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とっても感動した。なんて素直な方なんだろう。江原さんもとても語りやすかったと思う。お母様が涙を流しながらテレビをご覧になっていらっしゃるのじゃないかと感じた。江原さん「横綱になっていって下さいよ。(今生で)・・でなきゃ又、生まれてこなきゃならない」また初めからやりなおさなきゃならない。美輪さん「生まれてくる手続きって大変なのよ。パスポートの手続きどころじゃないのよ」自分のこととして、だらけてる自分のこととしてカツを入れられたように感じる。司会役の国分さん、お母さん役の美輪さん、お父さん役の江原さん、そして選ばれて登場するゲストさん。誰でも、出演できるわけではなさそうです。引き寄せられて、手続き踏んで、出演がコーディネートされるのでありましょう。四柱推命の概略的な鑑定も、全て含まれているようだ。けれど、それだけでは、これほどのアートなトーク番組は作れない。お墓の下から風を送ったというお父様は、息子の骨となって支えると言ってるという。霊は、骨に入ることができるのか・・と思った。きっと、言葉のあやでなく、できるんだと思った。霊人は骨に入ることができるんだと。龍二さんのうれしそうなお顔。子は父と母の守りによって安定するのだと知った。大きな神さまが、この番組を通してコーディネートされていらっしゃるのだろうな。江原さんが、厳しい、本当のことは、視聴者の一人一人に通じる話。それを、素直に、「はい、そうです」と無心、無邪気にお返事される龍二さん。私も、「はい、そうです」素直な気持ちで受け留めたくなった。今生で、やること、やっていかなきゃ。時間は限られている。今年、後半、自分を応援するように、龍二さんを応援する自分があると思う。負けて悔しい時は、その思いを海に捨てに行く。あなたは、その体を選んで生まれてきた。それも、頼み込んで、生まれてきた。今は紫の時じゃない。赤の色で闘志を燃やさないと。私も、薄紫など、紫系統の服が何故か集まってきていると気づいていた。が、赤を思いきって取り入れてみようと思った。
2006年07月05日
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チベットの一妻多夫の話は結構有名な話だという。「ダライ・ラマ~」たかのさんによれば・・。私もテレビのドキュメンタリーでみたことがある。男兄弟とその父を含めた家族の中に嫁は一人だけ。生まれた子供は誰の子かはわからないので、全ての夫の子供として育ち、子供は全ての男親を父としているという話。お嫁さん、はじめはびっくりしたというが。理由は経済問題。財産を分散させまいとするなど。私は、テレビでみて、ぞっとした。これでは、やがて国は滅びてしまうだろうと予感する。嫉妬がおこらないだろうか?心中複雑である。そうしないと食べていけないという切実な現実があるのだろうが。たかのさんもネパールのチベット文化圏で、一妻多夫の家にお邪魔したことがあるという。たかのさんが北インドのラダックでチベット難民二世(両親がインドに亡命)のカルマという青年と出会う。家族構成の話の中で。「父さんには、奥さんがふたりいるんだ。初めに結婚したのが僕の母さんで、二人目の奥さんとは子供がいないんだけど、僕たちは四人で一緒に暮らしてるんだよ」チベットは一妻多夫だけでなく、一夫多妻もある?「もちろん、今はそんな例もうほとんどないんだけれど、僕らの親の世代の頃にはよくあることだったんだ」二番目のお母さんはカルマが五歳くらいの、物心ついたときから一緒に住んでるから、フツーに家族の一員という感じだという。カルマのお母さんは、焼きモチを焼いたりしないの?という質問に近所に住む青年ドルチェが答える。「焼きモチなんて焼くワケないさ。三人とも、仲良く同じ部屋で寝てるんだし。奥さんたちふたりは血は繋がってないけど、親友みたいな間柄なんだよ」その話はそこまで。その話はそのとおりには受け取れない。近所に住む青年の目にはそう映るかもしれないが、果たして、どうだろう。イスラームの一夫多妻は経済援助の意味合いがあるときくが。「砂漠の女ディりー」の実話の中では、ソマリアの砂漠地帯にて、家畜の世話をする労働力は多い方が良いという考えもあり、ディりーの父も、若い妻をもらう場面が出てくる。母親の気持ちに通じる娘の視点から見る時、どれほど複雑で、はじめの夫婦の信頼が崩れていったかしれない。一妻多夫も、一夫多妻も、経済などは理由にならない。怨念を抱いている魂が、そのような国に取り残されていると、私は感じた。一夫一婦しかだめだ。いくら、その他で、いいこと言っても、男女関係のあり方で、その国の未来は見えてしまう。昭和天皇は良子(ながこ)様に女のお子様しかお生まれにならなかったとき、「側室を」という声を退けたという。女性の側からすると感動する話である。良子様というと、本で読んだのだが、鳥目の診断を受けたという。(良子さまの兄弟もまた)が、両親や親族で、鳥目の者はいなかったそうだ。ところが、父親の妾(その家系?)が鳥目だったという話である。妾の病気は男につながれ、正妻に及び、そして正妻から生まれた子女に遺伝するという話。これは隔世遺伝というものらしい。(途中の世代を一つ通り越して遺伝される)「チャングムの誓い」でも朝鮮王朝の王様にはたくさんの側室がいた。女性の心は皆、不安定だ。腹違いの兄弟たちの心も運命も複雑だ。そして王様の心も非常に孤独である。一夫多妻・・神様から心が遠ざかっていく結果を生んでいる。韓国ドラマは、ヒロインが二人の男性に愛されて苦労するという話。ああ、モテなくて、何て私は幸せなんだろう!ただ一人しかいないという幸せ。
2006年07月05日
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というタイトルの本が出ているのは知っていた。が、ダライ・ラマに馴染みがなかったので、手にとることもなかった。たかのさんの本は「モロッコでラマダーン(断食)」・・断食のフレーズに惹かれ読み始め。メチャ面白かった。以前の職場の人が「GWはインドに行って来た」というのを聞いて、たかのさんの「ガンジス川でバタフライ」を読む気になる。で、たまたま、図書館をうろついていると「ダライ・ラマに~」背表紙が目に留まり・・目次を開いて「シャーマン」「伝統医学」「チベット」「一夫多妻」「前世」「カルマ」というキーワードに、ああ~、今読んだら理解できる本らしいと思って読むことに。たかのさんは、宗教的バックグラウンドがないと本人おっしゃってる。けど、世界を旅されて、行く場所ごとの宗教的習慣を生活で体験なさっている。それを日記のようにまとめたものを、本にしているという気がした。実はとんでもなく、宗教的要素と感性のある方なんだな、この方は。ふつうの女の子がそういう生活に触れて感動したことを純粋に書いているので、こちらも擬似体験した気分になります。(文中より抜粋)『~仏教哲学について学んでいるのは、何もお坊さんだけじゃなかったんだなぁ。「じゃあ、ラクパはいつも、お寺で何を祈ってるの?」「僕は毎朝、一時間、お祈りするんだけど、ダライ・ラマが長生きされることと、すべての人の幸せと平和を祈ってるよ」みんなが口を揃えて同じセリフを口にするのが、私には不思議でならなかった。~どうしてみんな、自分のことは祈らず、他の人や世界のことばかり祈ってられるんだろう。「仏教徒は、自分のことは祈らないものなの?」「だって、きみも平和を望んでいるでしょ?きみも僕も、世界中の人がみんな、平和を望んでいることに変わりないもの。すべての人の幸せと平和を願えば、自分もその中に含まれているじゃない」~「ええ~、みんなそう思って、すべての人の幸せと平和を祈ってるの~?~ツェワンは?ツェワンはいつも何を祈ってるの?」「僕かい?僕はいつも、どうか健康で長生きできますように、って祈ってるよ」ツェワンの人間くさい言葉を聞いて、思わずホッとしてしまう。「ハハッ、ツェワンは長生きしたいんだ~。ツェワンはなんで長生きしたいの?」~私がほくほく顔で聞くと、ツェワンは淡々と言う。「長生きして、一人でも多くの患者を助けたいんだ。自分が不健康だと、他の人のことを助けてあげられないからね」セルフィッシュな答えを期待していた自分が、なんだかハズカシくなる。ツェワンは単に長生きしたいのではなく、人を救いたいから長生きしたいというのだ。~「そんなにいいことばかりしてるんだから、ツェワンは死ぬのが怖くないんじゃない?」ツェワンはとんでもないという感じで首を振る。「そんなことないよ、死ぬのはもちろん怖いよ。僕はまだまだいいことをしてないもの。僕はいいことを十分しないまま、死ぬのが怖いんだ」なんて謙虚なんだろう。「いいことをし足りなくて死ぬのが怖い」なんてセリフ生まれて初めて聞く気がした』(p126~p129)とてもハッとしました。すべての人の幸せと平和を祈れば、その中に自分も含まれるという話。人を助けるために長生きしたいと話したツェワンはチベットの伝統医学のお医者さん。ああ、そうなんだな、人に役立つ何かをする。それが長生きのテーマだったんだ。甲田光雄先生が、「長生きするには朝食を抜きなさい」などの本に「何のために長生きするのか人生の目的を明確にしなさい」と書かれていたのだった。そのことを思いながら、これからの創造的家事をおこなっていこうと思う。ガーン!と打ちのめされた。ところで、前の職場で「GWインドに行って来た」と言ってた人、「なんで?」って聞いたら、そういえば「ダライ・ラマに会うために」と言っていたんだった。今、思い出した。彼女はこうもいっていた。「私はカトリック、ガンジス川で水行なんかしないわ。宗教が違うもの」「カトリックというとマリアさま?」「ええ、そうよ。もっとも、マグダラのマリアさまの方ですけど」「ええっ!『ダヴィンチ・コード』のぉ?」「あれは、すべて、ほんとうよ」という昼の短いやりとりをして間もなく彼女はその職場を去った。スピリチュアル関連のヒーリングの教室を開く仕度が整ったと言っていた。「ダライ・ラマ~」本はまだ途中。たかのさんが、こうも言っていた。「ツェワンが患者さんを診療する様子を眺めていると、宗教って、薬とかマッサージみたいなモノかもしれないなぁとぼんやり思う。どんな薬もどんなマッサージも、合う合わないがあるし、何が効くかは人それぞれだ。何を信じ、何が効くのかは、その人の生まれ育った環境や気質によるところも大きいんだろう」・・十人十色?・・神様へ帰る道もいくとおりもある?てくてく歩く巡礼の道。
2006年07月05日
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昨日書き損ねてしまった。書くことが思い浮かばない・・24時近くになって、ようやく書き留めたいことが本を読んでみつかる。ああ、そうだった。感動、とまではいかなくても、心を動かす小さなことを見つけたら、それを書き留めればよいのだ。自己の内面整理及びヒーリングと癒し、それと次なる計画のために。が、早く寝る、ということを選択。早朝、出掛けなければならないことを思い出したからだった。全てが早かった。シャワー五分、着替え五分、Nさんが車に乗せていってくれると言い出したので、それに便乗したかった。会社への届け物、銀行、スーパーと回ったが、どこも早すぎて、本を読んで待つ・・という小さな旅になった。ネットで見つけた「喜びながら生きる方法」。一日一回は大便する(長生きするには必要)・歩く(毒素を溜めないため)読む・人と話す(鬱にならない)・書く(自己整理のため)・・と知って、書くことはいいことなんだと再認識。古い自分をどんどん向こうに過ぎ去らせたいので、どんどん書く。そしたら、恥かしくない。スーパーでカードが見つからない。ああっ、現金が今日はあった。千円札で払う。久々にお札を触った。前の人が五千円札で払っていた。ああ、あれが、最近の~。カードで買い物するだけの日々なので、細かいことはNさんがやってくれる。それだけで、年をとらない気がしてる。前世が私の母だろうかと思われるNさんに、ありがとう。昨日、Nさんの横で眠りにつく時、癒されるぅーと思った。風水などの癒し効果があるとされるスピリチュアル・ストーンってこんなかんじ?とおもった。とにかく12時過ぎたら寝るくせを。早起き習慣と善霊と付き合うために。ああ、やっぱり、どんどん書くと、気持ちが前向きに、意欲的になっていくのがわかる。生協さんで、顔写真が出ている農家さんの、特別青果売り場を穴場とみた。虫が食ってるキャベツ(どれどれ、写真をみると七十代のおばあちゃん)・・今朝収穫したばかりの・・いいかんじだ。芋虫らしき虫が中をのぞくと。ああ、コレコレ、こういうのを、私の体は求めているのだ。家に帰ったら、もう一度、熱いシャワー。人ごみの中を歩いてきたし。よし、さっぱり。玄米を多めの水で炊いてみた。玄米スープは本によると普通のなべのようだったので、そうしてきたが、いまひとつ、ものたりなかった。今日は圧力鍋で、玄米粥を。とても、うまそうにできた。ねっとり感がでている。やはり、ドイツ製のフィスラーの圧力鍋は優秀であった。口も体も満ち満ちた。食べ物を通して神様に祝福されたような気持ちになる。片付けのウォーミングアップが整った。今、この賃貸マンションは空き部屋が多くなったためリフォーム業者が入って、あちこちから色々な音が聞こえる。私もリフォーム業者さんのノリで、時間内を働けということだろう。動くしかない。「たくさんのことを片付けるために一番手っ取り早い方法は、一度に1つのことをやることだ」(~サミュエル・スマイルズ)
2006年07月05日
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「人間の知性は、新しいことに目覚めて広がり始めると、元の大きさには戻らない」(オリヴァー・ウェンデル・ホームズ/作家)今、そんな言葉が自分にぴったりくる。フリーな時間を手に入れて、どのように過ごしたらとことん満足がいくか・・コツがわかってきた。やりたいことを誰にも気兼ねなく思いきりする。好きな読み物を思いきり好きなだけ読む。という霊的知的欲求を充足させる。霊性が研ぎ澄まされてくる。習慣性の観念が飛び散り、巡礼の人となる。ここ数日、巡礼記事を読むと共に、巡礼地を歩いている人に因(ちな)んだ食事の摂り方となり。粉末の玄米酵素を浄水で溶き、蜂蜜をかけて食べてみた。とてもイケます。荒野を歩くとしたら、玄米粉をリュックに入れ持参し、水で溶いて食べると良いだろうと思いつく。キャベツを四つに包丁を入れて、水で洗ってバリバリ食べる。何もつけないで黙々と、バリバリ噛み締める。生協さんの青果売り場で、作り手の農家の人の写真表示の野菜コーナーがあり。少々値段が高くても、高くないなとわかる。体がコレ食べたい!と惹きつけられてる。案の定、そこで手にしたキャベツは柔らかく、素晴らしい気持ちにさそってくれた。この野菜を作った人は頭の良い人である。豊かな人生観の持ち主。人格に優れ、良い心を持っている。キャベツを食べながら、作り手の方と交信するおもいだ。好きな野菜はキャベツの他に、最近は玉葱に凝っている。いかに生で食べるか。玉葱を生で食すようになってから、家事で体がスイスイ動くようになったとも感じる。玉葱スライスに自然塩・オイル・酢をふりかけておく。そこに茹でたスパゲッティでもジャガイモでも入れれば、生の玉葱がラクラク食べられる。オーリングテストで体は正直に反応する。体が好むもの、好まないもの。体を温める玄米は夏、あまり食べる気がしないものだから。気分を変えて、玄米スープを作ってみた。玄米をカラ炒めした後、たっぷりの水で煮ること20分。梅干しと、自然塩をふりかけて食し美味である。ふつうに炊いたご飯を食べる日常に変化をつけたくて。今日はとろろ昆布を食べる。黒胡麻をコーヒーミルにかけて粉にしたものをスプーンで食べる。本当はそれをさらに、すり鉢で油気が出るほどに、擦ることが出来たら、自分を褒めてあげたい。とても面倒くさい作業だから。(・・出来ますように/祈り)飲み物はインスタントコーヒーの薄めたものをちびちびと。と、ダージリン紅茶をも用意した。集中読書にはありがたい。ほとんどの時間BGMは流さない。巡礼は自然音の中を歩くはずである。おととい日記に書いた下ヨシ子さんの生年月日で算出するデーター、本に掲載されてあるものを書き写す作業を少しずつ試みている。それを何に使いたいかが明確になった。家系図に登場する人々を簡単に診れると思っていたが・・。打ち込みをしながら、1500年前後に生きた歴史の人物を試してみたいと思いたつ。そうしたら、急に意義を感じ始めた。どのような人物たちが、今を生きている人たちに働き掛けているのか。守護霊の意味合いを考える。歴史の人物の研究に、スピリチュアルな感性で、透かして診てみたら・・。四柱推命での干支の暦は、明治27年からの本しか持ち合わせていないから。窓を開け放ち、ふくよかな風が入ってくる。先ほどの排水管清掃のお兄さんたちが来る前に、あらかたの掃除はしておいたが、これからが本番だ。このような方々の出現のように、どこかで徹底的に、大きな汚れと障害を取り除く作業をする人が家系においても必要。自己の人生の中においても貴重な仕事と時間だ。排水管の中に、細い管をどんどん奥深く通した。家の外側からホースを使って水圧をかけていく。排水管に留(とど)まって、どうにも身動き出来なかった、流れない詰まった汚れと、わたゴミや髪の毛などが、どんどん上に浮き上がってくる。それらを救出し、取り除く作業。水の流れを完全に、回復させた。これから私は風の流れ、気の流れ、物の流れ、お金の流れ、愛情の流れ、流れを管理するものとなる。
2006年07月03日
