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このところ、メルマガブームですね!たくさんの素晴らしい方が、ユニークで為になりそうな情報を提供されてます。その中でも、http://plaza.rakuten.co.jp/sugoihito/ (新・和歌山名物さん)http://plaza.rakuten.co.jp/omoroilife (オモロイ大学さん)のお二方のメルマガには非常に期待しております。新・和歌山名物さんは、竹田陽一先生や天才医師N氏をして、『彼は世界的に影響力を持てる人です。』と言わしめた人です。オモロイ大学さんは、私の大学時代の親友にも似ていて(?)、大きな口を叩く割には、繊細な優しさも併せ持つ、味、愛嬌のある人です。そして当然、なにかオモロイ(?)です。彼も天賦の才を持っておられるのでしょう!いずれも今、いいお付き合いをさせていただいている、大切なお友達です。お二人とも個性的な方ですが、私が常日頃お伝えしているような『熱さ』を持った方だと思ってます。以上、独断と偏見も合わせてお伝えしましたが、日記などもご覧いただき、相性、価値観などが合いそうでしたら、是非ご登録をしてみて下さい。一緒に楽しい輪を創っていきましょう!ありがとうございます。*新・和歌山名物さん*****************************************************************■愛の“バタ・貧”脱出大作戦!! 雨が降ればずる休み。給料以上のローン返済。 女なし、友達なし、家族の信用まるでなしの根性なし。 でも…いまは 美人社員4名と、アルバイト150人に慕われる社長になれました。 そのきっかけは…ひとつの覚悟をしたからです。 私はある日突然「天」からその覚悟を要求されました。 「死」と引き換えに・・・。 □11月5日創刊号 → http://www.mag2.com/m/0000120044.htm *********************************************************************オモロイ大学さん*******************************************************************「オモロイジンセイ大学」事業を、更にオモロクするために。私自身や、皆さんが「オモロイ人生」を生きるために。様々な「こんなんオモロイで!」と感じた商品を開発して行きたい。交流会、セミナー、イベントなどもドシドシ企画・主催して行きたい。「オモロイ人間養成講座」と言う感じの「教育コース」も立ち上げて行きたい。そう言う「事業構想・アイディア」の紹介、そして皆さんからの意見を頂きながら、より良いモノに育ていく。そんな媒介になれば最高や、と思いこのメルマガを創刊致します。名付けて 「さらばオッサン人生!オモロク生きる大作戦!!」 → http://omoroi.jp/mailmag.htm ********************************************************************
2003.10.31
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この一年半ほど、たくさんの方との出会いの機会をいただいていますが、その中で一番大切だと感じているのは、「人間そのもの」なんです。本当に様々な個性、価値観、考え方をもたれた方々と接するうちに、気付かされ、そしてまた新たな自分と出会う、ということを繰り返しているように思います。具体例を書くと、多分この日記を読んでいただいている方なんかが登場したりするので、ここでは敢えて控えますが、やはり、「立ち向かう人の心は鏡なり!」というのは真実ですね。他人のことだとばかり思っていたことが、実は自分のことだった、という実体験をなんども積ませていただいております。そんな流れの中で、人間としても少しは螺旋階段を昇らせていただいているのだろう、と勝手に思ってます。(笑)冗談はさておき、おかげさまで、これから本格的に私がスタートさせていただく物販事業も、結局ははじめに人ありき、なんですね!まず事業に携わるもの同士が、信頼関係に基づいたつながり感をもてないと、その商品なり、サービスは、本物にはなりえません。