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↑風車の可能性について、東大教授、荒川忠一さんが話しています。電力政策の見直し、菅総理、よく言っちゃったと思います。菅総理や民主党がたいへん悪く言われています。民主党の方を持つつもりはないし、言われて仕方のない部分はあると思います。そもそも菅さんは野党肌の人だから、総理として軽いのは仕方ないでしょう。薬害エイズのときだって、周りのスタッフがお膳立てして決断したのが菅さんだったようです。今回の浜岡原発の件も、ある意味菅さんだからこそ普通ならあれこれ考えて決断できないところを、決断できたのだと思います。50%の原発依存の将来像も、菅さんだからこそ見直しを言い出せるのでしょう。この後、菅さん自身には、正直あんまり期待できそうにないですが、政権を担うスタッフが菅さんの決断をどう活かすかにかかっていると思います。自民党が民主党を悪く言っているのは、どうかと思います。原発に関して言えば、政治と原発関連会社とのずぶずぶの関係を作ってきたのは自民党だったはずです。民主党はどちらかと言えば鳩山さんが所信演説で開口一番、自然エネルギーの活用を口にしたように、脱原発よりの立場であったと思います。民主党の中で原発推進なのは、元自民党であった議員が主であり、自民党は民主党を批判する前に、政権奪回をしたらどのようなエネルギー政策を遂行していくつもりなのかをちゃんと語るべきでしょう。政権奪回の目的はどちらかというと原発事業延命の方向を目指しているためではないかと思えてしまいます。自民党は批判ではなく、まず、反省から始めるべきではないでしょうか。最近はマスコミ対策か、自民党の中ではどちらかというと浮いている、脱原発派の河野太郎議員を論客としてよく送り出しているようです。河野太郎議員の父は、前回(1994年)政権奪還された折に自民党総裁になった河野洋平氏。洋平氏は結局総理大臣になることはありませんでした。親子で党がうまくいかないときに利用されているように思えます。太郎氏も、自民党になんかいないで、出ていけばいいのに。http://www.taro.org/movie/2009/08/genshiryokuhatsuden.phphttp://www.taro.org/2011/03/post-970.php↑さすが議員さんで、よくわかる数字を示しています。http://www.taro.org/2011/05/post-1010.php↑国会での質問も、バシバシやってほしいです。こうして数字を見せられると、原子力発電は安価であるなんて言うのは、いったいどういう算出基準でやっているのでしょうか?今回の事故による被害補償、使用済み核燃料の処理と管理や研究費・宣伝費・地域に対して補助金を交付等などを含めて、どれだけのコストがかかっているのかを誰かそこそこ信じられる数字をだしてくれんのでしょうか??
May 22, 2011
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さっき、腰と肩が痛くて横になっているうちに眠っていたところ、崩壊した学級を担任させられる夢を見て、吐き気がして目が覚めました(苦笑)。あー、日々心にプレッシャーを感じているのだなあというのがわかりました。自分でクラスを崩壊させてしまった経験はまだないものの、崩壊したクラスを「はいっ、頼むね」と、否応なくもたされたこと数回。担任外として崩壊したクラスに関わったことや校内暴力に荒れる中学校で教えていたこともあり、心の奥には消えない記憶が沈殿しています。全く話を聞く気のない子供、叱られてもうざいという反応しかない。人に迷惑をかけることへの罪の意識などさらさら感じていない。自分に利益をもたらさない他人は「モノ」程度にしか意識ができない・・・荒みきった子供たちの顔を忘れることはできません。これは、経験したものでないと分からない苦しさです。10年昔の管理職は、「教師がダメだからこうなるんだよ。俺なら絶対大丈夫。」なんて批判を他人事みたいに言って、何にもしてくれませんでした。確かに、教師の責任であるとは思います。でも、だったら、「あなたはこの事態に対して、子供へ(少なくとも子供は被害者です)の責任をどうとってくれているの。何か身を削ってやってくれているの??」と、言いたくもなります。ところが、それも、昔の話になりつつあります。最近は管理職も上記のように豪語できなくなってきています。管理職自身に崩壊した学級を担任した経験がある人が増えているからです。また、学級崩壊で担任が3人連続ノックアウトされ、最終責任で教頭が担任、ボロボロになってなんとか終業式を迎えた、などという話を聞くことが少なくありません。管理職拒否の教員が増えており、自治体によっては管理職試験の倍率が1倍を割っていると聞きます。管理職はヒラより大きい比率で給料が下げられ、ある自治体では同年代のヒラ教員を下回るという現象まで起きています。こんな学校を誰かがどうにかしなくてはならないのだろうけれど、こんな有様では誰にも責任を負ってられないという状態になっています。私も管理職拒否です。ある時、ある管理職の先輩からは、「管理職は年相応の当然の仕事。拒否は逃げだ!」と、お叱りを受けました。と、言われても、担任としてやりたいことがまだまだあるし、書類や会議の仕事は全然向いていないですし…担任が3人ノックアウトされた崩壊学級なんて、受け持ってられません。-------------------------------------- 学級崩壊が騒がれていた10年ほど前と比べて、質的量的に増えているのか減っているのか、情報は定かではありません。学級崩壊という言葉は1997年あたりから広く使われるようになっているのですが、どういう状態が学級崩壊なのか、公式な(文科省関連機関による)定義はありません。「学級崩壊」というセンセーショナルな言い方は公式には避けられており、「学級がうまく機能しない状況」(って、何?!)と表現されているからです。定義がないので、調査もないわけです。調査がなければ対策もありません。そんな状況なので、自分の学校の様子と、時々聞こえてくるとんでもない情報から、全体の様子を想像するしかありません。そんなところに、ニュースが。http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100306/dms1003061315002-n1.htm 学習院でさえコントロールができていない様子が報道されています。学習院の報道が過剰反応なのか、いや、もっと根の深い暗闇を抱えているのか、どちらかは分かりません。「学級崩壊」とまで書かれている報道もあるようですが、実際はどうなのでしょう。教員や管理職に責任があるような件なのかどうかも、真相は現場にいる人でないと分かりにくいでしょう。こうして報道されてしまったことによって、渦中にいる人たちにとっては大きなプレッシャーとなることだと思います。管理職は対応にたいへんでしょうし、もし管理職がろくでもない人たちなら、担任をはじめ、関連する教員はたまったものではないでしょう。あちらこちらから好き勝手な意見が噴出していると思います。誰かに責任を被せ、事情も分からず非難と批判をするだけの人間にはなりたくないと思います。自分としては、担任としてこの学校の現状の中、あと何ができるのかを、模索して、それを若い世代にどう伝えるかを考えていくかを考えていくのが仕事だと思ってやっていくしかないです。 【送料無料の梅肉エキス】紀州の赤本粒100g(約500粒)【梅エキス 南高梅 和歌山 紀州】[730270]価格:5184円(税込、送料別) (2018/7/15時点)
Mar 6, 2010
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麻生首相が、小渕内閣の政策を踏襲(ふしゅう)して、未曾有(みそゆう)のばら撒きをするも、自治体市民からの問い合わせ電話に頻繁(はんざつ)に対応しなければならないはめになってしまった。この手のフレーズ、いかにも飲み屋とか雑誌や新聞のコラムとかで、使われてそうです。私も漢字に関してはオバカ派ですが、上の3つは何とか間違わない、と、思います(笑)。 手厳しい批評で知られるコラムニストの勝谷誠彦氏は定額給付金について「バカ炸裂の政策。国の金をバラまいて、(政府ぐるみの選挙買収なんて)法治国家じゃない」と憤慨したそうです。↓http://www.zakzak.co.jp/top/200811/t2008111402_all.html ・・・お金をもらえるというのは、私も単純にうれしいです。しかし、喜んでいる場合でもない。私よりずっと裕福な人が私と同じだけ貰うことには何だか腹が立ちます。反対に、私たち公務員が平均的な給料を貰って平均的な生活を送っているのであれば、もっと苦しい生活を余儀なくされている方々のことを思うと、そんな金を貰っていていいのかとも思ってしまいます。経済的に苦しい事情があるわけでもない人が、こんな政策を本気で喜んでいるとしたら、ちょっと不思議な気がします。みんな、どうなんでしょう??もっと使うべき用途、上手な使い方があるはずです。やめろの大合唱にはならないのでしょうか??それにしても、人から集めたお金(血税)を使ってこんなに安々、堂々、平然とばら撒きをやってしまう政府って、いったいどういう感覚なんでしょうか。きっと他の分野でも私たちの分からないところで、平気でガンガンばら撒いている場合がたくさんあるのだろうなあ・・・と、思ってしまいました。多分、そんなんなんでしょう。
Nov 16, 2008
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普段はあまりテレビを見ないし、オリンピックはさらに見ない私なのですが、女子のソフトボールは準決勝のアメリカ戦から見てしまいました。上野選手の400球超の熱投にもろつきあった形になりました。たまたま家にいたこともあったのですが、何か引き寄せられるものがあったのだと思います。純粋さ、なのでしょう。打線が不信だったこともあり、上野選手にスポットライトが当たりがちなのですが、選手たちの守りの堅さも素晴らしかったです。ものすごい辛い練習をしてきたんだと思います。ここ何日か凱旋TV出演している様子もチェックしてみました。(8/25のNHKスペシャルがさすがに良かったと思います。)どの選手も非常に落ち着いた受け答えができるのに驚きました。浮き足立った様子がなく、素朴な雰囲気を持った選手ばかりです。選手としてだけではなく、一人前の社会人として教育されてきた指導者の方々にもリスペクトしたいです。素直さ、信じる気持ち、仲間への思いやり、努力・・・このチームには、日本人が失ってしまったものが、残っている。「サンデージャポン」に出演したときには、上野選手が「サンデージャポン」のことを知らないことも判明しました。TVを見る暇もあまりないんだろうと思います。2016年の復活へのアピールもあるのでしょう、この2週間ぐらいはTV出演は仕方がない面もあるでしょう。でも、ひととおり出たら、もう、メディアもそっとしておいてあげて欲しいと思います。あんまり、いじらないでいて欲しいです。
Aug 25, 2008
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PTA活動の様子も変わってきました。 地域によっては、運営する人もなく、PTA活動を廃止している学校もあるようです。今回は、私の住んでいる地域、、子供の小学校時代の話です。上の子の役員決めの時は、妻が、「夫婦とも教師なので申し訳ないけれど役員を外してもらえませんか」と願い出たとき、旧役員の選挙管理委員の方が、申し訳なさそうに、「悪いのですけれど、働いていることは、職種を問わず、辞退の理由にはならないんです。」ということで、仕方なく1年間、時間給をとりながら、PTA活動を続けました。ちなみに、教師には時間休という休み方が許されています。民間の方からは、羨ましがられることもあるのですが、教師優遇という意味でのせいどではありません。年休で休んだ方が楽でいいです。ギリギリまで教室にいることができるので、時間休の方が都合がよいのです。一般の会社でも、時間休をとれるところもあるそうです。あまりよく知らないですけれど。さて。下の子の役員決めの時のことです。妻は、「夫婦とも教師なので申し訳ないけれど役員を外してもらえませんか」と願い出ました。そのときの選挙管理委員の方をはじめ、集まっておられるお母さんたちの反応が異常に冷たく、即却下だったそうです。教師の免除を認めないと言うのは既定路線であったようです。教師バッシングの空気を感じたといっていました。なんか、怖いですね。地域差もあると思いますが、世代差も感じたということです。わずか2年ですが、上の子と下の子の親も、クラスも、ずいぶん雰囲気が違いました。親の世代交代のサイクルも急ピッチです。50/50が原則の我が家、仕方なく今度は私がクラス役員を引き受けました。私は、教師が住んでいる地域の学校へ関わっていくことは、とてもいいことだと思います。働いていると普段はほとんど地域の方と交わることがないという教師もけっこう多いので、PTA役員になって、交流をしてみるというのも、いい機会なのではないかと。民間企業に比べると、おそらく、教師は休暇が取りやすい部分もあると思います。教師は子供が熱を出した、風邪をひいたといって、年休を使い切るほど休むことが可能です。そういう職業はおそらく多くはないと思います。それを羨ましがられたり、教師がサボっているように取られたりすることがありますが、それはちょっと違うと思います。 会社側の思うがままに働かされることが当然のような社会の風潮はまずいと思います。仕事のためには家庭の事を犠牲にすることは当然では困ります。権利の濫用のような休み方は論外として、きちんと休暇をとる権利が守られている職場が存在することは、社会の公正さを保つという意味でも、存在意義があると思います。 ただ、授業時間を休まなくてはならないのは、痛いです。授業を休んでPTAの会議に出ました。私の地域は主婦の方が多く、会議慣れをされていないのか、とりとめもなく、話が長い。会議が終わったら職場へ戻りたい私は、時計をちらちら(ちなみに男は私だけ)見ていました。すると、「えーそれでは、健全育成部代表がなかなか決まらないので、くじ引きで決めたいと思います。 」と、選挙管理委員会。代表になどなると、どれだけ授業に穴を空けないといけなくなるか。私はたまらず、「すみません、勤めている者にもこのようにして例外なくPTA活動に会議に参加せよというのであるのなら、活動を6時以降か、土日、せめて午後からにするようにしていただかないと、とてもではないですが、代表などできません」と、発言してしまいました。すると、「えー、午後は幼稚園のお迎えがあるし・・・」と、誰かが言いかけましたが、さすがに、「はっと」したようです。それでみなさん、午後や夕刻や土日に集合するも困るようで、なんとか、代表のクジは辞退させてもらえました。私はくじを引かず、昼間の会議にも参加しない代わりに、夜間の補導活動の取りまとめ役をするというところで、話は落ち着きました。これも私が男だったから辞退できたのかもしれません。妻なら、強制的にくじを引く事態になったかも・・・それぞれに都合があり、 立場があり、守るべきものがあるのでしょう。特に教師がエライわけでもない。わかっています。一般より休みがとりやすい面もある。そうかもしれません。労働者と言う意味では主婦も含めてみな同等である。確かにそうです。・・・それにしても、教師もPTA活動に参加するのが当たり前というのは、さすがに、どうなんでしょうかと思ってしまいます。そのあたりは、護ってもらえてもいいような・・・