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感動したことを書くんだった・・。看板テーマ「感動したことは人に話す」の原点に戻り。書く理由、書く動機。それと自己ヒーリングの癒しと力の源のために。排水管清掃のお兄さんたちが帰った。清掃は無事に終了。12年住んで初めてのこと。賃貸マンションの新オーナーの配慮によるもの。マンション全体で一斉に行うと料金は安くあがるらしい。ちょうど排水の流れが悪かったのだ。なんてラッキーなのだろう。ふつう平日は留守にして居ないのが、フリーになった私はタイミングが良過ぎるほどの恵みを感じている。巡礼の旅にちなんで、ありがたくもある。「大掃除」「捨てる」は家運が上がると思っていたが、排水管清掃もまた家運を上げるものと思われた。なぜなら、お兄さんたちの作業に立ち会って、まるで腸内洗浄である。管の内側にへばりついた黒いドロドロヘドロの汚れが浮き上がり・・腸で言うと宿便というものか・・。うわっ!汚い。それを黙々と拭いたり洗ったりするお兄さんたち。ほんとにすみませんという気持ちになる。あの、わたゴミのようなかたまりは何だろう。「髪の毛ですか?」「はい。わたゴミなどは、管を通さない(流れない)しくみになってるんですよ。備え付けの網?ざるのような備品を取り外していたせいもあったため、ひどかったと思う。「付けといた方がいいですよ」親切に教えてもらった。これくらい大丈夫なんて高をくくっていたのだ。たいしたことはないなんて軽く見ていたのだ。食生活も同じといえる。体の管のしくみを良く知りもせずに、これまで色々なものを流し込んできた私の人生か・・。反省しえるよろこび。感謝なきもち。ありがたいな。しあわせだな。幸運だな。排水の汚れや詰まりが解決し、流れがスムーズになるとは・・家という体の若返りといえる。これからは注意深く、きれいにつかっていこう。作業を終えて帰るお兄さん二人に挨拶。「ほんとうにありがとうございました。おかげさまで助かりました」頭を深々と下げる。顔を上げた時、・・ああ、いいことしたかなあ・・というお兄さんの表情。排水管清掃という仕事に宗教性、修行の意味合い感じたり・・。掃除とは、そういうものではないか。これをきっかけに、私の掃除も弾みがつきそうだ。
2006年07月03日
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「チャングムの誓い」(35話・疑惑)・・Nさんの足揉みをしながら観ていたら、チャングムが女官に仕え、足揉みしているシーンが。そこへ、クミョン登場。「私は女官よ。私の足も、お揉みぃ!」ヒステリックな命令口調。愛する人の心は自分にはなく、チャングムにあることへの苛立ちと悲しみと。卑怯なことに加担した不安と恐怖と。チャングムはクミョンの足揉みをしながら、ここが固いのは臓器のどこそこが良くないからですと淡々と診断を述べながら、静かに仕えている。クミョンの心のこわばりと、神経が病むおもいを見透かされたようで不気味さを感じただろう。・・「あなたは、今、お幸せですか?・・それは良かったです。そのために大切なものを失ったのですから」チャングムと再会した時に言われたセリフ。クミョンは大切なもの、「良心」を捨てた。邪(よこしま)な、権力や地位を最良のものとする代々の家の思想に従った。本来の彼女は、そういう人ではなかったのだけど、愛する人の思いがチャングムにあることがわかると、嫉妬と寂しさが絡み合った。チェ女官長との会話「・・関わったのが間違いでした」チェ女官長「なんという母娘か(しぶとい)・・。毒を飲ませれば、生きかえるし。奴婢に追いやったのに、また舞い戻って来る」自分の利権のために、人を陥(おとしい)れ、怨みを買えば、その人の心に平安はない。地位と名誉があっても、心中は常に恐怖に襲われ続ける。それを葬るための対策に、また悪事を働かせる。王様に従順に仕えるとか、自身の分に集中し、黙々と行うということが、上の立場にある人ほど簡単でないようだ。「仕える」「奉仕する」とは、体で行うのも容易(たやす)くないが、心が心底から「仕える」「奉仕する」・・つまり、自身は無になって王様のためにという心で生きるということが、さらに簡単ではないということだ。チャングムは復讐したいわけではない。悪がのうのうと当たり前のようにはびこった状態、それをそのままにしてはおけないという、生きてるものとしての使命感。それを平気ではいられないという正常なる怒り。いつか、ものごとをあからさまにしなければという、無念で逝った親愛なる人々への思い。悪に屈して、従って、どうして正気で生きられようかという正しき感情。それらの決戦が終決して、宮中にあるものの心が純粋に「王様のために」という心一つになったならば、そこに建設的な、どんな素晴らしい物語が出来あがるのだろう。孤独な王様、皇后様・・その立場にあられるためには、素晴らしき侍従たちに守られ、助けられなければ、真の安らぎ喜びに生きられない。友人思いの純粋できれいな心のヨンセンの祈る姿。その姿は、本来、王様に注がれるべき祈りなのでしょう。
2006年07月02日
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昨日、今日とネットでの情報収集、分類整理に集中していた。仕事という重荷がとれて、すこぶる自由人となった私は、そうした中で解放された時間を満喫していた。ものを読むという充実感、このような時間はこれまで歩いてきた歳月の中でなかったな・・と、あらためて振り返り確かめる思い。今日は朝から雨、晴耕雨読の喜び感じ。「人は望むだけ自由になれる」(ジェームズ・ボールドウィン・・作家)さらに自由と開放感が、増した気がする。これまでの物事と、別れを告げる意味とは?ある意味、波動が合わなくなったという実感が・・。職場と別れるかんじとは・・人がこれまでの体をおいて、霊界というもっと良い場所に、移動するのだな・・予感が自身の中でわかる。人が使い古した肉体を捨て、あちらに旅立つという時、このように物を整理するだろう。その時の予行練習の一つであるなとも。体と別れる時とは、もっと良い場所に移動するという時。それは生きている間、この体と時間は、善きことのために使いましたということを想定した上でのことであるが。そのような方向性にうまくもっていくことができますように。昼、散歩で歩く時、自身の「貸借対照表」が想念に浮かんだ。生まれた時から、バトンで既にあるものを手渡しされていた。自分の代で、当期純利益をどう出していけるのかというのが一つ。もう一つは、「正負の法則」のあらかじめ予定された「負」と「正」の表。どうせ、ある一定の「負」が用意されているなら、早く片付けた方があとがラク。それらを整理するための期間を与えられた。新しいぶどう酒を入れるためには新しい皮袋を用意しないと。古い皮袋に、新しいぶどう酒を入れた場合、破けてしまい、良きものが、台無しになってしまうのだという。部屋の構想・・床面を広げる作業をする予定だ。ぎゅうぎゅうに物を詰め込むのでなく、空間を多く作り出す。考えるゆとりを生むために。
2006年07月02日
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サンチャゴ巡礼の旅にて「私は牡牛座の生まれである。だから物をため込みやすい。私はすぐに、この旅は自分にとって必要なものは何か、という試験であるのを理解した」「道と、道のエネルギーが必要なものをすべて与えてくれる。道が何を捨てればいいのか、教えてくれる。その結果、謙虚な気持ちになれる」「自分の体が本当に神殿であって、牢獄ではないことがわかり、自分の本質を発見する」「杖を見つけるだろう。その杖はまるで助けたいとでも言うように、話しかけてくるだろう。足は地面からエネルギーを受け取るだろう。だから歩いた方がだんぜんよいのだ。語りかけるような道からのメッセージを受け取るようになるだろう」「あまり食べすぎずに、水をたくさん飲むように、少なくとも一日に二リットル」「四十日で歩くといい。イエスやその他の聖人たちが荒野にいたのは、その長さだったからだ」「リフレクソロジー(足もみ術)の効果。足のツボを押すことによって、ブロックされていたエネルギーを解放するとともに、ブロックされている記憶も解放できる」この本を読み始めて、同時に転機がおこる。本日の日記三本目、今日こんなに書きたくてたまらないのは、会社の使用人という、檻(おり)からの開放感。肩にかかった重圧を取り払った。自由になった喜び。・・なるほど!四十日か・・私は家の不要なものを捨て去るための、巡礼の旅をすることにした。12年間溜め込んだものを剪定する。すでに用意はできている。私の足は白足袋に包まれている。夏は木綿の足袋がもっとも家事力がでる。ストーブ・トースター・デッキ・キモノ等その他多数、完全に決着をつける。牡牛座のNさんも賛成、捨てる決意を固めてる。Nさんの足もみを始めて三日経つ。熱いお湯で、「足湯」と「頭」を中心に洗う。最後、冷水を浴びる。根気よく集中して足もみができる。この本によると、「人の足をマッサージすることによって、自分がエネルギーを受け取り、結果、自分のことがもっと理解できるようになる」とある。どうか、この旅路にて、足もみの良き習慣が根づきますように。数日後、バス・キッチン・トイレの排水管の掃除に業者が来ると連絡が入る。さっそく観客の出現?・・排水管の流れ、考えてみれば重要なカミーノである。
2006年07月01日
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c5345さんの記事を読んで心に留まった内容があり。『守護霊さんは、四百年前から七百年前の先祖であることが多く~』と、守護霊さんの生きていた時代があきらかに・・。「オーラの泉」で宮本亜門さんと江原さんの会話「心惹かれるイタリアの建築彫刻家がいて~」「いつの時代の人?」「中世の~(1500年代)」「あっ、その方が守護霊さんですね!」ふう~ん、なるほど!と思いました。何故、守護霊さんは外国人だったりするのか?まだ、理解しえないところは多々ありますが。先程書いた、下ヨシ子さんの本に「自分自身は七代前のご先祖様の魂と同じ可能性がある」という箇所があり。それが、守護霊さんとは書いていませんでしたが、関連があるかな?と思いました。それで、思ったことは今、テレビで見る時代劇の時代が、ちょうどその年代にあたるということです。私が見ている中心的な番組は三つ。「オーラの泉」「チャングムの誓い」「功名が辻」です。そういうことを意識してみると、もっと時代劇の中に入り込めるかと思いました。また、そこから、受け取るメッセージや教訓を、もっと鋭く感じ取ることができそうな気が。「ギン!」窓の所で、音がしました。霊界の音、もう消えてしまったかと思っていたのですが・・。ああ!・・「そうだよ」っていうメッセージ?四柱推命的にみると、今回の宮本亜門さん、先回の岡崎朋美さん、共に(月・傷官/年・偏官)の方です。(ちなみに私は(月・偏官/年・傷官)です。はやり、交通事故で奇蹟的に助かってます。救急車で運ばれた時、医者が「奇蹟だ!」と言いました。普通なら植物人間で寝たきりになっていたと言われ・・三日の入院、四十日の通院で回復。まだ二十二歳の時でした。今、あらためて感謝の気持ちを深くします。誰に?もちろん!私の守護霊さんにです。事故というのも、前から予定されてたのかと。なぜか、事故の前、兄のアパートに掃除に行き、スキー用の大型リュックをもらってきました。事故当時、クッションになる柔らかいものが沢山入っていたそれを背負っていて。当日、靴を数回片方だけ無くすことがおこり。左足の骨折で済みました。予告されるようなシグナルがあったわけです。「ビン!」霊界の音が、また窓際で。やっとわかってくれたか、おまえ。渾身の力でおまえを助けたのだぞお。・・という言葉が伝わってくるようです。あの時の難を逃れたので、今の私が生きていられます。人は守護霊さんと一体となるべきですね。何をなすべき使命があるのか、話し合う必要があるように思われます。
2006年07月01日
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この本を読んでから、自然と朝方のリズムに生活が整い出したような気がする。「夜は未成仏霊がうようよしているので出歩かない」などの文が自分の意識に引っ掛かったのか、日記も朝書きを心掛ける気持ちになり。それと、最近、家での霊的な音(ラップ現象?なのかわかりませんが)「ビシ!」などの音がしなくなったのに気づく。(8時半、今、地震が・・)図書館のスピリチュアル関連書棚から、本を手にとり、直感でコレ!と決めるのが最近、早い早い。「オーラの泉」でお不動さんの話が出たので調べていました。確か、以前ページをざっとめくった時、それらしき絵が載っていたな・・と読み始めたら、それはお不動さんではなく「六字明王」(ろくじみょうおう)様という神様らしく・・。『(抜粋)~私には神様が宿っている!と実感したきっかけは、四十四歳の時、原因不明の高熱に襲われ、体全体が燃えたぎるような感覚に耐えられず~ふと見るとベット脇に、身長一メートルくらいの、金色に光る人らしき姿が六人、並んで立っている。「ネンビカンノンリキ、ネンビカンノンリキ」部屋中に響く言葉が繰り返される。夢うつつに聞いているうちに、六人の姿は消えていき、同時に高熱も嘘のように下がる。次の日から、いろいろなものが見えるようになった~後に「ネンビカンノンリキ」が観音様の真言(呪文)で「六字明王」様という神様が存在することがわかる。その不思議な経験が、神様に気づくきっかけだった。今では自分のことを”神様の使いパシリ”と呼んでいる~』ちなみに「六字明王様の真言」として「オン・ギャー・チギャーチュー・ギャービチ・カンジュー・カンジュー・タチバチ・ソワカ」が紹介されており。サンスクリット語でしょうか。(トイレで唱えるとよいと「特別に教えてあげる」と伝え聞いた言葉「~ソワカ」を紙に書いてトイレに貼ってあるので、コレも書き留めておきたかった)この本は下ヨシ子さんの最初に出版された本とのことですが、私の心を惹き付けたのは、下ヨシ子さんの流生命です。私の生年月日を算出すると「光流生」(こうりゅうせい)ですが、今の自分にピッタリ!フィット!今後の暗示や、注意事項と重く受け留めさせられました。同僚の大竹さんに、そのページをみせたら当たってないといいます。Nさんをやってみたら、半分は当たってません。ですが、私のそれも、今はピタッと理解しえるけれど、少し前なら、全く関心を持たない、当たってないと反応を示せなかったと思いました。ですから、Nさんの当たってないと思える半分を重くみてとろうかと考えさせられました。ちなみに、私の「光流生」は、「オーラの泉」のこれまでのゲストで同じ方は羽田美智子さんです。<1>女性 光流生(こうりゅうせい)さまざまな色の美しい光を放つ、女神の姿が見えます。自分自身を光の輪で包みながら、人にも光を放ってあげられる、そんな天の恵みを受けています。億万長者にはなれなくても、幸せをいっぱいに感じられる人生を歩むことでしょう。朗(ほが)らかで、可愛い少女のような雰囲気を持つあなたは、中年をすぎても若々しい印象を保ち続けるはず。根っからのおもてなし上手で、常に人に幸せを分け与えたいと願っています。社会的地位の高低にかかわらず、誰とも友人のように、自然体で接することができます。欲もなければ邪気もなく、無意識のうちに、人に親切にしてあげられる人。リズミカルに動いていることが好きなので、さまざまな場に出かけていき、交友関係を広げます。暗いことは大嫌いなので、生き霊(りょう)や邪気を引き寄せにくい体質といえます。悲しいときにもずっとメソメソせずに、思い切り泣いたあと、「明日からがんばるぞ!」と晴れやかな顔になれる人です。何か目に見えない力に守られているのかもしれません。とことん落ち込む前に、必ず救い主が現れますから、安心してください。自分で自分に福を呼べる人ですが、先輩や上司、先生は、あなたに思いがけないチャンスをくれます。受けた恩を忘れてはいけません。お歳暮・お中元を欠かさずに。古風なことが、あなたには似合うのです。男性も女性も、平等に人間としてみるあなたは、ドロドロの三角関係や不倫などのマイナスの縁を結ぶことはあり得ません。恋人や夫が落ち込んでいるときには、「高級車は買ってあげられないけど、私の笑顔をあげる。歌も歌ってあげる」と愛らしく無邪気になぐさめ、男心をホッとさせます。男性にとっては、可愛くてたまらない女性ですが、結婚に結びつく恋愛は多くありません。あなたを本気で愛してくれる人は、生涯に一人か二人。自分にないものを求めて、あなたを愛する人です。結婚後は、「君と一緒にいたら、自分の力がもっと出せるかもしれない」と夫に思わせ、生きるエネルギーを与える妻となるでしょう。福運のキーワードは子育て。のびのびと愛情を込めて子育てをすることで、人生はより豊になります。責任感の強い夫が、サポートしてくれるでしょう。専業主婦でも兼業主婦でも、基本的にあなたの生き方は変わりません。パーッとまわりを明るくするので、人から恨まれることはなく、気さくで楽しい女性として、近所でも職場でも人気者になります。仕事につくなら、自分が楽しめるものがおすすめです。デパートの美容部員、銀行の窓口業務、図書館司書、受付譲など、人と接する仕事。また遊園地の係員、保母など、子供達を遊ばせながら、自分も楽しめる仕事もピッタリです。霊障により落とし穴にはあまり縁のないあなたですが、配偶者の大病には要注意です。食事など健康管理に気を配り、ストレスを溜めない工夫をしてください。愛する男性に積極的に尽くすことが、あなたの心と体を浄化します。*下先生からの浄霊メッセージ*あなたの魂の清らかさを保つものは、絵画です。美術館で時をすごしたり、スケッチ旅行に出かけたりしましょう。怒りや妬みの感情を和らげ、心を癒します。
2006年07月01日
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34回「王の怒り」から、がぜん面白くなってきた「チャングムの誓い」。王様の口に入れる料理を作る女官の地位が高いものであることがわかった。体に触れる仕事は卑しいとみなされ、身分の低い奴婢(ぬひ)の職として医女が存在する。美容・お肌の手入れ・マッサージなども要求されている。同じ奴婢の身分でキーセン(芸者)という職が出てくる。宴会のお酌だけでなく、「ものいう花」と言われ一芸に秀でたお祝いの席を引き立てる役目もあるので、芸能人的要素も含むのではないかと想像する。ドラマの中では医術の専門的な内容が、チャングムの勉強や試験の中で度々出て来て、台本を細かくチェックし直したいなどと興味を誘う。食・医・美は関連している。その源はやはり食にあるのだ。料理の才能を現わした女官のイ・ヨンエは、明るい笑顔の「食神」のチャングムを演じていた。医女になってからは、顔つきが引き締ってきて、澄んだその表情に、人の情の奥深さを漂わせている。聡明な「傷官」のチャングムに引きあがっていた。人の成長・発展は美しく進化するようだ。見ていて惹きつけられるものがある。人がそのように成長を遂げていったなら、その次の段階は愛する人と結ばれるとか、結婚、家庭となるのであろうが。実際のチャングムは王の医女となった後、どのようにして生涯をおくっていったのだろうか。チャングムが、顔色を診て病気を治してあげた良家の子息は易を習得していた。墓の風水がわかり、人の人相を適確に読み取る能力を持った少年。「易を習得したら、もっと人を理解できるから学んだらよいぞ」とチャングムにアドバイスしていた。ここで、朝抜きをすすめる甲田光雄先生を思った。少食を唱える先生は手相も診られるというから。手を診て「食べ過ぎてますね」と。胃腸博士の新谷弘実先生は、人に人相・手相があるように、胃や腸にも相があると言われる。全てのはじまりは「食」にある。どう食べるか。どう食べないか。王の口に入る食を任されている女官は、王に薬を差し上げることも出来るが、毒を混ぜることも出来る立場にあった。毒を持った女官を発見した正義感の強いチャングムの母は、陰謀によって殺されそうになる。毒を無理やり飲まされて。親友が毒に解毒剤を混ぜて、助かるようにと願った経緯がある。飲まず食わずの断食で、毒が抜けて意識が戻ったチャングムの若き時の母。昼、片付けの本をひたすら立ち読みしている。「捨てる」「買わない」「増やさない」家の中のもの。家の中は、私の胃腸を象徴している。家の中は、私の運を象徴している。悩んだら、引き出し一つを片付けたら良いという。悩んだら、食の見直しにかかるべき?今日、最後のコーヒー。また、明日からコーヒーを断つ日々へ。