本物というのは、あいまいな表現ですが、要するに、嘘や虚飾がない、ということです。そしてその物の販売、購入という、きっかけは、新たな本物のコミュニティーの輪を創って行きます。それは健康というキーワードのみならず、自然、生命、家族、生き方、という、人間としての一番基本となる場面でシェアし、助け合うコミュニティーを含んでます。つまり、ものの販売はあくまできっかけであって、そこでは各自が持っている得意分野を、世の中がよりよくなる方向に引き出すお手伝いをしていく、というスタンスまでをも意味しているのです。「言うが安く、行うが難し」なので、ええかっこうはここまでにしておきますが、このようなビジョンを持って進んでいる方向というのは、結局「人間探求」をさせていただいてるんだな、ということに最近気がついたしだい、です。いつかの日記でも書かせたいただいたように、現代に生きる私たちは、人間本来のあたたかさ、優しさ、といったことよりも、一時、効率、生産性とか、経済の方を優先してきましたね。でもまた、今一度、人間性、人間本来持っている感性を取り戻し、もっともっと人間が物質的なものを超えた豊かさを教授する時代が到来しているのです。それは、単に昔に戻るということでは決してなく、人類の進化の過程であろう、と考えてます。最近では、遺伝子のスイッチON、OFFで有名な村上和雄教授も仰られてますが、人間というのは、私たちが考えている以上に素晴らしい存在です。遺伝子操作でコピーを作ることはできても、一から人間を創るというのは不可能だそうです。そんな素晴らしい、人間というものの「探求」に生涯をかけていけることに、感謝の気持ちでいっぱいの今日この頃です。今日も御訪問いただき、ありがとうございます。
2003.10.29
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最近、素晴らしい社長さんに、ある方の御紹介でお会いしました。一部上場の会社社長さんなんですが、いい意味でぜんぜんそれっぽくない感じです。この感性的な部分って表現が難しいですが、とにかく全くガツガツしておられず、淡々として語り、実は非常に熱い、という方です。胆力も感じました。お年は私と同世代で、非常に個性的な方なので、初対面ではまだまだ未知数のところが多く、久しぶりにもっとゆっくりお話したいな、という方でした。感謝。それで、もっとお話したくなる方の特徴の一つに、「あまり細かい計算をされない」というのがあることにふっと、気付きました。例えば、名刺の交換なども、淡々とされてますね。ギラギラしてません。(笑)ギラギラというのは、この人と名刺交換してお友達になれば、自分がなにか得をするのではないかと、いう損得勘定のようなものでしょうか。そのような感じを受ける名刺交換、って気持ちよくないですよね!最近、そのような場に行かないためか、そんなシチュエーションは減ってますが、人と出会う、いいお付き合いをするという時には、「計算高さ」のようなものはないほど気持ちがいいですね。左脳優位で、「この人とこういう関係になって、この人と繋がって、この人は要らなくて、この人とは絶対いい関係になりたい……。」などど知らず知らずのうちにやっておられる方を意外とよく目にしますが、正直気持ち悪いですね。私がよく言っている、「熱い人」とはこの対極にある方々です。私?計算が無さ過ぎて時々苦労しております。(笑)今日もありがとうございます。
2003.10.26
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『 連想ゲームではないけれど、いったん好ましくない状況にはまると、発想はどんどん悪いほうにと傾いていくものです。わかっているけれども、プラス発想がなかなかできにくいことは、誰もが一度や二度は経験しているところでしょう。 しかし、「おれはダメだ」とみずからを卑下したり、否定したりしている研究者は、けっしていい仕事をしていません。最近はダメを前提に生きている人が多いような気がしますが、本当は、そういうときこそプラス発想が必要であって、うまく運んでいるときは、あえてプラス発想など考える必要はありません。(中略) ものごとには二面性があります。どんな出来事も、「よいほう」と「悪いほう」の二つの解釈が可能です。 