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先日次女が過敏性腸症候群という診断を受けた。心因性なのか食べ物のアレルギーなのかよくわからないが、とにかく腸の状態がすぐに悪化するという病気のようで、周囲からの理解が得られず苦しむことが多い病気のようだ。 確かに次女は、ストレスがかかる状況になるとおなかが痛いといってトイレにこもることが昔から多かった。学校でも同じことをしていたようだ。親としても単なる「逃げ」と精神的な弱さを嘆いていたのだが、どうやらきちんとした病名のある病気だったようだ。 今回書きたいのは過敏性腸症候群の話ではない。この病気についてはお父さんがもう少し勉強しないと何も書くことができない。昭和生まれのお父さんは、最近の若者は精神が弱いと思っていたので、次女もそのパターンだと思っていて、今は反省中である。 次女が病院でこの診断を受けた際に、血液検査の結果も聞いてきた。そしてお母さんから、「中性脂肪の値が高い」と指摘されたと報告を受けた。次女は家族の中で一番体が細く、体重もまるで増えないので、肥満系の話とは無縁だと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。 考えてみれば、ご飯よりスナック菓子の方が大好きだし、ジュース関係もよく飲んでいた。太らないから大丈夫だと思っていたのだが、医者からは若くても痩せていてもそういう食生活をしていたら、中性脂肪も増えると断言されたようだ。 お父さんも経験があるのでわかるのだが、お菓子など間食をしたり、ご飯の時間にきっちりと食べられない若者は、夜更かししている人が多いと思う。夕ご飯を18時に食べたとして、深夜0時にもなれば、夕食から6時間も経っているのでおなかがすく。 おなかがすくので夜中なのに食べてしまう。これがちょっと一口ならまだ大丈夫かもしれないが、若いうちというのはお腹が減るとカップラーメンとご飯とか、スナック菓子を1~2袋ぐらい夜中でもペロッと食べてしまう。 翌朝は、夜食がもたれてあまりご飯が食べられない。そのため昼食でたくさん食べたくなるが、弁当にしろ給食にしろ限られた量しか食べることができない。自然と家に変えてから夕食までの時間に、何かしら食べてしまう。その結果夕食があまり食べられない。そしてまた夜中に夜食としてカロリーの高いものを食べる。 上記のパターンを繰り返していれば、太るのは当たり前である。そして次女はまさにこのパターンにはまっていた。 お父さんも学生の頃、実験やレポートで徹夜などが続くと体重が増えたものである。食事が不規則になるし、お菓子やインスタント食品などハイカロリーなものを食べることが多かった。 深夜に食べるカップラーメンは、1つでは足りず2ついっぺんに食べていたことも多々ある。今そんなことをしたら胸やけで苦しむのは間違いないので、やらないのだが、若い頃は平気で夜中に食べていた。 健康な状態を保つには、食事は決められた時間に適度な量を食べるのが一番である。夕食を食べてから4時間以内に就寝することも重要である。4時間を超えると空腹感を感じるし、不思議と食べたい量が通常の食事より増加する。 現在次女はおかし禁止令を出している。その結果朝食も夕食もよく食べるようになっている。過敏性腸症候群は薬を飲んでも相変わらず発症しているようだが、中性脂肪は下がるようになるだろう。若いのだからと慢心せずに健康に注意してほしいものだ。
2024.06.30
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お父さんは仕事の種類が多い。基本的には技術者なのだが、管理関係や取引先との打ち合わせなどもあり、一つに集中することがなかなか難しい状態になってしまった。若い頃は技術のみで仕事ができたのだが、それでも技術に関する出張などはそれなりにあった。 今は技術を軸にした出張も多いのだが、上司の代わりに挨拶回りのような打合せ出張も多くなってきている。 出張の中でもベトナム工場の取引先(主に東南アジアの国)に行く場合は、夜に会食をすることが多い。国内出張と異なり海外では1日に3社も4社も回ることができないので、当日に出張先近くに泊まることが多いので、必然的に会食の機会も増える。日本では会食自体が悪いことの様になってきているので、かなり頻度は少ないのだが、海外では日系企業であってもまだまだ会食の文化が残っている。実際に会議室では表の話しかできないので、会食でざっくばらんに話ができる機会は貴重である。 さて今回の話は、仕事ではなく出張時の食事の話である。宿泊して出張する場合、当然地元というか会社のある地域からかなり離れた出張先になる。当然ご当地の名産などを食べることも多く、出張時の一つの楽しみでもある。海に近い地域に行けば、新鮮な海鮮、それも東北とは異なる種類の魚の刺身や焼き物はとても美味しい。同じ魚でも料理方法が異なるので、思いがけない美味しい調理法に出会えることもある。逆に、名物に旨いものなしの言葉通り、まるで美味しくない名産を食べることもある。取引先との会食なので「不味い」とは言えないので、「初めての味」とか「面白い味」などと言ってごまかすのだが、相手もそれほど他の地域の人に受け入れられない理解しているので、まあ大人の会話といったところだろうか。 ちなみに、以前松茸の時期に、松茸尽くしの料理をごちそうになったことがある。取引先の社長さんのなじみの寿司屋に、その社長が松茸を持ち込んで料理してもらったのだ。人生で国産の本物の松茸をもう食べられないと思うほどに堪能したのは、後にも先にもあの一回だけだ。最初は感動していたが、だんだん松茸の価値が感じられなくなるぐらい、松茸尽くしだった。 さて海外の場合、こちらが現地のローカル料理をリクエストしない限りは和食レストランでの会食である。来客用に使う和食レストランはどの会社も大体決まっているので、不味いということはない。 ただ基本的には日本の居酒屋メニューなので、刺身・焼き鳥をはじめとして、日本の居酒屋と変わらない。たまにやや高級な割烹料理系で会食する場合もあるが、だいたいは海外の居酒屋である。 海鮮など日本から空輸している食材も多く、なかなかに美味しいモノを食べられることがある。そんな中で、お父さんがこれまで何度も痛い目を見ているのが牡蛎だ。若いころから貝にあたりやすい体質で、ムール貝は過去2回食べて2回ともひどい目に合っている。一緒に食べた人間がなんともないので体質なのは間違いない。 牡蛎の場合、小学生の頃に生ガキで家族全員大当たりしたことがあるが、それ以降は当たったことはない。ただし日本での話である。 アメリカ留学時代に食べた生ガキはとても美味しくて当たることもなかったが、東南アジアで食べた牡蛎は大当たり確率8割という高確率でひどい目に合っている。 生でも火が通っていても確率は変わらない。日本産でも地元産でも同じである。困ったことに一緒に食べた人は大丈夫であることが多いので、お父さんの体質が貝の何かに弱いのだと思う。 先日もマレーシア出張での会食でカキのチーズ焼きなるものが出てきた。カキは当たりやすいのでと遠慮したのだが、「ここのカキは大丈夫」と言われ食べざるを得なかった。その結果、翌日の夜からベトナムに戻るまでの5日間、ずっと腹を壊して腹痛と下痢との戦いだった。出張中という実に厳しい状態で、2次会に誘われてもとても行ける状態ではなかった。 まあ治ってしまえばこれも一つの思い出になるのだが、出張中は本当につらかった。何よりも出先でのトイレの汚さに常におびえていた。出張中には絶対にカキもその他の貝も食べないようにしようと誓った。 それでも出張時の会食はお父さんの楽しみの一つである。
2024.06.28
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お父さんは乗り物酔いというのをしない体質である。子供の頃から車でも船でも酔ったことがない。お酒を少し飲んだだけでも酔っぱらって気持ち悪くなるのだが、乗り物には強い。お父さんの兄弟も、今は子供達も乗り物酔いをしないので、車も船も飛行機も、家族で出かけるときに乗り物酔いの心配をしなくてよいのでとても助かっている。 ただお母さんは昔から酔いやすい体質だった。最近歳をとったせいか、自分でほぼ毎日車を運転しているせいか、酔うことはほとんどなくなったが、お父さんが運転して山道を走っていると「気持ち悪い」と言い出すことがある。だが昨年フェリーに半日乗船したが、酔うことはなかったので、昔より強くなったのは間違いない。若い頃30分フェリーに乗っただけで酔っていたのだから。 ベトナム人も昔は車酔いする人がとても多かった。徒歩か自転車しか交通手段がなかった時代に育つと、乗り物に酔わない方がおかしいのかもしれない。ベトナム工場操業当初のバスによる社員旅行は、阿鼻叫喚という表現でも問題ないぐらい多くの社員が車酔いで吐いていた。中には死んでしまうのではと思うほど衰弱して、床に寝かされている社員もいたぐらいだ。 しかしながら最近の社員旅行ではバスに長時間乗っても酔う人はほとんどいなくなった。今ではほぼ100%の人がバイクに乗り、一部の人は自家用車も持っている。バスでハノイまで行くことも多々あるようで、だいぶ乗り物になれたおかげだと思う。それでも一定数の人が吐いているのだが、これはもう生まれ持った体質なのだと思う。 お父さんの釣り仲間にも、毎回船が釣り場に着くまでに船酔いでダウンする人がいた。さすがに最近は船釣りには来なくなってしまったが、毎年何回か船に乗っているし、車で通勤もしているので、船特化ではあるがもう慣れることはないだろうと思う。そういう体質の人は確実にいるのだ。お父さんもお酒に関してはどんなに頑張っても強くなれなかったので、もうあきらめている。 お父さんが子供の頃の遠足などでも、クラスメートで吐いている人は結構いた。誰かが吐き始めると、連鎖的に吐く人が増えるという現象もよく見ていた。考えてみれば、お父さんが子供の頃、自家用車がある家は半分ぐらいだったと思う。生活圏も狭いのでバスで買い物に行くことも小学生ぐらいまではほとんどなかったのではないだろうか。 いま我が家の子供達に聞いても、バスで酔うという人の話を全く聞かない。東北の田舎町において自動車は、一家に1台どころか一人1台が当たり前である。子供とはいえ生まれた時から車に乗せられている。酔う人がいないのも納得できる。 お父さんが子供の頃は、遠足などの時に車酔いしたとき用の「ゲロ吐き袋(ビニール袋に紙袋を重ねて吐しゃ物が見えないようにした袋)」は酔う人の必須アイテムだったが、今の子供達はそんな袋の存在すら知らないのだと思う。 乗り物酔いは乗り物から降りてもしばらく復活できない。せっかくの外出で現地でねかされるのもかわいそうである。車に慣れて、酔う人が少なくなったのはとても良い事だと思う。
2024.06.26
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ベトナムに長期滞在していると、ついつい忘れてしまうことに、「ベトナムは共産主義の国である」ということがある。なぜならば共産主義というとかなり国民の自由がなく、政治は一党独裁、今のロシアや中国では国家主席の独裁国家に見えてしまう。国内の情報統制、他国への侵略の意図など国内外を脅かすイメージが強い。 ところがベトナムでは国民はかなり自由に生きているように見える。外国人から見た場合の話だが、ロシアや中国のような共産主義と異なると感じる。 もちろんベトナム人に聞くと、政府の批判を公にはできないとか、こまごまとした共産党政権の生きづらさもあるようである。 ちなみに政治家や役人の社会的地位が非常に高く感じるのも、共産主義だとお父さんは感じているが、そこにふれさえしなければ一般人にはあまり影響がないように思える。 さて今回のタイトルにした行政の地位であるが、上にも書いたように非常に高い。共産党員だけでなく、公的機関やそこに務める人は、民間企業などよりも社会的地位が高いのがベトナムである。 さらに言うと、彼らの中でも誰が一番偉いのかというのが、お互いに認識されていて、序列を侵害することによるもめごとはほとんどないらしい。 考えて見れば、ベトナムも儒教の影響を大きく受け、そのまま現代まで習慣として引き継いできた国である。年上が無条件で偉いとなるは完全に儒教の影響だろう。ベトナムでは初対面の時、相手の年齢を聞くのは失礼ではなく必要なことである。それによってお互いの序列を確認し、相手への呼びかけや返答など使用する言葉が異なるからだ。 話が脱線してしまったが、政治家、行政関係者、警察官、軍隊など公的機関に属する人たちは、選民意識でも持っているのかと思うほど態度が大きい人がいる。有力者のコネや賄賂を使わないと公的機関に入れないのも関係しているのかもしれない。 この地位が高いという意識によって、お父さんたち民間企業はかなり振り回されることがある。今回2日連続でやられてしまったので、ちょっとそのことについて書いてみたくなってこの文章を書いている。 一つ目は投資関係の役所から、海外からの投資家を工場見学させてほしいというのがあった。訪問希望日の3日前の出来事である。3日前と書いたが、金曜日に連絡が来て翌週の月曜日の朝に訪問したいとのことだったので、実質は前日と変わりない。 会社案内を準備したり、訪問メンバーの確認をしたりとかなりの大騒ぎだった。ところが当日の朝、8時半訪問と聞いていた1時間ほど前の7時半ごろに、「やっぱりキャンセルする」という連絡が入った。トラブルがあったのではなく、その外国人投資家は別の省の町へ飛行機ですでに移動してしまったという。 ベトナムで長く仕事をしていると、「ああ、またか」というぐらいいつもの事である。それでも予定通りに来ることもあるので準備はしなければならない。これまでも前日に依頼があり、当日にキャンセルというのはいくらでも経験している。 おそらく役人の人たちも、自分の上司のわがままというか、指示の変更に振り回されているのだろうとは思うが、それを経験して出世した人は、上司の権利として同様の事を繰り返すという悪循環が生まれているのではないだろうか。 この来客キャンセルがあった月曜日の昼前に、今度は国の行政官でかなり地位の高い人が、お父さんの会社の工場見学に来るという連絡が入った。相手が国のトップクラスの人(おそらく日本で言ったら大臣まではいかないが、事務次官のような役職の人)なので、すぐに警察が工場に来て、警備体制など打ち合わせをしに来るという。 言葉通りに午後1時には警察官が4名ほど来て、打ち合わせを行った。会社の内外を見て回り、きれいにしておいてほしい場所の指摘やレッドカーペットを玄関のアプローチに敷くようにという指示まで受けた。 日本人のお父さんにとって、どれぐらいの地位の日とかわからなかったが、レッドカーペットの指示は大臣クラスが来るときにしかないので、相当な人なのだろうと予測できた。 さらに省の実質No1である共産党委員長も付き添いでやってくるというから、省全体で受け入れをするぐらいの地位にいる人である。事前に顔写真を見せてもらい、お父さんも相手を間違えないようにしていた。 翌日、予定は15時頃と聞いていたのに、朝の段階で13時半になったとまた予定変更の連絡があった。その日は10時から13時まで日本の取引先会社の役員が来社することになっていたが、15時までなら問題はないと判断していた。ちなみにこの会社の訪問依頼は1か月ほど前から来ている。 仕方がないので来社された役員さんに、急遽13時半に国の役人が来るので、13時には帰ってほしいという実に失礼なお願いをせざるを得なかった。 13時半前に、女性社員20名ほどにアオザイを着てもらい、花束やお土産を用意して玄関前で待っていた。お父さんも挨拶内容の打ち合わせをして、スーツ上下にネクタイという姿で来社を待っていた。 予定通りほぼ13時半に、15台ほどの車列を組んで彼らはやってきた。地位が高い人ほどお付というか同行者が多いのだが、今回は20名ほどだ。 主賓以外の顔は学習していないので、ローカルの副社長に一番前に出てもらい、彼女の対応を見て、どれぐらいの地位の人かを予想しながらお迎え対応をした。省の共産党委員長はすぐに判断できたが、肝心のトップがなかなか現れない。残すところ2台ほどしか車が残っていない段階で、副社長に「一番偉い人はどこに?」と聞いたら、たぶんもう社内に入りましたという回答だった。 あわててすでに応接室に入っている人達の顔を確認しに行ったが、写真で学習した人は見つけられなかった。 もう一度ローカルの副社長に訪ねると、驚くべきというかいつもの答えが返ってきた。来るはずだったNo.1の人は午前中で終了して、ハノイに帰ってしまったので来ていないと言うことだった。どれだけいいかげんな態度をしているのかとさすがに腹が立った。朝からローカルスタッフは、ほとんど通常業務を止めてお迎えの準備をしていたのだ。 ちなみに彼らは民間企業よりも地位が上なので、応接室に入ったら本来はお父さんの会社が座る側の席が上座側から埋まっていた。これも実にベトナムらしいと感じる瞬間だ。慣れているので下座に座って副社長と会社としての歓迎のあいさつをしたが、その間も彼らの座り方は頑張って偉そうに座っているように見えて、思わず笑いそうになってしまった。 上座より下座に座っている人の方が座り方が偉そうなのだ。自分を大きく見せようという必死さを感じさせる光景だ。 とりあえずあいさつの後工場見学などをして、1時間ほどで全員帰っていったが、ベトナムの役人は本当に特別扱いなのだと改めて感じる1日だった。 民間企業に「お邪魔する」のではなく「来てやっている」という態度が彼らの基本なので、もう慣れてしまったが、初めて経験した日本人は「無礼な人達」と思うことだろう。しかしながらベトナム人にとっては当たり前の光景であり、当たり前の行為なのでベトナム人からは、一切不満の声は上がらない。それだけ役人の地位の高さが、国民に認知されているのだと思っている。
2024.06.25
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最近息子を見ていてしみじみ思うことがある。ああ、蛙の子は蛙であると。息子のだらしなさや優柔不断なところなど、まさにお父さんが高校生の頃にそっくりであると。 いや一つ一つ具体的に比較したら、息子の方がましと言うことが結構あるぐらいだ。 今は父親として息子に注意をしたり、叱ったりしているが、タイムマシンでお父さんが高校生の頃を息子に見られたら、何も言えなくなるだろう。それぐらいお父さんもだらしなかった。 先日息子の中間テストが終わったが、テスト前の部活停止期間からテスト終了まで、家にいてスマホばかりいじっていた。リビングで注意されれば自室にこもってスマホをいじっていたようで、お母さんが何回か洗濯などで部屋の前を通った時はスマホをしている姿しか見なかったと嘆いていた。 お父さんにも身に覚えがあるが、テスト期間とはいえ普段家で勉強をしていない人間が、自発的に学校から帰って寝るまでの時間を勉強にあてることはない。お父さんも机に座った5分後には本を読んだりしていたし、気がつくとベッドの上に横になってむさぼるように小説を読んでいた覚えがある。 ちょっと息抜きがいつまでたっても終わらなくなってしまうのだ。 普段は怒られても掃除をしない息子だが、テスト期間になると突然掃除をするのも学生のあるあるではないだろうか。息子も突然掃除をし始めることがある。勉強をしなさいとお母さんにいわれても、普段掃除をしろと何度も言っているからいいじゃないかと引き下がらないらしい。 お父さんも高校までのテスト期間は部屋の掃除をよくやっていたことを思い出す。いや掃除だけではなく、部屋の模様替えというかレイアウト変更までやっていた。お父さんも母親に「今やることではない」と怒られたものである。 テスト期間中に掃除をせずに必死で勉強するようになったのは、大学に入ってからだ。テストで失敗すると単位が取れなくなるのだから必死になるのも当たり前なのかもしれない。高校までは、成績が下がるというだけで、退学になるわけでも留年するわけでもない。またほとんどの男子生徒はそうだと思うが、勉強しなくても最下位付近まで順位が落ちることもない。人生も学生生活も懸かっていないので、なかなか本気になれないのはしょうがないことだと思う。 夏休みなどの宿題も、息子はやらないまま終盤を迎える。そこから始めるのだが日中ではなく夜から明け方にかけてやっている。それも録画したアニメなどを見ながらなので、なかなかはかどらない。 お父さんも夏休みの宿題など最後の1週間になるまで手を付けた覚えがない。部活以外はひたすら怠惰に過ごしていた。 息子の方がまだお父さんよりまじめだと思うぐらいには、お父さんは不真面目でだらしがなかった。 唯一お父さんが勝っている点としては、単純比較はできないがお父さんはどのテストも平均点以上は勉強しなくても取れていたのだが、息子は平気で平均以下の点数を取ってくる。当然順位もかなり下位になることが多い。いや高校入学以来、下位しか取ったことがない。その点はもう少し焦ってくれないとと思っている。 しかし、やっていることは50歩100歩である。自分が通った道であり、若い時に無駄にした時間がもったいないと思う今だからこそ息子に苦言を呈すが、自分も高校生の頃、親にどんなに言われてもあまりピンとこなかったし、余計なお世話だと思っていたので、息子に何を言っても無駄だと言うこともわかっている。 若い時は人生が有限で、時は取り戻せないという感覚がそれほどない。理屈ではわかっていても実感がないのだ。 娘にももちろん言えることであるが、将来の後悔が少ないことを願うのみである。
2024.06.23