Jul 25, 2008
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教員採用試験での汚職が明るみに出ました。相当ひどいことをやっているようです。逮捕者まで出て、該当している不正合格者とその教師が勤めている現場は大混乱でしょう。子供がかわいそうです。数名の逮捕者を出して、スケープゴートにしたところで、幕引きでしょうか。調べていけば、こんなものではないだろうと言うのは、誰もが予測しているところだと思います。教員の世界のみならず、公務員関係は金品の受け渡しがないものまで含めると、かなりの人事上の不正が行われていると言われています。口利きというレベルであれは、ものすごい数です。私のような者でも、いろいろとご縁があり、採用試験を受けたときには、一次試験を合格すれば間違いなしという「話」がありました。結局「話」には乗らなくて、○浪するはめになりましたが(苦笑)・・・もう今年であきらめようと思って受験した年に何とか受かって、現在に至っています。採用試験のみならず、教員に関する人事はひどく不透明で、公正でない振る舞いがまかり通りやすくなってしまっています。公務員でなくとも、人事の基準や結果を示し、透明度を高めることは難しいとは思います。内部の者には改革はできません。この際、外部組織を入れて、きちんと根本から考え直すべきです。
Jul 11, 2008
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先日、NHKスペシャルで、秋葉原の通り魔事件を取り上げていました。途中から見たので全体の流れがどうだったか分からないのが残念です。NHKのアンケートに対して、「気持ちはわかる気がする」と回答している人が多かった(加藤容疑者のしたことは許せないとした上で)のに、私は不思議というより「ああ、そうなんだな」という感覚の方が強いです。加藤容疑者のように孤独や焦燥、そして狂気に陥る人が出ることは、今の社会ではどうしても避けがたい部分があるのではないかと思うのです。もちろん、孤独や焦燥に陥ったからといって、 みんながみんな、ナイフを振り回すということではありません。ある人は誰かに救われることもあるだろうし、ある人は自ら転機を見出すだろうし、ある人は鬱に沈むのだろうし、ある人は自殺に走るのだと思います。加藤容疑者が事件直前に「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり」 と掲示板に書き込んでいたとおり、数%の危うい人のうちの、数%が本当に犯罪や自殺に走るのだろうと思うのです。NHKは「家族の崩壊」「"派遣"労働の不安」「社会からの孤立」をキーワードに挙げていたようです。その中で、「"派遣"労働の不安」は、若い人たちにとっては、本当に申し訳ないくらい厳しいものだと思います。派遣制度そのものが全面的に悪いとも思いませんが、都合のよい首切り制度になってしまっているという面は否めません。働くということは、生きていくうえで自己存在感を得る大きな要素ではないかと思うのです。会社勤めをしている同世代の人たちの話を聞いていると、職場の厳しさに驚かされることがあります。厳しい雇用状態があり、そこにさえ受け入れてもらえない若い人たちが増えていることについて、実に痛々しく思ってしまいます。正社員を続ける我慢ができない人には、「派遣」「フリーター」という逃げ場を社会が用意してくれているわけです。しかし、その逃げ場にはそれほどのそこからの展望があるわけでもなく・・・。自分が教えてきた子供たちが、そんな逃げ場に足を踏み入れ、動けなくなってしまっているとしたら、実に悲しく思います。実際、そうなっている教え子を何人か知っています。新学力観(児童中心主義)の下、たくさんの選択肢があるかのように育てられた彼ら。耐性に乏しい彼ら。仲間作りが苦手な彼ら・・・。とは言うものの、25歳前後世代だけがこう ↑ だと言うのではありません。その後の世代はもっとその傾向を強めています。加えて、「家族の崩壊」という状態は、ここ10年で極めて悪化しています。このままでは、いきつくところは社会の大崩壊ではないかと思ってしまいます。 私の世代、「宮崎勤-オウム」世代あたりから加速している社会の崩壊は、まだ中盤にさしかかっているぐらいだと思います。終盤へ突入する前に、なんとか手を打っていかなくてはならないと思います。働くということだけをとっても、私の世代で「ピーターパンシンドローム(大人になれない、なることを拒否、就職拒否)」と「男女雇用機会均等法(男尊社会の崩壊)」が始まっています。そこから「終身雇用の崩壊」「年功序列の崩壊」と、立て続けに起こる変化に、社会が十分に対応できないまま来てしまっているように思えます。世代間の不平等もずいぶんあります。そういった歪をもろに受けるのが耐性がどんどん落ちていきつつある若い世代であるとすれば、実に悲惨な状況ではないでしょうか。
Jun 23, 2008
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立て続けに起こるひどい事件のニュースの中でも、なぜかこの事件には最初から強い関心を持ちました。どの事件も社会を映し出しているのでしょうけれども、おそらくこの事件は「社会」が生み出したという性格がより強いのではないかと思います。この一週間、次々に事件・容疑者にまつわる情報が流れました。・友達や彼女をほしがっていた。---現代人の孤独の問題・青森県という地方性---容疑者の家族・地方というしがらみからの脱却と挫折・ネット上でさえ孤独に陥り暴発?・容疑者は教職志望をしていた時期もあり、会社の後輩からは兄貴分的存在という証言もあった。・犯人が酒鬼薔薇世代、犯行日は池田小学校殺傷事件と同一日---母親は酒鬼薔薇事件当時から息子を怖いと思っていた・オタク要素の強い犯人が秋葉原という場所を選んだ---犯人のオタク要素に関する報道・両親の謝罪---泣き崩れる母親を映すTV・携帯サイトへの異様な書き込み・ネット上での容疑者への憎悪的書き込み(「世の中が嫌になったら自殺するべきだった」等)と同情論と同情論への反発・事故現場を携帯で映す群集と携帯で写す群集への非難---野次馬の写真がネットで晒される・派遣社員---派遣先はトヨタ関連の関東自動車工業株式会社、この会社は事件に関するリリースをHPで発表している→http://www.kanto-aw.co.jp/などの断片的な情報が、私の印象に強く残っています。孤独であった、格差社会の弱者であったなどという背景があるからといって、容疑者に同情するわけにはいきません。それでも、この事件が問いかけていることは大きいように思います。十数年前、私はこの容疑者の世代を担任し、キレル子供に初めて遭遇しました。それまでの暴力的な子供とは異なった、その後の世代に多く見られる様相です。自己愛、万能感、孤独感、意外な優しさを持ち合わせる、親が子供の土俵に降りてしまい兄弟げんか状態になる・・・・戦後、私たちは鬱陶しいしがらみからの脱却を図ってきたように思います。クールに個人主義を通すことが容易になってきて、脱却には一部成功したものの、しがらみに代わる人間の繋がり方を見つけられないまま、現代人は危ない社会の中を彷徨しているようなイメージがあります。社会全体が多機能不全に陥っているような・・・残念ながら今回の事件が起こったことに対して、それほど不思議に思えない自分がいます。教育現場にいると、彷徨する群れから脱落していきそうな可能性のある子供たちがたくさんみかけられます。確かにひどい事件ではあるものの、「こんな社会であれば、いつかはこんな事件も起こってしまうだろうなあ。」と、思ってしまいます。背景は複雑で、「はい、解決されました」という次元の問題ではないと思います。それでも、私たちはこの事件の社会的背景について、ひとつひとつ、じっくり考え直す必要があるのではないかと思います。
Jun 14, 2008
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昨年、ちょっと研究がてらに、自分の小学生時代(35年ほど前)~現代の国語教科書を見てみることがありました。光村図書です。それほど詳しく調べてみたわけではありませんが、20年ほど前から、教条的(道徳的)な内容の説明文・物語文が減ってきていることに気がつきました。「てぶくろを買いに」「最後の授業」なんて話は、ずいぶん心に残ったのですが・・・伝記も昔は4年生以上の教科書には必ずといっていいほど出ている事にも気がつきました。山田耕作・田中正造・アンリー=デュナン ・・・今は、6年生で宮沢賢治の一部を紹介している程度です。テレビもそうなんですが、私たちの世代はかろうじて、どこからか、道徳的な情報を注入(笑)されていたように思います。今の時代、放っておけば、どこからも、少しも、道徳的な心情に触れることなく育ってしまいます。親も子も、道徳なんてスルーです。宗教のことも含めて、いつかこのブログでも、このことについてシリーズで考えてみたいと思っています。私自身はたいがい不道徳な人間ですが・・・学力低下も気になるところですが、同時に、モラル低下もまた、気になるところです。教科書の変遷と、モラル低下は何らかの関連があるのではないかと考えています。ちなみに、光村図書は最近、昭和46年~の国語教科書復刻版を出しています。学校の図書室とかに置いておくのもいいかと思います。http://item.rakuten.co.jp/book/1464982/
Mar 8, 2008
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先日も情報教育関係の某会議に出席したのですが、そこで計画された来年度の研修の7割方は「無意味」に思えました。単に恒例の研究大会(枠組み)があるから公開授業をする、研究発表するといった雰囲気です。高速道路建設に代表されるハコモノ行政とよく似ています。それでは、発展性がありません。研究内容にどれだけの成果があったのか、あるいは期待できるのか。研究内容がどれだけ一般の教室に普及する可能性があるのか。もっと戦略的に物事を考えなければ、授業公開あるいは研究発表をして、ハイ終わりということになってしまいます。普及という観点がないのです。趣味的または先進的な授業を研究・公開してしまっているように見えるのは私だけでしょうか。・・・これは、情報教育だけの話ではなく、学校関係の研究・研修全般について言えることでもあるかもしれません。情報化・・・情報機器活用が一般職員へ普及するために、とりあえず、思いつくことを書いてみます。1.教育事務の情報化教育事務はどの教員でもしなければならないことです。定型業務をパソコンでするようにしてしまえば、さわらない人も、さわらざるを得なくなります。まずは、成績処理・名簿処理・出席簿処理・保健事務処理・日録週録月録処理あたりの誰もがする事務から始めるとよいでしょう。やってみて、「ああ、楽で正確になった」という実感を持てるようになれば、もう少し情報化推進に目が行くのではないかと思います。2.民間人情報コーディネーターの起用民間人校長と同じように、委員会に民間人情報コーディネータを入れるべきです。人事主事(教員からの昇任)が情報を担当することが多いのですが、それをサポートする人が必要でしょう。少々情報に詳しい教員といっても、日々は児童生徒の指導に追われているわけですから、それほどの実力があるわけではありません。専門的なことは専門家のサポートを受けるべきです。各校に一人はほしいところですが、とうてい無理なので、数校に一人でも。少なくとも、中長期的ビジョンが必要な委員会での仕事は専門家が必要です。3.予算(情報機器)の集中的投入情報機器を公平に配ろうという配慮が仇になっているようにも思えます。平等主義で中途半端な予算を各校・各教室に中途半端な機器を導入しても、なかなか充実して使われることはありません。10年ほど前は、コンピュータ室に10台ほどのパソコンがあるだけといった状況がありました。これではどうしょうもありません。最近やっと、各校のコンピュータ室に40台(=「1人1台」と文部科学省はいう・・・ちがうちがう、「全校生に40台」でしょう!)になりましたので、少しは指導が楽です。それでも、使わない教師は使いません。使わない学校からは思い切って、機器を引き揚げ、使いたい(使える)学校・教師に集中的に予算を投入して、「なるほど、これならうまくいく」という先例を作っていく必要があると思います。4.専科制情報化が便利なのはわかっているけれど、情報化を推進するのには、かなりのエネルギーが必要です。高齢化している上に、たくさんの教科をこなさなくてはならない小学校では特に情報化は難しいです。情報化だけの話ではないのですが、小学校では少しでもよい授業を準備するために、専科制をとるべきだと思います。5.効果測定と情報化情報の広報情報化によって何が便利になって、どんな学習効果が現れたのかという効果測定をきちんとしていく必要がありますね。情報関係以外の研修でも、これは大事だと思うのです。その上で、効果が上がっている事業については、しっかりと、広く、教師に伝播するように広報活動にもっと力を入れるべきだと思います。