たとえば、病気にかかった場合、仕事ができなくなったり、金銭的に負担が増えたりと、マイナス面ばかりを考えて、くよくよしてしまいますが、病気をした経験によって、誰が自分にとって本当に大事な人なのかに気づくこともあります。病院のベッドの上で、仕事にかまけてるときには思いもつかなかったアイディアが浮かんだりすることもあります。大病が人生をプラスの方向に変えたという話は、いろいろなところで耳にします。 つまり、悪いと思われる出来事にもいい面もあるということを再確認し、そちらのほうを一心に求めることです。(中略) 世の中の合理性だけに目を向けていると、ものごとの半分しか見えません。合理性を超えるとは、非合理の世界に足を踏み入れることではなく、現代の常識や科学の力ではまだ解明されていないものも視野に入れて考え、判断するという意味です。 そういう見方ができれば、たとえばおぼろげであっても、全体像をつかめるようになります。プラス発想とは、そうした広い視野をつかむ手段でもあるのです。』(生命(いのち)のバカ力(ぢから) 村上和雄著より引用)引用が長くなりましたが、内容はよく言われるオーソドックスなものなので、読んでいただければ納得いただけますよね。ただ、ここで注意すべきは、感情の領域までプラスにする必要がある、ということだと思います。私もよく経験があるのですが、表面的に、言葉尻だけでプラス発想のつもり、をやっても真のプラス発想にはならない、ということです。これは感覚的、精神的な領域なので、ここでうまく表現するのは極めて難しいですが、以前、というよりつい最近までの私が陥っていた部分でもあります。また、村上氏のような科学者が、「現代の常識や科学の力ではまだ解明されていないものも視野に入れて考え、判断する」ということを仰られていることは、非常に心強いです。そして、治療家であり科学者でもある、私の事業パートナーが次のようなことをよく言っているのを想いだします。「実はそこは科学が現実に追いついてないところなので、現代の科学的知識では説明できないんだよ。」それはさておき、現実を素直に受け入れ、どのようにしたらプラスが生み出されるか、心地よく、多くの人が喜んでいただける、プロセス、結果を創りだせるかに、自然とフォーカスすることが私にとって非常に大きなテーマです。つまり、プラス感情、生きがいのある、楽しい人生に多くの人をいざなうのが私の喜び、なのです。P.S.最近の1日1日はほんの1ヶ月前までとは比較にならないほど、濃く、熱いです。多くの方に素晴らしいご縁をいただき、このような素敵な毎日が過ごせてさせていただいていることに深く感謝いたします。あまりにも密度の濃い日を過ごすので、2,3日前のことがはるか昔のことように感じている、次第です。個々には敢えて書きませんが、ご縁をいただいている皆様、本当にありがとうございます。。今日もここまでお読みいただき、ありがとうございます。
2003.10.23
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20世紀は効率性、経済性重視のベクトルで物事が進められた結果、いろいろな部分でひずみが出てきました。例えば、農業なんかで生産性を上げるのに、狭い農地に野菜と野菜が触れ合うくらいたくさんの農作物を植え、病気になって出荷ができないことを防ぐために農薬をたっぷりつかいます。その結果、それぞれに含まれる栄養素、そして生命としての力強さは著しく落ちています。住宅地なんかでも同じですよね。限られた土地を、できる限り有効に活用するために、その地域の雰囲気や景観を無視して高い建築物を建てたり、所狭しとギュウギュウ詰めで住宅を詰め込んだりしてきましたね。また、もっと分かりやすい例では、放し飼いにされ、自然なえさで育てられた豚と、工場で管理され、抗生物質を打たれて病気をしないように調整されてきた、豚とは、食べ比べると味の濃さはもちろん、栄養価的にも似て非なるものと言えるでしょう。これらは誰が悪い、ということではなくて、時代の方向性、ベクトルは、結果としてそのように進んできたということです。ところで、人や車、騒音に囲まれた都会にいる一時間と、空気がきれいで鳥がさえずり、緑が気持ちのいい香りを放っている田舎で過ごす一時間では、人間の生命体としての喜びは全く異なります。すなわち、私たちがこれから考えていかねばいけない方向性は自ずと決まってくるのです。当然、効率や生産性、経済性というものさしをもっとグローバルな視野で、本質的なスタンスで、考えていかなければなりませんよね。