2006年06月26日
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先日、掃除機をぎりぎりまで分解し洗って干した。ゴミを溜める本体の中は年に一度、夏に必ず洗う。吸い込み口、ホースとなる管の内側もお天気の日に丹念に洗って干しておいた。12年半前に1万円くらいで買った掃除機は手入れの良さで、抜群の吸収力で、家中のすみずみのホコリを吸い取ってくれた。掃除機を細かい所までかけながら、「風」の意味を考えた。滞った気を一掃する意味があって、神様は風をおこすのだなと。真冬に気温が下がり凍てつく時をおこすのも、その時期に悪しき菌を死滅させ、新しい年に流行り病をおこさせないようにという、神様が摂理された気配りを意味するのだなと。ああ、なるほど、それが大殺界とか空亡とか言われる運命の冬の意味なのだな。ならば、冬は冬らしく寒い方が次にくる春、夏の時に福があるだろう。心配がない。「正負の法則」って、良い時、悪い時と、交互におこるのだろうけど、それは、ジグザグなのではないのだな。円を描くようにまわっているのだ。金メダルを取った水泳選手、最近調子が悪い。国内で大きな大会が、年に2回ある。そこで、負けると落ち込みは長く続くだろう。島田紳介が「俺らの仕事なら、一つの番組でうまくいかなくても、次の番組でうまくいけば直る(治る)もんな。まわってるんやな」その言葉を小耳に挟んで、なるほどなと。運気の悪い年といわれる時も、通帳に収入が振り込まれ、支払いでほとんどが引き落とされたとしても、運営が成り立っているなら、それで良しと考え、喜びと感謝を見出し発見していく日々とすればよいのだなと。幸い、私は最も忍耐力のある星の生まれなのだそうだ。母親が、先日電話でそう言っていた。そして、ほんの些細なことにも感動を見つけようとする才覚をこのごろの自分に発見する。小さな落ち込みからすぐに立ち直る。掃除機のゴミが溜まるお腹を、粉石鹸をお湯で溶かした液で、すみずみを洗ったとき思った。人の胃腸は、どうだろうかと。食べるのをちょっとの間ストップし洗うが、断食の意味か。その儀式をした後の性能の良さの回復の良さといったら。きぶんがいい。しかし、ただ、風が強く吹くだけがいいのではない。中国からくる黄砂のように、工場の汚染された物質をも運んでこられたら汚れの吹き溜まりとなってしまう。今日は風が強かった。二層式洗濯機のすすぎ水で、思いっきり外にまいた。きれいなすすぎ水で、網戸を洗う。窓のサンを洗う。冬タイヤを洗う。ベランダと玄関のコンクリのホコリを何度も何度も洗った。窓の内と外をピカピカにした。知人が置いて行ったダスキンの窓ガラス用スプレーとTの字の窓用器具を使って。そのピカピカ感の気持ち良さを味わいたく、夜もカーテンを引かず。トイレ掃除も気合いを入れた。最近、松居一代の掃除の本を立ち読みしているせいか、古い歯ブラシを使って、細かい汚れも容赦しない。カビの季節、汚れが目立ってあらわれ出す。カビ用スプレーと、古歯ブラシと、白い雑巾で、気になっていた壁紙のシミや汚れもスッキリきれいに。いいきぶんだ。最後はヌカ風呂でおしまい。ヌカ風呂の栓をひいて流せば、酵素が働きで、管の内側のすみずみの汚れを一掃するだろう。排水管がつまるというのは、人の腸壁に古い便がひっついて、便秘になっている状態と同じ。明治生まれの人がキセルを掃除するのに、味噌汁で洗っていたという。麹の酵素の活用。幸せな休日をありがとう。
2006年06月24日
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「チャングムの誓い」初めてイ・ヨンエの魅力を知った日。自己のうぬぼれを知り、謙虚さを学び、医女試験に合格した喜びの顔。探求する者の美しい顔。その姿を見る側においても意欲が啓発されるおもい。毅然とした信念ある師と、それを理解する弟子の、顔でわかり合う表情だけの演技の場面。チャングムはいつも師に恵まれていた。物事の不正が明らかになり、不実な者が罰せられ、正しき者が残されるという爽快感。トップに立つ王によって明瞭で公正なる判断が下された、その小気味良さ。チャングムは医女試験に受かって念願の宮中に配属。見習医女となったチャングムは、女官に「お顔をマッサージして。足を洗って」と命令口調で見下される。身分の格差があらゆるところで表現され。王に料理を差し上げる女官より、王の病気を治す医女の方が身分が低い様子。お顔のマッサージをしてと言われ、ムッとするもう一人の医女。職業の身分のランキングがあるようだ。韓国小説を読むと、身分差による人の態度の違い、差別、蔑視。そこに葛藤する心のうちが必ず描かれている。宮中で、全員集合の場面にて。チャングムと恩師を落とし入れた一族のクミョンと対面する場面で終わる。驚きのクミョンの顔・・私の罪を暴こうと復讐しに、追いかけてきたのかというような怯えた表情。まるで前世での出来事をかかえた両者の、今生における対面のよう。対決の火花が散るよな、目と目の衝撃。クミョンの衣装の形態の変化に年月が経ったことを思わせる。・・ところで、チャングムは実在した人物。今、あなたは、どこでどのように生きているでしょうか。どなたかの守護霊として活躍しているのでしょうか。それとも、その修行をも優秀な成績で終えて、天界の空高きところで、神様にお仕えしているでしょうか。宮中を極々縮小された場が、家庭。王様に仕えるように愛する夫に、お食事を準備し、健康管理に気を配り。それから、人は亡くなってからも、様々な修行を経て、高いところを目指して行くらしい。やがては天高きところにいらっしゃる神様に、仕えることができるようになるための、ここも訓練の場所なのだろうか。
2006年06月24日
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週に一度ある「オーラの泉」は意識して見ると(参加すると)、教室に通っているようです。とっても霊的な気づきがおこって。このチャンスを通して、参加するものの魂の成長はずんずん進んでいくかのようです。スポーツというのも魂の成長を訓練する種目なのだなと思えました。仕事もそうなのですね。神様がそのように計画されたのですね。地味目な服装で現れた岡崎朋美さん、魂レベルが進んでいる方なのだなと思いました。これまで、あまりにも順調に物事が進んできたので、これから「正負の法則」で、うまくいかないことがおこってくるのかどうかと、美輪さんに質問された内容にしても、「オーラの泉」を深く捉えて、理解していらっしゃる方なのだなと思いました。このことを通して、「正負の法則」の負の部分、いわゆる「苦労」とか「不運」などの「物事が上手くいかないこと」というのは全部、次にくる「幸せ」や「喜び」のためなのだなと思いました。だから、しりぞけたいもの、決して悪者ではないのだなと。いいえ、必ず、絶対に必要なものなのだなと思いました。そこで、わかったのです。最初の方で、苦労を沢山こなした人の方が、生きてることが楽しくなるんだなって。だから、苦手なことや嫌なことを、自分からどんどん向こうから苦労がやって来る前に、始めてしまえばいいんだなと、わかりかけてきたのです。自分から自発的に率先して、人がしたがらないことに目をつけて行う。法則の「からくり」か。それが、わかっているのですから、喜んでできる。誰も、苦労な仕事を「やれ」と命令口調で突然言われたら、やりたくない。けど、自分から計画を練って、苦労な仕事を張り切ってやる。そうしたら、あらかじめ、親なる神様は「おまえの成長のために準備した苦労を用意してあるんだけど、ちょっと多すぎるから、減らしてあげないとな」と、なるのじゃないのかな。・・その人の運命の青写真の筋書きが、変わってくる。人相家・水野南北が言うには、人の一生に食う飯の量は、既に決められている。そのため、美食・大食をするものの人生は先細りなり。つまり、初めに欲するままにまかせて楽しみを多く摂取してしまうと、あとのお楽しみを使ってしまうことになる。だから、大食家は、運が悪くなるよということ。あまり、意味がわからなかったし、ピンとこなかった。「食べる」を「人生」にあらわしているのでもある。実際、少食は運命を変えるとも言いきっている。これで、私の「負」というものを考えてみた。運が悪い年回りと言われていた数年前からの食改善、朝抜き、昼抜き、ラマダン参加など・・。それらは、私の悪運を解除した、あらかじめ始めた私の「負」の役割を果たしてくれていたのじゃなかったのかなと。今もイスラームの人々が行う断食月に近い平日をおくっている私だ。夕方、帰りの電車から降りると、さすがにふらふらしてる。なぜ、そんなことをしているのか?自分でもよくやるなと思う。けど、心地いいらしく、ちょっと辞め難い。降りかえってみると、これまでの嫌なこととして捉えてきた物事に、「ご苦労さん」「ありがとう」「あなたのおかげ」と声をかけたくなる気持ち。全ての不運と思えることが、次を生きるための糧だったのだ。こういう物事の捉え方って楽しいな。そう思うと、臭く汚ならしい公衆便所のトイレ掃除に福があると思えてくる。たいした嫌なことじゃないと、小さく見えてくる。
2006年06月23日
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「オーラの泉」岡崎朋美さんの体を酷使して行うスポーツの極まった訓練の在り方に、修道者の姿が重なるようです。火渡り、火の上を歩く、火の中をくぐるとか。または極寒の水を浴びるなど、死ぬような行をする姿。精神統一、心と体の統一。無になって体が宙を浮くとか。あるいはイエスさまが水の上を歩く映像が浮かんだり。サーカスというのも、心と体の統一で無になる業なのかなと。その神業に人の感動、歓喜がおこる。無になって、業を行い、神様を体に顕わす。喜びを生む。「正負の法則」・・こんなに順調でいいのか?と朋美さん。苦しい練習という「負」を経てきたから、今の「正」があるのだと美輪さん。順調の裏にはいつも苦行が伴っていた。宗教という文字を考える時、思い浮かべた映像・・寒い冬、暗いうちから起きて、掃除作業の格好をし、無料奉仕で、孤独に公衆便所の掃除をして廻る姿。やりたくない、率直なきもち。やだやだ、わきいずるおもい。そうとうの決意がいるでしょう。ふつう葛藤がおこります。そうとうの決意がいるといえば、冬の滝行、水ごりとか。体がいやいやするかんじ。ぶるぶる、身震いする。・・!ああ、今、ひらめきました。それで、魔物が逃げていくんですね。その人のからだについていると、死ぬような苦しい思いをするからです。そんなのまっぴらと、退散するさまがよくわかります。魔物とは自分のなまけ心、ふだんの自分でもある。そこには魔が付け入る、スキもある。お不動様は縄と、険を持って、恐い形相。邪なる者は、咎(とが)められるのを直感でわかり、逃げ出したくなるのでしょう。清く正しいものは、それを恐いとはかんじないのでしょう。悪や邪を取り締まる警備員のような役割?事故が起こらないように取り締まり、交通整理するものがいてこそ、神様が存分に働きやすくなるというもの。掃除は善なるバリアを張るという。悪いことを出来にくくする。汚い環境だと、さらに汚しやすくなり、汚さは加速する。整然とした環境だと、ちり一つを見つけて、拾って綺麗さを保ちたくなる。家の中の宗教は、掃除から。きっといいインスピレーションを受けるはず。いやなことを喜んでする。教育は、掃除から?自分の中に住む小鬼。追い出したら、次は誰のところへ。なまけもので、ぐうたらな、らくしたがりの小鬼さん、私はそんなに激しい苦行はできないけど、掃除くらいならできる。きれいにして、ほめられる喜びを体験しよう。人にほめられなくてもいい。じぶんがきもちいい、あかるい気持ちを体験しよう。小鬼が天使になりますように。
2006年06月21日
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「オーラの泉」で、どんな夢を見るかというスピリチュアルチェックがある。エレベーター事故のニュースをテレビで知った時、この夢を数日前に見た!と思った。起き掛けに見た夢だった。エレベーターでしりもちをついた状態で足が強引に絡まれそうになった。夢の中で危険を感じた。こんなことはありえないことなのに何故?と。格闘の末、脱出に成功。抜け出たエレベーター前に自転車が一台ふさがっていた。ありえないこと。線路を渡って、向こうに見える大きな病院に向かって行こうとしている情景で、目が覚める。あぶなかった。強引にエレベーターに挟まれて潰されそうになった夢だった。しかし、私は無傷。まもなくエレベーター事故が報道された。びっくり。予知夢とでもいうのだろうか。これが、私にとって、どういう意味を持つものかはわからなかった。しかし、今朝、意味を知った気がした。同じく、冷や汗握るような恐ろしい夢を見た。魔物がついたような淫乱女がNさんに目をつける。隙を狙っているというような情景。魔物にとりつかれた女はききわけがない。理屈を言っても通じない。私はどうやってNさんを守ろうかと拳を握っている。極道女のやくざな言葉で、その女の悪霊を蹴散らす私。Nさんの霊体と肉体を別々の部屋に寝かせる。安全確保に全神経を投入する私の意識。魔物が侵入しないように。どうやら魔物は部屋から出て行ったようなのだが。パッと目が覚めた。Nさんが私を起こした。「じゃあ、行って来る。寝過ごさないでね」朝はすっきり顔のNさん。とりわけ、美しくまぶしく見えた。頭がボーっとしている。朦朧(もうろう)としている。何だ?この夢は。注意しなければいけない・・ということだ。起き掛けの夢。貴重視しなければ。深刻に捉えなければ。冷静に分析し、意味を解いていった。夜、待ち合わせ場所でNさんと落ち合い。車で大福餅をおやつで食べながら、エレベーターの話から、今朝の夢の話まで、ゆっくり話す。「・・だから、気をつけてね」これは、霊界からの忠告だと思った。先日の「オーラの泉」で「守護霊さんが心配している。今後、あなたの人気目的で、政界入りを強引に誘惑する働きがおこる。けれど、その誘いにのってはいけない。破滅する。守護霊さんが、これから起きることを大変心配しています」という江原さんの話を思い出す。これから、何が起ころうとしているか、守護霊さんはご存知のようなのだ。Nさんを全面的にお守りしなければという心の動き。守護霊さんの心の動きとは、このような思いに近いのだろうか。今、何か、Nさんの臍(へそ)の尾と、私の臍の尾がつながってる映像が思いうかんだ。もう一つの映像、私の臍の尾と、神様の臍の尾がつながってる意識。私が神様と気持ちがずれれば、Nさんが危ない。Nさんを守るなら、神様の動向に意識を働かせることだ。まずは、空を見よ。神様に挨拶、おじぎ、報告。Nさんが守られますように。江原さんの掃除に関するメッセージで、すみずみ綺麗に水拭きされた部屋には、その人のバリアが張られていて、あやしいものがうろつけない状態となるという話。中途半端なものは吹っ飛んでしまう時代、精神を研ぎ澄ませなければ。Nさんが気になる、気になるという四畳半の物置部屋。急遽(きゅうきょ)、てこいれ計画。にんにく酢の正しい飲み方を、つい最近体得したばかり。コップ一杯の水を飲む。にんにく酢を原液のまま、ぐびぐびお猪口1、2杯程飲む。さらにコップ一杯の水を飲む。蜂蜜をなめる。これで胸焼けなし、にんにくの臭いなし。掃除の気付け剤注入完了。これで、片付けられない主婦にエンジンがかかる。強力なバリアを張って、あやしきものを侵入させない。
2006年06月20日
