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ロンドン ナショナル ギャラリー 設立は・・・人々に高尚な楽しみを提供する目的なのですね♪設立の初期のお話・・・・・・・ 1824年5月10日に、アンガースタインが以前所有していたロンドンのペルメル街 (en:Pall Mall, London) 100番のタウンハウスにナショナル・ギャラリーが開館した。 1826年にボーモントがナショナル・ギャラリーに寄贈を申し出ていた絵画コレクションが、続いて1831年には著名な画商で美術品収集家でもあったウィリアム・ホルウェル・カー (en:William Holwell Carr) が遺贈した35点の絵画が収蔵された。 開館当初の絵画管理は画商で画家でもあったウィリアム・セギエ (en:William Seguier) 一人が担い、同時にギャラリー全体にも責任を負わされていたが、1824年7月に新しく評議員会が結成され、役割と責任が分担されることとなった。 ペルメル街のナショナル・ギャラリーは常に入場客であふれており、人いきれで蒸し暑く、パリのルーブル美術館などに比べて建物の規模が小さかったこともあって、国を代表する美術館としては相応しくないのではないかという世論が高まった。 しかしナショナル・ギャラリーの評議員に就任していたエイガー=エリスは、ロンドン中心部のペルメル街という場所が美術館の存在意義に正しく合致していると評価していた。 後にペルメル街100番が地盤沈下を起こし、ギャラリーは一時的に105番に移設されたが、作家アンソニー・トロロープ (en:Anthony Trollope) は105番の建物を「薄汚く重苦しいちっぽけな建物で、素晴らしい絵画を展示する場所としてはまったく不適格だ」と酷評している。 その後、100番、105番ともに、カールトン・ハウス・テラス (en:Carlton House Terrace) へと続く道路を敷設するために取り壊されることが決定した。 1832年にウィリアム・ウィルキンスの設計による新しい美術館の建築が始まった。 チャリング・クロスの以前王室厩舎があったところで、 1820年代にトラファルガー広場として改装された場所である。 この場所は、富裕層が住むウェスト・エンドと、 貧困層が住む東地域との中間に位置するという点に意味があった。 その一方で1850年代には、 階級階層とは関係なく優れた芸術には誰もが接することができるべきであり、 薄汚れたロンドン中心部や欠点だらけのアンガースタイン邸などではなく、 サウス・ケンジントン (en:South Kensington) に移転すべきではないかという現実的ではない議論もあった。 1857年の議会で 「絵画のコレクションそれ自体が目的ではなく、人々に高尚な楽しみを提供する目的にのみ絵画を収集する」 という声明が出された。 15世紀から16世紀にかけては、イタリア絵画がコレクションの中心だった。 開設以来最初の30年間にわたり、絵画収集の権限を持っていた評議委員会が購入したのは盛期ルネサンスの画家たちの作品がほとんどだったためである。 この評議員会の保守的な嗜好が貴重な絵画の購入機会を逃すことにもつながり、後にナショナル・ギャラリーが1847年から1850年は1点の絵画も購入できなくなるという混乱の原因にもなっている。 これらの事態を憂慮した1851年の庶民院のレポートでは、評議員会を上回る権能を持った館長職の設置が求められた。 識者の多くは、以前ナショナル・ギャラリーの照明やコレクションの展示方法について顧問の役割を果たした、ドイツ人美術史家のグスタフ・フリードリヒ・ワーゲン (en:Gustav Friedrich Waagen) が館長として着任するのではないかと考えていた。 しかしながらヴィクトリア女王、その王配アルバート、首相ジョン・ラッセルらに、ギャラリーでの絵画管理の仕事ぶりを認められていた画家チャールズ・ロック・イーストレイク (en:Charles Lock Eastlake) が館長に任命された。 イーストレイクはヨーロッパ絵画の研究会アランデル・ソサエティ (EN:Arundel Society) 創設に大きな役割を果たした人物で、当時のロンドンでも一流の美術専門家として知られていた。 新館長イーストレイクが好んでいたのは初期ルネサンス絵画と初期フランドル絵画だった。 どちらもそれまでのギャラリーの評議員会から無視され続けていた作品群だが、美術研究者からは徐々に注目されつつあった分野だった。 イーストレイクは毎年1回ヨーロッパ大陸に渡り、特にイタリアを訪れてナショナル・ギャラリーに相応しい絵画を捜し求めた。 そしてイーストレイクはパオロ・ウッチェロの『サン・ロマーノの戦い』のような重要な148点の絵画を諸外国で、46点の絵画をイギリスで購入した。 イーストレイクは、評議員会からは興味をもたれなかった類の絵画を集めた自身のプライベート・コレクションも持っていた。 ただし、このプライベートコレクションの最終的な目的はナショナル・ギャラリーの所蔵に加えることであり、イーストレイクの死後に、友人で後任の館長となったウィリアム・ボクサル (en:William Boxall) とイーストレイクの未亡人エリザベス・イーストレイク (en:Elizabeth Eastlake) によって正式にナショナル・ギャラリーのコレクションとなっている。 ギャラリーが狭く、収蔵、展示スペースが少ないことは依然として深刻な問題だった。 1845年にロバート・バーノンから大量のイギリス絵画の遺贈があったが、ウィルキンスが設計した建物には収容しきれず、当初はペルメル街50番のバーノン邸に展示され、後にマールバラ・ハウス (en:Marlborough House) に移動された。 1851年に国民的イギリス人画家J. M. W. ターナーが死去し、1000点以上の絵画を残したときにも十分な対応が出来ず。 ナショナル・ギャラリー本体ではなく、バーノンの遺贈絵画とともに離れたサウス・ケンジントンで展示される始末だった。 このことはイギリス絵画をナショナル・ギャラリーではなく別の場所で展示するという先例となり、 1897年の分館ナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート(現在のテート・ブリテン)開設につながった。 