つまり、Aという選択は確かにわが社にとっては儲かるが、結果として化学物質による地球汚染を促すことになる。そして環境を汚し、人間の健康にも大きな悪影響を2世代、3世代後にも残す、ことになる、というような全地球的なスタンスが必要です。また、先日の日記でも触れましたように、同時に本当の意味で「自分との出会い」を深めていくと、他の人が困るような、そして後世の人に迷惑がかかるような選択は絶対にできなくなってくる、と思うのです。我々はもっとシンプルに考える、必要があります。上記に述べたようなことは、そんなに深く考えなくても子供でも、というより子供の方が当たり前に考えることです。考えすぎずに感じる、そしてもっとシンプルに考え、行動する、ということを私もこれからこれまで以上に心掛けていきたい、と思います。今日は出張先からの日記でまとまりませんが、御訪問いただきありがとうございます。
2003.10.21
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行徳 哲男という方の、感性論哲学のお話を聞く機会をいただきました。一言で言うと現代人は、「考えすぎ」だと彼は主張します。こんなこと言ったら人に笑われないかな、とか、こんなことしたらバカにされるよ、とか、男が人前で感動して泣いたりしたらかっこわるい、・・・・・・。そんな諸々のことを考えずに、素直に、行動せよ、「下手な考え休むに似たり。」と言います。そして、苦しいとき、失敗したようなときも避けずにその中に入り、その感覚を味わうんだ! 絶望や失敗っていうのは輝き、楽しみの前ぶれですよ、また失敗しないっていうのは何もしてないから失敗しないだけですよ、大いに失敗して次に活かして下さい、と。これがしっかりとでき、カラダでわかっているのが女性ですね。男性は左脳で考えちゃうんでなかなかできません。もう相当以前から、21世紀は感性の時代、と言われてますが、私の知人、友人を見ても、女性は熱い方が本当に多い! です。反面、男性は表面的な事象にとらわれて、冷静でりっぱなように見えて、実は薄っぺらな人生を送っているようにも感じます。そしてそのような現代社会は、全般的に知性、理性が前面に出た結果、「人が悲しもうが私には関係ないよ!」という冷たい風潮になっているのかもしれません。そんな中で、幼児虐待、とか、さかきばら事件のような、気持ちの悪い事件が起こっているのでしょう。そこには、「暖かさ」「やさしさ」のかけらもないですよね。行徳氏は、もう30年以上も、「感性は力」ですよ、ということを教えておられるのだそうです。まさに私が日々感じていたようなことをカラダ全体、全身で、表現されてました。お年は私の父親と同い年の70歳でいらっしゃいますが、声に張りがあり、まさに「熱い」、方で、非常に共感しました。そして彼は言います。一番大切なのは、「自分との出会いです!」と。みんな本当の自分とまだ出会ってません。色々なご縁をいただき、沢山の人と出会い、交わりますが、早く本当の自分と出会って下さいね、と。「自分と出会うこと」が究極の出会い、ですよ!、細かい部分にとらわれずに、熱く語りましょう!そして、考えるのを止めてもっと素直に感じましょう、そうすればみんなもっと元氣になり、もっともっと明るい世の中になります、と締めくくりられました。こんな素晴らしいことを30年以上も前から言っておられる方がおられたんですね。最近の私自身の色々な方との出会い、ご縁は非常に有り難いものですが、どんどん自分自身と深く出会っているようにも思います。自分自身と深く出会うと、自分も他人も同じなんだ、ということに気付くのでしょうか。ますます自分との出会いを深めていき、もっともっと「熱い人生」を送っていきたいと思います。今日もここまでお読みいただき、ありがとうございます。
2003.10.18