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日本でも喫煙という行為が忌避されるようになってかなり広がっている。さらにコロナをきっかけに肺に負担がかかる禁煙した人も多いし、飲食店なども全面禁煙が広がった。特にリニューアルや新規開店した店はほぼほぼ全面禁煙の店になっている。 ベトナムに来ても禁煙の流れは同じである。東南アジアの人たちは日本人よりも健康に気を使う人が多いとお父さんは感じている。お父さんの周囲のベトナム人もほとんどが禁煙してしまっている。 それでもベトナムにはまだ喫煙可能な日本食レストランや喫煙部屋のあるホテルが残っている。ところが今回マレーシアに出張して、マレーシアの政府主導の禁煙政策の効果で、ほぼすべての飲食店やホテルが禁煙になってしまっていた。 お父さんがマレーシア出張で定宿にしていたホテルは、喫煙部屋があったのだが、今回から全室禁煙になったと言われてしまった。喫煙したかったら部屋を出て外に出るしかない。日本食のレストランもすべて完全禁煙だった。 喫煙可能なのは、店の外、オープンテラス席のみと言われるのだが、そこにも灰皿はおいていない。店員に言うと持ってきてもらえるのだが、周囲に喫煙している人がいないとかなり肩身の狭い思いをすることになる。場合によっては、周囲のお客さんが「タバコを吸わないでください」と直接言ってくることがある。それぐらい喫煙に対する態度は厳しい。 ただマレーシアでもかなり喫煙に寛容な場所がある。それが中華街だ。ジャランアロー(アロー通り)というマレーシアの繁華街にある中華街は、店の外にテーブルが大量に並んでいて、おしゃれではなく雑多な雰囲気である。料理も大衆料理というか味が濃くて高級感がない。実は値段はそれなりにするのだが、首都クアラルンプールの繁華街なので致し方ないところだろう。 雨が降っても簡易的な屋根があるし、料理は美味しい。さらにここでタバコを吸うなと言われたことはない。昔ながらの東南アジアの雰囲気を色濃く残している場所だ。マレーシアに出張すると、ホテルチェックインが21時を越えるので、遅い夕食を食べるときは午前0時ぐらいまで賑わっているジャランアロー(アロー通り)に行くことが多い。ここで夕食を食べると、「ああ、マレーシアに来たな」という気分になる。 ちなみに通常の会食を取引先とするときは、当然それなりにきれいな店に行くのですべて禁煙である。タバコを吸うには入り口の外にある灰皿がある場所まで行かなくてはならない。最近は日本人も喫煙者が減っているが、海外駐在者は一定の割合で喫煙者がいるので、食事や会話の途中で、「ちょっと一服しましょう」と言って外へ出ることになる。 この時会食参加者の一番偉い人が喫煙者だと気が楽なのだが、喫煙者でない場合は上手に話を運んで抜け出さなくてはならない。トイレに行ってついでにタバコを吸う方法もあるが、どのみちニオイでばれるので、基本的には喫煙者が団結して一緒に行くことが多い。 マレーシアもタバコにかかる税金は高く、1箱の値段は日本よりも高い。マレーシアで日常的にタバコを吸うにはそれなりの金銭負担が伴う。それでもコンビニには日本と同様タバコがレジの後ろにたくさん並んでいるので、マレーシアの喫煙者はそれなりいると思う。 以前のマレーシア、特にクアラルンプールでは街中にたくさんゴミ箱が設置してあり、その上部は皆灰皿になっていたが、今では全く見なくなってしまった。喫煙はしない方が良いのは間違いないが、いまだマレーシアで喫煙をしている人が、これ以上喫煙場所を狭められないように祈りたい。
2024.06.19
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日本人は、「南国フルーツ」とか「トロピカルフルーツ」と聞くと、甘くて美味しいイメージがわく人が多いと思う。マンゴー、パイナップル、ライチ、ドリアン、バナナなどどれも甘くて美味しいフルーツである。まあドリアンは人によって評価は異なると思うが、果物の王様と言われるフルーツなので一応入れておく。 ベトナムは、日本人にとってはフルーツ天国である。あらゆるトロピカルフルーツをいくらでも手に入れることができるし、値段も安い。日本産のマンゴーは高くて食べたことがないが、ベトナムでは1個数十円で購入できるので、お父さんはよく食べている。 ちなみに日本では名前をあまり知られていないものも含めて、ロンガン、ランブータン、マンゴスチン、パパイヤ、スイカ、メロン、スターフルーツなど日本ではあまり見かけることがないフルーツもたくさんある。 さてここからが本題なのだが、日本人はほとんど食べることがないが、ベトナムでは結構人気があるフルーツに、青いマンゴーがある。これは品種が異なるのではなく、まだ熟れて黄色くなる前の青い色の状態で収穫して売っているマンゴーである。 甘みはほとんどなく、味もあまりないので塩をつけて食べる。日本で言うともろきゅーのようなイメージだろうか。 熟れるまで待てば、甘くて美味しいマンゴーになるというのにわざわざ青いうちに収穫して食べるというのは、不合理だと最初は思っていたが、最近はお父さんも青いマンゴーを食べると美味しいと思うようになっている。 理由は簡単で、水分補給と考えれば実に効率的で美味しいのである。 甘いものというのは食べると意外と喉が渇く。おそらく甘い食べ物で上がった血糖値を体が下げるために水分を必要とするとか理屈もあると思うが、甘すぎる食べ物は食べた後に水分が欲しくなるのだ。 暑くて喉が渇いているときに、トロピカルフルーツを食べてさらに喉が渇くのは本末転倒である。トロピカルフルーツがジュースで飲まれるのもこれが原因の一つではないかと思うぐらいだ。 喉が渇いた時に青いマンゴーはとても美味しく感じる。ゴルフ場でキャディさんがよく食べさせてくれるのだが、ややすっぱめの青いマンゴーを食べると喉の渇きが癒える気がする。 そんなわけで、意外とベトナムには甘くないフルーツが存在していて、国民から受け入れられている。 日本人にとって、最初は美味しくないと感じるだろうが、水分補給という意味では甘くないフルーツは結構おすすめである。 ドラゴンフルーツなどは、サボテンの実であるが、東南アジアならどこでも食べられている甘みが少なく水分多めのフルーツである。 その他にも、パッションフルーツ、釈迦頭、ジャックフルーツ、ローズアップル、グァバなど初心者向けではないが、はまると美味しいフルーツはたくさんある。ぜひトライしてみてほしいと思っている。
2024.06.18
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先日ベトナム国内の取引先メーカーから製造工程の監査で数名の来客があった。監査自体は特に問題がなく終わり、その夜に会食をした。事前に食べられないモノとかがないか確認したときには「特にない、日本食で問題ない」という連絡を受けていた。 来客によっては、宗教上の理由などで通常の会食ができない経験をしているので、一応慎重になる癖がついている。 ちなみに以前、急遽社内に納入された材料に不良品が紛れていると言うことがあり、選別するためにイスラム教の国から作業者がやってきて、1週間ほどベトナムに滞在したことがあるのだが、その時の食事は大変だった。 あまり知らない人は、イスラム教徒は豚を食べないので、豚だけ出さなければ問題ないと思っている。しかしながら、イスラム教はそんなに簡単ではない。 イスラム教では、鶏も牛も食べることができるのだが、宗教的に認められた人が、宗教の規定にのっとった処理方法で処理した肉でないと食べてはいけないのだ。この終局的な処理をした食べ物を「ハラル」という。 今では日本でもハラルという言葉がある程度知られるようになっていると感じているが、一般の日本人には関係がないので、どこまで認知されているだろうか。 ベトナムにはほとんどイスラム教徒がいないので、ハラルの食材は手に入らない。厳密に言えば、ハラルの食事以外を調理した調理器具や部屋なども使用してはいけないのだが、その時はそこまで気にする人はいなかった。 だが、肉が食べられず、魚もダメだったので、基本的には野菜しか食べるものがなかった。最終的に、野菜チャーハンぐらいしか提供できなかったので出張中に彼らはどんどん痩せていった。 今回はイスラム教徒ではなかったので、あまり気にしていなかった。日本人とベトナム人の混合チームだったので、ベトナム人が日本食をどのぐらい食べられるかどうかぐらいしか気にしていなかった。 ところが当日に、来社したベトナム人の一人が「ベジタリアン」だと言うことを聞かされた。それも会食の直前に。 日本食のレストランで、コース料理をお願いしていたのだが、急遽彼だけ野菜オンリーの料理に変更してもらった。和食レストランでなかったら、難しかったかもしれない。 ところで一緒に同行した日本人もベトナム人も彼がベジタリアンだったことを知らなかった。というか、普段彼が普通に肉を食べているところを見ている人もいて、彼らも驚いていたというのが真相だ。 そこで彼が話した「ベジタリアン」の理由は、宗教であった。彼の信じている宗教では月に3日前後、酒も肉も魚もダメな「野菜しか食べてはいけない日」というのが定められているとのことだった。それが今回、ドンピシャで出張日程に当たってしまったのだ。 お父さんもベトナムに関わって20年ほどになるが、そんな宗教は聞いたことがなかったので、もう少し詳しく聞くと、いろいろな宗教の教えを混ぜたベトナムの新興宗教であることが分かった。 まあ個人の信仰は、こちらに迷惑がかからなければ特に気にしないのだが、食に禁忌のある宗教は、関係ない人にとっては面倒くさいモノだと改めて感じた。 最近はベジタリアンだけでなく、ビーガンという肉どころかミルクも卵もダメという、完全菜食主義者も多くなってきている。 個人的な主義はどうでもいいのだが、こういう人たちは会食という場には向いていない。できれば来客で会食をするような場合には、参加しないでほしいと心から願う。 アレルギーや下戸のような体質に基づくものならある程度対応するし、食卓に出ていても彼らが食べなければよいのだが、宗教やビーガンなど信仰や主義主張によって食に制限のある人は、自己責任でやってほしいと思う。 彼らの信仰や主義主張を他国や他人のところに来てまで考慮するのは、時と場合にもよるが、こちらの責任区ではないとお父さんは思っている。
2024.06.13
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言い方があっているのかわからないし、気分を悪くする人もいるかもしれない話を少し書いてみようと思う。お父さんの会社は製造業で、生産現場の主力は高卒の社員が多い。大卒は全体の1割ぐらいである。 一緒に働いていて、仕事の能力として大卒の方が高卒より有能というイメージはあまりない。ただし、大学卒業の社員と高校卒業の社員の明確な違いは、高卒社員が中学校までの教育までしか基本的に覚えていないのに対して、大卒の社員は高校までの教育内容を覚えている。これは高校受験までしかしていないか、大学受験をしたかの違いだとお父さんは考えている。大学の専門は会社で直接使われることはほとんどないので、大卒の社員が大学の授業内容を理解しているかどうかは、お父さんの会社に限ってはどうでもよいとお父さんは思っている。 そしてもう一つ、大学卒業の社員、それも理系の社員に限ってになるのだが、高卒の社員との大きな違いがある。それが変化に対する恐怖や結果を出さなければならないという強迫観念である。 どういうことかというと、理系の大学を卒業した社員は、テストや実験で悪い結果が出たとしても、動揺することはあまりない。そこから何が原因かを探り、またテストして正解に近づいていけばよいと思っているからだ。 ところが高卒の社員は、何度説明しても「良い結果」を出さなければならないと考える人が多い。なので実験やテストで悪い結果が出ると素直に報告しないで、同じ実験を繰り返したり、無理やりな理屈をつけて実験結果は悪くとも本来は良い結果が出るはずだったという報告が来る。 お父さんは理系大卒なので、実験は仮説の正否を判断するためのモノで、結果が出なくても当たり前のことと思っているので、素直に結果を報告してほしいのだが、なかなかそれができないらしい。 お父さんという上司が怖いのかもしれないとも思うのだが、報告が遅かったり、偽装された報告を咎めることはあっても、計画通りの実験をした結果に成果がなくて怒ったことは一度もないはずである。なぜならお父さんは結果がどう出るかを知りたいだけで、悪い結果が出る可能性もあると十分認識しているからだ。 高校でも理化の実験というのはあるが、正しくやれば正しい結果が出る実験しかしていない。悪い結果が出るという時は、定められた手順を守っていなかったり、何かを間違えている時だけの実験しか経験していないからだとお父さんは思っている。 大学の卒業論文などに使う実験では、仮説が正しいのか実験することが基本である。理論的にはこういう結果が出るのではないかと想像して実験をするので、結果が予想通りにならないことなどよくあることである。 お父さんが今会社で悩んでいるのは、どうしたら部下に「失敗とか成功とか気にしないで素直に実験やテスト加工をしてもらえるか」ということである。テスト的に加工条件を変えるだけで、ダメだったら元に戻すという話をしても、なかなか部下は納得してくれない。やったとしても、報告が遅れたり、何とか良い結果を出そうとしてプレッシャーに押しつぶされていく。 不思議なことに、良い結果が出る確率は低いとあらかじめ伝えていても、プレッシャーを感じるらしく、どう説明すればよいのか本当に悩んでいるところだ。 トライアンドエラーは技術系の常識だと思っていたお父さんにとって、この社内の状況はとても不思議且つ困ったものである。
2024.06.12
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ベトナムに出張しているときは、仕事ではローカル社員や日本人同僚と話をしているが、夜は自分の部屋で一人で過ごしている。会社の寮とはいえ、共同スペースで話をすることは食事時ぐらいなので、プライベートは一人時間が多い。 お父さんの場合は出張なので、厳密には異なるが単身赴任のようなものではある。期間が短い単身赴任、もしくは一人出張のロングバージョンである。 日本で家族と過ごしているときは、それなりに話し相手がいるせいかひとり言が口から出ることはないのだが、ベトナムで1か月以上生活していると、ふとした拍子にひとり言が出てくるようになる。 周りから「え、何か言いました?」と言われて口に出ていたことに気がつくこともある。それぐらい無意識にひとり言を出してしまっている。 シャワーを浴びながら、ひとり言が出たり歌を歌ってしまったりもその櫃である。家の風呂なら問題ないが、共同のシャワー室や週末に泊まるハノイのビジネスホテルの大浴場でも思わず歌ってしまうことがある。 もちろん周りからツッコまれることはないのだが、お父さんとしては実に恥ずかしい思いをする。 家で息子や娘を相手に下ネタじみたジョークを言っていることもあり、ひとり言でその手の単語を口にしていることもたまにある。気がついた瞬間周囲を見渡して、誰も聞いていなかったと安心するのだが、実際は自分も気がつかないところで聞かれている可能性はゼロではないだろう。 ベトナム人なら瞬間的な日本語でのひとり言は、聞こえても意味が分からないだろうが、日本人や通訳などは理解できるので極めて危険である。 気になるのは、若い頃は同じような環境にいてもあまりひとり言が出ていた記憶がないことである。逆に最近頻発しているので気になっているといえるかもしれない。 すでに亡くなった祖父が、生前にテレビと話をするというか、テレビに対して一人で何か話しているのを見ていたが、お父さんのひとり言も老化のひとつかもしれないと思うと、ちょっと怖くなる。 まあ日本にいるときはほとんどでないので、まだそこまで老いてはいないのだろうと思う。そう思っていないと益々はずかしいやら情けない気持ちになってしまう。
2024.06.11
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お父さんはベトナムに来ると通常はダイエットをする。日本で増えた体重をベトナムで減らし、日本でまた増え、ベトナムで減らすを繰り返している。今回のベトナム出張でもかなり頑張っているので、最大値で6キロぐらいは減量に成功している。ここまで一気に体重を落とせたのは数年ぶりである。コロナ以降での最低体重を記録している。 糖尿病のお父さんにとって、体重増加はそのまま血糖値の悪化に直結している。日本滞在中は毎月1回病院に行き血液検査を受けるのだが、ベトナムからの帰国直後が一番数値がよく、日本滞在中に徐々に悪くなっていく。 担当医もそれを何度も経験しているので、数値が悪いと「次はいつベトナムへ行くのか」と聞いてきたり、場合によっては「早くベトナムへ行け」と言われることもある。 さて、今回は約2か月半のベトナム滞在だが、そろそろ帰国が迫ってきている。ベトナムに来た頃は長い期間だからいろいろできると思っているのだが、いざ仕事に取り掛かると意外と予定していたこと以外の仕事が出てきて、予定を消化できないまま帰国が近づいてくることが多い。 今回も帰国3週間を切って、行かなくてはいけないマレーシアなどの出張を無理やり入れることになってしまった。本来なら5月中に行く予定だったのだが、なかなかうまく日程がとれなかった。そんなわけで今月1週間ほどのマレーシアやベトナム国内の出張にまとめて行く計画である。 海外出張では、8割がた会食をするのが慣例になっている。日本だと日帰り出張が多く、またコンプライアンスだとかで、会食をする機会は少ないのだが、海外では予定していなくても会食になることも多々ある。 お父さんが訪問するのは日系企業がほとんどなので、通常は海外の日本食レストランで会食することが多い。おそらく今回の出張でも3回ほど会食があるが、すべて日本食になると思っている。 ベトナム滞在中、ダイエットとしての食事は朝はヨーグルト、昼は米を食べずにおかずだけ、夜はほとんど食事をせず、アーモンドなどを齧って過ごしている。 しかしながら、出張となると同僚も一緒になるし、会食もある。ホテルに泊まるので朝食もついている。結果として3食きっちり食べることになる。 ハノイに遊びで泊まるときは、朝食を抜くことも多々あるのだが、出張時のホテルでは現地のローカル料理が食べられることが多いので、どうしても朝食、それもバイキング形式なのでそれなりの量を食べてしまう。目の前に食べるものがあって、それでも我慢できる正確ならば、そもそもこんなに太ってはいない。 昼食は自分たちでとることが多いのだが、同僚との出張でお父さんが昼は抜こうと思っても、同僚まで付き合わせるわけにはいかない。結果として、昼食も普通に食べることになる。和食や中華を中心に食べるのだが和食ならご飯が、中華ではチャーハンなどを注文してしまうので、米抜きの昼食にはならない。 そして夜はお客さんとの会食である。これも和食が多いのだが、場合によっては中華や韓国焼き肉と言うこともある。お酒を飲まないので、お父さんはどうしても米を食べてしまう。 結果として、ベトナムにいるときとは異なり、出張では3食、それもすべて外食という基本的にカロリーが高い食事をすることになる。 ベトナムに戻ると数キロ体重が増えていることがデフォルトになっている。日本人のベトナム駐在の同僚が、10日ほど日本に一時帰国すると平均3キロぐらい体重を増やして返ってくるという現象と同じことが、海外出張では5日前後と半分の日数でおきてしまう。 せっかくここまで痩せたのだから、もう少し頑張って減量したいのだが、出張から戻ったら1週間もせずに帰国になるので、現在の体重が今回の最低値になるだろうとお父さんは思っている。食い意地を押さえることができればもう少し出張時の体重増加も抑えられるのかもしれないが、基本的に食べることが好きな性格はまだ矯正出来ていないので、難しいだろう。そもそも出張前から、何を食べようかワクワクしているぐらいなのだから。
2024.06.10
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お父さんは今回ベトナムで、会社に新たに設置されたスクリーンゴルフという装置でゴルフの練習をしている。会長が個人的に社内に設置したものだが、設置して2年間ほとんど使用していない。ローカルの副社長からたまに使わないと壊れてしまうかもしれないので、使ってほしいと頼まれたことがきっかけだ。 スクリーンゴルフとは最近ようやく日本でも流行り出していが、打ったボールの飛び出し角度、スピード、回転などを瞬時に測定し、それによってスクリーン上に計算されたボールの軌跡を映像として映してくれる。 練習場で練習している雰囲気にもなるし、シミュレーション上で18ホールとかのゲームもすることができる。日本では主にゴルフレッスンに使われているが、韓国などではもう10年も前から、スクリーンゴルフでのプレイや大会も開かれているほどメジャーなものである。 お父さんはこれまで、庭の鳥かごと呼んでいたネットで練習していたが、スクリーンゴルフは、飛距離も出るし、自分のスイングの動画も勝手に撮ってくれる。さらにボールの角度やクラブの角度など様々なデータを見られるので、非常に勉強になる。 打ちっぱなしのような練習場で練習するより、データを見ながらの方が練習の質が高くなるのは間違いない。ゴルフレッスンに取り入れられて普及しているのもよくわかる。自分のスイングをスローモーションや静止画を見ながら、レッスンプロに解説してもらえるのだから、理解が早い。 さてこのスクリーンゴルフであるが、会社の寮の1階で、ほとんど使われていないスペースにあるので、ほとんど人が出入りしない。そのためあまり異変に気がつかないのは仕方のないことだ。場所の不便さもあって、会長もありまり使っていないのかもしれない。 先日の夜、練習のためにこの部屋に入ったら、異臭がした。なんか臭いというようなレベルではなく、部屋中ににおいが充満している状態だった。さらに天井の照明はつくのに、スクリーンゴルフ関係の電源が入らなかった。 お父さんは、どこかで電気回路が焼けたかショートしたのだと思い、その日の練習はやめて、翌日技術の担当者に確認してもらったところ、電気コードをネズミが齧って断線していたことが分かった。「ネズミの死骸があった」と報告を受けたので、すべて片付いたと思っていた。 ところが翌日確認のためにスクリーンゴルフの部屋に行くと、電源関係は復旧していたが、においがかなり残っていた。というより強くなっていたと言ったほうが正しい。そこで副社長に再度状況を説明したら、副社長には思い当たることがあったようで、「私が確認します」と言って対応してくれた。 その日の午後、副社長から電話があり、ネズミの死体がありニオイの原因でしたと言われた。画像も送られてきた。ということは、前日に電源は復旧させたがネズミの死骸は片付けていなかったと言うことだ。 誰が入っても異臭を感じるレベルであったのに、おそらくネズミの死骸は取りづらいところにあったので、面倒くさくて除去しなかったと思われる。 さすがはベトナム人の感覚だと思った。電源の復旧を頼んだので、ネズミの処理はしない方向で終了をしたのだ。これまでもネズミが電線を齧って電気トラブルが発生すると言うことは多々あった。 そのたびに技術担当が屋根裏などに入って修理をするのだが、ひょっとしたらこういう場合もネズミの死骸(大抵は感電して死んでいる)を除去しないことがあったのかもしれない。会社の天井裏にどれほどの死体があるのか想像したくないが、大丈夫なのだろうかと心配になる。
2024.06.09
