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不二家の新社長が昨日番組で話をしていました。私の感じたことですが、今この人の頭にはいかに会社を守るかしかないんだなと思いました。言うこと言うこと、すべていい訳に聞こえました。何かと言うと、「うちは老舗ですから」との言葉が文章の頭に出てきました。不二家を老舗のお菓子屋さん、と認識している消費者はどのくらいの割でいるのでしょう?確かに昔からあるとはわかっていますが私はお菓子の大メーカー、としか思っていませんでした。こんな点でも消費者とはまず大きなずれがあると感じました。なによりも、この人がこんなことを言ってはいけないと思った発言が二つ。「洋菓子は豆腐や○○と違って人の手がかかります。」といった事。(↑○○はなんだったか思い出せない。)ほかのものよりも人の手がかかるから、その人すべてに(基準や理念を)行き渡らすことができなかった、と言いました。手をかけていいものを食べてほしいと言う気持ちで作っているお豆腐屋さんは、これを聞いてどう思ったでしょう。お豆腐やさんだけでなく、手をかけることで食べる人に喜んでほしいと、心を込めて食べ物を作っている方々は、どう思ったでしょう。手がかかるからそれだけの人数の人の管理ができなかった、とは一体この人は何を言いたくてこんなとんでもない言い訳を言ったのでしょう・・・。「シャトレーゼ」が、工場でいかに厳しい検査をして出荷しているかが同じ番組内で伝えられた中でのこの発言は。とても聞くに耐えないきいい訳でした。そしてもうひとつは、「うちは老舗ですから」から始まり時代とともに(国の)基準が増えてきたことについていけなかった、と言う内容のことを言いました。まるで、うちは昔からかわらず安全な製法で作っているのにとでも言いたげに感じました。時代とともに(自分たちには)必要のない基準が増えたとでも言いたかったのでしょうか・・・。残念ながらこの社長の話していることすべてが会社を守るために言っていることに聞こえ。消費者に申し訳ないと言う気持ちはまったく私には伝わってきませんでした。働いている人が衛生的でないと感じるようなところで作られたものを。一人でも多くの子供に食べさせたいと、会社は考えている。買わせたいのであって、食べた人に喜んでほしいと思っているわけじゃない。作っている人は食べて喜んだ子供の顔を思い浮かべて作ってなどいない。もしもそうしているのであれば、床に落ちたものを拾ってそのまま商品として流すなんてことできるわけがない・・・。お金のために、儲けるために物は作ってはいけないと思う。食べてくれる人のために、使ってくれる人のために。買ってくれる人の幸せのために。食べておいしいと思う一瞬の幸せのために。食べて元気が出て健康になる、その幸せのために。使って愛着を持ち、愛する心が生まれるその愛のために。物は作られるべきだと思う・・・中国の工場で、ごみにするくず野菜を餃子に入れていたこと。まだ記憶に新しいけれど。こんなことをしているのは中国だけではないと思う。少しでも多く儲けよう、と思っているところではどんな誠意のないことをしているかわからない。消費者の選択として、作っている人がわかるものをできるだけ選んでいくべきだと思う。警告本に書いてあることは、やはりうそではない。何を信じて、何を疑うのか。物を買う側の消費者が、疑わしいものは買わない選択をすることが作る側の考えを変えていくと思う。一年半前の日記→怒!激マズ!!食に安全はないのかっ!。あまりにまずくてびっくりした、と言うだけの日記ですが・・・。夏子の酒(1)新装版↑いまさらながら、読破しました!ものづくりの心は、やはりこうでないと!と思いました。日本の農業についても本当に考えさせられるいい本でした。マンガ怖い食品1000種恐怖の食物☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2007年01月31日
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まったく迷惑な話です。 捏造番組の放送があった週は、お店の納豆が売り切れ。娘が朝ごはんに食べる納豆を買いに行ったら、ひとつもない。納豆売り場の前で、「テレビで何とかに効く!と紹介されると普段買っている人が買えなくてとても迷惑なんだよ!いつもいつも・・・!」とぶつぶつと一人で文句を言っていたのでした。過去、玉露の粉茶、粉寒天(夏、娘のおやつにうちはゼリーでなく寒天で冷菓子を作る)、黒砂糖(顔に塗る?といいとか何とかと報道されたらしい。もったいない!)なたまめ茶(ずっと以前から私はある症状が出たときにこれを飲んでいた)などなど・・・。普通に使っているものが、買いに行くと売り切れている!本当に困るんです。いつも使ってるものがないと・・・。そしてしばらくたつと、さまざまな種類のそれがどっさりおかれるようになる。