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『 私たちのからだは大宇宙の自然と共鳴し、同調するものですが、もう一方で、私たちのからだのなかで完結している小宇宙でもある。「万物、皆我に備わる」(「孟子」)でありまして、人は天の分身であり、自然の一部であるからこそ、万物を一身に含んだ小宇宙なのです。そのなかで、ゆらぎ、バランスを回復させながら生きています。それが健康な状態です。 しかし、適応範囲を超えたときに、バランスに破綻が生まれ、それを回復させようとするときに、発熱したり、下痢をしたり、健康なときに感じない不快な症状が起こります。 ところが、これは、私たちのからだという、小宇宙そのものが破綻しているのではなく、小宇宙の適応範囲を超えた毒などの物質を除去する、あるいは、部分的に修復しようとする小宇宙の防衛反応だと考えた方がいいでしょう。この治ろうとする反応を病気と錯覚して、薬でとりのぞこうとするのが、現代医学です。 この不快な反応を支配しているのは、副交感神経です。副交感神経がゆき過ぎると、たとえば下痢をしますが、この反応を薬によって強制的に止めると、本当のバランス回復はありえません。』(免疫学の威力 なぜあなたの主治医は病気を治せないのか 安保 徹 著 より引用)私は薬で症状を止めることの不自然を、以前にアレルギー性鼻炎を経験したときに実感しました。薬を飲むと確かに症状は止まるのですが、眠くなってカラダもだるくなる、などの副作用に悩まされました。そして飲んでも飲んでも治るところまで行かないんですね。ついつい薬に依存する、でまた、カラダがだるくなる、を一時繰り返していたのです。結局その後、あるサプリメントに出会ったことがきっかけに、薬との違いを体感し、今はそのようなサプリメントを飲まないでも鼻炎の症状が出ることはなくなりました。私の場合は、食生活のバランスが崩れていた結果、そのような症状が出ていたようです。食生活のバランスが悪いために、免疫バランスもおかしくなってますよ、という小宇宙からの警告だった、のだと今は捉えてます。最近、つくづく感じるのは、人間の身体ってやっぱり凄く精巧に創られているんだな、ということです。安保氏が仰られているように、広大な大宇宙の秩序と何ら変わらない、素晴らしい宇宙を私たち自身がいただいているんですよね。そう考えると、感謝の気持ちでいっぱいです。今、生かされているということそのものに・・・・・・。感謝!今日もご来訪ありがとうございます。
2003.10.16
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『人間の身体の各部位と部屋の生命場には明らかに対応関係があります。つまり、ある部屋の生命場が乱れていれば特定の疾患が起きやすく、生命場が調っていれば、対応する部位・臓器が健康を保てるのです。』(生命場の記憶 松永修岳著 より引用)上記は、風水環境科学研究家が書かれたものです。いま、著名な方の間でも、このような伝承科学としての風水の智恵を使ったオフィスや家づくりを行った、というお話を良く聞きます。松永氏によると、風水は「住まいの東洋医学」ともいうべき技術体系なのだそうです。東洋医学においては、臓器と感情の関連が、例えば、肝臓と怒り、肺と悲しみ、腎臓と恐怖のような対応関係があるのです。それと同様に家の玄関、書斎、リビング、寝室などと各臓器とも大きな関連があるのだそうです。私は風水についてはよくわかりませんが、確かに一理あるのでは、と考えてます。で、ここでは風水ということではありませんが、同様なスタンスで、「部屋を物から解放する」ということを提案しておきたい、と思います。現代社会は結果として、「物をため込む(所有)」のが主流の社会になってます。それは主として自分の利得の為であることが多いです。私の仕事部屋なども本や資料、ビデオ、CDがところ狭しと並んでます。もうぐちゃぐちゃです。そのようなオフィスなり部屋からは、やはりそう言う「場のエネルギー」をもらいます。本来、ゆったりと過ごせる部屋も、物が多く、雑然としていると、身体にも圧迫感やモチベーションの低下を生んだりします。臓器で言えば、多分、肺、呼吸器に影響するだろうと考えてます。ただ先般、グレートジャーニーの関野 吉晴氏(医師であり、探検家)の講演を聴いて、はたと気付きました。自然な環境でいわゆる文明の恩恵を受けてない、自然人は、物をほとんどため込まず(所有せず)、自分たちの生活を、「人の繋がり」「助け合い」でシェアしあって生きているのです。これには私もガツーン、とやられました。そして今、やっているのが部屋の大掃除です。(笑)もう思いっ切りほかしてます。(関西弁ですみません。捨ててます。)いかに無駄な物をたくさん抱え込んだ生活をしているかを思い知らされてます。「場のエネルギー」をあげ、「生命場を調える」にはこんな視点も大切だということを上記、関野氏に教えていただいた次第です。素晴らしい気付きに感謝ですね!あなたも今一度ご自分の仕事場、そして住まいを一度見直してみて下さい。そして古い、使ってない物や、本、書類などを全部処分してみてはいかがでしょうか。おそらく、健康状態も変わってくると思いますよ。長文お付き合いいただきありがとうございます。