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世の中には、「結果を出さなければ意味がない」という考え方もあれば、「結果がどうであれ、それまでのプロセスが重要である」という考え方もある。どちらが正しいというのではなく、どちらも重要で普通の考え方である。 例えば学校の定期テストや受験などは、プロセスなどあまり関係がない。特に受験は一発勝負なので、それまでどれほど努力をしていようと合格できなければ失敗であり、逆にほとんど勉強もせず遊んでいたとしても、合格してしまえば成功である。 お父さんが子供の頃は、どちらかと言うと「結果重視」の考え方の方が強かったと思う。しかしながら、現在のお父さんが置かれている環境は、結果はもちろん求められてはいるが、プロセスがきちんと伴わない結果は評価されない。 お父さんの会社は製造業であるが、合格品を納品すればOKという時代はとっくに終わっている。どのような作り方をするか決め、その通りに作業をし、予定通りの結果を得なくてはならない。それが世界のモノづくりの主流になっている。 さらに令和の今では、お父さんの会社はもちろん、その取引先が紛争地の資金源になっていないかとか、人権侵害をしていないかなど中小企業には調べることも難しい証明を要求されるようになっている。 LGBTやSDGsなどだけではなく、様々な国際問題に対応しているかを調査されるし、会社としても人権を守ると公式に宣言をしなくてはならない。これができないと取引をしてもらえないので、お父さんの会社でも人権宣言などを出している。 さて製造業では、加工プロセスをきちんと決めて、その通りに生産しなければならないと書いたが、日本では常識的なこの考えも、ベトナムではまだまだ浸透していない。彼らはある意味ポリティカルコレクトネスの世界に毒されていないとも言えるが、どちらかと言うと結果以外に意味はないという価値観が強いと思う。 逆に結果が出ていれば、それを享受する人たちに非難されるいわれはないと思っているので、メーカーの監査などが入るともめてしまう。 メーカーの監査は「きちんとルールが守られている製造工程からの製品でないと信用ができない」といった観点で行われるが、ベトナム人は「メーカーに納入した製品が不良品でなければ文句を言われる筋合いはない」と考えている。 そのため、品質の解決策として、すべての部品を全部検査するという解決策を示すことが多い。当然ベトナム資本の会社以外からは受け入れられないのだが、結果重視の彼らには否定される意味が分からない。 逆に日本人や、監査に来る外国人などは工数をかけて全部の部品を検査(選別)するのだから、メーカーには迷惑は掛からないのにどうして管理の仕方にダメだしされるのか理解ができない。そういった考え方の土壌がないのでどうしようもないと、お父さんは思っている。ただしベトナムも世界中と製品を取引するようになってきているので、あと10年もすれば、製造現場にプロセス重視の考え方も広まるとは思っている。
2024.06.08
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日本では、メルカリなど中古品の個人販売アプリを中心とした転売を行う「転売ヤー」という言葉が出てきて久しい。ベトナムにもそれと同じような行為があるが、転売しているというよりは、海外で製品を大量購入してきて売っているイメージだ。限定品を買い占めて転売するのではない。 お父さんはベトナム航空を利用して日本とベトナムを行き来しているので、ベトナム人の搭乗率はおそらくJALやANAよりも高いと思う。最近はLCCが日本便を運航しているので、転売目的の乗客はかなりそちらに流れている気がするが、それでも日本のチェックインカウンターでは、カートに乗り切れないくらいの段ボール箱を乗せた乗客をまだまだ見かける。 昔は電化製品をかなり買っていたようだが、最近の主流は化粧品やサプリメントだと思う。なぜそう思うかと言うと、ベトナム工場の社員から化粧品やサプリメントを頼まれることが多いからだ。昔やカメラや時計を頼まれることが多かったが、今は化粧品とサプリメントである。 さらにどうして転売ヤーがそれを購入していると推測できるかと言うと、お父さんも知らないような化粧品やサプリメントの画像とベトナムドンでの値段を見せられてお願いされるからだ。 お父さんは基本的に断っているが、日本人駐在者はある程度要求に応じている。そのため維持時帰国から戻ると、頼まれた品をベトナムドンで生産するのでベトナムドンが財布にあふれている。 ベトナムでの転売価格の基本は日本の3倍である。購入費で1、輸送費で1、自分の利益で1の合計3倍となるのが通例らしい。実際に日本人が利用するハノイの日本食材や雑貨などが購入できる店でもほぼ同じ3倍設定が基準である。 そのため転売ヤーをベトナム人がやる場合は、質より量で頑張っているようである。日本に留学や仕事できている人は、帰国するときに大量のお土産を買うので大変だと聞いたことがある。 さて先日ベトナムの工場がある町で、買い物に行った。ベトナム最大のビングループが経営しているショッピングセンターがお父さんがいる工場の町にもあり、比較的きれいなのでよく利用している。 この中に、昔はVINマート、今はWINマートという名の食料品を販売しているスーパーがある。そしてなぜかここ数年、このスーパーの中にあるパン屋のフランスパンが大人気になっている。 昔は普通に買えたし、普通のフランスパンでそれほど特徴があるわけでは無いと思っているのだが、店内でパンを製造しているので運がいいと焼き立てを購入することができる。 今では人気が出ていて、パンが焼きあがると人だかりができ、一人で10本以上購入する人が多くいるので、一瞬で売り切れてしまう。 先日久しぶりにこのスーパーに言ったら、ちょうどフランスパンを持った客が店内を歩いているのを見かけた。今売っているのかなと思って、期待してパンのコーナーに行ったが店員に「売り切れた」と言われてしまった。今回も購入は出来なかったのだが、不思議なことにお父さんが売り切れを宣言された後に、店の奥から出してきたフランスパンを受け取っている人を2人ほど見かけた。よくわからないが、整理券のようなものを配っているのかもしれない。 ベトナム語しか通じないので、いつ整理券が手に入るのかなど聞くことが、お父さんにはできない。人気がなくなるまで買えないなと思っているが、もう数年間この状態が続いているので、別の人気店ができない限り、人気は衰えないかもしれない。 そんなことを考えながら、ショッピングセンターを出たら、道路の向かいにWINマートのパンと書かれた手書きの看板を掲げてパンを売っている屋台が4件ほど目に入った。 値段が書いていなかったし、ベトナム語ができないお父さんではぼられる可能性が高いと思ったので近づくこともしなかったが、WINマートで購入したバーアイスを食べながら見ていたら、結構な頻度でパンが売れていた。 1件の屋台はお父さんが見ている前で売り切れになっていた。転売しているのだから、本来の価格よりは高いと思うのだが、それでも買う人がいるのだから、値段も許容範囲なのだろう。それにしても、よく頭が回る人たちだと感心してしまった。 WINマートも自分の店の前で、自分の店の商品を転売されているのによく許すものだと感心した。おそらくベトナムではまだ転売は道徳的に悪とはされていないのだろう。日本では「ダフ屋」と呼ばれるチケットを転売する人たちがいるが、これは反社会勢力の資金源となっていることから悪とされていた面が強い。もちろん道徳的な問題でもあるのは確かであるが。 いつの間にか日本では転売を生業とする一般人が増えて社会問題化されているが、お父さんは転売されるようなものを買うことがないのであまり関心を持ってはいない。 ベトナムの話に戻るが、ベトナムでは自分が与えられた環境の中で、どれだけ設けることができるか考えることは良い事とされている。だからそれが不法であっても捕まらなければ問題にはならない。法を捻じ曲げる力もその人の能力や権力の使い方だと考えられている。 パンの転売ヤーが1日どれぐらい利益を出せるのか知らないが、普通にモノを売るよりも確実に売ることができる程度で、それほど儲かることもないと思う。 お父さんはある意味ほほえましい光景だと、アイスを食べながら眺めていた。
2024.06.07
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お父さんは15年以上ベトナム出張を繰り返しているが、いまだにベトナム料理でストレス解消となるような体にはなっていない。ストレス解消はやはり日本食を食べることである。ベトナム料理が不味いというわけでは無いのだが、こればかりは日本人に生まれて日本食で育った人には一生無理なのではないかと思う。 ベトナム料理はお父さんのイメージでは、調味料が少ないと感じている。日本食は醤油、味噌、米酢、みりん、日本酒、塩、砂糖、コショウなどと一緒に、各種の出汁(鰹節、煮干し、昆布など)が存在するので様々な味のバリエーションがあると思っている。 ベトナム料理もニョクマム(魚醤)、酢(米酢、フルーツ酢)、大豆しょうゆなどがあるが、出汁を使った料理が少ないので、味が単調に感じてしまう。その分薬味的な調味料はたくさんあるのだが、その薬味的な調味料の味になるので味が単調だと感じてしまうのかもしれない。 ただ亜熱帯から熱帯にかけて国土が広がるベトナムは、一年を通して温暖である。そんな気候の中で食べる料理は、あっさりしたベトナム風の味付けが良かったのかもしれない。日本で冷やし中華や冷麺に酢を使うように、ベトナムではブンチャーという酢をベースにしたつけ汁で食べる麺料理があったり、肉なども酢につけて食べる料理がたくさんある。 日本人は言われないと気がつかないが、外国人から見るとほとんどの料理に醤油が使われていて、どれも醤油味しかしないと言われたことがある。味噌も醤油の親戚みたいなものなので、醤油も味噌も使わない日本料理と言われると確かにだいぶ限られてしまう。それでも出汁と塩だけで味付けする料理はいろいろあるが、外国人が食べるものにはほとんど醤油が入っていると言われても、反論は出来ない。 ベトナムは基礎となる調味料の代わりに様々な薬味的な調味料が多いと書いたが、もう一つ重要なものがある。それが各種ハーブ類である。日本人が手巻き寿司でいろいろな具を試すのと同じような感覚と言うとわかりやすいかもしれない。ベトナム料理には、多くのハーブが使われているだけでなく、テーブルに生のままの各種ハーブが出てくることが多い。これを好みに合わせて料理と一緒に食べるのだ。 最近は徐々に減ってきているが、テーブルに各種ハーブが並んでいる場合、やろうと思えば一口ごとに異なる風味を味わうことができる。 日本人は、このハーブの風味が苦手な人が多いため、ハーブを楽しめない人が多い。それもあって、お父さんもベトナム料理が単調に感じるのかもしれない。 ベトナム料理の真髄を極めるには、バーブの美味しさを種類ごとに感じて楽しめるようにならなくてはいけないのだろう。
2024.06.06
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先のブログに書いたが、3か月ほど指導をしてくれた顧問さんの帰国に合わせて、社内の通訳がフェイスエステと食事に誘ってくれた。 フェイスエステが終わり、いよいよ食事になったのだが、通訳の彼は店を決めかねていた。候補は焼肉と海鮮料理の2択だった。どちらが良いか聞かれたが、私も顧問さんも店に行ったことがないので、料理も雰囲気もわからない。通訳の彼に一任したところ、海鮮にしましょうと言われ、海鮮料理の店に行くことにした。 ベトナムでは外食というと8割がた鍋料理になる。なので今回も海鮮鍋なのだろうと思ってついていった。ついたのはお父さんの工場のある町で、昔はただの河原だったところを再開発してできた最新の道路に飲食店が並ぶ地域だった。この地域は最近週末の夜を歩行者天国にして、バイクや車の侵入を止めたので、道路上にも店のテーブルが並んだり、大道芸人がいたりとかなりにぎやかになっている。食事に行った日は、路上で踊りのコンテストもやっていた。 さて、車を止めて少し歩いたところで目的の海鮮のお店に到着した。通訳の彼の話では、ここも予約をしないと結構待たされるお店と言うことだった。彼は海鮮に決めるとすぐに電話で予約をしていたが、それほどに人気があるのだろう。時間が早かったこともあり、すぐに予約も取れたようで、店に入るとすぐに席に通された。 お父さんたちのグループ以外はまだ2組しかおらず、そのうち1組は鍋を食べていた。やはり鍋なのだなと思って店内をよく見ると、メインは海鮮のバフェット(日本で言うバイキング)だった。 席に着くとすぐに通訳の彼が、「食べ物を取りに行きましょう」といって料理が並んでいるスペースに誘導してくれた。一番手前にきれいにお刺身が並んでいた。定番のサーモンの刺身を筆頭に、生のエビ、生ガキ、生の鱒が氷の上に置いたさらにきれいに並んでいた。 生の鱒以外は、日本ならお父さんの大好物である。しかしながらここはベトナム、衛生管理がきちんとできている可能性は低い。特に生ガキは今までベトナムで何度か食べたが、7割の確率で腹を壊している。4回食べて3回腹を下した。カキの食中毒ではなく、お腹を壊すという状態であったので、衛生管理の問題なのだと思う。 そんなわけで、生ガキは当然のことであるが、刺身も食べるのをやめようと即断した。とりあえず皿をもたずに料理を見物したが、海鮮は蒸しエビ、串焼きのエビ、蒸したカニ、炒めたカニ、二枚貝のレモングラス茹で、蒸したタニシ、蒸しイカ、蒸しタコなどいろいろあった。その他にも海鮮チャーハンや海鮮焼きそば、魚と野菜の炒め物各種などなかなか多岐にわたっていた。 とにかく火が通っている大丈夫そうなものを選んで食べた。貝類は見た目が少し怪しいと思ったので、やめることにした。お父さんはムール貝に弱く、過去2回ムール貝で食中毒になりひどい目に合っているので、貝についてはかなり消極的だ。ムール貝にはなにかアレルギーでもあるのかもしれない。2回とも食べて数時間後にひどい吐き気と下痢に襲われて大変だった。 さて、魚介類の鮮度は「普通」だったと思う。お父さんの駐在する町は「海か山か?」と尋ねられたら「山」と答える地域にある。ベトナムの流通が良くなったとはいえ、取れたて新鮮という訳にはいかない。ましてやその店には海岸近くの海鮮料理屋のような水槽がないので、鮮魚を仕入れて料理しているわけでは無い。やはり火が通っていないモノには手が出せるレベルではないと思う。 通訳の彼は刺身も生ガキも食べていたが、お父さんと顧問さんは生には手を出さなかった。 後の料理はそれなりにいろいろ食べたが、ベトナムは海鮮料理があまり発達していない。焼くだけ、蒸すだけ、ゆでるだけという料理が多い。必然的に素材の味はシンプルに味わえるのだが、味のバリエーションが少ないので、どの魚介類も最終的に同じと感じてしまう。 日本で言ったら、刺身をずっとわさび醤油で食べているというイメージに似ているだろうか。わさび醤油以外のタレがあったとしても、最初から最後まで刺身だけを食べて食事をするというのは難しいだろう。なので、満足度としては中の上ぐらいであった。 それでも海鮮チャーハンと海鮮粥はとても美味しかった。ダイエットのために炭水化物を控えているのだが、この日はかなりたくさん食べてしまった。 おなか一杯になって、店内を見るといつの間にかほぼ満席になっていた。空いている席は予約席だろう。バフェットではない店の外のテーブルにも何組か海鮮鍋を食べているグループがいた。 値段は日本円で約1800円、内容から考えたら日本人には安めだが、ベトナム人にとってはなかなかの高級料理の部類に入るようだ。実際に身なりの良い客が多く、若者グループはいなかった。 たくさん食べたので、腹ごなしの為に歩行者天国を端から端まで歩いてカロリー消費を図った。想像していた以上に歩くには長い距離が歩行者天国になっていた。今までは車で通っていたので簡単だったが、週末に行くなら目的の店の近くに車を止めないと大変になると思った。 ジュース、串焼きなどの屋台の他に、綿あめやタコ焼きの屋台も出ていた。タコ焼きにはかなり興味があったが、見た目は同じであるが、味は日本のタコ焼きとは少し違うし、中身もタコだけでなくソーセージやコーンなどが入っているモノもあると言っていた。ソースも日本風というよりベトナム風味らしい。今度一度買って食べてみようとは思っている。
2024.06.02
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先日3か月ほどベトナム工場を指導してくれた技術顧問の日本人が帰国した。次は9月にベトナム工場の指導に来てくれることになっている。3か月間、実にいろいろと社内の機械の整備、機械の正しい使い方、加工のアドバイス、品質管理システムの見直し、品質管理手法の教育と多岐にわたって指導をいただくことができた。 顧問さんには、専属で日本語の通訳をつけていたのだが、彼は実に面倒見が良くて、顧問さんの週末の買い物や食事も対応してくれた。 その通訳が、顧問さんが帰国する前日に食事を一緒にしましょうと誘ってくれた。断る理由もないし、彼がどんな店に連れて行ってくれるか興味があったので、二つ返事で了承した。 当日は食事前にフェイスエステに行って気分をよくしてから食事をすると言うことだった。ベトナムのフェイスエステというのも経験したことがなかったので楽しみだった。 仕事終了後、会社の入り口で待ち合わせをして、まずはフェイスエステに行った。顧問さんはすでに2回ほど経験していると言うことで、日本人がリピートするなら安心だと思っていた。 店は開店して1年ほどだそうで、まだかなりきれいであった。通された部屋には日本の美容室の洗髪台とベトナムのマッサージ用のベッドがくっついたようなものが並んでいた。その一つに仰向けに寝かされる。言葉が通じないのでされるがままである。 まずはオイルで顔のマッサージから始まった。気持ちいいかと言うとそれほどでもない。日本でもフェイスエステなど行ったことがないので、日本と比べることは出来ないが、とにかく顔全体を撫でまわされたといった感想である。どれぐらいお肌によいのかよくわからない。 また顔をずっと触られているので目はずっと閉じていて、何も見えないので何をやっているのか、感触だけで感じ取るしかなかった。最後にパックの紙を顔に乗せられて顔の処理は終わった。 次は洗髪だった。これは気持ちが良かった。体を横にしたまま、日本の床屋と同じようにシャンプーとコンディショナーで先発をしてもらったと思う。洗い方も実に丁寧で気持ちよくなり、危うく寝てしまうところだった。 洗髪が終わるとドライヤーで髪を乾かし、最後に頭から肩甲骨ぐらいまでの範囲をマッサージしてもらった。 マッサージは強すぎず弱すぎずでなかなか気持ちが良かった。おそらくお父さんに付いた女性は、上手な人だったと思う。隣で同じマッサージをしていた顧問さんは「かなり雑だった」と言っていたから。 すべてが終わると、最後に待っていたのはヘアセットだった。来た時とはまるで違うベトナム風の髪型にセットされてしまった。日本で言う七三分けの髪型である。不思議なモノで、髪型がベトナム風になると、お父さんも日本人というよりベトナム人に近い見た目になった気がした。 通訳の話では、人気があるので事前予約しないと結構待たされると言うことだった。値段がチップ無の17万ドン(約1000円)と言うことで、日本に比べたら質はともかく値段は格安だろうと思う。じかんは約40分ぐらいだった。 その後、肌の調子が良くなったという感覚はないので、マッサージと同じでその時の気持ちよさを味わうのがメインなのだと思う。毎日通うこともできないし、その気も起きない。ただ週末にハノイに行かないときは、たまには行ってみようと思うぐらいには気持ちが良かったので、いずれまた行くことになると思う。 日本では絶対行かないだろうフェイスエステを体験できたことは、なかなかに幸せなことだったと思っている。
2024.06.01
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ベトナムでの長期出張では、週末の過ごし方が問題になる。お父さんがベトナムに長期で出張し始めたのは30代中盤からだ。そのころの駐在者は若い人が多かった。20代後半から40代前半までだったので、元気もよかった。 また当時は常時8人ぐらいは駐在者がいたので、週末は誰かしらと一緒に遊んでいたので、やることがないということはあまりなかった。 会社のある田舎町で過ごすときは、土曜日の夜はだいたい麻雀をやっていた。途中で一時中断してマッサージに行き、戻ってきてまた麻雀をした。日曜日の朝にゆっくり寝るためもあり、1時過ぎまで麻雀をしていた。 日曜日は買い物に行ったり、ローカル食をいろいろと食べたりしてそれなりに楽しめていた。今よりも断然不衛生で、誰かしらがおなかを壊していたが、若かったのであまり気にしていなかった。 週末ハノイまで遊びに行ったときには、日本食→カラオケが定番だった。たまったストレスを一気に発散させるため、日本食レストランでとにかく食べまくった。一人3000円も出せば、おなか一杯飲み食いができた。 その後は2~3時間のカラオケタイムである。そこでも大はしゃぎして、歌いまくっていた。本当に若かったと思う。 日曜日は昼ご飯を日本食レストランでたっぷり食べ、ボーリングをしたり、ビリヤードをしたりとみんなで楽しんだ。 日本人駐在者の人数が少し減り始めると、今度はゴルフが日曜日の主流になった。1ラウンド5000円ぐらいでゴルフができたので、それほどお金がかかるイメージは無かった。まあ当時のベトナム人従業員の月給と同じ額なので、ベトナムでは高級な遊びであったが。 時が流れて駐在者も減り、今では常駐4名になってしまっている。平均年齢もだいぶ上昇してしまった。初期のベトナム工場は初心者の集まりだったので、基本を教えることが前提で若い日本人指導者が駐在していたのだが、今は勤続20年の従業員がいる工場になってしまった。 そのせいで、日本の工場の若者ではベトナム人のベテランを指導するどころか指導される状態になっている。よってかなりのベテラン日本人しかベトナム工場で指導ができない。当然年齢は高くなる。 そんなわけで、20年前の様に若さにかまけて週末を過ごすこともできなくなっている。お父さんも50歳を越えてしまった。初めてベトナムに来た頃は、40代の同僚が年寄りに見えていたというのに、今ではその年齢をはるかに超えてしまっている。 40歳後半から50歳の駐在員は、寝るのが早い。夜11時にはすべての部屋の電気が消えている。週末も以前の日曜休みのみから隔週土日休みとベトナム工場も休みが増えた。そのせいもあってか、週末ハノイに出かけてものんびり過ごす人が多い。お父さんもいつの間にかそうなってしまった。 ハノイで日本食を食べるのは昔と同じであるが、何でも頼んでガンガン食べるというよりは、厳選して少量を食べるスタイルに変わっている。そもそも20代や30代の頃の様に量を食べることができなくなっている人ばかりだ。 食事後も、カラオケに全員集まって騒ぐのではなく、個々人で別れて自分の好きなスナックなどでゆっくり飲んでいることがほとんどになってしまった。お父さんはお酒が飲めないので、スナックやバーでウーロン茶やコーラを飲んでも楽しくない。今は早めにホテルに戻って、ホテルの大浴場でゆっくり時間を使い、ホテルの部屋で本を読んでいる。 その分朝は早くから起きて朝食を6時から6時半の間に取ると、ゴルフの練習などに行って日曜日の午前中を過ごすようになっている。めんどうくさい日は、ごろごろとホテルの部屋で過ごして、少しの買い物と散歩をして、12時にまた同僚と合流して昼食、昼食の後はすぐに会社に戻るという週末を送っている。 お父さんにとっては、ベトナムの週末はほとんど日本食を食べにハノイに行くだけののんびりしたものになってしまった。帰国が近づくと、お土産などの買い物のために活動するのだが、それまでは本当にのんびり過ごしている。若い時の活力が失われているような気もするが、一緒に行動する若者がいないので、どうすることもできない。 もう少し有意義な週末の使い方を再検討する必要を最近は感じている。勉強するか、新たな趣味を始めるか悩むところである。自宅に電話しても日本にいる家族は部活や習い事、塾などで忙しいので、あまり相手をしてもらえない。 子供が成長した単身赴任者が、寂しそうに過ごしているのを見てきたが、今ではお父さんがそういう立場になってしまった。