このどっさり置かれたものも、ブームが去ったら(あるいはみんなが効果ないと気がついたら?)店の半額コーナーに移動して投売り。きっとこれでも売れないものは捨てられる運命にあるんでしょう。いつもこんなことの繰り返しで、それを見るたびにいやだな~と思っていたのでした。以前理由がないと食べない日本という日記を書きました。コラーゲンがあるからxxを、ビタミンが豊富だから○○を。たくさん食べたほうがいいよ、という話には必ずこういう冠詞がついています。極端に言うと、食品にはこういう科学的な裏づけがないと食べる意味がない、と考えているようにも思います。だから、何かを食べるとこんなによい!という新説が発表されるとみんなが飛びつくようになり。食べるだけでものすごい効果があるものを発見して教えてくれるのを、期待して待っている人たちもたくさんいる。健康には不安を感じるけれど、体にいい食って一体何なのか?がわからなくて困っている人が多いということかもしれません。今回の納豆の話も。少し客観的に見て考えれば「そんなことあるわけない」と思えるような内容です。大体いくら体にいい食品だといっても、それを大量に食べ続けることで体がよくなるなんて言う発想自体が間違っている、と思うのです。日々続けている食事の仕方、考え方が間違っているのにそこに何かをたくさん食べ続けるということをプラスしたからってその間違いが消えるわけじゃないんですから・・・。納豆がいくら体にいい伝統食品でも、今まで食べたことのない人が急に朝晩毎日食べ続けたら体がびっくりして、何か悪い反応が出るんじゃないでしょうか。普通に考えたら、同じものを毎日たくさん食べたら痩せるなんてどう考えてもありえないでしょう・・・?内容を捏造した番組を作るほうはもう言語道断。しかし、テレビで言っていたからとすべて鵜呑みにして信じて踊らされるほうもどうかしていると私は思います。新聞に信じて食べていたという人が「信じて食べたのにお金を返してほしい気持ち」と言っている記事が載っていました。この人は食べ物に対してそんな考えしか持っていないことを食べ物に謝るべきだと思いました。納豆業者が大量のキャンセルで、予定してしまった生産分や発注してしまった材料があまってしまう、と困っているコメントも書いてありました。もったいない話です。今日は、納豆をいつもよりたくさん買ってこようと思います。少しでもこんな馬鹿騒ぎのために捨てられる食べ物を減らすため・・・じょうぶな子どもをつくる基本食プチ粗食のすすめ粗食のすすめ レシピシリーズ 5巻セット☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆これを機に、社会全体がこんな風に食べ物を扱い買う側も踊らされて大量に求めるなんてことがなくなってくれることを望みます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆「あるある」のような番組、昔はテーマによって見たりしてましたが。なんだか出演者たちの驚き方とかがあまりにも大げさで白々しい、と思ってみたり。放送されると紹介されたものが大量に売れるというのは何か業者と番組を作る側に意図的なものを感じて。。。。「この実験は世界初の、大発見の学説となるかもしれません」なんてこと言っていたりねぇ・・・。信用できないな、って思ってたのでした。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆なんかにとても効く!といっていたメキシコの飲み物?や、ストレスを物質的に解消するとかのアマランサスなどなど・・・大量に輸入した業者がいるに違いない!が・・・それらは一体今、どうなっているだろう。日本での報道はこうして外国の生産者へまでも影響を及ぼしているに違いない・・・恐ろしいことです。
2007年01月23日
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「子供たちの生活する未来の世のために私にできることは何か」これが私のこれからの人生でやるべきことです。そのために 「日本古来のすばらしさを取り戻し、子供たちに手渡す」今年の私は、これを目標します!明けましておめでとうございます。昨年は私にとってとても楽しくすばらしい一年でした。これもここでいつも来てくださる方々が支えてくださったおかげと大変感謝しています。今年もまた皆様と一緒に楽しく日記をやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。昨年中もいろんなことを考えていたのですけれど。子育てはもちろん、生活のこと、教育のこと、日本語のこと音楽のこと、文化のこと、片付けのこと、住まうこと・・・などなど。これらを考えていくうちに、すべてに共通するひとつのことに気がつきました。昔の日本の、心、知恵、美しさ。