2003.10.13
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『それは、生物と環境との間だけでなく、その環境のすべての生物同士の間にも、連続的なコミュニケーションが存在していることを意味している。複雑な相互作用のネットワークが、すべての生命を一つの巨大な自己維持系に結びつけている。各部分は、他のあらゆる部分に関係しており、われわれはみな、全体の部分、超自然の部分である。』(ライアル・ワトスン著 スーパーネイチュアより引用)上記、文字だけ追っていくとかなり難しい、ですよね。でも、実はそんなに難しい、ことは言っておりません。簡単な例を挙げてみますね。例えば、夫婦仲が悪く、毎日罵詈雑言でののしり合っているご夫婦のお子さんが、非常に酷いアトピー性皮膚炎に罹っているとか、お金に困っているご夫婦の心労が、ペットとして飼っている、猫ちゃんの病気の、実は大元だった、などなど。実は、個々の出来事だと思っていることが、相互に関連し、密接に影響しあっている、ということです。つまり、私たち人間を中心とする生命体は、元々大宇宙という偉大なエネルギー体から分かれてきた存在なので、その部分、部分は密接に影響し合っており、それぞれ独立した、バラバラの出来事ではないんだ、ということを言っておられるようです。さらに簡単に言うとすれば、「作用反作用の法則」がもっともっと大きな、複雑なレベルで起こっている、とも言えますネ!一方で、カオス理論などを見ていると、科学者達でさえも、ほんの一瞬の不可解な自然の仕組みに直面するとき、ただただ動揺、混乱するだけだそうです。それはさておき、身近な出来事、事実を捉えて、健康づくりについてもっと視野を大きくすることは、多分ものすごく結果が変わることになるでしょう。最近の私の身近なパターンでは、砂糖菓子を大幅に減らすだけで肩こりがなくなり、なんだか夫婦仲も明らかに良くなっている、という、かなりシンクロがかった出来事もありました。物質的な部分、メンタルな部分が相互に作用し合って、健康面でもいろいろな結果が起こっているのは間違いないでしょう。ちょっと難しい視点かもしれませんが、一度日常生活の中で、このような大きなスタンス(?、言葉が見あたらないですね。)で思い切った変更をやってみるのも、何かの気付きを得るきっかけになるかもしれません。今日もご訪問ありがとうございます。
2003.10.10
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『「あいつと合わない」というのは「波動が合わない」ということです。さらにいえば、「合わない」のは、相手の人間性が自分の人間性の幅に入ってこないから合わないのです。人間は自分の人間性の幅の中でコントロールできる相手とならば付き合っていけますが、自分の人間性の幅から外れた人とはうまくやっていけないのです。だから不快を感じたり、嫌いになったりしてしまうことになります。人間の幅は広がっていくものですが、それは揺れ動く幅が大きくなるということです。それは包容力があるということです。包容力のある人は、人間の持つ波動の幅が大きいので、どんな周波数でも吸収できるようになるわけです。』(人間観の革正 感性論的哲学「人間の使命」論 芳村 思風著)健康づくりでは、生命、生命力が基礎になります。その中では、人間という存在そのものに着目しないわけにはいきません。上記のような包容力という意味では、私はまだまだ未熟ですが、人間の「揺れ動く幅」というものを、良いも悪いももっとたくさん体験し、自分の感情、感性として体感する必要があるのだろうなー、と考えてます。そしてそのような感性の容積が大きくなればなるほど、人間としての器が大きくなり、包容力、本物の優しさ、そして厳しさが出て来るんでしょうね。そんな自分を目指して行こうと思います。人間は、物質的な事だけでは語れない、数値だけでは割り切れない存在だからこそ、人間について深く探求する、ということが大切になってくるのだと思うのです。今日もご訪問ありがとうございます。