2024.05.31
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お父さんはベトナムから帰国する前に、いつもやってしまう行為がある。それがネット通販でいろいろなものを購入すると言うことだ。 主に食料品だが、小物の電化製品などもよく購入している。 ベトナムに長期滞在していると、いろいろと日本でできないことがあり、結構ストレスがたまる。また日本に勤務している時より同僚との食事など共有時間が増えるので、各々が様々な美味しいモノや便利なグッズなどの情報を教えてくれる。 そういう情報の中で、じゃあ帰国したら食べてみようとか、やってみようとか、使ってみようと思うものを帰国に合わせて購入するのだ。 特に食べ物に関しては、ベトナムで結構なストレスを感じているので、「日本に戻ったらあれを食べたい」というものが、定番から新情報までいろいろとある。 今までの帰国前に購入した定番と言えば、ウナギの蒲焼、すき焼き用やステーキ用の牛肉、もつ鍋やふぐちりのセットなどである。 普段日本にいるときは、ウナギなどそれほど食べたいと思わないし、牛肉はスーパーで適当なモノを購入している。鍋料理は冬に多いが、これも寄せ鍋的なモノをスーパーの食材で作るだけだ。 ところが不思議なことに、ベトナムにいるとそれでは間に合わない気になる。間に合わないという表現が正しいかどうかわからないが、日本に戻って確実に食べられるようにネットで購入して、帰宅したときには冷蔵庫に食材がある様にしておきたいと思うのだ。 もう一つの帰国前にいろいろ買ってしまう理由は、ベトナムではプライベートな時間がたっぷりあると言うことだ。暇つぶしにネットでいろいろな情報を見ることになる。そういう中で、便利グッズ特集の記事を見たり、美味しいモノの情報を見ると、帰国したら使ってみたい、食べてみたいという気持ちになる。 時間があるので、購入予定のリストに入れて、帰国前に一気に購入してしまう。 その都度購入してもよいのだが、早めに購入してしまうと購入したときの興奮が持続できず、帰国してからテンションが下がってしまい使わないと言うことが多々ある。まあそれだけたいして必要でないモノを購入していると言うことでもある。 「ほしいモノリスト」に入れておいて、帰国前に興奮が冷めたものは購入をやめることもできるので、やはり直前に購入する方が安全である。 ちなみにこの行為はお父さんに限ったものではない。同僚も帰国前になるといろいろと購入してしまうと言っていたし、社内結婚をしている同僚の奥さんが、帰国前になると無駄なものがたくさんアマゾンなどから送られてくると嘆いているのを聞いたことがある。 お父さんの会社の社長は、自宅に送らないで会社に送ってくるので、社長宛の荷物が通販でいろいろ会社に到着し始めると、「ああ、社長がもうすぐ帰国するのだな」と理解できる。 お父さんの帰国はあとひと月ほど先であるが、ほしいモノリストにはいろいろと購入予定のモノがたまってきている。 今回食べたくてたまらないモノは、「生うに」である。2点に絞り込んであるが、帰国前には購入する予定である。その他は釣りの小物や庭用の肥料などもほしいモノリストに入っている。電動工具で悩んでいるモノがあるが、こちらはまだリスト入りしていない。 まだあとひと月あるので、取捨選択しながら帰国1週間ぐらい前に一気に購入することになるだろう。またお母さんからあきれられるのだが、食べ物に関しては子供達は自分たちも美味しいモノが食べられるので喜んでいると思う。
2024.05.29
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今ベトナムを騒がせているニュースの一つに、金のお店の摘発がある。警察というか国が総力を挙げて金の販売店(宝石やアクセサリーを含む)の監査と摘発を続けている。 きっかけは金価格の世界的な上昇による密輸の増加と聞いているが、お父さんに入るベトナムの情報はそれほど正確でないので、断言はできない。 ベトナムは貨幣の信頼度が低い時代が続いたので、財産を紙幣ではなく「金(ゴールド)」で持つことが一般的だった。そのためどんな小さな町にも金を売買するお店がある。さらに、金の価格は国際的な取引価格より、ベトナム国内の方が高い傾向にある。国際的な金価格の上昇で、今ベトナムはかつてないほどに金の価格が上がっており、国際価格との差額を利用して一儲けしようという密輸が増えているらしい。 日本に金を密輸して税金分を儲けようという案件が一時期問題になっていたが、どこの国でも頭の痛い問題であると思う。 現在警察が金のお店で帳簿や保証書を調べて、正規ルートで入った金なのか、それとも密輸ルートで入った金なのかを調査している。これは日本で同じことがあれば、同じような対応になることが予想できる。 ただベトナムでは今回の警察の捜査で、別の問題点も指摘され、そのために金のお店はかなりの損害を被っているらしい。 ベトナムの警察は実にシンプルで、「不法」と認定したモノは、その場で没収してしまう。建前上は国庫で保管ということになっているらしいが、実際は摘発した警察や組織が半分以上は着服してしまうだろうと言われている。 法的に没収した金が自分のモノになるのなら、当然摘発する側も真剣かつ苛烈になる。現在1gで1万円前後するのだから、24金のネックレス一つ着服しただけで、ベトナム人にとっては大きな儲けである。 ではその密輸以外のもう一つの問題について書いていこうと思う。それが、ブランドロゴやマークの無断使用だ。お父さんが子供の頃の日本でもそうだったし、韓国、中国、台湾、ベトナム、マレーシア、タイなど、アジアでは著作権とか商標とか特許とかいう考え方がまだまだきちんと浸透していない。 そのため偽ブランドの服、キャラクター商品など本物に比べると格安で販売されている。お父さんがベトナムで購入する安いTシャツにも、アディタス、ナイキ、アンダーアーマーといった有名ブランドのロゴが入っているし、従業員が絶対ニセモノとわかるシャネルやルイビトンなどの有名ブランドのロゴやマークの入った服をよく着ている。 そもそもベトナム人には、それが有名ブランドだという事実を知らないことも多い。また権利意識がないので、ロゴをつけたものを売買することに罪悪感もなければ違和感もない。日本でシャネルのマークがでかでかと入ったピンクのTシャツなどとても外に着ていけるものではないが、ベトナム人は普通に着ている。 そしてこのロゴやマークはアクセサリーにも多用されている。今回の摘発では、この有名ブランドのマークを利用した意匠のモノが、徹底して没収されているらしい。密輸とは関係がないが、警察としては密輸の金を一生懸命操作するよりも、一瞬で判別がつく上に山ほど偽アクセサリーが存在するので、格好の餌食になっているようだ。 今金や宝石の売買、アクセサリーの販売などを行っている店は戦々恐々でいろいろと対策していると聞いている。政府は長期間かかったとしても、しらみつぶしに国内の店舗を監査する予定らしい。 確定で言えることは、ベトナム政府が没収したアクセサリーなどのペナルティとして本当のブランドに何らかの補償をすると言うことは絶対にないだろうと行くことぐらいだろうか。
2024.05.28
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お父さんのいるベトナム北部は日本ほど明確ではないが四季がある。ベトナム北部は熱帯ではなく、亜熱帯だ。雨の降り方を基準に雨期と乾季が存在するが、一応春夏秋冬という季節も存在するので2種混合の気候と言えるかもしれない。雨季は4月から10月ぐらい、乾季が11月から3月と言ったところだと思う。日本の梅雨と違って、長雨が降るのが雨期ではない。雨季は日中や夜中にスコールが降るのが雨期だ。逆に乾季の方がジトジトと一日中雨が降ったりする。空も乾季の方が曇りがちである。 四季はいつからいつとは言えないのだが、春は寒さが遠のき日中の最高気温が25℃を越えるぐらいから、3月ぐらいに大体この気温になる。夏は5月後半か6月からだろうか、日中の気温が常時30℃を越えるようになり、スコールの回数も増えてくる。秋は日中の気温が30℃を下回るぐらいになる。10月前後から始まると考えていいだろう。冬は12月ぐらいからで、最高気温が20度を下回る日が出てくる。例年1月末から2月頭が一番寒いと言える。日本の冬から考えるとだいぶ暖かいのだが、草木の色がだいぶ茶色味を帯びたり、枯れた落ち葉が増える。 4月に入る、つまりは春になると草木が勢いを取り戻し、枝や葉っぱが新しく伸び始める。桜のような花は存在しないが、5月ごろに花の季節がやってくる。ベトナムではあちこちで木に花が咲く「花の季節」になる。 赤や黄色、紫の色とりどりの花が咲き乱れてくる。特に特徴的なのが、真っ赤な花を木全体に咲かせる「火焔樹」だと思う。並木の様に火焔樹が密集して植えられている場所は、お花見がしたくなるほどに見事に赤に染まっている。 その他にも赤、紫、黄色の花が咲く木がたくさんあるのだが、お父さんは名前を知らない。ベトナム人に聞いても、「赤い花の木」とか「黄色い花の木」というだけで、まだまだベトナムでは植物の名前があまり一般に浸透していないのではないのかと思われる。 食べられる実がなる木の名前は知っているのであるが、食べられる実がならない花がきれいな、それも街路樹的な大きさの木は名前はあるはずだが、答えられる人がほとんどいない。 さて5月からは、フルーツが一気に市場に並び始める。少しずつ時期が異なるモノもあるのだが、ライチが市場に並ぶと「ああ夏がきたなあ」とお父さんは感じる。生のライチは5月6月のほんの短い期間しか出回らない上に、日本ではほとんど売っていないので、この時期にベトナムにいるととても幸せな気分になる。生のライチは日本の中華料理屋で出てくる冷凍の茶色いモノとは全く別物の美味しさである。 マンゴーも基本的には輸入物を含めて1年中あるのだが、5月ごろからベトナム産の甘くて美味しいものが安く市場に出てくる。日本で一個数千円のマンゴーだが、ベトナムでは一個数十円で購入できるうえに美味しい。当たりはずれはもちろんあるのだが、マンゴーも夏の果物だとお父さんは認識している。 それ以外にも、バナナやスイカなどのフルーツの甘みが一気に増してくる。どちらもほぼ1年を通して販売しているが、夏の時期が一番おいしい。 問題なのは糖尿病のお父さんにとって、ベトナムフルーツは糖度が高すぎることだ。長子に乗って食べているとすぐ血糖値が上がってしまう。なので積極的には食べないようにしているのだが、休憩時間に食堂のまかないさんがいろいろなフルーツを出してくれるので、季節のフルーツを堪能している。 7月以降は暑すぎて、外へ出る気も失せるほどになる。フルーツは美味しいが暑さにやられて不快になることが多い。ベトナムでは5月前後と10月前後の暑いのだが何とかなるという季節が観光客として訪れるには一番よいのではないだろうか。 そして花の季節である5月の方が、お父さんとしてはおすすめである。
2024.05.27
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お父さんはベトナムに滞在中は、ほぼ毎日ゴルフの練習をしている。ベトナムでは通勤時間がないし、会社の屋外に鳥かごと呼んでいるゴルフの打席があるので、そこで毎晩練習をしているのだ。 お父さんは下戸でお酒が飲めないので、同僚は仕事上がりにゆっくりと酒を飲みながら食事をしたり、部屋で飲みながらテレビを見たりしているようだが、お父さんはそのゆっくりができない。 そんなわけで、どうせ時間をつぶすのだったら少しでも役にたつことをやろうということで、運動とゴルフ上達を兼ね備えたゴルフの練習をするようになった。 ところが最初に始めた頃は、コースに出た時に練習の成果を感じることができたのだが、その後はまるで上達しなくなってしまった。 大体1日100~150球を打っているので、練習量はそれなりにある。少なくとも日本に住んでいるおっさんゴルファーよりはきちんと練習していると思う。それなのに、上達したという実感をコースで経験することができずにいる。 練習場の平らな床と違って、コースには平らなところはほどんどないし、方向もわかりにくくなる。コースに出るとうまく打てないのはそういうことが原因かもしれないのだが、お父さんは、別の原因を特定している。 それがYOUTUBEのレッスン動画である。今のYOUTUBEには、数多くのゴルフのレッスン動画が存在している。おかげでゴルフレッスンの本やDVDは一切購入することがなくなった。無料でティーチングプロのレッスンが見れるのだからこんなにありがたいことはない。 レッスン動画は、基本的な動作を教えるものから、部分的なコツや技を教えるものまでさまざまあるが、お父さんは基本動作をYOUTUBEで勉強することが多い。そして、日本でもベトナムでも、レッスン動画を見るとすぐに試してみたくなる。 基本的に人気のチャンネルは、説明が上手である。お父さんのスイングの悪い部分の原因などが、YOUTUBEを検索すると対策も含めてみることができる。 問題はその後である。頭がレッスン内容を理解していても、体がその通りには動かない。なので試した初日は基本的にスイングがおかしくなって、まともにボールが飛ばないことも多い。 レッスンでは非常に単純でシンプルな教え方をしてくれるので、簡単そうに見えるのだが、実際には動画で言われるほど簡単には身につかないのだ。 今回ベトナムに来てからも、ずっと練習をしているが、アイアンはそれなりに打てるようになったが、ドライバーがめちゃくちゃになってしまった。元に戻そうにもどんなスイングが元だったがわからなくなってしまった。 そんなわけで、今お父さんはそれを直すための動画を探して視聴して、それを試すということを繰り返している。これで行こうと思えるスイングにある程度戻るまでは、様々な動画のレッスン内容を試すしかない。 以前はいくつか見比べて、これで行こうという方法をひたすらやっていたので、アイアンは安定したのだが、ドライバ―がダメになってしまった。 ドライバーが良くなった時に、アイアンがダメにならないかが不安ではあるが、とりあえず今のドライバーではコースに出た時にゴルフにならないレベルまでおかしくなっているので、とりあえず当たる方法を頑張って探すつもりでいる。 レッスン動画は、それぞれに同じことを違う言い方で教えていると思っているので、自分の感性に合ったものを探さないと、逆にできていたものまで崩れてしまう恐れがあることを今回身をもって知ることになった。
2024.05.20
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お父さんは家族と東北の田舎町に住んでいる。3人の子供達はそれぞれに地元の小学校、中学校、高校と通い、長女はすでに大学生になって家を出て一人暮らしをしている。また長期休みには帰省してくるので、めったに会えないというほどでもない。 長女と長男は中高一貫校に進学したが、次女は地元の公立中学に進学したので、来年は高校受験を控えている。 さてお父さんは3人兄弟の次男で、兄と妹がいる。兄には3人の子供、妹には2人の子供がいて、全員男の子である。つまりは我が家の娘2人以外は、いとこが集まると皆男ばかりになる。 年齢も我が家の長女が一番年上で、息子と同い年が各家にいる。そこから3年の間にすべての次女含めてすべての従兄弟が生まれているので皆同年代である。 我が家は地方都市、兄家族は大都市、妹家族は地方の中核都市で暮らしている。長期休みが近づくと、兄家族や妹家族が実家に集まろうとか、旅行に行くという話をよく聞くのだが、正月以外、我が家が家族で出かけることは基本的にない。 理由は、部活などで我が家は基本的に長期休みに全員が休みをとれることがほとんどないからだ。1日の日帰りなら何とかなることもあるが、2泊3日で出かけるなど基本的にできない。 大都市の兄家族は、長期休みに子供が塾というか予備校などで模試などがない限りは、自由に日程調整ができるようだ。みな部活動をしているようだが、本気度があまりなく、週末だけでなく、平日も休みたければ休んでも問題ないらしい。とりあえず所属しているという程度だ。 妹家族の従兄弟も部活には入っているが、水泳部という個人競技の為、こちらも普通に休むことができるようだ。 ところが我が家がある地方都市の部活動は、基本的に休みが許されない。息子は高校でバスケをやっているのだが、強豪校でも何でもないので、試合では1回戦か2回戦で常に負けている。 それなのに、親まで参加して週末は練習があるし、場合によっては遠征しての練習試合まである。チーム競技のせいでもあるだろうが、部活を休むことは基本的に「悪」とされている。 次女は卓球部なのだが、高校でダンス強豪校に通いたいということで、ダンスの教室に通っている。部活は平日のみの参加で試合には出ず、ダンスに力を入れるということで話を通しているので部活は問題ないのだが、週末もダンスのレッスンが常に入っている。長期休暇も同じである。そしてやはり休むことが「悪」となっている。 結果として、我が家は長期休暇もどこにも出かけることができずに家にいることがほとんどである。一番暇なのがお父さんだ。せめて1泊でもどこかに行こうと相談しても、なかなか空いている日を作れないし、そもそも長期休暇の宿など2か月ぐらい前から出ないとまともな宿がとれない。それなのに子供達3人の予定が確定するのは早くて2週間前ぐらいである。ひどいと3日前ぐらいに予定が入ったりキャンセルになったりするのでどうにもならない。 お父さんは地方中堅都市で生まれ育ったが、やはり中学高校の週末や長期休みは部活動優先だった。高校の時など、夏休みに北海道へ家族両行があったが、お父さんは部活の合宿と重なったため、両行にはいかず合宿に参加した。その時はそれが当たり前だと思っていたが、東京に住む従兄弟に話したら、強豪校でもないのにすごいねと驚かれた。当時から東京の従兄弟は部活動などやっていなかった。 現在は強豪校で専門にスポーツをやる以外は、部活動をそもそもやらないとか、所属しても週末練習などしない部活が地方都市でも増えているようだ。おそらくお父さんの住む田舎町も、もうひと世代ぐらい後になれば、そういうことが当たり前になってくるのではないだろうか。 子供の長期休みは、大都会ほど自由時間があり、地方に行くほど自由時間が無くなっていく。どちらが幸せなのかはわからないが、少なくとも親と過ごす時間は田舎の方が少ないし、旅行などの機会も田舎の家族の方が少ないと思う。
2024.05.19
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お父さんの会社がベトナムに進出した2000年ごろは、ベトナムの一般人は銀行に口座を持っていなかった。当然給料は現金で支給していた。 そのため給料日前は銀行から大量の現金をおろして会社に持ってくる必要があり、経理担当者はその現金を計算した給与明細に合わせて頑張って給与袋に入れていた。給料日が近づくと、経理事務所はてんやわんやの忙しさだった。 しかしながら、今では給与は口座に振り込むようになっている。経理は計算した給与明細に従って、各個人口座へ振込金額を入力すれば事が済んでしまう。従業員は現金を常に手元に持っている必要がなく、必要な時にATMで引き出せばよいので、お互いWIN-WINだと思っている。 ただ不思議なことに、会社に数名銀行口座を作ることを拒否される人がいる。理由はよくわからないが、保証人がいないとかなのだろうか。 さて、ベトナムのATMだが、お父さんも口座と銀行カードを持っている。これを会社近くのATMで引き出すのだが、結構問題が発生する。 一番発生しやすい問題は、「現金がない」というメッセージがでてお金が下せないトラブルだ。会社の近くのATMは、給料日後に会社の社員が一斉にお金をおろす。その結果、ATMの中にお金が無くなってしまうのだ。数日待たないと現金が補充されないので、このエラーが出た時は、少し離れたATMまで出かけなくてはならない。 もう一つの問題が、1日に引き出すことができる限度額が少額であることだ。日本のATMも1回でおろせる限度額はあるが、そんな額をおろしたことがない。ところがベトナムではちょっと旅行に行こうと思うとあっという間に限度額に引っ掛かってしまう。 ベトナム人の給料のレベルが日本に比べて低いので、一般のベトナム人は限度額に引っ掛かることはないのだろうが、日本人が飛行機のチケットや宿泊ホテルなどの総額を旅行代金として引き出そうとして、よく限度額に引っ掛かっている。 なので、限度額を理解して、数日にわたって引き出さなくてはならない。ただし最近は限度額もかなり上がったようで、日本人が限度額に引っ掛かってお金がおろせなかったという話は聞かなくなった。 これもベトナムの発展とインフレが進んだ成果なのだと思う。 そういえば先日、お父さんの同僚がATMでお金をおろそうとして、銀行カードをATMに入れたらエラーメッセージがでてカードが戻ってこなかったそうだ。別に間違えたわけでは無く、きちんと口座のある銀行のカードをその銀行のATMに入れただけである。 通訳に電話して、取り返してほしいとお願いしたら、「不可能です」という言葉が返ってきたらしい。 飲み込まれた銀行カードは警備会社が回収して、シュレッダーにかけるのがルールになっているという。銀行に付属しているATMで、且つ営業時間内なら取り戻せることがあるらしいが、街中の単独ATMに飲み込まれたら絶対に取り戻すことはできないという。 同僚は日曜日に街中の単独ATMでカードを飲み込まれたので、どうにもならなかった。結局新規カードの発行手続きをして、現在新しいカードが届くのを待っている状態だ。そのため当面のお金は銀行の窓口で引き出して、手持ちにしている。カードができるまで3週間ほどかかるらしい。 ベトナムではATMにカードが飲まれて出てこないことはそれほど珍しいことではないらしい。日本のATMは使えないカードは吐き出されるが、海外では飲み込んで出さないのが通常なのだろうか。マレーシアに駐在していた日本人からも、飲み込まれた経験があると聞いた。ただその人は、異なる銀行のATMにカードを入れてしまったからだと言っていた。 今回の同僚は、いつもおろしているATMで飲み込まれているので、どうしてエラーになったのか理由はわからない。銀行側も調査はしないそうだ。恐い国である。
2024.05.13