今の世の中には伝わってなく、捨て去ろうとしているものが多いと。例えば、「もったいない」という言葉。以前も日記に書いたと思うのですが、これはほかの言語にはないとてもすばらしい言葉です。食べ物をあまるだけ作っったり輸入したりして、大量に捨てる。どの家庭でも食べ物を捨てない日はないくらいだろうし外食に行けばたくさん頼んで平気で残しいただきますもごちそうさまも言わない。わたしのおばあちゃんが生きていて、これを見たらなんというだろうか・・・。冷蔵庫が家庭にあって当たり前になり。スーパーマーケットでいつでも何でも買える様になり。伝統食は家庭で作らなくなり。食卓からもどんどん姿を消した。たくあんを漬けることを今でも毎年やっているという家はやらない家よりはるかに少ないだろう。漬物や煮物は居酒屋で注文して食べるものになり家庭ではカレー、ハンバーグ、スパゲティなどが当たり前になった。日本語の美しさすら感じなくなってしまった。きれいな日本語を話すことのできる人はとても少なくなり。それに価値を感じる人も少なくなってしまった。今どきの言葉を混ぜてしゃべることがかっこいいらしい。テンション高くモチベーションをキープする。私のおばあちゃんが聞いたら・・・????今の人たちは一体何語を話しているんだろう。家の中は畳が減って、襖も障子も減った。フローリング、カーペット、ドア、カーテンは、当たり前。日本家屋に住んでます、という人は少ない。掃除機をかけることが掃除となり、かけないと掃除をしたことにならないと思い込んでる人が多くなり。はたきやほうきとちりとりがある家はめったにないだろう。音楽も。日本の音楽とは一体どんなものなのか。答えられる人のほうが少ないに違いない。日本の美しいメロディは、古臭いとどこかに追いやられてしまった。日本の音楽の音階はドレミファ・・ではない。昔の女の人は、「琴」をお茶やお花と同じように習っていた。私のおばあちゃんまでは、琴ができる事は当たり前のことだったのかもしれない。「琴」で弾かれていた曲とは?「さくら」「春の海」以外にどんな曲があったのだろう・・・?誰も知らなくなって、それが当たり前になっていっていいのか・・・心はどうだろう。立っているすぐ隣の人が、痛がってたり困ってたりしても一声かける人と知らん顔する人。どちらが多いだろう。金を作ること=仕事、になり。儲けさえすれば相手のことなどどうでもいいと考えているとしか思えない人たちが多くなった。日本の人たちは物を作らなくなった。食べる物を作らなくなり、食事すら作らない。着る物も大量に買ってはやらなくなったら、捨てる。昔の人は、着物は自分で縫えた。一から縫わなくても、直したりつくろったり家の中で使いまわすことができた。生活に必要な道具も自分で作る人は少なくなった。物を作らなくなったから物を大事にするという意味がわからなくなった。物を作る心がなくなり、物は金銭価値でしかなくなり大量に買い込んで、大量に捨てるものになった。紙一枚でもおばあちゃんは大事にしていた。延ばしてたたんでとっておいたり自分で袋を作ったりしていた。布のきれっぱしも全部とっていた。それで私の小さな巾着やお手玉や貝殻を使った飾りなど美しいものをよく作ってくれた。毛糸も服として使わなくなったらほどいて玉にして全部とってあった。それを使って私はおばあちゃんに編み物を教えてもらった。「漬け物なんて、めんどくさいもの、やってるの?」本当に面倒くさいかどうか、やってみて知っている人が今、いるだろうか。今から10年後、15年後、20年後、30年後。私たちの子供が大人になって生活する世の中は一体どんなだろう。栄養バランスよく効率が良い食事として錠剤だけ飲んでいる世の中に本当になってしまうかもしれない。家でスイッチを押したらすぐにできてる食事が食べられるようになってるかもしれない。人の気持ちを考える人などいなくなり。自分に邪魔な人はどんどん殺していい世の中になっているかもしれない。このまま、今の世の中をだって仕方がないじゃない、どうしようもないもん、と今生きている人たちが見て見ない振りをしていれば・・・。「子供たちの生活する未来の世のために私にできることは何か」権力や力のある数少ない誰かがやってくれるのを待っていればどうにかなるわけではない。子供に幸せな人生を送ってほしいと願う親一人一人が、できることから少しずつやっていくことでこそ世の中が良いほうに向かっていくと思う。何をしたらいいのか、何なら私にできるのか・・・今年は日本の良かったところを探します。そして、これからの生活や考え方に取り入れていきたい。これを読んでくださった皆さん。どうぞご協力ください。子供たちの未来のために一緒に今できることを探しましょう。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2007年01月03日
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