2003.10.08
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ポーカーのお話が続きますが、イベントをお手伝いしていて気づくのが、そのグループごとに「場のエネルギー」がぜんぜん違う、ということです。もちろん、そのグループのメンバーが一人入れ替わっても「場のエネルギー」はコロッと変わるのですが、集まっている人たちの持っている個々のパワーの相乗効果は、ポーカーのゲームの中でも顕著に現れます。結果として、「場のエネルギー」が高いと感じるグループの様子は、非常にバランスが取れているのです。気迫、ゲームの流れ、礼(儀)(ポーカーは右脳の武道ですので、礼は大切なのです! )などをよく観察していると、「場のエネルギー」の高い集まりほど自然にそのバランスが絶妙のハーモニーを創ってます。非常に感性的な部分ではあるのですが、本当に明らかです。ポーカーをやる以前には、このようなことを考える余裕も機会もなかったのですが、ルールが同じポーカー、そして同じように嶋崎先生の御指導を仰いでのゲームの中で、歴然とした違いを事実として体感できたことは、私にとって非常にラッキーな経験です。そしてポーカーのイベントをやったあとの個々の方々の行動、メール、お手紙などを見るとさらに・・・・・・。まさに人間を観察する、というと誤解があるかもしれませんが、日に日に観察眼、心眼、洞察眼が磨かれてくるという体感的事実には私も正直驚愕してます。おかげさまで、かなり冷静に、感情に振り回されることなく、人を見ることができるようになってきました。さて、このお話を健康づくりに当てはめるとどうなるか?言葉にすると簡単です!「生命場のエネルギー」を高めることですよね。そして上記で、一人一人が創りだす「場のエネルギー」の一人一人っていうのが、食生活のうちの玄米だったり、甘いお菓子だったり、メンタルな部分の例えば「怒り」の感情だったり、ワクワクする感情など、いろいろな要素に当たります。そして、そのいろいろな要素によって、個々の「生命場の力」は大きく変わってくるのです。さらに言うと、今世の中に出ている健康食品、健康関連品の中の多くのものは、その生命場を落とすものが私の検証実験では非常に多いのも事実なのです。「生命場のエネルギー」が落ちると、生命としての力も落ちるのは、上記ポーカーゲームの例から、なんとなくお分かりいただけますでしょうか。(つまり、ポーカーゲームをやっている、場を創っているエネルギーは、その集まり、グループのパワーを規定しているんですね。)私が今フォーカスしているのは、この「生命場」を高めることによって、人間が持っている生命体としての力そのものを取り戻し、そのことにより、不調のある方はそれを元から回復し、健康度の高い方はさらに上のレベルの健康を体感する、ためのお手伝いをすることです。健康づくりにおける違いは、生命場の創り方の差、だったんですね。それぞれの方の生命場を創りなおす、最適化する、お手伝いをすることが、私の目下の最重点課題です。またまた少し難しかったかもしれませんが、今日もお読みいただきありがとうございます。
2003.10.05
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『生まれた以上は死ぬわけだから、極論すれば、人生は、「死ぬために生きる」ことになる。』『生きている時間より死んでる時間の方が長いのなら、生きている間に死ぬことばかり考えるのは損や。死ぬことについては、死んでからゆっくり考えよう。時間はたっぷりある』『「アホぬかせ。死んだら、考えるも何もあるかい。死んだら、そこでしまいや」と言う人もいるだろうが、そういう人には、「見てきたことがあるんか。何もないかどうか、そんなこと分かるかい」とだけ言っておこう。』(ラスベガス流逆転の成功法則 嶋崎 巌著より引用)ポーカーの嶋崎先生のご著書からの引用です。嶋崎先生の見事な『一期一会』の行動力はここからきているんですね。私流に言えば、「美しく死ぬために今を一所懸命生きる」、というふうになります。そしてさらに彼が言うには、『私は、死んでからも、なるべく陽気に生きたい(?)から、やれるだけのことはやっておこうと思うようになった。』(同書より引用)彼の著書は、最近の私のバイブルになってます。