合った日々。 感情をぶつけ合いながら、父も母も自分の内面に向き合ってくれた。ように思う。 だからこそ新しい関係を再生し始めている気がしてる。 でもね、もう一つ大きな壁が残ってた。 双子の姉のこと。 彼女は昨年仕事でチャレンジをした。 うまくいかなくて今年辞めることを選択した。 その状況のなか、私に感情をぶつけてきた。八つ当たりされた。 今回だけはどうしても赦せなかった。 怖くて怖くてずっと距離をおいていた。またひどいこと言われるんじゃないかって。 まだ向き合える状態じゃないのに、うっかり顔を合わせてしまった。 いつもいっぱいいっぱいでトゲトゲしていて、お腹の中にある気持ちを攻撃的な言葉で突然ぶつけてくる彼女に、長いこと距離をおいていたし、私自分のことは話したりしなかった。 感情をぶつけられるのが嫌だったから。 そのくせ、彼女自身がうまいこといかなくなると、話し聞いて欲しくて近づいてくる。 私もつい、求められてることを悟って、共感して気持ちに寄り添ってしまう。つい、手をさしのべてしまう。 そして、冒頭の言葉につながるのだけれど。 うっかり顔をあわせてしまって、でも、心かき乱されることなく普通に対応できた。どれくらいぶりだろうというくらい、私という存在を尊重する気持ちが言葉に現れていた。少し、ホッとした。 それで終われば良かったのに、次の日も突然やってきた。 一気に距離を縮めてきた。対応できない… 無理しなきゃいいのに、またやってしまった。うまく離れれば良かったのに、逃げれば良かったのに、プレゼントくれるくらいなら、そんなことよりもあのときの言葉を謝って欲しかった。 だから、言った。 「あのときのこと、謝って」 いつもの彼女に戻ってぶちきれられた。 更に立ち直れなくなる言葉や、言われる筋合いのないことを言われた。 最初はがんばって抵抗したけど、途中からは無理だった。これをいったらまた何言われるか、自分が大変なことになる…と守りにはいった。いいたいこと全部抑えて、平和に終わる道を選んでしまった。 双子なんだから他の姉妹より私の気持ちがわかると言われて、すがるような気持ちでポツリポツリと今までのことを言える範囲で伝えてみたけれど、共感どころか、寄り添う気持ちもなく、ただただ姉の物差しで計った姉の勝手な解釈だけを押し付けられた。 じゃあ、これは?これは?って、そんな気持ちで伝えたこと全てに対して、最後までそうだった。 心の中では抵抗してたのに、口に出すことすらできなかった。 悔しくて、悲しくて、腹が立って、理不尽で… それをきっかけにまたいろんなことがよみがえってきて、精神的にまいってしまった。 二週間、苦しみ抜いて、毎日母に話を聞いてもらって… いろんな感情がでてきました。 そして、ようやく気づいた。 双子の姉さえ、自分のことで精一杯で私の状況や気持ちをわかることすらできないのに、他人様がわかるはずないって。 (心友は別だと思ってますが…) 恐怖でしかなかったことが、当たり前なのだと腑に落ちた瞬間でした。 その後、なんとか場を作ることができて姉と話をしたけれど、何を言っても抵抗されるだけで謝ってはくれませんでした。また嫌な言葉をたくさん浴びせられました。 言ってやりたい言葉がたくさんあったけど、自分がされたことを思うと言えなかった… どこまでも優しい自分に心から腹が立った。 最後、母に促されてやっとごめんと言ってくれたけど、それに至るまでの言葉が長すぎて理不尽過ぎて、簡単には許せないし、更に心のガードは固くなった気がする… でも、それでいいんだと思ったの。 今までの私は、無防備すぎた。 性善説じゃないけど、自分を守るために相手を攻撃するなんて発想がなかったから、そういう人に対しては、今はいっぱいいっぱいだからしょうがないなと、受けとめて赦してきた。 それこそ、自分の物差しで、どんなに自分の感情でいっぱいいっぱいになろうと、それは自分の中で処理することであって、誰かに理不尽なことを言ったり暴言を吐くなんて発想もなかった。だから、想像もつかないような言葉をいきなり言われてびっくりする。何か私に原因があったのかなとつい思ってしまう。だから言われた言葉を真に受けてしまう…そんなだから、病に倒れてからは恐怖でいっぱいになってた。 でもね、姉の言動でよくわかったの。 そういう人は、どんな状況にいたっていつも同じなんだってこと。 仕事してようがしてまいが、関係ないんだって。いつもそのときどきで思い通りにいかないことに腹を立てていっぱいいっぱいで、いつになったって変わりゃしない。 自分の奥の奥にある感情に気が付かない限り、同じことの繰り返しなんだって。 誰かに暴言吐いたりなんてしないけど、自分の奥底の感情にいつまでも私も気づけずに苦しんで、通ってきた道だからこそ、いいたいこといっぱいあったけど飲み込んだ。自分の気持ちだけにフォーカスして、自分の嫌だったことだけを伝えました。 もっと感情のままに相手を責め立てたい欲求はすごくあったけど、理性で抑える自分がいました。それが私の心に一番良くないとわかっていても、暴言ばかり吐いてる姉は弱いからこそなんだってよくわかったから。 さもさもげにいろいろ言うけど、言えば言うほど支離滅裂だし、ボロがでてくるし。私は姉に対して嫌な言葉はひとつも言ってないからこそ最後まで自分の意志を貫き通せた。 私なんにも悪くないもん!!!!! 最後まで姉を攻撃しなかった自分をほめてあげたい。 偉いぞ、私(*^_^*) 双子なんだから、いろいろあって気持ちがぐれてるだけで、姉だってほんとは私とおんなじはずだって、心のとこかで思ってた。でもね、双子だって、性格違うし、考え方だって全然ちがう。真逆なんだなって、今回のことで思い知りました。いいとか悪いとかじゃなくって、やっとそのことに気づけたの。 そこが理解できないからぶつかり合ってたんだなって。 双子だからって、おんなじわけじゃないんだ… 今回のことで、自分のことをも理解が深まりました。まだまだ自分のことなんて、よくわかってないな~。 もやもやはまだ残るけど、時間をかけて癒していけばいい。 いいたいことは飲み込まず、これからはちゃんと問うていく。 「なんでそんなこというの?」ってね そして、もう二度と理不尽な感情は受け取らない。もし言われたとしても、その場できっぱりお返しする、と固く固く心に誓ったのでした。