Feb 15, 2008
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IT化、なかなか進みません。文部科学省のページもごたごたと推進をうたっているものの、結局はどれも尻切れトンボになってしまっているような気がします。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/main18_a2.htm「eJAPAN戦略」とか何とか言っていたのも、いつの間にやらフェードアウト?教室にPC(ネット利用可なもの)とスキャナとプロジェクター(天井から固定)、スクリーンがあれば、ずいぶん授業革命ができると思います。32型の液晶テレビでもいいかと思っています。そういった機器が入るのがまだまだ先の話であるならば、自腹でやっちゃおうかなと作戦を考えています。これから地上波対応のために予算を使うのであれば、ついでに教室にプロジェクターとスクリーンだけでも導入して欲しいです。今はまだ、教室にそんなシステムがないので、よくPC室を独占して使っています。教科書をポンとスキャナに挟んでボタンを押せば、30秒でみんなの前に大きく提示できるのですから。(ついでにPC室に40台のPCがある学校なら、そのままひとりひとりの児童に簡単なドリル学習も組込めます)勿論、そんなものなくても子供たちが十分に話を聞き、想像力を働かせ、集中力を持続させることができるのは大事なのですけれどね。黒板とチョークで勝負ができる授業を組み立てることは、私たち教師になくてはならない能力なのだと思います。それとは別問題で、密度の高い授業を効率的に提供するという、私達の使命はあると思うのです。分かりやすくて、何が悪い?話を聞くのが苦手で、興味や集中力が続きにくい子どもには、視覚情報は有効だと思うのです。NHKもやっと、教育番組の大部分をウェブ上に流せるようにしてくれました。http://www.nhk.or.jp/school/時間割にTV視聴時間を容易に組み込めない最近の学校にとって、すごく便利です。これも、上記のシステムがあれば、PC室まで行かずに好きなときに教室で見られるようになります。それなのに、なかなか教室のIT化は進みません。全国展開をするには、確かに予算がかかってすぐにはできないと思います。どこか意欲的にIT化を推進する意志がある学校を指定校として予算をかけ、集中的に導入して、妥当なシステムの構成を研究し、その成果を図るとよいと思います。できるだけ予算がかからないシステム・どこの学校でも運用できる形を考案し、一般化という流れが欲しいです。※ 現状の指定校ではあまりにも予算をかけ過ぎた素人には難しいシステムを考案してしまう事が多く、指定校での成果の一般化は難しいです。
Feb 9, 2008
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モンスターペアレント!? 諸富祥彦 モンスターペアレント関連本は、昨年の間に数冊出ているようです。この本の副題は「親バカとカ親は紙一重」と衝撃的ですが、内容はずいぶんマイルドです(笑)。そもそも諸富教授は道徳関係の著書にも多く関わってこられていて、どちらかというと人格者というイメージです。私は、著者の諸富教授と同年齢なので、親近感を抱いてしまいます。私がこのブログで書き綴ってきたことと共通している部分も多く、うなずける事ばかりです。 このあたりの世代(1960年前半生まれ)が持っている感覚にある程度共通しているものがあるのではないかとも思いました。大学教授がこのようにきちんとした形で本に書かれているということは、実に意味があると思います。一介の教師である私がブログでぐだぐだ拙文を書いても、ただの愚痴に過ぎません。こういう方に、がんばってほしいです。私のブログを読んで共感する部分がある方には、特に読んでいただきたいと思います。-------------------------------- 諸富氏が著作の中で、松田聖子や「オレたち、ひょうきん族」に言及されている辺りは、「そうだよなあ」とうなずけるものがあります。今の親世代(我々)以降は、メディアに影響され、踊らされながら育ったことが特徴だと思います。第3章「日本の親はなぜ“劣化”したのか」の中で、困った親を(1)放任型(2)支配型(3)家来型(4)不平不満型、と、4つのタイプに分類されています。確かに、今の世代の親に共通する部分です。まとめの部分では、昔のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」に理想像を求めたり、「親バカ」を認めた上で「バカ親」にならないようにする心がけについて述べられています。このブログで紹介してきたなぜ日本人は劣化したか や 「悲鳴をあげる学校」 などと同じく、しっかりと現状認識を促すと言う意味で、この本も5つ星だと思います。
Jan 6, 2008
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前回のエントリーに七星 来人さんが、「力なんかつきません」と、力強いコメントを下さったように、ほとんどの学校の現状は、「英語やれと言われたから成果は上がらんがまあなんとなくやってます活動」のような調子になってしまっているのではないかと想像します。そもそも、ALTは外国では「日本観光ができて、給料をもらえる割のいい仕事」として紹介、理解されているような部分もあるみたいです。多くのALTはあまり教育熱心ではありません。体の良いバイト感覚ですから、日本人に英語がしゃべれるようになるように教えてあげようと言う情熱など元々持ち合わせているわけではないのです(中にはそんな人もいるとは思います)。ALT同志で気楽にパーティーなんかやりながら、日本滞在を楽しんでいるようです。そんな彼らを十分に英語活動の補助教師として活用するだけの技量は教育委員会にも学校にも、教師にも望めません。この忙しいのに、なんでそんなことに時間を費やさなければならないのでしょう??私は5人のALTと組みましたが、1人もろくに役立つ人はいませんでした。そりゃそうです。ちょろっと教育委員会から研修を受けるか、説明されただけでまともな授業に役立つようになど、普通に考えて無理に決まっています。「ナーンダ。ニホンジンッテ、ロクロクエイゴモ、デキナインダァーーー」程度に思って、適当に付き合っているだけのように見えます。授業中、子供とうまくコミュニケーションが取れなくなると、「honyarararahonyahonyarahonyarara」と、担任である私に普通に英語で何か話しかけてきます。私がその早口で訛った英語を理解できないと、怪訝な顔をします。英語圏の人って、なんでこんなに気が利かないのだろうかと、あきれてしまいます。ここは日本です。あなたたちALTが日常の発音・スピードでしゃべるのに教師が答えられるのであれば、ALTなんか必要ないだろうがっ!そもそも、ここは日本です。日本語でしゃべるべきです。私たち日本人が英語圏の国へ行ってあなたたちに日本語でしゃべりかけることがありますか?????ALTに限らず、英語圏の人って、非英語圏の人に、英語が理解できていない事が分かっていても、ベラベラ英語でしゃべってきますよね。英語は国際的標準語ですか??彼らは日本に来てさえも、道を尋ねるのに、英語で聞いてきます。日本人はまたそれにどぎまぎして、ご丁寧に、英語で答えようとする。英語活動より、愛国心の涵養のほうが先ではないかとさえ、感じてしまいます。愛国心の涵養に抵抗があると言われる方は、せめて国語教育の充実に一票を入れてください(笑)。
Nov 10, 2007
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総合的な学習の時間を減らすという発表をしました。年間コマ数、110時間から70時間ですから、40時間減です。その代わりに、英語を35時間導入するとか。あまり、賛成できない案です。総合的な学習は、0時間でいいと思います。放課後か、土曜日に希望者を募ってやればいい。それが本当の主体的・自主的な活動です。 そのための人員配置(予算付け)もよろしく、です。英語活動は、今のままならいりません。小学校ではALT(あしすたんとらんじゃーじてぃーちゃー?)という外国人講師が来ている学校が多いのですが、うまく回っていない事が多いようです。どの学年でも何年たっても、“Howdoyoudo”“Finethankyou”のワンパターンで始まり、色や動物の名前をあてっこする程度。ほとんど会話になるわけでもなく、ドリル的な学習をするわけでもないから、子供には何にも身に付きません。現在は年間5~10時間程度やっている学校が多いようです。これを年間35時間に引き伸ばしたところで、何か力が付くとは到底、思えません。結局のところ、英語活動(また、この活動と言うのが胡散臭いネーミング)は夢見がちな効果を期待して、導入してみて、失敗に終わった(にもかかわらず、ばっさりとやめることもできない)総合的な学習の延長戦でしかないように思えます。現場はまたもや振り回されて、予算は大事なところへは配分されません。某自治体は、NOVAと契約したために、ALTが来ない状態に陥っているそうです。 流れとしては、学校の民営化あるいは民間参入といういとも感じられます。「だーれか、NOVAから接待されたんじゃないの?」と、疑いたくもなる迷走ぶりです。
Nov 7, 2007
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中教審「ゆとり」反省...異例の報告書 次の学習指導要領を審議している中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。 中教審はすでに、小中学校での授業時間増など「脱ゆとり」の方針を決めているが、反省の姿勢を明確に打ち出すのは初めて。中教審が自己批判するのは極めて異例だが、反省点を具体的に示さなければ、方針転換の理由が学校現場に伝わらないと判断した。 中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」として提唱。現行の学習指導要領は、この「生きる力」の育成を教育目標に掲げ、小中とも授業内容を3割削ったり、総授業時間数を1割近く減らしたりしたほか、教科を横断した学習で思考力などを身につける「総合学習の時間」の創設を盛り込んだ。しかし、指導要領が実施されると、授業時間の減少により、「基礎学力が低下した」「子供の学習意欲の個人差が広がった」といった批判が相次いだ。 (中略) 中教審が今回、反省点として挙げるのは、〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった〈2〉「生きる力」の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた〈3〉総合学習の時間を創設したが、その意義を伝えきれなかった〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった〈5〉家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった--の5点。 (2007年10月28日 読売新聞)--------------------------------現場をこれだけ混乱させて、反省と言われても・・・。誰か、責任を取ってくれるのでしょうか。私の勤務していた学校は、総合的な学習の研究校として膨大な時間を費やしました。当時の校長は「総合的な学習は、探求的な学習過程でモチベーションが上がる事によって漢字や計算の成績も上げてしまう」とかなんとか、受け売りの話をしていました。一生懸命に調べた事をレポートにまとめるさいには、一生懸命漢字を使おうとする・・・と、エライ大学の先生は考えたそうです。そんなこと、全然ありませんでした。レポートは誤字脱字ひらがなばかりです。どこかの優秀な学校での実践とは違います。私たちが漢字を指導する時間を削られ、子供は野放図に自分のしたい学習をするというのでは、子供の学力は確実に下がります。ある学年では、環境学習ということで、子供たちの調べたいことを地域(校区)に出て調べさせました。「地域に落ちているごみの種類を調べたい」と言って出て行ったある子供は、ぶらぶら校区を散歩した挙句に電柱に立ちションベンをする始末。何が環境学習か??学級崩壊寸前のような状態で、調べ学習をさせても、モチベーションなど上がる筈もない。教師としても、たいへんな時間的な被害をこうむった上に、我が子たちも、もろに総合的な学習世代。我が子の学校もろくな取り組みをしていません。学級も崩壊寸前でした。教育改革は、必要かもしれないですが、誰が責任を取るのか、はっきりさせてすすめていただきたいです。・・・安倍さんの教育改革だって、もし安倍さんの辞任がもう少し先で、教育改革が早期に通ってしまっていたとしたら。そしてもし教育改革が失敗に終わるとしたら。誰が責任をとるというのでしょうか???百年の計であるはずの教育を、誰かの思いつきやムードに流されて、安易に妙な方向に変えてしまう事は、危険だと思います。寺脇研は、未だに「ゆとり教育の理論は正しかった」というようなことを言っています。
Oct 29, 2007
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三菱銀行人質事件。とんでもなく凄惨な事件だったので、あまり蒸し返したくもありませんが、象徴的な事件として社会に衝撃を与えた事は、見逃す事はできません。江川事件が「保身型」であるとすると、この事件は、「破滅型」であると思います。保身と破滅は、意味的には逆でありながらも、越えてはならぬ一線を越え始めたという意味では、この1978年度に起きた二つの事件は共通しているように思います。(事件が起きたのは、1979年1月26日だったようで、私は中学三年生でした。そのため、1978年度として記憶していたようです。)三菱銀行人質事件→グリコ事件→豊田商事事件→女子高生コンクリート詰め殺人事件→オウム審理教サリン事件→神戸連続児童殺傷事件→・・・と、この事件に連なるようにして、劇場型、破滅型の事件が繰り返し発生しています。そして、プロ野球選手としての江川が10年持たずに引退しました。江川が手にしたタイトルは、その実力と比べるとあまりにも寂しい感じがします。巨人は崩壊(本年度優勝戦の地上波放映なし。巨人どころかプロ野球そのものが崩壊?)の一途をたどります。一部の人間のなりふりかまわない保身が、全体の破滅を引き起こす。これは、今の日本社会のいたるところで起こっている事であり、もしかすると第二次世界大戦時に起こっていた事と根っこの部分では同じであるのかもしれません。ガダルカナル島事件→・・・→江川事件→三菱銀行人質事件→・・・
