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このところ、かなりアクティブなステージが続いています。そのため、この日記に向かう時間もほとんど取れてない状況です。でも、今やっと時間が取れました。久しぶりに少しエネルギーを注ぎたいと思います。さて、この月初めは、ご縁をいただいた同年代の友人の死に直面した。なんともやり切れない想いに浸っていた矢先、その同じ日に、また別に身内の死まで重なった。この世は錯覚で成り立っている、とある有名な学者が言っているのを聞いたことがある。昨日までこの世に存在したはずの人が、ある時、この世から消えてしまうというのは、まさにこの世が錯覚で成り立っているから、とも言えるかもしれない。ある時、突然この世に生まれて、ある時、急に消えていなくなる。眼の前に(確かに存在しているはずの)本箱やデスクも100年後にはおそらくどこにも存在しない。考えてみれば、本当に私たちの人生って短いものですよね。少し抹香くさくなるのかもしれないが、仏教用語の、色即是空、空即是色っていうのは、(独断と偏見で)直訳すると、あると想っていたものがなく、実体がないはずのものが今存在している、となる。要は、物質とは絶え間ない変化の中に漂っている存在なんですね。だから、本来は私もあなたもあるひとつの偉大なエネルギーが一時形を変えただけの存在なのかもしれない。まぁ、そう考えると、世間でよくよくいうところの、例えば、あいつはこうすべきだ!とか、こいつは気に食わん(笑)とか言うようなことは、あまり意味がないことかもしれません。身近な人の死に直面してインスパイア大澤は、こんな哲学的な、少しスピリチュアルで宗教的な考えを一人思い巡らしていました。でも、たまには、忙しく、恐ろしくテンポの速い現代社会の中で、こんな思索をすることも、大切なのではないかな!今という大切な瞬間をめいっぱい生き切るためにも・・・ネそんな氣がする今日この頃です!今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとの素敵なご縁に心より感謝します♪
2006.07.17
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うーーん。昨年来の耐震基準偽装事件をはじめ、ライブドア事件もあって、やっぱり今年も激動の年になりそうですね。評論家的なスタンスではなく、自らが生きていくためのヒントとしなければ!と、インスパイア大澤は感じました。私自身はとりわけ、これからの時代は、虚実をよーーく見極めないと、右往左往することになりそうだな、と想った次第です。もうちょっと具体的には、とりわけ、今話題の株価の数字を競う、っていうのは【虚】です。経済活動としては、今の世の中に必要なものではありますが、人間が生きていくためにその競争が絶対に必要なもの!ではありませんね。そういう競争よりも、むしろ野菜や穀物の方が大切。もっと言えば、きれいな空気・水・土、そして生命そのもの、太陽、引力・・・の方が主なるもの、です。で、こっちが【実】。(でも、既にお気づきのように、 現代社会は、まるで、 水・空気・・・生命、太陽、引力が【虚】、 経済や科学・技術が【実】 のようになっています。)つまり、経済活動は今の世の中で重要なものなのですが、それ以上に大切な原点が存在している、っていうことです。(もちろん、全体としては 虚実のバランスがあって、世の中が成り立っています。)そのような、生きていく原点をしっかり腹に落とした上で、お金儲けするもよし、そこそこ中庸に生きるもよし、足ることを知って過ごすのもよし、と、人それぞれですよね。好き好きです。ところで、【虚実】は実は身近な部分でもたくさん出てきます。一つだけお伝えしますと、例えば、肩こりっていうのは、表に出てきた【実】の症状ですね。この実の裏には、必ず【虚】である原因があります。肩こりの場合は、いろいろ考えられますが、まぁ、眼の疲れから肩こりが発生したとしましょう。そうすると、肩を揉むだけでは、肩こりは治りませんよね。(一時的には良くなったかに見えますが・・・)そう。眼の疲れを何とかしないと・・・。つまり、【虚】を満たすことによって、初めて【実】も満ちるんです。虚実は裏表なんです。そして、現代社会の特徴は、この両面のバランスがとても悪くなっていること、です。(現代の医学が、症状、結果からしか見ない、 っていうのも象徴的です。)一方向からだけしか観ない、という傾向が強くなっているんですね。それゆえ、これからは、少しずつその振り子の逆ブレ現象が起こるのは、必至だと思います。(今回のような、世の中を騒がせる事件を経過 しながら・・・)私の、海水をヒシャクで汲みだすような活動も、実にこの【虚実のバランス】を強く志向しているんですよ。まだまだ力不足ですが・・・と、一見、少し難しいお話になりました。でも、とても大切なことなので綴ってみました。あなたのインスピレーションを誘起することが出来れば幸いに思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
2006.01.25