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お父さんや日本人の同僚は、週末になるとハノイに日本食を食べに行く。昔はハノイまでタクシーで2時間半はかかったので、なかなか行くことができなかったが、今では道路ができて道も広がり、1時間半ほどで行けるようになったことが大きい。 よく日本にいると、ベトナム料理で美味しいのは何ですかと聞かれたり、初めてベトナムに来るお客さんから、ベトナム料理を食べたいとリクエストされることがある。はっきり言ってこの質問や依頼が一番困る。 日本では生春巻きやフォーなどそれなりにベトナム料理としてメジャーではあるのだが、フォーが美味しいお店は汚いし、そもそも滞在時間は10分程度でのんびり会食できるような店はない。生春巻きは完全に観光客用の料理で、一般的なベトナム人は存在すらあまり知らないレベルの料理である。 野菜や肉をライスペーパーでくるんで食べる料理はいろいろあるのだが、日本人が想像するエビなどをきれいに巻いて出す生春巻きは、ローカル店には存在しない。 そして観光客向けのきれいなベトナム料理のお店は美味しくない。お客さんはそれでも満足してくれるかもしれないのだが、一緒に食事をする我々はテンションが上がらない。 先日も日本からのお客さん用に使っているベトナム料理のお店で会食をしたのだが、お父さんも同僚もほとんど口をつけずに飲み物だけで会食を済ませ、散会した後にもう一度日本食を食べに言ったほどだ。 ベトナムのローカル食は、従業員と食べに行くこともあるが、基本的に店が汚い。ただし美味しい料理もそれなりにはある。ただし、ほとんどがフォーかミーサオというインスタントラーメンを使った焼きそば、あとはコムザンというチャーハンである。 凝った料理になる程ベトナム料理は美味しくなくなる。 ちなみにローカルの従業員に美味しい店をリサーチしても、基本的にフォーの店かコムザンの店しか出てこない。彼らは家族で外食をしたり、同僚と飲み会をするときにはほとんど鍋の店にしか行かないからだ。 ベトナムでは外食(夕食)=鍋の店なのだ。 お父さんが会社関係でベトナムの警察や行政の人たちに会食に呼ばれる時の料理も基本的には鍋だ。ベトナムの鍋は日本で言う寄せ鍋で、味の素の出汁に、肉・魚・エビなどと大量の野菜を入れてごった煮にしている。不味いわけでは無いが、美味しくもない。 そして、この鍋を食べるぐらいならハノイでカレーライスでも食べていた方が断然満足できる。 同じくベトナムに駐在している日本人と会食するときも、ベトナム料理屋で会食することはほとんどない。みんなベトナム料理、それも会食用のベトナム料理がおいしくないと思っているからだ。 そんなわけで、日本人同士の会食会場は常に日本食、稀に中華や韓国焼き肉、イタリアンなどになる。 ベトナムに旅行に来て、美味しいベトナム料理を食べるのは、ほとんど不可能である。現地駐在員が、不衛生ではあるが美味しいフォーやコムザンの店に連れて行ってくれれば、それなりに美味しいのだが、全くおしゃれではない。 日本でいる大衆食堂もしくは大衆食堂と屋台とのあいのこのような店で、食べることを希望するなら、お父さんも地元の店を数件知っている。ただし滞在時間は長くて20分だ。ゆっくり食べながらおしゃべりは出来ない。 ベトナムにカフェなどが多いのは、食事はとっとと食べて、ゆっくり話をするならカフェでと言う人が多いからではないかと思う。 料理をゆっくり食べたいのなら、鍋料理を頼むしかないが、旅行者が鍋料理の店できちんと注文するのは難しいだろうと思う。 ベトナムローカル食は、日本人が食べて楽しむにはまだまだ発展途上と言える。
2024.05.12
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5月の連休を利用して、同僚とダナンとホーチミンに旅行に行った。ベトナムは5月ともなれば日本の真夏の暑さである。今回の旅行中は天気が良く、そのせいで気温もかなり高かった。連日35度を超えていて、おっさん3人は暑さに負ける旅行になってしまった。 そもそもベトナム人ですら、夏の日中は外へ出ない。クーラーの効いたお店で働いている人はともかく、建築や道路工事の作業者も日中は働かず、早朝と夕方にしか作業をしない。その他にも外にいるベトナム人は日陰や木陰でじっとしているのがベトナムの暑さ対策である。 しかしながら我々は日本人なので、旅行に行って日中ホテルで動かずにいるというのがなかなかできない。時間がもったいないと思うからだ。そんなわけで日中も頑張って動いた結果、お父さんは熱中症のような症状が出てしまった。 やはり無理をするものではない。 連休初日の朝、ダナンの空港に降りた瞬間に猛烈な暑さと湿気を感じた。暑いのは覚悟していたので、山の上にあるバーナーヒルズという観光地に行くことにした。標高1300mほどにあるので、少しは涼しいだろうと思ったのだ。一応寒さ対策に上着まで持ってきたのだが、全く不要だった。 有名なゴールデンブリッジ(神の手の橋)を見て、ぶらぶら歩いたが、暑さに負けて昼前にはバーナーヒルズを後にした。結局午後はチェックインしたホテルで夕食まで涼んでいた。 翌朝も暑くて外に出られず、結局チェックアウトまでホテルの部屋で過ごし、昼飯を食べて空港へ向かった。 ホーチミンでの初日は夕食をゆっくり食べた後、繁華街というか日本人街でカラオケでも楽しもうと思っていたが、お父さんは眠くて耐えられず、マッサージへ行って爆睡した後、ホテルに戻り風呂にも入らずに倒れ込んでしまった。気がついたら午前1時半を過ぎていた。 翌日は朝からホーチミンを観光した。朝8時半から外に出たのだが、最初は曇りの天気であまり暑くなかった。歩き出して10分もすると日差しが出てきた。クモリだと思ったのは朝靄だったようだ。 ベンタイン市場、解放記念堂、戦争博物館などを歩いて回ったが、暑さがひどく、タオルは汗でぐしょぐしょになるし、喉はカラカラで倒れそうだった。 結局午後は、ホテルで夕食まで過ごした。夕食までクーラーの効いた部屋で寝ていた。夕食の後、解放記念日の花火を見に行ったが、ここでも汗でぐっちょりになってしまった。最終日の朝、お父さんはあまりにもホテルに居続けているのがもったいなくて、朝から散歩に出て、ベンタイン市場などで買い物をしたが、案の定汗でびっちゃりになり、体はふらふらだった。 ホーチミンからハノイに戻り、会社の寮に戻った時にはふらふらだった。荷ほどきだけ無理やりやって、シャワーを浴びた後は立っていられない状態で、ベッドにもぐりこんでぐっすり寝てしまった。 ベトナムでの旅行は同僚と出かけるので、毎回おっさんだけの旅になる。若ければもっといろいろ出かけるのだが、一緒に行った同僚は、お父さんが50代、もう一人が49歳、最年長が63歳とかなり疲れたおっさんたちである。 暑い時期の旅行に向いていないと言えるかもしれない。お父さん以外の2人も日中はずっとホテルで過ごしていた。 今年の夏に、家族でディズニーリゾートに行ってみようかと思っていたが、今の体力ではお父さんは無理かもしれない。
2024.05.11
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ベトナムにもゴールデンウィークとは言わないが、5月に連休がある。4月30日の南部解放記念日(ベトナム戦勝の戦勝記念日)と5月1日のメーデーだ。大体前後に休日を作るので、会社は3~4連休となる。お父さんの会社は今回4連休だった。 日本人駐在者にとっては、遠方へ旅行ができる良い機会である。ところが、今回はこの連休を使って社員旅行をすることになっていた。 800人の従業員+家族で、当初は1000人規模で行く予定だったらしいが、参加者の調査で最終的に800人ほどになった。現在日本人の駐在者は5名、そのうち一人は1時帰国するので実際は4名しかいない。800人のベトナム人と4名の日本人では、日本人がいてもあまり意味がない。通訳も家族を連れてくるので日本人のそばに常にいるわけにはいかない。 その点を話し合って、お父さんも含めて日本人は今回の社員旅行には不参加となった。正直な話で言うと、ベトナム人との社員旅行は日本人にとっては苦行である。大体行き先はビーチになるのだが、まず北部の海というのはきれいではない。生活排水がガンガン流れ込んでいる上に、大陸を流れてきた川の河口になるので透き通るようなきれいな水は期待できない。 さらにバスで3~4時間の移動になるのだが、車になれていない社員が結構いるので、車酔いで嘔吐する社員が続出するのだ。現地のホテルも日本人は個室を与えられるのだが、社員旅行などベトナム人団体用のホテルはお世辞にもキレイとは言えない。 ベトナム人は旅行でテンションが上がっているのだが、日本人のテンションはどんどん落ちていくのが社員旅行だ。ご飯も美味しくない上に衛生感がないし、ビーチでイベントなどをやるのだが、ルール無用でいつもめちゃくちゃである。 綱引きなどどう見ても人数のバランスがとれていなくても、全く関係なく勝負している。少し複雑なゲームになるとベトナム人ですら理解していないので、めちゃくちゃになる。どのチームが勝ったのかすら日本人にはわからない。 夕食のときに、表彰式をするのだが食事中から勝手に外に遊びにいく人がたくさんいて、会場は全くまとまりがない。あちこちで乾杯している人、勝手にカラオケをする人、いなくなる人、いつ食事が終わるのか、終わったのかが不明のまま時間が経過していく。 またビーチへ来ていても、日本人と異なり日焼けを嫌がる国民なので、早朝と夕方しかビーチに出ない。ビーチに人が出てくるのは日の入り前と日の出後の2時間ぐらいである。5月だと5時過ぎが日の出なので、5時から7時ぐらいまでベトナム人はビーチで遊ぶのである。日本人が朝起きて朝食をとってビーチに出るころにはベトナム人はいなくなっている。 帰りのバスは、決められたバスに乗り込まないで勝手に好きなバスに乗り込む社員がたくさんいる。今は皆スマホを持っているので何とかなるが、昔は勝手に別のバスに乗った人を探して大変だった。 今回は17台のバスで旅行に行ったので、お父さんは参加しなかったがさぞ大変だったと思う。 ただベトナム人の社員旅行に参加すると、若者からパワーをもらえる気がする。社員旅行でもなければビーチへ行くなどできない社員がたくさんいるので、本当にみんな楽しそうに遊んでいるからだ。 日本の会社で社員旅行を企画しても、今ではまともに人数が集まらない。現地へ行っても「楽しい」という感情を出すのが恥ずかしいという雰囲気になる。当然食事の時も酒を飲まない人が半分以上いるので、盛り上がりに欠ける。ベトナム人はジュースでも盛り上がるのだが、日本人はそういう文化を失くしてしまった。 今後もベトナム工場では社員旅行をする予定でいる。お父さんはあまり参加したくはないが、社員にはたくさん楽しんでもらいたいと思っている。
2024.05.10
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プロゴルファーはともかく、お父さんたちがやるゴルフは真剣でありつつも、どこかのんびりである。賞金もかかっていないし、目的が親睦だったりと遊びなので、緩くなることは致し方ない。ただし、取引先が集まるコンペなどは少し緊張感もある。順位がつく上に、商品も出るので少しでも上位になりたいと思うのである。 さて、親父同士でゴルフをするとミスショットがしょっちゅう出る。プロの様に狙いからやや外れたミスショットではなく、見た瞬間に「あーあ」と声が出そうになるミスショットである。 ゴルフはお互いのショットの結果に掛け声をかけるのがマナーである。良いショットを打てば、「ナイスショット」と声をかけるし、グリーンに乗れば「ナイスオン」、パットが決まれば「ナイスイン、ナイスパー、ナイスバーディー」などである。 しかしながら、ミスショットに無言でいるのも空気が悪くなるので、ギャグにしてその場を和やかにするのがゴルフ専用の親父ギャグである。 ティーショットでチョロといって、チョコッとしかとばないミスショットをすると、だいたい「ナイスちょっと」という掛け声がかかる。ベトナムでテンプラという高々とフライが上がるようなショットを打つと、「ベトナムエアライン」という声がかかる。日本では「銀座の天ぷら」という掛け声もあるらしい。銀座の天ぷらは値段が高いということから来ているらしい。 バンカーにショットが入ると「いやんバンカー」という声が聞こえるし、グリーンに乗らないギリギリにボールが止まると「あわやのりこ」という声が聞こえてくる。お約束の言葉である。 大きくダフって、地面を掘り返すようなショットをすると「モグラ殺し」とか「ミミズ殺し」と言われる。 この他にもバンカーから大きくボールが飛び出してグリーンを越えて飛んでいくと「ホームラン」、何度もバンカーから出せないと「砂遊び」と言われる。 ちなみにゴルフ中はこのようなショットやパットに関すること以外も、親父ギャグのオンパレーである。みんなそれほど調子よくスコアをまとめられないので、気晴らしにバカ話だったり親父ギャグを連発して1ラウンドを過ごす。 20代ぐらいの若い人も、若い女性も、親父ゴルフに参加すると意外と雰囲気に飲み込まれてくだらないギャグを連発するようになる。 素人のアマチュアゴルファーのゴルフは、プロの世界と違って、ゆるくゆるく進んでいく。もちろんお父さんもすっかり親父ゴルフの世界に溶け込んでいる。
2024.05.09
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次女の出産に関しては、妊娠期間に何があったか全く覚えていない。我が家の子供達は全員生まれた病院も県も異なる。長女は関東で、長男は東北だがお母さんの実家のある町で、次女は現在住んでいる東北の田舎町で生まれた。 地域も病院もだんだん田舎になっていったことが今考えると笑える。 次女を妊娠したときは、すでに長女と長男がいたので、性別へのこだわりもなかった。女の子でもかわいいし、男の子なら一緒に遊べると言うことでどちらでもよいというのが、お父さんとお母さんの共通の意見だった。 次女には悪いのだが、日記もつけていない両親から生まれているので、妊娠期間に何があったか全く覚えていない。長女が幼稚園に通い、長男はまだ1歳。とても妊娠している状態を気にしている状態ではなかった。 つわりもあったとは思うが、お母さんは否応なしに子供の食事や世話をしていたはずだ。次女の場合気がついたら予定日が来ていたという感じしか覚えていない。 ちなみに次女の時も立ち合い出産を希望していたが、当日来てくれればよいということで、地元の病院であったにも関わらず、お父さんは出産の日まで一度も病院に行っていない。長女が幼稚園に行っていたことで、次女の出産に協力するためにお父さんから見た義母(お母さんの母親)が我が家に泊まり込みで手伝いに来てくれていた。 初産の長女は予定日より早く、第2子の長男は予定日よりかなり遅く生まれた。そのため次女の手伝いに着た義母は予定日の3週間ぐらい前から我が家に来てくれていた。 ただ当時の我が家はアパートから一軒家に引っ越していたが、3DKで収納が少ない家だったので、1部屋が子供部屋、1部屋がお父さんとお母さんの寝室、もう一部屋はほぼ荷物だらけの納戸になっていた。手伝いに来ていた義母は、納戸の中に無理やり布団をひいて寝ていた。義母はまだ60歳前だったので何とかなったが、もう少し年齢が高かったらかなり体調を崩したのではないかと思う。 さて次女の出産日だが、びっくりするほど正確に、予定日の夕方に陣痛がやってきた。お父さんは会社にいたが、陣痛が来たと聞いて「予定日通りだ」と感心したのを覚えている。すぐ家に帰り、お母さんに頼まれていた入院グッズをもって病院に行った。お母さんは陣痛後すぐにタクシーで病院に行っていた。 お父さんが到着すると、お母さんは陣痛室で陣痛と戦っていた。最初のうちは会話ができる状態だったが、陣痛がきつくなるにつれて痛みが来ているときはかなりきつそうだった。長女の出産のときに、子供が下がってくるのと大便が出るのが同じ感覚だったようで、どうしてもそれが頭の中で混同してしまい無駄に力んだと聞いていた。 本で読んで、テニスボールをお尻に当てると楽になると聞いていたので、長男の時にも硬式のテニスボールを持っていたのだが、陣痛後すぐに分娩台だったので、全く出番がなかった。 次女の時は、陣痛室で待機していたので、ようやくテニスボールの出番が来た。陣痛の波が来るたびにお父さんはお母さんのお尻にテニスボールを押し付けて協力した。お母さんも出産は3回目であり、意外と余裕があったように思う。 ボールを押し付ける位置が違うと、痛みをこらえながらも指示をしてきた。そうこうしているうちに、分娩台に行くことになった。 立ち合い出産の予定だったので、一緒に分娩室に行くのだと思っていたら、お父さんは一度外へ出てくださいと言われて、廊下に出されてしまった。 長男の出産時には、分娩室に入って30分もしないうちに生まれているので、すぐに呼ばれるものと思っていたが、30分近くたっても呼ばれなかった。 ようやく呼ばれた時には、「生まれました」という報告だった。立ち合い出産を次女の時だけは出来なかった。お母さんも、お父さんが来ないなと思いつつも、出産に集中していたので医師には確認しなかったようだ。 中に通されたがそこは分娩室ではなかった。看護士が生まれた次女を抱っこして見せてくれたが、お父さんに抱かすことなく「では」と言っていなくなろうとしたので、お父さんは慌てて「抱っこさせろ」ときつめに言ってしまった。 すると看護士が驚いたように「抱っこするのですが?」と聞いてきた。「するよ!」と大声で言って、ようやく次女を抱くことができた。ひょっとしたらこの地域は父親が生まれたばかりの赤ちゃんを抱くことがおかしい地域なのかと思ったぐらい、看護師の態度が不自然だった。 新生児室にいる赤ちゃんも、今までの病院はお見舞いに行くと連れ出してくれていたのだが、この病院は一切接触させてくれなかった。お父さんたちにとってはあまり良い病院ではなかった。 次女は予定日通りに陣痛が来たが、生まれた時はわずかに午前0時を越えていて、予定日翌日の誕生になってしまった。生まれたのを確認して、自宅にいる義母に電話、お母さんの実家にいる義父、お父さんの実家に電話をしたが、0時過ぎと言うこともあって、全員寝ていた。そして、3人目と言うこともあり、誰も興奮した様子はなかった。長女の時とはずいぶんと違うのだが、お父さんもお母さんも同じようなモノだったかもしれない。淡々と出産をこなしたという感じだ。 次女は3人の赤ちゃんの中で一番華奢で色白だった。きっと美人に育つだろうと勝手に期待していたが、今中学生になった次女が美人なのかどうかお父さんにはわからない。ただ男子からそれなりに人気があるようである。美人枠ではなく面白枠だと次女は言っているが。 お母さんは次女を生んだ瞬間に、出産に関してはすべて終わったとすっきりした感覚に襲われたらしい。人生における出産はすべて終わったと確信したと言っていた。 次女はよく寝る赤ちゃんで、実に育てやすかったが、ミルクをあまり飲まないのが気になった。成長しても偏食だし小食だしで、体も小さいままだ。末っ子なので小さいことに家族は違和感を感じないが、本人は大きくなることにあこがれているらしい。
2024.05.08
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長男は、長女が生まれてから4年弱が過ぎてから生まれた。その間一度お母さんは妊娠していたが、長女の川崎病と重なりうまくいかなかった。それもあって、久しぶりの出産になったのだが、長女の世話にかまけていて、長男の妊娠期間中がどうだったのかはほとんど記憶にない。 長女の時は、着床したばかりの超音波画像がゴマ粒のようだったので、妊娠中は「ゴマちゃん」と呼んでいたが、長男の場合は男の子と判明してから「コチンコ」と名付けられていた。理由は言わなくてもわかるだろう。 お母さんはつわりなどもあったが、妊娠したとき長女は3歳で手がかかり、とてもゆっくり妊婦生活を満喫する余裕はなかった。 そんなわけで、長男はお母さんの実家に里帰りする、いわゆる里帰り出産で生まれた。そのせいもあって、余計に長男の妊娠期間の事は覚えていない。長男を妊娠したときお父さんたちはアパートの2階に住んでいたので、階段の上り下りなど危険と考えて、かなり早くから里帰りしていたような気がする。 長女の出産は破水から始まったので、予定日より早かったのだが、長男は3週間近く予定日より遅れて生まれてきた。2人目以降は予定日より早く生まれやすいと聞いていたのだが、長男はよほどお母さんのおなかの中が気に入っていたのだろう。なかなか出てこようとしなかった。 お父さんがいないので、お母さんの父親(おじいちゃん)が、24時間動けるようにと準備していてくれた。毎晩晩酌が欠かせない人であったのに、予定日前からどころかお母さんが里帰りしてから1滴も酒を飲まなくなったそうだ。 長男が生まれた後も、何かあった時のためにと禁酒を続けてくれた。本当に感謝している。実際におじいちゃんが出動することはほとんどなかったのだが、何かあっても大丈夫と思えるのは心強いモノである。 長男の時もお父さんは立ち合い出産することにしていたので、講習などを受けるのかと思っていたら、特に何もなく、当日分娩室に入るだけでよいと言われた。病院によっていろいろちがうものなのだと思った。田舎の方が緩いのかもしれない。 予定日を過ぎてから、弱い陣痛が来たという情報で、お父さんは2回ほどお母さんの実家へ向かったが空振りだった。高速を使っても片道3時間ほどかかるので、出産に間に合うのか不安に思いながら運転したのだが、2回ともお父さんが到着するころにはお母さんは自宅に戻っていた。 3回目の呼び出しの時、もう予定日をだいぶ過ぎているので無理にでも産ませるという情報をもらってお父さんは病院に向かった。しかしながら陣痛はまたもや消えてしまい、お父さんが到着してから陣痛促進剤(飲み薬)を処方された。 本来なら促進剤を使うと陣痛が来るはずなのに、それでも長男はおなかの中にいたかったのかなかなか陣痛は始まらなかった。 医師からの「今日産ませる」の言葉を信じてお父さんだけでなく、おじいちゃんとおばあちゃん、長女も病院に来ていた。15時過ぎにお父さんも医師に呼ばれて、3回目ぐらいの陣痛促進剤を使用するが、これで陣痛が来なかったら今日はあきらめると言われた。1時間ぐらい経過した午後4時ごろ、陣痛が来ない為今日はあきらめて、明日再度挑戦するという話をされた。 お父さんはすぐに控室で待っている祖父母に、「今日はダメです。今から帰りますので準備をお願いします。」と伝えに行った。伝え終わってもう一度お母さんのいた部屋に戻ると、お母さんの姿がなかった。トイレにでも行ったのかと思っていたら、看護士が来て「お父さん、生まれるから分娩室へ来てください。」と突然言われてしまった。 お父さんが祖父母のところへ行っていた15分ぐらいの間に、突然強烈な陣痛が来たらしい。おそらく今日は終わりだと思った瞬間に、お母さんの気が緩んで陣痛が始まったのではないかと思う。今でも理由はわからない。 分娩室に入ると、すでにお母さんは分娩台の上でいきんでいて、今にも生まれそうな状態だった。とにかくお母さんの頭のところに行って、励ますでもなく見ていた。何か言うとするとお母さんに「黙っていろ」と言われるのだから、黙って見ているしかなかった。 息子は検査では言われていなかったが、いざ生まれる瞬間になるとかなり大きくなっていたらしい。予定日をかなり過ぎていたこともあり、通常の赤ちゃんより大きいと出産中に医師に言われた。お母さんが何度かいきんでいる最中に、普通のサイズだったらとっくに生まれているのにという看護士の言葉で、お母さんは一気に気力が落ちたらしい。 それでも分娩室に入ってから30分ぐらいで息子は生まれた。髪の毛も産毛もたっぷりで毛むくじゃらだというのが第一印象だ。長女は髪の毛が薄く、3歳ぐらいまで女の子だと見た目でわかるような髪型ができなかったので、驚いた。 泣き声も長女に比べると大きく、とても元気な赤ちゃんだった。出産で顔がむくんでいたせいか、妖怪「あぶらすまし」に似ていると思った。お母さんに話したら、「なにそれ」と言われたのだが、後日病院のパソコンで妖怪あぶらすましの画像を見せたら納得していた。 出産時に言われた通り、新生児室で息子は一番大きかった。鳴き声も大きく、息子がなくとある程度距離があるお母さんの部屋まで聞こえていた。息子は生まれた時から元気だったが、その後も病気もまるでなく健康過ごしている。昨年夏にコロナに感染して熱を出したのが初めての寝込んだ経験ではないだろうか。 長男は首が座るのも、立つのも、歩くのも驚くほど早かった。スポーツ選手になったらすごいのではと思っていたが、精神がヘタレであり、いまだにスポーツでは試合が嫌いとか言っている。心技体すべてそろうというのは難しいのだろう。心も技も後から何とかなるが、体だけは生まれ持ったものが大きく影響する。せっかく体に恵まれているのにもったいないと思うが、まあ出産とこの話は関係ないのでこの辺にしておこう。
