《櫻井ジャーナル》

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2023.11.02
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 OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)のニューヨーク事務所で所長を務めてきたクレイグ・モクヒバーが辞職した。モクヒバーは10月28日、フォルカー・ターク国連人権高等弁務官へ宛てた書簡の中で、私たちの目の前で再びジェノサイドが展開されていると主張、「これがあなたへの最後の通信になるだろう」と述べている。

 イスラエル軍によるガザへの攻撃で多くのパレスチナ市民が殺されている状況を「ジェノサイド」と表現したわけだが、そのジェノサイドを防ぐ義務を国連が怠るどころか、アメリカの権力者やイスラエル・ロビーに屈服し、パレスチナを植民地化するプロジェクトは最終段階に入ったと主張している。

 また、西側有力メディアの責任も指摘している。パレスチナ人を非人間的な存在に仕立て上げ、大量虐殺を助長し、戦争のプロパガンダや国家的、人種的、宗教的な憎悪を発信し続けているというのだ。

 OHCHRの高官としては激しい内容の発言だが、このモクヒバーの主張は基本的に正しい。

 1991年12月にソ連が消滅、それから間もない92年2月にネオコンはアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇プランを作成した。その中心がポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 ソ連が消滅した段階で、当時のディック・チェイニー国防長官やウォルフォウィッツ国防次官を含むネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、誰に遠慮することなく好き勝手にできる「アメリカの時代」がきたと信じていた。そうした中、「リベラル」や「革新」を自分のキャラクターにしていた人びとの少なからぬ部分もアメリカへ従属するようになった。そうした中、国連も急速に堕落していく。

 第2次世界大戦後、ホワイトハウスの主導権を奪還したウォール街は情報機関を存続させ、情報操作プロジェクトを始めた。「モッキンバード」だ。

 デボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』によると、そのプロジェクトが始まったのは1948年頃。それを指揮していた4人は情報機関の活動をしていたが、その背景は国際金融資本だ。

 その4人とは、大戦中からOSSで破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。フィリップの妻がウォーターゲート事件で有名になったキャサリーン。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979)

 フィリップはキャサリーンと離婚し、すぐに再婚してワシントン・ポスト紙を自分ひとりで経営すると友人に話していたが、1963年6月に精神病院へ入り、8月に自殺している。フィリップと親しかったジョン・F・ケネディが暗殺されたのはその3カ月後だ。

 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。

 彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開する。その結果、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていたが、現実になった。そのウルフコテは2017年1月、56歳の時に心臓発作で死亡している。

 情報操作のネットワークは私企業の世界へも張り巡らされてきた。例えば、2020年に始まったCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動ではアメリカ政府の公式説明に反する情報をグーグルやフェイスプックなどシリコン・バレーのハイテク企業は検閲している。

 ベトナム戦争もアメリカ政府は作り話で始めたが、広告会社が主導したプロパガンダとしては1990年10月10日にアメリカ下院の人権会議という非公式の集まりで行われた「ナイラ」なる女性の証言が有名だ。

 彼女はクウェートの病院で働いていた看護師を名乗り、イラク兵が保育器を盗んで多くの赤ん坊を殺したなどと主張、好戦的な雰囲気を作り出す一因になったのだが、この「証言」を演出したのはヒル・アンド・ノールトンというアメリカの広告会社で、雇い主はクウェート政府だった。

 ナイラが話したイラク軍の残虐行為は嘘だったのだが、その作り話を涙ながらに語った少女はアメリカ駐在クウェート大使だったサウド・アル・サバーの娘、ナイラ・アル・サバーだ。勿論、イラク軍がクウェートへ攻め込んだ当時、ナイラは現場にいなかった。幼い子どもが殺されたという話は一般受けするとヒル・アンド・ノールトンは考えたのだろう。

 ハマス(イスラム抵抗運動)が10月7日にイスラエルを攻撃した際、イスラエルでは40人の乳児の首をハマスの戦闘員が切り落としたとする話がイスラエルのニュースチャンネルi24などによって広められた。

 この話がパレスチナ人に対するジェノサイドを正当化する心理を生み出したのだろうが、その話を裏付ける証言も証拠もなかった。攻撃の直後、ガザとの境界近くにある入植地を訪れたイスラエルのメディアの記者が犠牲者の遺体を回収した兵士の証言だとして報道した。

 ジョー・バイデン大統領やイスラエルのニル・バルカット経済相もこの話を広めたが、別の記者がこの話は検証されていないと指摘、そうした話を広めるのは無責任だと批判する。

 バイデンはイスラエルでテロリストが子供を斬首している確認された写真を見たと主張していたが、翌日には発言を撤回、報道官はバイデンがそのような写真を見た事実はないと語った。バイデンはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の話をそのまま事実として口にしただけだと説明されている。

 そうした残虐行為があったことを示す直接的な証拠や証言がないだけでなく、イスラエル政府は赤ん坊の名前を公表せず、悲嘆に暮れる家族の映像や証言も見当たらない。それでもイスラエルの子ども40人が斬首されたという話はガザで子どもを含む市民を虐殺する作戦の突破口を開いた。

 そしてガザでは8500名以上の市民が殺され、その約4割は子どもだ。瓦礫の下敷きになって死んだ子どもや嘆き悲しむ家族などの映像が次々と発信されていた。そこでイスラエル政府はインターネットを遮断するなど虐殺の実態が漏れないようにしている。ウクライナではネオ・ナチが反クーデター派の住民を虐殺、その映像も発信されたが、その後、削除された。それでも虐殺の記憶は消えない。

 ガザでのイスラエルによるジェノサイドに対する怒りはイスラム国だけでなく世界中に広がっている。モクヒバーのような立場の人にあそこまで言わせる怒りがアメリカやイスラエルへ今後、向かう。






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最終更新日  2023.11.02 10:53:29


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