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35歳で、依頼された「レクイエム」を作曲途中生涯を閉じる。それが自身への鎮魂歌ともなってしまった。その時期は精神的にも悩み苦しんでいた。そのような冬のような旋律。一年前から奥さんも病にかかり、モーツァルトの側を離れていた。孤独な最期を遂げる。・・うまく行かない時とは、すべてが絡み合い重なり合う。経済、愛情、病気、精神的鬱積など。誰もが、初めて好きになるモーツァルトの曲は、春のような楽しいメロディだと思う。私はそう。人の生涯のBGMに流れる旋律は、春夏秋冬の色合いとメロディがあるように思えてきた。限られた時間内に今を生きているのだと思った。ならば、楽しんで、臨むしかない。究極的に、行き詰まりや壁にぶつかったら、深刻な呼吸をしても、何もはじまらないのだから。「楽しんでいこう!」パッと明るい気持ちになった。わだかまりや、チリや、ホコリや、細かいことをアレコレ考えないで、楽しく臨みたい。そのような物事を行う上での原点に帰させられる思いになる。NHKで放送されるモーツァルトの番組が目に入ると、しなければならない用事を置いといて、見入ってしまう。何か、潤いある糧を頂けそうな気がするのだと思う。若き指揮者の、指揮する手、からだのしなるような動き、呼吸に、その創られたものの魂の旋律が流れているような気がした。その解説する語りの中で、「演奏していて、モーツァルトは神の子なのだなと思った・・。今も、天にいらっしゃるのでしょうから・・。見られている・・という気持ちで指揮しないと~」など。スピリチュアルな観点から意識され、捉えられるとは・・。指揮者もまたシャーマンではないだろうか。合体してるよう。若き指揮者がモーツァルトの多くの楽曲を指揮し終えて「爽快感を得る」と言われる。私は、番組を見ながら、あることを考えていた。やらなければならないこと。生活の糧を得るための仕事。義務的なこと。ご利益(りやく)を得るためにへつらう、というのは、とても煩わしく、やる気がしないし、体が重い、いやいやながらだったり。人にこう思われはしないかと人の目を意識して、行動がなめらかにいかなかったり。あせる気持ち。けれど、すべての生涯を司っている時間は私の管理下のもとにある。すべては私が責任を負うものだ。出だしの遅い亀のようなのろのろの私の歩み。人の目でなく、神の目を意識するものとなろう。人によく思われようとか、人の顔色を見て、生きたくはない。自分が納得する自分であっていれ。午前中、仕事で神経をすり減らす。昼休み、雨でも、必ず散歩する。お日さまを浴びると再生する私。外の大気を浴びてこそ、元気が回復する。仕事が終わってNさんと待ち合わせし落ち合う。生きかえるきぶん。その日初めてのご飯を食べる。完全に復活する。・・で、あなたが本当にしたいことは何なのだ。自分に問う。計画を立てて、やるべきことを、好きなことにすりかえていきたい。モーツァルトの作曲時間は、朝の7時~9時迄。作曲は実は、真夜中から朝方まで行われていて、朝に一気に書き上げた・・とも言われている。また、妻と世間ばなしをしながら楽器を遣わずに楽譜に書く、とは妻の証言。日中は生活の糧を得るための仕事時間をこなす。仕事を終えてまた2時間ほど作曲の時間にあてる。歴史に残した仕事は、1日に4時間の積み重ねによる作曲の数々。ほんとうに、やるべきこととは、生活の糧を得ることとは違う。亀のようにノロマで冴えない私は、人の評価や賞賛に遠い。(かえってそれでよし)また、身近なものからの理解も得にくい。でも最低一人は理解者がいる。それをもうひとりふたりと友を得ていこう。モーツァルトも、ほんとうは35歳の続きを歩みたかったと思う。夫婦の愛をもっと深めたかっただろうとも思う。病気や、貧困、悩みの壁、そこを耐え忍んで、生き長らえ。突破し、つぎなる続きの、成し遂げていない事柄を果たしたいという、そのような思いがなかっただろうか。私は、まだ、ほんとうの春も夏も深くは味わっていない気がする。ここまで、経過してしまったけれど・・。ここから、開かれた目を持って。ほんとうを見て、おこなっていくものになりたい。おそらく推命学で見たなら、仮傷官のモーツァルト。芸術の神霊と天界で交わる特殊な能力を与えられていたと推察する。あたかも軽やかに音が楽譜に顕わされ、彼もまたシャーマンのような人だ。のりにのっている人、輝いている人、神の栄光の冠を被るもの。そのような人を見るもの、賞賛するものにも幸いがあるだろう。そのような人につながれるのが、何ごとにおいても早道に違いない。
2006年06月19日
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今朝、一日何かを得られますようにと出発して感じたこと。仕事はとにかくできる限りを尽くした。貴婦人背後霊のFさんが優しい声をかけて下さった。・・かんじいい。Fさんと仲良しの女優的美貌を持つGさんがこれまた温かい声がけと労わりの笑顔をくれた。・・きぶんいい。笑顔と温かい言葉、この二つが大事ということを学んだ一日。いつも、ふたりは、セットで何かを与えてくれるのですけど・・。仲がいい、ということは、背後の霊界においても密接なつながりがあるのでしょう。はじめ、入社したての頃は、とてもついていけないふたりの言葉や目つき雰囲気、なんて思っていたけれど。スピリチュアルに透かしてみると、ふたりの霊界はとても高いものがあると降参する気持ち。昼休み書店で、松居一代さんのお掃除本の棚を遂に見つけた。玄関に水晶を置くと良い気をもたらすとのこと。部屋の掃除はまず天井から掃除機をかけるとか。台所には神様がいらっしゃると書いていた。江原さん推薦の言葉が書いてあり。結婚するならその女性が家事上手かどうか、家事が好きかどうかというところに大きなポイントがある気がした。ある雑誌で、朝日新聞の皇室の記事に敬語が全く使われていなかったことから、敬語の見直しに関する記事を読む。金田一秀穂氏の正しい文面に直した記事に目を通したら、やはり美しい敬語には感動をおこさせる。「~のみぎり」「~にあらせましては」など、このような敬語を使う対象が、象徴的にも存在する国ということじだいが、素晴らしいと思えた。金田一秀穂氏によると敬語遣いのある言葉は、日本語・朝鮮語・ジャワ語とか。中村勘三郎氏次男さんが親には敬語を使うとテレビで話していた。私もその訓練、本を使って練習を繰り返したい。いつか、なんて思っていた。仕事でも感じる、会社での電話応対、間違って使ってる言葉遣いの数々。私もこの機会に修正を図ろうかと。次の図書館で予約しよう。最近氾濫している「おっしゃられる」などの二重敬語は、言葉をきいてて、文を見てて気分が悪くなる。翻訳文でもふつうに使われていて・・。「オーラの泉」では比較的、言葉が美しく使われているけれど、時々、ちょっと・・と思うことも。鑑定をする方や、人にアドバイスする仕事の方は、こういう勉強にも力を注がないといけないのだなと思ったり。美しい言葉遣い。美しい部屋。そこに住む人を尊い存在とするために。そこに迎える夫を尊い存在に高めるために。ついぞんざいに扱ってしまう自分自身に対しても、体が本来、神様が住む部屋とするなら・・体の食管理はもちろん、家のお掃除の意味合いも大きな意味があるといえるだろう。私はこの部屋に神様を迎える気があるのかどうか・・が、問われる。
2006年06月16日
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神様おはようございます。私の専門小神様のリョウシンさんおはよう。早起きしました。どのジャンルのBGMも合わない気分で。外の雨音のリズムが心地いいようです。「オーラの泉」江原さんの部屋の透視の話から、神様はキレイなお部屋がやはり好きと知り。心地よく留まれるか否か、いる場所が用意されてるかどうか・・。どんどん、いい感じになってきていて・・。お顔のお手入れをするように、やる気がおきてきました。お顔の方も頑張ってみたいです。四角いテーブル、上座位置に座るNさんの右隣には、Nさんのリョーシンさんがお座りになって。二番席の私の席の右隣には、私のリョーシンさんがお座りになって・・。厳粛な気持ちになります。日中、それぞれに仕事をしていても、一人じゃないってこと。私は私のリョウシンさんと親しくなろうと思う。人は体と心の両方を持っている。私は体の方の肉と、肉のココロの担当者。リョウシンさんは心の方の形と、形のココロの担当者。一つになるって、たやすいだろうか。まずは、出会う人や、関わる人たちと仲良くする日々の練習に努めよう。私が、私のリョウシンさんと親しくなれたら、今度はNさんのリョウシンさんともコンタクトをとれるようになれたらいいです。日々、関わる、人々の右隣にも、やはりリョウシンさんなる存在があられることを意識していったら・・とても、いい関係が創れそうです。私がお世話になってる会社にも、そのような守護している霊なる存在がいるともいえるでしょう。考えたこともなかったですが、今、閃きました。今日一日、雨ですが、水を司っている霊なる存在を意識しながら、探検する気持ちで一日を出発してみたいと思います。さて、お部屋を整えるような気持ちで、お顔の洗顔、服を整え、元気で、行って参ります。どうぞ、この楽しみな金曜日、何か一つでも心の糧を得て、この部屋に戻ってこれますように。
2006年06月16日
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「オーラの泉」佐藤弘道お兄さんへ、江原さんアドバイス・・「守護霊さんがおっしゃるには、あなたを利用しようとする動きがこれから出てくるが、それにのってはいけない」と、それを心配していらっしゃると。守護霊さんという存在を、もっと大きく考えるべきなのだなあ・・最近、感じはじめた。おそらく、私専門の小神様のような存在なのでは?守護霊さんのリーダー的存在の方は、唯一の本当の神様と、コンタクトが取れる立場にある?会社で喩えるなら、私は営業所の営業マンであり、あらゆる実務、実体的肉体を担当。及び、会社の看板であり、顔である。代表的な守護霊さんは、営業所の所長、あらゆる霊的な事柄を司る。(実質、私という営業マンのマネージャー的役割も兼ねている)本社の社長や取締役たちの参加する会議にも同席するし、直接コミュニケーションが可能な立場。本当の唯一神様に私という営業マンの日頃の素行、実績なども報告する。が、霊的世界なので、会議に時間はかからない。瞬時に全てがもれなく報告される。私は、そんな代表的守護霊さんと、もっと、しっかり、一緒に暮らしてみたいなと思い始めている。まず、私の専門の小神様に名前をつけたい。と、思いつき・・「ヨンさま」のような愛称を、と考えて。・・コレだ!「リョウシンさま」に決定!私の良い心ということで。私がいつもPCを開いている大きなテーブル。時々、Nさんが来て、上座に座って作業する。私は末席近くの席に陣取っている。その隣の上座に近い席が空いている。・・そこに座って下さいね。さあ、どうぞ。置いてある物ををよけましょう。はい、座布団。いろいろ、相談にのってください。私はとても気分の人です。気を良くしたり、気を詰まらせたり。気分が良くなる時は、リョウシンさまがOKを出している時と思っていますね。今日、昼の散歩の時、帰り道の際、「ど根性ガエル」のヒロシとぴょん吉のやりとりのような会話をしました。誰と、いつも会話してるんだろう。そうか・・リョウシンさまと、だったのですね。ところで、性別は?雰囲気的に、この名前だと男っぽいのですが・・。女性であるべきでしょうね。女性でいきましょう。あっ、あなたですか?家政学を専攻している家事能力に長けてる方は。昨日は一日、大掃除を指導して頂きました。掃除機の中をぎりぎり分解して洗ったのですから。リョウシンさまだと堅苦しいので、時々、リョーシンちゃんでもいいですか?「オーラの泉」効果で、部屋はどんどん綺麗になっていきます。部屋には妖精とか、いろんなかわいいコたちも一緒に暮らしているような気がします。(今、親子の銭亀の置き物が目に入り)相沢翔子さんの時の話ですが・・私も、そうとう無邪気な女の子ですから、きっと呼び寄せてるかも。今日の番組をみて思ったこと。以前、「子育ての心理学」のセミナーに通っていました。その時期、「四柱推命」の講座も聞いていて、気づきを得ていました。この二つが微妙にいい感じでリンクして、味わいぶかい妙味を覚えたものです。両方を上手くつかって活用できそうな面白み。それと、もう一つ。江原さん、美輪さんの前世スピリチュアル・トーク。これらの三重奏のセッションで創る人間関係、親子、夫婦、人々との出会い。芸術作品、本、日記などの文も。仕事も。家事も。片付けにしても。模様替えにしても。おしゃれも。江原さんの男の着物もいいけど、女性の季節ごとの、着物の衣装も見られるトーク番組もおもしろそうです。いろいろ楽しいことを創造していけそうです。リョーシンちゃん、私のおしゃれも手伝ってね。
2006年06月14日
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生粋さんの記事を読んで、もっと食事に注意を払おうと思いました。今日は大切な記念日。まずは、食から正していきます。子供の時から肉がキライでよかった。小学二年の時、給食の豚汁の肉の脂身が食べれず、放課後に残されて食べさせられました。・・だからキライになったというわけではなかったと思います。体質的に受け付けなかったのです。三十代後半になって、健康のために肉を積極的に食べようかと思っていた矢先、「肉は全く食べなくてもよい」という管理栄養士さんの話を聞き、私は涙が出るほどうれしかったのです。飛び上がって喜びを表現したい気持ちになりました。「やったあ!」という気持ち。これまで料理の本を見て、作らなければならない場面がいろいろありましたが、もちろん肉料理は苦手、食べたいと思わないからです。それでも、ひき肉なら、なんとかごまかして食べることができます。そのひき肉さえ食べなくてもよいと知って、私は「食の苦痛」から解放されました。肉を触るのがいやだったのです。それでも、近頃、たまには鶏肉も体のためにいいのじゃないだろうか、・・などと、考えてもいました。それで、生肉売り場をウロウロしてみます。けれど、実際廻ってみると、死骸に見えて、やっぱりいいやとなります。・・それで良かったのですね。食の正しい情報を、時々取り込まないと、惑わされます。管理栄養士さんの食事学を勉強して以来、買い物籠に入れなくなったものは・・思いつく限りで、たまご・牛乳・白パン・白米・白砂糖・マーガリン・肉・加工食品・さかな・ヨーグルト。それぞれ、何故なのかという理屈があります。その生活となって五年半になります。昨日、職場の人に褒められました。「実際の年齢を言うと、皆に、えっ!って驚かれない?」と。言われてみると、そうなのです。皆、私の実年齢を言うと、「えっ!」っと、目をまん丸くして、驚きのリアクションをするのです。時々、私も玄関の上半身が移る鏡をみて、ワカァ~とおもうことがあります。何故だろう?ちょっと考えてみました。玄米・豆・胡麻・ワカメ・野菜・こざかな・しいたけ・芋などの和食となった食事改善の効果が一つ。朝食抜きの生活から、平日の仕事の時はだいたい朝・昼ぬき。日中は浄水二リットル。朝食抜きと浄水とで、排泄のリズム。平日は、一日四十分から一時間歩く。今、セプリメントはたまにしか食べてません。生粋さんの記事を読んで、私が決意したことは、スーパーの試食に気をつけようということ。それと、時々Nさんが、かまぼこを買い物籠にいれますが、「やめとこう」と言って、この記事の話をしてあげようと思いました。最近、私と同じサプリメントを食べていたという芸能人の方が亡くなりました。岡田真澄さん。サプリメントを食べてるから、何を食べてもいいだろうと、生活を改善できなければ、いくら高価な品質の良いものを取ってても・・だめなんだなと思いました。サプリメントは食を勉強するきっかけです。食が変わるとは、人生が丸ごと変わるということ。人生観がガラリと変わる。スピリチュアルのテーマにも大きく影響を及ぼすと考えます。
2006年06月13日
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「余がこの国の王である。朝廷にもわからせてやらねばなるまい」得意の絶頂に立つ魔王、信長役(舘ひろし)のエキセントリックな演技。朝廷をないがしろにせぬよう必死に諫止する光秀役(坂東三津五郎)の苦渋に満ちた演技。芝居って面白いと唸るおもい。水と油の両者、歴史の人物のその有り様が乗り移っているみたいだからだ。本来、正統派の考えを持っていた明智光秀という人物に関心を持つ。部下が自分より優秀だったら、疎ましく思う気持ちも沸き起こるだろうし。上司に嫌われ、公の前でメンツを潰され、領土や財産は没収、左遷。ひどい仕打ちをするの意としても使われる足蹴(あしげ)とは。侍る光秀の顔を、信長が足で押しつけ蹴るという侮辱のシーン。光秀が後ろにぶざまにのけぞる・・家臣として、部下として、なんて辛い立場。我々の社会における人間関係でも、似たようなことはありそうだ。神様はこの人物に何を願ったろう。このドラマで光秀は、私的な判断ではなく、もっと公の立場に立って判断した知的な男として描かれている。・・そうだったのかもしれないなと思う。けれど、こういうことが誰の身にもおこりうることと考える時・・。私は人の上に立つ器ではないから。良きリーダーにつき従っていきたいタイプにあるので。公の考えというより、私的な感情に苦しむと思う。上司に理不尽な、いじめともとれる葛藤の窮地に立たされたら・・。判断を間違わぬように、神様に祈る自分でありますように。この頃、備中高松で水攻めの最中の秀吉(柄本明)軍中・一豊(上川隆也)へ、千代(仲間由紀恵)は、毎日のように家中の出来事を文に綴り送った。平穏な娘の成長記録から、庭の草花、季節の鳥など、日常を書いた手紙を書き送ることで、夫の戦場(いくさば)の緊張感を解き、疲れを慰労する。それを推し量る妻の知恵と発案。その日常の出来事を書くとは、妻・千代の祈りの文だったのだなと。夫の無事を神様に祈る、神様への手紙でもあったのかと。必ず、廻りにいる人からは学ぶものがある。そこには、私が成長できる要素を神様が調合して下さっている。歴史ドラマも、愛する私へ、今の時にふさわしい教えを、調合して下さっている神様の愛、神様からの手紙ではないだろうか。
2006年06月11日
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出勤通路に紫の桔梗(ききょう)の花が咲いています。梅雨時期に咲く花だったのですね。本能寺の変がおこる直前、明智光秀が雨の中、蓑に笠をさして寺に参り手を合わせているシーンが。本能寺の変がおこった時期は今頃の季節だったのだろうか。歴史に弱い自分でしたが、「功名が辻」から原作を読んでみたくなりました。先日の「グレートマザー」で織田信長が先祖というスケートの貴公子と言われている男子と、その母の話でした。織田家に嫁いで、仏壇に花を活けたとき、お姑さまから注意を受けたとか。桔梗は仏壇に活けないように。明智家の家紋だからと。家紋に興味が沸き起こりました。不祝儀の着物には必ず、その家の紋が入ります。徳川家の家紋は葵紋(三葉葵紋)です。水戸黄門で「頭が高い、この葵の紋どころが目に入らぬか」のマークです。織田家、豊臣家は桐紋(五七ノ桐)です。五百円玉にも表記されており、パスポートの写真のページに小さく記されています。ネットで調べ、パスポートを取り出してみて、初めて気づきました。面白いですね。「本能寺の変」では織田軍の桐紋の旗、明智軍の桔梗紋が、とかく目に入り、気になりました。遠目にも旗の印しを見れば馬に乗っていても、敵か味方かの判断がつきます。明智光秀と信長の正妻・濃姫との恋物語・・そういうこともあったかもしれない・・と、思いました。今後の光秀の娘、玉(細川ガラシャ)の行方が気になります。ちなみに私の実家、阿部家の家紋は「鷹の羽」で、嫁ぎ先は菅原道真に由来する「梅鉢」です。黒留袖を作る際に家紋帳で調べました。日本の皇室を表す章は、菊花紋章です。(菊の紋は、パスポートの表紙の中央にも記されています)鎌倉時代、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用したのが始まりだとか。自らの印として愛用するとしたら、私の印は「ヒヤシンス印」にしようと思いました。初めて花に慰めを得た体験を持った花がヒヤシンスだったからです。使い始めて三年半経ちますが、その時から花の精霊の助けを頂いていたように思います。紋の印となるモチーフの多くが植物です。その家の家臣、天使の精霊にも思えます。