Oct 4, 2007
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日本人の劣化は、至るところでずいぶん前から進行していると思います。私の個人的な劣化の記憶。1978年の2つの事件に「ああ、ダメになっちゃったなあ」と劣化(当時から日本人の劣化というように言葉が使われていたわけではありません)が加速している事を感じました。一つは、江川事件、もう一つは、梅川事件です。江川事件この件については、過去にもエントリーをしました。法政大学法律家の学生が、読売という最大新聞社が、巨人という最大球団が、長嶋監督という最大の人気選手が、王貞治という最高選手が・・・この事件との関連をもちながらも、結局は状況に手を貸すか、押し黙ってしまったかという結果に終わってしまいました。法律上、問題がなければ、これだけ世間の注目を浴びながらでも道義的には明らかに問題があることが通ってしまう・・・。マスコミの暴走が絡まった劇場的事件であったように思います。この事件が世間に与えた影響の大きさははかりしれません。下記のようなエピソードも、因縁めいているというか、皮肉な事にというか。明らかに現在の世相につながる象徴的な事件だったと思います。政治面ではロッキード事件が闇に葬られつつある中、正義の敗退が強く印象付けられました。翌1979年の校内暴力激化も、1980年以降のお笑いブーム(短小軽薄化)も、こうした世相の変容の中で始まった事ではないかと思います。 江川をめぐる因縁的エピソード江川事件で巨人と阪神(1978年度に江川を指名)は江川と小林のトレードを行い、事態の収拾を図ります。悲劇のヒーローとなった小林の物まね(全然似ていない)をしていたのが、当時、売れ始めていた明石さんまでした。翌年1979年は江川は世間とプロ野球界の反感を買い、叩かれます。トレード相手の小林は巨人を目の敵にして対巨人8勝0敗、22勝を挙げて最多勝をとる活躍をします。しかし、次年度からは江川が2年連続最多勝を獲得、1981年の巨人日本シリーズ制覇の大黒柱となります。1984年には、オールスターゲームで伝説の8連続奪三振。「空白の一日」の直前に西武ライオンズが誕生し、1977年度に江川を指名したクラウンライターライオンズから「江川との交渉権」を得ています。奇しくも、江川は現役最後に日本シリーズで西武と対戦し、第三戦の敗戦投手になっています。そして西武はその年、巨人を下して日本一になっています。また、1983年の日本シリーズでも西武と当たっており、この時も江川は3試合に登板し、3試合目のリリーフ登板時には西武・金森にサヨナラ安打を打たれています。おっと!Wikipediaによると、西武オーナーの堤義明(2005年証券取引法違反で逮捕)の媒酌人は、現首相福田康夫の父の福田赳夫(当時の首相)で、彼が西武の初代名誉会長に就任しています。堤義明と福田康夫はなんと高校の同級生!福田赳夫は、この年の末に、田中派(角栄はロッキード事件での逮捕によって自民党を離党しながらも闇将軍として君臨=わけわからん)が支持する大平正芳に首相の座を明け渡している。ちなみに、江川の出身校作新学院の理事長の船田元は田中派のプリンスだった。
Sep 30, 2007
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前回引用したアエラ2007.8.13-20号は1985年が岐路であったとしています。確かに、あの頃、時代の空気は確実に変わっていました。急激な変化があったことを感じたのは、確かです。それについては、後述します。でも、1985年だけが、象徴的な年であり、ターニングポイントであったわけではないという思いもあります。それ以前にも、それ以降にも、多分、象徴的な出来事は起こり、グラデーション(段階的推移)の末に、現在の「劣化」した社会の姿があるのだと思います。たくさんの、象徴的な出来事はあったと思います。それは、三島由紀夫の自決であったり、ロッキード事件であったり、(アエラが取り上げた)日航機墜落事故であったり、オウムの地下鉄サリン事件であったり・・・・人それぞれに、ターニングポイントを感じているのではないでしょうか。私も私なりの目で見、肌で感じた「劣化へのターニングポイント」を書いてみます。「ちょっとだけよ:加藤茶」タブーという音楽にあわせて、高視聴率番組として茶の間に流れる「8時だよ全員集合!」の中で、加藤茶がストリップをしていました。1973年あたりでしたでしょうか。子供たちにはバカウケ、PTAからは大顰蹙を買ったこのギャグは、ある意味象徴的だったのではないかと思っています。タブーレス。TVという超マスメディアを通してのタブーへの挑戦は、何もこのギャグに始まったわけではないでしょう。『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』も、強烈だったように思います。しかし、「タブー」と言う曲に乗せてこのギャグがある意味、「市民権」たことは、を得たことは、事件だったのではないかと思います。タブーレスはその後もどんどん続きます。TVで新聞で、タブーが壊れていく場面が次々に報道されていきます。 前回のエントリーから岡田斗司夫氏の言葉をもう一度引用します。 「勧善懲悪、努力と成長といった、それまでの既成概念に沿ったストーリーを壊すのが自分たちの正義だと思っていた。本当は、そういうものを壊したらダメだった。見終わった後、『明日も学校で頑張ろう』と思えるアニメを作らないといけなかった。」
Sep 28, 2007
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アエラ2007.8.13-20号に、「劣化する日本に響く御巣鷹の声を聴け~運命の1985年」という記事がありました。日本人の劣化が1985年辺りから始まって、現在に至っているという見方をしています。この年が「岐路」であったとして、8月にJAL123便が墜落した事件を軸に、この年前後にあった様々な出来事を挙げながら、記事は展開していきます。私は、1985年が大学4年生の年であり、当時から社会全体が変貌しつつある事を強く感じていました。確かに、どんどん、変貌していました。筆者の意見に賛成できるところが多かったです。アエラの記事の中に書かれている出来事を箇条書きにしてみます。■ 河野洋平氏が新自由クラブから自民党へ鞍替え■ 中曽根康弘首相が、戦後初めての首相の靖国神社公式参拝■ 阪神タイガース優勝■ サッカーW杯最終予選対韓国戦の満員■ 「8時ダヨ!全員集合」の放送終了■ 「オレたちひょうきん族」の隆盛■ 「夕やけニャンニャン」放送開始■ テレクラ・コードレスホン・コンビニ■ 麻原彰晃雑誌で空中浮遊紹介■ ロス疑惑の三浦和義逮捕■ ニュースステーション放送開始■ プラザ合意■ ゴルバチョフ大統領就任■ 松田聖子・神田正輝結婚■ スーパーマリオブラザーズ発売■ 桑田・清原KKコンビの3年時。PL学園優勝・・・・・・執念に燃えられる最後の世代■ 男女雇用機会均等法成立■ アニメ製作会社「ガイナックス」(後にエヴァンゲリオン製作)活動本格化 これらの例の中から浮上してくるイメージは、「右傾化」「個人主義」「タテのり」「劇場型事件」等々でしょうか。記事の中に引用されている"ガイナックスの立ち上げに携わった岡田斗司夫氏の言葉"が印象的です。「勧善懲悪、努力と成長といった、それまでの既成概念に沿ったストーリーを壊すのが自分たちの正義だと思っていた。本当は、そういうものを壊したらダメだった。見終わった後、『明日も学校で頑張ろう』と思えるアニメを作らないといけなかった。」
Sep 27, 2007
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免許更新制度について遅ればせながら。金を自費で出せとか何とか、本当に鬱陶しいですね。namiママさん↓が書かれていることに賛成です。http://plaza.rakuten.co.jp/papa33mama66/diary/200707090000/ 面倒な手続きはやりたくないです。そもそも、現行の学校・教育センター・研究部等でやっている“公的”な研究会、研修だって、10のうち8つは不要なのではないかと思います。公費(=労働時間)の無駄遣いです。ろくな研修制度がありません。だから、教員は育たないのです。現在、この忙しい時期に某公的教育研究会大組織の中心的研究冊子を一人ぼっちでまとめさせられていますが(キーーーーーッッッ!コワレルゥーーーー!)、残念ながら、送られてくるレポートの90%がスカです。カスです。公費(=労働時間)の無駄遣いです。いえ、送る側も、送られる私も、時間外労働です。期末事務も重なって、三連休まるつぶれで、労働時間外です・・・。私的な研究会の方・研修の方がずっと質が高いように思えることも多いです。 そもそもそも、安倍総理、我々に免許更新とかなんとかいうのであれば、衆議院も同時解散して、自分たちこそ政権を担うのに値する人間であるのかどうかを国民に問うべきだったのでは?安倍政権、更新せよ!そもそももそもそ、肝心な、免許取得時だっていい加減です。いい加減な大学(某教育大学を卒業しています)に、いい加減な勉強をして入学して、いい加減な授業をいい加減に受けて、いい加減な単位を取得して、いい加減に卒業したら免許が取れてしまいました。免許取得に必要な教育実習だって、運転免許で言えば路上で、「右折の方法」レベルを教えてもらったに過ぎません。そんなレベルの免許を頂戴して「暴走族が大暴走している高速道路」のような現場を走れと言われるわけです。「これで本当に先生になってよいのかっ!!!」と、さぼりまくった本人でさえ免許取得を不安に思ってしまうほどいい加減でした。こんな状況であるのに、免許更新(どこそこの教育系大学でやるのでしょうか)をそんなに効果ある制度にできるのかどうか、もう少し現実的に考えてみたらどうなのでしょうか?? 有意義な研修を用意してくれることを祈るばかりです。
Jul 16, 2007
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死者に鞭打つようなことは日本の文化にはなじまないことの一つです。私もあまりそういうことは好きでありません。が、敢えて・・・。私は、自殺が必ずしも悪であると思っているわけではありません。自ら命を絶つ以上は、それなりの覚悟や逡巡、やむにやまれぬ事情があったものだと考えてあげたいです。しかし、松岡大臣のケースは、死をもって問題を解決しようとしているかのように受け取られてしまうのではないでしょうか。問題から逃げようとしているようにも思われてしまいます。そんな形で自殺をしてしまうことは、「風潮」としてよくないように思えます。特に若い世代に対して、「自殺(死)によって解決されることがある」と、死ぬことを簡単に考えさせてしまうような誤ったメッセージを送りかねません。気になることは、一部のマスコミや関係者が、松岡大臣の自殺が美談であるかのように聞こえる発言・書き方をしていることです。特に与党側の関係者にその傾向が見られるように思えます。 少なくとも、文科大臣は、真っ先に「尊い生命」を大事にすることについてコメントすべきだったように思えます。
May 29, 2007
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私は学力調査には半ば賛成、半ば反対です。 --------------------------------普段から、社会の仕組みへの関心を高める授業をしている藤原和博校長は23日の朝礼で「全国の小6と中3生が学力テストを受けますが、費用はいくらかかっていると思う?」と問いかけた。 生徒からは「30万円」「500万」「4億5000万!」などの声が飛んだ。昨年度分だけで問題作成や予備調査などの予算が29億円だったことを話すとどよめきが上がった。 (アサヒコム2007年04月24日より 引用)http://www2.asahi.com/edu/chousa2007/news/TKY200704240154.html -------------------------------- それにしても、どうしてこんなに電光石火で実施する必要があったのでしょうか。 私の自治体では実施が教育委員会から各校に通達されたのが3月末のことであり、他の自治体も同じような時期だったのではないかと思います。職員は年度末の多忙な時期のことであり、この件に関して、あまり気に留めることができなかったのではないかと思います。 突然かつ迅速な文科省の動きに教職員組合も反応仕切れなかった模様で、反対の動きはほぼ無効な有様。私は教頭(関係良好ですので、冗談が通じます)に、「犬山市が受験拒否できるのなら、仮に来年度私が6年1組を担任した場合、“独立王国○○組”として受験を拒否することも可能でしょうか」と、聞いてみました。「それは、処分が降りるのではないか?」と、教頭さんも返答に困っておられました。 最近の教育現場は、トップダウンに対する抵抗力が弱ってきており、それほど急がなくてもテストを実施することは可能だったと思います。経緯はよくわからないので、もしかすると何か妥当な理由があるのかもしれないですが、あまりにも性急過ぎるやり口なので、どうしても疑問に思ってしまいます。全国の小6と中3の233万人分の答案の採点はあのチャレンジや進研ゼミで有名な「ベネッセコーポレーション」が担当すると聞きました。いろいろと、考えてしまいますね↓。いったい、ベネッセにいくら支払うのでしょうか?どうして、ベネッセに決まったのでしょうか?ベネッセって政治献金しているの?どうして、それほど多く(233万人分)のサンプリングが必要なの?もしかしたら、既成事実を作ることが目的?既成事実から始まるベクトルは、民間企業の教育参入という方向を向いているのではないの?塾産業関連企業からの政治献金の総計はいくらぐらいなの?そのうち電光石火で徴兵制とか、導入されないかな?