2015.12.19
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東京と新潟で離れた友人たちの近況が知りたくて始めたFacebookですが やめちゃいました。 時間があくとついスマホに手が伸びてしまって、結局ずっと見てしまう… 自分じゃない人にばかり気がいってしまって、1日が終わってしまう(*_*) そういうの、嫌になったんです。 そして、知りたい情報だけでなく知らなくていいことまで入ってきてしまう。 そんなことも負担で。 Facebookやめたら、スマホに手が伸びる時間も減ったし、なんだか楽になりました。 気が向いたらまた再開するのかもしれませんが、今は情報過多な現実から離れてみようと思います。
2015.11.05
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寺泊に来て3ヶ月目の9月の下旬から1ヶ月強、病院だのなんだのという予定を一切いれず、家に戻らずで過ごしてみました。 病気になっても、あちこち治療に行ったりして今の精一杯で動いてしまっていた… もっと言えば、治らない自分をやっぱり受け入れられなくて、早く治したい気持ちと、 治らない自分が周りを重く苦しい状態にさせているという辛さから逃れたくて家にいるのが嫌だった… 辛い場所から逃げるということは、自分だけではなく周りも救うことを知る。 そして、ひとりになって、何の予定も入れなくても、気づけばネットみたり、東京の住まいに思いを馳せたり、 いまここ からは程遠い日々だったりして… ひとりを望みながらも、結局は誰かとつながっていたかったんだなと 振り返って思うのでした。 ひとりでいてもしんどくて、人といることもしんどいと感じていた日々から、 少しは戻ってくることができるのか不安だったけれど、寺泊での3ヶ月という時間と、両親との関わり、オーナーとの関わりの日々で、自分の本音だったりいろんなことが見えてきた。 心残りがないよう、気が済むまで海の見えるところに居ようと思い過ごした日々。 今週中には荷物を全撤収しにいき、ピリオドを打ちます。
2015.11.03
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私を大切に扱わない人とは縁を切る 心に決めたけど、バッサリいける人もいればいかないひともあり。 メイク事務所に対しては、訴えてやりたいと思うほど恨んで憎んで、二度と関わらないと心に決めた。 ヘアメイクの仕事を平和に続けたいと思うからこそ、投げつけてやりたかった数々の言葉を飲み込んだ。 そうすることで、自分で自分を心底傷つけ、人としての尊厳を踏みにじってしまった。 もう一緒に仕事をすることもないだろうなと思っていた、一番お世話になった事務所の先輩から先日電話があり、 事務所を辞めてフリーになると報告があって。心底驚きました。 そうなればいいなぁ、なんて思ったこともあったけど、無理無理無理、そんなことあるはずないって思ってた。 だから、まさかのまた一緒に仕事ができる状況が突然やってきて、びっくりポンでした。 きちんと恨んで恨んで憎みきれば、自分の望むことが向こうからやってくるのだと体感しました。 いい人ぶったり、損得だったり、仕事のつながりを考えたりして自分の感情を抑え込むより、全部吐き出したほうが望みは叶うんだ… もちろん、先輩には今だから言えるけどって、事務所への恨みやら訴えてやりたいやらってぶちまけましたよ! 更に、先輩がフリーになるなら、また一緒にお仕事したいですって、本音からの言葉をズバッと言えた。 相手にどう思われるかなぁ、なんて考えもせず。 そんな自分が心地良くて! 本音で人と付き合えるって、なんて気持ちいいんだと思いました。 私の立場でこんなこと言っていいんだろうか? とか、くだらない考えから自由になれた。 恨みつらみの気持ちを大事に受け止めてたからこそ、人として対等に渡り合えた。 だから、そういう感情が無い人に対しては、まだまだはっきり言えないし、意識してないと、自動的に相手を優先してしまう。 難しいけれど、何回も何回も積み重ねていかないと、新しい生き方はなかなか定着しないのかなとも思う。 でも、気づけたし、一つ結果は出た。 最近は、自分の本音を伝える場面が増えてきていて、一つずつ吐き出しては手放していってるのかなぁ、という感じ。 言いたいことを言えずに溜め込んで、熟成発酵させる生き方はもうしたくないから。 その場で、もしくは後で気づいたときに、さっさと吐き出す。 それが、これからの私。
2015.10.28
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