(残念ながら絶版で、簡単には手に入らないのですが・・・・・・)まさに言動が一致し、少しも飾ることのない、彼の実生活を目の当たりにして、私も触発されている次第です。その場その場の一挙手一投足を、彼は大切にされます。よく、「今を生きる」っていうことが素晴らしいんだ、と言われますが、まさにそのものズバリの実生活を送っておられる方です。そんな彼を見ていて最近思うのは、今を真剣に生きていけば、多分健康状態もそんなに悪くなることはないだろうということです。なぜなら、病気、不調は過去の不摂生、そして未来への不安、恐怖などがストレス要因となる場合が多いので、その不摂生を正し、不安を抱えず、今を一所懸命生きれば・・・・・・。もう大丈夫ですよね。「死ぬために生きる! 」共感できる方は是非実践に移してみてくださいね。ありがとうございます。
2003.10.03
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今の時代、何かがおかしい、と以前から思っていて、現在手がけている事業を考えているときに気づいたのが、人間、自然を「生命、生命体、命として捉える。」ということをやってないことです。言葉にすると当たり前すぎるのですが、現代科学そのものはいつの間にか完全に唯物論が常識となり、逆に科学者や技術者の方々は自分が唯物論でものを言っているということにさえ気づかない、というのが実態のように思います。(もちろん全員ではありません。)生きているものと死んでいるものと区別しない、食品は生命力のある自然なものに添加物を加え、着色料、香料など人工物を加え、いわゆる商業的スタンスで生命そのものを感謝していただく、ということがものすごく弱くなってますね。コンビニのおにぎりなんかイメージしてもらったらわかりやすいでしょう!あれは生命力が大きく落ちた食べ物です。半分以上死んだものと言ってもいいかもしれません。そして自然の方は言わずもがな、で、人間の都合最優先で作ってきた今の環境は、自然のバランスを大きく崩し、自然のエネルギーは、都心部を中心に大きく低下していると言えるのではないでしょうか。このように生命としての人間、そして生命現象としての自然という捉え方がこれからの科学の対象となっていかなければ、地球、そして宇宙に流れる生命原理、生命法則から大きく外れ、反作用的なエネルギーを受けるのは間違いないと考えます。そしてさらに生命力は心で決まります。心の状態、態度がその生命を決定づけ、つまり心と生命体とは一体なんです。つまり単純に、常に良き想いで、毎日を過ごしている人は、良い因果律の流れに乗り、素晴らしき生命を得ます。逆に悪しき想いで毎日を生きている人は、生命の流れは停滞せざるをえません。わかりやすい例をあげると、江本氏の水の結晶がわかりやすいですね。もうご存じだと思いますが、「ありがとう」と水に語りかけて撮った水の結晶写真と、「ばかやろう」って語りかけた結晶とはその構造は全然違っちゃうっていうやつです。これも左脳的(分析的)に判断するといろいろあるのでしょうが、心と自然の生命体の働きは一体である、ということを表している一例だと私は考えています。とにかく、人間は生命体であり、そして大自然にも生命原理のようなものが頑として働いており、そして人間の想い、心の働きによって、その現象として現れてくる結果は大きく変わってくるのですね。最近私が出会ったシルバメソッドなどは、その想いをいい方向にコントロールし、素晴らしい結果を導くものの一つですし、他にも想いを正し、生命を輝かせるメソッドはたくさんあるでしょう。それぞれの好きなやり方を使えばいいと思いますが、人間を生命として捉え、そして心の働きを認めることは非常に大切です。結果を変えたい方は、是非真剣に取り組んでみてみて下さいね。なお、既に科学者、技術者の方の中には、このようなことに気づき、実際に研究に入っておられる方もたくさんおられます。私の周り、身近にも結構おられるんですよ。21世紀は全人類がそのように、つまり素晴らしい生命体としての人間が、素晴らしい想いで生きていく、そのような時代になることを祈りつつ・・・・・。内容的にちょっと難しかったかもしれませんが、今日もご訪問ありがとうございます。
2003.10.01
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