Apr 24, 2007
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体罰論を始めると、教育の本質的な部分に触れることになってくるので、実に長い議論になってしまいます。パソコン通信時代から論議が何回か起こっては迷宮入りで終わっているので、結論なんて出ないと思いつつ・・・いただいたコメントに本文中でレスする形でもう少し書いてみます。川嶋さん wrote:>>体罰というのは、教師が、教師と児童・生徒の間に「力関係」「権力関係」の優勢によって実行する方法であり、フェアとはいえないのではないでしょうか。このあたりの考え方については、私は微妙に違っています。フェア・アンフェアとは何なのか??国が長期信用銀行を潰さずに税金を投入して救ったことは、フェア?アンフェア?銀行が不況の元凶を呼び込んだ張本人であっても、そこが潰れると金融破綻で日本が沈没するという判断(一部国民の合意)が働いたのではないかと、思います。(スミマセン、例に挙げといて実は生半可な知識・理解です。)体罰がフェアではないとしても、「教育なんてその程度のもの」という開き直りの姿勢もいまや必要かも知れません。現代が法律や理想だけで動かせるほどの完成された社会なのかどうかを疑う必要があるかもしれません。我々は今なお発展途上の歴史の中にいると・・・って、西部邁氏みたいな話になってきてしまいました。名もなき教員さんにしかられそうです。ザ・中学教師さん wrote:>>懲戒権の行使もアンフェアなのでしょうか?>>ここでの議論は、体罰を見直し、懲戒権の裁量を広げようというものではないのでしょうか。そうですね。体罰というより、「懲戒権としての教育的覚醒措置」として考えて欲しいです。別に島流しにするわけでもないのに、教室の後ろに立たされたぐらいで「体罰教師、辞任せよ!」とか言い出す人権擁護感覚には正直言ってげっそりです。叩くにしても、太もも一発ぐらいなら、そんなに問題があるとは思えないのですが・・・そうそう、叩いていちいち辞めさせられては馬鹿馬鹿しいので叩きませんが、私は太もも一発最大1万円の罰金ぐらいですむのなら愛情込めて叩かしていただきますよ。ともふみ8222さん wrote:>>社会で判断される物事の良し悪しを知らない子どもたちだからこそ、多少強硬にでも教えなければならないことはあると思っています。何もされないから、教師に対して不適切な言動をしてしまう子どもも不幸であると思います。今の子供たちは3・4生に冗談で拳骨するフリをしても、「わー先生、体罰した。教育委員会に訴えてやる!」(これも冗談で)と、言います。自分でワガママと分かっていながら、ワガママを止める事ができない子供たちを見ていると本当に不幸だと思います。子供たちだって教師に下手な理屈をグチグチこね回されたり、真綿でクビを閉めるような陰険な指導をされるよりも、一発叩かれたほうが楽なのではないでしょうか。私が子供であれば下手な説教よりも叩いて欲しいです。トウサンさん、 wrote:>>ただ体罰を容認する上で一つだけ条件が、教師の質も挙げないと。・・・義家弘介担当室長がコメント↓。「現状では教師は毅然(きぜん)とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」両手両足を縛られても戦える技量は、悲しいかな、情けないかな、今のところ私たち教員にはありません。現状では。全教員の資質と人徳を今すぐに向上させて、体罰なしの説得で素晴らしい子供を育てられる世界を作り上げることが可能であれば、それに越した事はないですけれど・・・。
Jan 19, 2007
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教育再生会議、「体罰」の定義見直し...政府に要望へ 政府の教育再生会議(野依良治座長)は、学校教育法で禁じられている「体罰」について、政府が過去に示した定義の見直しを求める方針を固めた。 来週にもまとめる第1次報告に盛り込み、安倍首相に提出する予定だ。報告には大学の9月入学導入の促進や高校での奉仕活動必修化も明記する。 「体罰」の定義については、1948年の法務庁長官(当時)通達で事例を挙げて説明。<1>授業中、怠けたり授業を妨害したら教室外に退去させる<2>遅刻したら教室に入らせず廊下に立たせる<3>トイレに行かせなかったり食事時間を過ぎても教室に残す--ことなどを禁止している。49年に通達とほぼ同内容の「教師の心得」(7項目)が発表され、現在まで適用されている。 再生会議の議論では、義家弘介担当室長が「現状では教師は毅然(きぜん)とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」として、通達の見直しを提案。ほかの委員からも「軍隊上がりの教員が多くいた時代の通達で現代にはそぐわない」などの意見が出て、第1次報告に見直しを明記することが固まった。 学校教育法は11条で、教育上必要があると認められる場合、教員は児童や生徒に「懲戒を加えることができる」とした上で、「体罰を加えることはできない」としている。(2007年1月17日20時29分 読売新聞)-----------------------------------体罰論を始めるとキリがないので、少しだけ。私は、教師による体罰には半ば賛成、半ば反対です。-----------------------------------中学校時代、友達が体操帽子を忘れて、 教師に「帽子は?」と聞かれて、「知らない」だったかどうか忘れましたが、まあその程度の少し反抗的な態度をとって、ビンタを30発ぐらい食らいました。後ずさりしながら、体育館の端から端までビンタを受け続けました。----------------------------------- 高校時代、友達が学校にトランプを持ってきたのを見つかりました。職員室に呼び出されて5・6人の教師から殴る蹴るでボコボコにされました。倒れて起き上がれなくなった時点で、一番ヨワッチョロイ理科の教師がやってきて、一発蹴りを入れたそうです。2人とも、日ごろは不良でもなんでもない、友達の中でも身分が低い奴でした。そんなくだらない体罰にはウンザリであるということが前提で、 1.教師の暴走を食い止める制限付体罰ならいいかもしれません。(韓国等はそうだったように聞いた覚えがあります)2.1980年代までは実質的には体罰が横行していたのを、親が人権を盾に取るような形で容認から禁止、禁止から厳禁になっていった経緯はあまり好ましくない気がしました。3.現状ではさらに、大声で一度だけしかっただけでも精神的苦痛を与えているということで、それが体罰であると騒ぎ立てられるような風潮も出てきています。こういったヒステリックな親の出方に対しては、公的に検討をしてほしいと思います。4.体罰という言い方をやめて、「教育的覚醒措置」とかにしませんか。私は子供たちに罰を与えたいのではなくて、目を覚まさせてあげたいのです。戸塚ヨットスクールではないけれど、子供たちの脳の奥(脳幹のあたりでしたっけ?)が眠ってしまっているような気がします。 少しと言いつつ、ついつい長くなってしまいます。
Jan 18, 2007
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昨日アップした記事の詳しい提言内容は、以下です。----------------------------------<教育再生会議>「いじめ問題への緊急提言」を決定 [ 11月29日 11時31分 ]毎日新聞 (1)学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対許されないことであり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。<学校に、いじめを訴えやすい場所や仕組みを設けるなどの工夫を><徹底的に調査を行い、いじめを絶対に許さない姿勢を学校全体に示す>(2)学校は、問題を起こす子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる。<例えば、社会奉仕、個別指導、別教室での教育など、規律を確保するため校内で全教員が一致した対応をとる>(3)教員は、いじめられている子どもには、守ってくれる人、その子を必要としている人が必ずいるとの指導を徹底する。日ごろから、家庭・地域と連携して、子どもを見守り、子どもと触れ合い、子どもに声をかけ、どんな小さなサインも見逃さないようコミュニケーションを図る。いじめ発生時には、子ども、保護者に、学校がとる解決策を伝える。いじめの問題解決に全力で取り組む中、子どもや保護者が希望する場合には、いじめを理由とする転校も制度として認められていることも周知する。(4)教育委員会は、いじめにかかわったり、いじめを放置・助長した教員に、懲戒処分を適用する。<東京都、神奈川県にならい、全国の教育委員会で検討し、教員の責任を明確に>(5)学校は、いじめがあった場合、事態に応じ、個々の教員のみに委ねるのではなく、校長、教頭、生徒指導担当教員、養護教諭などでチームを作り、学校として解決に当たる。生徒間での話し合いも実施する。教員もクラス・マネジメントを見直し、一人一人の子どもとの人間関係を築き直す。教育委員会も、いじめ解決のサポートチームを結成し、学校を支援する。教育委員会は、学校をサポートするスキルを高める。(6)学校は、いじめがあった場合、それを隠すことなく、いじめを受けている当事者のプライバシーや二次被害の防止に配慮しつつ、必ず、学校評議員、学校運営協議会、保護者に報告し、家庭や地域と一体となって、解決に取り組む。学校と保護者との信頼が重要である。また、問題は小さなうち(泣いていたり、寂しそうにしていたり、けんかをしていたりなど)に芽を摘み、悪化するのを未然に防ぐ。<いじめが発生するのは悪い学校ではない。いじめを解決するのがいい学校との認識を徹底する。いじめやクラス・マネジメントへの取り組みを学校評価、教員評価にも盛り込む>(7)いじめを生まない素地をつくり、いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大である。保護者は、子どもにしっかりと向き合わなければならない。日々の生活の中で、ほめる、励ます、しかるなど親としての責任を果たす。おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気付いた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。子供たちには「いじめはいけない」「いじめに負けない」というメッセージを伝えよう。(8)いじめ問題については、一過性の対応で終わらせず、教育再生会議としてもさらに真剣に取り組むとともに政府が一丸となって取り組む。 ----------------------------------憤慨しています。(2)の主体が「学校」となっています。学校では無理です。現場に押し付けないで下さい。別室指導したら絶対に「人権侵害」でいじめた側の保護者からかみるかれるケースが出てきます。処分決定のジャッジメントを誰がするのか、どういう場合にどういう処置をとるのか、ガイドラインさえもありません。教育再生会議は「積極的な出席停止の発動」という文言を盛り込むことさえしり込みしておいて、「各学校で毅然とした指導、懲戒の基準を」などといわれても ケースバイケースでうまくいくわけがありません。そして、(4)です。「放置」は、いったい何を指すのでしょうか。本当にいじめには様々なケースがあり、中には少しいじめっ子を泳がしておいてから闘ったほうがよい場合もあります。中には本当に手がつけられないほどの学級崩壊・学校崩壊の中で進行するいじめもあります。校内暴力で教師はボロボロ、生命の危機さえ感じるような中学校だってあります。そんな中で起こっているいじめは?「放置は厳罰」などと言ってしまうと、いじめられた側の保護者が「放置した、放置した、教師が責任取れ!」と、自分の責任を棚に上げて、学校を責めてくるケースが出てくることが目に浮かびます。今でさえそんな親が少なくないのに、そんな親を後押しするようなことをやすやすと言って欲しくないです。後ほど詳しく書きますが、基本的なコミュニケーションスキルをつけないままに子どもを大きくしておいて、いじめられたからといって学校だけに責任をなすりつけるような親がどれほど多いことでしょう。※※※かといって、放置してもかまわないと言っているわけではありません。本当にいじめの放置というか、悪化というか、大量発生というか、明らかに酷い教師は各校1人ぐらいはいます。いじめが表面化しなくても、強圧的な指導でやりこめていじめの根っこを育てて潜在させたまま次の学年に引き渡すような教師もいます。私は今ままでにも何度も前年度までに放置されてきたいじめを背負わされてきました。どうして前の担任はこんな状態を作ってしまったのだろうと、やるせない思いがすることがよくあります。私は小学校教師ですが、中学校の教師などはもっとやるせない思いを抱くことが多いでしょう。しかし、結局、「放置は厳罰」などというと、誰だって厳罰は嫌ですから、誰もいじめられっこを担任しなくなりますよ。前担任が発生させて放置して対応し切れなかったいじめを引き受けるなんて、本当に馬鹿馬鹿しいです。それを現担任の放置だなんて言われたら!!冗談ではありません。異動人事、学年配当、クラス配当をどうやってくれるのですか?今まで損な役回りを渡されても、なんとか耐えてきましたが、頑張ろうと思う気持ちが本当に大きくくじけ始めてきました。こんな件ひとつとっても、教育再生会議には現場の事情を汲み取ろうとする感覚が大きく欠如しています。陰山さん、ヤンキー先生、現場の意見を反映させてください!