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あけましておめでとうございます。昨年は、今までなかったほどの量・質の、様々な実体験を重ね、自らの血と肉を濃くするよう、努めてきました。そして、それを受けて、今年インスパイア大澤のテーマは、【自らの立ち位置をシッカリと!】です。別の言葉で言うとすれば、人としての【原点回帰】となります。今、巷では、たくさんの情報が溢れかえっています。が、しかし、その多くは、そのままでは全く使えない情報です。自らが必要な情報を選び取り、自らの覚悟でもって、使いこなす!ということが求められている、と思います。これは、昨年度の自分自身の反省も踏まえています。たとえ、世間で超一流と騒がれている人からの情報であっても、個々の人間には使えない、活かせないものはたくさんあります。溢れかえった情報に惑わされることなく、自らの立ち位置を不動のものに・・・非常に遠大な課題ですが、今年は覚悟して取り組みます。そして、立ち位置を変えないということで、もう少しつっこむとすれば・・・立場や肩書き、名声、貧富、目に見える活動・・・などなど、外観的なものに惑わされない、ということも大切にしたいと思います。【松の木を松の木として見る】【人をその人として見る】これは一生かけてやるほどのテーマですね。人間はスグに観念や思い込み、また時には人の噂だけで、物事を判断しますから・・・と、決意表明的になりましたが、この場はあくまでも日記。しかも今は、週記(ペース)も書けていません。(苦笑)それでも、昨年同様、少ないながらも氣合を込めた言霊を(自らに)投げかけていこうと考えています。ご縁のあるあなたと、今年はさらに濃いお付き合いができれば幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
2006.01.04
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【5時間は寝ないと調子が悪い!】【昼ごはんを食べてないから、力が出ない】【モーツァルトを聴くと癒される】【会社を離れて、自分で稼ぐのは難しい】【子供がうるさいので、家では仕事が進まない】【健康に良くない、といわれるものを食べると体調がおかしい】・・・・・・全部観念です。ある事象の一面を突いていたとしても、事実、真理とは言えません。例えば、【夜食べると太る】という学説が最近流行っています。この学説を見て、ある人は、「あっ、そう」ってそっけなく反応します。肥えている、と感じない人はそうでしょう。「でも私夜しっかり食べてるけど太らないぞ」ってね。またある人は、「やっぱりそうか~」「夜8時以降は、絶対に食べないようにするぞ~」また、別の人は、「夜の食事を止めて、朝、昼2食を試してみようか!」なーんて・・・カラダのリズムを調節する、特殊なタンパク質が夜間に増える。そしてそれが、体内の脂肪生成に関与している、という事実に対する反応は、上記のように様々ですよね。絶対に・・・みーんな同じ事実や出来事を観て、違う世界を生きているんです。すべて観念ですよね。【固定観念】という言葉もあります。これに私たちって、むちゃむちゃ縛られています。というより、無意識レベル・潜在意識レベルで勝手に動かされている、といったほうがいいでしょう。ですから、私たちは、自分が生きたい世界に行こう!とする時、この観念に注目する必要があるのです。ところで、観念って、正確にはどういう意味?広辞苑では、◆物事に対する考え。見解。となっています。観念に注目するとは、自分が持っている観念が、自分を縛ってないか・・・!これに注視する、ということです。そして、要らない観念は思い切って変えてしまう。実は今、私これを徹底的にやっています。睡眠時間、食事時間、めちゃくちゃです。でも、調子よく生きています。(笑)自分自身がいかにたくさんの観念の世界に生きているかに、本当に驚いている次第です。言うが安く、行うが難しの世界でもありますが、事実を事実として捉えていく、ということにチャレンジ中のインスパイア大澤でした。(※哲学的に深く探求すると、ちょっと違う側面もあるのですが、思い切って簡単に書いてみました。念のため・・・)ココまで読んでいただき、ありがとうございます。あなたとのご縁に感謝!いたします。今日があなたにとってステキな一日となりますように・・・♪
2005.10.20
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今日の日経新聞にかの発光ダイオードの発明裁判で『200億円判決』を勝ち取られた、弁護士の方のお話が出ていました。そこにはこう書いてありました。『 私にとって一番大事なのは時間です。 人生が有限だと気づいたのは四十歳ぐらいのときですが、気づいただけに終わったことを今ではとても反省しています。』イヤー、深い、です。現在62歳の方ですが、今ちょうど私も40歳。そして、同じく時間価値の大切さに気づき、その気づきにしたがって行動している、つもりです。でも実際はまだまだだと自覚していますが…。また、司馬遼太郎さんは四十歳くらいのときに『一ヶ月に十三-十四回は死ぬことを考えて』おられたそうですが、それは、死を前にしたときの心境を想像しながら、今その死を迎えても悔いのないような生き方をする、ということを常に考えて生きてこられたということだと思います。そして、話は少し変わりますが、『いかに死ぬべきか』というのは、結局健康づくり、自分づくり、とも大きく関係があるのです。つまり、病院に入院してそこで人生の最後を迎える方と、ある日ぽっくりと亡くなり、「死の前日まで普通に過ごしている人」とでは、生き方も異なり、結果死に方も変わってくるということですね。「死を前にしたときの心境」を考えつつ、では「いまなにをすべきか」にフォーカスすると見えてくるものがあるかもしれませんよね。今日はかなり哲学的なお話になりましたが、あなたはこんなこと考えたことないでしょうか。死というと、一見暗いイメージもあるかと思いますが、今を生ききる材料として「いかに死ぬべきか」を考えるのもたまにはいいかも、ですよ。ということで、明るく捉えて(笑)いただければ幸いです。今日もここまでお読みくださり、ありがとうございます。
2004.08.23
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