1790年以降に誕生した画家たちの作品をミルバンク (en:Millbank) に建設されたナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アートへと移されることになったため、 ホガース(1697年 - 1764年)、J. M. W. ターナー(1775年 - 1851年)、コンスタブル(1776年 - 1837年)らの作品はイギリス絵画ではあるが、 現在でもトラファルガー広場のナショナル・ギャラリーに展示されている。 ターナーの遺言には、フランス人画家クロード・ロランの作品に自身の絵画を2点並べて展示することとした条項があるが、 現在これらの絵画はナショナル・ギャラリーと、 1985年にテート・ブリテンに増設されたクロア・ギャラリーに分散して収蔵されている。 第3代館長フレデリック・ウィリアム・バートン (en:Frederick William Burton) は18世紀絵画コレクションの基礎を作り、 イギリスのプライベートコレクションから傑出した絵画の購入に成功した。 1885年にブレナム宮殿のコレクションから、 ルネサンス盛期イタリア人画家ラファエロの『玉座の聖母子と洗礼者聖ヨハネ、バーリの聖ニコラウス(アンシデイの祭壇画)』と バロック期フランドル人画家ヴァン・ダイクの『チャールズ1世騎馬像』の2作品を過去最高額の87,500ポンドで購入している。 この高額な買い物はナショナル・ギャラリーの「絵画収集黄金時代」に終止符を打つことになり、 これ以降数年間ナショナル・ギャラリーは絵画を購入することができなくなった。 1890年にランドール伯ウィリアム・ プレイデル=ブーヴェリエ (en:William Pleydell-Bouverie, 5th Earl of Radnor) から、 ルネサンス期ドイツ人画家ハンス・ホルバインの『大使たち』を入手しているが、 これは私人からの寄付によって購入された最初の絵画だった。 高尚な楽しみに・・・・・・・・・・・・・・・・ポチ押し
2013.02.03
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ロンドン・ナショナル・ギャラリーの【歴史】 設立までの経緯 18世紀後半のヨーロッパでは美術品の王室、貴族コレクションの国有化が進んでいた。 現在のアルテ・ピナコテークの基礎となったバイエルン王室コレクションは1779年に、ウフィツィ美術館の基礎となったフィレンツェのメディチ家の歴代コレクションは1789年ごろに一般公開されている。フランス王室コレクションも1793年に一般公開されルーブル美術館として現在に至っている。 しかしながら当時のグレートブリテン王国では ヨーロッパ大陸におけるこのような潮流とは無関係であり、 現在でもイギリスの王室コレクションは王室の私的所有物となっている。 1777年にイギリス政府は、世界的な評価が高かったコレクションを購入する機会を得た。 イギリス初代首相を務めたロバート・ウォルポールの子孫が ウォルポールの美術コレクションを売りに出したのである。 当時のイギリス市長で庶民院議員ジョン・ウィルクスはイギリス政府に、 この「貴重な宝物」を購入するよう強く求め 「大英博物館の広大な庭園に気品あふれるギャラリーを建てて」収蔵することを提案した。 しかしウィルクスの主張は通ることなく、 ウォルポールのコレクションは20年後にロシア女帝エカチェリーナ2世が全て購入し、現在はエルミタージュ美術館に収蔵されている。 オルレアン・コレクション由来の絵画 1798年に、オルレアン公フィリップ2世の美術コレクションだったオルレアン・コレクションがロンドンに持ち込まれ、 国王ジョージ3世も首相小ピットも購入に興味を示したが、 結局このときも美術品の購入は実現しなかった。 ただし、現在のナショナル・ギャラリーには所蔵品番号「NG1」の『ラザロの蘇生』など、様々な方法で集められたオルレアン・コレクション由来の作品が25点収蔵されている。 1799年には画商のノエル・デザンファンからイギリス政府に既存の絵画コレクション売却の打診があった。 もともとはデザンファンと共同経営者だったスイス系イギリス人画家フランシス・ブルジョワ (en:Francis Bourgeois) が ポーランド国王スタニスワフ2世アウグストのためにそろえたものだったが、 1795年に第3次ポーランド分割が行われ、国家自体が消滅してしまったために引き取り手がいなかったコレクションである。 しかしながらこの打診は拒否され、結局このコレクションはブルジョワが死去する際に自身の母校ダリッジ・カレッジに遺贈した。 このコレクションはイギリスで最初の公立美術館として1814年に開設されたダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの前身となっている。 1803年にスコットランド人画商ウィリアム・ブキャナンと美術収集家ヨーゼフ・カウント・トゥルホゼスが、 それぞれ美術コレクションの購入を打診し、どちらも拒否されているが、 後にこれらのコレクションはナショナル・ギャラリーの主要なコレクションとして所蔵されている。 ウォルポールの美術コレクション売却話の後、 ジェームズ・バリー (en:James Barry (painter))や ジョン・フラクスマン (en:John Flaxman) など多くの芸術家たちが、 イギリス絵画が発展するためには他のヨーロッパ諸国の優れた絵画と接する機会が不可欠であるとして、 イギリスでの国立美術館の創設を求めた。 1805年に貴族階級の美術愛好家たちによって英国美術振興協会 (British Institution for Promoting the Fine Arts in the United Kingdom) が設立されている。 この協会のメンバーは所持していた絵画を、美術学校の夏季休暇時に展示会を開催するために年一回貸与し、芸術家たちが絵画に接する場を提供した。 しかしながら貸与された絵画には二流以下の作品も多く、英国美術振興協会を不快に感じ、協会のメンバーたちが所有するオールド・マスターの絵画の売却価格を吊り上げる、詐欺まがいの展示会ではないかと考える芸術家もいた。 しかし、英国美術振興協会の創設メンバーの一人準男爵ジョージ・ボーモント (en:Sir George Beaumont, 7th Baronet) のように、自身が所有する16点の絵画の寄贈を申し出て、ナショナル・ギャラリーの創設に大きな役割を果たした人物もいる。 1823年には死去したばかりのロシアからロンドンに亡命してきた銀行家ジョン・ジュリアス・アンガースタインが生前収集していた著名なコレクションが市場に出た。 このコレクションは38点の絵画で、ラファエロの作品やホガースの『当世風の結婚』シリーズなどが含まれていた。 1823年7月1日にホイッグ党の政治家で後に初代ドーヴァー男爵を受爵するジョージ・エイガー=エリス (en:George Agar-Ellis, 1st Baron Dover) が庶民院でこのコレクションを購入する提案を出した。 この提案はボーモントの絵画寄贈の申し出によって弾みがつき、政府によるアンガースタインのコレクション購入と、このコレクションを収蔵するのに相応しい建物の建設が議論された。 最終的にはオーストリアからの予期せぬ戦時公債の返済があったことによって、イギリス政府はアンガースタインのコレクションを57,000ポンドで購入することを決定した。 こんな「美術館」には・・・・・・・・・・・・・・・・ポチ押し
2013.02.02
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『ロンドン ナショナル ギャヤラリー』・・・・とは?ナショナル・ギャラリー(英: National Gallery) イギリスのロンドン、トラファルガー広場に位置する美術館。 1824年に設立され、 13世紀半ばから1900年までの作品2,300点以上を所蔵している。 登録適用除外チャリティ (en:exempt charity) の一つで、文化・メディア・スポーツ省 (en:Department for Culture, Media and Sport) の非省公共団体 (en:non-departmental public body) である。 そのコレクションは大衆に広く公開されており、特別な企画展示をのぞいて入館は無料となっている。 ナショナル・ギャラリーは、 コレクションの基礎が王室や貴族のコレクションの由来ではないという点で、 ヨーロッパでもあまり例のない美術館となっている。 コレクションの基礎となったのは、保険ブローカーで美術後援家だったジョン・ジュリアス・アンガースタイン (en:John Julius Angerstein) が収集していた38点の絵画である。 初期のコレクションは個人からの寄付によって、チャールズ・ロック・イーストレイク (en:Charles Lock Eastlake) をはじめ、その当時の館長たちが購入したものが3分の2を占めている。 その結果、他のヨーロッパ諸国の国立美術館と比べてコレクション数は多くはないが、 西洋絵画が大きな革新を見せた「ジョットからセザンヌまで」美術史上重要な絵画が収蔵されている。 常設展示されているコレクションが少ないとされたときもあったが、現在ではそのようなことはなくなっている。 現在の建物は3代目のもので、1832年から1838年にかけて建築家ウィリアム・ウィルキンス (en:William Wilkins (architect)) がデザインした。 その後ナショナル・ギャラリーは少しずつ拡張されていったため、 現在ではトラファルガー広場に面するファサードだけが唯一当時の面影を残している。 ウィルキンスのデザインにしたがって建設された当時の建物は、美的センスに欠けている、手狭であると酷評されたこともあった。 事実建物が手狭で収蔵に限界があったため、 1897年にイギリス美術専用の分館ナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート(現在のテート・ブリテン)が開設されている。 1991年に西側に増築されたロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウン (en:Denise Scott Brown) の設計によるセインズベリー棟はイギリスを代表するポストモダン建築となっている。 こんな「美術館」にも・・・・・・・・・・・・・・・・ポチ押し
2013.02.01
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ロンドンへ初めて行ったのは・・・13年前です! もう~どうやって・・・ どこを、どう~歩いたのか? 記憶に無い・・・ホテルの名前も 小さな味のあるホテルだったなぁ~ 蛇口が、アンティークで・・・そんな記憶 ノッティングヒルに・・・行ったっけ ロンドンの街で・・・ローストビーフのサンドイッチ食べたな! カウンターの椅子が高くて・・・ビックリだった コンランショップを探すのに・・・・何人の英国人に聞いただろうか? 大英博物館は、充分に見たから・・・ 今回は、もう~いいかな・・・ だけどホテルは、大英博物館に近いから・・・行っちゃうかもね? ハンムラビ法典でもみるか? ◎今度こそ・・・赤い2階建て「ロンドン・バス」と ◎黒い「ロンドン・タクシー」に乗りたい! 夢が叶いますように(^0^)Vウキウキ 目的は、ロンドンアートに・・・・・・・・・・・・・ぽちっとな
2013.01.09
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いま・・・読んでみたい本は『楽園のカンヴァス』原田マハさん 画家アンリ・ルソーの表紙が・・・・エキゾチックなイメージですよね♪アンリ・ルソーは、アマチュアの日曜画家でちょっと笑える世界観を持った画家です! 美術館では、何度もお会いできた絵画なので・・・ぜひ読んでみたい本です。 3連休は読書・・・・・・・・久々の3位に、ぽちっとな
2012.12.22
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毎週・水曜日には、美術館に行っていますが・・・今週は「無料」の場所へ♪ 有楽町から・・・ クリスマスの風を感じながら・・・ウキウキ ギャルリー『ためなが』へ 「ユトリロ展」です(^0^)V 1月にパリのオランジェリー美術館のギョームさんのコレクションを見てから ユトリロさんも・・・・好きになったきらり。そのユトリロの油彩画が・・・・40点も「無料」で観れるなんて なんと幸せなのでしょうか? ためながの「ユトリロ展」は、12月15日(土)までです。 (注意)日曜・祭日は・・・お休みです。 銀座へお出かけのついでに・・・いかがでしょうか? Galerie taménaga Tokyo 東京都中央区銀座7-5-4 TEL03-3573-5368 10:00~19:00 ヴィトンの近くなので・・・ブラブラとぽち。よろしくね
2012.11.21
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六本木「新美術館」へ行った帰り・・・いつものようにミッドタウンをブラブラ♪ミッドタウンのツリーは、まだ無い太鼓橋・・・こんな所にあるんだ!クリスマス・イルミネーションは、今夜からかぁボチボチ紅葉ミッドタウンの中にあるパン屋さんMAISON KAYSER - PARIS PARIS・・・と書いてい有る文字に誘われて買いました。パン屋さんの写真→ぽち。ゴルゴンゾーラのクルミパンそして・・・食パン都内に行ったらパンを買うきらり。に・・・・・ぽち
2012.11.13
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メガネ出来上がりました・・・遠視なの(@0@;)むっちゃぁ~見えます!見えていない自覚が無かったけど・・・あららっ必要の無い事まで・・・見えちゃいます!どんな遠くの文字も見えてしまって・・・疲れるかも?美術館へ行く為のメガネに・・・・・・・・・・ぽちっとな
2012.11.04
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『セザンヌ』らしい色彩・・・満載です(^-^)♪りんごやオレンジ・・・・壺ビクトール山も無いけど・・・・シーサイドもなかなかですね(^-^)Vポール・セザンヌ「エスタックから見たマルセイユ湾」に・・・・・ポチ
2012.10.25
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『東京都美術館』・・・上野もきれいになりましたね(^-^)Vスタバでお茶してから・・・行きました来年の1月までNY『メトロポリタン美術館展』やってます・・・HPにぽち。レンブラントさまに・ゴッホ・セザンヌ・モネさんも・・・ルドンちゃまも・・・ターナー君もありましたね!今回、来日のモネさんは・・・円熟して勢いのある時代に描かれた作品マヌポルト(エトルタ)「ラ・マンヌポルト」荒波存在感満天の岩モネの荒波・・・秀作にポチっと
2012.10.25
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うぅ・・・ん!ミレーの作品に足が止まりました(^0^)ジャン・フランソワーズ・ミレ・・・・中央に刈り取った麦穂の山『麦穂の山』と羊の群れに・・・ヨーロッパ秋の空ミレー「秋・つみわら」やっぱ良いですね~ミレー晩鐘や落穂ひろいだけじゃなくて・・・モネのつみわらも良いけど・・・ミレーは、ワンランク上かな!?上野・東京都美術館『メトロポリタン美術館展』1月までやってます・・・・ぽちメットがくれた幸せ気分に・・・・ポチ
2012.10.25
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上野のパンダさんのお隣にある・・・「東京都美術館」行って来ました(^0^)♪綺麗になってて・・・・『メトロポリタン美術館展』HP・・・・ぽち右上の三日月・・・・可愛かった!ゴッホの「糸杉」力いっぱいです・・・・素晴らしい「糸杉」でした何十年ぶりに「西郷」どんにお会いして・・・・ポチ
2012.10.24
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今年は・・・・パリの美術館へ行って来ました♪来年1月は・・・・ロンドンの美術館へ行く手配完了♪再来年は・・・・いよいよ憧れのNYの美術館へ♪きらりの欲望は・・・果てる事がありません!上野で・・・・やってます再来年の下見です・・・・『メトロポリタン美術館展』 愛称『Met』・・・・メットちゃん!行って来なくては ニューヨークのセントラルパークをお散歩する気分で上野は・・・・日本のセントラルパーク???ストレス解消に絵画は、私の泉オアシス・・・ぽち
2012.10.23
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エリック・クラプトン出品の絵画が・・・・購入価格10倍の約27億円で落札されたと言う絵画マニアには、見逃せないニュース(^0^)エリック・クラプトン出品の絵画に約27億円で落札(^0^)!! 英ギタリスト「エリック・クラプトン」67歳が出品した・・・ ドイツ人画家の抽象画が14日までに 競売大手サザビーズで競売にかけられ 約2132万ポンド(約26億9000万円)で落札された。 現代ドイツを代表する画家ゲルハルト・リヒター氏(80)の作品で、 生存する画家の作品としては史上最高額となった。 この絵は 「アプストラクテス・ビルト(809―4)」というタイトルで 赤、黒、黄色などで描かれた油絵。 1994年に制作された作品で 90年代半ばにリヒター氏が描いたシリーズ4作品のうちのひとつ。 美術収集家でもあるクラプトンが2001年に購入した。 地元報道によると 当時の購入額は340万ドル(約2億7000万円)で 競売の結果、実に10倍もの値段がついたことになる。 競売は12日に行われた。 落札額は予想の約2倍。 落札者は明らかにされていないが 電話による入札で 最後は2人による激しい値上げ合戦になったという。 これまでの生存画家作品の高値記録は リヒター氏自身の作品で 2190万ドル(約17億2000万円)だった。 そんな大人気の画家さん・・・・「リヒター」とは? 【ゲルハルト・リヒター】Gerhard Richter 1932年2月9日 生まれ) ドイツの画家 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり 若者にも人気があり、ドイツ最高峰の画家とされている。 【略歴】 旧東ドイツのドレスデンに生まれる。 地元の藝術アカデミーで1951年から56年まで絵画を学ぶが 共産主義体制に制約を感じ ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年 西側のデュッセルドルフに移住 デュッセルドルフ芸術大学に入学、独自の作風を展開していく。 1971年からデュッセルドルフ芸術大学教授を15年以上にわたり務めた。 作風 初期の頃から製作されているフォト・ペインティングは、 新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに描き写し、 画面全体をぼかした手法である。 モザイクのように多くの色を並べた「カラー・チャート」、 カンバス全体を灰色の絵具で塗りこめた「グレイ・ペインティング」、 様々な色を折りこまれた「アブストラクト・ペインティング」、 幾枚ものガラスを用いて周囲の風景の映り込む作品など、 多様な表現に取り組んでいる。 27億円ドイツの抽象画に・・・・・ぽちよろしく
2012.10.15
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「旅の計画」・・・・早くも来年の旅の計画を漠然と 9月にベトナムへ行きますが・・・心は、 来年に飛んでおります! 鬼も大爆笑であります・・・・ 今年の1月にパリの美術館を飛び回りましたが・・・ 来年は、ロンドンの美術館を巡ろうと計画中です。 時=2013年1月 交通=直行便で・・・できれば8日間 場所=ロンドン市内のみ ホテル=中心地3つ星くらいで 行きたいと思っている美術館は・・・多いです! 1=ロイヤルアカデミーオブアーツ( Royal Academy of Arts) 2=ナショナル・ギャラリー(National Gallery) 3=テート・モダン(Tate Modern ) 4=テート・ブリテン(Tate Britain) 5=コートールド・ギャラリー (Courtauld Gallery) 6=ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 (Victoria and Albert Museum) うううう・・・こんなに欲張って良いのかな? 8日間だとすると・・・大英博物館は、もう~パスかな?それから・・・まだあったかしら?ちなみにロンドンは、まだ2度目なのですが・・・お勧めの場所がありましたら・・・アドゥバイスよろしくです!それと、安くて便利なホテルも教えて頂けたらと思います。あと半年・・・勉強する事いっぱいです!旅のこと考えて良いかなぽちっと・・・・よろしく
2012.07.14
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ロシアのサンクトペテルブルクにある『エルミタージュ美術館』に行ったのは・・・数年前ですが世界4大美術館?だったかしら・・・5大美術館だったかも?本日、六本木にいらしたのです!初日朝10時から「大エルミタージュ美術館展」世紀の顔・西欧絵画の400年空いていました(^-^)♪私の大好きな・・・マチスの「赤い部屋」赤い部屋との再開ですもの・・・赤いブラウスにジーンズで再開です。感動でした!ティツィアーノ・ルーベンス・レンブラント・ドラクロア・・・・コロー・シニャック・良かったです♪アンリルソーは、小さ目だったけど霧の中のモネ・・・・そして大好きなシスレーが並んでいました。ルノワールのりんごさんも・・・マンドリンを弾いたピカソもエルミタージュでは、それぞれ自分のお部屋がある巨匠たちの絵画が仲良く並んで♪ちょっと嬉しいものです。先週に行った「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」よりもお値打ちかもです!?美術館もたまには(^-^)ぽちっとよろしく
2012.04.25
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朝から渋谷まで・・・行って来ました。誰とデート?ダ・ヴィンチさんと・・・渋谷BUNNKAMURAに会いに(^-^)誰?それ?はははこんな人です!ダ・ヴィンチ君デート資金は、1500円ポッキリ「ほつれ髪の女」・・・素晴らしいです偽物のモナリザは、ちょっぴり笑えるかもです!?大好きな「岩窟の聖母」これは、3つ目のなのだとか?指をさしてるほうで・・・後輪が無い最初の偽物ですって??ううう微妙・・・本物っぽいと思うのですが・・・???そんな事を考えるのも楽しい♪とりあえず「ほつれ髪の女」良かったし・・・仕事のストレスも少し癒えて・・・ぽちっとな>
2012.04.18
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世界を旅してまだ12年なのですが、とりあえず・・・訪問国は、49ヶ国言っても良いのかしら?私には、深い深い悩みがあります・・・やっぱし、これは言って良いのか?誰にでもある事なのかも知れないんですが・・・何かに呼ばれてしまい旅をしてきましたそれに気づいたのは、最近だと思ういきなりの一人旅の原因でもあり思い入れが積り積もっての旅だったりするとありがち・・・その深い深い悩みは、誰かの声が聞こえてしまうことそれは、存在は、あるのだろうけども・・・誰にも見えない人の事。その見えない人が、私に話しかけてきます。その話を自分から・・・聞こうとする時もあるのだけれどもいきなり後ろの高い所から話しかけられたりもするそれは、誰にもあるのかも知れないけれども私の場合は、不思議な事に外国であり、その人は、間違いなく現地の見えない人なのに・・・日本語で私に話しかけてくる事。最初は、何で~日本語なんだろう?と、思ったけど・・・慣れてくればそんな事は、あまり気にならない事。何故・・・?わからないんだけど・・・怖い場所で、こんな声が聞こえて来ると・・・それは身の毛がよだつほど・・・怖いだって、とても苦しくて・・・今でも苦しそうだから・・・だから、そんな場所は、2度と行きたくないと思ってしまう最初に怖かったのは・・・フランスのモンサンミッシェルでした。憧れの世界遺産なれど・・・怖い歴史もあるみたいで次に怖かったのは・・・ポーランドのアウシュヴィッツ牢獄の中での息苦しいまでの声には倒れそうになりました。それで、ギリシャでは、誰かがホテルまで付いてきたみたいだったから・・・それからは、あまり話しかけられそうになったら・・・近寄らないようにしています。だけど、ツアーに組み込まれていたりすると・・・入らなくては、いけないし・・・これが、辛いだけど、こんな理由で入りたくないなんて・・・言えないしね・・・それこそ変な人だと思われるもしかして本当に変?かなり変だと思ったりもするけど・・・もしかして、誰もが言えない事なのかもしれない・・・最近は、入る前に何となく・・・誰か変な物がありそうな気がする?予感がする時もあるそれでなのですが・・・今回の南米の旅でも・・・どうも入る前に変な感じがそれは、バスを降りた瞬間から何か?大きな怖い感じのオーラが漂っていた・・・その建物の敷地の塀の外くらいまで・・・不気味なオーラと言ったら・・・失礼なのだけれどそう、不気味なんて・・・ごめんなさいね!そんな不思議な方たちが・・・今でも苦しそうに今でも訴えたいと私に語ろうとしている場所入らなくては、いけないだけど・・・そんな話を聞くとやっぱし怖いだけど、挨拶をして・・・ごめんね~私には、助けてあげられないんだよね・・・・ごめんね~と、しっかり誤ってきました。だから、ついて来てないと思うのですが、 とりあえず 黄金「博物館」のお話南米旅日記・・・『ペルー編』怖いのですが・・・多分書いても怒らないと思うので普通に続けたいと思います。どうかペルーの見えない世界の苦しい方々・・・どうか許して下さいね・・・私は、あなた方の事を「さらし者」にする気は、ないので・・・お許しください。それでは、許してくれたみたいなのでそれでも・・・ああああああ・・・控えめに・・・はい内緒でですね・・・はいはいでは、悪くは、書かないって事でお許しいただいたので、書けます。ランキングは、どうなのか・・・そうそうぽちよろしく
2011.12.12
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スペインの『プラド美術館』から・・・ ゴヤの「着衣のマハ」が来ると言うので・・・ 朝から・・・・上野西洋美術館まで行きましたよ! プラド美術館で「着衣のマハ」さんに お会いしたのは・・・もう~8年くらい前?マハさんは、相変わらず若く美しいままです。 マハさんも私を見て覚えていて・・・ 話かけてくる気がして来た 「久しぶり~きらちゃん!随分、太ったし老けたじゃないの!?」 と言われた気がした・・・! きらり「貴女みたいに寝転んでいると楽だけど私は、8年で色々あったのよ~」 そんな会話を交わすのも楽しい・・・ マハさんは生きている 名画は、いつまでも名画のままです。 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「着衣のマハ」 だけど、女は、残酷にも年を経るごとに残酷な現実・・・ プラド美術館所蔵の絵画は、 今回、ゴヤの作品のみで 少し期待外れだったけど・・・ 「着衣のマハ」は、私が思うに・・・やっぱしビーナス♪相変わらず素晴らしかった! そして、もう一枚のお気入りは・・・ 「ガスパール・メルチョール・ホベリャーノスの肖像」レオカディア・ソリーリヤ(?) ゴヤが丹念に描いたと思われるこの作品。彼女のしっかりした目が印象に残った(^-^)b 「ゴヤ展」・・・・・それで、お勧め度は50パーセントかな?帰りには、いつもの常設展の大好きな絵を見て・・・癒されて帰りました。 ヨーロッパに旅した気分でポチっと
2011.10.22
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東京・上野動物園のパンダちゃん 今日の朝 10時に公開されると言うので・・・ いきなり思い立ち 上野へ 到着したのは8時半だった・・・かなり前の方です! 日本の名前は・・・・ オス 「リーリー」 力力 メス 「シンシン」 真真 中国での名前を覚えていますか? オス 「ビーリー」 比力 メス 「シィエンニュ」 仙女 東京都が 中国野生動物保護協会から 年間95万ドル(7800万円)で借りたんですって とっても贅沢な、ひととき りーりー 男の子 落ち着きが無くウロウロ もっと近くで見たい・・・ 大サービスありがとう しんしん 女の子 噂どおりの食いしん坊 日本の竹は美味しい パリポリ 国立西洋美術館で、大好きなレンブラントちゃん♪とも会えて 癒しの一時ポチっとよろしこ→
2011.04.01
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東京の西の外れにある奥多摩「せせらぎの里美術館」に昨年行きましたが、今年も【犬塚勉展】が開催されていて25日までだと妹が、言うので18日(日)に、ふたたび・・・・・行ってきました(^-^)♪ 「せせらぎの里美術館」ふたたび犬塚勉展 4月27日~7月25日まで 入館料金 = 大人300円 小中学生200円 所在地 〒198-0102 東京都西多摩郡奥多摩町 川井字丹縄53番地 JR青梅線 御嶽駅(みたけえき)より 多摩川沿いの遊歩道経由 徒歩30分 気候・天気の良いときのお勧めコースは、 駅前交差点を渡り、標識にしたがって河畔へ下りてください。 奥多摩フィッシンセンターの太公望たちをを左手に観ながら・・・ ― 稜線の風の如く - 「なぜ山に登るか、 山を歩くか。 自然の中で体を躍動させることにより、 強烈に自然との一体感を得る。 自然の美しさを体ごと味わう。 その喜び、 感動のゆえに、 沢・岩と過激に山に登るのである。」 犬塚勉 制作ノートより 若くして山で亡くなった画家「犬塚勉」・・・について 涼しげな絵画ですよランキングポチっとなう。→
2010.07.18
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三菱一号館美術館開館記念「マネとモダンパリ」展♪有楽町に美術館が出来たらしい?19世紀のオシャレなパリの雰囲気らしいポスターなんですよね!4月から始まっていたのですが・・・終了間近になり・・・あせって行って来ましたが、混み混み40分くらい?待ちましたよ! 「マネとモダンパリ展」 Manet et Ie paris Moderne 場所 レンガの 三菱一号館美術館 期間 2010年4月6日(火)~7月25日(日) JR有楽町駅ヨドバシカメラ国際フォーラム口から歩いて5分 ポスターの絵は、マネの 「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」1872年 『マネ』とは? エドゥアール・マネ 1832年1月23日生まれ~1993年4月30日51歳で没 19世紀 フランスの画家 EDOUARD MANET モネとは違う・・・マネで、マネの方が7つ年上 でも マネとモネは、他人であり親戚じゃ無いですが・・・ 名前が似ていて 時々間違えられた事から・・・お友達だったらしい? スペインの巨匠ベラスケスが、大好きだったエドゥアール・マネは、 ベラスケスの黒を好んで使いながら、大胆な筆使いの表現であるところが 私は、凡人の及ばぬ所であり 天才であり、尊敬する画家なのであります。 特にベルト・モリゾをモデルに描いた作品は、有名ですが、 今回来日で私の一番お気に入り作品は・・・「街の歌い手」 です 「ローラード・ヴァランス」「浜辺にて」「横たわるベルト・モリゾの肖像」 レモンやりんごなどの静物もマネらしくて素晴らしいです エドゥアール・マネは、印象派の巨匠と思っていましたが・・・ 印象派の仲間には、直接入らずに独自の立場で活動したそうであります。 何とも微妙な表現もあり、なかなか認めれれなかったマネですが・・・ 沢山のお友達が居て 彼らのアピールにより、その後 認められました。そして印象派やその後のピカソなどにも多くの影響を与えたマネをすっかり尊敬 今回、日本初公開の作品もあるので・・・土曜日むっちゃ~暑いけど行って来ました オルセー美術館からの作品多かったですね・・・むっちゃ~癒されました パリの香りがもっと欲しいランキングにポチっとなう。→
2010.07.17
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今日は、また六本木の国立新美術館に行って来ました。梅雨の合間の曇りの土曜日と言う事で、到着したのは、午前11時だったから?なのか入場までは20分待ちの表示・・・しかし10分後には、入場できましたgood(^-^)V オルセー美術館展2010「ポスト印象派」 六本木=国立新美術館に行きました ポスターの写真 セザンヌ 「水浴の男たち」 1890年 ええっ何で~男の風呂姿がポスターなんてガッカリ 今回の作品は、 あの有名な「印象派」の時代から脱却し 次々に新しい))手法が生まれて 個性豊かな作品が花開く時代に移る・・・ そんな 素晴らしい時代の作品が・・・115点も 「印象派の巨匠」 モネ 作品→「日傘の女性」など素晴らしい5点 セザンヌ 台所のテーブル「篭のある静物」など8点 ゴッホの 「自画像」素晴らしい色彩のものなど7点 ルソーの エキゾチックな「蛇使いの女」など大きな2点 ゴーギャン 有名な黄色いキリストのある「自画像」など9点 スーラ 11点 ロートレック 3点 ベルナール ドニ そして きらりの好きなオディロン・ルドンなど・・・ 2度と来日しないと言われた作品 115点の大満足 オルセー美術館・・・・パリが、来てくれて凄いです。 しかし ベビーカーの乳児から・・・老若男女が むっちゃ~ 混み 混み 絵画を見ながらカニ歩き状態 帰りは、午後2時 「国立新美術館内」 今回は、ボール・ヴォキュゥーズ空中レストランでなく 庶民的な 地価1階セルフのレストランで 遅いランチ 若鶏のフリカッセ(600円) アイスカフェラテ(370円) パン・オ・レザン(120円) 合計 リーズナブルに・・・・(1090円) 花より団子きらりランキングポチっとなう。→
2010.07.03
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4月17日(土)は、41年振りで東京に遅い雪が積もった「ボストン美術館展」の開始日でありましたが、翌18日良く晴れて暖かい日曜日朝の9時からボストンへ出かけました。地下鉄「大江戸線」で六本木 ブラブラ歩き・・・10時頃 六本木ヒルズに到着!! 六本木ヒルズ「ボストン美術館展」に行きました! こちらをクリックボストン美術館展 エレベーターで一気に52階 森アーツギャラリー 「ボストン美術館展」 ボストン美術館が改修工事の為に来日した 西洋絵画の巨匠達の作品が80展も・・・ モネの「ルーアン大聖堂」素晴らしかったです! 若き日のレンブラント2枚セットの作品 死が近づいていたゴッホの厚塗りで力強いタッチ 意外に小さかったコローの花輪を積む娘 馬鈴薯植えは、落穂ひろいを思い出すミレー ドガの競馬場の画面構成の素晴らしさ 丹念に描いたピカソの女性の肖像 確かめたかったヴァンダイクの手も確認し マネ ベラスケス シスレー クールベ セザンヌ ルノアール 最後に1点だけだったマチス 西洋絵画の巨匠がズラ~っと、80展も並んでいて こんなに楽しく、コンパクトに見れるなんて! 大満足であります!! 美術館を出るとガラス張りのパノラマ 大都会東京が一望 肉眼でもバッチし 新・旧の東京タワー 東京湾も近いじゃん レインボーブリッジ お台場のフジTV 国立新美術館や青山墓地は、すぐ下 きゃ~行ってみたくなりました 六本木ヒルズ5階「RIGOLETTO」で生ビールにランチ 美味しかった~お勧めですポチ ヒルズを出てボチボチ散歩 花畑牧場パフェ450円を食べる・・・・・・・・・・・・高い割にはイマイチ 歩いて東京タワーまで来ちゃいました昭和~っ 凄い観光客数で、登ること断念 芝・増上寺(徳川将軍の霊廟あり、境内でフリマ)を経て 大江戸線「大門」より新宿へ 新宿の百貨店で母の日にブランドエプロンがOFF即購入 帰宅午後4時 東京のお散歩は楽しいけどランキングはきつかとバイポチよろぴく→→
2010.04.19
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昨日は、六本木にある東京新美術館「ルノワール展」に行きました(^0^)思ったより多くの作品が展示されていて、かなり見ごたえがありました・・・結構お勧めです!また絵画を化学的に分析したりしているので、また違った角度からルノワール氏を見る事が出来たので、新たに素晴らしさを発見致しました。 六本木にある東京新美術館『ルノワール展』を見て来ました ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir 1841年(天保12年)2月25日 ~ 1919年(大正8年)12月3日 フランスの印象派の画家印象派には、モネさんや、いっぱいお友だちがいました。しかし光りを追い求める印象派に疑問を持ち苦悩!イタリアの神話や古典的な技法に一時期影響を受け、良さが半減!またしても苦悩の日々・・・次第に持病のリウマチが悪化し暖かいフランス南部に移り住み、そのせいか?人生を楽しんでいるかの如き作風に変化し、やや大胆で緻密さは無いが、赤色が多く、特に豊満な裸婦像を描き、本来持っていたと思われる作風に自由さをプラスし大胆にデフォルメされた作風になったと思う!病気が多かったにしては78歳と案外と長生きをして沢山の作品を残す。今回の『ルノワール展』には、85点の作品が展示されていて誰にも好かれるルノワールらしいストーリーをたどれるので・・・お勧め さていきなりロシアに飛びますが ロシア・世界遺産「エルミタージュ美術館」のルノワール作品は 女優「ジャンヌ・サマリー」立像 表面のガラスに蛍光灯が映ってすみましぇ~ん! 最新流行のドレスを着て立っている大きな作品 この作品は・・・ ルノワールが38歳の時 サロンに出展して大評判になったそうですよ! 確かに・・・ 薄いピンクのファファ~のドレスは 女の子ならば一度は着てみたいドレスですよね! ルノワールと言えば、透き通った様な女性の肖像画であります。 ルノワールは、最新流行のファッションにも興味がありました。 父が仕立て屋職人で、母がお針子さんだったから・・・かもです? 13歳で磁器工場の絵付職人になり、 その後・・・美術の学校へ進学 そう言えば・・・死の直前最後まで絵筆を持ち描き続けた彼は、 究極の「職人」であったのかも知れません! 花や静物を描くことにより腕を磨き・・・ あの桃の様な・・・美しい女性の頬を描けたんですね 納得がゆくまで描き続けた作品は、やっぱし素晴らしいですねぇ~ 満足しちゃって~美術館の・・・空中カフェで ケーキとコーヒーセットを楽しみましたよ ランキング消極的に参加中☆良かったら・・・無料なので☆ポチっとよろしく→にほんブログ村
2010.02.22
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12月12日に封切りになる映画『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』は、アニメの「フランダースの犬」と、おお昔の懐かしい映画「小さな恋のメロディ」をMixした感じなのかしら? チビっ子イケ面=スノープリンス合唱団は・・・どうも気になる→『スノープリンス禁じられた恋のメロディ』 「フランダースの犬」の舞台に旅した想い出 ルーベンスが大好きなのは、やっぱしネロ少年の影響なのでしょうか? 私が、ベルギーを旅したのは・・・5年前の今頃だった。 教会のルーベンスは、とっても大きかった! ネロ少年が見て、いつも亡くなった母を思い出していた 「聖母被昇天」せいぼのひしょうてんは、素晴らしかった♪ 手前の十字架があるので見にくいけど 三面鏡みたいになったの絵画は、ネロ少年が見たかった ルーベンスの代表作 『キリスト昇架』 Raising of the Cross 1610~1611年 460×340cm(中央) 460×150cm(左右の翼) 油彩・板 ベルギー・アントウェルペン大聖堂 (シント・ヴァルブルヒス区教会旧蔵) ルーベンスがアントワープに戻って最初に手がけた大規模な祭壇画 十字架に掛けられるキリストを描いたこの絵は、 教会の中に置かれた巨大な・・・・祭壇画『十字架昇架』 まずこの大きさにビックリ 次に描いた・・・これもルーベンスの代表作 『十字架降架』 1611~1614年 (同じ)ベルギー・アントウェルペン大聖堂 十字架から降ろされるキリストを描いたこの絵は、素晴らしいです。 リアルな人物表現は、ミケランジェロをお手本に 勉強したルーベンスらしくリアルな人物表現が大迫力です。 ちなみに「フランダースの犬」のネロ少年が発見されたのは 『キリストの降下』と『十字架降架』の絵の間くらいだったそうです。 しかし・・・ 死の直前に見た絵画は、現在 フランスのルーブルに展示してあるそうです。 ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens 1577年6月28日生れ~1640年5月30日没 バロック期のフランドルの画家及び外交官。 現地の発音は「リュベンス」に近い。 ルーベンスは、地元を離れイタリアなどで修行 お金持ちや貴族の豪華な衣装を立派に描いた肖像画は、大人気になり イタリア貴族やスペインの宮廷画家として大活躍しお金持ちになり ベルギーに戻り『キリストの降下』『十字架昇架』などの名作を手がけ なんと・・・外交官も勤めた。 もう一度行きたいアントワープはクリスマス前でロマンチックだったわ ランキング消極的に参加中☆無料なので☆ポチっとよろしく→
2009.12.06
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有名な「最後の晩餐」や「モナ・リザ」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、とっても有名ですが、彼の波乱に満ちた生涯と、あらゆる事に興味を持ち才能を発揮した天才ダヴィンチ、彼については、隠された謎が多く、それを考えると・・・・ きらりの謎は「小窓」です! ロシア【世界遺産】エルミタージュ美術館にある2枚のダヴィンチ 「ブノワの聖母」 「リッタの聖母」 には小窓があります・・・・・・・・・・・ 何故? 窓が? あるんだろう? ダヴィンチの描いた他の「聖母像」を見てみると・・・・あらっ? ドイツ ミュンヘン アンテ・ピナコテークにある カーネーションの聖母 にも 窓がある・・・・ どうして窓なんだろう? 気になる・・・ どうしても気になって眠れない そう、思っていたら・・・そのヒントに1枚の絵を思い出したのです。 フランス パリ ルーブル美術館にある 岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ヴィンチが、生涯手放すことが無かった3枚の内の1枚です。 ダヴィンチは、幼い頃に母親と離されて、祖父母や叔父の手で育てられ とっても複雑な環境で育ちました。 ダビンチの生涯は、 恋しい母を慕う人生だったのかも知れません・・・・ ルーブルにある「岩窟の聖母」は、きらりが大好きな作品ですが、 馬小屋で産まれたとされるイエス・キリストが、 エジプトの岩窟で産まれたとして描いた ダヴィンチの謎!? この岩窟は・・・・ 母の 子宮 であると仮定されています。 ダヴィンチの聖母像は、 岩窟の中のマリア様とイエス様が何枚か描かれました。 ダヴィンチが、母の所(体内)に戻りたい、会いたいと言う心がいつもあったのでしょうか? そんな、ダヴィンチが描いた エルミタージュと アンテ・ピナコテークの聖母像 この 気になる窓の謎は、 岩窟の聖母に辿り着くのかも知れません! この部屋は、母の子宮だったのかしら? 子宮には「窓?」 確かに出口が・・・・ 外には、険しい世界が見えるし そっかな!?と・・・私は、結論を出しましたが、どうでしょうか? 様々な意味を秘めたダヴィンチの絵画にぽちっとよろしく
2009.11.17
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