Dec 2, 2006
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----------------------------------「出席停止」見送り 教育再生会議、いじめ問題緊急提言2006年11月29日13時49分(asahi.com) 安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は29日、首相官邸で総会を開き、いじめ問題で8項目の緊急提言をまとめて発表した。いじめは「反社会的な行為」で「見て見ぬふりをする者も加害者」とする一方、いじめを理由とする転校が認められていることを周知するなどとしている。 首相は会議で「即実行できるものはさせていただく」と述べた。ただ、提言にはこれまでの施策を超えるものはなく、強制力もないことから、実効性が上がるかどうかは今後の課題だ。 提言では、いじめた側の子供に対して「指導、懲戒の基準を明確にし、毅然(きぜん)とした対応をとる」とし、社会奉仕や個別指導、別教室での教育などを例示。当初は「出席停止」処分の積極的な適用を盛り込むことも検討されたが、委員から「教育には愛情が必要だ」といった慎重意見が出たことや、1948年に「懲戒の手段として授業を受けさせないという処置は許されない」との当時の法務庁長官の見解があることなどから、見送られた。池田守男座長代理は記者会見で「社会情勢を見ながら、どうあるべきか検討したい」と述べた。 また、いじめを放置・助長した教員には「懲戒処分を適用する」と明記。このほか、学校でいじめ解決のチームを作り、教育委員会も支援チームを結成して学校を支援▽いじめがあった場合、学校は学校評議員や保護者らに報告し、家庭や地域と一体となって解決に取り組む▽いじめを生まない素地を作り、解決を図るには家庭の責任も重大--などを盛り込んだ。 ------------------------------------------ なんだか、恐ろしくなってきました。教員だけを実質的な処分の対象にしようという話ですね。 何を(どこまでを)放置とするのかはこの文章からだけではわからないのですが、叩きやすい教員だけが処分を受けることになったわけですね。叩きやすいところにだけを叩くやり方は、私のクラスでは、いじめとして厳しく指導しています。 たとえば、子どもたちは、同じようにそうじをサボっているのに、口のたつA君には非難をせず、気の弱いB君にはボロカスに言うことがあります。 場合によれば、C君とD君が喧嘩しているときに、事情も知らない第三者が入ってきて喧嘩を止めるフリをして、普段いじめられているD君のみを殴る蹴るということもあります。 記事に書かれている教育再生会議のやり口は、この2つの例と同じ構図です。 そういう態度を許しているとクラスの中でいじめが蔓延し始めます。 「トラブルがあったら真ん中に入って止めろ、一方に加担するのは卑怯だ!」 どんな場合でも、まず中立の立場で入って両者を引きはなし、しっかり話を聞いて対処するように、 教員の皆さん、文科大臣とか、総理大臣に手紙を書きましょう。「あなたたちがいじめるのをやめないと、○月○日に死にます。」ってね。
Dec 1, 2006
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----------------------------------------- いじめ加担教師の懲戒厳格化も 教育再生会議緊急提言へ2006年11月26日08時01分(asahi.com) 安倍首相直属の「教育再生会議」(野依良治座長)は今週中にいじめ対策の緊急提言を出す。(1)いじめに加担したか、故意に見過ごした教員への懲戒制度を現在より幅広く適用する(2)いじめた側の子どもの出席停止を積極的に行う(3)問題が起きた学校を支援するチームの派遣の仕組みをつくる--などが柱となる方向だ。最終的に10項目程度の提言になる予定で、今週、断続的に開かれる教育再生会議の三つの分科会で詰める。 防止策では、各学校にスクールカウンセラーなど専門職を配置したり、相談窓口を置いたりして、いじめが起こったり、陰湿化する前に芽をつみ取る方策を提言する方向だ。 いじめが起きた後の対応では、東京都が導入した、いじめに加担した教員への免職を含む懲戒制度を全国的に広げることを提案。学校教育法にある「出席停止」の規定についても、「いじめた子」に対しては実際にはほとんど適用されていないため、積極的な活用を求める方向で調整している。 また、有識者メンバーの陰山英男・立命館小副校長らの主張に沿い、文部科学省や教育委員会から事実関係の調査、親への説明や報道対応などで、問題が起きた学校を支援するチーム派遣する仕組みも提言する考えだ。 提言作成の過程で、一部の有識者メンバーから、体罰の一部容認論も出されたが、現段階では提言に盛り込まない方向だ。 ----------------------------------------- 私もこのブログで書いていた先の対策1・2の中に入れていた内容が、検討され始めたようです。ぜひ「問題が起きた学校を支援するチーム派遣」を、問題が起きる前に派遣し、いじめの有無をジャッジするという仕事をして欲しいと思います。自殺や不登校といった形で問題が発生してしまってからでは遅いです。ある程度の進行があった時点でジャッジが必要です。 どこの学校でも出席停止にしたいと思っている生徒・児童はけっこういると思います。 問題児が風邪で1日休むと、教室がなんともおだやかな雰囲気になることがあります。転向したらクラスの雰囲気ががらっと良くなることもあります。実際、学校が出席停止を発動する権利が社会的にきちんと理解され、まともに発動できたならば、どんなにありがたいことでしょう。 ・・・なんて言うと、「オマエは教師失格だ」とか言われてしまうのです。「クラスでいじめが発生するのは、オマエの技量が足りないからだ。」と。学校・教師は万能ではありません。 そう、万能ではないので、いじめのジャッジを学校の判断に任せてしまうと、現場はますます混乱します。 現場に任せて「何でもいじめ!」と認定を乱発すると、それこそ大混乱です。いじめられている相手を出席停止をさせたい保護者側の要望と、出席停止を食らう側の「その程度で出席停止とは人権問題だ」という反論とで学校は板ばさみになるだけでしょう。 何がいじめであるかをきちんと定義した上で、どういう場合に警告で、どういう場合にいじめた側を出席停止や懲戒処分にするのかを正確にジャッジするシステムがないとマズイト思います。 ルール作りもしないまま、もしも出席停止を学校任せにするのであれば、積極的に発動されることはまずありえないと思います。もし仮に担任が申し立てても学校が、学校が申し立てても教育委員会がそう簡単に出席停止を発動しません。事態は変わらないでしょう。 現状では学校が出席停止発動なんて、できるわけがないです。
Nov 26, 2006
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現時点では実現できていないこと、実現は難しそうなことで、いじめの防止に即効性がありそうな対策を考えてみました。5つ目です。5.いじめた側の自立支援システム導入 ひとをいじめる人間は、結局のところ自分の弱さに気づいていて、自信がなくて、自立ができない人間です。ひとりで誰かをとことんいじめるパターンはあまり見かけることがありません。たいてい、複数です。 ネット上で、「いじめた奴は親指を落としてしまえ」などと言う厳罰論をけっこう見つけました。罰則というとマイナスイメージで、子どもに罰則を与えるのは教育的ではないという意見が多いです。 であれば、いじめたとジャッジされた人に対して、その程度に応じて徹底的に自立ができるようになるようなプログラムを課すというのは、どうでしょうか。自立支援と称して、厳しいプログラムを強制的に課すというのであれば、いじめた子どもも親も、得した気分でしょう。 例えば、永平寺座禅ツアー1ヶ月とか、山岳修行3ヶ月とか。人間形成によさそうなものを選んで、やらせてみてはいかがでしょうか。 あくまで、罰ではなく、自立支援です。法律的に長期欠席を認めて、強制的にやります。 行政も、それくらいのことにはお金を出すといいのではないでしょうか。
Nov 25, 2006
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現時点では実現できていないこと、実現は難しそうなことで、いじめの防止に即効性がありそうな対策を考えてみました。4つ目です。4.警察的権力の介入 例えば、殴る蹴るの暴行を受けた場合。恐喝・窃盗の強要。いじめも明らかに犯罪の範囲に入るような事態になってしまうことがあります。いじめられた側が訴えても、学校には捜査権がありません。下手に手を出すと、「何の証拠があるのですか」「自白を強要したでしょう。」「先生はうちの子を信じてくれないのですか。」と、保護者側が開き直ったり、シラをきったりすることがあります。そうこうしているうちに、「先生にチクッタ」などといじめがどんどんエスカレートしていくケースがあります。 かと言って、いじめられた側も、警察に訴えうとなると二の足を踏んでしまう場合が多いと思います。先生にチクッてガタガタ言われるのに、警察に行こうとは、普通考えないのではないかと思います。 いじめられた側の判断で、現状よりも手軽な方法で警察に訴えることができるようなシステムが必要だと思います。保護者を通さなくとも、子供向け・いじめ向けに警察が動いてくれるようなシステムが導入されるべきだと思います。子供向けですから、制服着たおまわりさんが動くのではなくて、私服警官が巡回・捜査するとか。 学校やら「心の悩み相談室」の類で、対応できることには限界があるのではないかと思います。 1.外部の組織の導入。のひとつのオプションとして、警察の介入も視野に入れてほしいと思います。
Nov 24, 2006
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現時点では実現できていないこと、実現は難しそうなことで、いじめの防止に即効性がありそうな対策を考えてみました。3つ目です。3.いじめられた側へのコーチング いつからか、いじめられた側に対して学校側は、「絶対保護」をしなければならないような言われ方をしてしまうようになりました。いじめた側が絶対悪であり、いじめられた側は、絶対弱者というような位置づけをされてしまっています。 確かに、絶対的な弱者である場合も、あります。何でこんなに非の打ち所のないような子供がいじめに遭っているのだろうというケースも何件も見てきました。 では、すべてのいじめられた側がそうかと言うと、それは、違います。いつの間にか、「いじめは、どんないじめでも悪で、相手がいじめと感じれば、それはいじめである。」といったセクハラ同様の定義づけがされてしまっている現状でため、いじめだと訴えれば教師はとことん保護をしなくてはならないような状況があります。 いじめられた側に問題があるとは本当に言いにくいのです。「お宅のお子さんも・・・」とでも言おうものなら、火のついたように怒る保護者も少なくないです。「いじめを出す学校が悪いのだ」の一点張りで引かない場合も。 そんな保護者に限って、子供を風呂にも入れず、ふけだらけの悪臭のする頭で登校させたり、家では子供を叱りまくって学校でストレスを発散するような子供を育てたりします。 いじめられる側も、それ相応のコーチングを受けて、何がいじめられる原因で、いじめを回避するには自分に何ができるのかを考えてもらうような機会を必ず持つような制度にしたほうがいいと思います。「いじめられたと訴えるなら、コーチングを受ける」ということを原則にするような制度が必要だと思います。で、コーチングを受け持つのは、担任ではなく、「いじめ<<対策>>1」で挙げた、民間が受け持つといいと思います。第三者、介入です。
Nov 23, 2006
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現時点では実現できていないこと、実現は難しそうなことで、いじめの防止に即効性がありそうな対策を考えてみました。2.いじめた側の隔離 私は、子どもたちに、「度を超えたいじめをやった場合は、親の呼び出しといじめた本人の隔離をします」と、伝えています。 これは半ば脅しで言っています。現実的にいじめた側を隔離するのは難しいものがあります。恐らく隔離をした場合には保護者の抗議が来るからです。これが脅しにならないように法律を作って欲しいです。出席停止という極端な対処はあまり使えません。職員室や校長室に「隔離」するのが現実的に人権問題とならないような法整備をして欲しいです。
