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実は今から36年前の1970(昭和45)年8月3日、私は原田駅の筑豊線ホームに停まっているD60牽引の客車列車を撮影していたのです。本日の「思い出の1枚」はそのときのカットですが、この列車が停まっていたホームの雰囲気は、今もあまり変わっていません。懐かしい情景だと感じたのは、こうした理由があったからです。この写真には、かなり後方にですが、ホームの覆い屋根も写っています。それから原田にはターンテーブルもあったんですね。筑豊本線の終点ですので、考えてみれば当然のことですが、このネガをスキャンするまでは、きれいに忘れていました。ターンテーブルがあったあたりには今、駅前マンションが建っています。時の経過をしみじみと感じます。
2006/02/11
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このブログを始めたのが今年の1月1日、元旦でしたので、丸1ヵ月が経とうとしています。おかげさまで、ひと月、1日も欠かすことなく更新を続けることができました。これからも肩に力を入れずに続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。さて、本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月3日に熊本機関区で撮影したC57151号機です。原板のポジが色あせて、ほとんどモノクロ写真のようになっていますが、この151号機には緑のナンバープレートがついていたと思います。なお、今日(31日)から、しばらく九州へまいります。現地でこのブログを更新できたらと思い、向こうへパソコンを持っていきますが(もちろん、仕事でも必要なのですが、笑)、宿泊を予定しているホテルの部屋はどうやらLANに繋がっていないようです。首尾よく更新できれば、おなぐさみ、というところでしょうか。このブログをご贔屓にしていただいている方には、引き続きチェックしていただければうれしいです(万一だめな場合、次の更新は2月4日(土)の夜になる予定です)。
2006/01/31
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昨日は蒸機の後ろにディーゼル機がくっついた重連をご覧いただきましたが、本日は蒸機と電機の組み合わせです。本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月4日に鹿児島本線の上伊集院と薩摩松元の間で撮影したものです。この時は鹿児島本線が電化される直前で、蒸気機関車が牽く貨物列車や客車列車に混じって電気機関車の慣熟運転も行われていました。このカットには、D51 1024号機のあとに交流電機機関車がついていますが、パンタグラフが下がっているところを見ると、蒸機にぶら下がりの回送かもしれません。
2006/01/25
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昨日のブログで、中国の無煙化が猛烈なスピードで進んでいることを書かせていただきましたが、かつての日本でも、国鉄の無煙化直前には蒸気機関車とディーゼル機関車(もしくは電気機関車)がカップルになった重連を見かけました。本日の「思い出の1枚」は、そうしたころの写真です。撮影したのは1968(昭和43)年12月29日で、場所は四国の高松駅です。四国は比較的早くに無煙化が達成されましたので、ほかの地域ではまだまだ蒸気機関車が元気に走っているのに、四国ではディーゼルばかりという時代が、このあとすぐに訪れます。私が四国の蒸気機関車を撮影したのは末期のころのようで、前にC58、後ろにDF50がついたこの貨物列車も、そうした過渡期の記録と見ることができます。土讃線の山岳区間などではD51が運用されたようですが、残念ながら私自身は四国のD51には遇わずじまいでした。四国で最後まで残ったのはC58ですが、集煙装置がついた厳つい格好をしています。それにしてもこの編成、前が蒸機(C58)、後ろがディーゼル機(DF50)の並びでよかったと思います。逆だとがっかりしたでしょうね。
2006/01/24
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わたくし、写真を撮るのは大好きなのですが、そのあとの整理がなかなかできないという困った性格です。折角撮った写真も、整理をしておかないと、時間が経つほど何が何だか分からなくなる、というのは身に沁みているのですが、1日延ばしにするうち、気がつけば1年以上が経過しているということもざらではありません。そこで、昨年秋から一念発起し、撮ったポジはその月のうちに整理すること。これまで未整理のままになっている写真も、できるだけ早くに遡及整理をすること。この2点を自らに課しました。おかげで随分片づいてきたのですが、それでも今なお、かなりの数のポジが未整理袋の中に眠っています。最近整理したのは、1年2ヵ月前に撮影した「SLやまぐち号」です。このとき撮影した写真は、このブログの本館である「鉄道幻灯館」にもアップしていますが、ポジは未整理のままだったのです。整理にあたって久しぶりにポジを見てみると、それはそれで楽しいものです。本日の「思い出の1枚」は、平成16(2004)年11月27日に山口線徳佐のカーブで撮影したC57「やまぐち号」です。サイドから見たC57、やはりラインが流麗です。なお、このブログのお気に入りリンクの中にも入れていますが、「鉄道幻灯館」の本館へはこちらからどうぞ。http://kumahiroki.hp.infoseek.co.jp/index.htmlGallery2の山口線特集の中に収められています。
2006/01/17
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今日はディーゼル機関車がテーマの日ですが、昨日、ナンバープレートの拓本でブログを書かせていただきましたので、本日もそれの関連ネタをご覧いただきたいと思います。なお、昨日のブログに関し、わが畏友品川530さんから「ナンバープレートは交通博物館の壁面に保存されているよ」とのご教示を受けましたので、これに関する記述については訂正したいと思います。さて、昨日のブログを書いているうちに、確かナンバープレートの拓本を採っている所を記録した写真が残っていたはず、と思ってネガを探してみました。本日の「思い出の1枚」は、1972(昭和46)年8月9日に北海道・石北本線の常紋信号所で撮影した1カットですが、当時の拓本はこんなふうに採っていたんだという記録写真としてご覧ください。49673号機のナンバープレートの拓本を採っているのですが、よく見ると、実際に作業をしているのは機関士さんと機関助士さんのようです。北海道とはいえ、真夏はそれなりに暑いもの。拓本採りを見守る鉄道ファンのいでたちからも暑さが伝わってきます(かぶっている帽子や身につけている服装から、時代を感じますね)。運用と運用の間の休憩時間とはいえ、機関士さんたち自らが拓本採りに協力してくれるなど、今では考えられないことです。大らかな時代でした。
2006/01/16
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