JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

日本水仙、房咲水仙… New! 隠居人はせじぃさん

伊勢原市の寺社史蹟… New! オジン0523さん

【天神までお出かけ … Gママさん

加湿器に麦茶を入れ… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2024.12.03
XML
カテゴリ: JINさんの農園
「青山2丁目」交差点 に到着。



「青山二丁目」交差点からの「 明治神宮外苑 いちょう並木 」を見る。
明治神宮外苑は、明治天皇と昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるために、全国国民からの
寄付金と献木、青年団による勤労奉仕により、文化・スポーツの普及の拠点として、
大正15年(1926)10月22日に明治神宮に奉献された。
青山通り口から外苑中央広場円周道路に至る約300mのこのいちょう並木は、11月中旬ごろより
黄葉が始まり11月下旬になると黄金色に輝くのである。



明治神宮外苑 いちょう並木 」の先、正面に「 聖徳記念絵画館 」。
4列146本のいちょう並木 であると。



ズームして。



「青山2丁目交差点」の」横断歩道を渡り、「明治神宮外苑 いちょう並木」方向に進む。



右手奥の1.5mほどの高さの石垣は「 江戸城枡形門(江戸城石垣移築) 」とのこと。



石垣越しにズームして。



明治神宮外苑之記」碑。



明治神宮外苑之記
明治神宮奉賛會總裁元帥陸軍大将大勲位功二級載仁親王篆額
明治四十五年七月明治天皇遽に不予にましまし、尋で大漸に渡らせらるヽや、上下憂懼措く所を
知らず、二重橋外日夜を連ね市民の沙上に拝跪して御平癒を祈る者万を以て数ふ、其の三十日
遂に崩御あらせらるヽに及び、億兆悲慟天地為に黯澹たり、八月の初め東京市民は葵藿向日の
至誠を披瀝し、山陵の地を帝都に卜せられんことを内願す、其の桃山に決定せらるヽに及び、
更に神宮の奉祀を懇請し、帝国議会も亦其の議を決せり、是に於て政府は神社奉祀調査会を置き、
委員を挙げて審議せしめ、神宮鎮座の地を郊外代々木に相せり、大正三年四月昭憲皇太后崩御
あらせらるヽに及び、合祀の事を治定あらせられ、明治神宮造営局を置き社殿を営ませ給ふ、
然れども国民孺慕の心は之を以て足れりとせず、明治神宮奉賛会を興し、神宮外苑を設け、
以て記念の事業を永遠に遺さんとす、事 天聴に達し畏くも御内帑金三十万円を賜ふ、天下翕然
として貲を献じ、遠く海外に在る者亦争ひて之を賛く、是に於て衆議旧青山練兵場を以て外苑の
地に擬定す、蓋し此の地は大帝屡観兵の式を行はせられ、彼の憲法発布の慶典及び日露戦役の
凱旋に当りて其の儀特に厳粛を極めさせられたる遺躅を留め、且つ大葬に際しては亦実に葬場殿を
置き給ひし所なるを以てなり、奉賛会は先つ政府より此の地の提供を受け、進みて隣接の地を
購ひ合せて十五万五千坪を得たり、乃ち工事を造営局に託して、地域を修治し、林泉を布置し、
葬場殿の故址は樹を植ゑて之を標す、其の前方に聖徳記念絵画館を建て、大帝並に皇太后御一代の
重要なる御事蹟に関する画幀八十を館中に掲ぐ、多くは御事蹟に縁故ある縉紳若くは公私団体等の
献納に係り、当代名家の手に成れるものなり、苑の東辺に憲法記念館を置く、館は原と赤坂仮皇居
に在り、大帝親臨して帝国憲法及び皇室典範制定の議を重ね給ひし所にして、公爵伊藤博文に
賜ひしものなり、苑の西辺に競技場・野球場・相撲場等を設く、起工以来十閲年、其の間総裁
伏見宮貞愛親王殿下薨去あらせられ、閑院宮載仁親王殿下後を承けて此の事業を完くし給へり、
而して国民上下洪恩の万一に報い奉らんとし、至情の溢るヽ所或は労役に服し、或は貲財を献じ、
但後れんことを是れ懼れ、人をして遠く仁徳天皇の古を想見せしむるものあり、嗚呼大帝の
盛徳大業は誰か仰ぎ奉らざらん、皇太后の淑範懿行は誰か慕ひ奉らざらん、今此の苑の設け一に
仰慕の微意を寓せり、若し夫れ今後来りて神宮を拝するもの、内苑の崇高森厳なるには俯仰の間
粛然として威霊の尊きを感じ、外苑の曠遠開豁なるには優游の中穆然として恩徳の深きを思ふもの
あらん、内外両苑相須ちて神域の規模是れ備はり、神人相和して国運愈隆昌なるを致すに至らん、
玆に外苑工事全く唆り、之を神宮に奉献するに当り、事の顛末を略叙して後人に告ぐと云爾
  大正十五年十月
   明治神宮奉賛会会長正二位勲一等公爵 徳川家達撰」 