Nov 22, 2006
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現時点では実現できていないこと、実現は難しそうなことで、いじめの防止に即効性がありそうな対策を考えてみました。1.外部の組織の導入。 身内(学校や教育委員会・文部省関係)で対処をするのではなく、あくまで学校外部の組織です。委託に近い形で、民間にいじめのチェックやら対処について、当たってもらう。学級崩壊時にも第三者が調停するような形を作ればいいと思います。所詮、教師~文部省まで、いじめに関しては当事者であり、責任問題が発生します。 外部の組織が冷静でニュートラルな対処をしてくれることによって、保護者に言いにくいことも伝わるようになります。 以前、歯磨きしないばかりか親に虫歯を放置され、そのために口臭が酷い子供がいました。近くによるだけで口の中から膿んだような匂いがします。それもいじめられるひとつの原因でした。そういった点を取り除いてあげるだけでいじめも随分ましになってくるものです。 また、ある年は、女性の担任が怖くて脅しをかけるような叱り方ばかりしていました。そのせいでいつも叱られるSさんは、さらに弱いMさんをいじめてストレスを発散していました。周りの教師はその担任に「子どもを滅茶苦茶にしかりすぎ」ということは言いにくい雰囲気があり、言えずにいました。3学期になって担任が自分でそれに気づいたところで、いじめは随分減りました。 以上、2つだけ例を挙げてみました。どちらとも事実を伝え、改善をせまることができにくかった例です。保護者や同僚との間に、どうも話をしにくいというか、聞き入れてもらえそうにない空気が存在する場合があります。 いじめのジャッジや対策は難しいかもしれませんが、授業改善やいじめのないを作るための学校コンサルタントは、必要だと思います。 地域の人かスクールサポーターの不利でもして、私服で学校に紛れて、学校や担任に実現可能な改善を提案し、保護者にもアドバイスができるような立場の組織が必要だと思います。
Nov 22, 2006
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いじめについていろいろ書いてきましたが、では、オマエはどんな対策があるのか?と聞かれそうですね。 残念ながら、私には、実際問題、確実で即効性のある対策などありません。 もしもいじめが発生すれば、いじめている側、いじめられている側の両方の親に会って話をするなど、手を尽くすことは当然です。しかし、だからと言って、どんないじめでも確実に止められるのかというと、そう簡単ではないのです。 日々の予防に努めるのみです。 予防の中でも、楽しく、どの子どもも伸びる授業・学級経営というのは、必要不可欠です。具体的にどうやって授業や学級経営をやっているのかなど、細かいことを書き出すと長大になり、匿名がばれてしまいそうなので、やめておきます。他のアドレスでHPをやっていますので、そちらをご参照ください。とは言うものの、身元がばれないようにアドレスは秘密ですが・・・
Nov 22, 2006
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ヤンキー先生こと、義家弘介さんも、いじめ対策を語っています。2006年11月11日 読売新聞---------------------------------------教師が交代で教室を巡回すると、目の前でいじめは起きなくても、クラスで孤立する生徒は見つかる。朝、元気のない生徒に積極的に声をかけることも重要だという。「100回に1回は悩みを打ち明けてくれる」 いじめの詳細が把握できたら、先頭に立っていじめている生徒をしかる前に親に電話する。「分かるまで徹底的にやるので、生徒の言い分に取り合わないように」とクギを刺すのだ。 加害生徒には翌日、クラス全員の前で謝罪させる。やり込めるためではない。その他の生徒に「勇気を振り絞って謝った加害生徒より、みんなの方がひきょう者だ」と怒り、「見て見ぬふりもいじめへの加担」と気付かせるためだ。 「注意すると自分も被害者になる」と思わせないように、最終段階では、生徒一人ひとりと面談し、5人の仲間を作るよう促す。「2人や3人でなく、5人探せ」と。その集団が三つもできればいじめの抑止力になる。いじめが起きても入り口の段階で気づく。 --------------------------------------- まあ、彼も一生懸命なのであまり悪くも言いたくないのですが、これで止まらない場合もあると思います。ヤンキー先生があのしつこさで迫れば、止まることも多いでしょうが、教師の誰も彼もがあのキャラなわけがありません。 いじめに学級崩壊が加わっていれば(よく同時進行します)、そんなしつこい教師の話など親も子どもも聞きません。 ガンバリズムを否定はしませんが、我々現場の普通の教師が欲しいのは、もっと実効性のある対処方法なのです。
Nov 20, 2006
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前日の日記いじめ問題で緊急アピール-伊吹文科相 2で書いた茨城県のいじめ対策のところをもう一度読んでいただくと分かるのですが、ここに書かれていることは、結局「いじめの予防について」であり、「いじめの治療」と思えるものは、見当たりません。万事この調子です。このブログのコメントに、「監視カメラの設置」について提案をいただいています。監視カメラの是非はともあれ、こういうのが、治療方法というものではないでしょうか。 初任のころはともかく、最近は、私のクラスが発端となった度の強いいじめが発生したことはありません。それでも、いつ厳しいいじめが発生するかもしれませんし、前年度のクラスが発端となったいじめを引き継ぐときはしょっちゅうです。ほぼ毎年、かなり度の強いいじめがあるクラスを受け持たされます。前担任の尻拭いです。 いくら「予防」をしていても、かなり度の強いいじめを引き継いだら、4月当初、そこからいきなり「治療」に入らなくてはなりません。 しかし、残念ながら、即効性のある「治療法」などありませんので、地道に「予防」的な内容の学級経営をしながら、ある程度落ち着くのを待たざるを得ません。今のところこんなやり方でなんとかなっているだけの話で、いつ何時、どうにもならない厳しい結果(自殺までとは行かなくても)が引き起こされるような重度のいじめに直面するかもしれません。 泥沼のようないじめに巻き込まれて、「解決せよ」「解決せよ」と親から、管理職から迫られる。理想的な「予防法」だけを提示されて、「治療」についてはだれもが口をつぐむ。 現場の教師にとって、こんな理不尽な話はありません。
Nov 20, 2006
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前回の日記に書いたように、文科省の大臣のアピールは、文科省の行政力の実効性のなさをアピールしてしまったようなものです。前回の町村文部大臣による緊急アピールも、酷いもので(忘れてしまいましたが)、思わずズッコケてしまいました。 こういう文科省行政を受けて動く、教育委員会もまた酷いものなのです。管理側は本当にトンチンカンです。 枚挙にいとまがありませんが、例えば、たまたま見つけた茨城県教育委員会HPの「いじめの克服のために」のページ。教師の役割 - いじめをなくす教師の役割 という項で、1 学級目標は学級全員の思いや願いが十分込められたものになっていますか。 2 子どもたちの創意工夫を生かした活動が活発に行われ,達成の喜びや,責任を果たした喜びをたたえ合う学級になっていますか。 3 お互いのよさを認め合い,失敗が許される学級の雰囲気がつくられていますか。 4 子どもたちの話し合う場を積極的に設けて一人一人の意見を尊重し,自己選択 や自己決定の機会を保障していますか。5 意欲をもって張り込める授業,分かる授業の工夫をしていますか。 6 しつけの厳しさや努力の大切さが理解され,だめなことはだめと言える学級となっていますか。 7 一人一人の子どもたちとの触れ合いや悩み相談の時間を十分にとっていますか。 8 学級の問題の解決のために,心を開いて,他の先生や管理職と気軽に相談したり保護者に協力を得たりしていますか。とあって、それぞれは、本当にごもっともなのです。でも、よく考えてみてください。これらの8項目など、少し真面目な教師なら誰でもやろうとしていることだし、指導主事さんや校長さんが似たようなことをどこかから引用してきて耳にタコができるくらいしょっちゅう言われていることです。 または、やる気がなく不真面目な教師がこれを見て改心するとでも思っているのですか?? 分かっていてもできないから、教師の力が及ばなくなった教室でいじめが起こるわけです。もっと具体的に、もっと印象的に事例を挙げていかなければ、こんなことをHPに書いてみても何も始まりません。皮肉を込めて、ひとつだけ書き換えましょう。茨城県教委さんへ。7 一人一人の教師たちとの触れ合いや悩み相談の時間を十分にとっていますか。
Nov 19, 2006
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---------------------------------------------------------------「一人で苦しまないで」=いじめ問題で緊急アピール-伊吹文科相 いじめを苦にした自殺や自殺予告の手紙が相次いでいる問題で、伊吹文明文部科学相は17日夕、緊急に記者会見し、いじめの根絶を子どもたちや保護者、学校関係者らに訴えるアピールを出した。 伊吹文科相は、子どもたちに「いじめは恥ずかしいこと、ひきょうなこと、すぐにやめよう」「一人で苦しまず、いじめられていることを話す勇気を持とう」と呼び掛けた。 文科相(文相)の緊急アピールは、いじめによる中学生の自殺が続いた1996年1月と、ナイフを使った事件が多発した98年3月に次いで3回目。文科省は、アピールを教育委員会などを通じてすべての小中高校に送り、児童生徒一人ひとりと保護者全員に読んでもらうほか、ホームページにも掲載する。 (時事通信) - 11月17日20時1分更新--------------------------------------------------------------- 文科省も自殺予告が相次いで、対応に大変なんだろうと思います。全文は子供向けと保護者向け文科省HPのトップからリンクしています(ここ)。 このアピールは社会に対して事の重大性を示すことができた点では意味があるとは思います。では、この文章を読んで、子どもがいじめや自殺をやめるかというと、それは普通に考えて、無理、でしょうね。 現場が欲しいのは、具体的な方策です。 例えば、いじめに関しては「『いじめられた』といじめられた側が感じればいじめである」というような見解があります。この見解は無茶です。いじめられた側(の保護者)が何も自分を改善しなくて「いじめられた」と騒ぎ立てられてしまえば、学校側は慌てて対応しなければなりません。普段から他人に攻撃的であったり嫌味や悪口を散々言っておきながら、それに対するカウンターを食らったら「いじめだいじめだ」と学校に訴えてくる子どもの多いこと。 身体に対する攻撃があった場合は、具体的に制止できることができますが、無視されたりきついことを言われたりしている場合は、正直に言って、助けようがない場合があります 悪臭がするなど、度を越した不潔。放任による生活リズムの狂いからくる学業や素行の不振。溺愛によるコミュニケーション不全。親が何とかしてあげて欲しいのに、ただただ学校に責任があるように言われると、苦しいものがあります。「やめろ」と言ったらやめるほど簡単なら、この問題が(鹿川君事件から)20年も放置されたままになっているわけがないでしょう。 文科省や教育委員会から、出されるいじめ対策のリーフレット等は、本当に具体性に欠けていて、厳しい状況のいじめがあった場合に、即効性のある対策を現場は持っていないと言っていいと思います。結局は個人の教師、個々の日々の学校の努力が大事という聞き飽きた内容を繰り返すのみです。 自分自身を振り返ると、それでもなんとか解決している場合がありますが、うまくいかずにけっこうしんどい状況になったときもあります。 個人の教師、個々の学校の努力にまかせて、本当に事が解決すると思っているのでしょうか??