2006年06月11日
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昨日「ホテルの一室にいる気分をつくる」と書いてから家事をスタートさせた。ブログを始める前まで、週末の私の掃除は細やか繊細、用意周到なものだった。ブログやネットに時間を費やすようになって、私の家事力は大雑把なものになっていった。キーボードやマウスを触る手が、雑巾を絞る手に気合いが入らないというような。家事になかなか立ち上がれない。手が家事仕事をイヤイヤするといった・・。家事力の衰えか・・この体の重さはいったい・・。こころ密かにおもってもいた。ところが、最近、体が軽く、家事の続きをちょっと楽しみにしている自分を見たりする。特に昨日はすごかった。「ホテルの一室にいる気分をつくる」と書いたら、まるで前世の自分を思い出すように、体がすいすい動きだす。洗濯機はこだわりの二層式、大型バケツで熱湯での下洗い、普段洗いは米ヌカ粉せっけんに熱湯を注ぐ。タイマー廻して泡立て、シーツからタオル、順々にどんどん洗っていく。掃除・洗濯の際、水はためたままにしておかない。風水のことはよくわからないが、浴槽に水やお湯をためておくと、体が動かなくなってしまう。なので、お風呂の際、浴槽にお湯をためたまま翌日に持ち越したことは一度もない。それを洗濯の水に、ありえない。実際、平日は夜だけの食事になることが殆どの自分のお風呂は毒素が多く出る。洗濯の際、すすぎ水を浴槽に入れて、掃除の雑巾洗いに・・と思うが、昨日はそれをやめた。洗濯しながらお風呂掃除で、すすぎ水をどんどん流していった。仕事に一区切りずつ、つけていく。洗濯干し、テキパキとした干し方、手さばき、・・あれっ、家事の専門天使が私を助けているような。とても気分がいい。おみごとな家事能力、自分の手さばきに惚れボレした。私って、とても素晴らしい。なかなかやる。
2006年06月11日
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満月に備えて土日を過ごす。6月12日の午前3時過ぎから始まるそうです。その時間、きっとPCに向き合っていよう。満月の祈りを、ここで、又、したためる幸せよ。PCは、私の祭壇だろうか。神様と会える場所。「書く」、「宣言する」を行えば、いつも満足のいく「よくやったね」という成果を感じ取れるから。結果は、多くても、少なくても、神様が私にとって一番いい分量をきめて、与えて下さる。なので、100%満ち足りる。(それが満月の意味かぁ・・)先日書いた日記「ダイエット・デート、雨降りを傘をさして歩く」行かなければならない用事があったが、ほんとは億劫だった。その日は雨がひどかったし、家でゴロゴロしていたかった。欠かさず見ていたドラマ「クロサギ」も、ぎりぎり心、引っ張られた。でも、これまでの自分から脱却したかったから。Nさんとデートを楽しもうと、日記上で心を切り替えた。それを読んだ神様が、配慮してくれたんだろうと思う。横なぶりの雨の中を歩く必要がなかった。ちゃんと駐車場の空きスペースが用意されていたのだ。神様ありがとう。いつも愛されていると感じてるよ。帰り道、Nさんが私にコーヒーを買ってくれた。神様からのご褒美?(よく「クロサギ」の山下を犠牲にして、ボクについてきたね。・・と、これは、私の中だけの会話)お財布は、いつも、Nさんが持ってる。だから、いつも、買ってくれてありがとうと、お礼を言う。デートは思いがけなく楽しかったのだ。含蓄ある小説の世界に、すーっと入っていったかんじ。これから、Nさん、いっしょに、どんどん、でかけようよ。冒険、刺激、発見。家で見る顔もいいけど、外で見るのも刺激がある。ところで、そろそろ満月の頃じゃないかと気を揉んでいた。2週間ごとに、区切って、立ち止まり、整理していく。今からPCを閉じて、家事に心を投入する。きれいな環境づくりに集中する。ホテルの部屋のようにピカピカにして、満月の祈りに備えよう。久々に淹れたコーヒーが、とっても美味くかんじる。幸せだあ、神様から買ってもらったんだぞお。Nさん神様から。一週間前、日記で家事宣言したら、キッチンをピカピカにできた。後味、最高だった。
2006年06月10日
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一つのテーマの舞台を見るのに人が集まる。前後左右の人たちを、いろいろみて、比較して、自分を卑下したり、悲観したり、自分をつまらなく思うことから・・ある時、解放された、と思った。今からいっさい比較がいらないからねと。思い煩う自分はない。これからは堂々としていこう。自分が大切な存在に思え、貴重な一人だと感じられた。比較能力の本来の意味は、善きことを刺激し合い、互いがもっと高められ、成長し合うの意味なのだなと。これからは人は見ないで、舞台の神様を見逃さないように、集中して見つめることができますように。人を羨ましく思わない。人には他人がわからない孤独な事情が誰しもあるのだから。自分を責めない。自分を包み込んで愛してあげる。そういう気持ちに転換され、切り替わったら・・なんだか部屋が明るく感じはじめた。これまでは、自分が皆の中で、一番小さきものに思えて、しぜんと一番うしろに行きたがる。・・それでもいいだろう。いちばん後ろから、こつこつやっていこう。この一番後ろの場所からスタートしよう。魂を磨くという、心情の荷造り、一個一個やっていこうって。ある時、いちばん前の真ん中に座ってみた。一つのテーマに基づいた舞台に集中する。人が全く見えない。神様と私の世界に集中できた。ここを強めると、人の中にうまく入っていけると気づけた。人からうまく学べる。恥かしいと思わずに人に率直に相談していこう。できないと決めつけない。心が拒否するものから逃げない。真正面から受けて立つ。
2006年06月10日
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自然の中にたたずんで、手帳に心象スケッチする宮沢賢治のことを、昨日ちらりと書いた。それを思えば、なぜか雨の日もいやではない。傘をさしながら、激しい雨にたたきつけられるのも苦ではない。むしろ、さあ、いこうか。という気分になれるから不思議なもの。平日の昼休み、ふだんは本屋をおりかえし地点として二十分は歩く。ここ七ヶ月ほど、続けている習慣。けれど、昨日は横降りの強い雨でもあったので、歩いて五分の図書館へ行った。そうだ!こんな時、絵本がいい。宮沢賢治の「虔十公園林」は小学校の時の教科書で読んだ。読書感想文も書いた。あれから三十年後、改めて絵本で読むのもいいもの。昼時、許された滞在時間は三十分、ちょうどいい。数日前、その絵本がどこの棚にあるか、係の人に聞いていた。虔十(けんじゅう)は自然の成長や、変化に喜びを感じ、いつもうれしくて、口をあけて笑っている。そのため小さい子供たちからも、ちょっと足りない人と思われ。人々からも、ばかにされ、軽蔑されている。虔十が初めてほんとうにやりたいとおもったこと、杉の苗を植えようとすると、隣の畑のおっさんから「やめろ」「つぶせ」と否定され、殴られ、迫害される。けれど、これだけは譲れなかった。生涯ただ、一度きりの自己主張。まもなく流行り病で虔十死す。時はずんずん進む。虔十が植えた杉林で、当時遊んだ子供の一人が、アメリカで博士になって帰ってきた。りっぱに成育した杉林は人々に幸いをもたらしていた。それをみた博士が言う。当時は足りない人だとばかり思っていたけど、時が過ぎ去ってみると、何が利口で知恵深いことかは、後になってみないとわからないものだ。デクノボー精神とは法華経に関係する。軽蔑、迫害される道というのは、仏に通ずる道であるという。何が真に価値あることか、知恵者であるか。その時の、人の目に映る判断ではわからないと。虔十は短い生涯、賢治のように。虔十は賢治そのもの。その短い時の中で、肝心なこと、人々に喜びを与える偉業を彼らは果たしたのだ。私は小学生の時から、親しみを込めて賢治と呼んでいる。
2006年06月10日
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神様おはようございます。今日は天気予報どおり朝から雨です。ある詩人は、雨や雪やさまざまな自然の中にたたずんで、それをあじわい心象スケッチをメモに残すようです。中学の時、朗読クラブで先生からきいた宮沢賢治のはなし。雨ふりの出勤、あじわって、今日の自身の中におこる気づき、取材し続けます。祈りとは率直に報告する生活である。祈りとは、漠然と宙に向かって、おがんだり、となえたり、・・抽象的なものではないんだな。上司に報告したり、Nさんに今日の出来事をきいてもらうなど、そういう調子でココに書けば、それが祈りになる?・・と、思って、朝のごあいさつから、今日一日を出発することにしました。昨日はNさんのアドバイスを胸に、一日を出発したら、仕事がだんだんわかってきたなとおもった。商品説明じゃなく、人柄を売り込む。朝、会社に行くと、人とすれちがう。あいさつする。「おはようございます」と目を見て笑顔をそえる髪の長い人、あっ!この人、いい人だな。すれちがいざま、そういう感情がおきる。朝、必ずあいさつしてくれるけど、必ず目は別なところをみて言う人。ちょっと気分がダウンする。おしい人だ。・・けれど、私も口だけで、頭の中、別なことを考えて言っている・・そういうことがないだろうか。あるな。彼女は、それを鏡になって、私におしえてくれているんだな。人との関わり合いは、お手本と反面教師。昨日、会社の組織図とオフィス内の机の配置などの表を家に持って帰ってきた。Nさんに見せるため。こういうかんじの中ではたらいているんだよ。率直に報告したくて。祈りの対象は神様ですけど。それぞれが、それぞれの神様役を持っている。・・実はその根もとは一つなのだけど。私にとって、神様役はNさん。時に会社の責任者。率直に報告する生活・・そういうリズムでお客さまに接していけば、お客さまが神様役として、おしえてくれたりすることも・・あるかもね。探求心旺盛のチャングム、日々、新しいことを吸収し学ぶ人。私もそんな気分になってきました。チャングムはその都度、試練が多いけど、きっと解決できる道がある。難を逃れてくぐりぬけていく方法が。それを見つけるのが、神様に報告する習慣から、気づけるのかも。自分の力では、どうにも限界という時がある。人に聞いても答を得られず、なにかしらピンとこないということが。たずねていけばいいんだな。聞いていくんだ。神様、おしえてくださいって。相談しながらコマをすすめていけばいいんだな。今日一日を頑張ればニ連休。良い締めくくりができる一日にさせて下さい。
2006年06月09日
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もう、だいぶ前のこと。Nさんが以前、お世話になったTさん。病院通いしてると聞いた。その方が病院の診察を終える頃、待ち合わせして。お昼ごはんを一緒にして、帰りを家まで送ってさしあげた。Nさんの母と同い年の、とてもご苦労なさった方。その分、心の深い方。帰り道の途中、新鮮な野菜を並べた市を通りかかり、「ちょっと、買い物したいから、止めて」野菜の袋を下げて戻ってきた。帰りに「これ、H(私)さんに。少しだけど・・」Nさん、そのおみやげ、私に手渡した。「うわあ!新鮮そう。それも色々な種類のものを!絵になるね!」と私。竹の籠の器に並べて、野菜を盛りつけてみた。食べる前に、ちょっとうれしい、この気持ち、絵にして、お礼の葉書、書いてみたい。葉書裏に鉛筆で薄く下書き。筆ペンで本書き。色鉛筆で色づけ。率直なうれしい気持ちを文にする。熱い気持ちが冷めないうちに、葉書を一枚完成させたかった。Tさんは相手に気を遣わせない、さりげない贈り物に、その野菜市に目をつけたのだ。数日後、「あなたっていう人は・・。ほんとに素敵な人だ・・」みたいな内容の、ラブレターをくれた。いや、手紙ではなく、FAXで、だったのだけど。受け取った瞬間のおもいを、すぐに伝えたかったのだと思う。手紙を書いて投函しようとおもったら、田舎の不便さで、多分、次の病院の日になるだろうから。ほとばしる言葉に、おもいは熱くなった。「申し訳ない」が口癖のTさん。実はお隣の県の方なのだ。Nさんがそこにいた時の、心の恩人。・・近頃、植物の精霊の話を書いていたものだから。こういうところでも、精霊さんたちは、人の仲を取り持つ、働きをしているのだな。今朝、そんな時のことを思い出したのだ。その後、賢いプリンターが出回り、スケッチをしなくなった私。だけど、やっぱり、手作りに優るものはなく。葉書に良い念を込めて届けられますから。
2006年06月08日
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「祈りとは率直に報告する生活である」という心に響く、いい言葉をみつけた。神様、一日お疲れ様でした。今、私、ご飯を食べ終わったところです。職場で言われる「報・連・相をして」「わからないことがあったら、小さいことを疎かにしないで、ちゃんと質問しに来て」・・職場って、霊界で永遠に暮らす時の訓練所の一つでもあるのですね。法則とか秩序とかを学ぶ、与えられた場所、学校だ。昨日までトップにいた女性がいて、Sさんっていう名前だけはよく耳にするけど。いったいどなただろう。今日はその人の顔を、広いオフィス内の座席表をチェックするなどして、朝から探していた。ああ~!あの人?この間、二回くらい見かけた。次長とやりとりしてるとこ。家の父ちゃんにでも話すような、ちょっとタメ口っぽくもあり。・・この人、ちょっとぉ・・なんて決めつけていた。この方が、お客様に大人気。率直な人だからなのか。次長にも、よく聞きにいったり、相談しにいってる人なのだろう。昨日、Nさんが私に、外車販売でトップ・セーラーになった女性の話をしてくれた。その人は顧客に、商品説明をしない。ひたすら「自分を売り込む」のだという。「人柄を売り込め」・・Nさんは、それを私に教えたかったようだ。お客様から、気さくに声をかけてもらえる人になれと。不思議と所長に相談しに行くと、お客様から声がかかる。はじめ、所長の所へ聞きに行くと、いつも山盛り怒られた。言葉がキッツーイ。あの五分刈り頭になった方なのですが。ところが、そういうやりとりをしていると、お客様が私に優しく声をかけてくれる。責任者は、神様の立場なのだな。「祈りは率直に報告する生活である」お蔭で、こちらの経済が成り立ち、精神的にも安定する結果を頂ける。こういうことを通して、神様はご利益の法則を、単に教えたいわけではなかろう。上のものと下のものの心を一致させる。そこから、無から有が生み出されるのだよ。数字が出来あがっていく。しかし、上のものの所へ、報告しに行きにくいだろうと。そこを、自分の感情を無にして、率直に上のものへ話しかける。そうすると、お客様の、声かけにくいおもいが突破され、親しく歩み寄ってもらえるんだな。
2006年06月08日
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昨日のデートを終えて。今日の夕方会った時はむすっとしてましたが。ご飯を食べて、「オーラの泉」を一緒にみて。・・Nさんのお顔がとても美しくなっているのに気づきました。柔和・柔軟・穏やか・愛らしいといったらいいか。実は私の顔も、昨日の夜あたりから、良くなっていると感じました。・・愛らしさ。確かに暦は六月六日から甲(きのえ)に入ったのですが。・・暦の運行で、人の顔は、それぞれ微妙に変化するものではありますが。六月が甲(きのえ)の大木なら、七月の乙(きのと)は草花を意味します。木霊(こだま)やフェアリー(植物の精霊)の活躍時ともいえそうです。自然に親しみ、彼らに協力を求めて進みたく思います。仕事をしながら、こういう思いがきました。(自分は二ヶ月後には、転機・変化が必ずおこるだろうから、この二ヶ月は重要。貴重につかいなさい)片付け整理の期間なのだな。次の変化に備えよと。と、さっき「台所よくやったね」Nさん、気づいてくれたみたい。一緒に住んでると、あまり込み入った話はしたくなく。むずかしい会話もしません。できれば、こうして欲しい・・要望を付箋紙に書いてホワイトボードに貼りつけておこうかなと、ふと仕事中考えました。「ヌカを買いに行くのに車で連れてって」「植物園に行きたい」「これが必要」とか。もっと煮詰めて、ハガキ大のカードに要望を書いてトイレの壁に吊るしておこうかと。Nさんの目に入る場所へ。いきなりのクロージングではなく、さりげなく潜在意識に入るようにと。これって、神様へのお願いごとみたいですね。ああ、神様へのお願いごとは、ここで書いてるともいえます。きのう、日記で、百合の花を味わいたいと書きました。今日の夕方、花屋さんで、ああ!百合だあ!堂々としたカサブランカの花です。風格・威厳があります。ありがとう、神様。・・と、その仲間たち。あっ、それでNさんから次のデートのお誘いが。その日の天気予報は雨。雨降りの中、傘をさして歩く・・か。・・これは詩人がするデートですね。
2006年06月07日
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ちょっとした料理やお惣菜の紹介を、写真つきの料理の本で見るよりも、文章だけのエッセイなどで読む方がすーっと入ってくる。作ってみたくなる。おしゃれも、きれいなモデルさんの写真の雑誌で見るよりも、やはり文章だけのエッセイ方式で見る方が、取り入れやすい。想像力が沸いて、創造してみたくなるのです。近頃、生の玉葱をサラダで食べたく。これまでは、スライスしたものを浄水にさらし、からみを若干とってから混ぜ合わせてましたが。今日は、スライスした玉葱1個をボウルに入れ、塩とお酢とヒマワリ油を入れて。キャベツの千切りをしたものを、どさっと、その同じボウルに入れます。スパゲッテイが茹で上がりました。同じボウルに入れます。マヨネーズで、スパゲッテイ・サラダの完成です。これからの季節は完熟トマトを入れたいです。ほんとは茹でたまごも欲しいところですが。生たまごは食事改善の勉強をしてから、5年半程買ってません。時々、既成のサンドイッチで食べるくらいです。初めての試みですが、この冬から冷蔵庫のスイッチを切りました。玄米菜食、発酵食品、味噌、醤油、梅干し、漬物など。毎日買い物に行って、食べきりの生活。食事は日中は食べず、夜だけなので、自然と冷蔵庫に入れる程のものがないかなと。これからの梅雨時期、夏へ向けて、いつ、冷蔵庫にスイッチを入れようかと思案しています。食事改善の前、5年前程まで、冷蔵庫に入っていたものとは・・。たまご・マーガリン・白パン・牛乳・チーズ・ヨーグルトは、よく日常入れていました。それらを、買い物かごに入れなくなったのですから。今日のサラダの油も久々に使いました。豆類・胡麻類・ワカメや海藻類・野菜・小魚類・椎茸類・芋類を順繰りと食べます。キッチンの日陰に置いておけば一年の半分は冷蔵庫のスイッチをoffにしても大丈夫そうです。
2006年06月07日
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神様、今日一日お疲れ様でした。夜十時半ばを廻った頃でしょうか。雨がぽつぽつ、きました。さっきから、雷がすごい音を立ててます。人の腸内環境のようです。悪い食習慣が続いて、腸が汚れた状態を改善しようとする時、酵素が役に立つでしょう。その酵素が腸にいきわたるようになるとき、ちょうど、体の中ではそんな音をたてて改造工事が始まるように思います。私が激しい下痢を体験した時、「浄化されたのですね」と言って下さった心優しい方がいます。とてもポジティブな気持ちになったものです。このゴロゴロさまも、浄化と感じます。今日は、夜、Nさんといっぱい歩いたのですよ。歩きながら、草木の花の匂いをいっぱい嗅いで。好きな人と、一緒に歩くって、とってもいいものですね。今度は、お休みの日、午前中、Nさんと歩きたいと思います。さらに美しい、これからの草花を見つけるでしょう。最近、さまざまなバラの花と木が目に入ります。神様、かなり力を入れてデザインされたことでしょうね。毎日、楽しんでます。「自然の草木を守るフェアリーさんでしょう」と、声をかけながら、花壇の通りを歩いています。バラにはバラの気品を持ったフェアリーさんがいらっしゃることでしょう。次は、百合の花も味わってみたいのです。 今日、神様とデートするなら、場所は植物園がいいと、思い浮かびました。植物の精霊さんたちと交流を持ちたいので。彼らは、私を招待したがってると感じるのですが。神様役のNさんに、リクエストしてみますね。必ず、心に留めて下さる方ですから。植物学者の昭和天皇は、フェアリーの存在を知っていただろうか。と、ちょっと考えました。・・多分、知っていた、感じていただろうと。神様、快い疲れを私も今日、感じています。何か、新しく開けたような。神様だって、そうでしょう。神様、私は決して、人を羨ましがりません。自分を卑下しません。人には人のステップがあり、私には私の段階がありますから。比較して、どうのという感情はおこしません。そう、人は見ず、神様、ただ一点を見ようって、思ったんです。一番近い方が、Nさんの前に、神様でありますように。おやすみなさい。
2006年06月06日
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日記に朝の出発を十分早くすると書いたら、自然と早く家を出るのが習慣づいてきた。ありがたいこと。ブログ効果、書く効果に感謝。医療の天使さんがいるのだったら、文筆の天使さんもいらっしゃいますね。是非、仲良くして下さいね。(最近、文字数の分量を決めて書き、そこからタイトルを打ち出す試みしています。かなり気楽で書きやすいです)それで月曜の朝、早めの出勤をしたら、(あらあ~、所長の髪が五分刈りになってるう!)年配の女性従業員さん:「どうしたの?」所長:「いえ、別にぃ・・どうもしないけどぉ」恥かしそうに、してみせた、一瞬の表情を見逃しませんでした。中学生のような、子供っぽさが・・。これは、効果大と言えましょう。いつも、神経ピリピリで恐そうな、ヒヤリとした顔つきだったからです。察するに、数ヶ月、目標にいかなかったので、上層部からお叱りを受けたのでしょうか。五分刈りの風景、とても新鮮です。こちらの気持ちも一新されます。二十一歳、白岩玄・作「野ブタ。をプロデュース」・・見た目、不潔そうで、人にウザがられる転校生を、皆に好かれるキャラに改善するため、主人公が提案したこととは。不潔な長髪を、ぼうずにすること。かわいいと言われるようになり、人が近寄り始めてきた。(脂っぽい顔は女性に嫌われると、洗顔フォームで昼休みにこっそり顔を洗うようにともアドバイスする)・・で、所長の仕事、出だし、好調のようです。髪と顔をさっぱりさせることは、運勢を良くするに通じる。そういうことなのですね。所長の五分刈り頭、顔が近寄りやすくなったと感じます。それを見て、私もどうか初心に帰れますように。
2006年06月06日
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「功名が辻」を見た翌日の朝。時代劇の顔をして、仕事をしている自分に気づく。月曜日の私の立ち居振る舞い、顔の表情。日本の民族衣装もなかなかいいものだな。その人の個性が丸写しにされるよう。着付けは補正下着が決め手だ。水を被って、気合いを入れてから着ることもあった。キモノの勉強をしていた時はあえて時代劇を見たりもしていた。が、その時は、時代劇もキモノも本当の意味では興味を持っていなかった。芸能人は霊能者が多い、江原さんが言われる。「功名が辻」を見て、役者はシャーマン、霊媒者であるなと感じる。その時代の人が乗り移っているかのようだ。実在の人物を演じる時、すでにその人が霊界にいる人なら、お墓参りをするなどの意味がわかる気がしてくる。コンサートでも事故が起きないようにと、お祓いとか、お清めのようなことをするらしい。フミヤの本に書いてあった。霊界って改めてとても身近なのだな。なのに、ふだん、さほど意識して暮らしていない。人は最も身近なものに影響を受ける。・・霊界もそうだ。意識して、考えたことはなかった。だから、お掃除をして、部屋をきれいにして、その場の霊界づくりを整えるの意味だったのか。エッセイ集『すてきなあなたに』に書いてあった・・洋服は、自分のためにが半分で、もう半分は人のためと。トイレ掃除は功徳のRちゃん、顔は人のためが半分で、自分のためが半分ですねと。Rちゃん「母の顔、化粧をとると化け物みたいなんです」と。「化粧をして、やっと顔をごまかし、家族の前に顔を出している」と。それを聞いたせいか、今日は一日、賑やかな商店街を歩いていて、顔が変な人をいっぱい見かけた。やはり、顔をそむけたくなる。・・なるほど、顔は人のためが半分ね。人にわざと笑顔を見せずに、むすっとした表情をして見せたことを思い出した。・・そのような愚かな自分が、どうか許されますように。
2006年06月06日
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どうしても一緒に参加したいイベントがあった。昨日の夜までは意見が一致せず。どうしたら良いものかと。悶々としていた。今朝、「今日、どうしよう」ぼんやり問いかける。「仕事終わったら真っ直ぐ帰ってきて」・・それから一緒に行こうということ?「はい!」かしこまりました、Nさん。小さな悩み事、一つ解消。今日も頑張って仕事に行ける。夕べ、Nさんは仕事が忙しく、携帯がなかなか通じなかった。何か事故とかじゃなければいいけど。ここ数日、ちょっと、こちらは一方的だった。人の心を思い通りにしようだなんて、私が間違っていた。人の心を変えるのは超むずかしいこと。自分の心を変えよう。よっぽど容易(たやす)い。こうして欲しい・・要求はやめよう。・・何事もなく無事であればありがたい。おじいさんになるまで一緒にいられること。他のものは節制できるが、Nさんの存在は欠かせない。Nさんが充実していること。平穏であること。それが私の幸せではないか。多くを求めない。自発的に物事を自分で決めて下さい。・・私の心が変わった時、携帯が通じた。ほっと、ひと安心。小さなことでも二人の心が一致してないと、魔がしのびよる気がする。人は最も近いものに影響を受ける。Nさんにとっては、最も近い人間であるのが自分。Nさんの幸、不幸を決めるのは、コノ人いかんにかかってます。パートナーとは、その本人の守護霊さん以上の影響力があるともいえます。助けるものとなりたい。六月六日から干支の暦がガラリと変わる。六月は私にとっては天徳の月。六日の今日はNさんにとって天徳の日。四柱推命で「天徳」とは・・ご先祖様の徳力により、すべての危険や災難を除くことができ、幸福をもたらすの意。Nさんとのデートを終えて帰ってきたら、部屋の中が明るくなってる気がしました。
2006年06月06日
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布ものを外でパンパンはたく。たたむ。セットしなおす。椅子カバー。シーツ。布団。服。床のうっすらホコリを掃除機で吸い込み。床を雑巾で水拭き。床を拭きながら、謙虚な人になれますように。これまでの罪が許されますように。とりわけ悪いことをしていない、というけれど、いいことも出来ていない。自分の嗜好どおりに命という時計の針を進めているに過ぎず。父に誕生日の葉書を書くとする。かぐや姫の「神田川」を作詞した喜田川さんの話。学生運動の時分の彼女との生活を詩にしたという。「若かったあの頃何もこわくなかった。ただあなたのやさしさがこわかった」その当時の価値観で、物事を良くしようと何かに挑んでいた。けれどアパートに帰ると、彼女が食事の準備をしていて、ほんわかした生活ムード。ふつうの日常に満足し、埋没していきそうになる自分がこわかったと。集めた本、書類、それらが入ったケースが重くて、のけられない。中身を点検せず、むげにも捨てられず。ならば、点検しよう。日々は、それらの整理に時間をつくって挑もう。別れるもの、今に生かせるもの。新しい自分をおこせるもの。点検と整理。別れる生かす。改めて前へ引き寄せるもの。物たちに、目通しをして、風通しを良くし、見直してあげよう。作業でなく、再創造のために。意識しないと、現状を変えられない。物一つ、その配置さえ、重くて、変わろうとしたがらない。その詰まったような、億劫という壁。整理整頓って、自分が変わることだから。本格的に挑もうとするとすると、簡単じゃなかったり。外で仕事があったり、家で日常の営みをしてる中で、物を動かそう変えようとする試みだから。一個一個と、順番に向き合っていくこと。順繰りと、循環させていきます。
2006年06月04日
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昨日の午後、お掃除の段取りを、書いて、流れを予約した。にんにく酢を杯一杯、二杯飲んで、蜂蜜を口に含む。うー来た来た、気持ち悪くなった。畳の部屋にゴロン。体、丸めて横になる。うーん、熱い、上着脱ぐ。うーん、寒い、毛布引き寄せる。十五分程、横になってるつもりが、熟睡してしまった。マズッ!・・夕方のようだ。Nさんが帰ってきた気配。気持ちを切り替える。私のスピリットさんに、専門の家政学の天使さんを頼んだため、到着に時間がかかったに違いない。私を眠らせた間に、脳のコンピューターを「大雑把」から、「緻密」へセットし直した様子。・・動き出した。昨日、予約した段取りにダメだし。表面のいつもの掃除をしてから模様替えとは、無理がある。疲れてしまう。台所の模様替えから、いきなり突入。ガスレンジ。レンジまわりのタイル。換気扇まわり。台所の排水溝。ステンレス磨く。食器棚の各スペースを一個ずつ拭く。棚の上拭く。大きなビニール袋を用意。缶・びん・ポリ・紙類。どんどん、サヨナラ。羽田美智子さんの「ちゃっちゃと捨てる」が合言葉。掃除音楽はJ‐POP。「抱いてセニョリータ」が今回の掃除応援歌。U-SENで二時間ごとに流れるその時間に休憩タイム。なんで、こんなに気持ちいいんだろう。私の趣味だ。布で拭く洗う拭く。私のお掃除ヒーリング。奥のホコリを探し出す。水で洗い流し、ホコリを土へ返してあげる。さあ、いらっしゃい。天使さんの居場所、今、いっぱい作ってるんですよ。家の、物の、絶対量を減らす。家事能力抜群のNさんのお母さんの働き力を、私に授けて下さい。物に、押し潰されません。物を正しく管理するものになります。
2006年06月04日
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午前中浄水をニリットルちびちび飲み終え、しっかり排泄。お昼十二時が回り、そろそろ食べようかな。乾燥ワカメを圧力鍋でくたくたに煮てみる。高校に入ったばかりの時、仲良かったKさん、ダイエットに成功したとっておきの秘密教えるね、と私に。ワカメをくたくたになるまで長く煮たものを食べる。満腹感。十数キロ落としたのだそうだ。まわりの皆の目がまるっきり変わったのだと言う。彼女はきれいな人と言われるようになり、初めおとなしそうだった彼女は、どんどん外的に派手さを増して、私とは噛み合わなくなっていった。ワカメを調理する時、彼女のことを思う。元気で、幸せでいますように。さて、家事をしよう。女性の楽しみ。創作活動。ホコリを土に返し、キラキラ天使と入れ替えよう。これから、掃除をします。お掃除専門の家政学の天使さん、協力してね。一緒に、宜しく、お願い。今日はにんにく酢をちびりと飲む。蜂蜜をなめる。・・では、まず家のドア、窓を開け放ち。日が差して来たので、布団を干す。洗濯機をまわす。掃除機ぶんぶん。トイレ。玄関。布ものをはたく。たたむ。お雑巾で床拭き。上のものを上拭き用お雑巾で拭く。テーブルの上の本、ノートPC一旦片付ける。そこで、一旦休憩し、台所の模様替えに突入。Nさんに糠を買いに行きたいと言おう。車でお米屋に連れてってもらおう。きれい、さっぱりしたお部屋に、Nさんと神様をお迎えしよう。楽しいな。掃除の瞑想呼吸で。天使さん、ついてきてね。パチッ!今、霊界の音。(OKだよ~ん)得意のアイロンがけも一気に。細々としたものを、かっちり、丁寧にする。それが、私のお掃除瞑想。にんにく酢が私をサポートするでしょう。自分発明の気付け薬。
2006年06月03日
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「楽しみな金曜日」・・これも仕事をしていればこその喜び。その日が来ると、今日一日頑張ればニ連休だあ。と、一気に気を緩めて心を遊ばせられます。そして、この一日を愉快な気持ちで過ごせば、休み中も心安らかに過ごせます。さて、仕事が終わりました。仕事のことを全部忘れます。気持ちを解放して、職場のことを忘れて、フリーな人になります。今日は新人研修の時に講義をして下さった部長が少し時間をとってお話を。皆の前に立って、こうして話す機会が多いでしょう。反応してくれて、よく聞いてくれてると思うと、調子にのって、べらべらしゃべりたくなるものね。皆さん、聞き上手になってくださいね。僕も営業でお客さまの前に行くと、オーバーな相槌を打っていた。相手にどんどんしゃべらす。「オーラの泉」相田翔子さんの突発性難聴にも過去世に原因があり。それが理解できると、改善しやすくなる。治しやすくなるだなんて。すごい。私が26歳の時、急性椎間板ヘルニアになった時、ある人がこう言いました。「何か意味があるのかも。頭を下げるべきところで、頭を下げられなかったとか。」ぐさっ。その時は素直に受け入れられなかったけど。自分の欠点、弱点を知る。真実を受け入れる。改善する。それをコツコツ貯めていけば、どうなるだろう。時の針を進めることは、外面は老化でも、内面は発展。どんどん活性化していく。「更正」という言葉をよく言われていたことがある。今は八十五歳位になる方、Oさまが、若い私に仕込んで下さった頃のこと。その癖、直しなさい。・・なかなか直らない、一度、身についた癖は。だから、素直な人が一番と言われる。一見、素直そうに見える自分。が、立ち止まって直す、ゆとりがなかった。あわてる自分は要領を得ない。だから、素直の反対、頑固で強情な人と言われた。それは過去のこととして洗い流す。私は素直な人。ほんとうは素直な人。今だ。今こそ、立ち止まって一個一個にチェックを入れ、更正していける。その心のゆとりの時間が許されている。更正とは・・悪に染まった人が、もう一度、まともな人間に立ちかえること。役に立たなくなったものに、手を入れて、もう一度使えるようにすること。手を入れるか・・。梃入れ(てこいれ)?・・と、その意味は、下り坂にあるものに活を入れるために、思い切った方法を取ることにもたとえられる。今、私は、その時だと思う。人に言われてするのでなく。自分で気づいて、病気を治していく。出来る。あなたなら、できる。仕事にたとえると、ぴったりわかりやすい。その時は、一時的にペースが劣ったように外面に損失が現れても。トータルで見れば、挽回できる。・・こう書いてみると、所長の気持ちがわかりかけてきた。所長も上から突っつかれて、日々が真剣勝負。恐くも感じていると思う。その与えられた役目が果たせるのかと。しかし、自分を追い込んでいると思う。立場は違っても、その気持ちは私の立場でも、全く同じなのだな。所長は私をせっつく。ちょっと萎縮していた。仕事に創造性を見失いかけていた。部長が来られ、・・人の心をうまく掴む方で。弱さをみせる。あなたが頼り、助けて欲しいと。・・皆に向けてのメッセージなのだけど、ちょっと希望が・・。助けるものに、なってみようかな。お役にたってみたいな。ここの職場で、実力をつけたい。所長に相談に行けそうだ。同じ苦楽を共にしよう。出会いに偶然はないと言うから。その場の責任者の立場に立って、気持ちで支える仕事振りを発揮していこう。・・「欧米食習慣の私の二倍体重があるDさん」が退職。人の中傷をしないように、職場の和を乱さないでと、上司から忠告を受けたあと、あっけなく辞めてしまった。あれだけ、仕事への情熱・自信・バイタリティのある方だったのに。Dさんと仲良しの「朝食は料亭並の豪華さを自負していたCさん」も共に辞めてしまった。こんなに愛すべき職場なのに。もったいない。彼女の早起きと朝の散歩・運動を見習って、生活習慣を変えようと意識し始められたのは、彼女のおかげだったのに。才能あふれる彼女たち二人に、神様の祝福がありますように。影響力のある人の席が空いて、職場の雰囲気が新しいものへと変化している。バラが咲き誇る季節。歩いていると見かけます。赤・ピンク・黄色。生花には、人の心を癒す、お花の妖精(フェアリー)が宿っているという。それで、人は病気見舞いにお花を持っていく。アロハ・セラピストのサンディーさんが、誰でもお花になることができると言う。自身というお花を咲かせるためには、太陽と水が必要。笑顔、という太陽。感動の涙、という水。人間の中にも自然はあると。カタバミの地味でおとなしいピンクの花を見て歩いた後、その花の色と、同じ色の服を着た女性を見かけた。上の服ってお花を表すの?下はブルーがかったグレー。さわやかな配色。お花の葉っぱに相当するのが下の服の役割なのか。その人をみて、お花の妖精さんと思った。以前、押し花展示会をよく見て歩いた。鮮やかさ、美しさの性能の高さ。けど、それを保つ期間には限りがあった。ブログの日記って、今日を押し花するよう。けど、文は朽ちない。二十年後に読み返せば、その時の情景は鮮やかに甦るはず。日々の短い感動日記の随筆集「すてきなあなたに」、今日、鞄に入れ忘れた。毎日気の合う友が、今日はお休みをとったよう。日記は色あせない。今、という若さと未熟さは、きっと可愛らしく残るはず。ここにお花を咲かせる。お花は、その場の空気に影響を与える。
2006年06月02日
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「オーラの泉」昨日のゲストは相田翔子さん。「アルプスの少女ハイジ」のクララのイメージと重なった。お顔の肌の美しさ、柔らかでスベスベで、その肌質が映像で伝わってくるよう。とても可愛らしい。うらやましいと思っていた。「他人の幸福をうらやんではいけない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから」(ダンデミス)という言葉を思い出した。よく江原さんも同じことを言っている。人をうらやましいと思う必要はないようだ。すべてをひっくるめて考えた時、私は、私の役が一番きらくでいい。「オーラの泉」に登場する人は、心を開いて本音トークを展開してくれる。それだから、生(なま)のその人のかんじが、よくわかる。近しい気持ちになるはずだ。ああ、彼女は、そういう人なのね。という理解が生まれる。生活スタイルを変えつつある。早寝、早起きへ。日記も浸ってないで、時間内で書く癖をつけようと。その日の自分を記録することに意義があり。仕事では、上司が、もっと相談に来て。と、言うから、この日記も、神様への報告・相談日記と思って書く。祈りという祈りが、できないので。とにかく書いているうちに、神様への気持ちが、啓発されていけば。日々を楽しいと思える。朝、五時前に目が覚めた。パチッ!・・そうだ、日記に、目が覚めた時に、神様をかんじる、と書いたのだった。ならば、起きるべきかも。玄関を開けた。もう、すでに朝日が高い位置に昇ってきている。今の日の出は四時を過ぎたころから、もう始まっている。冬の時期の日の出の方角が、随分ずれてきていると気づいた。干しいもを数枚食べ、薬草茶を二杯飲む。いつもは朝抜きなのに。出勤前、三十分程、横になり。朝は、最寄り駅まで、Nさんが車で送ってくれた。シートに乗り込んだ時間、ピタリと七時五十分。昨日、日記に書いたことが、そのとおりになった。どんどん、生活習慣を良い方へ改善していこう。書きながら、進むと、思ったとおりの実行にうつしやすい。一日体調がいまひとつで集中力に欠けボーっとしてると気づき、仕事の天使さんの助けを求めた。無事に仕事が終了。帰りの電車で、本を広げたまま居眠りをした。この十五分間の幸せといったら・・。一日の緊張した疲れが、とれる、というのでなく。洗い流されるかんじ。私のスピリットさんが、最近、降りる駅の一つ手前で起こしてくれる。目をパチリと開かせる。また、ありがとね。私のスピリットさんとの暗黙のやりとり。昨日、出勤通路のいちごの実を一つ食べてみると書いたが・・。ほんとに一粒食べた。行きの電車で、手作りのイチゴジャムの作り方がエッセイ本に書かれていて。夜の食卓には赤い苺が白いお皿とガラスのお皿にいっぱい登場することに。昨日、サラダの彩りに赤や黄色も必要と書いたせいか、黄色の茹でたとうもろこしが登場した。塩茹でしたブロッコリーの鮮やかな緑、しめじとマッシュルームの茶、キャベツ黄緑でソース焼きそばをつくる。枝豆を衣で揚げたおつまみ。おやつはピーナッツの南部煎餅。近頃読んでる本は、食べ物や、暮らしのおしゃれや、日頃のちょっとした心を捉えたことが書かれている。雑誌「暮らしの手帳」に連載されているもので、大橋鎮子さんのエッセイ集「すてきなあなたへ」十七年前に一度読んだ本。その頃、この本から影響されたインテリアに関する思い出が甦ったり。今、再び読んでみると・・。ブログの日記みたいだなと。日々の心をうれしくさせた、ちょっとしたことを書いているにすぎない。これが随筆、エッセイというものなのか。相田翔子さん、小さい時の夢は「小説家」だそうです。そういえば、私の小学生の時の、夢に対して「作家」と言っていたことが。宮沢賢治の作品とかの感想文を書くと、いつも百二十点くれる先生がいたせい。書いているうちに、楽しくなっていたから。職業じゃないけど、毎日、好きなように書いているのだから「作家」の夢、達成ということにしておこう。手書きだったら、一つも書けなかった。表現できなかった。書く=スピリチュアルに通じるところが面白いと感じる。年配の女性作家の人達が、体が思うように動かなくなっても、毎日三枚程ずつ、必ず書いているという話が、今日読んだところに書いてあって。ちょうど、今日は書くのをお休みしようと思っていたところだった。ふうーん、と思った。晩年になっても、楽しんで、書き続ける創作意欲。それが、生きる力になって。生きる喜び。随筆作家たちは、毎日、感動するネタ探しの取材意欲を持って暮らし、思考を駆け巡らしているというわけだ。生きる意欲。書き続けることがそんなにいいことだというのなら、ちょっとだけやはり書こうかな。神様、私のスピリットさんとコンタクトがとれるようになる予感。ツーカーの関係になりたい。あうんの呼吸で暗黙のやりとりができたらいいなと。「書き続ける」はスピリットさんへの報・連・相。スピリットさんを理解し、通じ合えるようになる流れができるのではないかという予感。今は、ちょろちょろ流れる川のイメージであるけど、続けていけば辿りつけるかもしれない。もっと深い世界へ。
2006年06月01日
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「グリーンや花を髪に飾り、自分を祭壇に見たてる。アロハの女神さま、どうぞ、いらして、お座り下さいと祈る。食べ物、食べるということは、祭壇へのお供えもの、と考える」本屋で立ち読みした女性誌のハワイのフラ(ダンス)に関する、アロハ・スピリットの記事。食事のおしゃれを考えた。今日はマカロニサラダを作った。玉葱、キャベツの他に、彩りの赤や黄も必要なのだなと。「チャングムの誓い」のように。王様の御前を作るように、自身が食べるものを配慮する。祈りの台所。自分が祭壇。花で飾る。・・それが、おしゃれ。食べ物、神様に差し上げるように、準備する。気持ちよく、用意を整えて、さあ、神様、いらして下さいと。ハワイのフラの踊り。私が、今、求めている、呼吸法のことを、その記事には書かれていた。体内浄化の呼吸法とは・・。「こうなりたい、という目標・夢を光でキラキラさせて思い描く。想像した光でキラキラしたビジョンを思いっきり吸い込む。体内に取り入れる。そうすると、体内で、光でビジョンが照らし出される。とどめる。必要のないものをすうーっと、吐いていく」・・Nさんの子供時代の時の写真の顔をイメージした。今の仕事で実力をつけ、できる限り続けていきたい。と、それをイメージした。「一度、発した言葉の魂は死なない。自分の体の中を駆け巡る。だから、負の言葉を使わない」説得力あります。容易に、調子にのったお喋り。・・負の言葉は慎もう。ところで、毎日の出勤通路を飾る花壇の花たち、新しい顔ぶれも。白いペンキを塗った木の格子の飾り棚、そこに絡ますピンク、赤のバラ。英国調の門のアプローチ。薄紫の鉄線の花、やはり、つるになって、まきついて。イチゴの葉だ。あっ、小粒のイチゴがなっている。明日は、一粒、口に入れてみようかな。カタバミの葉の中に濃いピンクの花が。こういうかわいい花を咲かせるのか。朝は、ポピーの花が元気よく開いて、おはようを言っている。アジサイが蕾をつけはじめた。・・きもちいい。いい匂い。・・私は歩く祭壇かな。暦の上では六月は六日が節入りになっている。着るもの、もろもろを一新させよう。ヨモギ風呂に入った翌日の朝、今朝のこと。全てがまっさらな午前中、時代劇の顔つきをして、仕事をしていた。キモノを着る時の呼吸法というのがある。誰にも媚びる必要のない表情。真剣であるが、眉間にしわを寄せることなく、適度に、張り詰めた緊迫感。時代劇の顔。私の好きな顔。隙のない顔。自分が好きな顔をして自分の仕事に集中する。影響を受けるのは、着るものだけじゃない。実についた習慣。呼吸。食べ方。暮らし方。必ず、身近にお手本にしたい人が用意されている。自分にないものを身につけている人。頭を下げて学ばせて頂こう。私も、あのように、なりたいと。映像を描きやすくしてくれる。これから七時五十分には、家を出よう。座れる電車で、余裕を持って出勤する。仕事始めに五分から十分、書類に目を通そう。自己研修、仕事内容の見直し。初心に帰る。背筋を伸ばす。顎を引く。日々の日記更新は糠味噌を混ぜる行為。ここは今日一日のことを、神様に報告に来る場。今日もありがとうございます。朝の目覚め、今日も危なかったところを助けてもらい。帰りの電車でも居眠りで、又、起こしてもらい。私のスピリットさんという心強い味方。なりたい自分になる。・・できない気がしない。一緒に、吐いて、吸う。神様へ、報告・相談しながら進みます。
2006年05月31日
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トイレ掃除は、どうやら、人の顔を美しくするようだ。もっと、これに、ちなんだ情報を集めたいものだ。不快を与える「顔の病気」が治るとするなら、これは、なんと、新発見。トイレの話から、今日、南米ボリビアの旅を思い出していた。旅の出発が決まる前、見た夢は、スコールのざあざあ降りの雨の夢。それと、未開の地のトイレの夢だった。隣との隔たりの壁がない、・・といったような。実際、人里離れた村では、それに近いトイレを体験したこともあったが。街中では、貧富の差が激しく。トイレの差も激しい。お金持ちの家のトイレには驚いた。スペースの広さに。トイレの空間が、四畳半、六畳くらいのスペースだったりする。床には、絨毯が敷かれているところもあった。便座に座って、実にゆーったりとした時間を味わう。たとえ数分でも、優雅なトイレタイム、くつろぎの場。その数分の時間に、良い閃きを得たり。何かを計画、選択、決断、インスピレーションを得る場として、大事にされている空間。深く印象に残った。時々、家でも、一人の時は、トイレのドアを開け放す。トイレの向いの部屋のドアも開け放し。トイレから見た時、部屋に置いてるものが見えないように、空間をあけておく。・・と、広いトイレを味わえる。ふうーっと、深く、長く、息を吐ききるひと呼吸する場。
2006年05月30日
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今日、意識した呼吸法・・「呼吸する時、キラキラしたビジョンを吸い込む。からだの中に入ると、内側から、光で、照らし出される。必要のないものを吐き出していく」(女性誌のアロハセラピーの記事より)・・それをイメージしながら過ごしてみた。人は、呼吸しながら、ものを言う。このしゃべりとか、呼吸のしかたって、「楽器のようだな」ふと、仕事をしながら思った。最近、読んでるエッセイ「すてきなあなたへ」書き手が、自分のことを「わたくし」と言う。・・私、とても言えない。けど、仕事では、お客様に「わたくし」とふつうに言ってることに気づいた。主語を「わたくし」とする時、しゃべり全般が、丁寧口調となる。呼吸がなめらかだ。丁寧な書き言葉を読んだり、書いたりする時、自然と、息のしかたは、穏やかなものになっている。理想的な呼吸法を意識し始めた。これまで、流行りのリズムに合わせようとしていた。以前はヒーリング音楽をかけると、眠くなる気がしていた。今は、J‐POPを流すと眠くなったり。ヒーリング音楽を流すと、意識が覚醒する。書く、スイッチが入る。私の呼吸が既に変わりつつある。もう、すでに変化を感じ取っている。物の見方の変化が起こってきている。昨日、「神様とデート」の話を書いたら、「今日は神様とデートなの?」という女性を発見。クラシックな柄のスカートがその方の清楚さを引きたてていた。地味ながら、心遣いを感じさせる、私好みのお手本の女性を見て。神様におしゃれして、備えて、待つ。いつでも、私のところにいらして下さいねと。その「備える」とは、仏様にお饅頭を「供える」に似てないだろうか。身奇麗にして、私自身を神様に供える。差し上げる。あなたの御心のままにおつかいください。たとえば、仏壇にりんごをお供えするときも、きれいに洗って、器に美しく盛り付けて、捧げる。それと同じように、一つ、自分への気配り、おしゃれをしてみる。家事整理学の本に関心を持ち始めた。丹念に一つ一つ吟味してみたいなと。おしゃれも家事整理学の延長にあり。
2006年05月30日
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今日の閃きメモ(これから書きたいネタの箇条書きメモ)●猫のお墓のぶこさんの話。(猫はたたる?)・猫は身代わりになる。霊に対して可愛そうと思ってはいけない。(「オーラの泉」研ナオコさんの話)映画「大霊界」家族は高い霊界へ。ペットはその場にいなかった。実際は?研ナオコさんのそばに亡きペットが守っている。という江原さんの話。●金縛りの話。仏像の話(「オーラの泉」佐々木蔵之介さんの話から)地震で、鼻が欠けたウチの仏像。佐々木蔵之介さんに似てる顔の上司がいた話。●「前世」ではなく、それは「先祖」と言う人がいるが。海外の人だったりすると、辻褄が合わない。●仕事の力の入れどころがわかってきた。来月の目標。見込み作り。5/30(火)
2006年05月30日
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そらのはるかさんの日記を読んで触発されました。「人生は神様とのデートなんだから」というひとこと。・・そうなんですか?なんだか、楽しそう。その日記を読んで、先日、新月の祈り日記を書いていたら、どんどん楽しい気持ちがおこってきたのです。それが、ちょっと、やみつきになるような感触を得て。特に、新月の始まりと、満月の始まりの日記は。神様とのデートの時間という気がしてきたのです。それから、そらのはるかさんの昨日頂いたコメントを読んで、確信しました。トイレ掃除をすると、美しいものを生むということ。それは天の法則なのでありましょうか。トイレ掃除は功徳というRちゃんは、「お手洗いは、必ず、陰で、お掃除して下さる方がいるんですよ」と、言います。Rちゃんは、私の家系は「顔の病気」と言う。顔で人に不快な気持ちを与える。だから、人前に出たくなかったと。トイレ掃除がきっかけで、お顔のお手入れを知るようになり、人の中に出ていくのが、苦痛ではなくなった。普通に働けるようになった。お手入れ、関係なしに、顔が良くなった。極端な話、見るにたえられるようになったという話。人生が神様とのデートならば、やっぱり、かわいくなくちゃ。神様、一緒に歩くのいやですよね。自分の恋人だよんって、自慢したいだろうし。神様はハンサムに決まってるし。つりあいがとれてなきゃ、デートは楽しくないだろうし。・・ああ、だから、おしゃれが大切。お化粧も大切。・・その意味は、神様とデートの日々を生きてるからなのか。合点(がてん)がいった。あと、神様にお礼を言わなくちゃ。と、思うことが色々あります。どこで、どうお礼を言うべきでしょうか。と、考えていました。ありがとうございます。もちろん、心で、そう思いますが。ここの日記で、お礼を言った方が、もっと通じるような気がして。たとえば、仕事帰りの電車で、そう思います。近頃、本を広げたかと思うと、よく居眠りする私なのです。なのに、私が降りなければならない駅に着いて、電車のドアが開くと、パチリ!と、私の目が開くのです。もちろん、これまで、乗り過ごしたことも何回かあり。ところが、近頃、神様とか、天使さんとか、精霊さんとか、日記に書くようになってから。ピタリと、私をサポートする力が増してきてるように思われるのです。とても不思議です。さあ、着きましたよ、お嬢様。目を覚まして下さいね。と・・これは、天使さんなのでしょうか。どなたなのかがわかれば、チップを差し上げたい気持ちです。そして、さらにお世話になってるのが、朝です。私が、決して会社に遅刻しないように、目覚ましをセットするのを忘れている時も、時間になったら、パチリと目を開かせてくれます。この協力態勢には感動します。私が霊界の働きを日常で身近に感じる時は、いつも目が覚める時なわけですが。私は何て、心配りをされ、良き待遇のもとに生活しているのでしょう。ほんとうに、いい気分です。このことをいつか、ちゃんとお礼を言いたかったのです。そういえば、5月19日、体調が悪く、私のスピリチュアル軍団のリーダーさんにお願いしました。医療の天使さんを探して連れてきてと。私を助けて下さいと。ぐっすり眠れますように、お願い・・と、言って休みました。そうしたら、ぐっすり眠れました。そして、目覚めた朝、私は普通通りに出勤できたのです。薬も必要とせず。リーダーさん、お礼もまだ言ってませんでした。あの時、あなたのお蔭で助けられました。とても、感謝していたのですよ。あなたにも、何かしてあげなければね。それと、医療の天使さん、急なお呼びだてにもかかわらず、快く来て下さいましてありがとうございました。それと、医療にちなんだことで、相談できるお友達を私に引き合わせて下さいました。これは、神様が気を配って下さったのでしょうか。書くと、とても霊界とのやりとりが、通じ合うと感じてます。これまで、私が読んだスピリチュアルな本を読んでの感想ですが。人間と天使さんたちとの関係において、どうも、不具合があったようです。信頼関係が切れてしまっていた。人間は、そういう世界の存在がわからなくなってしまっているし。理解し合えないという、断絶状態があったようです。それは、神様との関係においても。今、修復しようとしている動きを感じます。私、この期間に思ったこと。もう一度、昔、勉強した子育てを題材にした心理学(親業とも言われてますが)を勉強しなおしてみようかと思い立ちました。今、低年齢の子供たちのむごい事件などが多くなってきていて。それに対して、江原さんが、「子供達に自然霊が影響を及ぼしている」そのような一文を本で読みました。ここで、江原さんが言う自然霊とは・・。この世で人の体を持って生きたことのない霊・・のことだといいます。親心だとか、人の気持ち、慈悲などがわからない霊だと。天使さんを考えた時、彼らも人間ではないので、この世に生を受けたことはない。なので、当然、人の感情の理解にも、限界があることでしょう。まして、人との関係が切れていたら、情緒も発達しえないのでは。人間の愛が流れてこない。なので、人間を尊敬できない。それら、冷めたものを、もう一度、温かい、血の通い合った関係というか。とにかく、取り戻して、あらたに関係を作りなおしていく時なんじゃないのかと。だから、子育てを題材にした心理学のセミナー、テキストをもう一度開いてみようかと。江原さんのスピリチュアル子育ての本もとても面白そうですし。もう一つお礼を。今朝、起きた時、こころに漂っていた思いを、いつも日記が吸収してくれるので、私はとても軽い気持ちで、目を覚ますことが出来た。パチリと目を開き、窓をあけ、掃除機・トイレ掃除・玄関掃除と、今日一日を出発する準備運動の気持ちで、呼吸を整える気持ちで、スイスイ体が動きました。もう、悩む必要は何もない。そう、思えて。一日、長く息を口から吐き、止めて、鼻から息を吸い、止めて・・呼吸を意識しながら、過ごしました。そのため、とても精神的に時間を管理して過ごすことができました。ヨガをやってみようって、挑戦する意欲が沸いてきました。気がつくと、体が硬いのです。じぶん、つくりなおし。できる。できるから。おそくないから。みんながついてるから。わたしは、どんどん、はってんする。