2024.05.07
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長女の場合、お父さんもお母さんも初めての経験だったこともあり、必死で親になるための勉強や準備をしていたので、いろいろと覚えている。第2子である長男に関しても、第3子の次女に関しても妊娠中の記憶はあまりない。 お父さんは仕事で忙しかったし、お母さんは上の子の世話をしながらだったので、妊娠期間はあっという間に過ぎたという感覚しかない。そういう意味では第1子と言うのは、いろいろと恵まれていると思う。 長女の出産の日、その日は祝日だったがお父さんは普通に仕事の予定が入っていた。朝5時ごろ、突然お母さんに起こされた。眼を開けて最初に聞いた言葉が「破水した」だった。寝ぼけていたこともあり、お父さんは意味が分からなかった。 勉強した内容では、羊膜を破り羊水が出てくる破水は陣痛がやってきて、生まれる直前になるモノであった。陣痛もないのに破水したという状況がわからず、またどうしてよいかもよくわからなかった。完全にイレギュラーな状態から長女の出産はスタートした。 お母さんが言うには、破水したらすぐに産まなくてはならないので、すぐに病院に行く必要があるという。お母さんが病院に電話を入れて、すぐに病院に来いと指示を受けたので、お父さんはお母さんを車に乗せて病院に駆け付けた。 そのままお母さんは「診察室」に入っていき、お父さんはまだ患者のいないロビーで一人になった。とりあえずやることがない。どうやって時間をつぶしていたか覚えていないが、うろうろと病院のロビーを歩いていたことは覚えている。 そのうちに声がかかったので行ってみると、お母さんは「陣痛室」なるところにいた。まだ微弱ながら陣痛が始まったらしい。分娩台に行くまでここで二人で過ごせと言われた。カーテンで仕切られた部屋の中に、胎児の心拍音を電子化したものが「ピッピッピッピッ」と流れていた。 お父さんはお母さんから状況の説明を受けて、看護師から昼までには生まれるだろうと言われた。 とりあえずあらかじめ用意していた入院グッズを取りに家に帰った。だが心配だったのですぐに病院に戻った。まだ7時前の出来事だ。そこからは陣痛が徐々に強くなってくるお母さんの横で、いろいろと介護のまねごとをしていたが、実際は暇だった。早朝に起こされたこともあり、すさまじい眠気だったが、お母さんは痛さで眠れる状態ではない。ここで居眠りしたら一生言われると思い、必死で眠気をこらえていた。ほんの一瞬だが「出産立ち合いのために休む」と会社に電話するために外へ出た時が、本当に解放された気分だった。 昼までに生まれると言われた長女は、昼になっても15時を過ぎても生まれてこなかった。後からわかったことだが、へその緒が体にからまって降りてくることができていなかったらしい。夕方に交代勤務で出勤したベテラン看護士がそれを確認して、下から手を突っ込んで直してくれた。すごいとしか言いようがなかった。 その後18時過ぎにようやく分娩台に行くことができた。ここからは早いと思っていたのだが、出産はそれほどあまりモノではなかった。昼前から陣痛に耐えていたお母さんはかなり体力を消耗していた。分娩台に上がった時にはかなりふらふらだった。そして陣痛も弱まってきてしまった。 驚いたのはそこで医師から、「陣痛促進剤を使いたいので同意してくれますか?」とお父さんに確認が入ったことだ。医学を齧ったこともないお父さんに、治療方法の判断などできるわけがない。とりあえず「先生の方針でやってください」としか答えようがなかった。 陣痛促進剤を注射すると、陣痛はまた強くなっていった。陣痛の強さを数字で見れる装置があって、どういう原理なのだろうかと不思議に思って見ていた記憶がある。 結局夜の8時前に、長女はようやく生まれてきた。破水から12時間以上経っていた。お父さんもお母さんも生まれた時はどれほど感動するのだろうかとひそかにいろいろ考えていたのだが、少なくともお父さんの感想は「疲れた」であった。 ちなみにお父さんは赤ちゃんと言うのは生まれてきた瞬間に泣き声を上げるものだと思っていたが、長女は全く泣かなかった。大丈夫かと思っていたら、ホースを使って鼻や口に残っている羊水を吸い出した後に元気よく泣いた。ああ、ドラマとかはこういう部分をカットしているのだと初めて知った。 一度長女は連れ出されて処置をされ、服を着た状態で分娩台に戻ってきた。お母さんはその間にまだ後産(胎盤の処理)などをしていた。すべてが終わった状態で、お母さんはまだ分娩台に乗ったまま、赤ちゃんを渡されて、「しばらく家族だけで過ごしてください」と言われて放置された。 娘とわかってからお父さんとお母さんで争っていた赤ちゃんへの最初のキスはお父さんがどさくさに紛れてゲットした。看護師からお父さんが赤ちゃんを受け取ったので、お母さんは抵抗する間もなく、権利をお父さんに行使された。キスした瞬間に「あっ、ずるい」と言われたがすでに手遅れであった。 長女が生まれてから1時間以上は病院にいた。二人とも疲れ切っていた。お母さんは入院する部屋に運ばれた後は、すぐに眠ってしまったようだ。お父さんが家に戻ったのは夜の10時過ぎだ。とりあえずお互いの両親に電話を入れて無事出産が終わったことを連絡し、お父さんもすぐに眠りについた。 父親になった感動よりも疲労で心身ともにへとへとだったというのが長女出産日の記憶である。
2024.05.06
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お母さんが長女を妊娠したことで、お父さんは初めて産婦人科というところに行くようになった。出産のための勉強もそうだし、休みが取れた時は検診にも付き添っていた。この病院は、妊娠中の超音波検査なども父親を診察室に入れて一緒に見るということをやってくれていた。 妊娠して何か月目だったか覚えていないが、もうかなり体ができていると言われて、お父さんは超音波検査の画面を見ていた。確かに頭も体も足もきちんと見分けがついたし、心臓が脈動しているのも見えた。「生きている」と感動した覚えがある。 体のあちこちを見せてもらっているうちに、医者がだんだん胎児の股間の方へと場所を移動していった。お父さんはそれを見ながら内心で「えっ!」と思った。お父さんとお母さんは出産するまで赤ちゃんの性別は教えないでほしいとお願いしていた。 ちなみにお父さんは男の子が欲しかったし、お母さんは女なの子が欲しいと言っていた。二人とも兄弟を作るつもりだったのだが、第1子で自分が欲しい子供の性別を確定させたいという思いがあった。お互いの意見が分かれていたこともあって、出産で生まれてくるまで性別を知らないまま希望を持つということにしていたのだ。 それなのに、無情にも医師の超音波画像はどんどん股間に近づいていく。そしてついに股間が移ってしまった。そこには男の子ならついているべきものがついていなかった。ただし超音波画像を見慣れているわけでは無いので、見えなかっただけかもしれないと思い直した。それでも思わず「うーん、女の子だなあ」とつぶやいてしまった。確証があったわけでもないただのつぶやきだった。 その瞬間、医師が「えっ!わかっちゃいました?」と大きな声を上げた。お父さんもお母さんもびっくりして顔を上げた。「どうしてわかったんですか?」という医師の質問に、「いや、ついていなかったから。」と答えた。 通常超音波画像を素人が見ても、説明しない限りどこの部分を見ているか、どうなっているかなど理解ができないらしい。だがお父さんには普通に見えていた。体の表面をなぞって見せていたのだからそれぐらいはわかる。ただお母さんは全く分かっていなかったらしい。 結局先生は「性別がばれた」というのを前提に、詳しく股間の部分を見せてくれた。映像が再度同じ場所に近づいていき、今度はきっちちと股間に何もない状態であることを説明してくれた。 希望していないにも関わらず、医師のフライングとお父さんが偶然超音波画像を読めたという事象が重なっての出来事だった。自分が見ただけでは不確定だったが、医師がきちんと肯定したことで、長女の性別は生まれる前に判明してしまった。 お父さんが診察室を出た後、医師はお母さんに何度もお父さんが医師なのではないかとか、超音波画像を見慣れている職業ではないかと質問していたらしい。それぐらい医師にとっても驚きだったらしいが、お父さんにとっても女の子確定はショックな出来事だった。 軽く落ち込んだことを覚えている。
2024.05.05
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先日子供が生まれたばかりの同僚と出産までの話をしていて、自分の子供達の出産の事を思い出してしまった。長女が生まれて20年以上経っているので、だいぶ忘れてしまっているが、3人の子供が生まれた時のことを書いておこうと思う。これ以上忘れないうちに。 第一子妊娠の一報は会社にいるときに携帯のメールにやってきた。生理が遅れているので念のために産婦人科に行くとは聞かされていたが、メールで妊娠を知らされた時には何が起きたか、というかどういう感情が正しいのかと悩んだことを覚えている。 よくテレビドラマやマンガで、妊娠がわかった瞬間に夫が大喜びしたり、涙を流したりするのを見ていたので、自分もうれしかったり感動したりするのかと思っていたが、そういうあふれるような感情が無いことに驚き戸惑った。 とりあえずその日は残業もせず会社を出て、どうしてよいかわからないのでお母さんにフルーツやお菓子を買って帰ったのを覚えている。 家に帰って見せられたのは、超音波写真でゴマ粒のような胎児だというものが移っていた。お母さんが妊娠したことは理解できたが、やはり父親としての実感とか感動は無かった。どうしたらよいかわからないというのが本音だった。 ちなみにゴマ粒のような写真から、長女が生まれるまでの間、お父さんもお母さんも長女を「ゴマちゃん」と呼んでいた。本当の名前が決まるまで、ずっとゴマちゃんだったと記憶している。 お母さんが長女を生んだ病院は9割が無痛分娩という麻酔を使って痛みを感じない出産方法を推奨している病院だった。お母さんも最初は無痛分娩を望んだのだが、無痛分娩は帝王切開と同様に「産む日(誕生日)」をあらかじめ決めて実施される。 頭が古いお父さんもお母さんも、誕生日を自分たちで決めることに抵抗があるというそれだけで、普通分娩にすることにした。母体には負担がかかるのだが、お母さんも誕生日を意図的に決めるのは嫌だということで、夫婦の共通意見としての結論だった。 さてお父さんもお母さんもお父さんの立ち合い出産を希望したため、お父さんは妊婦や出産のことを勉強するために病院が実施する講習を受けなくてはならなかった。仕事の合間を縫って2回か3回講習を受けた記憶がある。 あまり覚えていないが、いろいろと勉強をしたし、救命の実習もした。その中で、男性の妊婦体験というものがあった。 出産前の妊婦の体重増加分をオモリとしておなかに巻いて、妊婦がいかに体が不安定になるのか、また起き上がりなどの動作が大変であるかを男性に認知させる目的で実施される。お父さんは実はこれが結構楽しみであった。実際にオモリを体に巻いた時はおなかにくるずっしり感に驚いたことを覚えている。 そのまま横になって、起き上がる動作をやらされた時にちょっと問題が起こった。周りのお父さんたちが起き上がれずに苦労しているのに、お父さんは間違えてスッと立ち上がってしまったのだ。確かにオモリは重かったのだが、起き上がるのに苦労するほどではなかった。お母さんはあっさり立ち上がったお父さんを見て、「ああ、この人はダメだ」と思ったらしい。その場でも「可愛げがない」と言われた記憶がある。 しかしながら、オモリは10キロ強ぐらいだったと思うが、当時のお父さんの体重は85キロぐらいである。体重に対しての重りの比率は12%弱である。一緒に参加していたお父さんたちは、痩せている人が多かった。もし体重が70キロだとすれば比率は14%強、体重が60キロなら17%弱である。 お父さんの体重からしたら、10キロはそれほどの増加に当たらない。多少重いなと思っても、起き上がったり歩いたりするのができないレベルではなかった。 ちなみにお父さんは今でも、他のお父さんたちも起き上がれない演技をしていたのではないかと思っている。お父さんより筋肉がたっぷりついている消防士のお父さんまで起き上がれないでいたので。要救助者を担いで走るぐらいの訓練をしている人が、10キロの重りで起き上がれないなど納得がいかない。 夫婦ともに手探りの状態だったが、長女の妊娠中は二人で試行錯誤を繰り返して楽しみ半分、心配半分で過ごしていた。
2024.05.04
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お父さんが本格的にコーヒーを飲みだしたのは、高校を卒業して予備校の寮に入った時からだ。それまでは缶コーヒーの甘いものは飲めたが、ドリップしたコーヒーもインスタントコーヒーも好きではなかった。ミルクと砂糖をたっぷりと入れてコーヒー牛乳の様に甘くしたものをかろうじて飲んでいたぐらいだろうか。 浪人して入った予備校の寮は、個室だったが別途と机と本棚しかない3畳程度の部屋だったので、当然シンクや洗面台などの水場は共用だった。食事は寮の食堂で食べることができたので、その点は問題はなかったが、お父さんの部屋は寮でも端の部屋だったので共用の洗面所までが結構遠かった。 部屋に電気ポットは置くことができたので、お湯は手に入るのだが洗い物が遠い。コーヒーが眠気覚ましによいと聞いて、コーヒーを飲んでいたが砂糖やミルクを入れると毎日マグカップを洗いに行くのが面倒くさかった。 そこで無理やりブラックでコーヒーを飲むことにした。マグカップは飲み終わった後にお湯ですすいで窓から湯を捨てた。後はティッシュペーパーで拭けば大丈夫だった。 1か月もしないうちに、ブラックコーヒーが美味しいと感じるようになっていた。逆に甘いコーヒーが美味しくなくなってしまったのは不思議だ。ブラックコーヒーを飲むようになってから、甘い缶コーヒーを自分で買ったことはほとんどない。 最近は缶コーヒー(ペットボトル含む)にもブラックが普通にあるので、そちらは購入して飲むこともある。 さてコーヒーを飲むとカフェインの効果で眠気が無くなると昔から言われていたが、お父さんはカフェインで眠気がなくなった経験がなかった。 大学生になり車を運転するようになった時も、薬局で売っていたカフェインの錠剤を眠気防止に飲んだりしたが、ほとんど効果を実感できたことはない。 お父さんにカフェインは効かないと勝手に思い込んでいた。 今ベトナムにいる日本人の同僚の一人は、コーヒーを飲むと眠れなくなるという理由で、休憩時間も一切コーヒーを飲まない。ハノイで昼食を食べた後に出てくるサービスのコーヒーにも手を付けない。苦いからではなく、昼に飲んでも夜眠れなくなることがあるからだそうだ。カフェインが効く人は効く人で大変だなあと常々思っていた。 ところが先日、ハノイで購入した日本のブラックの缶コーヒーを、寝る前に一気飲みした日の夜、お父さんは全く寝付けなくて困った。いつもは布団に入って電気を消すと10分以内、かかっても30分以内には眠りにつけるのだが、この日は1時間半たっても眠くならなかった。何とか寝入った後も、夜中に何度も目が覚めてしまった。もう朝だなと思って起きた時もまだ3時半ぐらいであった。結局翌朝は寝不足で体調が悪い状態になってしまった。 この時はまだ、コーヒーが原因とは気がついていなかった。何せ今までの人生で、一度もコーヒーを飲んで眠れなかった経験がなかったのだから。 前日の事をよく思い出して、ようやく寝る前に飲んだコーヒーが原因ではないかと思い至った。というかそれ以外の理由が見つからなかった。 お父さんは今ダイエット中なので、夜はほとんど食べていない。18時頃にアーモンドを10粒程度食べるだけである。コーヒーを一気飲みしたのが23時ぐらいなので、ほぼすきっ腹で且つ体が栄養素を求めているときに飲んだので、ほぼすべてのコーヒー内の成分を体が吸収したのではないかと思っている。 今までカフェインが効かないと思っていたのは、カフェインを体がそれほど消化吸収していなかったためだと今では分析している。 とりあえず眠気を覚ますためにカフェインを飲むならすきっ腹の時だということが分かった。夜間の長距離運転の時は、モノを食べないでカフェインをとってみようと思う。
2024.05.02
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またベトナムにやられる お父さんは今、お母さんのダイエットに近いダイエットをベトナムでしようとしている。要は糖質ゼロまでは出来ないが、糖質減の食事をすることで緩やかに体重を落としていく計画だ。 お父さんの会社では、昼と夜に日本人専用食堂で日本食もどきを食べさせてもらっている。作るのはベトナム人だがそれなりに美味しい。日本食もどきと書いたが、これは完全に日本食だというものはなく、ほとんどがベトナム料理を日本食に寄せたような食事だ。日本食を美味しいと思わないベトナム人が作っているのだから致し方ない。 その中で、ほぼほぼ日本食と言えるメニューが2つだけある。それが日本人が教えた冷やし中華と、日本そばを茹でるだけの盛りそばの2つだ。この2つのメニューが毎週1回ずつ、昼食に出てくる。以前駐在していた日本人が教え、出す曜日も指定したことで定着している。 冷やし中華はたれの配合が若干おかしい時もあるが、レシピを渡してあるので基本的に美味したれを作ってくれるし、上に乗っている具は、写真で見せているので、錦糸卵・キュウリ・ハム・トマトと見た目にも違和感のない冷やし中華が出る 日本そばは乾麺の日本そばを茹でてさらにのせてあるだけだ。つゆは日本の麺つゆを使うので日本で食べる盛りそばと全く同じである。 いつもこの面の日は楽しみなのだが、今回に限っては「糖質減」の邪魔になる。米・パン・麺を食べないようにしたいので、ベトナムに来てすぐに通訳を使って総務から食堂に「お父さんには麺料理を出さなくてよい」と話をした。ただこれだけでは不安である。お父さんが必要ないという言葉が、「日本人は全員いらない」になる可能性が高い。いつもそういう失敗をしているので、「お父さん以外の日本人は、全員今まで通り麺を食べるから、必ず作るように」と付け加えた。 指示をしてから最初の麺の日、食堂に行くとお父さんの席に冷やし中華は無く、お父さん以外の席にはきちんと冷やし中華が提供されていた。「よし」と思って席に着いて驚いた。お父さんの席に冷やし中華は無かったが、替わりにベトナム風の焼きそば(ミーサオ)が置いてあったのだ。またベトナム人のおかしな気配りを食らってしまったようだ。 食堂の担当者は、お父さんが冷やし中華や日本そばが嫌いだから「要らない」と言っていると考えたのだと思う。そこで、木を回してベトナム風焼きそばを作ってくれたのだ。ある意味やさしい気の使い方であるが、どうして言われたこと以上の動きをするのかと思う。無くしてくれと言ったら、無くせばいいだけだ。代わりに追加しろとは言われていないのに追加してしまう。 海外の大変さと面白さではあるので慣れてはいる。だがお父さんは、これまでにもいろいろと彼らの思考を予測して先手を打つようにしてきた。だが変則的なことを指示して1回で通じた経験がほとんどない。常に彼らはお父さんの予想を超えてくるのだ。今回のエピソードもまさにこれだ。 「ダイエットしたいから麺を食べない」と言っても、おそらくまた別の気の回し方をしてくるとは思う。それでも思った通りになるまで、何度も繰り返し指示するしかない。
2024.05.01