明治神宮外苑の記
石碑の題字 「明治神宮外苑之記」
      明治神宮奉会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書(てんしょ)
撰文    明治神宮奉賢会 会長 徳川家達
石材    東北仙台産の板岩
      高・地表四メートル 幅・一、八メートル 厚・〇、三六メートル
碑文の大意
明治四十五年(一九一ニ)七月三十日に、明治天皇(第一ニニ代の天皇・今の天皇の高祖父)、
大正三年(一九一四)四月十一日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。
これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し
上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正九年(一九二〇)十一月一日、代々木の地に、
明治神宮の御創建となったのであります。
明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき
躍進を遂け、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な
御事蹟と御聖徳の数々を、永くに伝えたいものと、明治神宮外苑の造営が進められることになり
ました。
これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しはしば陸軍観兵式を行わせられ、
又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金をはしめとして、ひろく
全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正十五年(一九ニ六)
十月に、明治神宮外苑は完成しました。
苑内には、天皇・皇后御ニ方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた八十枚の大壁画ガ揚げられて
いる白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの優れた運動施設が
設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の心身鍛練の場として、或は遊歩を楽しむ人々の憩いの
苑として、崇高森厳の気漲る(みなぎる)内苑と相俟(ま)って造成されたもので、永く後世に
残されるものであります。
外苑造成工事全く成り、奉質会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の
人々に伝えるものであります。
   大正十五年十月
      明治神宮奉質会 会長 徳川家達」


A serene landscape featuring a row of ginkgo trees with golden leaves glowing in sunlight against a vibrant blue sky. The path under the trees is dappled with golden light, with a few scattered leaves on the ground. The perspective leads the eye down the pathway, evoking a peaceful autumnal atmosphere. The vibrant colors of the leaves contrast beautifully with the clear, bright sky, creating a picturesque fall scene.

澄み渡る青空が背景に広がり、イチョウの黄色い葉の鮮やかさを引き立てていた。
この色のコントラストは、秋の澄んだ空気感を感じさせるのであった。



イチョウの葉が光を受けて輝き、まるで金色のカーテンが円錐状に広がっているような印象。
葉の密度が高く、ボリューム感がたっぷり。
右手のイチョウの樹はこれからが本番。



銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上中生ジュラ紀(一億五千万年前、
巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その
化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、
多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を
続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく
植えられてあり、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど
植えられておりません。
並木の総本数は一四六本(雄木四四本・雌木一〇ニ本)
四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観 。これを通し、正面に白亜の
絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年に
わたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は大正十五年
(一九ニ六)十月ニ十に日の創建でありますが、その苑地造成に当たり、青山通り正面からの直線
主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することに
なりました。
これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ち
つつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの
考えによるものです。
この外苑の銀杏樹か、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園
主任技師・昭和四十一年ハ十六歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治四十一年(一九〇ハ)新宿御苑
在来木の、銀杏樹から銀杏を採集し、これを種子として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の
明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数
一六〇〇本にもなりました。
外苑造苑に当たり、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高六メートル内外に成長していた、
これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきた
ものを、大正十ニ年(一九一三)に植栽したものです。
直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至るニ条の並木も同時に
植えられております。最高ニ十四メートル・目通り周りニメートル八十センチ、最低十七メートル
目通り周り一メートル八十センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられて
おります。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。
この銀杏が、苗圃で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように
雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、
その成長量がいかに偉大であるかを、如実に物語っております。
樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしようが、よき所で、よく育てられ、
よき場所に植えられた樹木ほど幸運なものはないでしよう。同じ時期に、同し苗圃で育てられて
きた、これら多くの兄弟木は、世にも希なる幸福な樹木と言えましよう。今後幾百年、これら
兄弟木の銀杏は生長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑々地と融和し、
我々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。
   平成御大礼の日 之を建つ
        平成二年十一月十一日  明治神宮外苑」



明治神宮外苑案内図 」。



近づいて。



「これからもずっと、四列のいちょう並木を守ります
今と変わらず、お楽しみいたたくために、ルール・マナーを守りましよう。
*以下のような行為はご遠慮ください。
・横断歩道以外での横断
・車道上での撮影
・植栽帯(いちょうの根元)への立入り
                 明治神宮外外苑」



並木道が奥へと続き、視線が自然と奥へと導かれるのであった。



樹の根元そして地面には黄色い葉が散り、歩道に柔らかい雰囲気を与えていた。



イチョウの葉でバラの花を作っている女性の手元を撮影させていただきました。

やってみたい!」「懐かしい」 イチョウの落ち葉が美しいバラに変身! – grape [グレイプ]

イチョウ並木の黄金の輝きは、秋のこの時期に見られる自然の美しさの一つ。
まるで黄金の海が広がるような光景なのであった。



まさに秋の豊かな色彩の象徴であり、心を癒し、感動を与えてくれる瞬間。



風に舞い散る葉が光を反射して、まるで黄金の粒子が空中を漂っているかのように。
金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 神宮の路に・・・詠み人知らず 』。



そして黄金の並木の下には、 中国語も空中を漂っているかのように



暫し、 キャプションは無し で黄金の輝きを!!







左奥には 「秩父宮ラグビー場」への並木道 が。



ズームして。



反対側の並木道からも 中国語が舞い込んで来る のであった。



さらに「神宮軟式球場噴水」前のT字路に向かって進む。



再びキャプション無しで。











                                 ・・・もどる・・・



                   ・・・つづく・・・








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.12.04 08:00:26
コメント(0) | コメントを書く
[JINさんの農園] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: