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とりあえず、いつものあれですwとまぁ、最近は、GIFの報告ばっかりだったので、たまには社会派なことでも書いてみようかと思いつつ。第2次世界大戦の最後と言うと、日本に落とされた2発の原爆。それをめぐって、週末は色々とお騒がせと言うかな話があったみたいですね。原爆の使用を、肯定するような発言をしたと言う事で、問題視されている…というか、それを槍玉に挙げて、どうにかたたいてやろうと言う風味がちらほらと。原爆投下と言う事実については、自分としては、肯定も否定も出来ません。一言で言うと、それが戦争である…としか言えなくも無いですし、何よりも、「戦争を知らない世代」である為、そういう話は追求しないとして…。中学生くらいの当時に、日本史だったか、世界史だったかの勉強中に、原爆投下についての話を教師がしていたなぁ…と。戦争の終結が、目的の一つであった原爆投下だったわけですが、それが目的ならば、日本の中枢や、当時の天皇制を考えるならば、原爆の投下先は、長崎や広島ではなく、東京に落とすべきだったのでは?と言う話の後、それをしたら、戦争は終結せず、日本と言う国がなくなっていたかも?とまぁ、そういう話の流れになったわけです。戦争時の日本の特攻隊みたいなのを考えると…っていう話ですが…。広島・長崎を狙ったのは、戦意をそぐという事が目的とか何とかと…。まぁ、そういうことを授業でやったわけです。で、本題。今回の問題とされている発言ですが、個人的には、「原爆によって、戦争が終結した…それによって、日本が救われている部分もある」って言う意味合いで、受け止めたのですが…。今回の発言の中には、ソ連からの日本への侵攻も密かに事なども言っていますし。まぁ、毎度の事ですが、各々の発言の表の部分だけがっつり取り上げて、政治家叩きをしている理由って何処にあるんでしょうかね~…。政治家叩きは、正直くだらないことばっかりやっているので、いい加減まともに仕事を(ry
2007.07.02
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昨日の、リングの件については、はっきりとした結論がなかった気がしたので、とりあえず、その結論をまとめてから、本題に移ろうかと思います。リングという作品の何が怖かったのか?この部分に焦点を当ててみると、いつ、どうなるのか?単純明快に、この結果が示されている部分が、最も怖い部分なのではないでしょうか?人の恐怖を煽るには、十分過ぎるくらいの期間が用意されているわけですから…。最初は、もちろん、そんなはずは無いと、信じるわけも無く、数日が過ぎるわけです。で、いざ、日にちが近づいてくると、言いようの無い不安感が募り、とにかく、その事実を誰かに伝えたくなり、その話をする…。もちろん、話を聞いた相手は、不気味に思いはするものの、そんなはずは無いと否定する。自身でいくら否定をしても、得られなかった安心感に似たものが、他の人からの否定によって、得られて、その瞬間に一挙に緊張がなくなるものの、その、予告された時間の、まさにその瞬間に、予想だにしない出来事が発生し…。作品としての、恐怖を映画で感じ取るのは非常に難しいと思います。というのも、役者が演技して、動いている為に、見ている本人は、何もしないで言い訳ですから。よく、私も、小説の方が怖かった…という表現をしますが、小説は、読んでいる過程で、文字のみから、登場人物の動きを想像し、恐怖を感じ取ることをするからだと思います。ホラーは、文章で読むより、映像で見たほうが、あまり怖く感じられない…ということなのでしょうかね~。さて、本題の方にいこうかと思います。着信アリという作品は、リングシリーズに限りなく近い要素持っていると思います。まずは、呪いの絶対性というものが在り、その呪い自体の感染性というものがあるからです。呪いの絶対性の部分については、リング以上に、はっきりとしていて、時間軸における統一性というものはありません。呪いのビデオを見た人間全てに、平等に、1週間後に死ぬというのがリングであったわけですが、着信アリでは、○○日の○時に…というように、時間指定であり、更にいえば、個々で、その殺害方法がばらばらであるということ。ある人は、首吊り状になり、またある人は、電車にはねられ…。また、その、伝達方法も様々で、死の瞬間の音声が流れてくる人もいれば、その瞬間の映像が送られてくる人もいるわけです。この、個々に送られてくる、絶対的情報が、その人の恐怖をより強くさせるわけです。感染性という部分を考えてみると、携帯電話という媒体を使った呪いの為、感染経路は、(初期の)リングの感染方法より、自由度が高く、感染リスクも非常に高いです。携帯電話内のメモリーを経由するという点から、呪いを受けた人間の電話から、自身のデータを削除するように行動するあたりも、非常に人間的なのかもしれません…。1作目→2作目→3作目(ドラマ版は、1作目と2作目の合作+αのオリジナル作品の為割愛)と、経由するに当たり、死の着信に、特別ルールが設け始められたわけですが、この部分は、都市伝説に非常に酷似します。以前取り上げた話の中で、口裂け女の話がありましたが、これなんかは、特別ルールが追加されていった、有名な話です。着信アリシリーズを追って追加されたルールというのは、自分以外の人が着信に出れば、その着信に出た人に呪いがかかり、助かる。これが、2作目になって追加されたルールです。それまでは、絶対性のあった呪いの力に、ちょっとした緩みが出てきたわけですね。とはいえ、無差別殺人であることには変わりないわけですが…。そして、3作目は、転送すれば死なないというルールが新設されました。今作は、無差別殺人が目的ではなかった為、このルールの新設には、呪いの緩みの為ではなかったのかもしれませんね~。ちなみに…着信アリの、着信の定義は、電話着信だけでなく、メール着信も含まれているようです。というのも、着信アリ最初(正確には2人目…1人目は話の途中で出ます…)の犠牲者などは、自身からの着信→留守番サービスへの連絡→断末魔…だったわけです。つまり、自分から自分への発信をして、律儀にも留守番サービスへの伝言を残しているわけです。…この設定を解除している人はどうすればいいんでしょうかね?wその後は、画像、動画添付の物が受信されている描写もあったので、この辺はメールだったと考えられそうです。かかってきた番号にかけなおしているイメージが強いようですが、もう一度言います…。死ぬ瞬間の声は、留守番サービスに残されているのです!w最近の電話は、優秀な機種が多々あるので、メールで、動画はもちろんのこと、うまく調整すれば、音声の添付もできるようになっているものもあるので、時代の進歩…って感じですね。一昔前は、他社携帯間の互換性の低さに泣かされたこともありましたが…。さて、着信アリが、着信アリとして、怖い理由をまとめて、今日の記事を終わりにしたいと思います。主な、怖い理由は、呪いの絶対性と感染性の高さにあると思います。更に、漠然と死ぬことを告げられるのではなく、死の直前、自分がどんな言葉を発し、場合によっては、どのように死ぬのか?この部分が、非常に明確に現されるわけです。これは、実際にやられたら、本当に、恐怖の度合いが高いと思いますね…。例えば、言葉の部分では、不意にはなった言葉が、変な電話で自分らしき声が言い、その直後に断末魔…それを、思い出しはっとなった瞬間に!この演出は、非常に完成度の高い、評価すべき演出ではないかと思います。ただ、それがしつこくなりすぎると、作品後半に差し掛かり、どうしても冷めてしまいます…。また、感染性の部分は、これによって、人間性が露見されるわけです。…自分も、友人の下にかかってきたら、メモリーを消すように頼むかもしれませんね…。自分のところにかかってきたら、とりあえず、全メモリーを消すと思いますが…。まぁ、今回の記事を書くにあたって、映画版を見る時間を取るより、概要を把握する為に、コンビニ等で、販売中の、3作セットになっているコミックスを購入したわけですが、1作目は良くできていて、3作目には、感動すら覚えたわけですが、2作目って…微妙ですねw映像的な部分で、全く見ていないというのが問題なのかもしれませんが…。
2006.06.29
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