Nov 19, 2006
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--------------------------------------- 「いじめ隠し」発覚の小学校長が自殺 北九州(2006年11月12日 asahi.comより) 12日午後3時ごろ、北九州市八幡東区山路松尾町の林で、男性が枝にロープで首をつって死んでいるのを警察官が見つけた。福岡県警八幡東署の調べでは、男性は北九州市戸畑区に住む市立小学校の校長(56)。遺書は見つかっていないが、自殺とみている。 八幡東区にあるこの小学校では、5年生の女子児童2人が同級生らから現金を要求されたのを学校側が「いじめ」と認識しながら、市教委に「金銭トラブル」と報告していた問題が11日に発覚していた。 八幡東署によると、校長は12日午前7時ごろ、妻に「会議があるので学校に行く」と言ってスーツ姿で自宅を車で出た。妻が学校に電話で連絡したが登校しておらず、携帯電話もつながらなかったため、家出人捜索願を出していた。 学校の女児2人への対応について、北九州市教委の大庭清明教育長は11日、「結果としていじめを隠したと思われて仕方がない。対応が極めて不適切だ」と指摘。11日午後に記者会見した校長は「児童の発したサインを受け止められず、申し訳ない」と謝罪していた。 12日夜に記者会見した大庭教育長によると、校長は11日、現金を要求していた問題の調査のために児童の自宅を担任と訪問し、午後10時すぎに帰宅していたという。大庭教育長は「突然のことで驚くとともに、大変残念な話だ。自らこの問題の解決に先頭に立って欲しかった。ご冥福をお祈りしたい」と話した。 --------------------------------------- いじめ関連、混迷を極めてきました。こんな時に校長が、自殺という解決方法を選んではいけないというのは当然だとは思うものの・・・asahi.comは、この記事に先立って、校長「サイン見逃す」 北九州の小5いじめ隠し(11/12) と、報道しています。これって、いじめではないでしょうか??? 話題性があるホットなニュースであるからといって、こんな報道の仕方で生身の人間で最終責任者である校長を、責めるのはどうなんでしょうか??このいじめの件に関する事実関係をasahi.comはどれだけきちんと把握して報道したのでしょうか?? 確かに、2万円の現金を持ってくるように強要するのはとんでもない話ですが、これを記事にすることによっていじめた側を世間一般にさらすことにもなります。たとえいじめた側であっても、相手は小学校5年生です。 マスコミに、どれだけ個人を糾弾する権利があるのか、はっきりして欲しいです。 マスでない個人には、反論する手法を持ちません。いじめた側、校長が、例え更生しても、更生を認めてもらえるのは、ごく一部の地域の人たちからだけです。マスコミは、自分たちが強い力を持っていることをもっと自覚して欲しいです。 私の学級では、そういう強い立場の者からの一方的な罵倒を「いじめ」と定義づけて許していません。強い憤りを感じます。
Nov 12, 2006
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--------------------------------------- 足立区のランク付け予算「やめてよかった」 伊吹文科相(2006年11月08日 asahi.comより)伊吹文部科学相は8日、「学校の評価を進学率などで評価する風潮を助長させてはいけない。だから足立区が、ああいうことをやめたのは非常によかったと思う」と述べた。--------------------------------------- いったい、何を開き直っているのか、このところの政治家は、開き直ればいいと思っている節がありますね。元凶は小泉さんのワンフレーズでしょうか。 やめて当然であり、そもそもランク付け予算の案を出してきたこと事態が問題のはずです。トラックバックをいただいた、 プラウドシティ梅島自治会さんのブログでhttp://blog.goo.ne.jp/proudcity/e/9179cc12e21874b35efe29248b825374 内藤教育長のインタビューを見ることができます。これも、私には苦しい言い訳と開き直りにしか聞こえません。こんな浅はかな考えで企画を進めている教育委員会の“ベースになっている思考回路”を問題にすべきだと思います。「格差が生まれても仕方がない」といった開き直った考え方で思考を停止してしまう風潮はまずいと思います。すんなりと勝ち組を認めて強きになびくやり方は、はびこるいじめの思考回路と同じです。「だって、強い方の見方をした方が得だモノ。」というようにして、いじめはクラス中に蔓延するものなのです。
Nov 10, 2006
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---------------------------------------学力テストで予算ランク分け撤回 東京・足立区教委(2006年11月08日 asahi.comより) 東京都足立区の07年度予算で、学力テストの成績に応じて各区立小中学校をランク付けし、学校への配分額に差をつける方針を固めていた同区教委は7日、この方針を撤回することを明らかにした。同区教委は、新たな方針として、各校からの申請に基づく予算査定では、「ランク付け」はせず、テスト結果の伸び率を大きな判断材料にすることにしている。 同日開かれた区議会文教委員会で、内藤博道教育長が明らかにした。 区教委の当初方針では、年に1回ずつ行われている都と区の学力テストについて、(1)都の学力テストで学校平均の正答率が都平均以上の科目数(2)区学力テストの成績が前年度からどれだけ伸びたか--などの項目を設けて査定。学校をA(全学校数の10%)、B(20%)、C(30%)、D(40%)にランク分けし、「特色ある学校づくり」予算の額に差をつける案をまとめていた。金額は中学校でAランクが約500万円、小学校で約400万円、Dは小中学校ともに約200万円、としていた。 新たな方針では、A~Dの4ランクに分けるのをやめ、各学校から提出される予算の申請に基づいて1校ずつ査定する方法に改めるという。学力テストの結果は、伸び率によって学校に加点する形で予算を上乗せする。加点の点数はあらかじめ決めずに1校ずつ判断する。学校へ配分する予算に学力テストの結果を反映する点は変わらないという。同区教委は、さらに具体的な方法を詰める。 ランク付けする案が明らかになったあと、区教委には「学校格差を生む」などの意見が多く寄せられた。撤回した理由について、内藤教育長は「Aは良い学校でDはダメな学校などと、誤解されやすい制度だなと思った」と語った。 --------------------------------------- 酷い話です。 責任者は撤回せざるを得ないようなお粗末な案を提出した責任を取るべきだとは思いませんか。 こんなくだらない事を高級取りが何人も集まって延々と時間をかけて考えているのです。 どう考えてもDランクになってしまった学校の生徒は損です。教師だって校区によって生徒の学力には元々、遺伝子的に又は、家庭事情的に差があるのに、そんなことで差をつけられたらたまったものではありません。Dランクの学校にこそ支援が必要なのではないかと思います。 こんな浅はかな教育委員会の下で働いているのは、情けないです。
Nov 8, 2006
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---------------------------------------いじめ自殺「予告」の手紙、文部科学省に届く(2006年11月07日 asahi.comより)学校でいじめを受けているとし、8日までに状況が変わらなければ、11日に学校で自殺すると書かれていた。「クラスのみんな」あてには「なぜ僕をいじめるのですか。キモイからですか。クサイからですか。なぜ僕のズボンをおろすのですか」。校長あてには「なぜ親がずっとまえから校長先生にいじめのことをいってもずっとなにもしないのですか」などとあった。<中略> 本当の自殺予告と判断した理由について、銭谷局長は「11日に自殺する、とはっきり書いてある」としたうえで、「大臣に対して行動してほしいという要請の手紙だろうと判断した」と説明。 記者発表した理由について「私どもとしては、たった一つしかない命を大切にしてほしい。文科省も大人も、いじめの問題解決のためにがんばるから、『ぜひ、生きてほしい』とのメッセージを伝えたい」と話した。 http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200611060341.html---------------------------------------- この事件に関して、本日職場にFAXが届きました。担任教師宛の手紙も含まれていたらしく、その特徴の一部を紹介して、該当する児童(担任)はいないかを確かめて欲しいとのないようだったようです(FAXは教頭宛のため、ちらっとしか見ることができませんでした)。 いじめられている子どもの懸命にアピールしたい気持ちはある程度わかるものの、こういうやり方はどうなのかと思ってしまいます。 最悪、「死にたい」と思い、自殺を実行する直前の状態であるなら、他にももっとやり方があると思います。文部省局長も、「命を大切に」『ぜひ、生きてほしい』 などと、気の利かないことを言っていないで、「自殺するほど悩むのだったら学校なんか、休んでもかまいません。」「死んだら負けだ」ぐらいの事を言えないのでしょうか。まあ、文科省の人間が不登校を推奨するようなことは口が裂けても言えないでしょうけど。 確かにちょっとくらいいじめられたからといって、すぐに学校を休んでいたのでは、困ります。そんなことしたら、今度学校に来たときにはさらにいじめが酷くなる可能性があります。容易な方法でにいじめから逃げることを推奨するわけではなく、命は何物にも変えがたいという意味で。「死ぬなら・・・すればいい」を大人はもう少し、子どもたちにきちんと伝えておくべきだと思います。そして、フリースクール等の逃げ場を十分に提供してあげる必要があると思います。少々とっぴな考えですが、「いじめられっ子バウチャー」でも発行して、ボランティアや山里での農業生産、心身の鍛練にいそしむことができるようにするとか・・・
Nov 7, 2006
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いじめ問題だけではなく、学級崩壊や保護者のクレームについても、現状を報告するのをためらってしまう人間関係が職員室の中にあります。 学級崩壊の兆候を見せ始めたある女性教諭は、職員会で現在のクラスの状況を報告しました。校長のコメントは「もっと担任がしっかりして、対処して欲しい。」程度の内容で、実につれない言い方。具体的な策はまったく提示されないまま、職員会は終わりました。 後でその女性教諭は、「校長にあんな言い方されるなら、言わなければよかった」と、私に漏らしました。 いじめも、学級崩壊も、どのクラスにも起こりうることです。担任の力量の差によって起こる確率が減ることはあるとは思いますが、だからと言って力量の低い人を責めてみて何の得があるのでしょうか。 私たち教師に必要なのは、明白ないじめの定義とその対処法です。他の職員等の第三者ががフォローできる体制を作らない限り、担任が黙り込んで何もできずに日々を過ごしてしまうことに逃げ込んでしまうパターンは後をたたないと思います。
Nov 5, 2006
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いじめ問題は職員間の仲がうまくいっていない場合、もし、自分のクラスで起こっても、言いにくいものです。私はある年、前の学年からひきずっていたいじめ問題を管理職に報告する意味で「週録」に書いた。いじめへの対処について週録を読んだ管理職からはなんのアドバイスも相談もなかった。数日後の職員会議で、校長に「『○年○組』はいじめがあるらしい。」と、何か今の担任である私に問題があるかのごとく発表されてしまった。素直にちゃんと書いただけなのに・・・
Nov 4, 2006
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安倍政権下での教育改革は、2002年の指導要領改訂に伴う教育改革が何であったのかをまず第一に検証することからはじめるべきだと思います。 本日のお勧め本は、埼玉プロ教師の会、河上亮一氏が森前首相の諮問機関であった教育改革国民会議の委員を務めておられたときの事を書き綴っています。改革の難しさというものがにじみ出ていて、いかに教育問題というのが根が深いかを感じさせられる一冊です。教育改革国民会議で何が論じられたか 著者:河上亮一 出版社:草思社 ちなみに、河上亮一氏は、本年度より、「栄光」が経営母体となっている「日本教育大学院大学」で、教授として大学院生を教えられているそうです。プロ教師の会の大変地味なHPも見つけました。http://www13.plala.or.jp/prokyoshinokai/index.html
Oct 12, 2006
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ブログ開始から、やっと3日目。いろいろと書いていきたいことはあるのですが、なかなか時間を生み出すことができません。毎日更新は無理でしょう(笑)。 他にもHP・ブログを複数運営しており、MLにも参加しています。毎日更新は無理です。もう早、弱音です。それでも、まあ、なんとか、このネットの片隅で、少しずつでも情報発信を続けていこうと思っています。 とりあえず、今日は、2002年の指導要領改訂に伴う教育改革に関する検証をした本を紹介しておきます。教育改革の幻想 ちくま新書著者:苅谷剛彦 出版社:筑摩書房 この方、東京大学の大学院教授だそうです。このところTVでもよくお顔をお見かけします。けっこう分かりやすく書いてくださっています。
Oct 11, 2006
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教育再生会議の委員が決まったそうです。http://www.asahi.com/politics/update/1010/006.html 教員仲間からは嫌われるかもしれませんが、個人的には、教員にとって厳し気味の教育改革は必要だと思っています。学校・教員評価制度等の現在進行中の制度にも賛成です。教員免許の更新制度や大学の9月入学や入学前の半年間のボランティア義務づけ等も検討していくそうです。いいんじゃないですか? 家庭教育に関しても議論が展開されるようで、そちらの方も十分にやっていって欲しいです。 学校は明らかに制度疲労をしていると思いますし、家庭の教育機能の低下も著しいと思います。学級崩壊を何度も繰り返す教師や明らかに子供の学力を伸ばすことができない教師がいるのは残念ながら事実です。私自身もあまり高級な教師ではないと思いますが、そんな私から見てでも、かなり問題があると思われる教師は、各校1~2人はいます。 ただ、教育改革には慎重であって欲しいと思っています。現場の事情がわかっていない人達が「思い込み」で強権的に改革を推進するのは、危険だと思うのです。現場が混乱すると第一次的な被害をこうむるのは教員ですが、それにも増して気の毒なのは引き返すことのできない日々を過ごす子供たちです。//////////////////中山成彬元文部科学相は、「スクールミーティング」で水戸市の茨城大教育学部付属小、中学校を訪問し、ゆとり教育について「導入は拙速すぎた」とゆとり世代の中学生に謝罪した。 ////////////////// これは、2004年春の報道です。 総合的な学習の導入を伴う2002年の指導要領改訂の流れは現場をいまだに混乱させ続けています。2005年4月からもう既に1年半が経過しているにもかかわらず、指導要領は2002年当時のままです。文部科学相が謝罪するような教育が今もなお続けられているわけで、この先、ゆとり世代の子供たちに対する補償は、いったいどうなるのでしょうか?? またその改革に費やされた私たち教員の膨大な時間(=税金の損失+無賃残業)に対する責任を取るのは誰なのでしょうか??>>> 体力切れ、明日に続く・・・
Oct 10, 2006
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