2006年05月29日
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土曜日の夜は「チャングムの誓い」。日曜日の夜は「功名が辻」。韓国と日本の時代劇、見るとほっとします。髪は結い髪、衣装の民族衣装は白い襟に前身ごろを左右に合わせる。履物も高いヒールのものなどではない。地に足がしっかりとついた歩き方となる。いずれも民族衣装を着た時、顔付きはあごを引いた締まったものとなる。韓国のチマチョゴリは妊娠してお腹が大きくてもすっぽり衣装に覆われてしまうので、便利なものですね。チマの中であぐらをかいたり、立膝をしたり、見た目が優雅で、その実、機能的で働きよいなと。チャングムを見ての感想ですが。日本の着物は二年間のほとんどをお稽古で着て過ごしたので少しは実状がわかる。人となりが浮き彫りにされる。十二年前、二年間だけ着物の仕事をした。Nさんの母が着物を縫う仕事をしていたと聞いていた。共通の話題性を持つためにもいいかなと。それにNさんの妹に着物を買ってあげたかったし。その少し前、「着物の似合う顔立ち」と人に言われたことが心に残っていた。その頃、お華を習ってみては?という話もあったが、結局、着物を習うことになった。「功名が辻」は途中から見始めた。秀吉、妹、母・・この三人の猿顔メイクが笑えた。メイクの力で、ほんとに親子に見える。お百姓さんと武家の違いがよく見てとれる。私の先祖には、両方が存在するし、自分をみても、なるほど、そうだと納得がいく。「オーラの泉」で、江原さんが、あなたの守護霊さんは~(或いは前世は~)、「武家の奥方」と言われるが・・。乱世の時代にあっては、命がいつ果てるかわからないという、ピリピリした緊張する中にあった日常の生活。精神が研ぎ澄まされて、勘が鋭くならざるを得なかっただろうと思われる。おてんとうさんの下で畑を耕すお百姓さんののどかな暮らしにむしろほっとしたりするが。気転の利く良妻賢母の千代。愛妻家の山内一豊。その夫婦愛が魅力で、見るようになった。職場で考えたこと。「おしゃれ」について。私は、やはりどうも、おしゃれの素質がない。呉服関係の仕事をしていた時は表面的なことに日々が消耗されて、精神的な充実が薄かった。かと言って、その時、おしゃれに熱中していたわけでもなかった。たしなみとして、知っておくぶんには良かれと、その程度のもの。それほど考えがあったわけではなかった。上の看板に掲げたテーマ、「人は一番近くのものに影響を受ける」とは、私にとっては色々な意味を含むが、拾ってきた本によると、それは「衣服」なのだと言う。着付け学校の先生が言う。桃の缶詰が二個ありました。一方は表のラベルが薄汚れています。もう一方は真新しくきれいなパッケージでとても美味しそうにみえます。けれど、どちらも同じ製造年月日で中身は同じ。さて、どちらを選びますか。見た目美味しそう。そして食べてみたら実際美味しかった。同じものでも、見た目美味しそうであれば、より美味しさが増すというもの。という、そういう話なのですが。その話を読んだとき、特にピンとこなかった。今、もう一度考えてみるのだが。おしゃれっていうのは、自分のために、自分のモチベーションを上げるためのものなのかなと、ふと考えた。人に実際より、良く見られたい・・そのためではないんだよねと。人の目を気にして・・というわけではないんだと。職場メモに書いた落書きで、「おしゃれは自分への気配り」「そうじも自分への気配り」「おしゃれは・・自分の呼吸法のためなんだ」「化粧も自分の呼吸法のため」「そうじも自分の呼吸法のため」沖ヨガの本を読んだ十代の時、食べ物が人の性格をつくると読み取った。食べることも呼吸法に関連するということ?私にしてみれば、書くということも。反省日記を書くということも呼吸を整えることのため。すっきりする。書いて、古いものを出しきる。リセットできる。ゼロになれる。心にあるものを、言葉、文字として、紙に写す作業は、心にあるものが、文字という形になって移動してくれる。おかげで、カラになれる。清々する。書くことはわるくない。「仕事は会社への心配り」なのだけど、仕事に心を込めたことはあっただろうか。仕事は人を養い育てる。人をつくるため?これも、人の呼吸法のためなのか。トイレ掃除は功徳というRちゃん、「トイレは誰かが掃除して下さっている」トイレ掃除は気配りという呼吸法のため?呼吸が整ってきたら、どうなる。気配りの人とは、素材がどうであれ、美しさを漂わせないだろうか。しだいに、美的にも整っていかないだろうか。母体に赤ちゃんが入っている時、トイレ掃除をよくすると可愛らしい赤ちゃんが生まれるとは、西洋でも言うらしいのだが、それは、どうなのだろう。自分にぞんざいな人が、人の時だけ、気配りをあらわすことができるだろうか。自分を愛せないものは、人を愛せないというから。人はナルシストを笑う。自己中心をあざけり笑う。美しくない行為。はらが小さい。自分のためというのは恥かしい。人のために、というスマートな行動こそ、感動を与え、美しい。けれど、ちょっと待って。確かに、自分のため・・という時、力が出ない。けれど、待って。私が神様の一部分、と、考えたならば。私の中に神様の一部分が住んでいて。私が喜ぶ時、神様の一部分がそれを一緒に喜ぶと考えるなら。それでも、自分をぞんざいに扱っていいの?うーん。そうきたか。私の中に神様が住んでるなんて、意識してなかったなあ。(それは、「功名が辻」で、信長が狂ったように、「我は神、仏じゃ」と傲慢が頂点になってという話ではなく)どうやら、私はぞんざいな性格らしい。自分に対して、そうであり、表向きは真面目、丁寧そうに見られる。しかし、それは表面上のものだけ。やはり、仕事の中身、結果を見た時、やはり、ぞんざいさはバレバレだ。表面の繕いが、何の役に立とうか。そもそも、自分を大事にしていない点に問題がありそうなのだ。(私は今、自分におしゃれトークをしながら、なんとか変わっていってほしいと思っている)そして、自分へのぞんざいさによって、一番被害を被っているのは、Nさんではないのか。丁寧に尽くせているわけがないだろう。事実ゆえにショック。いつもあせっていた。時間に追われていた。追いかけられていた。とても表面を滑るように流されてきた日々。時間を管理するものになるんだ。ものごとを管理するものになるんだ。あわてて話すことはない。ゆっくり、おちついて。天使の粒をくっつけてキラキラの粒を言葉にまぶして、ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って。字もあわてないで、ゆっくりキレイに書くんだ。昨日の午後の新月の始まりから、最低48時間内にこうなりたい自分を書くとよいらしいから、こうして書くことは、きっとよいことですよ。二十数年前、一年通ったヨガ教室、日々あくせくしていた私は、やはり全く身につかなかった。今からでも遅くないですよね。滝に打たれるも呼吸法のため。水行するも呼吸法のため。私ならきっと改善できる。もっとも心地よい呼吸法を身につけるんだ。・・なに?「呼吸法を身につける」だと?「人は一番近くのものに影響をうける」・・衣服だけではなかったか。丁寧で、気配りできる呼吸法を身につけたい。そのためには、自分に向けて、まずは練習しなくちゃ。自分を丁寧に扱ってあげて。気配りして、楽しくさせてあげて。神様の一部分の私に優しくしてあげて。そしてNさんに対しても・・。そしたら、きっと神様が、Nさんに顕れるから。
2006年05月28日
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夕べ、寝る前に書いたこと。頭痛がしたり、だるかったり、疲れたときには、そのまま寝てしまわない。ちょっと億劫でも、薬草風呂と温熱冷水療法をしてから、気分をすっきりさせてから寝るようにする。体調不良でなくとも、ストレスを感じたり、怒りや、面白くないなど、気分がもし鬱積してしまったら、やはり同じことを試みてみようと教訓を得た。頂きものの市販の入浴剤って、ほとんど使うことがなかったけど。生の薬草がなかったら、それを使ってもいいなと思えた。体を柔らかくする。頭を柔らかくする。首筋を柔らかくする。心を柔らかくするために。負に傾いた心は、早く修正することだ。そうしないと、たくさん睡眠時間が奪われる。損失を最小限にとどめるために。もしくは損失を一つもすることがないように。数日前、仕事をしながら、いろいろ言葉が閃くと日記に書いた。それは思いの他楽しく、豊かな自分を創造することになると。それを書いた翌日、言葉が想念にどんどんと浮かんできて、午前中は付箋紙に細かい字で、何枚もメモ書きするのに忙しかった。その間、仕事には差し障りはなく、むしろ、仕事をこうしたら・・と、アイディアが沸いたり、アドバイスを想念の閃きから受けたり。メモ書き再生・・「人は一人では気づけない。成長できない」・・とは江原さんの言葉。お客さんからの注意、お叱りの言葉。しゃべりが早いねと。むだなしゃべりをしていたな、と気づく。・・そういうお客さまは、私をサポートする、喩えていうと、天使かも?・・日記をたまたま見に来てくれた人、というのも、喩えていうと、天使かも?・・身近に接する人は、自分の欠点を気づかせてくれる。中学一年の時、担任の数学の先生がホームルームで話している時、注意された。人の話を聞いてるか?今、別なこと考えてただろ。ギクッ。はい、そのとおりです。今、同じことをお客さんから言われた自分。いや、もっと、身近な人からも。実はしょっちゅう注意を受けていた。そういえば、少し前、上司からも言われたのだった。これ一つ直せば、どんなに自分は発展することだろう。今だ!今からでも、修正するのに遅くない。変わろう。変えよう。積極的に自分のNG部分を、逆にすこぶる素敵な部分に逆転させていこう。人に関心をもつ。人の話に関心を持って、耳を傾ける。相手の話をサポートするリアクション、うなずき、反応。それを目で、姿勢で、体中で聞くパフォーマンスを、その人に向けて、全開しよう。まずは、”振り”からでも意識して行え。振り?・・そもそも、演劇がしたかった。芝居。発声練習、また、やってみよう。表現力を訓練する。相手に気持ちが伝わりますように。美しい言葉使いの本、また読んでみよう。霊界が高い人は、言葉使いが美しいではないか。言葉使いとは、ヨガの呼吸法にも通じるだろう。トイレ掃除の功徳というRちゃんのその言葉使いの丁寧さ。頭が低くて、押しつけがなく、ひたすら謙虚。5月21日(日)に、ばったり人に声をかけられた。名前は家に帰ってから思い出した。たしか、「富貴子」さんっていう字だったか。20年前の今頃の季節、苦楽を共にした仲間だった。やはり、謙虚。頭が低い。へりくだった姿勢が、身についているという感じだ。「Hさん(私)にお会いして、初心に帰れということなんですね」などと言う。ぐさっ。それを言うなら、私の方こそ・・。「全く、変わってませんね。あの時のまんまですよ」とも言われ。(ある意味、「成長してないね」という意味でもあると自覚する)「私は太ったって、皆に言われるんですよ。誰だかわかります?」うん。苗字だけは。下の名前は別な人と勘違いして、わかりますと答えていた。家に帰ってから、彼女の名前をちゃんと思い出した。彼女のもともとのおきゃんな性格、原型は残されているものの・・。自ら苦労を買って出ました。人間を訓練してきました。でも、全く足りません。もっと鍛えられないと。そういうメッセージを彼女全体の雰囲気は私に伝えていた。素晴らしいな、彼女。とても私を見て、情的に物足りなかったのではないかな。五分ほどの会話だったけど。彼女は瞬時に私の問題点を突いて来た。久々だったので、目をみつめあいながら話したかったのだけど・・。彼女は、視線を私の目から少しはずしていた。ちょっと寂しかったんだけど、もしや、彼女はスピリチュアルな体質の人だったのかも。とにかく、印象に残ったのは、謙虚。言葉使いが美しい。頭が低い。わざとらしくではなく。その人が、もう身についている、生きる姿勢なのだ。・・何か、お会いして、こちらの平凡な雰囲気が恥かしくなった。魂の年のとりかたにおいて・・。再度登場、トイレ掃除は功徳のRちゃん。霊媒体質で、くぐもった雰囲気の人だったのに、ここのところ、メキメキ、霊界がハッキリ・クッキリ・鮮やかなくらいだ。美しい心の持ち主なんだなあと。私は何か追い越されたような、取り残されたような。彼女の言葉から助けられたり、勇気をもらったり、反省したりということが多くなったと思う。以前は私が彼女の姉役だったんだけど・・。彼女、いつも悩んでいた。電話でぐじぐじしてた彼女に、私はべらんめい口調で話してみたり。時に極道言葉をつかってみたり。大声で怒鳴ったり。そう、彼女の後ろにいる、よからぬ輩たちを吹き飛ばしたかったのだけど。そうすると、彼女、ふふ、面白い、Hさん(私)。笑いの渦で、よからぬ輩たちを粉砕して、お開きとなった。・・けれど、今、反省する。無作法な私を、一つも悪く受け取らない。そんな時の、私のしゃべりはぞんざいで、早口だった。早く彼女の悩み事相談の電話を終わらせたかった。私からみたら、とても些細なことにぐじぐじ悩んでいると思えて。人の話をさえぎって、自分の言葉をかぶせるは、言葉が横暴にすぎたと思う。でも、彼女は私を決して悪くは思わない。友達だから。・・けれど、そういう癖は、私は身近なところでも、恥かしげもなく披露していたのだ。人と話すときはゆっくり。人の話をさえぎらない。ことばをかぶせない。あわてない。おちついて。これらは、これまで出会った人からも、忠告を受けてきたことばだった。なのに、真剣に、深く考え、心に留めて、改善しようとする真摯な姿勢がなかった自分。今、変われる時だ。私の目の前に現れる人は、全て、神様のお使いの人のようだ。いつも、おまえにヒントを与えてきたのだよと。
2006年05月28日
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「チャングムの誓い」怒りを持ったものが医女になってはいけない。ウンベク先生がチャングムに訴える。「どうしていけないの。私が医女を志したのは憤りからよ。仇(かたき)を懲らしめるため。復讐のためよ」と言ったのは、チャングムの師匠の医女。今、その仇なる相手を目の前にして、その医女が施した医療は仇を助ける行為だった。自分を害した仇なら、医学を志すという、そこまでのパワーは生まれなかったかもしれない。自分というのでなく、自分が最も愛する人、親、師匠を害した相手だったからこそ。その人のおもいをはらすため、その人のためにというところから発したパワーだったのだろうな。食事も医療も、どちらも人を生かしもし、命を奪う方法ともなる。愛するも憎むも、生かすも殺すも、紙一重ですね。それが、愛か、怒りか・・心一つですね。チャングムも、いつか愛する人を害した人を目の前にする時がくる。助けるのでしょう。何も復讐を試みなくても、天の神様が、その宇宙の法則にて、因果を刈り取らねばならないようになっているから。けれど、そう決断するには、今回の医女のように、眠れぬ夜を過ごすのでしょう。チャングムを見終えてお風呂に入り垢すりをして水をかぶった。それで、気づいたことが。きのう仕事で夕方近くになって頭痛がしだした。頭が痛くなるということは、普段はほとんどないのだけど、最近、あるパターンの仕事の仕方をすると、そうなる。きのうは、気持ちがハイだったので、ちょっと無理して頑張ってみたのだけど。疲れをとらないまま寝たら恐い夢をみた。「オーラの泉」で研ナオコさんが頭痛持ちという話を聞いてもピンとこなかったけど、今、わかった気がした。頭痛がするとは、よからぬものを引き寄せてしまう環境をつくってしまうのだ、きっと。・・そうなる前兆でもあるかもしれない。昨日の夜は疲れてお風呂に入る気力がなかった。そのため、体をもとに戻すため、結果、長い睡眠をとることになってしまった。・・教訓だった。これからは、決して頭痛となる仕事の仕方はしない。そうならない工夫、対策は心得ている。それでも、次に頭痛がしたり、体の疲れが酷いと感じた時は、やはりお風呂だ。道端からヨモギを摘んで、袋に入れて、お風呂にいれよう。頭と首筋を浸して、体を温め、水をかぶって、また温まる。また、水をかぶる。この温熱冷水療法で、邪気は吹っ飛ぶだろう。食事と医療の達人となるチャングム。だんだん知的できれいな人に見えてきた。人の情にも厚くて、人の心を捉える人だ。人が持つ喜怒哀楽、怒りが悪いわけではないのだ。正しい怒り、憤りは、愛が根底なのだろうから。私の恐い夢にあらわれた登場人物の方。その方も怒りや悲しみがあったようだ。けど、その顔は私には見せなかった。おもいを沈めて、解き放たれ、上へあがっていって下さいますように。
2006年05月27日
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