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久しぶりにまたベトナムに出張に来た。今回は2か月強の滞在予定である。ベトナムはこれから雨期に入るところだ。ベトナムの雨季とは、日本の梅雨のようにじとじとと長雨が続くのではない。熱帯のようなスコールが頻発する季節の事を言う。逆に乾季には、つゆの様にじとじとと霧雨のような雨が続くことがある。 さて4月も終盤になると、完全に雨期の季節となる。お父さんはそんな気候の変わり目にベトナムにやってきた。仕事をしている時は、外でスコールがあっても特に問題はない。まあ雷によって電気に支障が出るのを警戒するぐらいだ。 真上で雷がガンガン鳴っている時には、電気の影響を受けやすい機械は待機状態にする。昔は雷で何度も瞬間的な停電(いわゆる瞬停)によって、機械が壊れたり製造中の製品に支障が出たりしたが、最近はベトナムの電気状況もだいぶ良くなっている。 ベトナムについて早々であるが、週末のハノイに食事にいった。宿泊するホテルのロビーで同僚と待ち合わせをし、ホテル近くの中華料理屋へ歩いていくことにした。距離にして500mぐらいだろうか。10分も歩くことはない距離である。 いつも通りなら、ゆっくり話しながら歩いて到着し、ゆっくりと食事をして歩いて帰ってくるのだが、この時は運悪くスコールに当たってしまった。 ホテルを出た時に遠雷が聞こえていたが、上空の様子は暗くてわからなかったので、気にせずに歩き始めた。ところが目的の店まであと100mぐらいと言うこと頃で、いきなり大粒の雨が降り始めた。 スコールの降り始めもいろいろ種類があって、ぽつぽつと大きな雨粒が降り始めてだんだん強くなるパターンもあるが、今回はいきなりの強雨のパターンだった。 店まであと少しなのだが、傘も持っていないので軒先で雨宿りしながら少しでも雨が弱まったら歩き出そうと待っていた。しかしながらスコールは強くなるばかりで風も吹いてきたため、軒先でも濡れるようになってしまった。 仕方なく覚悟を決めて、店までの残りの距離を濡れながら走った。おっさんの走りなので実際は早歩き程度でしかないのだが、何とか店までたどり着いた。 もちろん体はずぶ濡れである。お父さんはタオルを常に持ち歩いているので頭から服までとりあえず全部拭いて店に入った。同僚はハンドタオルしか持っておらず、拭き切れていなかったので、髪の毛がかなりしっとりとしていた。まあお父さんもふくはべとべとに体に貼り付いた状態ではあった。 食事を美味しく食べて1時間ほどで店を出ることにした。店の外はスコールの名残で小雨が降っていたが、これぐらいなら恐れることはない。それでも歩くとそれなりに濡れそうだったので、お父さんはタクシーを呼ぶことにして店の前で待っていた。 同僚は買い物しながら歩いて帰ると言ったのだが、店内が禁煙だったため、お父さんの隣で一緒にタバコを吸い始めた。 1本を吸い終わるのを待たずして、スコールがやってきた。来た時に降っていた強雨よりもさらに強い雨となってしまった。同僚に買い物をあきらめて一緒にタクシーで帰ることを勧めたのだが、彼はタバコが切れていると言って、歩いて帰ることをあきらめなかった。しばらくといっても5分ほどだが、待っていても一向に雨脚は弱くならない為同僚は店の軒先から走り出し、行ってしまった。後から聞いたら入店した店で、店員に「大丈夫ですか?」と心配されるくらいにずぶ濡れになったようだ。 お父さんはタクシーだったので、乗り降りの際に濡れるぐらいだと思っていたら、タクシーがなかなかお店にたどり着かない。タクシーと言ってもGRABという白タクのアプリを使って呼んだ車なので、スマホで車の現在位置がわかる。どうも近くの道をうろうろしているようだった。 このままではいつまでたっても店にたどり着かないと思ったお父さんは、スマホの現在位置から少しタクシーに近づくため軒先を出た。 その瞬間、シャワーでも浴びているようなスコールにさらされて、結局お父さんもずぶ濡れになってしまった。タクシーの中でひたすら体を拭いていたが、まあパンツまでは濡れなかったので良しとするぐらいしか考えられないほどずぶ濡れだった。 一つだけ運がよかったと思ったのは、スコールの最中はタクシーの需要が増えるので、なかなか捕まらないことがある。お父さんは強雨になる前の小雨状態でタクシーを予約できたので、そこだけは運がよかったと思う。後は全部だめである。 ベトナムでスコールを食らいずぶ濡れになったのは、かなり久しぶりだった。まあ気温が高いのでちゃんと拭いて、すぐ着替えればそれほど風邪などの心配はしなくてよいのがベトナムのスコールの良いところだ。 ベトナムに到着早々スコールの洗礼から始まった今回の出張であるが、うまくいくことを祈りたい。
2024.04.30
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我が家の庭には梅の木が3本とサクランボのなる桜の木が1本植えてある。お父さんはベトナムにいることが多いので、なかなか花の時期にゆっくり満開の状態を見ることがないのだが、今年は久しぶりにどちらの花も満開の状態を楽しむことができた。 梅もサクランボも毎年きちんと実をつけてくれるのもうれしい。ほとんど手入れしていないのにも関わらず、きちんと毎年実をつけることができるというのはすごいと思っている。それに比べると我が家の柿の木は2年に1回しか実をつけない。きちんと摘果したり、肥料を与えれば毎年実がなるらしいのだが、そこまでする手間が大変でやっていない。ちなみに昨年は実がならなかったので、今年は予定では花も咲いて実もなる予定である。 さて梅の話題に戻ろう。梅の木は桜と同様に葉が出る前に花だけが咲く。枝いっぱいに小さな花を咲かせてくれる上に、ほのかな香りもあるので、花が咲いている期間は夜に帰宅しても香りだけでも楽しむことができる。 毎年6月末から7月に梅の実を収穫するのだが、そのたびに不思議に思うことがある。咲いた花の数に比べて実の数がとてもすくないことである。別に摘果などしているわけでは無い。梅の花の時期は結構ハチが飛んできて受粉しているので、受粉行為がないわけでもない。それでも明らかに花の数の10%ぐらいしか実がならない。 実が小さいうちに落ちていくのかとも思うのだが、防草シートを貼っている梅の木の下に実が落ちれば、見逃すことはあまりないはずなのだが、そんなに実が落ちたという経験もない。やはり実がならない花があるのではないかというのがお父さんの見解である。すべての花が受粉するわけでは無いのかもしれないが、逆に実がなる花はどういう状態だったのかと考えてしまう。 サクランボの木も同じである。咲いた花の数に比べて、実は極端に少ないと思う。ただサクランボに関しては、何も対策していないので、ほぼすべての実を野鳥に食べられている。そのせいで正確な実の数はわからない。ひょっとしたらかなり実っているのかもしれない。 ただ梅に関しては、あまり鳥が食べているのを見たことがない。逆に鳥が食べるのだったら、サクランボと同様にほとんどの実がなくなってもおかしくないだろう。梅の花と実の関係は実に不思議である。
2024.04.28
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世の中には在庫というものがある。人間が普通に生活しようとしたら、在庫無くしてやっていくことはできない。一般家庭において食料品で冷蔵庫に入っているモノはすべて在庫である。冷蔵庫以外の常温保管の食料品も在庫。一般家庭でも料理屋でも等しく同じだが、食料品の在庫がなかったら料理を提供することは不可能だろう。 衣料品も同じく在庫である。よほど服を買わない人ならわからないが、1年間1度も着ることがないという服はもちろん、普段はほとんど着ない服や、旅行や出張の時に使うだけの下着なども在庫の類である。パンツ3枚しか持たずに生活している人はほとんどいないだろう。2泊3日で出張に言ったら、帰宅して履くパンツがない状態なのだから。 ところがもう30年以上前から、製造業の世界では「在庫は悪」とされている。もちろんゼロにしなさいとは言われていないが、有名なトヨタ生産方式では、組立工場にある在庫は数時間分とされている。 在庫があるということは「お金の停滞」でありムダだとされているのだ。また在庫管理の費用もいらないし、倉庫も必要なくなるので在庫を無くすことは自動車メーカーにとってはメリットが大きい。日本の自動車産業は高度に発展しているので、同じ組み立てラインで何種類もの車を製造することができる。段取り替えなどの手間を考えずに組立ができるからこそ成り立っている在庫削減である。ただし、自動車の組み立て工場に在庫は無いが、部品を作っている下請けの工場には山ほど在庫がある。数時間置きに納品しなくてはならないし、間に合わなければ自動車工場のラインが止まり、莫大な賠償金を取られてしまうからだ。 お父さんの会社は自動車関連ではないが、部品メーカーである。メーカーが製品に組み付ける部品を製造している。そして在庫の削減がうまくいかずにいつも悩んでいる。 自動車の組み立てラインと異なり、違う部品を作るには、機械の段取り替えをしなくてはならない。1個作って段取り替えと言う訳にはいかないので、生産計画で作る数を決めて、一定数を作ったら段取り替えをすることにしている。そのために在庫は必ず貯まるようになる。 さらに言うと、個々の生産機械は在庫があった方が生産がスムーズである。目の前に加工する製品がなければ機械は止まってしまう。逆に十分以上の在庫があれば、機械が止まることはないので、機械の稼働時間も生産数も上がる。なので生産現場は在庫を欲しがる。 段取り替えはどんなに改善したところで、面倒くさいモノである。よって生産現場、特に海外工場の生産現場は計画数以上に生産を続けてしまうことがある。次の生産品が予定されていても、加工前に在庫がある限り生産してしまいたいという気持ちになるのである。 結果として必要な量以上を生産することになり、在庫が増えていく。 本屋やネット上にはいかにして在庫削減をするかのノウハウが山ほどあるのだが、どれも簡単に成功してしまう内容ばかりである。何十年たってもそういうノウハウが販売されているということは、何十年たっても在庫は減っていないということだと思うし、減らすノウハウでは在庫は減らないということだとお父さんは思っている。 一般家庭でもそうだが、料理によって使用する食材の量は異なる。そしてスーパーで売っている食材を今日必要な分だけをきっちり買うことは不可能である。野菜を1個ずつ変えたとしても、ジャガイモ1個と大根1本では量が異なるし、購入分を1日の料理で使い切る献立を毎日考えていたら、頭がおかしくなってしまう。 それを生産工場ではやらなくてはならない。上司から在庫の話が出るたびに憂鬱になる。だがこの在庫との戦いはお父さんがどんな職種で働いていても続くことであろう。 ちなみに我が家ではすでに2台冷蔵庫があるのだが、さらに追加で冷凍庫を購入するかどうか検討している。長女が一人暮らしを初めて人数が減っているのにである。在庫の削減がいかに難しいかを物語っていると思う。お母さんの安い時の大量購入や義母からの食料品の宅急便などがなくなればもう少し楽になるのかもしれないのだが、その部分にお父さんは口を出すことができずにいる。 家庭の冷蔵庫ですら在庫削減に失敗しているお父さんに、会社の在庫削減ができるのかはなはだ疑問である。
2024.04.27
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先日会社の車で頼まれていた特殊な電池を買いに行った。会社から少し離れているが、自宅の近くなので、週末に買いモノに行くことにしたのだ。お父さんは普段営業車で通勤しているので、いつもの事である。 さて目的の店には駐車場がないので、悪いこととは思いつつ近くの銀行の駐車場に車を停めて車を降りようとした時だった。知らないおじさんが近づいてきて運転席の窓をノックしてきた。場所が銀行の駐車場だし、相手も何やら挙動不審に見えたので少し緊張した。 恐る恐る窓を開けると、そのおじさんが「後ろのタイヤがパンクしているように見えますよ。」と言ってきた。 タイヤの場所が運転席から一番遠い左の後輪だったので、車からお父さんを降ろして何かたくらんでいるのかとも思い、警戒しながらエンジンを切って車から降り、カギをかけてタイヤを見に行った。 タイヤを見た瞬間に、お父さんの警戒心は無くなった。見事に空気が抜けてぺちゃんこになっていた。足でタイヤを押すとフニャフニャとタイヤがつぶれた。お父さんは声をかけてくれたおじさんにお礼を言ったところ、おじさんはすぐに離れていった。 さて困ったのはタイヤである。その場で修理ができないので、まずは先に買い物を済ませてしまった。 車に戻り、緊急用のスペアタイヤがあるかを確認したが、案の定スペアタイヤは摘まれていなかった。昔の車には必ずついていたのだが、タイヤの性能が向上した現在ではスペアタイヤはそもそも入れるスペースすら設計されていない。会社まで戻ればタイヤはあるのだが、パンクしたタイヤでは戻れないし、週末で会社も休みの為タイヤを持ってきてもらうこともできない。 お父さんは決断して、近くのタイヤ屋までゆっくり運転していくことにした。言われるまで気がつかなかったのだから、何とかなるだろうと思っていた。近くと言ってもタイヤ屋までは1キロぐらいはある。 エンジンをかけて走り出してみたが、やはりホイールが道路と接触している感覚はない。何とかなると確信して、路上の段差などに注意しながらなんとかタイヤ屋までたどり着くことができた。 タイヤ屋で再度チェックすると、さっきよりもさらにつぶれているように見えたが、ホイールは無事だった。タイヤ屋にパンク修理をお願いすると、「この状態では無理」と即答されてしまった。 つぶれた状態で走行した為、タイヤ内部が損耗している可能性が高く、下手に空気を入れるとバースト(破裂)する可能性が高いので、パンク修理は出来ないと言われたのだ。 仕方ないのでタイヤの在庫を調べてもらったが、ちょうど良いサイズのタイヤが在庫にはなかった。 最終的に、タイヤ交換をしたお客さんが置いていった古いタイヤがあるということで、それをつけてもらうことになった。若干タイヤの直径が異なるが、ホイールには合っているので、応急措置としては問題ないということだった。 実際にタイヤを外して内部を見たところ、言われたとおりに内部が破損してゴムの粉が出てきた。これでは確かにバーストの危険がある。廃棄タイヤがあったことに感謝して、交換手数料を払い、タイヤ屋を後にした。 ちなみにパンクの原因なのだが、長さ3センチ、太さが3㎜ぐらいの釘が見事に刺さっていた。今までにも釘や金属がタイヤに刺さってパンクした経験はあるのだが、毎回不思議に思うのは、どうやったらこんなにきれいに刺さるのだろうということだ。 忍者のマキビシの様に、釘の先端が上を向いて道路に固定されているならきれいに刺さるのも納得がいくが、釘は基本的に自立できない。道路に横たわっているはずである。それをタイヤが踏んだだけで、垂直に刺さる理屈がいまだに理解できない。 実際に刺さっているのだから、誰かが嫌がらせで釘を打ち込んでいない限りは自然に刺さったのだろうが、本当に不思議である。 今回は自宅の近くであり、タイヤ屋の場所もわかっていたのでそれなりに何とかなったが、これが遠距離出張中だったり、高速道路を走行していたら大変な目に合ったことだろう。そう思うと週末で少しドタバタしたとはいえ、これぐらいの苦労で済んだことはラッキーだったと思う。
2024.04.26
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ベトナム行きが近づいている。お父さんはもうベトナムを往復して15年になる。そのためベトナムにはお父さんのための寮の部屋が常に用意されていて、生活に必要なモノはすべておいてある。 本来ならほぼ手ぶらでベトナムに赴任すればよいのだが、ベトナムには毎回大型のスーツケースを2個以上持っていくことになる。理由はベトナムへのお土産だ。 ほとんどが食料品で、駐在の日本人用のお土産と一部は日本食好きのベトナム人副社長へのお土産である。事務所スタッフや管理職へのお土産は年に1回だけ、旧正月の時にしか持っていかない。 以前は頼まれたものを購入して現地精算していたのだが、ベトナム人が裕福になるにつれて、頼まれるモノも多くなってきて際限がなくなってきたのでやめることにしたのだ。駐在日本人はベトナム人スタッフに頼まれたものを購入しているが、かなり大変そうである。日本での購入金額も物理的な量もかなり多くなっている。 ちなみにベトナム人がリクエストするものの筆頭は、日本のサプリメントだ。ベトナムでも売っているのだが、カルシウムやビタミンなど一般的なモノから、日本人が見たことも聞いたこともないようなサプリメントを依頼されている。 中には怪しげなキノコの成分のサプリなど、ネット通販でしか買えないものをリクエストされる。 お父さんもベトナム人副社長に頼まれて、高級なサプリメントを買うことがあるが、人便3万円もするようなサプリメントを頼まれることがある。正直言ってこんなもの効かないと思うのだが、「これでガンが治った人がいる」とか言っているので、どうにもならない。商品が代引きでしか購入できないので、お母さんに現金を渡して受け取ってもらっているのだが、宅配便の人も「この人大丈夫か?」と思っているに違いない。 現在のベトナムでは日本の食料品がかなり変えるようになっているので、昔に比べると食品を購入することは減った。昔は生卵や納豆、サケフレークや生の牛肉まで持っていったことがある。 今では生卵も納豆も普通にハノイで購入できるので、この手の食品を買うことは無くなった。生卵などは、厳重に梱包しても割れてしまうことが多々あって、スーツケースを洗うのに苦労したものである。 今回のベトナム行きで量が多いのは、吉野家の牛丼のレトルトである。現在我が家の冷凍庫には、60食ほどの牛丼が所狭しと詰まっている。お母さんから毎回文句が出るが、ネットで大量注文した方が安いので、1週間ほど我慢してもらうしかない。その分我が家の冷凍食品の購入が止まるのだが、致し方ない。 昔はダイソーのちょっとした小物でも大喜びしていたのだが、今やダイソーもハノイにある。ベトナム人もお土産なら何でも良いというわけでは無くなってしまった。それだけ国力が上がったのだと感じる。 お土産の文化は日本以上に強い国なので、親しい人にはお土産が必須である。お父さんの場合はメインは副社長だけだが、かなりのお金持ちなのでリクエストが半端ない。今回もスーツケースの容量と重量を意識しながらいろいろ購入している。
2024.04.24
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夫婦と言うのは、外からみただけではわからない二人だけの関係というのがある。仲がよさそうに見えても、実は関係が冷え切っている夫婦もいるだろうし、仲が悪そうに見えても実は仲が良い夫婦と言うのも当たり前に存在している。 亭主関白とかかかあ天下というのも、外から見ているだけではわからないものである。これは場合によっては、身内や親子でも誤解をするもである。だから外からみた雰囲気だけで勝手に夫婦の関係を断定することhあかなり危険である。 まだ長女が小学校の低学年の時に、お母さんが冗談で「離婚する」とか「出ていく」とよく言っていた。お父さんはそれが冗談だとわかっていたが、小学生には理解できなかったようだ。最初のうちは、お父さんに「お母さんと仲良くして」と言っていたが、ついにはお母さんの母親(つまり娘から見て祖母)に相談したようだ。 ある日祖母が家に遊びに来た時に、娘に「見た感じ大丈夫だから安心しなさい」と言っているのを聞いた。「ただじゃれ合っているに過ぎないから」と話していたが、娘はまだ不安そうだった。お父さんは仲が良いとは言えない両親の元で育ったので、「離婚」などと言う危ない言葉は使わないのだが、お母さんはとても仲の良い両親の元で育ったので、あまり意識せずに「離婚」という言葉を当時使っていた。親としてこれはダメだということになり、お母さんもだいぶそういう言葉は使わなくなったが、今でもたまに出てくるのは、親の仲を不安視した経験がないからだろう。 さて、今回お父さんがこのような話を書こうと思ってきっかけは、次女が突然「お父さんが働いて稼いでいるのに、お母さんが威張っているのはおかしい」と発言したからだ。本気で言っているというよりも、お母さんがお父さんに強い態度に出ているのを見て、ぽろっと出た言葉だったように思う。 お父さんは、「あぶない」と瞬時に感じた。仕事もしていない学生が、たまにはまる危ない考えである。 即座に娘に「お父さんとお母さんは仕事を分担しているのだから、どっちが上とかはない」と話した。お父さんは確かに我が家で唯一の稼ぎ手ではあるが、お母さんは家の事、子供の事をすべてやっているのだと。そしてお父さんとお母さんはそれをお互いに納得している。お父さんには家事も子育てもできないので、お父さんが上という考えはダメだよと諭した。 ここで「その通り」などと娘の発言にふざけて乗ってしまったら、取り返しのつかないことになりかねない。 子供は単純に世の中を見るので、鋭いことを言う反面、思い違いも多々ある。特に思春期には、人間関係の中でも上下関係に敏感になるので、今回の発言が出てきたのだろう。「危ない」と思いつつも、次女も成長しているのだと感じた瞬間だった。
2024.04.23
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お父さんはもう5年以上、糖尿病の治療で定期的に病院通いをしている。今の糖尿病の先生は、お父さんが睡眠時無呼吸症候群の治療を始めた時の先生が紹介してくれた総合病院の消化器内科の先生である。 それまで通っていた町医者で糖尿病の治療を始めたことを伝えたら、きちんと専門医にかかるようにと無理やり紹介させられた先生だ。 毎月のように、体重が減らない(増えた)と怒られながら、ずっと今の先生に診てもらっている。総合病院だし、毎回血液検査もしているので、結構時間がかかる。会社を休んでいかなければならないので、最初は元の町医者に戻そうかと考えていたのだが、専門知識はきちんとあること、数値が悪いと怒るのだけれど、意外とお父さんと馬が合うことなどで、ずっと治療を続けていた。 ところが先日、突然「異動することになった」と伝えられた。今は家から来るまで10分ほどの病院なのだが、異動先は車で50分はかかる病院になる。さらに総合病院程設備が整っていないので、検査などにも時間がかかるという。 睡眠時無呼吸症候群の治療と合わせて1日係だったのだが、糖尿病の治療だけで1日かかるようになってしまう。 先生に着いていくか、それとも別の先生を探すか悩んだのだが、無呼吸もその先生が診ることができると聞いて、先生に着いていくことに決めた。 一番の問題は、お父さんが長期でベトナムにいる間に、お母さんに薬を取りに行ってもらうのが大変になることだ。お母さんとも相談したが、とりあえず何とか行ってくれるということになった。文句を言いつつも最後はやってくれるのがお母さんだ。お父さんはとても感謝している。 それにしても、医師にも異動があるということと、田舎なので替わりの医師がいないことでこれだけ苦労することになる。患者が増えているのだから、医師の数ももっと増やしていくべきだと思う。 医師が増えても東北の田舎町で医師をしようという人は少ないかもしれないが、まずは絶対数を増やしてほしいと願っている。
2024.04.22
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お父さんの住む東北の田舎町は、大手の外食チェーン店があまり進出していない。全くないわけでは無いが、大手が進出するには人口などの縛りをクリアできないのだと思う。半径50キロ以内とかで考えれば、それなりにいろいろあるのだが、田舎とはいえ気軽に行けない距離である。 大手チェーンが入ってこないので、昔ながらの個人営業の店がいまだにかなり残っている。昭和の昔から残っている店も多く、見た目が古めかしくて気軽に入ろうと思う雰囲気ではない店もそれなりにある。 そんなわけで、お父さんたち家族が今の町に住むようになってから、雰囲気が怪しくて10年以上一度も入ったことのない店というのが近所に数件ある。外食好きで、とりあえず入ってみようというお父さんでも躊躇するようなお店ばかりである。 そもそもお客さんが入っているのをあまり見ないし、同僚などに聞いても行ったことがないと言われることが多い店ばかりだ。 先日長女とラーメン屋に昼食に出たら、お目当てのラーメン屋が臨時休業でやっていなかった。そこで長女とどこへ行こうか話した時に、冗談で行ったことのない怪しい店の名前を出したら、以外にも長女が「行ってみよう」と乗ってきてしまった。 かなり躊躇したが、お父さんから店の名前を出してしまったし、長女が行くというなら否定するのもおかしいと思い、思い切ってその店の暖簾をくぐった。 店の外に意味の分からない人形などが飾ってあり、建物もかなり古い。仲もかなり汚いと予想していたのだが、意外に普通の定食屋だった。 メニューがやたら多いのも、昔ながらの定食屋だと感じた。壁に様々なメニューが張ってある。そして昼時とはいえお父さんたち以外にもお客さんがいたことで、結構安心した。 おすすめを店員に聞いたら、ラーメン2種類と定食2種類を勧められた。定食屋なので、長女とそれぞれの定食を注文したのだが、あとから入ってきたお客さんが、結構ラーメンを注文していたので、ラーメンも美味しいのだと思った。 運ばれてきた定食は、昔ながらの田舎の定食屋と感じさせるに十分なボリュームだった。やはり盛りが少ないとお客さんが来ない時代から頑張っているのだろう。全部食べられるか不安になるぐらい、おかずもご飯も量が多かった。 味はこれまた昔ながらの濃い目の味で、ご飯がすすんだ。きっと営業を始めた頃は、多くのお客さんでにぎわっていたと思う。 今回10年以上敬遠していた定食屋が意外に良かったことで、まだ行っていない他の怪しげなお店にも行ってみようかという気になってしまった。お母さんが低糖質ダイエットが終わったら、次は怪しげな洋食屋にチャレンジしてみようと思っている。
2024.04.21
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先日息子が週末に学校の同級生と一日遊びに行くとお母さんから聞いた。高校生なのだから、別にどこへ行こうとかまわないのだが、予備校を1日休むという意味で、親の許可を取りに来たようだ。オンデマンドのビデオ講義なので、別にきちんと月ごとの計画をこなしていれば、文句をいうことはない。ただ3月に計画をクリアできなかったので、それもあって話をしてきたとお父さんは思っている。 さて、息子に「どこへ行くのか?」と聞いたら、まだ決まっていないという話だった。行き先も決めずに遊びに行くことだけ決めるというのは、長期的に計画が必要な場合はわかるが、2日後に遊びに行くのに行き先が決まっていないということに驚いてしまった。 ちなみに前日になって長距離バスで都会に遊びにいくということに決まったようだ。 朝6時の始発の高速バスに乗ることが決まり、行き先も決まったのだが、息子に聞くと現地でどこに行くのかまではまだ決まっておらず、現地に着いてから決めることになったらしい。 自分が高校生の頃、ここまで無計画に遊びに行った記憶はないのだが、意味なく誰かの家に集まったり、とりあえずどこかへいこうみたいな会話はあった気がするので、高校生男子の遊びなどその程度なのだろう。 実際に何して遊ぶかよりも、誰と遊ぶかの方が大きな問題なのだと思う。仲が良い友達同士なら、何をやっていてもそれなりに楽しいモノである。息子も朝6時に出発して、仲の良い友達と話をしているだけで楽しいのだと思う。 結局現地では映画を見たり、ショッピングをしたりして楽しんできたようだ。夜8時ごろに家にもどってきたが、とても満足していた。最近の子供は友達と集まってもゲームをしているだけと聞くので、目的がなくても遠出して遊ぼうという息子の友人たちに少し交換を持った。高校生男子はそれぐらい無計画に遊ばないと、面白くない。 一つだけ不満があるとするならば、男ばかりで息子が遊んでいることだ。高校生男子といえば、異性にもかなり興味がある年頃のはずである。高校生女子だって同じだろう。もう少し異性との交流をしてほしいというのは、過ぎた願いなのだろうか。
2024.04.20
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昨年ベトナムに滞在中に、地元に近い海でワタリガニ(ガザミ)を釣る動画をYOUTUBEで見た。帰国したのが昨年の12月だったので、すでにシーズンを過ぎていたのだが、とにかくカニが釣りたくてずっとシーズンを待っていた。ワタリガニのシーズンにはまだ早いのだが、「クリガニ」という市場にはあまり出回らないカニが、3月から釣れるということを聞いた。 大きさは甲羅の横幅が5cm前後のカニで、とげとげしているのでクリガニと言うらしい。身を食べるほど大きいカニではないが、出汁にしてカニ汁や鍋の出汁にするとかなり美味しいと聞いた。 頑張ってほじればカニ肉もそれなりに美味しいらしい。 釣れる釣り場を探して、YOUTUBEなどの動画と地図を照らし合わせて釣り場を決めた。後は一緒に行くメンバーだ。息子は部活と予備校で忙しい。長女はすでに大学で家にいない。お母さんはアウトドアNGの人なので、自然とターゲットは次女だけになる。 気分屋の次女をその気にさせるために、次女にクリガニが爆釣している動画を見せて、誘ってみた。思惑通りに次女が「行く」と言ったときは「よし!」と心の中でガッツポーズを決めた。 いろいろと調べて、カニを釣るためのエサを、「イワシ・イカ・レバー」の3種類用意して、次女と朝早くから出かけた。 釣り場について、仕掛けを投入したが、風が冷たくてまだ釣りには厳しい日であった。カニ釣りというのは、魚の様にアタリがビビビッと来るわけでは無い。一定時間仕掛けを沈めておいて、定期的にゆっくりと巻き上げるだけだ。 仕掛けを投げて車の中で15分から20分ほど待って巻き上げ、また仕掛けを投げ入れて待つの繰り返しだった。動画の様にバンバン釣れたわけでは無いが、3時間ほどで4匹のカニを釣ることができた。 カニ釣りの最中に、漁港の漁師さんが仕掛けたクリガニ採りのカニかごを引き上げているのを見ることができた。中にサンマが刺してあり、カニがニオイに釣られてはいると出られなくなるというネズミ捕りみたいな仕掛けだった。 そして引き上げたカニかごには、釣りをするのが馬鹿らしくなるほどのクリガニが入っていた。 その漁師さんに聞くと、クリガニを釣りたかったら、昼間より夜の方が良いこと、クリガニは夜になると漁港の壁面に出てくるので網ですくった方が簡単に取れることを教えてもらった。 2週間後、長女が春休みで自宅に帰ってきたので、カニを採りに行こうと誘ったら、あっさり承諾を得た。今度は釣り竿ではなくタモをもって同じ漁港に向かった。無論時間は夜である。夜9時前ぐらいに漁港に着いて、さっそく懐中電灯で探したところ、確かにカニはいた。ただし岸壁はそれなりに貝などが貼り付いて凸凹しており、簡単にカニを採ることはできなかった。 取れたり逃げられたりを繰り返して、2時間ほどで6匹のカニを捕まえることができた。帰りに長女と深夜のラーメンを食べて帰ってきたが、なかなかに楽しかった。 とらえたカニは、出汁を取った後、家族で身をほじってみた。大きなカニの様にガブッと食べられるような身ではないので、カニ風味の鍋を食べて、締めの雑炊にカニ肉を入れて家族で食べた。とても美味しかった。 先日長女と別件で港町に行ったときに、市場を冷やかしに言ったら、クリガニが売っていた。お父さんが捕まえたカニより一回りは大きいカニだった。値段は5匹で200円。頑張って釣って、美味しく食べたと満足していたお父さんは、かなりがっかりしてしまった。 長女や次女と頑張って釣ったりつかまえたりしたカニが、5匹で200円とはあまりではないだろうか。 ちなみにそのあと近所のスーパーでも茹でたクリガニを見かけたがこちらは1匹160円とやや高価だった。それでも5匹で800円だ。またお母さんに「買った方が簡単で安い」と言われてしまった。 それでもとれたての新鮮なカニは美味しかったし、娘たちと一緒にカニ採りをしたことは良い思い出になった。機会があればまたやってみたいと思う。夏になったら、今度はワタリガニ釣りに挑戦するつもりだ。どうやって娘を連れだそうか、作戦を立てなくては。
2024.04.19
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パワーストーンというものが世の中にはある。ある種の石(天然石や宝石など)は神秘的な力を持っていて、持ち主に影響を与えるというものだ。お父さんは10年ほど前までパワーストーンというものを知らなかった。 10年ほど前に、お母さんの友人がパワーストーンというものを販売していると、購入したパワーストーンのブレスレットをお母さんに見せられて初めて知った。 オカルト系の話が大好きなお父さんは、お母さんに頼んでお店に予約を入れてもらい、初めてパワーストーンのお店に出かけた。 宝石でもなく、ただの石とも違うパワーストーンの世界は、なかなかに面白かった。それほど信じているわけでもなかったが、不思議なことに石によって手に持っているだけで手が痛くなる石があったり、触っているだけで気持ちよく感じる石があり、とても面白かった。 お母さんとこれまでに数個のパワーストーンでブレスレットを作っている。極めつけは、先日小樽に行ったときにふらりと寄ったパワーストーンのお店で、手相をみてその人に合うパワーストーンを選んでくれるというお店で作ったブレスレットだ。こちらはかなり高額だった。 先日お母さんが小樽で作ったパワーストーンが割れたというので、メンテナンスに出したところ、石が弱っていて使えないものが多いとの診断を受けたらしい。地元で購入したパワーストーンでも、お父さんは何度か「石の力がなくなった」という診断を受けていたのだが、同時に小樽で作ったお母さんのパワーストーンがメンテナンス時期なら、お父さんのも見てもらおうと思い、メンテナンスに出した。 結果は、「ほぼすべての石の力がなくなっている」だった。数種類の石が使われていたのだが、ほとんどが消耗しているということであった。店主から提示された新規の石はかなり高額で、正直とても悩んだが、最近は「悩んだら買う」ことにしているので、一晩考えはしたものの、購入を決めた。 戻ってきたというか、ほぼ新規になったブレスレットはつけてみると確かに温かみを感じるようで、「パワーがある」と思った。現在その新しいブレスレットをしているが、なかなかに気分が良い。 心配なのは、また1年後にメンテナンスをと言われているが、今回と同様にほとんどの石が消耗していると言われたらどうしようということだ。 今回もかなり悩むほどの金額だったが、1年ごとに同様の金額を支払うのはかなりきつい。科学的な根拠がないパワーストーンはある意味「気持ちの問題」である。 昔から新興宗教がツボなどを信者に買わせる商売をしているが、パワーストーンもある意味似ているかもしれない。今なら宗教にはまった人が、高額な壺を買う気持ちがわからなくはない。
2024.04.18
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先日大谷選手が結婚したという報道が世界中を駆け巡った。まあ実際騒いでいたのは日本人だけだと思うが、大谷選手と言う今日本で最も注目されている男の一人が結婚したというのは、実に日本人にとっては興味深いニュースだったと思う。お父さんも、相手は誰なのだろうと興味を持った。 その後特に隠すそぶりもなく、結婚相手の名前も画像もネット上に出てきたし、韓国での開幕戦では同行している妻の写真も出てきたし、テレビ中継でスタンドで応援する姿も何度となく映されていた。 相手は女子バスケットボールの日本代表にもなっていた女性で、一流スポーツマン同士の結婚である。 その報道を家族で見ていて、お父さんは息子に「お前はお父さんの子供でよかったな」とつぶやいた。大谷が独身の頃は、大谷の親にはなりたくないというのが口癖だった。日本中が息子の一挙手一投足に注目している。当然親もそういう目で見られるのは間違いない。大谷の両親なら、それだけで国会議員になれるぐらいの人気である。 ただ怪我一つですべてが終わる可能性のあるスタープレイヤーの親など心配で心配でゆっくり応援もできないと思う。今回の水原通訳の事件でも神経をすり減らしていることだろう。それでもまだ本業の野球で活躍しているから何とかなっているが、スランプに陥って打てなくなったりしたらと思うとやはりつらいのではないだろうか。毎日息子の動向をテレビで見るという生活に、お父さんだったら耐えられないと思う。 さて息子に言った「よかったな」とは、大谷の子供は否応なく注目されてしまうだろうということから来ている。近所の大人から子供、学校の先生や同級生、身近な人から縁もない人まですべてが「大谷翔平の息子」として接してくるのは間違いない。 お父さんの近くにいたら、やはり「大谷の息子」として見てしまうと思う。 もし努力して何かの分野で有名になったとしても、常に「大谷翔平の息子」という立場からは逃れられず、これは大谷翔平を記憶している人がこの世から去るまで続いていくだろう。 さらには億の金を稼ぐ男の息子だと、犯罪に巻き込まれる可能性も大いにある。親がすごいからと言って、子供が幸せになれるとは思えない。むしろ不幸なことが多いのではないだろうか。 お父さんの息子の様に、無名で誰からも注目されない人生がどれほど幸福なモノかと息子に説いてしまった。親が有名で、息子や娘がそれと同等かそれ以上の能力を持っていれば、何とか精神を保つことができるかもしれないが、そうでない限りはあまり幸せになることはないとお父さんは思っている。 実名は上げないが、それなりに有名になっている2世達の中で、親以上に活躍できる人は少ない。その一方で、無理やり引きずり出されるにしろ、自分から望んでなるにしろ、親と同じような職業について、つぶれてしまう人たちのなんと多いことだろうか。お父さんの息子や娘に生まれてラッキーかどうかはわからないが、親と比べて一生を過ごす大谷選手の子供に生まれなかったことは、ラッキーだと思う。
2024.04.16
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最近お父さんの会社の社長が、とてもやる気を出しているのだが、結構空回りしていて対応するのが難しくなっている。お父さんの会社の社長はとてもまじめで、常に会社の事を真剣に考えて行動している。お父さんよりも間違いなくまじめで真剣である。 ここ数年、経営者用のセミナーや経営者同士の勉強会などに積極的に参加していて、会社をよくしようと必死になっているのがよくわかる。 勉強会などで学んだことを、会社に導入しようと次から次へと新たな取り組みを提案してくるので、お父さんは準備や対応に追われる日々である。 さて、そんな社長が最近「社員と面談して直接意見を聞く」ということを始めた。全社員ではなく、若手(30代以下)で今後の主力として会社を盛り上げてもらうと想定されている人達である。 面談が終わるたびにいろいろと聞かされるのだが、社長は一番重要な前提を無視しているので、面談内容に沿って社内改革をすることに大きな抵抗が出てきている。 社長が知るべき前提は、「いきなり社長に呼び出されて面談などしても、普段社長との接点がない若手がいきなり本音など話したりはしない」と言うことである。 社長が自分で直接面談したという気持ちはわからなくはない。部下から上がってくる報告だけでは、フィルターがかかって本音が届いていないのではないかという不安。また社長が直接話を聞くことで、若手が望むことを素早く実施できるなど、理想的な面談ができればメリットは大きいだろう。 しかしながら、現実は「社長は若手から直接本音を聞くことはできない」である。お父さんが20歳代で、いきなり社長に呼び出されて面談をしたとしても、本音で話すことなどできないと思う。ましてや会社の悪口になるような問題点を、社長に言うなど常識的な人間にはできない。話すことは「自分は頑張っています」というアピールぐらいだろう。社長の覚えをめでたくする方に重きが置かれるのが普通である。 そのため面談を終えた社長は基本的に機嫌がよい。自社の社員はまじめで前向きだと感じてしまうのだと思う。実際に直属の上司に会社を辞めたいと相談している社員ですら、社長の前では前向きな発言しかしていない。 社長は「何も気にせず本音を言ってくれ」と前置きしているようだが、宴会の「無礼講」と同じで、そんな言葉一つで社員が「なんでも言ってしまおう」とはならない。 社長はオーナーの息子という立場で大学を卒業してすぐに入社してきたと聞いている。一般社員として働いた経験がないので、若手社員が会社上層部に感じる距離感を理解していないのだろうと思う。 セミナーなどでは、社員の声を直接聞いた方が、会社の現実がわかるなどと聞いてくると、まじめな社長はすぐにそれを実施してしまう。もうワンクッション入れて、どうすれば社員の本音を引き出せるのかを考えてほしいのだが、そういう意見を言うと、「社長と社員の分断を画策している」ぐらいに捉えられてしまうので、うかつに意見も言えない状態だ。 たまに社長と話をするときに、社長に意見をするときは、幹部社員でも勇気がいるので、社員から社長に意見が出た時は「かなり重要な問題」としてとらえてほしいお願いしているのだが、社長は「誰とでもフランクに話せる威張らない社長」と自分を評価しているので、理解してもらえない。 オーナーの息子なので、社長が下々の事を経験していないのは致し方ないことではあるのだろうが、もう少し現実を理解してほしいと心から願っている。
2024.04.13
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最近会社に新入社員のためのセミナー関係の資料がよく送られてくる。新人教育はどの会社にとっても重要かつ難しいモノなので、外部教育的なモノも需要はあるのだろうと思う。お父さんの会社でも以前から新人教育のセミナーに新人を参加させたことは何度もある。 通常外部の教育やセミナーなどに社員が参加した場合は、報告書を提出する。基本的にはどの会社も似たようなことをしていると思うが、新人教育のセミナーに参加した社員の報告書を読んで、「ああ、良いことを学んできてくれた」と思うことはほとんどない。 一般的な社会人としてのマナーや心構えを教えるだけなのだろうから、それほど有意義とも思えないが、専門的なセミナーなどに比べると、何を学んできたのかよくわからないというものが多いと思うのがお父さんの感想だ。 ちなみに社内でも新人の教育は行うのだが、お父さんの会社の様に小さな中小企業では、教育体系が確立されているわけでは無いので、社員の成長は結局当人の仕事や考え方次第となることが多い。 それでも技術習得用テキストなどを作ってもう何年も新人教育を続けている。無論目立った成果が出ることはない。 最近というかもう10年以上、価値観が多様化しすぎていて、会社が一つの価値観をどんなに説いてもあまり意味をなさなくなっていると感じる。社会通念も「ありのままの自分を大事に」とか「会社の言いなりになるのは良いことではない」という考えの方が強くなっているように思う。 なのでお父さんたちに世代が考える「社会人とは」と言うのを教えても、若い世代にはピンとこないと感じている。 同時に、画一化したマニュアルや教本で全体に教育をしても、それで人が育つことが昔に比べると少なくなってきていると感じる。 お父さんが学生というか子供の頃は、同世代の人数が多く多様性などという言葉もなかったけれど、今とは比較にならないほど多種多様な人がいた。人数が多すぎて一人一人が丁寧に指導されることなどなく、かなり雑に扱われていたと思う。ましてや自分なりのやり方でよく考えてやりましょうなどと教育されることはなく、画一的に「こうやれ」と育てられてきた。ついていけない人は落ちこぼれていくのが当たり前だったと思う。 今は出生率が下がり、学校なども生徒数が減っているので、1クラスの人数も少なく、そこに担任だけでなく副担任なども存在している。生徒は個性というものを認められて、やりたくないことはやらなくても構わないと教わって社会に出てくる。 この状態の人に、社会人とはこうあるべきと画一的に教えても効果は出ないだろう。新人と面談するとわかるのだが、基本的には自分の考えがトップにあり、同意できるものだけに従うという考え方のほうが圧倒的に多い。 良いとか悪いとかではなく、現実がそうなっているので、教育もそれに合わせることが今は必要になっている。学びたくない人に無理に学ばせることも場合によってはパワハラ扱いである。求人を出しても人が来ない会社が多い中で、新人はとても大切に育てられている。 一つのマニュアルで人を教育する時代はとっくに終わっているとお父さんは思う。ただし、それがお互いにとって幸せかどうかはよくわからない。お父さんも理解はしても今の新人の考え方に共感ができない。彼らが仕事を続けていき、社会の中心となったときに出来上がる世の中がどうなるのかで、ある程度は判断できるのかもしれない。
2024.04.11
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先日同僚に、どこか美味しいお店がないかという話になったときに、紹介されたお店があった。食事もデザートも美味しくてそれなりに安いのでおすすめだとのことだった。ネットで調べてみたが、やはり評価はそれなりに高かったので、子供達と食べに行ってみようと計画していた。 ところが子供達を3人連れていくとなると、なかなか時間を合わせることができずに1か月ほど経過してしまった。お店が朝から夜までやっていればよいのだが、昼営業と夜営業に分かれていて、一番時間がとれる夕方の時間帯に営業していないことがネックになっていた。 仕方がないので、長女と二人で週末に行ってみることにして、実際に楽しみにしながら1時間ほどかけてお店まで到着した。すると駐車場はいっぱいになっていて、お客さんが外まで行列を作っていた。 とてもではないが、ちょっと待てば入れるような人の数ではなかった。そこまでして食べたいというわけでは無いので、結局別のお店に行って食事をしてしまった。 どうやらそのお店が、お父さんが同僚に紹介された後に、全国放送の番組で紹介されてしまったらしい。そんな話をちらっと聞いていたが、田舎のお店がそれほど込むことはないだろうと高をくくっていた。ところがテレビの影響は、お父さんの想像をはるかに超えていたようだ。田舎の小さなお店が、驚くほどの行列を作っているのだから。 そういえば先日、テレビを見ていたら家から車で行ける範囲のお店がテレビで紹介されていた。夫婦でやっているような小さな定食屋で、地元の人が集まるだけのそれほど混雑もしていないお店だった。ボリュームと安さがすごいと紹介されていたが、お父さんはすでに量を食べることができなくなっているので、それほどの魅力はない。むしろ大量の食事を出す店には食べきることができないので行きたくないと思っている。 放送終了後に、先日行列であきらめた店を思い出してネットで混雑状況を調べてみた。それまでの平均的なお客さんの数の5倍ほどの人が訪れているようだ。行ってみてきたわけでは無いが、おそらくこのお店も外まで行列ができていることだろう。 夫婦でやっている定食屋にそんなに客が来たら、対応しきれないのではないかと思う。さらにボリュームがすごいと紹介されていたので、食材自体も切れてしまうのではないかと心配してしまう。 テレビで紹介されるということが、ここまで影響を持つのだということに改めて驚いてしまった。お父さんはこれからテレビで紹介されたお店にはなるべくいかないようにしようと思う。 一つ心配なのは、これまで常連だった地元の人が離れていき、テレビをみて訪れた遠方の人で混雑することで、テレビの影響が薄れた後に地元の人が来ない状態になっていることだ。客商売なので、遠方からの人を断ることもできないだろう。そしていつの間にか地元の客から嫌われて、一時の好景気が一気に不況になってしまう可能性がある。 テレビ局が責任を取ってくれるわけでは無いので、テレビで紹介されることが良いことなのか判断するのは難しい。
2024.04.10
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